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エージェントDの話をしよう。

200█/12/21 南緯2度██分 東経14█度█分 特別封鎖領域XA188
エージェント・Dは南国特有の蒸し暑く、濃密な風を受けながら甲板からジャングルを眺めていた。
彼がこの島を訪れるのは二度目、残念ながらバカンスでは無く仕事だ。たとえ休暇だとしてもこんな島には降りたくは無かったが。
以前この島での探索では一台数千万円の高価な資材と、それよりも貴重な人材を二名も失った。
正直戻りたくはなかった。このちっぽけな島に一体どれほどの価値があるというのだろうか?
Dがそれについて考える事は無意味な事だ。それについて考えるのは別の人間達だ。
自分はただ自分の役割を務めればいい。仕事とはそういうものだ。

2日前に降り立った先発隊のメンバーがこっちに手を降っている。船に詰め込まれた各種のセンサーがそれが(おそらくは)死体や亡霊の類で無い事を示した。
SCPと相対する仕事において、慎重になり過ぎるという事は無い、それはこれまでの数々の事例が物語っている。
どんなに優れた科学者や精密な機械であっても、SCPによる事故を完全に防ぐ事はできなかった。人知を超えた存在、などど陳腐な言葉を使いたくもなる。
今回は調査部隊と共に武装した潜入部隊、そして若い新任の博士が一名の大所帯だ。少なくともこれまで行われたこの島の調査でもっとも大掛かりなものになるだろう。
Dにとってもうひとつの懸念事項はこの調査の指揮官の存在だ。非常に優秀な人間であることは疑う余地は無い。
頭が良いだけではなく、荒波に揺れるフェリーの中でも涼しげにラップトップコンピュータのキーをタイプし続け、持ち込んだ釣り竿で魚を釣り上げては刺し身にするくらいにはタフだ。
南国育ちである事もあり、今回の調査にはうってつけの人材と言える。
だがDはあまり気が進まなかった。初めて財団施設に足を踏み入れた時、彼をキックボクシングでKOしたのは彼女だったからだ。

「んー… やっぱり海はいいねー、宮古を思い出すわ。」
フェリーの甲板から降り立った白衣姿の女は鉛色の空の下、ゆったりとしたリズムで揺れる白い砂浜をさくさくと歩む。細く、しなやかな足が水を跳ねた。
「国頭博士。」
はしゃぐ子供を咎める声。
「はいはい、お仕事ね。」
国頭(くにがみ)と呼ばれた女博士は貝殻を白衣のポケットにしまいながら一行と共に被い茂るジャングルの中へと進んで行く。
季節は冬だがこの海域は赤道に近く、12月でも長袖の必要が無い。あちこちに金属の破片や何かの残骸が転がっている事に目つぶれば観光地としてもやっていけそうだ。

だがこの小さな島の中で今までに何人もの人間が行方不明となっている。財団の調査の最中にも2人の職員がこつ然と消えた。
そもそもこの島が調査対象となったのは現地の人々から「人喰い島」と呼ばれて恐れられていたからだ。この島に立ち入った人間の何割かは突然姿を消し、二度とは戻ってこないのだと言う。
財団も行方不明の職員のために島の測量を行い、区画に番号をふり、虱潰しに調査を行った。端から端まで歩いても半日とかからないサイズにも関わらずついに消えた職員は発見できなかった。
流石の財団上層部もこの島の調査に対して慎重に成らざるを得なかった。誰も島に入れなければそれで封じ込めは完了できると思われたからだ。
人材は貴重だ。無闇に浪費してはならない。

この島はかつて太平洋戦争において旧日本軍に占拠されていたと思われる場所だ。思われる、などと厳密さを重んじる組織において使用しなくてはならないのは確かな資料が存在していないからだ。
遥か昔からここに位置していたにも関わらず、島に関する公的資料はほとんど無く、駐留していたはずの旧日本軍の由来や所属なども一切不明なのだ。
戦後の騒乱のうちに紛失したのか、何者かに消されてしまったのか、それともそんなものはそもそも存在しないのか。それを明らかにし、人類への脅威を図るのは財団の役目だ。
そして島の再調査を買って出たのが件の女博士だったのだ。

