理不尽な命令
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 忘年会。素敵な響きだ。
 今日、手の空いている財団職員達はサイト8181に集合して、思い思いに年の瀬を楽しむのだ。誰の発案で、誰が企画したかは知らないが、なかなか素晴らしい思い付きだ。
 そう、扇谷研究助手は考えた。だが、彼にとってはどうでもいいことだった。
「はぁ…」
 低い音を立てる装置の前で、彼はため息を吐いた。彼が担当しているのは、昼ごろにサイト8181に持ち込まれた「ぬるぬるした汁を分泌するゴムボール」の分泌物の成分分析だ。
 ぬるぬるした汁を分泌する、というあたりで一部の研究者は色めき立ったが、どうやらこちらのぬるぬるには特殊な効果はないようだ。
 単にぬるぬるする汁が出るだけ。飲み物に混ぜてもさわやかな風味になったりしない。
 だが、成分に何らかの秘密があるかもしれないということで、とりあえず分泌物を集める必要があるのだ。そして扇谷はただ一人、研究室でぬるぬる汁を集める装置を見守るという仕事を任されていた。
 確かに誰かがやらねばならない仕事だ。でも、なんで自分が、それもこの時期に。扇谷は仕事を割り振った上司を恨んだ。

ポーン

「ん?」
 白衣のポケットに突っ込んでいた私物の端末が、小さな音を立てた。取り出してみると、メッセージが届いていた。差出人は同僚だ。
「なんだ…」
 メッセージを開いてみると、そこにはただ一言あった。
『七面鳥出てきた』
 添付された写真には、映像や写真でしか見たことのない七面鳥の丸焼きが写っていた。扇谷の腹が音を立てる。思い出してみれば、夕食もまだとってないのだ。
「うぐぐ…」
 彼は呻くと、画面を消して端末をしまった。そして自分の机の引き出しから、数日前に売店で購入したカロリー食品を取り出した。包装を剥がし、一口齧る。クッキーのようなさっくりとした歯ごたえと、ほのかなフルーツの風味が口に広がった。
 甘味と歯ごたえにより、多少空腹はまぎれた。だが、紛れただけだ。食事の充実感は無かった。
 七面鳥を食べたかった。焼いたソーセージを齧りたかった。アルコールをほどほどに楽しみたかった。お偉いさんの長いスピーチを聞きながらうんざりしたかった。
 扇谷は、忘年会を楽しみたかったのだ。
「…何やってるんだろう、俺…」
 おそらくは何の効果もないであろうぬるぬるした汁をかき集める装置を見守る。何の実りもない仕事に、扇谷は情けなくなってきた。
 仕事を放りだし、会場に向かいたい。

