15年後
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 チープな電子音で合成された、メリーゴーランドを動かす音楽──あれが鳴りだしたのが、始まりだった。
 あのクソみたいな遊園地が、生命というものそれ自体へ向けられたかのような憎悪をぶつけようというときに、上げる唸り声。おれたちは最大限の努力を以て事態に当たり、そして──このザマだ。
 それはなんの液体か分からなかった。汗か、涙か、血か、あるいは排泄なのか。
 少なくともおれの周り半径50センチに出来た湖沼は、100パーセントおれ由来の成分で構成されていた。脳味噌をテディベアに掻き回されて死んだ隊長も、観覧車に続々と吊るされていく同僚の遺体も、もうおれには関係がない。
 財団で死んだという父親も、こんな思いをしたのだろうか。生きていることが惨めに思えてくるくらいの、地獄の詰め合わせのような体験を経て。おれは最早一歩も動けなかった。それはあの忌々しいゴーカートの群れが、おれの脚を入念に轢き潰して粉々に砕いたからだ。総崩れになった機動部隊が逃げるのを防止するために、まずは機動力を奪おうという魂胆であるらしい。
 今さっき死んだ越谷を見るに、その予想は当たっている。メリーゴーランドのユニコーンにケツから貫かれて死んでいる若者は、たぶん死因: 仕事中の不注意で落下死なんかになって遺族に知らされる。
 おれの死因はどんなだろう──いや、財団の事務衙門がどんな処理をするのかなんてどうだっていい。肝心なのはこれからおれに振る舞われるであろう最高のおもてなしについてだ。もうラブトンネルもスリラー・チラーもたくさんだ。できりゃ顔が残る死に方がしたい。隊長のは最悪だ。
 園内ではさっきからずっとマーチが流れ続けている。延々鳴り響くスネアの音を、悲鳴と銃声が飾り立てる名曲だ。ピンクのハッピーカバや白のミス・ラビットなんかは、臓物をぐるぐる巻きにしたおしゃれな格好で踊り狂っている。
 とうとうおれの番だ。おれの脚が勝手に、さっき両脚を最高な形にリフォームしてくれたゴーカートへと向かわせる。おれにぴったりな処刑場への直通バスというわけだ。一歩一歩──外的営力によって折り曲げられる膝や足首は、折れた骨が神経を痛めつけてもお構いなしで虜囚の身へ行進を行わせる。
 けたたましい音とともに、ゴーカートは一直線で園内を疾走する。地面なんて見えていないのか、倫理法規を可能な限り破りたくてしょうがないのか──地面に転がるあらゆる有機物を、撥ねて転がして貶めながら走る。任務前にスニッカーズをくれた同僚の頭蓋を割り、おれと同じく半死半生の人間の脚を砕き、呻き声と絶叫を燃料に加速していく。それは明らかに停止するときの慣性なんて考えていなかった。当然だ。そういう連中の動かすカートなのだから、これは。でもそう納得しているのは理性の方だけで、おれは半狂乱になりながらありったけの罵詈雑言を放ち続けた。
 悲鳴のような──実際おれの悲鳴だったのかもしれない──タイヤの急停止で、おれは物理法則にしたがい前方へ投げ出される。簡素なつくりの小屋の壁は、装備含め100キロに達しようかという男の前に、いとも簡単に破られた。おれは気絶しかけながら、その内装を見て全てを悟った。畜生が。
 そこはテディベアハウスだった。隊長の脳味噌を美味そうに食い散らかした連中が、大勢いるあの場所だ。咄嗟に手榴弾へ伸びた手が、柔らかなフェルトの感触に包まれる。そして次の瞬間には全部の指が別々の方向へ折れた。痛みはない。神経フィルタリングで痛覚は遮断していた。でも、おれの正気がそれでよりバカに近くなっていったのは確かだ。
「畜生……畜生……」
 せめて、このクソったれなぬいぐるみ共にひと泡吹かせてから死にたかった。財団なんかに入らなきゃ、親子共々天寿の前に死んじまうなんてことはなかったはずだ。ぬいぐるみ好きの父親が、息子をぬいぐるみに殺されたとあっちゃとんだお笑いだ。
 離別した手指たちを、可愛いクマちゃんたちが引き裂こうと試み始めるのを、感覚で知る。抵抗を削いで、それから一番おいしいところを食ってやろうというわけだ。
 おれは神経フィルタリングがどうか最後まで切れないでいてくれることを祈りつつ、これまでの後悔を回顧することにした。
 結局、おれは母親に孫の顔どころか嫁の顔さえ見せずに死んでいくのだ。父親でさえおれの顔を一目見てから死んだというのに。だが、その父親でさえ、おれの物心つく前に死んでいる。顔もわからない。写真が一枚も残されていなかったからだ。
 財団なんかに入ったのが、おれと父親のそもそもの間違いだったのだ。忠誠心なんてカケラもなかったおれが、この組織に入ったのは父親とその友人の影響からだ。あの頃のおれは財団を、正義の味方か何かだと勘違いしていた。いやさせられていたのかもしれない。あの友人を名乗る男は、おれにそれを望んでいたようにすら、今となっては思えてくる。親子共々地獄に落とすために。
 テディベアの群れが、床に引き倒されたおれの上でダンスを踊る。ヘルメットと防弾ベストを食い破ろうと歯を立てて、けなげに首を振り尻を振り回す。おれの唸り声は何の効果も持たない。動けばその部位に噛み付き、実際おれの右手の指はもう第二関節以降がなくなってしまっていた。食いちぎられたからだ。
 いつか父親の死に辿り着こうと考えていた。そのためにはこの組織で出来るだけ伸し上がって、より機密に触れられる立場にならなければならない。そのための努力は惜しまなかった。あの友人の男も、おれの早い栄達を喜んでいたという。しかしその父の同僚も、いつからか姿を消していたが。
 いよいよ防弾ベストの複合繊維が最後の一枚になった。動き回るテディベアの重みを肋骨に感じながら、段々と削れて行くヘルメットのプラスチックの視界をぼんやりと眺めている。親指を完食したテディベアが、得意げに骨を吐き出してヘルメットにあてた。血と涎で汚れたクマちゃんが、無表情にわらう。
 なるほど。おれの人生は可愛いクマちゃんの栄養になるために用意されていたのだ。財団はおれの死も、父親の死の真相と同じく隠蔽してしまうのだろう。母親が父親以外に夫を生涯認めなかったことなど、知る由もあるまい。そして哀れな母親の一人息子は今、無残に顔も残らないような形で死んでいこうとしている。
 もうすぐヘルメットが割れる。ベストは食い破られ、おれは脳味噌を掻き回されながら、テディベアたちの愉快なご馳走になる。右手がどうなってしまったのか、確かめるような勇気はない。うじゃうじゃ飛び跳ね回るクマちゃんたちに邪魔されて、どうせろくに分かりはしない。ああ、くそ、財団め。
 テディベアの爪が生えた短い腕が、大きく振り上げられる。決して残酷な光景ではないそれが、おれはいよいよ終わる人生の最後に見るものだと思うと感極まった。極まりすぎて、もう中身のない胃袋から酸性の液体が込み上げてくる。黄色い腕がおれの鼻先に触れた。バイザーを貫通して、おれの鼻先を引っ掻く。
「あ……あ……」
 バイザーがまるごと砕き割られ、おれの顔をカラフルなフェルト製の手が撫で上げ、生々しい爪が引き裂く。おれは夢中で口の中に入って来る腕を噛み潰し続けた。やがて口腔が綿だらけになって、呼吸が苦しくなってくる。瞼を引っ掻く爪は断続的に眼球を圧迫し続け、涙があふれてくる。
 次の瞬間、感覚器官を支配する轟音と閃光が訪れる。それを、おれは初め脳の限界を告げる幻覚の類なのだと思っていた。
 それが現実に発生した爆発という事実に気が付くためには、おれに群がった忌々しいテディベアどもがまとめてキャンプファイアの燃料になることが必要だった。現実と幻覚の区別のつかないおれを、人影が取り囲む。
 やがて脳は状況把握をあきらめた。無意識が、精神の安定のためにわずかな休息を必要としていた。おれはまどろみとも言えないような性急さで、意識を失った。