ジャングルの中に切開かれた道沿いには旧日本軍が使用していたと見られる兵器の残骸があちこちに残されていた。多い茂る樹木、野鳥の鳴き声、そして錆びた鉄塊。
「あ、あれ、戦車かな?」女博士は薄く微笑みを浮かべながら陽光に佇む巨大な錆の塊に歩きよった。
「やけにでかいやつだな。北川、この戦車はなんだ?」エージェント・Dが傍らの若い職員を促す。
「一式中戦車チヘよ。」答えたのは女博士だった。錆びた鉄くずを軍手越しに撫で、溶けかけた腹帯を叩く。
「詳しいな。」
「でしょー?勉強してきたのよ。っていうかおかしくないこれ?」
「どういう事だ。」
「北川。」国頭が促す。
「アッハイ。え、ええと…この一式中戦車チヘは九七式中戦車チハの改良型として1940年に…」
「かいつまんで言え。」とエージェント・D
「ええと、この戦車がこんなところにあるのはおかしいんですよ!本土決戦用に温存っていうかそもそも運搬方法が…。」
「まるで出来の悪い映画のセットみたいねー、この島。」
女はすでに興味を失ったように残骸から離れ、歩き出した。エージェント・Dも無言でそれについていく。

島の丁度中央付近、張り巡らされた塹壕の中にひっそりとその入口はあった。岩を手作業で掘り抜いた人口の洞窟。調査によればその全長は数キロメートルに及ぶと見られている。
それはこの島の地下の相当な割合に及ぶ。だが現在までその内部に実際に入り込んだ調査は行われてこなかった、今回の調査が初めてのものになる。
一行はすでに先遣隊が築いたキャンプに合流した。

「たまにはこういうのもいいよねー。なんか子供の頃思い出しちゃうわー。」女博士はマグカップを手に組み立て椅子に腰掛ける。時刻は午後6時、すでに日も暮れ西の空に太陽が中程まで沈んでいた。
「ピクニックじゃないんだぞ。」傍らに座るエージェント・Dが言う。
「いいじゃないのよー。毎日毎日さー、パソコンカタカタしたり経過報告書書いたり会議でたりとかさー。たまにはこういうのもしたいわけじゃない?」
「毎日デスクワークでどうしたらそんな馬鹿力になれるんだよ。」

Dはかつての自分を思い出す。
正式に財団に加入する直前、敷設への見学に訪れたDを訓練所で出迎えたのはリングの上でグローブをはめたジャージ姿の国頭だった。
今では新人エージェントに架せられる踏み絵の様な儀式である事を知っているが、その時の彼はただのジョークかなにかかと思っていた。格闘技経験者であり、長いことタフな仕事を続けていたDは軽い気持ちでスパーリングの誘いを受けた。
ここで断ったら新しい職場での心象は悪くなるだろうから実際の所は選択権の無いものではあったが。
にやにやした顔で周囲の男達がDを見ていた。こんなシーンを映画でよく見るなと思った。そしてたいていはろくでもない結果になるのだ。
「ルールは?ボクシング?キック?」とヘッドギアとグローブを着けたD。
「財団は格闘技の団体じゃないのよ。相手を無力化する事が第一に求められるわ。」
次の瞬間、女の姿が視線から消え、Dは腰からリングに叩きつけられた。一瞬でマウントを取られ、両腕を押さえこまれた。Dは一瞬あっけにとられたがすぐに女を振りほどくべく手足に力を入れる。