ポーン

 再びポケットの端末が音を立てた。内容は概ね予測がつく。だが、緊急の用件での呼び出しかも知れない。
 扇谷は端末を取出し、画面に目を向けた。

『巨女がメイド服!メイド服!KAWAII!!!』

 だがメッセージの内容とは裏腹に、写真は女性用サンタコスチュームに身を包んだ男性エージェントだった。
「ああああああああああ!!!!」
 扇谷は声を上げながら立ち上がった。おそらく、会場で何かがあったのだろう。そしてその何かがどうにかなって、写真のような事態になったのだ。
 現場に居合わせたかった。長夜博士のメイドコスチュームを見たかった。だというのに、だというのに。
「何がぬるぬるだ!死体にぶっかけるぞ!!!」
 扇谷は声を荒げ、ぬるぬる回収装置に向けて思い切り手を振り上げると、そっとふりおろして触れた。
 そして実験机に手を掛けると思いきりひっくり返すような姿勢を取る。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
 扇谷は荒く呼吸を重ね、空想上の荒らしまわった実験室から現実に戻った。
 むなしい。
「あーあ」
 ため息を一つ吐くと、彼は椅子に腰を下ろした。
 考えてみれば、この時間に実験中の職員だって他にいるのだ。下手をすれば、命に関わるような任務に就いているエージェントもいるかも知れない。彼らに比べれば、こうして安全な仕事をしているというだけでも天国だ。
 扇谷はそう、自分を納得させようとした。
 すると不意に、ノックの音がした。
「はい?」
「おう、入るよ」
 ドアを開いて入ってきたのは、やや小柄な体躯の人物だった。白衣を羽織り、頭に三角形の帽子を乗せたその姿に、扇谷は見覚えがあった。
「骨折博士…」
「黒川博士から聞いたよ。大変だね」
 骨折はすたすたと研究室内に入ると、近くにあった椅子を手繰り寄せ、腰を下ろした。
「こういう仕事は下っ端、若造の仕事だ。私も昔、似たようなことを任されていた」
「は、はぁ…」
 突然の来客に、扇谷はどう対応すべきか迷っていた。本来なら、お茶ぐらい出すのが礼儀なのかもしれないが、見た所骨折は忘年会の会場からひょいと来て見たような様子だ。下手に足止めするようなことをするのは、それはそれで失礼かもしれない。
「ところで扇谷君、仕事は楽しいか?」
「え、まあ…はい」
 彼は少しだけ考えてから、頷いた。嘘ではない。常識では計り知れない新たな発見がもたらされる毎日は、本当に楽しいのだ。
「…半々、だな」
 だが骨折は、軽く目を細めて言った。
「普段は楽しいが、今日この日に限って言うと楽しくない。そんなところだろう?」
「…まあ、正直に言えばそうです」
 ここで取り繕ってもしょうがない。扇谷はそう認めた。
「いいんだ。私もかつてはそうだった。突然仕事が入ってきたら、犠牲になるのは若手下っ端だ。上の命令は絶対だからな」
 骨折は腕を組み、うんうんと頷いた。
「若いうちは上からの突然の命令に耐える。それも仕事だ」
「はぁ…」
 この人は何をしに来たのだろう。酔っぱらって説教でもしたい気分になったのだろうか?
 扇谷は生返事をしながら、そんなことを考えていた。
「それでは扇谷研究助手、私、骨折教授から君に重要な命令を下そう」
「な、なんですか…」
 面倒なことになった。扇谷は内心で呻いた。
「うむ、かなり重要な任務だから、即時実行してもらいたい。同僚や君の上司に何か言われたら、私からの命令だと言うといい」
「は、はぁ…」
 何を言い渡されるのだろう。彼は徐々に恐れを抱いていた。
「任務はこれだ」
 骨折は椅子を立つと、被っていた三角帽子を取り上げ、扇谷に向けて差し出した。
「これを被って、サイト8181の忘年会会場に向かい、存分に楽しんで来るんだ」
「…は?」
「ああ、被る被らないは君の判断に任せる。あと、君の楽そうな仕事は私が引き受けてあげるから感謝しなさい」
「いや…え…?」
「扇谷研究助手、君は上の命令が聞けないのかね?」
 何を言われたのか。骨折が何を命じたのか。扇谷は遅れながらも、どうにか理解した。
「…ありがとうございます」
「ふむ。上司の理不尽な命令に『ありがとう』とは不思議なことを言うものだね」
 骨折はそう、不思議そうに言ってみせた。
「それより、とっとと任務を遂行したらどうかね?」
「は、はい!行ってきます!」
 扇谷は骨折に向けて一度頭を下げると、三角帽子を頭に乗せ、部屋を飛び出していった。
 酒、料理、七面鳥。メイドコスチューム。
 忘年会が、扇谷を待っていた。

「…よし」
 扇谷が飛び出していくのを見送ってから、骨折は端末を白衣のポケットから取り出した。そして、電話帳に登録された番号の一つを呼び出す。
「…ああ、栗比津か。今どこだ?うむ、こっちは会場を確保できた。黒川博士の研究室だ」
 端末の向こうで、相手が何かを言う。
「よしよしそっちも準備はできてるな。料理と酒は天御に頼んである。あとは面子だが…適当に声をかけてくれ」
 そして最後に、骨折はこう付け加えた。
「やるぞ、年忘れ麻雀大会」

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