空白

「現場制圧。TEとして動くものは全て粛清しました」
「よし。引き揚げるぞ。あとは事後処理班が財団と揉めながら決めんだろう……」
 軍人として鍛えられていた脳髄は、危機が去ったと見るやすぐさま主人の意識を覚醒させた。瞼が痙攣しながら上がり、星空を視界にとらえる。それはおれたちが朝この遊園地に入った時から、すでに半日以上の時間が過ぎようとしていることを証明していた。
 ゆっくりと──それこそ錆びついたサドルを動かすような慎重さで──首を横へ向けると、そこにはかつての同僚たちが雁首──ないのもいるが──揃えて寝かされている。みんな死んでいる。明らかに死んでいた。いないやつさえいる。きっと身体が残らなかったからだ。唇がわなわなと震え出して──まだそれだけの機能が情緒に残っていることが不思議だった──歯の隙間から情けない泣き声が漏出してくる。
「……おい、目を覚ましたぞ」
「ちっ、大人しく寝ててくれよ。こっちも怪我人がいんだ。大人しくしてれば、送り届けてやっから」
 血と涙で視界はどんどん悪化していった。おれの周りに集まってきた連中の顔はよく見えない。だが、会話の端を聞き取るだけでも彼らの正体はあらかたつかめていた。
「た……た」
 震える発音で、痺れてしまった舌で、日本語をどうにか表現しようとする。壊れたテープが同じ音を何度も繰り返すように、言葉にもならない音が虚しくリフレインする。
「た、た、た、た──た……たの、む」
「あ? なんだ。おれらはGOC派遣の排撃班だ。文句あるか?」
「先輩、"頼む"って今言ったんじゃないですか?」
「なんだ、分かってるよ。心配すんな。送るって言ってるだろ」
 おれは首を振ろうとして、もう先ほどのように錆びた動きを繰り返す。顎先だけが小刻みに動く、不格好な否定の動き。
「ち、ち、ち……ちが、ちが、う」
「違う? なんだお前」
 おれはだんだんと舌の動きを再び覚え始めて、唇をかみしめる。震えを出来るだけ抑えて、次の言葉を伝えなければならない。顎を大きく開けて、息を目いっぱい吸い込んだ。
「ぼ、亡命、い──を、きききき、希望、する」
「え? 今お前なんて言った」排撃班を名乗る男が、おれの顔を掴んだ。「亡命? 亡命って言ったのか? お前」
 おれは、最後の力を振り絞って頷いた。
「た……」
 男はおれの顔から手を離し、仲間とともにどこかへ歩き去って行く。それを初め拒絶だと勘違いしたおれは、絶望感を胸の底へ沈殿させながら、再び星空を見上げた。数分して戻ってきた男たちは、おれに再び確認をした。
 話し合いは、重傷者のおれの言葉をどこまで信頼していいかということに焦点が置かれ、おれを信用していいか決めかねているとリーダーの男は伝えた。
「いいか、お前はおれたちにとってリスクになる。それをお前も理解しろ」
 小刻みにうなずくと、部下たちはおれのヘルメットをどこからか取り出してきて、おれの頭の横に置いた。
「お前は死んだ。跡形もなく身体はなくなった。いいな?」
「……ああ」
 星空は無音のままに、おれの周りに光を降ろす。自然に笑みがこぼれ、それらがやがて安堵によるものだと自覚したとき、おれの隣でヘルメットが砕け散った。

