夏祭りと酒瓶と死体 - 前編
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████年7月1日 午後5時10分31秒

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 小さな体躯を精一杯伸ばして、爬虫類はマイクに頭を近づける。鍋底を引っかいたようなボーイソプラノとは裏腹に、性根の悪さがにじみ出た発音で演説が始まる。

「夏祭り……」

 偶然通りかかっただけの男は、人だかりになっている櫓を見上げた。白衣の諸知博士を侍らせたエージェント・カナヘビが下の職員たちを煽り、祭りのムードが熱気を帯び始めている。しばらく見ていると、その人だかりの一角に穴がさっと穿たれた。その場の視線が一瞬だけそちらに注がれ、再び何事もなかったかのようにカナヘビの演説が続く。

 人だかりから悠然と出てきた女性は、男の顔を見て一瞬顔をしかめると、懐からなんらかの書類を取り出してそれをにらめっこを始めた。呼び出しの途中である男は、その様子に胸騒ぎを覚えつつも歩き始める。

 五歩目を踏み出そうかというところで、異変は起こった。何者かに後ろから襟首を掴まれ、仰け反らされる。──それと同時に、男は腰を回転させて肘鉄を振り抜く。

「──誰だ!」

 肘鉄が空を切った直後、白衣がはためいて振り抜いた右の肘を支点に手首が上へ跳ね上がる。関節が一瞬で決められ姿勢を崩した男は、その一瞬に相手の顔を覗き込むことができた。

「……前原博士!」

 このまま蹂躙を許せば、後頭部を強打する。男は一か八か右腕を胴体に密着させ、その反動を利用して左拳を博士の美貌へ叩き込もうとする。

 が、左拳による反撃は前原も重々承知の上であった。右腕のロックを維持したままさらに右へスウェーして男の射程範囲外へ抜けると、すかさずハイヒールの強烈な上段蹴りが返ってくる。
 
「ちょっ……博士!」

 斧の一振りのような回し蹴りが、頬の数ミリ手前で止まる。楽しげに笑っていた前原は、男の悲鳴に似た降参宣言に興醒めといった様子で、脚を下ろす。

「もうちょっと行けるかと思ったけど、エージェント・海野」
「勘弁してくださいよ、前原博士。自分は呼び出しの途中なので、これで失礼──」

 海野は早々に危険人物のもとから逃げ出そうと、ろくに抗議もせずにその場を立ち去ろうとする。

「あら? 聞いてないの」

 前原は意外そうに首をかしげ、海野の不審を誘った。脳裏に、カナヘビから仰せつかった通知の内容を思い出す。サイト-8181特別警戒期間に伴う特命警備要員拝命。ずいぶん大仰な見出しだと思わされたが、それにしてもこの博士となにか関係があるとは考えられるものではない。

「僕は今から特別警戒の警備に」
「それよ。わたしが警備室長代理なの」
「えっ」

 エージェントの放った檻の中の珍獣を見るかのような目つきに、前原は若干機嫌を損ねる。目の前のスーツを着た男は、普段の無表情が嘘のように困惑で眉を曲げている。

「さあ、行きましょう。もう一人相棒を用意してあるから」

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 前原博士の研究室までやってくると、二人は廊下に立ち尽くしている不審者を発見した。帽子から靴まで全身黒ずくめにガスマスク、という公道なら一発で職務質問バンカケされるだろう出で立ちで、部屋の前に直立不動でいる。げんなりした前原は再び懐から書類を取り出して、しかめっ面で本人確認をする。

「……ちょっと、あんた」
「なんですか」

 海野はこの次の言葉をおおよそ知りえていたが、儀礼的に聞き返した。

「行ってきて、気味悪いわあれ」
「あれ、ひょっとして」
「……だと思うけど」

 前原は半ば押し付けるようにして人事ファイルを手渡し、腕組みをしてもう返してくれるなと意思表示する。寝不足気味で痛む首筋を鳴らしつつ、海野は普通の男の写真が載った書類に目を通す。すくなくとも、ガスマスクを着けているかどうかについて記載はない。

「行ってきます」

 ほんの一時期ではあるが、海野は都心で交番勤務をしていた経験があるのだった。見た目ほどには硬くない靴底で足音を消し、まるで素通りするかのような雰囲気を漂わせながら男の背後を通り過ぎる。身長は170センチメートル、海野自身とほとんど変わらない。服の上からわかる範囲では痩せ型。

 斜め後ろから肩に手を伸ばす。

「もしもし、ちょっとあなた。いいですか?」
「ん? なんですかいったい。ぼくはここで前原博士を待たないといけないんですが」
「そうなんですか。それは失礼しました。ついでに、ガスマスクを外してもらえますか。それと身分証を」

 いやいやいや、とガスマスク男は首を高速に振った。いかにも怪しい素振りを意識的にしているかのようで、警察官ならこの時点で凶器がないか調べようとしだしても不思議はない。

