書棚の狭間
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本作は本から出て行くの続編です。先にそちらをお読みください。

初めに彼女は暗闇を見た。それから赤い輝きが這い寄ってきた。彼女は冷たく硬い平面上に仰向けに寝ていた。シュー、ガチャガチャ、カラカラカラ。百万個の木のビーズを同時に床へ落としたみたいな音がした。背後から笑い声のような何かが聞こえた。混ざり合う騒音は彼女を包んで優しく抱きしめるように、コロコロと低く鳴った。

彼女は声に気付いた。「言ったろ、こうしたほうが良いって!」ワイワイと笑う声が続いた。

世界が空回っていた。頭の中は三日三晩ジャックダニエルの点滴を受けたみたいな心地で、お腹の調子もあまり良くなかった。鼻先に何か湿ったものがあった。指で触れて、見てみると、それが血だと判った。

オーケイ。彼女は考えた。これまでにやってきた中で最悪という程のことではない。起きてみよう。

彼女が自身の身を起こそうとしたとき、視界に誰かの手が見えた。「手を貸そうか?」さっきと同じ声が言った。

彼女は手を払いのけた。脳裏に響く声は、赤い色の理由を尋ねてきた。だが彼女はそれを無視した。寝返りを打って、体を床から起こそうとしたが、腕の力が抜けてしまった。一対の手が彼女の肩を掴み、引き上げ始めた。彼女はそれを振り払った。「畜生」彼女は呟いた。謎の人物にではなく、彼女自身に。深く息を吸って、両脚を身体の下へと捩り、踏み締めた。彼女はスクワットの要領で身を持ち上げた。歯を食い縛って、彼女は立ち上がった。脚がよろめいたが、立つことはできた。

鼻先に残った血を拭きつつ、彼女は周囲を調べ始めた。彼女が横たわっていたのは円形の台の上で、足元には緑の絨毯が敷かれていた。部屋はとても大きい……天井は見えず、壁は数十メートル先にあるように見えた。彼女の周囲では二十四人の人々が三個の焼き網を囲んで、缶ビールを片手に談笑していた。少なくとも、彼らのうちのいくらかは"人々"だった。鮫に脚が生えたような何かが大きなハンバーガーに食らい付いていた。その隣では、犬くらいの大きさの蠢く触手が何かを焼いていた。彼らは両者とも、銅と真鍮と金でできた身長3メートルの男みたいな何かと会話をしていた。

彼女は振り返った。背後には別の男がいた。彼の肌はロブスターのような赤色で、瞳は澄んだ青色だった。つぎはぎのレザージャケットとジーンズ、それにブラックフラッグのTシャツを着ていた。見る限り彼は完全に無毛だったが、細い隆起線が頭の中央からジャケットの中へと延びていた。彼は口角を上げた。「やあ」彼は言った。「僕はコルビィ」

「ひょっとして、ここは図……」

「いやあ、こいつはびっくり仰天」彼はそう言って、更に笑った。「あの道が使われてからもう……二ヶ月も経つんだよ? ミッチェロスは僕たちがここに来れば何も起きないだろうって言ってたんだけど、あいつは今やもう耄碌したってほうに僕は賭けるよ。なあミッチ!」彼は叫び、腕を振り上げた。「ド・フロンドのコピーやってもらうからな、バーカ!」彼はアリソンのほうに向き直った。彼女は俄然、周囲にいる他の……存在達に気付いた。

「あの、ここは……」

「僕が道に何か感じるって言っても、あいつら信じなかったんだ! ざまあ見ろ」彼は笑い、拳を掌に打ち付けた。「君、初めてだよね? そうでしょ、じゃなきゃ頭がイカれちまうのを避けてここに入ってくる方法を知ってることになる。どうなるか見せてあげようか。ああ、でも、ひとつ言っとくと凄くクールだったよ! あいつらが最初に入ってきたときは、本当にぶっ飛んでた。でも君はそうならずに目を覚ました訳だ。すっげえよ」

「それは結構ね、でも……」

「解ってる、他の連中とも会ってみたい、でしょ? 一人で図書館巡りをしても楽しくないよ、特に最初はね。旅行案内でも持ってるなら話は別だけど、でもそうだとしたら、こんな所には到着しないよね。でも心配ない。いつでも新入りは大歓迎だ。君はどこから来たの? まあ、訊かれても正確なところは判らないかな。そうだな、じゃあ、どこの国から? 大統領は誰? そいつらはジルフェラン食を食ってた? あれはマジで……」