空白

「0017制圧行動終了。園内に生存者なし。連合の排撃班による現場調査報告ですが、ご覧になられますか?」
 この博士の自棄的な発音を、監督官は好いていなかった。タブレット端末をはねつけて、元々そういう色だったのだと思わせるほど血痕まみれのアスファルトに、顔を近付ける。
「排撃班は個人携行可能なすべての火力を投入していたようです。噂のオレンジ・スーツも利用していたとか」
「連中が先んじてカバーストーリーを展開していたことに気がつけなかったのは、諜報と渉外の責任になるだろうな」
 すでに研究部門から派遣された鑑識が、連合の奇跡論技師たちとともに一通りの調査を終わらせている。この場に居合わせた不幸な機動部隊員は2個分遣隊の40人。遺体が発見できたのはそのうち32体。長らく身元不明であったのが1体──最も、歯が数本だけなので体と数えるのが正しいかどうかは判断がつかない──と、壮絶なパーティーの様子をうかがわせる。
 SCP-823は異常性を行使可能な箇所をすべて破壊──つまり、奇跡論的な意味での致命傷を的確に負わされたうえで、無力化されていた。見事な手際だったと賞賛の辞を送ってもよいかもしれない──そんなことを考えながら、監督官は本当にただの廃墟と化した園内を見回す。
 義足の博士は、少しだけぎこちなく歩いて、監督官の後ろをついて行く。
「……で、遺体が見つからなかった連中は?」
「何名かは、出現していた自立行動可能な脅威存在によって捕食されていたと見られる……と。それらは基本的に行動不能にした後かなりの高温で焼却されたそうです。灰の中から彼らの遺伝子を見つけるのは相当難しいようですが、まず、連合が引き渡しに応じないでしょう」
「そうか」
 よどみない説明に、監督官は耳を傾けているのか怪しい返事をよこした。昨晩の惨劇は嘘のように、今園内には静かな霧が降りている。この場で失われた生命すべてに対して寛容な、そういう雰囲気を湛えた光景だった。
「……まったく、嫌になる」

空白

「人狼部隊?」
「まあ、聞いたことがなくて当然です。あれはむしろ、外部にいなければ知覚出来ない存在なのですから」
 精神部門の情報担当者を名乗る男は、机の前を振り子時計のように行ったり来たりしている。それを前にするおれは黒いベルトによって、椅子と仲良くすることを強制されていた。
 信用されていない。当然の扱いだろう。財団を裏切る人間は連合だって裏切る。おれの気がいつ変わるか分かったものではないし、第一、この亡命そのものが狂言だという可能性もある。
「財団諜報機関と監察部門にまたがる秘密部隊です。何人も仲間がやられてる」
「GOC工作員の?」
「ええ。ただ、奴らはあなたみたいな裏切り者が専門だ」
 裏切り者専用の暗殺部隊。ユダにくちづけを与える者達。人類を守る組織を裏切ったのだ、それは当然人類の敵として処理されるのが筋というものだ。ここにはここなりの正義があり、それは財団のそれとは相容れるものではない。同じ目的を有していながら、その過程が異なると言うだけで残酷な摩擦が両者の接触面を引き裂く。
「でも、おれはどうしたらいい?」
「どうしろってことはありませんよ。ただ気を付けてください。奴らはたぶん連合の組織内にもいる」男は来ていたグレーのスーツの懐から、一葉の写真を取り出した。「あなたがわれわれに忠誠を誓うということの証明に、一つ聞きたいことがあります」
 白い指が机の上を滑り、小さな紙片がこちらに追いやられてくる。そこには、見覚えのある男の、若かりし日の姿が収められていた。あの神経質そうな目元は変わっていないが、髪は今よりもずっと黒く、そして頬にも肉がある。しかし全体として人に抱かせるあの印象──一目見ただけで偏屈者だと分かる、あの雰囲気は全く変わっていない。
「屋敷博士……」
「そう。あなた方が屋敷信正と呼ぶ男は、もともとわれわれ連合の工作員でした」
「そんな……」
「彼の現在の職務、及び所在を、知っている限り教えてください。この情報提供はあなたの利益になる」
 なにか書くものが必要ですか、と言って男は紙とペンを差し出した。席を立ち、後ろ手に縛られているおれの右手からベルトをはがす。書くと言っても、なにをどこまで書けばよいのか想像がつかなかった。何しろ、今さっき"人狼部隊"の噂を聞かされたばかりだった。ここにもそういうセクションがあると思ってしかるべきで、ここで得られた情報をもとに彼は粛清されるかもしれない。
 だが、このままではおれの身が危なかった。これは恐らく連合への忠誠を試されている。そして同時に有用性をも。
「……屋敷博士は、今、サイト-8181の監督官をやっている」
 重い口を開いたおれに、男はあくまでも事務的に語りかけた。
「ついている任務は?」
「彼は殆どサイトの外には出ない。基本的にオブジェクトとの直接接触は嫌う。だがKeter任務や大規模な収容違反時には必ず現場に出てくる」
「なるほど。サイト-8181の所在地は──」
「████市の製薬会社だ。それはあんたらも知っているんだろ」
 男は曖昧な笑みを返すのみで、おれの言葉に答える気はないようだった。さきほどから観察している限り、男は数度視線を右へ寄越すことがある。この部屋の壁は一見打ちっぱなしのコンクリートのように見えて、その実特殊素材で出来た調光ガラスの類なのだろう。どこかでおれの様子は逐一見られている。
「……ありがとうございました。またお話を聞くことがあるかもしれません。その時もよろしくお願いします」
「おれは、どうなるんだ」
 部屋を出て行こうとする男の背中に、おれは不安を隠すことなくぶつけた。ドアに掛けた手をふと止めて、ゆっくりとした所作で男は振り向く。その顔にはあの量産的な笑顔が張り付いたままで、「早いうちに、訓練が始まるでしょう」と言った。だが、その言葉端にはそれ以上の質問を封じる響きがあった。
「あなたの身分は完全に保障されます。安心してください」

