忘れられた夏
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蝉がやたらと騒がしいある夏の昼のことだった。久々に田舎にある実家に帰省して折角だからということで、弟たちが出かけている間に大掃除をしていたところ、およそ見た記憶の無いお菓子の缶を見つけた。茶色の埃を被ったその缶には、自身の名前がマジックで書かれた紙が貼ってあった。どうも、こんな缶を持っていた憶えはないのだが、どうみてもこの字は子供のころの自分の文字にしか思えなかったため、埃を取り払ってその蓋を開けてみた。中に入っていたのは、やたらと黒く変色した、従兄弟と笑顔で映る自身の写真だった。それを見て、もう数十年前のことだとしみじみ感じるとともに、不思議な違和感のようなものも感じたのだ。

まず第一に、従兄弟の名前が思い出せない。はて、自分と同じ名字だったような、はたまた全く違ったような……。短い髪に白い肌、明らかに一緒に遊んだ記憶はあるにもかかわらず、そこだけがまるで靄の掛かったように思い出すことができない。とはいえ実際のところ、そんなこと重要ではない。後で家族に聞けばいいだけの話だ。

次に、この写真を撮った場所に全く見覚えが無いのだ。後ろに映っているのはどうにも川のように見えるのだが、この家の近くにそんな場所は無いし、あったとしても田圃の横を流れる水路くらいのものだ。写真に映る自分を見るに、川に落ちたかのようにひどく濡れた髪をしていて、一方で従兄弟の服は泥で汚れている。きっと、何か子供らしいやんちゃな遊びでもしたのだろうけども、全く思い出せない。従兄弟の名前と同じように、靄が掛かっているような感覚だ。

最後の違和感の正体に気付くのには少しばかり掛かってしまった。まあ、一言で言えば"この写真は誰が撮ったんだ"ということだ。見たところこの写真の自分は小学校低学年の頃のように思えるのだが、そのころは弟は生まれたばかりで遊びについてこれるはずもなく、従兄弟もこの写真に映っている1人しかいないため、誰が撮影したのか疑問が生まれてしまう。父親も母親も普段の遊びについてくるような人間ではないため、その2人のどちらかが撮ったものとは考えにくい。そもそもこの写真のことすら思い出せないのだが、このとき、自分と従兄弟以外の誰かもう1人がこの場に居たのだろう。


掃除も佳境に入ったところだ。こんなに部屋の中が広くなったのはいつぶりだろうか。肩も腰もすっかり痛くなってしまったため、埃っぽい部屋の換気のため窓を開け、水分補給を兼ねて休憩を取ることにした。といっても、暇を潰せるようなものは──なかなか点かないスーファミを除いて──特にないため、1本しかない湿気た煙草に火を点け、先ほどの写真について熟考してみることに決めた。

写真をひっくり返すと、すっかり汚れてほとんど読めないにしろ、1900年代の8月の何日に撮ったというように書いてあった。8月といえば、この地域なら他と比べて割と涼しい風が吹いて過ごしやすくなる頃だ。当時もそうだったのだろうか。靄の掛かった記憶を辿ると、なんとなくだがその日は猛暑だったような気がする。涼しいのに川に飛び込むなんてことは当時の自分でもしないだろうから、きっとそうだったに違いない。

小学生の頃は、夏になると遠方から遊びに来る従兄弟と良く外に出かけていた。田舎ということで自然はとても豊かだったので、主にメインとなる遊びは虫取りだったように思える。良くクワガタムシが道端に転がっていたのが懐かしい。従兄弟はそれを捕まえて、家に持ち帰って親に怒られていた、気がする。

ふと、疑問が思い浮かぶ。従兄弟に関して明確に思い出せないのはなぜなのだろうか。そもそも、従兄弟は今どこにいるのだろう。もう何年も会ってないためか、声も、顔も、性別も、何もかも信頼できる記憶が無い。いやまて、それはおかしい。では、なぜ先ほどまでこの写真に映る泥まみれの少年を従兄弟だと自分は認識していたのだろうか。ダメだ、やはり明らかに何かがおかしい。このことについて、深く考えなくてはいけない気がする。