「ちょっと黙って」ほとんど吐き捨てるように、彼女は言った。「私からも質問したいんだけど。聞いてもらっていい?」

コルビィは目をぱちくりさせた。笑顔が消えた。「ああ、うん、ああ、ホント、ごめん、悪気はなかったんだ」彼は視線を逸らし、頭の後ろを掻いた。

彼女は溜め息をついた。「あなた、ここを図書館って言ったわよね。でも、図書館には本があるって聞いてたのに、見当たらないわ。どうしちゃったの? ここはどこ?」

「ここは附属エリアなんだ」目を逸らしたまま彼は言った。「本以外のもの用のさ。休憩とか、睡眠とか、それから、まあ、色々なもの」彼は焼き網を指し示した。「実際に本があるのは別のエリアだよ」

「なるほどね」彼女は腕を組んで言った。「そこに行ってみたいのだけど」

「もうちょっとここにいない?」彼は傷ついたようだった。「ほら来て、楽しいよ。ステーキ焼いてるんだ、それにダモン特製パスタ、それからケーキとか、本も沢山持ってくるよ。君が一人で書架に行ったら迷子になっちゃうからね」

「大丈夫よ」彼女は言った。部屋を見渡し、数十の別の人だかりを見つけた。いくらかは料理をしており、いくらかは坐って読書をしている。キャンプの準備をしている集団までいる。見たところ、この空間では人間(あるいは、少なくとも人間に見える存在)は全体の一割にも満たないようだ。

コルビィは溜め息をつき、指を差した。「何を探しているのか教えてもらってもいいかな。きっと良い方向に導いてあげられるから」

彼女はしばし逡巡した。「蛇の手についての情報が必要なの。彼らはどこにいるのか。何をしているのか。どうしたら彼らを見つけられるか。それから、財団についても何か知らないかしら」

コルビィは青ざめた。「財団だって? 頭大丈夫か? 一体なんだってあいつらのことを?」彼の目は泳ぎ、歯はカチカチと鳴った。「なあ、一体何があったって言うんだ。どうやって知った。いいか、僕はその連中とはなんの関わりもない。L.S.とその仲間たちはマジでイカれてて……」彼の声は次第に薄れた。

L.S.。その名には聞き憶えがあった。彼女は以前にもその名を聞いたことがある。蛇の手の、決して正体を掴めない存在の噂。彼女は溜め息をついた。「そんなに思い悩まなくても」彼女は踵を返し、立ち去った。

「ちょっといいかな」声がした。アリソンがそちらを一瞥すると、金髪の女性が近付いてきた。「話は聞いたわ。蛇の手に興味があるんだってね」

「手を貸してもらえますか?」アリソンは言った。

「お手伝いなんかより、もっと力になれると思うよ」女性は微笑んで言った。「私はその一員だから。大抵の質問には答えられるよ。でも、先にハンバーガーを」

エイリアン触手モンスターの作っていたハンバーガーは、悪くない味だった。ジューシーで洗練されていて、チーズが丁度良い。アリソンは手早くそれを食べつつ、再度周囲をよく見渡した。彼女はこれまでの旅で、何体かの人間ならざるものを見た。痩せ細った幽霊、財団施設に囚われた異星人、呪文を間違えて召喚された悪魔。だけど、ここにいるようなものたちは、しかもこんなに沢山は見たことがなかった。ミニチュアみたいな生き物、生きて動いている樹、輝く翼を持った男、顔面に常に影が落ちている女。

言葉を話す動物や、アシモフの小説から出てきたようなロボットもいた。彼女からほんの数メートルのところで、宙に浮く泡の塊と、頭に鳥籠(インコ入り)の付いた女性が喋っていた。見たところ、神の介入の背後にある物理学について議論しているようだった。 人間も何人かいたが、多くはなかった。ここでどんなものに出会うか予想ができていた訳ではなかったが、少なくともこれは予想外だった。

金髪の女性が歩み寄ってきた。彼女の手にしたお盆には、ハンバーガー三個と山盛りのポテト、それに大きな缶ビールが乗っていた。少なくとも、アリソンにはビールにしか見えなかった。ラベルは英語ではなく、それどころか今までに見たことのあるどんな文字とも違っていた。