「いったいなんの権利があって。ぼくはセキュリティ・クリアランスレベル2なんですよ」
「はいはい、いいからちょっと協力してください」

 心外そうな男の腹には、身分証となるIDタグがすでに吊り下げてある。海野は手ずからそれを掴み、名前を確認する。「エージェント・五月蠅さばえ、と」

「気安く人の名を呼ばないでください。……未来の収容スペシャリストなのに」
「ガスマスク、外してもらえます?」
「人に物を頼むときの態度ってもんがあるでしょう? ぼくはセキュリ──」
「しゃらくさいわ」

 不意に横から現れた前原博士が、筋張った腕でガスマスクを掴んで首ごと振り回す。くぐもった悲鳴を上げていた五月蠅が静かになるまで振り続けていると、ガスマスクはひとりでに外れた。失神しているエージェントの顔は、人事ファイルに載っているそれと一致する。

「海野くんさ、もっと手早くできないかしら」
「前原さん……たぶん警備向いてませんよ」

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「いやーセンパイ、光栄ですよぼくは!」

 海野のCL3と書かれたIDタグを見つけてからというもの、五月蠅の海野に対するプロトコルが改訂されたかのようだった。信じがたいほど慇懃な一方で、その言葉の端々では卑屈さと自尊心がせめぎあっている。面倒な男だと海野はため息をついた。

 前原は先に見回りに出るといって、どこかへ消えてしまった。ここからの警備活動は、この油断ならない新人職員とともにこなさなければならない。

「自分もまだここに来て一年ぐらいです。お互い頑張りましょう」
「ええ、センパイ一年目なのにCL3なんですか?」

 五月蠅の言動はまるで、人の価値がセキュリティ・クリアランスで決まるとでも言いたげであった。栄達欲から長いこと切り離されてきた海野からしてみれば、財団内で再びこのような人種と相見えたことは逆に新鮮だった。

「ノンオフィシャル・カバーとしての期間が長かったんですよ。財団のことを知ったのは何年も前です」
「なるほど……参考になります」

 不穏な台詞とともにうなずき続けるエージェントを見て、海野は空恐ろしくもなっていた。上昇志向と一言で片付けるには、少々偏執的過ぎやしないだろうか。レンズにヒビの入ったガスマスクを再び付け直した五月蠅は、「なんですか」と怪訝そうに先輩の顔色を伺う。

「いや、なんでもありません。……ああ、着きましたね。本部」

 空いている研究室を粗雑に改装した夏祭り警備本部には、やる気なさそうに受付をしている保安部門職員以外誰もいない。

「すみません五月蠅というものですが、腕章の受け取り場所はここで?」
「……ああ、はいはい。ちょっと遅いよ」

 ぶつくさと文句を言いながら、受付の男は警備員の腕章を二つ取り出してくる。時間としては指定どおりのはず──五月蠅は腑に落ちない顔で腕章を装着しながら、ちらと受付のタグを確認する。態度の悪い保安職員はCL2。つまり、この場では五月蠅と同行している海野のほうが"格"が上だ。と、そこまで計算した上でガスマスクは突然机をたたいた。

「ずいぶんな言い草じゃありませんか」
「あ?」

 不機嫌そうな保安職員の目が、新人を睨み上げる。すっかり萎縮した五月蠅は全責任を海野に押し付けるべく、戸惑っている男の背後に隠れた。

「海野さんはCL3だぞ、お前手を出すのか」
「おいおいおい……みんな休みなのに一人だけ仕事回された俺の気持ちがわかるか? あ? その上遅刻してきやがる」
「ちょ、ちょっと待ってください。たぶん前原さんはこの時間でいいと」
「前原?」保安職員の顔がさっと青みを帯びる。「前原がいるのか、ここ」
「聞いてないんですか」

 あからさまになにか事情があると見える受付は、海野の呼びかけにもこたえず荷物をまとめ始める。

「ちょっとちょっと、勤務時間でしょう」
「うるせえガスマスク野郎。遅刻のことは見逃してやるから今日はもう早退だ!」

 エージェント二人を置いて、保安職員は一目散に持ち場から逃げ出す。前原博士のことを相当恐れているような身振りだったが、結局何一つ事情をもらさずに消えてしまった。

「海野さん聞きましたか」
「うん?」
「どうも保安部門の職員はみんな休みらしいですね、こんなイベント中なのに」

 急に頓珍漢な発言をしたかと思えば、五月蠅は耳ざとく相手の発言に耳を傾けていたらしい。
 保安部門の動きがどうにも不自然であるというのは、海野も同調するところだった。去年の夏祭りもこうだったのかは知れないが、こういうイベントこそ保安部門の出番というイメージはぬぐえない。

「というかぼく、よく知らないんですが」内勤経験のほとんどない海野が聞く。「前原さんって確かに変ですけど、あんなに恐れられるような人なんですか」

 五月蠅のガスマスクで隠された顔が、確かにぐにゃり、と笑みの形へゆがむのがわかった。海野はその笑顔だけで回答の半分を得た気がしたが、もったいぶり始める五月蠅の次の言葉を待つ。