しかしDの目論見は成功しなかった。絶妙な体重移動でDの動きは封じられ、女とは到底思えない力で完全に身動きが取れなくなった。リングを見守る男たちから失笑が漏れるのが聞こえた。ちくしょう。
続くラウンドでもDは一方的にやられた。はじめは相手が女であるというやりにくさや遠慮があった。しかしそれはせいぜい最初の2分程度の間で、猛烈なミドルキックを横腹に受けた後は危険な野生動物かなにかと思えるようになってきた。
そして3ラウンド目を迎えることなくDは天井を見上げる結果となった。スパーリングでKOされる事自体が珍しいことだった。しかも相手は女だ。
「わりとがんばったじゃないの新人くん。」
Dは両腕を掴まれ、体を引き起こされた。いつの間にかリングの外に居た連中も集まっていた。
「国頭博士相手に1ラウンド持てばよくやったほうだぜ。財団へようこそ。」
「財団へようこそ。」
GABBA GABBA HEYってやつだ。とにかく、この女はDに強烈な印象を与えたのだった。

暗闇が支配するジャングルの中、キャンプに設置された屋外工事用の照明装置とモニターの光に二人の顔が照らされている。
二人はモニターを睨みながら冷凍食品のパックをスプーンで口に運ぶ。
「あ、そういえば貴方って沖縄の人でしょ?私もよ。どこの島の人?」
「プロフを見たのか?」
「顔見たらわかるわよそのくらい。私は宮古よ。宮古の██島。」
「俺は本島だ。あんたはあまり宮古の人には見えないが・・・ 馬鹿力の理由がわかった気がするな。」
「なにそれ、どういう意味よ。そういえば財団に入ったのってなんか理由あるの?」
スプーンを口にくわえながら、モニターから顔を外してDの方を見た。
「別に… 単にスカウトされたってだけだ。あとは・・・ まぁ興味本位だな、あんたは?」
「似たようなもんだわ。世の中になんだかわからないものがたくさんあって、ある日それのせいで世界が滅びるかもしれないとかさ、その時に何も知らない一般市民で居たくなかったのよ。」
「なるほど、同感だ。それで、この島への調査は何か目的があるのか?」
「私だって何も無意味に人を危険な目に合わせたいわけじゃないわ。」国頭はDの懸念を見透かした。
「もちろん好奇心が無いと言ったら嘘になるけど。でもここで何が起こっているのか、それがこの先どんな封に人類に影響するのか。それを少しでも解明したいのよ。危険は私だって貴方たちと等しくあるわ。めっちゃ止められたんだからね、お偉いさんに。」
「少し安心したよ。あんたの事、少し誤解していた。」
Dもモニターから顔を外して女の方を見た。そういえば宮古島には色白の美人が多いという話を聞いたことがあるなと思った。
「あぁーなんかソーキ食べたくなってきたわ。こんど作ってあげるわよ。ところでなんで「D」って呼ばれてるの?」
「大した理由じゃぁない… ただの名前のイニシャルさ。D・Mなんだよ。」
「うわーつまんねー。ホワイトキックだわー。」
「?」

夜が明けた。点呼にも異常は無く全員が無事だった。機器も全て正常に作動していた。だがしかし。
「一体いつの間にこんなものが?」
国頭の視線の先には古く、錆の浮いた木製のライフル銃が数挺、うち捨てられたかのに置かれていた。まるで最初からここにあったと言わんばかりだ。
「見張りも観測装置も異常は確認できていません…。こういったインシデントは過去にも起きています。」
調査員の一人が言った。
「今度からは全周囲方の監視カメラも必要かもね。」言いながら女博士はライフル銃を手にする。
「ちゃんと菊の紋入りだわ。本物のアリサカ、三八式ね。弾もあるわねー、これもっていきましょ。」
カチャカチャと音を立てながら前世紀に作られた兵器を若い女博士は慣れた手つきで動作の確認を行う。
「クニガミ博士、もうひとつインシデントあります。」そう言って近寄ってきたのは栗色の癖毛の男だ。
彼は日系二世のアメリカ人ハーフでケイビング経験がある。今回の調査で初めてこの島に踏み入った男だ。
「どうした、何があったケリー?」かわりに答えたのはDだ。
「私の食料品と着替えが無くなっています。寝る前までは確かにあったはずなのに・・・」
「やれやれ、またか。」Dはうんざりした顔で言った。
「インシデントレポートに記録しておいてくれ、ブリーフィングでしたようにこの島には腕のいいこそ泥がいやがるんだ。」
「予定通りに進めるわよ、お役所みたいな言い方はしたくないけど、遅延は許されないわ。ごめんね、上がうるさいし。」
国頭が仕切りなおす。そうして一行はさらに島の奥、島のほぼ中央に位置する洞穴の前へと足を進めた。

