そして、財団職員になる
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自分のデスクで膨大な仕事に殺されそうになっていると、吹上さんがひょっこり顔を出した。

「や、様子を見に来たよ」

挨拶に挙げられた手と反対に握られた紙袋には、最近話題のスイーツ店の名が刻まれている。

吹上人事官は自分を財団にスカウトした人だ。彼と最後に会ったのは財団に入団する手続き云々の時だったか。面談だテストだとサイトに缶詰にされ、数日かけて自分の財団職員としての適性を確認されていたころは推薦した責任者として毎日会っていたが、実際財団職員になってからはさっぱり会うこともなかった。

突然の来訪に、無意識に怪訝な顔をしていたらしく、吹上さんは肩を竦めて見せた。

「そんな顔しないでくれよ。君が財団できちんと働けてるかと、ま、陣中見舞いってところかな」
確かに、自分が今やっているのは財団に来て最初の大仕事だ。日常を置き去りに随分と遠くまで来てしまったが、やることが溢れているのは元の社会と変わらない。本当は今も徹夜明けなのだ。

「うーん、やっぱり最初は結構クる・・よね。一回休憩入れよう、ね」

こちらが返事を返す間もなく、吹上さんはデスク横のテーブルに持参のスイーツを広げ始めてしまった。紙袋から取り出された菓子箱の包みが剥がされれば、微かに甘い香りが辺りに漂う。

「正直に言うとね、自分がスカウトした職員がひと月持たずに潰れちゃいましたってのは僕の方の評価にも、ね? わかるでしょ?」

そう言いながら吹上さんは、チョコかカスタードかと二択を投げてくる。さっき陣中見舞いなどとのたまいながら、ほんの一分足らずで自分の事情を白状してしまった。相変わらず正直な人だ。いやむしろ、今の自分は潰れることが心配されるほど酷い有り様なのだろうか。昨夜から寝ていないとはいえ、これくらいはまだ学生時代にも経験済みなのだが。

「見るからに睡眠が足りない顔はしてるけど、それよかさ、君まだこっちで人脈広げたりとかしてないだろ」

ギクリとした。悪寒や後ろめたさなどじゃなく、ただ自分の内側にしまっていたものが、いつのまにか相手の懐から出てきたような驚き、気味の悪さだ。吹上さんは、この人はこういう・・・・ところがある。新人研修中に付き添われてサイトを回った時も、ふとした時にこういった言動が顔を出していた。自分より少し年上らしい目の前の男の顔が、何か恐ろしい、得体の知れないモノのように見えるのだ。

「チョコのほうが気持ちカフェイン入りだろうし、君こっちね」

露骨に顔を逸らした自分を吹上さんは意に介す様子もなく、机の向こう側に座って洋菓子の一つを差し出してきた。それを無下に扱うわけにもいかない。デスクから離れてテーブルに移り、差し出された洋菓子に手を付ける。表面に塗られたチョコクリームの甘い香りに混じり、微かにアルコールの香りがする。随分と高そうな印象の洋菓子だ。

「新人にはよくあるんだ。先輩にも同輩にも繋がりを持てずに潰れちゃうの。君、部署の新人歓迎会も行ってないだろ?」

カスタードクリームを頬張る吹上さんの言葉に、チョコの甘さとは違う胸のムカつきを覚える。人事部というのは他の部署のそんなことにまで気を回さなくてはいけないのだろうか。それとも自分が吹上さんにスカウトされたからか? なんにせよ、新学期の学生や新卒の社会人じゃあるまいし、コネクションの少なさを人に心配される筋合いはないはずだ。

「まーたそんな顔して」

吹上さんはそう言って、また肩を竦めて見せる。また顔に出ていただろうか。だが人間一度こうなると、相手の挙動一つ一つにいちゃもんつけたくなるような、チョコレートに似たほの暗い感情がふつふつと胸中を侵食していく。

「そりゃ、ね。お節介焼いて疎ましがられる先輩ってのはどこにもいるってことで片付けてもいいけど、ここじゃ少し、話が違う」

言っている間にペロリと菓子を平らげたお節介な先輩は、紙ナプキンをとって指を拭うと、その手を紙袋に突っ込んで中を探り始めた。

「どこのコミュニティでも同じように、無理に人脈を広げる必要はない。それは、地雷とわかっていて踏みに行く必要はない、という意味、だろ? コイツヤベェって判ってるのに関わったって、さ、ヤバイ奴のするヤバイことに巻き込まれるだけだし」