「よーし」女性は言った。「まず自己紹介ね。私の名前はメレディス。あなたは?」

「アリソン」彼女は言った。

「いい名前ね」ビールを一口飲んで、女性は言った。「じゃあ、アリソン、あなたの目的は? こうやって私達の入口を見つけてくる人なんてそうそういないよ」

アリソンは考えた。この女性は見知らぬ人だ。メレディスが蛇の手の一員だとはどうにも信じられない。彼女は実は植物かもしれないし、荒ぶる幽霊かもしれないし、ディリジェムへの復讐を目指している輩かもしれない。「友人を捜しているんです。数ヶ月前にいなくなったんですが、それ以前に彼が皆さんについて話していたのを聞いて、それでここに」

メレディスは肯いた。「じゃあ、その彼の失踪に財団が関わってるって、あなたはそう考えてるのね?」彼女はまたビールをがぶ飲みし、缶を潰して足元に放った。

「彼は、奴らが彼を監視していると考えていました。彼は……変わり者で、奴らに後をつけられてるって。いなくなる前の晩、彼が電話してきて、できるだけ急いで逃げなきゃいけないって言ってきたんです。彼の声を聴いたのはそれが最後です」多少修飾はしたが、まるっきり嘘という訳ではなかった。多分。少なくとも、真実を伝える決心をするまでの時間稼ぎにはなる。

メレディスは肯いた。「彼の名前は? 私達、色んな人を匿ってるから」

アリソンは唇を嚙み締めた。「ジョナサン・ベル。黒髪で、緑の瞳で、身長はこのくらい」彼女は身振りで示した。「それで、本当にいつも神経質なの」

「私は思い当たらないな。こめんね」メレディスは言った。「でも、図書館の中に沢山仲間がいるから。彼もきっとその中の誰かと一緒にいるよ」彼女はチーズバーガーにかぶりつき、咀嚼しながら思案した。「でも、彼を捜してるだけじゃないんでしょ」

アリソンはびくりとした。「どういう意味ですか?」

「友達を捜してるだけなら、財団の情報は要らないはず」アリソンの目を見つめて、メレディスは言った。彼女の瞳の輝きには人を戸惑わせる何かがあった。アリソンは身悶えしそうな衝動になんとか抗った。「あなたは奴らに何か仕掛けるつもりだ。少なくとも、そう望んでる」

「そんなことは」アリソンは言った。

「でも、まあ」メレディスは言った。「あなたがどうしてここにいるかなんて、私はどうでもいい。秘密にしておきたいなら、いいよ、それは秘密で。でも財団相手に動くとなったらそうはいかない。奴らは危険。そこらで貴方が聞いてる程度の連中じゃない。もし奴らに歯向かったら、あなた、おしまいだよ。私も友達を三人、財団に殺された。別の二人は捕まっちゃって、もうどうしようもない。それでも、奴らを敵に回すの?」

アリソンは一瞬、なんと言えばいいかわからなかった。勿論答えは出ていた。彼女はそのためだけにここに来た。ただ、それを言うのは少し無遠慮に思えたのだ。「そうです」

メレディスは微笑んだ。その表情は決して明るいものではなかった。「解ったわ」

食事を終えた後、メレディスはアリソンを、沢山のベッドが置かれた別室へと連れていった。「ちょっとやることがあるんだ」彼女は言った。「一週間くらいかかる。その間に、ここを見物しておいで。図書館を巡って、色々発見して。気を付けて行くんだよ」

それが三日前のことだ。それ以来、アリソンは一日のほとんどを使って書架を見て回った。彼女はほとんど独りだった。彼女に近付こうとする者も何人かいたが、彼女はそれを払いのけた。

書架を探し回っても、蛇の手や財団についての情報はほとんど得られなかった。書棚の背後に控える組織は、もしそんなものが存在するなら、彼女の手の届く範囲にはいなかった。蔵書は内容も状態も著者も出版年も言語も関係なしに並べられていた。「ハーパー・リー全集」の写本(千ページ以上もあって、字も読めないほど小さい)の右隣に一九五九年製オースチン・ミニのマニュアルが置かれているという有様だった。気が変になりそうだった。