200█/12/22 南緯2度██分 東経14█度█分 特別封鎖領域XA188-T1
財団によるこの島の探索はこれで四度目、だがこの地点での調査は今回がはじめての試みだ。
洞窟の長さは数キロにも渡ると見られている。隊員は強力な無線と有線の両方のカメラ、各種のセンサー、最低限の武装をPVCスーツにくくりつけられた。
Dをリーダーとする六人全員が複数回のケイビングの経験があり、実際に旧日本軍の地下壕などを使った訓練も行ってきた者たちだ。
「JPF、全員整列。最終チェック。」軍隊さながらの規律正しさでDと職員達は準備を整える。几帳面さでも使命感でも訓練の賜物でもなく、自分の命がかかっているからだ。
SCPの影響をうけて死ぬよりもひどい目にあった多くの職員やDクラスのことを彼らは嫌というほど見てきた。

「JPFチーム、これよりXA188-T1への調査行動を開始する。」
入念なチェックを終えたDは洞穴の入り口に立ち、マイクに向かって言った。彼のヘルメットにはs12と大きくマーキングされている。
[S12、調査行動を開始せよ。]
地下陣地の正面に構築されたキャンプ地点で職員の一人が答える。その正面には六台のモニターが別々の映像を流していた。
[了解。映像、送れてますか?これより行動を開始する。]
調査チームはヘッドライトの明かりを頼りに薄暗い陣地内部へと侵入する。外からの見た目は天然の鍾乳洞のようだがそれはカムフラージュだ。
中に入れば手掘り後にコンクリートで固められたらしい通路が暗闇の奥へと続いているのが判る。入り口は狭く人一人通るのがやっとだ。
[映像良好。思ったより良い状態だな、まるで最近掘ったみたいだ。]
本部職員からの応答の通り、戦時中に掘られたものにしては妙に綺麗だった。電線らしき痕跡もある。
しかしJPFの六人は誰一人として気後れする者は居なかった。みな無言でS4とマーキングされた先頭の隊員への後につき前へ進む。
数十メートル進むとふいに道が広がり大きな空洞が現れた。おそらくここで侵入者を待ち伏せするのだろう。
[だが埃がかなり積もっている…急に道が広くなった]
[細心の注意を払え。音声分析では異常は確認されていない、そのまま前進せよ。]
[了解、いくつか部屋を抜けた… 妙だな、コンクリートの色が違っている… 明らかに作りなおしたような感じだ。] 
調査部隊は入り口からすでに400メートルほど進んでいた。以前に大きな滑落があったのだろうか、その地点から先の作りが明らかにそれまでと違っていた。壁は荒く、やや雑な作りで時折大きな石が突き出しており、ヘルメットのランプが大きく揺れる。
さらに幾つかの分かれ道や広間を越えた地点、通路の先に古びた木製の扉が見えた。洞窟の中で初めて見る石以外の物体だ。
一向は慎重に指向性集音機のスイッチを入れ扉の向こうに向ける。無音。Dは全員の顔を一人づつ見た。気後れしている者は居ない。
「よし、この先に何があるか、見てやろうじゃねぇか。」
[木製の扉が見える。部屋があるようだ、これより内部に潜入する。]

本部からもこの扉の様子と職員達の様子はモニター越しに判っていた。
「ちょっとまって、さっきの扉の所15秒もどれる?」
国頭が指示をすると傍らのスタッフがすぐに機材をいじり、別のモニターにゆっくりと巻き戻される無線カメラの映像が映る。
「そこでストップ・・・ 何か書いてあるわ・・・。ええと、皇紀二六五█年?ほんの十年前じゃない。」
「いかがなさいますか?このまま突入させますか?」
「ここで引き返せるわけないでしょ?彼らだってそう言うわよ。」
[HQ了解。気を抜くなよ。]
すぐにモニター職員がマイクに向かって返答する。
[HQへ、部屋に入った。白骨の死体がある以外はがらんどうだ… あー、……HQ、俺達より以前にここに誰かよこしたか?]
部屋に入ると奇妙に映像が乱れ始めた。鮮明さが薄れ、色の判別も困難になった。機材を動かす職員が必死に画像を補正しようとしているが効果は見られない。モニターの1つは完全にスノウ・クラッシュしていた。