「あの人に酒を渡しちゃいけないんですよ、センパイ」
「……なあ、もしかしてなんだけど」思い当たる節をようやく見つけたというように、海野が言う。「この任務って」
「実はぼく、死体回収が専門でして」
「なるほど……」

 皮肉のような理由で相棒が選ばれたこと気づき、いまさら海野はこの任務について後悔を始めていた。つまるところ、前原博士の後処理をするための部隊なのだ。この二人は。

 と、どこかで悲鳴が上がる。それは、彼らの仕事が始まったことを告げる鐘の音だった。

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████年7月1日 午後9時52分57秒

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 彼らの運んだ犠牲者の数が、そろそろ両の手足で足りなくなってきた頃。

「もう海野さん……やめにしませんか。こんな楽しい夏祭り」
「五月蠅くん、途中で仕事を投げ出すようなやつは一生スペシャリストにはなれないよ……」

 疲労を疲労で殴りあう応酬は、傍から見ていても不毛かつ無為なものだった。医局へ最新の犠牲者を運び込んでから、二人はぐったりとベンチに腰を下ろしていた。地上1階の中庭は屋台のガス爆発の余韻を引きずっており、しばらくの間は近づきたくない。彼らのいる地下1階は祭りの空気が幾分少なく、人心地つくにはいまのところ最適な場所だった。

「コーヒー取ってきます」
「あ、いやぼくも行くよ」

 気を利かせた五月蠅の後を、海野もよろよろと付いていく。初めこそお互いぎすぎすとした雰囲気だったが、この四時間半のうちに強固な絆で結ばれるように変化していた。それは死線をかいくぐってきた戦友の間に芽生えるものと同種の、信頼感だったといえる。

「前原さんって……いったい何なんでしょうね……」
「タイプ・グリーンかなにかなんだろう、KeterだよKeter」

 死屍累々の夏祭り会場を脳裏に想起した二人は、喉の奥からふつふつと沸きあがってくる空虚な感情を漏らす。しばらくの間乾いた笑いが廊下へこだましたが、給湯室へ向かう足取りは重いままだった。給湯室の手前まで来ると、急に締め切られていたドアが吹き飛ぶように開かれる。

 疲れた脳みそにいきなりエンジンキーを差し込まれ、エージェント二人は一瞬身構える。飛び出してきたのは、どうも内勤の下級職員らしい女性だった。

「わ、わたしじゃありません! わたしじゃ──」

 その場から逃走しようとする白衣の肘を海野が掴み、外側に回転させて手首を背中に密着させる。一瞬で姿勢を崩した女性は床に引き倒され、五月蠅が退路をふさぐように回り込む。

「どうしたんですか研究員。よろしければCL2エージェントのこのぼくになにがあったかお聞かせ──」
「離しなさいよ! こんなところもうイヤ!」

 目を細めた海野は五月蠅と顔を見合わせ、部屋に入るよう促す。すばやい身のこなしでドアの脇に張り付いたガスマスクは、顔を半分だけのぞかせて中をうかがう。物音はせず、何者かが蠢動している気配もない。

「何がある」
「待ってください……これは──!」

 五月蠅が声にならない叫びを上げる。

「どうした」

 抵抗する女性職員を拘束したまま、海野が部屋の入り口へ顔を出す。五月蠅が指をさす先には──真っ赤に染まったワイシャツの男が倒れていた。

「し、死んでる……」

 大きな血の湖を作った男の死体は、すでにやられてから十分以上が経過しているように見て取れた。思わず女性の拘束を解いてしまった海野は、一目散に逃げ出す第一発見者にもかまわず、五月蠅になにも触れるなと告げる。

「分かってますよ。死体の扱いならプロです」
「殺人か……これ」

 見れば、出血している頭の近くに割れた瓶の破片のようなものが散らばっていた。同時に、吟醸の匂いが血の匂いと死臭に混じって漂っている。凶器は中身の入ったままの酒瓶、というところなのだろうか。

「そこまでです。お二人とも」

 振り返ると、能面を着けた赤いハーフコートの女が立っている。内部保安部門と自身の所属を伝えた監察官の女は、海野と五月蠅の名前を確認すると、付いてくるように言った。

「あなたがたは重要な証人になります」

 有無を言わさぬ厳格な発音で、杜若かきつばたを名乗る女は歩き始める。地下2階の運営事務局までやってくると、すでに人だかりがあった。聴衆はやってきた三人の姿を認めると、無言のままに道を開けた。人垣の中の誰かが言った「あの前原が」という言葉を耳にして、急に悪い予感が具体的な形を帯びてくる。

 規制線の張られた事務局の中には、黒服に囲まれた美女の姿がある。こんな絶体絶命の状況でも、前原愛は少しの動揺も見せていなかった。後処理係の二人がやってくると、にこやかに手を振ってみせる。

「お疲れ」
「………………」

 杜若のほうへ視線を滑らせると、彼女はひとつうなずいて宣言する。

「前原上席研究員を財団内規重度違反および殺人罪の疑いで逮捕します」

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夏祭りと酒瓶と死体

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