探索を始めて二日間でなんとか探し当てたのは、「おお、意地の悪い鮫よ」という一冊の詩集だけだった。この内容を「情報」と呼べるなら、「おやすみなさいおつきさま」は一大叙事詩ってことになる。一緒に過ごしている人々への質問では、目新しい情報は得られなかった。彼らのほとんどは独りで本を読むことを好んだ。答えてくれた少数の人々も、極めて漠然とした答えしかくれなかった。それでも、全部が無駄という訳ではなかった。彼女の求めていた本ではなかったにしても、それらの本は魅力的なものだった。三日目までに、彼女はかなりの量の読み物を読み漁った。

(彼女の腕時計によれば)三日目の夕方。最後に自分以外の人に会ってから七時間ほど経った頃。図書館にいる人々が、まるで海水浴客のような振舞いをしていることに彼女は気付いた。多くの人は居間などの娯楽の豊富な場所にいる。そこから数百メートル「内陸」に行くと、人の量は四分の一ほどになる。更に数百メートル進むと、書棚ひとつ当たり一人か二人しか見当たらない。一キロメートル以上行くと、彼女は独りで本を探すことになる。彼女は少なくとももう五キロほど歩いていた。

そんな訳だから、彼女は自分以外の誰かに出会ってとても驚いた。彼女が書棚(側面に「報酬」と書かれた金の札が付いていた。全ての書棚にこのような印が付いていたが、見た限り、これには特に何の意味もなかった)の角を曲がったとき、端のほうに女性が立って本を読んでいた。彼女は短い金髪で、丈の長い黒のコートを着て、緑色のフリースのキャップを被っていた。それ以外のことは、遠くてよく見えなかった。

その光景には興味を惹かれたが、アリソンは彼女を無視した。背表紙を指でなぞり、役立ちそうな本を引き出してはめくりながら、通路を歩いていった。求める本はない。面白そうな本は何冊かあった。彼女はそれらの本を鞄に入れた。

何か温かいものを感じて、彼女は指を止めた。指は、一冊の本の背表紙に触れていた。その本は薄くて白く、題名などは何も書かれていなかった。指を押し付けると、それは心臓の鼓動のように脈打ち、温かくなり始めた。なんだろう。こんな本はここに来て以来初めて見た。彼女がその本を書棚から取ると、本は掌の中で震えた。少なくとも、震えたような気がした。本自体は動かなかった。革製と思しき表紙は予想されるより重いように思えた。表には金のエンボス加工で、複雑な文字が四文字書かれていた。彼女はその本を開いた。

ページから砂が噴出して、彼女のお腹に直撃した。空中に飛び上がり、地面に落ちていったみたいに、周囲の世界がひっくり返った。本は彼女の手から滑り落ち、本棚の反対の端まで飛んでいった。ページから間欠泉のように吐き出された砂は、床いっぱいに拡散した。小さな砂山の上に彼女は倒れた。

頭を強打した。血が額を伝って落ちた。彼女はそれを拭き取り、立とうとしたが、何かに足を掴まれてまた倒れた。何かが足首辺りを締め付けていた。彼女の足許を覆っている砂が、脚に沿って這い上がってきた。彼女が砂を払い落とそうとしても、砂は脚を圧迫してきた。

シューという音が聞こえた。彼女の周りの砂が波打ち始めた。砂は彼女にぶつかってジャリジャリと鳴り、砂粒が空中に舞い上がって、彼女に降り注いだ。宙をたなびいたそれは床に降りて蛇行し、カーペットの上を、彼女のいる位置から本のほうへと、蠕虫のように進んだ。シューという音は次第に大きくなって、ほとんど声のように聞こえてきた。

砂は彼女の両腕ともう片方の脚も覆った。彼女の下の砂山は移動し始め、彼女の周囲に段々拡大していった。その外縁が視界の隅で持ち上がっていった。砂山は彼女の前に津波のように聳え立った。音は今なお大きくなり、彼女の耳の中でがなった。耳を劈くそれは声だった。汝がやって来るまでにどれほど時が過ぎただろう。それは雪崩の中から発されたような声だった。どれほどの間、汝は汝の罪を否定してきただろう。痛かろう、ミハルよ、汝が我に為したことを思い出したか? 思い出したまえ。