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 おれが配属された1113排撃班-"猟兵"は、主に人狼部隊への対策として編成された班だった。サブジェクトの粛清のためではなく、徹底的に対人戦闘を目的とした排撃班。裏切り者で構成された、裏切り者のための部隊だ。狼狩りを行う猟師たちは、みな過去に財団やCIでの在籍経験を持つ。
 おれが連合へ亡命してから6ヶ月が過ぎたが、その時間の殆どは装備や戦術への習熟訓練に充てられた。思想教育は財団以上に熱心に行われ──これはおれが亡命者であることが少なからず影響している──身も心も連合の工作員となることを要求された。
 父親は、今のおれを見てどう思うのだろうか。あの組織によって葬られた父という存在を取り戻すことは、おれが財団を抜けたことでほぼありえなくなった。連合はまっさきに母親の保護に手を回し、今は全く別の名前で暮らしている。
 母親はなんとなくではあるが、おれや父親の間を取り巻く状況に気付いているようだった。今更財団へ復帰しようというつもりにはなれない。あの夜の経験がおれにそう決断させたものだとばかり考えていたが、心的外傷のカウンセリングを受けていくうちに、事情はどうもそうではないらしいことに気が付いた。
「では御尊父は、財団の研究者であったと?」
 白衣を着た中年の男は、おれの発する言葉一つ一つを拾い上げては、それを繰り返す。このころはもう治療も終盤に差し掛かっていた。神経フィルタリングが働いていたことで、幸いなことにおれの心的外傷は最小限のうちに抑え込まれていたのだ。それゆえ、長期の治療が必要であるとは判断されなかった。
「ええ、まあ。おれが物心つく前に死んだみたいですけど」
「あなたは、御尊父についてどう思われてますか」
 不思議な質問だった。考えても見れば、それを質問される機会というものに、おれは大して恵まれてこなかった。財団が死者について、必要以上のことを語ることはない。ましてや母親は死の真相について何も知らない。
 漠然と死んだ父という概念だけが初めから存在し、それが生きていたらなどという空想に、多くの時間を費やすことはなかった。それは、きっと母親が父について一言も語らなかったことが影響している。
「財団の研究者ですから、真っ当な死に方なんて期待できませんよ。ただ、母はかわいそうでした」
 恨んでいるのかもしれない、とそこでおれは思った。家族など持たなければ、おれなど産まなければ、こんな形で"残された者"を生み出さずに済んだだろう。その点、父は無責任だとも言えた。
 父の方でも、まさかおれが産まれてすぐ死ぬことになるなんて思いもしなかったろう。けれど、現実として母はおれを一人で育て上げる必要に迫られた。
 おれの脳内をモニタリングしているナノマシンが、脳内を走り回る胡乱な電気信号を読みとって、感情や思考を可視化する。読み方のさっぱり分からないグラフがうわんうわんうなって、カウンセラーはうなずいた。
「御尊父に対する若干の怨嗟があるようですが、でも、あなたはそれを理性的に処理している」
「そうなんですか」
 自覚的でない憎悪の抑圧について、自覚的でないおれは何も言うことがなかった。カウンセリングはこうして毎週一時間、日曜日の昼を使って行われる。少なくともおれにとってはさほど意味のあるものとは思えない儀式は、しかしそれでも彼の給料のためには必要だ。
「戦闘中も精神に不調をきたすようなことはないようですね。財団の部隊を前にしても」
「ええ、こっちにも自己保存優先性適応処置APSPPみたいなのがありますから」
 そのおかげで、かつての仲間たちにライフルの銃口を突き付けることが出来る。おれが来てから、"1113"班はいまだに一度も例の"人狼部隊ヴェーアヴォルフ"と接触したことはなく、そのような状況は避けられていたが。
「引き金は引けそうですか?」
「殺されるとあれば、その時は」
 白衣を着た医者なんてのは、どこも同じようなものだ。財団も連合も大して変わらない。不気味に表皮をひきつらせる笑みがこちらの表情を窺い、おれの瞳孔から心の中を見透かそうとしている。
「先生、一つお聞きしたいことがあるんです」
「なんでしょう、わたしに答えられる範囲ならいいんですが」
「先生のお父様は、どのような方でした?」
「わたしですか?」カウンセラーが首を傾けると、首の余った皮下脂肪が波打って顎を受け止める。「わたしの父も、連合で技官をやっている人間でしたよ」
「御存命……なんですか」
 質問してから、まずいことを言ったと気が付いた。カウンセラーの男は気にしていなさそうな風に首を横に振り、「事故でしたよ」と短く答えた。その贅肉の多い顔に白い歯が見えたのは、恐らくおれを慰める目的があったのだ。机の引き出しを片っ端から開けたカウンセラーは、大儀そうに身を曲げて何かを取り出してくる。
「これです。親父はわたしと違ってやせっぽちでね。だから事故に遭った時もすぐ身体が折れてしまったんですよ」
 一葉の写真に収められたその男は、青白く細いものだった。まだ小学生ぐらいと見えるカウンセラーの息子は、対照的にかなり恰幅のよい体型をしている。既に父親の体重は超えていそうだ。深刻な面持ちを崩さないままのおれを見て、カウンセラーは軽薄に笑った。
「いいんですよ、もう何年も前の話だ」
 そのときのカウンセラーの笑顔だけは、不気味なそれではなかったように思う。

