霧の向こうへ
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「ふぅー……」

また溜め息ついちゃった、と眉をしかめ、首をひねる。
小さい頃から、自分の力で人を笑顔にするのが大好きだった。女の子らしく着飾るのも、チヤホヤされるのもそれなりに好きだ。だからこそ、この仕事は小さい頃から夢見てきたし、意識してきたし、目指してきたし、ここまで登り詰めた。粉うことなき天職のはずだ。
それなのに最近のコウときたら、本番前はいつもいつも、いつの間にか、控室の鏡の前で溜め息をついている。ニコニコするのに疲れたのだろうか。明るく振る舞うのに飽きたのだろうか。歌って踊るのは自分に合っていなかったのだろうか。ひとりになった時それなりに悩んでいるつもりだが、答は霧の向こうで霞んでいて、指先すら届かない。

「気にしない、気にしない☆ 集中、集中☆」
楽譜でパンと膝を叩き、椅子から立ち上がって歌を口ずさむ。いつものようにちょうど復習が終わったタイミングで、マネージャーが扉をノックした。
「コウちゃん、そろそろスタジオ」
「はーい☆」
部屋の鏡を振り返って、最終チェック。
「服よし☆、髪よし☆、メイクよし☆、スマイルよしっ☆」
「準備OK?」
「オッケーです☆」
マネージャーが扉を閉めて、鍵を掛ける。
ウエストポーチに鍵をしまって。打ち合わせのプリントと館内図を出して。きっかり3カウントでスタジオを確認して。
「よし、行こうか」
マネージャーについて歩き出そうとした、ちょうどその時だった。

「キャアァァァァァァァ!」

あまりに鋭く、まさに絹を裂いたような叫び声に、思わず耳を塞いだ。頭が真っ白になり、体も全く動かない。スマホで何か話しているマネージャーの声が、酷く遠くから聞こえる気がする。
「コウちゃん、こっちに!」
マネージャーに手を掴まれてやっと、我に返ったような感じがした。手を引かれるまま走り出すが、勾の脳裏には視界の端に捉えた景色がこびりついていた。

脚を血塗れにして後ろを振り返りながら逃げる女性と、その後を追う何だかよく分からないもの。その"何か"の動きに、コウは引っ掛かるものがあった。追い掛けているだけにしては、そうだと片付けてしまうには、違和感がある動きのような気がした。

モヤモヤしたままマネージャーに連れられて、テレビ局の裏口に出る。そこには真っ白なロケバスがあった。
「あれに避難してて、俺は他のみんなが無事か確認しなきゃいけないから」
いつも通りに返事しようとしたが、頷くので精一杯だった。訳も分からないまま、マネージャーが指差したロケバスに乗り込む。
幸い、まだ他に避難しに来た人はいないようだった。今のうちにモヤモヤを追い出すように、大きく溜め息をつく。今更鼓動が速くなっていることに気付き、ゆっくりと座席に座って胸に手を当てて、自分を落ち着かせようとする。窓越しに裏口を見ると、マネージャーやスタッフと思しき格好の人が、タレント達を手際よくロケバスへ誘導していた。
「助かったんだ……」
何からだかは知らないけど、と心の中で付け足した。意識的に深呼吸して、とにかく鼓動を落ち着かせようとする。

が、バスの席が8割がた埋まる頃になっても、一向に心臓は落ち着かない。モヤモヤもちっとも晴れない。車内の面々に酷い顔を晒さないよう、今では窓にぴったり額をくっつけている。

マネージャーが心配だから?違う。車外ではあるものの、かれこれ5分くらいずっとコウの目の前で背中を向けて、見覚えのない人と話しているのを見ている。
何が起きたかよく分からないから?違う。悲鳴を聞いたのはテレビ局の中だし、エンジンのかかったロケバスの中なら外にいるも同然。何かあったらすぐに逃げられる。

……逃げる?

何故かそのワードが妙に引っかかった。逃げて何の問題があるの?何か問題があったっけ?
今日のことを最初から思い返し始めた。そしてハッと気付いた。
今感じているモヤモヤが、いつも控室で感じているモヤモヤと同じだということ。それと、もうひとつ。
なんであの時、咄嗟に逃げられなかったのか。