砂が彼女に向かってきた。彼女は大きく息を吸って、秒数を数え始めた。波が彼女にぶつかってきた。直後、彼女は砂に包まれた。我は彼女の顔を毎日思い浮かべていたぞ。汝が去ったと彼女が気付いた時の顔を、汝が我らを地獄に落としたと知った時の顔を。汝はそれも見ずに去った。汝は汝に運命を変えられた我らの顔すら見なかった。卑怯者。砂は彼女を締め付けた。彼女は既に、圧力の下敷きになった自分が挫けそうになり始めたのを感じていた。痛みで何も考えられなくなりそうな中、それでも彼女は考え続け、時間を数え続けた。

彼らは彼女を連れ去った。我は彼女の死に際に立ち会えなかった。彼らが彼女を一思いに殺してくれたと信じたい。自分がどれだけ生き永らえたかも解らぬ。痛みの他は何も思い出せず、汝の帰還を待ち望んでいた。だが汝は帰らなかった。

三十秒。彼女は息を吐いて、言葉を思い浮かべた。何も起こらなかった。もうお腹まで沈んでいた。失敗した? タイミングが悪かった? 彼女はこの呪文を、少し前にも一度使ったことがあった。お願い……。

彼女の許から風の波動が吹いて、砂を吹き飛ばした。砂が形を取り戻している間に彼女は身を起こした。砂の鞭が彼女に襲いかかったが、彼女は転がるように逃げた。逃げながら、彼女は書棚の端、本からほんの数メートルのところに先程の女性を見つけた。彼女は腕を組んで、動かなかった。

「ねえ!」アリソンは叫んだ。「助けて! その本を閉じて!」

女性は動かなかった。今度は砂の棍棒がアリソンに向かってきた。彼女は本のほうへと頭から滑り込んだ。女性は動かなかった。

何かがアリソンの足を掴んで、地面に引き倒した。彼女が床にぶつかると同時に、砂が彼女の片腕を覆った。砂は彼女を投げ上げ、壁に叩きつけた。地面から沢山の砂の縄が生えてきて、彼女に向かってきた。女性の姿は見えなくなっていた。

アリソンは腕を捩ろうとしたが、腕は砂に固く掴まれていた。別の蔓が脚に当たった。彼女はそれを蹴った。足は砂の側面に当たり、突き破った。砂は数秒で形を取り戻した。それでも何もしないよりまだマシだった。空いているほうの腕でアリソンは背後の書棚を探った。彼女の指は分厚い本を掴み、書棚から抜き取って、腕を覆っている砂に向けて振り下ろした。腕が書棚から離れ、彼女は落下した。片足だけがまだ本棚に固定されていたので、彼女は逆さ吊りになった。

彼女は力を込め、力の限り本を投げた。本は砂を突き抜けて飛び、彼女は地面に崩れ落ちた。ドンと音が立って、身体が痛んだ。だが彼女はそれを気には留めなかった。既に砂が形を取り戻して彼女に向かっているのが目に入っていた。

自身の腕を庇いながら、彼女は全力疾走した。砂の蔦が脚を打ったが、彼女はそれをひらりとかわした。背後から声が、叫び声が聞こえた。逃げるのか? 声は泣いていた。どうして逃げられるのだ? 逃げられぬ我らを放って、どうして運命から逃げられるのだ? 戻れ、卑怯者。謹んでこちらを向け。彼女は声を無視した。彼女は背後に舌打ちをした。躓いても走り続けた。

あの本まであと数メートル。彼女は腕を伸ばして滑り込んだ。そのとき、本から噴き出ている砂の泉が向きを変え彼女の肩を掴んだ。彼女は倒れた。砂の流れが空中でうねり、ロケットのように飛んできた。彼女は這い回ってそれを搔い潜った。伸ばした腕が本の表紙まで届き、彼女は本を閉じた。

声は途絶えた。砂は床に落ちた。図書館は静寂を取り戻した。息を切らしながら、彼女は足を持ち上げた。世界がぐるぐる回り続けているみたいだった。耳鳴りがして、視界はぼやけていた。膝が砕けていた。彼女は手を伸ばし、また倒れてしまわないように書棚にもたれかかった。