空白
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「ハメられたんだな。おれたちは」
「事故が半分だよ、これは」
 義足の男は言った。焼けた地面に突き立てられた左脚は、アノマリーへの憎悪で凝り固まっている。人間爆弾による想定外の爆発は、この博士ももちろん巻き込まれたに違いない。義足の表皮を覆う樹脂が少し溶け出し、炎の柄が雫となって奇妙な紋様を作り出していた。
「あんたら、おれたちがSCP-978-JPの粛清に動けるようにわざと野に放ったんだ。それでいざ凍らせてみりゃドカンときた。改良したのも財団か?」
「答える必要はないだろ? 裏切り者に」
 巻き込まれたおれたちの部隊は、あと何人が生き残っているのだろうか。後方部隊の規模で言えば、まだこの場の主導権は連合にあると考えてもいいはずだ。ここはまだ連合の縦深内部と言ってよく、このサイト管理者の挙動は不審に過ぎた。
「なんでこんなところにいる。サイト管理者クビにでもなったのか」
「お前のために来てやったんだぞ。今ならまだ、重営倉に入るだけで済む。財団へ戻れ」
「重営倉に入った後、頭ん中真っ白にしようってんだろ」左脚が折れているのが、神経フィルタリング越しの痛覚で分かった。その場を逃れようとブーツで砂利を蹴り散らすが、屋敷信正は容赦なく義足で左脚を踏み付けた。「……っ、おいおい、あんたこそ連合に戻ったらどうだ。おれたちはいつでも歓迎すると思うが」
「折れてねえ方の脚を踏まれてえか」
 実地活動用の作業着に身を包んでいる屋敷は、これでもまだ慈悲深く振る舞っている方なのだと思う。あの性悪管理者なら、出合い頭に脳天に風穴を開けられても不思議はないはずなのだ。
「お前と話をするためにわざわざここに来た」
 今の屋敷信正は、恐らく財団の上席研究員/サイト管理者としてではなく、一個人としてここにいるのかもしれない。
「財団に戻れ。虎屋少尉」
「嫌だ」
 遠くに、排撃班のものであろう足音が聞こえたような気がした。それはおれを見下ろす男の耳にも入ったようで、その顔に一筋の焦りが浮かび上がらせる。今すぐにでもこの腹の立つサイト管理者に一発お見舞いしてやりたいが、爆発で数メートル先まで飛ばされたサイドアームに辿り着くのは、今のおれには無理だった。
「どうしておれが生きていると分かった? これも"人狼部隊"の仕業か? あんたがそうなのか」
「お前がどうして裏切ったのかを考えた。虎屋外郎・元上席研究員、お前の父親が財団で死んだからか」
 質問に質問で返したというわけではないだろう。そういう壊れたコミュニケーションの類ですらなく、屋敷は単に自分が話すべきことを一方的に"話す"つもりのようだ。こいつはもう一度話をするという言葉の意味を吟味した方がいい。
「虎屋博士については残念だったよ。施設内を歩き回る唐揚げがいなくなって、おれも寂しい」
「どういう意味だ」
「オブジェクトの実験中に、収容違反が起こって死亡。骨も残らなかった。それになんの不満がある? よくあることだ。お前だけが親なしじゃねえ。てめえみたいな不出来な息子を持った母親の気持ちも考えたらどうなんだ」
「お前らが言っていい台詞じゃない」
 おれは腰のベルトからタクティカルナイフを抜き、右手に構えた。依然として左脚は折れたまま、寝転がった体勢は変わらない。
「頭が沸いちまったのか? お前──」屋敷の顔は、憐憫とも嘲弄ともつかぬものになっていた。一瞬を経て、その左半分が赤く彩られるまでは。「……あ?」
 鎖骨のあたりに、タクティカルナイフの黒い刃──そしてそれを握ったままの右手の拳──が深々と突き刺さっている。目を見開いて自分の状態を確認した屋敷は、ナイフを抜こうとして空を掴む。射出されていた右手は、独立した意思を持つかのようにナイフを握り直し、ワイヤーに引っ張られておれの腕へと戻る。どす黒い血がさらに噴出し、屋敷の身体が地面に崩れ落ちる。
「ふざけた機能付けやがって……」クマちゃんに食い散らかされた右手は、連合の天地部門の連中によってオモチャにされていた。「頭が沸いてるとか言ったな? その通りだ」
「親子そろって、ろくでもねえ……」荒い呼吸の間を縫うようにして、屋敷はなんとかそう言い終えた。唸り声を上げて、近くにあった木の幹へ寄りかかる。「機動部隊て-2へ。すぐに来い」
 おれは右手の調子を確認すると、星の見えない夜空を見上げる。黒々と空に張り巡らされた枝に目を凝らし、その距離を推し量る。
「ちょっと待て、お前」もう一度右手のロケットパンチを使おうとしたおれに、屋敷が声を張り上げる。いつになく切羽詰った様子で──刺されて動揺しているだけなのかもしれないが──おれの目を見ていた。「本当にお前が虎屋博士の一件だけで裏切るつもりなら、考え直せ。まだ助命できる」
「人狼がおれを殺しに来るのか」
「そうだ。ひょっとしたらお前の行動は、虎屋博士が原因だけじゃないのかもしれないな。だが、奴らはそんなことに関係なく殺しに来る。馬鹿な真似はよせ」
「……なあ」それまでの態度を急変させたおれを見て、屋敷は一瞬期待するかのような眼差しを向けた。「どうしてあんたがわざわざおれを止めに来た」
「お前が不運にもおれの管理サイトから逃げ出したからだ」
「それだけか?」
「それがおれの役目だからだ。奴が出張る前に、おれが何とかしなきゃならないんだ。奴にお前を殺させないために」
 屋敷はまだおれに何かを隠していて、できればそれを知られまいとしている。おれが不信を抱いたことを、奴はすぐに察した。もどかしそうに拳を握り、血の止まらない様子の傷口を掻きむしる。
「最後に一つだけ教えてほしい」
「なんだ」
 屋敷の苛立たしげな表情は、もう半ば絶望を表出させつつあった。おれは右手のモーターを動作する寸前で止めて、
「どうしてあんたは連合を裏切ったんだ」
「気に食わねえからだ。お前こそどうして」
「同じだ。気に食わねえからだよ」
 それが別れの言葉だった。右手が、直上の枝に向かって飛んで行く。枝を掴むと同時にワイヤーが巻きとられ、おれの身体が宙へ飛び上がり、宵闇に紛れて屋敷の姿が見えなくなる。最後の瞬間、あの裏切り者は割れんばかりの声で呪詛を吐いていた。それはおれに向けられていたのかもしれないし、それとも奴自身に向けられたものなのかもしれなかった。