HQ:[どういう事だ?この調査はこれが初めてだ。]
不可解な現象が発生していた。S-12から送られてくる映像には白骨の死体と拳銃と思わしきものが見て取れる。
[遺体の脇に拳銃が置かれている、俺達のと同じ銃だ。]
不鮮明な映像にオートマチック式の拳銃が写る。埃をかぶっているが明らかに旧日本軍が使用していたものとは違う現代的なフォルムの銃だ。
[映像でも確認できた。なんとしてもそいつを持ち帰れ、照合する。他に遺留品があれば可能な限り持ち帰れ、その遺体の骨の一部もだ。]
[了解した、回収次第帰投… 待て、一人足りないぞ!…S-4が消えた、HQ!緊急事態だ!]
モニター職員が国頭の顔を仰ぎみる。にわかに緊張感が立ち込めた。現場の動揺を見るにちょっとした見落としなどではないのは明らかだ。
国頭の顔から血の気が引いていく。なんて事だ。
こういった事態が起こる覚悟はしていたし、財団では日常的にある事だ。だがいざ自分の目の前で人が一人消えたとなれば仕方の無い事だろう。
初の大きな調査、慢心は無かった。だがSCPは現実以上に非情だ。
「緊急事態よ、事象レベルM2!すぐに財団本部にも連絡して!」
財団にはこうした事態にそなえた符丁をいくつも用意している。何かがあることは最初から織り込み済みなのだ。
[事象M2を宣言する。S-12、部隊の指揮は継続できるな?即座に撤収せよ!S-4は…すぐに回収班を編成する、今は即座に撤収するんだ。]
[ケリー…!畜生!撤収するぞっ、急げ!]

5人に減った調査チームは誇りまみれの拳銃と白骨化した遺体の一部を持って帰還した。誰も一言も発しなかった。
状況は即座に本部に報告され船からは追加の機材と人員が投入された。S-4の捜索は24日の早朝に決行される事が決まった。
「私の事、うらんでる?」
国頭がDに言った。
「そんな訳は無い。あんたが調査しなくてもいずれ誰かがここの調査をしなくてはならなかったんだ。悔やむよりもベストを尽くせ。」
「そうね。」
会話はそれだけだった。

捜索は一班4名、12人体勢で行われる運びとなった。
エージェント・Dをリーダーに甲(きのえ)丙(ひのえ)戊(つちのえ)庚(かのえ)の各班が突入した。
しかし早朝から始まった探索は何も収穫を得られないまま、ただ時間だけが過ぎていくのだった。
「博士、捜索開始より6時間経過、すでにチームは壕内のいくつかの地点で最深部に到達しています。現在の所S-4の痕跡はつかめていません…。」
「ええ、そうね・・・ 残りは南側の地点ね。そちらは明日に回しましょう。神様のご加護があるならクリスマスが一番のはずよ。全員に撤収命令を。」
「了解しました。」
[HQより各班へ。現時点をもって本日の調査を休止とする。各員速やかに撤収せよ。]
「庚班撤収完了!」
「丙班撤収完了!」
さらに約1時間後、次々と調査チームが帰還する。南国のこの島では12月でも暑く、ケイビングスーツを着ての長時間の探索は相当に消耗する。
鍛えぬかれた隊員達は次々と崩れるようにキャンプ地点に横たわり思い思いに休息する。
「戊班撤収完了!」
そして最後に最も深部まで潜入していたD率いる甲班の面々が現れた。しかし撤収完了の号令はない。本来であればリーダーであるDの仕事だ。しかし彼の姿は見えない。
「どうした甲班、S-12の姿が見えないが…」
その直後だった。