三十分後、体の震えが収まってから、彼女は公共エリアへ戻ろうと歩き始めた。

メレディスがベッドに坐って本を読んでいた。アリソンが足を引きずりながら近寄ると、彼女は顔を上げた。「あら」彼女は言った。「色々楽しんできたみたいだね」

アリソンはそれにぶつぶつと文句を返して、ベッドに崩れ落ちた。「何がどうなってるのよ?」数分後、彼女はようやくそれだけ口にした。

「何がって、何が?」メレディスが言った。

アリソンは溜め息をついた。「何がしたいの?」

メレディスは立ち上がって、伸びをした。「何人かの人と話してきたよ。みんなあなたに会いたがってると思う」

それを聞いた途端、あっさりと痛みは去った。アリソンは身を起こした。「本当? 誰が? いつ?」

「あなたさえ良ければ、今からでも」メレディスは言った。

アリソンは肯いた。

「ついて来て」メレディスは言った。彼女達は公共エリアを出て、図書館の内部へと歩き始めた。痣だらけで足を引きずるアリソンを何人かが凝視したが、彼女達はそれを無視した。彼女達は書棚の間を縫って、アリソン自身が今どこにいるのか判らなくなるまで行ったり来たりした。彼女達は歩き続けた。アリソンは自分たちがどこに向かっているのか尋ね続けたが、回答は得られなかった。

四十五分後、なんの変哲もない書棚(側面の額には「虚偽」とあった)の前で彼女達は足を止めた。メレディスは跪いて絨毯を三度叩いた。彼女は立ち、五歩下がり、二度足踏みをした。それから彼女は左に四歩動き、さらに六回足踏みをした。

床に穴が出現した。床がスライドした訳でも、扉が開いた訳でもない。前からそこにあったように、ただ出現したのだ。側面に梯子が付いていた。底のほうは明るく、木製の床が見えた。メレディスは梯子を下り始めた。アリソンもそれに続いた。

二人の下りた先は短い廊下だった。廊下の端に赤い扉があった。天井にはいくつかの蛍光灯が連なっていた。側壁にはキリストの誕生から宇宙に浮かぶ男まで、様々な場面の絵が描かれていた。

「蛇の手はあなたが探しているようなものじゃない」メレディスは言った。それは出発してから初めて彼女が発した言葉だった。「ほとんどあなたの役には立てない。彼らは悪の組織ではないけれど、財団みたいな組織に立ち向かっている訳でもない。ずっと奴らから隠れて、ひそひそ内緒話をして、ナンセンスな名前で呼び合ってる。彼らは学者。学者には学者の領分があるの」

メレディスは扉を開き、アリソンを迎え入れた。「でもね、私達は戦士なんだ」

中は大きな部屋だった。椅子や枕や書棚が並んでいた。中央に暖炉があった。明滅する焔が部屋の唯一の光源で、揺らめく影を壁に投影していた。古い本や高級なお酒で見たように、火が微笑んでいるように見えた。一人の人物が火の傍に跪いていた。それは緑のキャップを被った女性だった。

「どうなってるの!」アリソンは言った。彼女はメレディスと女性とを交互に見た。「あの人、一体何者なの?」

メレディスは何も言わなかった。

「そうね」アリソンは言った。「今は穏便に行きましょう。それがいいわ」

女性は微笑んだ。「私もそう思っていたところです」

アリソンは顔をしかめ、女性に詰め寄った。「何様? お高く留まって、何が言いたい訳? 膝をついて、今にも死んじゃいそうな私を放ったらかしにしたあなたを赦せって言うの?」

「あんな事態になるとは思わなかったのです」女性は言った。彼女は火を見つめていた。「ですが、今こうしてあなたと話せているということは、やはり私が手を出す必要はなかったのでしょう」

「なんて厚かましい」アリソンは言った。「もっと他に言うことがあるでしょ」

女性は立ち上がった。「私がこうして誰かに面会するのは滅多にないことです。ですが、あなたのような人物がここにやって来るのもまた、滅多にないことです。話を蒸し返すようですみませんが、あなたはまだ本当の危険には瀕していません」彼女はアリソンの目を見つめた。アリソンは目を離した。彼女の眼差しはどこか奇怪だった。「あなたは幸運です。L.S.がこうも簡単に人を受け入れることは滅多にありません。私はアマンダ。あなたを歓迎します。蛇の歯へようこそ」

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