助けに行かなきゃいけなかったんだ。
……ううん、違う。こうじゃない。

笑顔にしなきゃいけなかったんだ。

そうだ、やっと分かった。モヤモヤの原因。なんで忘れてたんだろう。手段が目的とすり替わりかけてたから、ずっとモヤモヤしてたんだ。

コウの目的は、笑顔じゃない人をみーんな笑顔にすること。
小さい頃は、笑顔じゃない人がいると知ったら居ても立っても居られなくなって、いじめっ子だろうと嫌われ者だろうと無差別に笑顔にしに行ったし、そのための手段は選ばなかった。歌、踊り、演技、手品、曲芸、自虐ネタ、果ては暴力。キョウもケンも背が伸びるの遅かったから、小さい頃は泣いてる2人をよくコウが笑顔にしてあげてた。やりすぎるとかえって泣かせちゃうのもあの頃覚えたはずなのに。
なんでこんな大事なことを忘れてたんだろう。

コウの目的は、笑顔にすること。笑顔じゃない人を、ファンもアンチもみんなみんな、誰だって全員笑顔にすること。
コウの手段は、なんでもいい。みんなが笑顔になれば、それでいい。

目の前の霧が一気に晴れた。同時に、自分のやるべきことが見えてくる。
思い出せ。絶対にヒントがあったはずだ、始めに笑顔を失ったのは誰なのか、何に笑顔を奪われたのか。
考えろ、予測しろ。経験と勘を総動員して、あの頃のように。

――そうだ、やっぱり"あれ"はただ女の人を追いかけてたんじゃない。今ならよく分かる、あの動き、追いすがってたんだ。顔があるか分からないけど、絶対に笑顔じゃなかった、きっと泣いてた。
今一番笑顔から遠いのは、"あの子"なんじゃないの?
今一番助けが必要なのは、ここで辛気臭い空気を作り出してるポンコツタレントじゃなくて、今まさにひとりぼっちになってる"あの子"なんじゃないの?
今一番やらなきゃいけないのは、ひとりじゃないよって"あの子"を慰めてあげることなんじゃないの?

ロケバスを飛び出たところで、予想通りマネージャーに呼び止められた。どう答えるかはもう決まっている。

「コウ、笑顔にしなきゃいけない子がいるから!☆」

とびっきりの、今までで最高の、本物のスマイルで。



作戦本部: 全班カメラ、マイク、確認完了。目標の最終確認地点及び進入禁止エリアは端末にある通り、あと5分で避難完了、進入禁止解除の見込みだ。各班開始してくれ。
α-Cap: 了解。
β-Cap: 了解。
γ-Cap: 了解。
α-Cap: こちらα-Cap、おさらいするぞ。βはΩ設置ポイントまで行ってすぐ準備、γはβを補助しつつ探索開始ポイントまで移動、俺らはその間設置ポイントより手前の捜索。各班確認してくれ。
β-Cap: β-Cap、確認した、取り掛かるぞ。
γ-Cap: γ-Cap、確認、目標予測エリアは避けて通っていいんだよな?
α-Cap: こちらα-Cap、大丈夫だ、引き受ける。運搬に失敗したらシャレになんねぇからな、護衛に専念しろ。
[α部隊の方を向く]
α-Cap: というわけだ。釘刺しとくがお偉方によるとヤツはすっかり"出来上がってる"そうだ、絶対刺激すんなよ。ツーが先頭、そのあとスリーであとはいつも通りだ。とっとと捕捉すんぞ!
α部隊員: 了解!
[α部隊員が隊列を組み、建物内に進入する]

<目標の捜索が行われる>

α-1: ツー、それより向こうは目標予測エリア内です。
α-2: ここまでいい調子だ、このまま静かに進むぞ。

<目標の捜索が続けられる>

[α-2がサインを出す]
[α-Capがα-2と入れ替わる。角の向こうに目標が映る]
[α部隊員の方を向き、サインを出す]
[部隊全員で目標から充分に距離をとる]
α-Cap: こちらα-Cap、目標を確認。位置はさっき端末に送った通りだ。
β-Cap: β-Cap、確認した。設置ポイントに変更は無し、作業も8割がた終えたところだ。
γ-Cap: こちらγ-Cap。確認したが、αの現在地よりこっちの方が近くないか?
α-Cap: こちらα-Cap、まだ感知される状況じゃない、そのまま静かに距離を取ってくれ。防衛ラインはこっちで設定する。
γ-Cap: γ-Cap、了解。
α-Cap: ワン、端末。
α-1: はい。
[α-1から端末を受け取り作戦エリアを設定、α-1に返す]
α-Cap: 隊列変更、備えるぞ。
α部隊員: 了解。
[作戦エリア内の方を向く]