島全体に響く強烈な音。いやそれは鬨の声のようでもあった。
無数の兵士たちの叫び声。この場に居た全員がそれを聞いた。
そして洞窟の奥からズシンという鈍い衝撃音が響き、地面が小さく振動した。
落石だ。
そう直感した国頭はその場にあったL字型の軍用ライトを片手に走りだした。
これ以上誰も犠牲にしてはいけない。彼だけでも、絶対に助けださなくてはいけない。
「は、博士!?一体何を?」モニターしていた職員がヘッドセットを捨てて追いかける。
女博士の視界に道中で拾った旧軍のライフル銃が映る。直感的に何かをひらめいた彼女はライフルを足で引っ掛けて空中でつかみとった。
何故そうしたのか論理的な答えは無い。だが人は霧の様なニュアンスを押し固めて答えを導き出すことがあるのだ。

「私が助けに行くわ!」
引きとめようとするスタッフ達を払いのけ、洞窟の前で彼女は言った。ほとんど叫んでいた。
「北川!」
「アッハイ。」
ことの成り行きをハラハラと見つめていた北川は思わず気をつけの姿勢になった。
「私以外の全スタッフは明朝までXA188-T1への侵入を禁止する。二時間たって私からの指示が何もなければ貴方が現場の指揮官よ。」
「アッハイ…」
「これより二時間の間、採掘用機材と爆薬の用意、救護班は即応体勢でいる事!あとの事は貴方に一任するわ。これ、全部録音してるわね?即時本部に報告して!」
「アッハイ!」

エージェント・Dは探索の間、ほとんど喋ることは無かった。
S-4…、ケリーとは何度も同じチームで仕事をした。
彼とはアメリカでの研修訓練の時に知り合った。それ以降ふたりとも日本での勤務を命じられた。
頭のイカれた連中の工場を襲撃して鉄くず掃除をする羽目になった時も、真冬の硫黄山を四日間うろつき回った時も一緒だった。
戦友というほどでは無いがお互いに友情をを抱いていたのは確かだ。
こうした犠牲の上に世界は成り立っているのだ。

その時、Dはケリーの事を考えていた。ほんの数秒間の間だ。
油断していなかったと言えば嘘になる。
事件というのはそういった隙間から入り込むものだ。
スポーツ選手が毎日何度も繰り返し行ってきたはずの練習の中で突然事故を起こす事がある。
鉄棒の最中に突然手を離してしまった。捕れたはずのボールが顔面に突き刺さった、などだ。
それを魔界に入ると呼ぶことがある。
エージェント・Dはまさにその時、魔界に入ったのだった。

「・・・?」
Dが気が付くと一瞬前まで自分の前に居たはずの甲班が消えていた。
「S-7!応答しろ、S-10!」
しかし答えは帰らない。
Dは周囲にライトを向ける。SUREFIRE製800ルーメンの強力なライトはしかしたちこめる砂埃の前に屈服した。
視界はわずかに数メートル。
Dは異様な雰囲気に飲まれまいと必死に己を叱咤し、慎重に足を進めた。
「…」
かすかに何かが聞こえる。Dは音の方へ近づく。
「…」
「ケリー?」
Dが呼びかけた瞬間、すぐ真後で突然天井が崩れ、ラグビーボールほどの岩がいくつも降り注いだ。


気を失っていたのだろうか。一体どのくらい?Dはブラックアウトから立ち直った。
視界がぼやけ、何もかもがスローモーションに見える。
歪んだセピア色の世界。自分の足が岩に挟まれている。
通路の先に何かが見えた。銃を持っている。ライフル銃だ。
こんなところで死ぬのは御免だ。Dは埋もれた足を引きずりだそうと必死にもがき、取り出したナイフで背後に接近する影を懇親の力で刺した。
「落ち着いて、D。深呼吸するのよ。」
気が付くとナイフを持つDの腕は地面に押し付けられ、眼前に女の顔が映る。
くそっ、また借りが増えた。