空白
空白

「申し訳ありませんでした」
「いいよ、きみが悪いんじゃない。誰がやっても大体似たような結果だったろう」
 監督官は微笑みながら、疲れ切った男の肩を叩いた。とたんに男は身体を痙攣させ、苦痛に満面を歪める。"人狼部隊"監督官は慌てて「すまない」と謝って、屋敷の怪我の容態を尋ねた。
「数ヶ月はギプスが取れない、と。慣れないことはするべきではありませんでした」
「安楽椅子博士だからね、きみは。殺されるかもしれないところを、よく引き受けてくれたよ」
 どこか他人事のように言った監督官は、窓外のサイトを見やった。その瞳は作り物のパッチワークで出来ていて、とても緊張感のある雰囲気ではなかった。この任についてから、この人間は極端に感情を表に出さないように変貌していた。屋敷はこの上級職員と相対したときに感ずる不気味さに、未だ慣れることが出来なかった。
「こんなのは悪趣味だ。どうかしています」
「裏切り者を始末するのは、きみの役目でもあるし、わたしの役目でもある。数年ぶりの機動部隊員の離脱だ。かなりの量の機密漏洩が懸念される」
 建前の口上を述べて見せた監督官は、それから屋敷の疲労に満ちた瞳を覗き込む。
「バカな息子を持ったものだね。きみも気を付けろよ、ひょっとしたら奴がきみのこともしゃべったかもしれない」
 監督官は部屋を出て行く。義足の右脚に体重を預けて動かない屋敷は、もう手遅れなのだと悟った。裏切り者は確保され、収容され、保護されない。近く、もう一度人工的な収容違反が起こるだろう。いや、一度では済まないかもしれない。虎屋月餅の回復を待って、奴が出てくるまでこの狂言は繰り返される。ある程度機密接触資格を持ってしまった裏切り者は、文字通り地の果てまで命を狙われ続ける。
「あ、そうだ屋敷くん。ひょっとすると出頭命令が下るかもしれない。新しく捕まえた脱走者の尋問を手伝ってほしいんだ」
「はい。了承しました」
 じゃあ、また。監督官はひらひらと指のない青色の手を振る。屋敷は振り返らなかった。胸糞の悪い事に関わらされたことに後悔しながら、顔を手で覆った。

