酔いの醒めた頃に
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 歩いて、歩いて、歩き続けた。電灯の光に思わず目を見開くと、いつの間にか見覚えのある小道へと足を踏み入れていることに気が付いた。此処へ来るには許可が必要だったはずだが、はて、取ったのか取っていないのか分からない。おそらく取ってないだろう。思い返せば、建物を通り抜けるために曖昧な返事をした気がする。
 引き返そうと思った矢先、これまた見覚えのある電信柱が目に付いた。もはや反射的に、俺は此処にいる奴に向かって叫んだ。

「おーい、いるかー」

 しばらくして、声が聞こえきた。第一声は欠伸、第二声は愚図り、返事は第三声だった。

「なんだ、警察の兄ちゃんか。久しぶりだなぁ。なんか用か?」

 耳に馴染む声。そう、俺はこいつの調査の担当だった。けど、それも8年以上は前のことだ。
 周囲に人や動物やおかしな動きをする物体の姿は無い。姿が無いのが、こいつの姿。奇妙だが、見慣れた光景だ。

「おう久しぶり。用ってわけじゃないんだよ。ふらっと来ちまった」
「おいおい、俺は飲み屋かよぉ。あんな奴らと同類にされんのはご免だぞ」
「はは、悪い悪い」
「で、なんだ。また様子見に来たってか。俺はピンピンしてっぞ」
「いやぁ、正直今日はあんたのことはいいんだ」
「あぁ?なんだよったく…」

 本当は用なんかない。慣れない笑顔で取り繕いながら、俺はコートのポケットに手を突っ込んだ。
 コツン。何だかひんやりとしていて硬い。掴んで見るとワンカップらしかった。近くに紙、おそらくレシートがあることも感じ取れたから、無意識のうちにコンビニで買っていたんだろう。
 そうだった。用事を思い出した。

「なぁ、前から気になってたんだけど、あんた、酒は飲めるのか?」

 ポケットに入っていたワンカップを取り出し、誰に見せるでもなくちらつかせる。すると、即座に答えが返ってきた。

「あぁー……。飲めねぇことはねぇが……同時にゲロの味を思い出しちまうからダメだな。やっぱ」
「そうか。じゃあこれは俺一人で飲むとするよ。代わりに俺の話を聞いてくれ」
「おう、なんでい?」

 奴は飄々と返した。その温度差が決意を固めるのには適していた。家族でも、上司でもない部下でもない、何の身の上も知らないこいつが適している。だから、此処に来た。
 キッと唇を噛み、右の親指爪で人差し指を軽く刺す。体がこわばって震えている。周囲にそういう効果のオブジェクトがないことは、無応答なレーダーが示している。
 大丈夫、言えば楽になる。楽になる。だから、言え。言え!

「昨日さ、7年の付き合いだった女の部下が、俺の目の前で死んだんだ」

 死には鈍感だと思っていた。鈍感でなければならないと思っていた。
 理解していた。理解できなければ苦しくなると理解していた。
 だからできるだけ好意は抱かないようにしていた。消えてしまったら胸に大穴が開いてしまうから。
 現に、死んでいく仲間を見ても今まで悲しむことはしなかった。
 しかし、今回は違った。

 今まで見ないふりを続けてきた。それも今回で限界みたいだ。どうも、一度に受ける衝撃としては大きすぎたらしい。
 記憶処理を受けるのも考えた。けれどやめた。
 忘れようとすると忘れられなくなって胸が苦しくなり、忘れたくないと思えば何故忘れないのかという反語的な怒りが脳を揺らす。

「あんた、酔ってるときはどんな感覚だった?」

 そんな中、俺が見つけた解決方法は第三者に記憶が飛ぶのを任せること。要は、酒を飲んで忘れる。

「そりゃゲロのアルコールで気分なんか良かないだろうけど、自我がなくなる程暴れられただろ?」

 何年前に見た光景だったろうか。酔っ払った老人の声が聞こえる、あの怪異を見たのは。

「俺は悲しまないように人付き合いを考えてきたから、でろんでろんに酔ったことがねぇんだ」

 SCPオブジェクトには、正直同情するような奴もいる。しかし、それは自業自得なケースがほとんどだ。人型であれど親近感を湧かせる奴は、俺の中ではいなかった。

「だから教えてくれよ。人はどれくらい酒を呑めば自分を忘れられるんだ?」

 でも、こいつには親近感が湧いた。酔っ払って、暴れて、愚痴を吐いて。人間らしい。
 だから、此処に来た。人間に話すと、現実であることを認識して潰れてしまいそうだから。ちょうど間にいる、こいつに相談しに来た。
 私情でオブジェクトに絡みに来る。俺はエージェント失格じゃないか。でも、構わない。
 せめて、人間として潰れるのは防ぎたい。
 俺はずっと下を向いていたが、ばっと正面を向いた。誰を見るわけでもないのに。

「酔っ払い舐めんじゃねぇぞ小僧」
 奴の声。
 目に貯めていた、零れ落ちそうな涙が止まった。

「あいつらはな、忘れたいから呑むんじゃねぇ。切り替えるために呑むんだよ」
 説教が始まった。周辺の空気が重くなるのを感じる。奴は、ため息のような音を出して続ける。

「切り替えの中に一旦忘れるってプロセスが入ってんだ。成功、失敗、そこから進むために酒を呑む。一部の奴は俺にゲロをかけもしたよ」
 奴は一呼吸置いた。

「第一、そんなちっせぇワンカップで、全部忘れるこたぁできねぇのは、お前が一番分かってんだろ」
 なんだか、こわばっていた体が動くようになった。俺はワンカップの封を開けて、口をつけて飲み始めた。奴がなんだか騒がしく愚痴っていたが、あまり聞こえない。
 半分ばかり飲んだ。気分がすっきりした。

「気が済んだか兄ちゃん」
「あぁ」
 夜の小道に背を向け、抜けるために建物へと入っていく。すっかり辺りは静かになっていた。

「って、俺は飲み屋かよぉ」
 やっぱり何か聞こえたが、俺は振り向かないことに決めた。

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