[背後から作戦エリア内へ向かって走る後醍醐 勾が映る]
α-4: あっ、ちょっと!戻ってください!危険です!
α-2: おいバカ、何やってんだ!
α-Cap: なんだあの子は!退避完了じゃなかったのか !?
作戦本部: こちら本部、フロント企業エージェントから通信だ。タレント1名が建物内に侵入した、各員警戒を――
α-Cap: はあ?もうここまで来てるぞ!
作戦本部: そうだ、恐らくついさっきαのカメラに映ったのが――
β-1: こちらβ-1、対象が作戦エリアから出るぞ!
α-Cap: 撃つなβ-1、一般人がエリア内にいる!
β-1: 何言ってる、今なら――
α-Cap: 何の為にわざわざ退避させたと思ってんだ、Ωは撃つな!
(舌打ち)
α-Cap: 本部、臨時指揮を!クソッタレが、避難誘導ひとつできねぇエージェントなんざ――
(鈍い爆発音)
α-Cap: おい、今のは!?
作戦本部: こちら本部、γ、水滴で映像が不鮮明だ。報告せよ。
γ-3: こちらγ-3、対象が消火設備を破壊した!現在通常火器で応戦――
γ-Cap: 撃ち方やめ!撃ち方やめ!
作戦本部: どうした、γ!
γ-Cap: 本部、一般人は女の子か?
作戦本部: こちら本部、そうだ、衣装を着たままの女性アイドルだ。
γ-Cap: こちら γ-Cap 、現在その女性が――おい、何やってる!
γ-Cap: くそっ、対象に接触された!もう無理だ、Ωの使用許可を!
作戦本部: こちら本部、状況を確認し次第、使用許可を出す。βは至急Ωの発射準備を行え。αは現防衛ラインを放棄しγの救援に向かえ。
α-Cap: こちらα-Cap、本部、何か情報は?
作戦本部: こちら本部、γのマイクならそのまま送信できるが。
α-Cap: それでいい、俺に流しっぱなしにしてくれ。
作戦本部: 了解、移動しながら待て。
[作戦エリア内へ進む]

(発砲音)
(不鮮明な女性の声)
(発砲音)
女性の声: やめて!
γ-?: もう待てない、俺が引き剥がす!
γ-?: 待て!落ち着け、もうすぐだ!
女性の声: [不鮮明]ね、だから[不鮮明]コウが[不鮮明]に[不鮮明]
γ-?: クソっ、まだなのか!間に合わないぞ!
γ-?: 落ち着くんだ、βが今――
γ-?: 待って下さい!Cap、これは……。
γ-?: 報告書の写しは?
γ-?: これです。
γ-?: ……間違いないな。

γ-Cap: CQ、CQ、武装解除しろ!こちらγ-Cap、対象に沈静化兆候が確認された!繰り返す!状況はプロトコル"白旗"へ移行、総員武装解除しろ!
β-Cap: そんな馬鹿な、本部!
作戦本部: こちら本部、カメラ映像からの判断だが、対象の色からして確かに沈静化兆候だ。総員直ちにプロトコル"白旗"へ移行、α部隊はそのままγと合流せよ。収容部隊を送る。
[α-Capが立ち止まり、α部隊員の方を向く]
α-Cap: 一体なんだってんだ?
(銃が床に当たる音)
α-3: アイツは何度か担当したことがありますが、ドンパチやらずに沈静化なんて……。
α-Cap: そう言ってたよな、確かβの連中も同じこと言ってたぞ。
α-2: 怪しくないですか?
α-Cap: 怪しいからって銃持ってたら、収まるもんも収まんなくなんのがアレだろ。とっとと合流すんぞ、話はそれからだ。
α部隊員: 了解。
[振り返り、小走りに通路を進む]