空白
空白

 前回の一件は罠だと結論付けられた。そう結論付けられたところで、おれたちの役割は変わらない。罠であろうと何だろうと、財団の息がかかっていると思しき脅威事象はすべて、粛清の対象としなくてはならない。そこに人狼部隊と思しき活動が確認されれば、なおさらのことだった。
 屋敷信正との接触は、再びおれの立場を危ういものにした。
 数度の忠誠テストを受け、自分すら知らない深層意識を催眠によって引き出されたおれは、数ヶ月経ってようやく現場への復帰を認められた。その間にも、数度の人工的な収容違反──少なくともそうみられている──が発生し、数名の同僚が姿を消している。
 真夜中。降水確率60パーセントの夜空に瞬きは一つもなく、グレイ・マントで全身を覆った男たちが疾走を続けている。今回の任務は、カオス・ゲリラのアジトから脱走した日本生類創研がらみのオブジェクト追跡だった。
 自然公園の暗闇に、白ウサギのシルエットが浮かび上がる。ヘルムに付けられたライトが、白い毛皮の照り返しを探して縦横無尽に動き続ける。
「今回も高確率で罠だろう」
「あえて正面から乗ってやるのは、火力に自信があるからですか?」
「屋敷の野郎を捕まえられる期待があるからさ、今回は虎屋がいる」
「"ウサギ"は竹林へ逃げ込んだ」
 マッドサイエンティストたちからイカレたゲリラどもに引き渡されたオスの"ウサギ"たちは、爆発的な繁殖力──それこそ、まるでインフルエンザウイルスのような──を持つ"生物系Aグループ"脅威存在だ。見境なくメスの哺乳類とあれば交尾を始め、ウサギの遺伝子が混入したキメラを孕ませる。
「あのエロウサギ、どうして五匹とも同じ方向へ逃げるんだ」
「電波欺瞞が通じないということは、恐らく元から記憶の内部にプログラムされている」
「"人狼部隊"による誘導という可能性は」
「その場合もアレイ-0023に従って行動しろ」
 奇跡の織り込まれたブーツの踵が、落ちた竹の葉を噛み砕いていく。珍しいことではなかったが、サブジェクトの脱走にもかかわらずカオス・ゲリラは沈黙を保っていた。連合は、この収容違反にあまりにも早く反応しすぎたかもしれなかった。カオス・ゲリラは連合による監視を察知した可能性がある。
「索敵チームから入電。財団収容チームと思しき武装集団を座標78-GHに確認」
「了解、われわれで対処する」
「早すぎませんか、これじゃまるで──カオス・ゲリラと財団が連絡を取ってたとしか」
「じゃあ、そうなんだろ」
 ブラック・スーツの一団が、二手に分かれる。おれたち猟兵はこのまま財団収容チームとの交戦に備え、担当評価班はサブジェクト追跡に入っていく。竹林はこの先数百メートルにわたって続き、その先さらに千数百メートルには竹が伐採されたエリアが存在するらしい。そこに入ると見晴らしがよすぎるため、財団側の狙撃に注意しなくてはならなくなる。
「前方150メートルで収容チームが停止。こちらの出方を窺っているようです」
「了解。全員停止」
 班長の言葉と同時に、風切り音の中でごくわずかに混ざっていた足音が消える。猟兵たちを追いかけてきた風が遅れてやってきて、暗視ゴーグルの緑色の視界に熱源を表す光点がいくつか現れる。
「敵部隊照会中……該当部隊あり。サブジェクトは財団人狼部隊と識別」
「次は誰が犠牲になるかな……お互い、次会ったらオレンジのつなぎ姿ってことはないようにしたいもんだが」
 私語はよせ、と新任班長が──先任は最近自殺した──怒鳴る。首をすくめた元保安職員の先輩は、おれに向かって合図をする。楕円形だった隊形が再編され、おれと先輩のセルが先行し始める。
「先行してポイントとります」
 竹林を踏みしめながら、一気に加速する。ブラック・スーツに付けられた筋力補助繊維が熱を発し、心をざわつかせる竹の葉のせせらぐ音が、より大きくなる。相変わらず有視界距離に敵の姿はなく、人型のぼやけた輪郭の塊としてゴーグルに映っている。不気味に動きを見せない収容チームは、おれたちが距離をつめていくことを、まるで警戒していないようにさえ見えた。
「……収容チームに動きあり。ポイントマン停止しろ。……連中、徐々に後退を始めています。こちらを察知した可能性が」
「戦わずに逃げようってのか」
「それが一番だ。班長、いかがなさいますか」
 全員に行軍をやめさせた班長は、数秒間押し黙っていた。やがて本部との短い通信を経て、腕を上げる。
「ポイントマンの二人のみで追跡しろ。我々は大幅に速度を落とす」
「了解」
 煮え切らない判断だと思ったが、ここ最近消耗の激しいこの部隊を纏め上げる者としては、当然の慎重さかもしれない。竹林は不気味に風を掻き回しながら、なおも揺れている。人狼部隊の混じった収容チームは、ゆっくりとしかし整然と後退を続けている。
「こちら、"親不孝スポイルド・サン"。可能な限り接近して視覚情報を送る」
「こちら班長、了解」
 最低限収容チームの武装を把握し、かつ後方部隊の規模を推定する必要がある。ウサギを追えているのは今のところ連合の部隊のみだが、どこかのタイミングで財団の収容チームが逆襲に出る可能性があるだろう。右手を頭上の竹の幹に飛ばし、竹から竹へとターザンのように飛び移る。
「"親不孝"、あまり急ぎすぎるな。連中の罠である可能性もある」
 先輩が地上からおれを見上げ、手招きをした。あえて聞こえていないふりをして、双眼鏡を構える。規模は2個分遣隊・約40名と見え、装備も標準的な保安部門のそれと変わりない。一般的な現場制圧目的の標準武装部隊と見える。そのうちの数名が赤く縁取られ、粛清対象としてマーキングされている。データベースに集積された"人狼部隊"構成員だ。
「詳細な人狼部隊隊員データを転送します。EVE/AFE固有波の更新と再登録願います」
「了解。距離を保て」
「久しぶりだからって、あんまりはやるな」
 下から飛んでくる野次に、おれはうるさそうに答えた。
「周辺警戒お願いします」
 不服そうに鼻を鳴らした先輩は、それでもきっちりと短機関銃を構えて警戒を行っていた。口ほどには不真面目でないのが、この先輩の憎めないところだった。
「班長より総員へ。本隊がサブジェクト確保に成功。サンプル実体を除き粛清するそうだ」
「了解。撤退準備に──」
 双眼鏡から目を離そうとしたそのとき、不意にチームリーダー格の男と、目が合ったような気がした。バラクラバに覆われた顔が、みるみるうちに酷悪な笑みへと変貌していく。寒気を感じて双眼鏡を取り落としたその刹那、視界のすべてが白く脱色した。