「その足、転属願い出した方がいいわよ。デスクワークにしなさい。」
「…書類仕事は性に合わない。」
Dはアリサカを片手に持った国頭に肩を担がれ、よたよたと歩いていた。岩に挟まれた足首から先はほとんど原型をとどめていなかった。
「義足にして無茶するつもりなの?今度は死ぬわよ貴方。」
「お前ほど無茶はしてないさ。」
「私は、あなたに無茶をしてほしくないのよ。」
国頭は立ち止まり、Dの目を見据えて言った。
Dは苦笑する。
「やれやれ、わかったよ。まぁ…考えてやるさ。」
「ところでさ… 出口ってどこだっけ?」
壕内はそれほど入り組んだものでは無いはずだ。事前調査でもマッピングはされており、2人ともそれは頭に叩き込んでいた。
しかし記憶の中の道筋と地図とが明らかに一致していない。まるで一瞬前に作り替えられたかのようだった。

どれほど歩きまわっただろうか。未だ出口は見いだせない。Dの出血が酷い。適切な医療処置を行わければ命に関わる。
「俺を置いていけ。」
「何を馬鹿な事言ってるのよ。」
「馬鹿じゃない、論理的な措置だ。」
「ふざけないでっ!何が論理!?貴方を見殺しにして自分だけ生きろっていうの!?」
ガチャン
通路の先から音がした。
2人は同時にその方向を見る。
ライトの示す先、ぼんやりとした人影が見えた。それは一つではない。
異様な光景だった。
まるで夢の中のように鈍く曖昧な光景。
かつての日本陸軍の兵士の姿がそこにあった。薄汚れたボロボロの軍服、手に握られたライフル銃。しかしその顔部分は白く塗りつぶされたように無貌だった。
無貌の兵士は銃を構え、2人の出方を伺っているかのようだった。

「傷痍兵よ!出口を探しているの!」
出し抜けに女博士が叫んだ。Dは驚いて彼女の方を見る。その顔は決意に満ちた、一か八かの勝負の顔だ。
ここで臆してはならない。Dも覚悟を決め、無貌の兵士へと向き直る。
兵士は国頭とDとを交互に見、そして国頭の片手に持つアリサカ銃へと顔を向けた。一体何を考えているのか、無貌のそれからは伺いしれない。
ただ兵士はゆっくりと左手を上げて指さした。
その方向に2人が顔を向けると、いつの間にかそちらに通路ができていた。一瞬前までは壁だったはずだ。
Dは開いている方の手を額に添えて敬礼した。無貌の兵士もそれに習い、気を付けの姿勢で敬礼した。

無言のまま2人はただ歩いた。道の奥に光が差し込んでくる。
逆光の人影が現れ、物音が聞こえる。
命あるもののたてる音だ。
それは死の洞穴から生還した2人への歓声だった。
「あれは一体なんだったんだろうな、亡霊か何かか?」
Dは国頭に担がれたまま言った。
「亡霊なんかじゃないわ。あれは・・・ ただの影よ。」
そう言って手にしていたライフル銃を洞穴の中に投げ捨てた。

「国頭博士!」
カードキーでロックされたオフィスのドアを開き、北川が入ってきた。
「ええと、今度の週末にですねー あっ!あっ、ええと、すいませんなんでもなかったです。」
私物のハーマンミラーの椅子をくるりと回し、白衣の女が北川に向き直った。
「なによそれ。一体なんの前振りよ?」眉間にシワが寄っている。これはアブナイやつだ。
「え、ええとそのっ、じ、実は合コンの予定があったんですけど・・・ゴメンナサイ!ご婚約されたのを失念しておりまして…」
女博士はジロリと、うなだれうつむき加減に顔色を伺う北川を睨みつける
「た、大変失礼いたしました!」
「待ちなさい。」
踵を返した北川の背中に声が刺さる。
「え?」
「もちろん行くわよ。」
「ええ?」
「週末でしょ?旦那のリハビリあるから少し遅くなるかもしれないけど行くわよ。」
「ええーー!?」
「それから、私はもう国頭じゃなくて前原よ。名簿の整理も早くやってよね。」
微笑む彼女の指先には輝く指輪がはめられていた。

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