言葉が続いている内に、一つのファイルが紙袋から出てくる。人事ファイルと印字されたそれの厚みは、どう見ても一人二人の量でなく、複数名分のパーソナルデータだろう。人事というのは下手なアノーマラスアイテムよりも高いセキュリティで保護されているものだ。それが目の前に、かなりまとまった量で存在している。

粘っこい悪意が占めていた胸中に、一抹の、そこはかとない、漠然とした不安がよぎる。

「ブライト博士のやってはいけないことリストについて今更言うことは無いけど、財団職員なんか碌な奴いないんだ」

ファイルを捲りながら、吹上さんはなんてことはないように言い放った。繰り返すが、吹上さんは自分が財団の入団テストを受けるときに付き添っていた。その大半は、財団への適正を測るもの。言い換えれば、忠誠度とでもいうべきものを財団は自分に、職員に求めている。。その財団の先輩職員が、他の職員、あるいは自身も含めて、財団の人間を悪く言うとは予想だにしなかった。そこでふと思い至って振り返る。オフィスの壁には、監視カメラがへばり付いている。

「カメラは切ってる」

恐ろしい。その声も、言葉の意味も、テーブルの上の書類も、持ったままの食べかけの菓子も、こちらを見つめる吹上さんの真顔も、今この空間そのものも。

「財団は恐ろしいよなぁ。恐ろしいものに立ち向かってる組織がおっかなくなるのは、まぁ、わかるよ。みんな普通じゃなく優秀だし、それでも勝てない相手にどうにか引き分け以上に持ち込むために、必要のないものは極限まで削ぎ落そうとしてる。でも、それだけじゃない。実力がない奴は淘汰されていって、残るのは優秀でイカれた連中ばかり。そんな組織に君は来たんだ。再三再四、耳にタコができるくらい言われただろうけど、この組織に入る以上常識を捨てなきゃ、マトモな神経じゃすぐダメになるってのは、立ち向かう相手ばかりが問題じゃない。獅子身中の虫どころじゃなく、ここは蟲毒の壺の中なんだ。現場、研究、後方支援、関係なく。財団は上も下も阿呆ばかりだ」

その発言は、監査委員あたりが聞けば一発で記憶処理とカウンセリングに引っ張られるレベルのものだ。だが吹上さんはこうして平気な顔をしている。さっき彼は監視カメラを切ったと言ったが、考えてみれば彼はただのいち人事官、どこを引っ繰り返したってそんな権限など持つはずがない。サイトの一室のカメラを切ることができるほどに影響力を広げているのだろうか。イカれた集団、蟲毒の中で。

「君が本当に他の連中とつるまなくてもやっていけるなら、それは全然問題ない。でも、君はまだ新人で、ここは今までの感覚のままで長生きできる場所じゃない。イカれた連中の中で耐性をつけるとでも思えばいい。とにかく、挨拶回りでもやってみるといい。その中で自分の力に出来ると思ったものは、人だろうと情報だろうととにかく取り込んで、自分の力にならないと思っても一旦自分なりに解釈して理解して、まずは何が何でも、財団職員になることが先決なんだ」

そう言って吹上さんは笑ったが、その眼は自分を透かしてどこか遠くを見ているようだった。軟派で、人の名前を覚えなくて、自分がスカウトした後輩の様子を見に来る、人間らしさの塊のような男に、ここまでからっぽの眼をさせるほどの組織なのか、ここは。

「けして腐らず、埋もれず、おごらず、歩み続けなきゃいけない。それが君に出来るかはスカウトした僕にもわからない。君の優秀さは知ってるが、君がどれだけこの財団で大人として振舞うことができるかは未知数だ。新学期の学生や新卒の社会人じゃあるまいし、こんなことをいうのはとても心苦しいが、もしその覚悟が無いなら……」

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「そうか、ありがとう。なら改めて、ようこそ財団へ。僕たちは君を歓迎するよ

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