空白
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「芸がないと思うかね? また大爆発だ。今回は978ではなく、また別のオブジェクトを使わせてもらった。今回は、屋敷くんの時のように事故ではない」
 その声に聞き覚えはあったが、爆風を至近に食らった状態で頭はまともに働かなかった。乾ききった瞳で見上げるた視界には、ペンギンのようななにかが映っている。
「……お前は……」
「それにしても、ずいぶんひどいコードネームじゃないかね? "親不孝スポイルド・サン"とはしゃれが利きすぎだ。大体きみたちにはネーミングセンスってものがない」
 やかましく重傷者に語りかける男の顔へ、徐々に焦点が定まってくる。網膜に逆さの像が結ばれたそのとき、おれは限界まで目を剥いた。顔の裂傷から血がにじみ、乾ききってひび割れたのどが、ひゅうひゅうと息を漏らす。
「マ、マオ……!」
 まさか、父の親友であったというこの男が、人狼部隊の? ペンギンの被り物を投げ捨てた"人狼部隊"監督官は、惨状に似つかわしくないほど屈託のない笑みを見せた。焦げた葉でできたシーツに横たわるおれへ、徐々に距離を詰めてくる。
「会いたかったよ。月餅くん」
「嘘だ……あなたは渉外のエージェントだって……娘さんが」
「誰も本当のことなんて知らされないんだよ。きみがいま会っているのも、エージェント・マオではない。人狼部隊の監督官を名乗る男だ」
 おれの頭の横にしゃがみこんだ監督官は、感情の薄い笑顔でおれの眼窩を見通そうとしていた。これから尋問でも始まりそうな、そんな殺気をも感じる。マオははゆっくりと口を開いた。おれはそれ恐ろしくてたまらず、おもわず顔を背けた。
「よく見るといい。自分の状況を」
 黒いグローブをしたままの手が、おれの体を起こした。全身をIII度熱傷クラスの火傷が覆い尽くし、ところどころに破裂した竹の破片が突き刺さるか、あるいは皮膚に固着してしまっている。四肢は──残念ながら、右腕を除いて後の三本は見当たらない。APSPP1とSSFC2がその事実をきわめて冷静に受け止めさせた。
「……決まりだから一応言おう。虎屋月餅・元少尉。きみの行為は財団職員一般規定施行細則第3条および機動部隊隊規第2条、同5条への重大な違反だ。組織への背信には重罰をもって報いねばならない」
「……もう、いいです」
 もがれた四肢が二度と元には戻らないように、おれは取り返しの付かない結果を招いた。絶望感に浸された顔を見つけた監督官は、それからしばしの間黙っていた。
 爆発以来ずっと脳味噌の中で走っていた頭痛が引いてくると、おれは周囲の状況を徐々に認識し始めた。一面の焼け野原が、かつて竹林であった場所の変わり果てた姿だった。見たところ、おれ以外に生存者がいるのかも怪しい。
「このような状況は二度目か、月餅」馴れ馴れしく、父親の友人はおれに聞いてきた。耳障りに感じて顔をしかめると、その瞬間だけ監督官はエージェント・マオになった。「せっかく再会したんだ。もう少し愛想よくしたらどうなんだ?」
「………………」
「いま、虎屋寿甘の確保作戦が同時並行で行われている」
 思わず首を浮かしたおれに、監督官の顔に戻ったマオは「安心しろ」と答える。「わたしが手を回した。連合の庇護がいつまで続くかわからない」
「……おれを、消してください」
「ああ」
 最愛の夫を喪い、この上息子までもを財団によって奪われたとあっては、母の人生は悲惨に過ぎる。そんな息子なら、初めからいなかったことにしたほうがよいだろう。少なくともこれで、母は財団とまったくの無関係となるわけだ。
「屋敷博士が、きみにはぐらかされたと言っていた」
「………………」
「教えてくれ、最後に」
 いくら待ってみても、連合の救援部隊がやってくる気配はなかった。それはそうだろう、人狼どもの主がわざわざ出張ってこれるほどの状態なのだ。おそらく現場保全は完璧に行われている。
「どうして財団を裏切った」
「初めてエージェントの資格を得たとき、あなた自分がなんて言ったか覚えてますか」
「──きみは虎屋博士のようにならなくてもいい
「どうして父は死んだのか、それが知りたかった。だから必死に職務へ打ち込んだし、精鋭部隊にも入った。……それまでにも、たくさんの仲間が死んだ。そこで、気づいたんですよ」
「だが、財団で人死にが出るなんて珍しいことじゃない」
「それですよ。ずっとあのままここにいたら、おれは人間じゃなくなると思った。父を、人の死を当然と思うようにはなりたくはなかった。……あの夜、ぬいぐるみに手を千切られながら考えたんです」
「そんな」
「あなたが言ったんですよ。父のようにならなくてもいいって。きっと父は、自分の死すら最期には当然と思ったんでしょう」
「虎屋博士は、」
 マオはなにかを迷っているように見えた。その目にあったはずのゆるぎない虚無は霧消し、その唇は今にも秘密を吐き出してしまいそうにさえ思える。だが、やがてそのわずかなゆらぎは、確固たる信念に塗り固められた。
「きみと最後に話ができてよかった。"親不孝スポイルド・サン"とは、自分で考えたのかね?」
「だったらどうなんです」
「いや、聞いてみたかっただけだ」
 黒いグローブの右手が上がり、その背後の闇から人影が現れた。プラスチック製のマスクが当てられると、一度嗅いだ記憶のある特徴的な記憶処理薬の匂いがした。きっと次に目覚めたとき、おれはおれでなくなっている。そう思うと、すこし気持ちが和らぐような気がした。
「さようなら」

 ──────。

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「以前も申し上げましたが、わたしは本件について承服しておりません」
 屋敷信正は有給の使い方を知らない男だった。吊っている腕をあわや義肢に取り替えようとしたところを押しとどめられ、今日のところは虫の居所が悪い。
「あなたが現場へ赴き、そして虎屋少尉のクラスF処理の判をが押す。信じられない。いったいどこの誰が考えた筋書きなんです」
「屋敷くん。それは指揮系統上の必然が……」
 いつも使う逃げ口上を、またしても監督官は使おうとしている。もう数度目かの言い争いに学んだ屋敷は、先んじて語気を強めた。
「どうして、実の息子を──!」
「屋敷信正・上席研究員」
 人狼の群れを率いる長は、非人間的な発音で告げた。
「虎屋博士は死んだ。少尉の生まれたすぐあとに」
 ──だから、いないんだ。実の息子を殺した父も。実の父に殺される息子も。
「記憶処理は予定通り行え。……わたしは少し、休むことにする」
 きみと違って、わたしは有給の使い方を心得ているのでね──愕然とする部下を小馬鹿にしながら、"人狼部隊"監督官は颯爽と部屋を後にする。
「どこへ行かれるんです」
「娘の顔を見に行くことにする。父親の顔を忘れられないうちにな」

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虎屋月餅 元機動部隊████所属少尉は、重度規定違反によりクラスF記憶処理対象およびDクラス職員へと降格となりました。

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