何が起きたのか、自分でもよく分からなかった。昔のコウに突き動かされるかのように走っていったあたりまでははっきり覚えているが、何故こんなのを相手にうまくいったのか全く分からない。SATみたいな格好の人はいるし、手はぬるぬるするし、鉄の臭いが鼻をつく。正直に言ってしまえば、気が緩んだせいで不安が一気に押し寄せていた。
それでも、笑顔だけは絶対に崩さなかった。とびきりの笑顔で笑ってあげるのは、いつだって誰にだって、ちゃんと効く。
「落ち着いた?☆」
撫でながら声を掛けてあげると、それはゆっくり、ずるりと床に崩れた。なんとなく、コウと同じで緊張が解けたんだろうなと思いながら、自分も床に座る。
「ふぅ、よかったぁ☆」
「そりゃこっちの台詞だ!」
男の声に振り向くと、SATっぽい格好の男性がヘルメットを外してすぐ後ろに立っていた。
「よくもまぁ誰も死なずに済んだもんだ、あんた怪我は?」
「コウ?コウは大丈夫だよ☆」
笑顔のまま答える。何だかよく分からないが、それがすぐ横にいる以上、綻びを見せるわけにはいかない。
「そうか?血塗れでよく分からないが……α-4、一応診てやってくれ」
「了解!」
入れ替わるように、別の男性が駆け寄ってくる。ヘルメットに加えて手元の防具も外していた。
「すみません、ちょっと触らせて下さいね……脈と呼吸は問題ないです、血は……」
胸のすぐ下に手が触れた瞬間、彼の顔が強張った。すかさず、人差し指で唇を押さえる。
振り返ってウィンクをプレゼントしながら、ダメ押しの一言。
「絶対また会いに行くから、楽しみにしててね☆」
立ち上がろうとするとふらつきかけたが、男性は慣れた様子ですぐに肩を貸してくれた。最後にもう一度、ポーズ付きでウィンクして、今にも崩れそうな体に鞭打って廊下を進む。
曲がり角を過ぎて4歩、それが限界だった。一気に平衡感覚が狂い、大きく足を踏み外す。息苦しいのも、もう誤魔化せない。
「大――」
焦って大声を出す彼を精一杯制止して、もう一度人差し指で唇を押さえた。
「大丈夫ですか?今救護を呼びますから」
大きく息を吸って、止めて、頷く。
「あの子には、内緒だよ♡ 約束、したんだから☆」
それしか言えなかったが、コウは確かに見た。
頷き返す彼の頬が、一瞬綻んでいたのを。




彼女が目を閉じてしまってから、彼は少しずつ不安に襲われていた。これほどの重傷、見るのが初めてとは言わないが、診るのは初めてだ。動かして大丈夫なのかさえ判断がつかない。ただ脈を取り続け、呼吸を見守ることしかできなかった。緊張と混乱で時間感覚が狂いそうになる。
慌ただしい足音に振り向くと、機動部隊に護衛された救護班と収容班が見えた。機動部隊は明らかに一瞬戸惑ったが、さすがは救護班、彼らは迷わず担架と共に駆け寄ってくる。
「あの――」
何から言えばと考えながらも言葉を絞り出すと、遮られた。
「何やってるんですか!止血は!?」
新人を叱り飛ばしながら、彼らは手際よく彼女を担架に乗せて引き返そうとする。が、傷をしっかり見た瞬間、さしもの救護班も動きが止まった。
「これは……」
「恐らく食べられてます。止血しようにもこれでは――」
「分かりました、ついてきてください」
また遮られたが、すぐに担架の後を追う。
「何故生きているか理解不能ですが、確かに呼吸がありますし脈もあります。だとすれは我々がやるべきことは、ひとつだけです」
自分より余程多くの修羅場を見てきたのだろう、淡々と話しかけてくる。
「はい」
肝心の自分はといえば、あまりの状況に声も足も震えそうだった。
「今のうちに、彼女に何があったか、ちゃんと整理しておいてください」
その前にまず鎮静薬と記憶安定剤を打っておかなければ、とてもやれそうにない。やっぱり医官なんて向いてなかったんじゃないだろうかと憂鬱になりながら、彼は注入器を2本手に取った。




「姉さん、姉さん!」
キョウの声ではっと気がついた。どうもベッドに乗せられて運ばれているようだ。白衣の人がベッドを押していて、鏡と剣が横を歩いてついてきている。
「よかった、気がついたみたいです」
「何やってんだよ全く……」
「本当か!?君、聞こえるか?意識を保ってくれ、もうすぐ治療室だ」
みんなに答えたかったが、コウには何より確かめたいことがあった。
「あの子は?」
「あの子?……ああ、アレなら無事確保されたぞ、安心したまえ」
自然と笑みが零れる。
「よかった☆ ……先生、コウのこと……キレイに、治してね♡」
「ああ、安心して任せろ。治療室に入るぞ」
鏡がコウの手をきゅっと握ってから、剣と2人でベッドから離れた。ベッドごと手術室のような銀色の部屋に入る。
「後醍醐 勾さんであっているね?」
気を抜くとすぐ遠ざかる意識をなんとか繋ぎ止めて、頷く。
「後醍醐 勾、オブジェクトによる消化創。腹部を中心に激しく損傷と欠損、循環系まで到達している。循環系から取り掛かるぞ」
酸素マスクを当てられた。すぐに意識が途切れた。

次に気付いた時には、個室の病室にいた。
部屋を見回していると、スーツを着込んだ男性が入ってきた。書類の束を片手にベッドの横へ椅子を持ってきて座り、話し始める。
「さて、後醍醐 勾君、我々は君にひとつ提案がある」
「その前に、ちょっといいかな?☆」
「なんだね」
男性は眉を少し上げたが、コウは意に介さず続けた。
「コウ、笑顔にしなきゃいけない子がいるんだけど☆」

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