エージェント、東京湾に散る
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多摩川、東京と神奈川を隔てる大きな川の真ん中を子供の落書きのような船が下っている。
俺は船長のエージェント差前、船長…というより船の本体だ。体を逆エビで固定され、体の横には浮き袋を結び付けられている。頭にはヘッドライトと正月飾りを付けられ俺のクソッタレの未来を煌々と照らす。
背中には「祭」の文字が書いてある大きな団扇を帆のように建てられ、顔面には歌舞伎の隈取に猿轡である。きっと苦痛と怒りに満ちた俺の顔と純日本産の飾り付はほかのエージェントに見つかれば即刻収容される御面相だろう。
寒い…もしも生きて帰れたらまずはあのクソトカゲ…エージェントの方だ…あいつの部屋に餌用のコオロギをミチミチになるまで流し込む、そして餅月のガキの部下全員にレモンエンジェルあたりを配りそのまま国外調査にトンズラだ。
暖かい国がいいなぁ、あぁ小龍包が食べたい。そうだ、台湾、行こう…。


あの日は財団で新人エージェントのオリエンテーションがあった。ある程度任期を積んだエージェントは問答無用で講師扱い、人手が足りないのだ。
個人活動するエージェントの説明をすべく俺は控え室にいた、同室には機動部隊担当の餅月と座学担当のカナヘビがいた…毎度カナヘビの講義は新人の顔を見るためだけに講堂の窓が鈴なりになる。
財団職員として職務に向ける情熱よりも、我々エージェントには大きな情熱があった、目的があった。
口さがない職員の中でこのオリエンテーションはこう呼ばれている。

「奴隷刈り」

そもそも言いだしたのは自分だった気がしないでもないが、いつの間にか浸透していた。右も左もわからない新人職員を自分色に染めることで職員としての生活を豊かにしよう、という素晴らしい日だ。
もちろん職員としての任務を逸脱するつもりは(今のところ)ない、だがこの日の収穫で一年間の労力には大きな差が出る。それだけに全講師が真剣そのものだ。
しかしこの日は俺にとって糞みたいな条件だった。俺の講義は最後に当てられたのだ。ぶっちゃけキャッチーな見た目の餅月とカナヘビが先に来られるとインパクトで負けるのだ。
考えてみろ、████な女上司に振り回される生活や小さな隣人の下で麗らかな探索をするなんて日本人には夢あふれることだ、いや些か偏った意見だということは重々に承知なんだが経験上この布陣で俺についてきてくれるもの好きは非常に少ない。
一度俺に非常な好意を持った青年のみが集まったことがあるのだがあれはその…うん…。
ともかくこのままではあの「2009年汗まみれ柔道部合宿」の再来すら起こりかねない、なんとかしなくては…。

「…というわけで個人で活動するのは非常に魅力的な仕事だ。実力は求められるがタイムカードを押す必要もないし、何より毎日が新鮮な驚きに満ちている。君たちの中でこの任務を希望するものがいればこのあと俺に直接声をかけてくれ、一緒に食事でもしながら適性を調べようじゃないか。食事代は出世払いでいいぞ。」

何人かの体育会系っぽい男が乗り気になっている。より正確な彼らへの印象は差し控えさせていただくが…まずいな。

「ところで、随分時間が余ってしまったな。ここでちょっと財団の中での…不文律とでも言うか、まあ知っておくべきことを教えておかなくてはいけない。君たちも解っている通りこの財団はちょっと普通じゃない、日常生活でさえ常識が通じない。特に人間関係には気を配ったほうがいいな、何人かの職員は若干クソみてぇな行動をとるから命に関わるかもしれない。」

とたんにざわつき始めた、いいぞ!これまで見た職員は確かに全員奇人ぞろいだったことは否定できまい。自分の職場を言うのはなんだがなんでこんなロクデナシどもがそれなりに責任がある立場にあるんだ、大丈夫かここ。
不安になってきたが新入りどもは一層のようだ。

「まずはエージェント・カナヘビだが。君たちは不思議に思ってないかな?なんでそこらの岩を転がしたら出てくるような爬虫類が君たちの上官になりうるか。実はここだけの話彼は米国にいるSCPオブジェクトの類縁でな、君たちが見たナリこそゴミ見てえに小さいが、空腹になると糞の山見てえにデカくなってそこらへんのもんを食い散らかすんだ。それで随分うちも人手不足になってな、彼は繰り上がりに繰り上がりを重ねて今の地位にある。ま、本人の計算があったかは知らねえがね。後日彼の講習を受けた奴が何人残るかは財団の[削除済]職員の間では賭けの対象になってるほどだ。まあ俺は食事の時間は彼とずらしておくことをすすめるよ。」

ざわめきが大きくなった。我ながら適当こいたが財団着任から今日までの間、それなりに異常に接してきただけに否定もしきれないんだろう。よかやん、自分でんそげんこつ言いよったとやけん。ひよっこどもの混乱に吹き出しそうになりながら話を続ける。

「そしてエージェント餅月。彼女だって不思議なもんだろう?どう見たって14か15の小娘なのに機動部隊を率いている。これもここだけの話なんだが…あのガキは淫乱の気性が合ってな。下の方で隊員を抱え込んでいるんだともっぱらの噂だ。自衛隊時代からな。随分節操がないもんで彼女はいつもその…病気でな。しかもナリに反して力はあるもんだからもうどうしようもない、随分上から注意されてるのに治らないんだな、ありゃ生まれついてのものさ。いいか、あいつと目があったらまっすぐに逃げるんだぞ。」

最高潮、もうほとんど市場のような感じになった。考え方によっては夢のある話だが…まあ実際そういう妄想をお好みのやつはともかく、これであの二人に仕えようなんてバカはいなくなるだろう…俺の時代が来た…。

「じゃあこれで講義を終了する。このあと希望を配布してある紙に書いて提出するように。キチンと自分の未来を考えてな。」

…おかしい、誰も動かない。予定では「希望任務:エージェント差前の下で修行を積む(22才女性)」のお便りに埋め尽くされるはずなのだが…。全く動きがない、まだまだ騒がしい。
よく見ると彼らの目線が提出用紙も俺も見ていない。その視線は俺の後ろに…そこには頭の上に腕組みをするカナヘビを乗せ、静かに怒気を漂わせる5尺に満たない人影があった。
両腕の関節を外され床に倒れた俺が最後に見たのは、音頭を取るカナヘビとその指示に合わせて独創的な飾りつけを俺にはじめる餅月の姿だった。


随分流された、ヘッドライトに仕込まれた通信機に入電だ。

「やあ、差前くん。船旅はどないかなぁ?君の次の講義は明日やからはよかえってきてな?あと君んとこの生徒、全部がっちりした見込みのある若者にしたんでよろしゅうな。」

羽田空港から飛び立つ台湾便の飛行音に差前の怒号はかき消された。

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