まず、この写真をどこで撮ったかについて調べてみることにした。といっても、どうせ撮ったのは小学生のころのこと。遠くまで遊びに行くようなことはしなかったし、従兄弟(かもしれない誰が)が遊びに来ていたくらいだから、きっと家の近くに記憶にない小川があるのだろうと考え、探してみることにしたのだ。

制汗シートで体を拭いてから外に出る。蒸し暑かった風が一気に涼風へと変化する。夕飯はきっと焼肉だろうから、それまでには戻ろう。なに、きっとそんなに時間は掛からない。子供の時とは比べ物にならないほど、今の自分には余裕と行動力がある。


斜陽.jpg

斜陽。空は段々と群青の刻へと移り始めている。


家の裏から山に向かって歩いていると、思ったよりもあっけなくその小川は見つかった。驚きが隠せない。まさか探し始めて10分程度で見つかるとは。きっとこの小川は写真に映っていた場所なのだろう。川幅もなんとなくだが同じに見える。どうして今まで気づかなかったのだろうか。いや、それとも記憶から消し去っていたのだろうか。特にこれと言った特徴のない、清んだ水の流れる川。ここであのとき、従兄弟と誰かの3人で遊んでいたのか。それとも……。

既に空は茜色に燃え、烏の群れが山へと飛んで行っている。どことなくその光景に懐かしさのような、もしくは寂しさのようなものを感じる。昔からそうだった。きっと自分は潜在的に、こういった夕暮れの景色が好きなのだろう。意識したことこそないが、大体思い出せる幼少の頃の記憶は夕暮れを伴って想起されている。この写真についてもそうだ。はっきりとは思い出せないが、夕暮れ時のことだったに違いないだろう。いや、もっと暗い時間だった。

突然、堰を切ったかのように当時の情景が脳の奥底からあふれ出てきた。そうだ、あの時、いや、あの日は何もかもが"黒"だった。そうとしか表現できない。自身の体は黒く、世界がまるで墨汁で穢されたかのように、全てが黒かった。にもかかわらず、私はこの小川へ従兄弟と遊びに行き、水を掛け合い、虫を取り、はしゃぎ、疲れ、気が狂ったように遊んだのだ。

漆黒の世界の中で、唯一黒に縛られていなかったもの、それは空と雲だった。空を見上げればそこには残酷なほどに冷たい青が広がり、涙が止め処なく溢れるかの如く美しい雲が揺蕩っていた。否、あのときは従兄弟も自分も、空を見て泣きながら川遊びをしていた。いつまでもいつまでも終わらないような心地で……。


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漆黒。それでも空は青く、雲は白かった。


もう一つ思い出したことがある。この川は浅かった。それなのに、従兄弟はこの川の底へと沈み帰ってこなかったな。そしてその様を、自分は大声で笑いながら見ていたのだ。横に立つ真っ黒な誰かとともに。そいつは確かこう言った「おめでとう、僕の番だ」と。意味が解らないにもかかわらず、自分もそのことに同意し、悦び、嗤い、従兄弟との別れを可笑しく感じていた。そして、結局あの日、自分は従兄弟を助けることなく家に帰ったのだった。日の沈みゆく暗黒の帰り道を、真っ黒な誰かとともに。

漆黒の夏の中に、自身の笑い声だけが空しく、空しく響いていた。


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標識。川も森も、楽しくて笑いが止まらないほどに黒かった。


頭が痛い。一体この記憶は何なのだろうか。事実、それとも自分が作り出した幻影なのか。

ああ、眠くなってきた。空には既に夜が覆い被さってしまった。

背後に気配を感じる。振り向くとそこには、あの時死んだはずの従兄弟が立っていた。

久しぶりだね、と自分が声を掛けると、彼はこういった。

「██████████████████████████」

そうだね、ありがとう。

じゃあ、もう帰ろうか。

























ああ、
















黒いな
















吐きそうだ。

























超常現象記録-JP-██

概要紹介: 19██/8/██、██県██村全域が一日に渡り黒く変色しました。翌日に行われた調査では、██村の住人の内███名が行方不明となり、当時の状況を生存者は一切記憶していない、あるいは思い出せないことが判明しました。また、通常では██村の住人が19██/8/██の記憶を思い出すことはできませんが、何かしらの要因により当時の記憶を思い出し、そのことについて詳細に語った後意識を失うという現象が報告されています。住人が語る内容に共通する点は「黒かった」「何もかもが楽しかった」というものです。

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