鳥が鳴く国の官僚 前編
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国家公務員法 第九十六条 1項

すべての職員は国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、

且つ、職務の遂行に当つては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。


首相官邸地下オペレーションセンターは、多くの人間でごった返していた。

オペレーションセンターに設置された巨大なスクリーンには、この国の首都のマップが映し出されている。
センター内の端末が完備されたデスクには、機動部隊も-9("都の狩人")第二連隊とGOC極東支部排撃班-尾宿あしたれの情報処理要員が、勤行ごんぎょうに臨む仏僧のように整然と並ぶ。秘匿回線で入って来る情報の処理、東京都内で活動中の各分隊の移動状況の監視、無人機の操作及び空撮情報の確認、財団及びGOCが持つフロント企業の各種稼働状況の確認と情報の発令、彼らがこなすべき仕事はあまりにも多い。

視線を別の方向に写せば、任務から帰還した財団及びGOCのフィールドエージェントが、センター内に設置された秘匿ブースに駆け込み、デブリーフィングを行なっている。かと思えば、ブリーフィングを終えた機動部隊の隊員たちが秘匿ブースの暗闇から抜け出し、現場へと駆け出していく。

そして日本政府の各超常機関のリエゾン・オフィサーたちは「機構」の要請する情報の提供を逐一省庁に連絡し、状況が黒白つかなければ自らの省庁へと走り、テロ事案の収束に力を尽くす。

財団、GOC、そして日本国を代表する超常機関群。これら相容れぬものたちの存在する現場は、テロへの対応という一つの任務によって、奇妙な一体感を醸成しつつあった。


20██年 01月██日 PM:20:00 首相官邸オペレーションルーム 機動部隊も-9第二連隊臨時指揮官 道策常道

あのテロの発生から、10時間が経過した。
私は、このオペレーションルームで忙しない時を過ごしていた。ここは来たことがあった、かつてこの国を襲った未曾有の震災。その対処のために、内閣官房としてここで状況に対処した。そして今、さらなる厄災がこの国の首都を覆っている。それは異常技術を手にした人間同士の争いだ。私たちの仕事はその闘争の残り火を消し、何事もなかったかのように偽装する事だった。

幸い、日本政府の超常機関は私たちに協力的だった。日本政府は超常機関再編に踏み込む事を既に決めていたが、肝心の取りまとめを行うべき細谷首相補佐官は、現在JAGPATO調停裁判所で証言にあたっており不在だった。日本政府側は彼の代役を用意できなかった。結局、“夜鷹”の後始末については、JAGPATO危機管理局長である阿形仁人が日本政府と交渉を行う事となった。その結果、日本政府側は全面的な協力を申し入れた。これにより、条約軍に紐づけられた私たちの部隊は、行動の自由を約束された。しかし、阿形局長は私たちに一つの条件をも申し出た。

「今回のようなテロが再び起きてはならない。日本政府は、その再発を防止するため、テロに関与した人間に対する積極的な対処を強く望んでいます」

彼はそのように申し述べた。機構の連絡事務局総裁である蔵部外火はそれを快諾した。
そして、財団・連合・日本政府超常機関を交えたジョイント・オペレーションが始まったのである。

まず、各省庁のテロの痕跡を消すことが喫緊の課題だった。
しかし、それについては既に必要な要素は揃っていた。

「“つぶら”が経産省と周辺の“清掃”を完了しました」

連合側のオペレーターが、現在状況を伝えた。

「了解しました、分隊を撤収させてください」

私の補佐官が、オペレーターに返答を返す。

東京という人口過密地帯を戦場にし、情報の隠蔽に長けた機動部隊も-9("都の狩人")
そして、異常なオブジェクトを関連情報も含めて完全に「消す」排撃班-尾宿あしたれ
この両者の得意分野は一致しており、この数日でこれら両部隊は一体となって動くことを可能としていた。
そのため、私と御蔵は協議を行い、一時的な混成分隊が設立されたのである。
なお、混成分隊の名は“つぶら”と命名された。

やるべき事はあまりにも多い。マスコミへの情報操作だけではなく、当日その場に居合わせた人間に対する記憶処理、記憶処理後の行動ギャップを埋める擬似記憶の注入、インターネットへの情報拡散の規制と削除、カバーストーリーの流布。実に、やるべき事はあまりにも多すぎた。特に問題だったのが、テロ現場に残された呪術的な痕跡だ。これを現場から消すことは困難を極めた。特に、今回のテロにGOCの一派閥である五行結社が関わっているとあっては、機動部隊も-9の力量を持ってしても、対応には苦慮を極めた。

そのため、現場を“清掃”する手段としてGOCが主体となり清掃作戦が実行された。呪術的痕跡の消去をGOC排撃班が担当し、財団側はその支援に当たるという事になった。混成分隊の指揮権については、御蔵に移譲する他なかった。この非常時に────いつまたモグラ狩りが動きだしかねないというこの時に、迂闊な対応だと思われるだろう。だが私は「機構」の長所とは、幾らかの柔軟な対応を行える点だと評価していた。故に、私は躊躇なく指揮権を御蔵へと渡した。混成分隊はも-9第二連隊と尾宿から戦力が抽出された。それぞれの部隊の指揮権は、私と御蔵がそれぞれ握った状態であったが、現場の対処としては官公庁への対処が優先されたため、全部隊の諸力は混成分隊を中心に、清掃作業へと注力された。その作業が、今完了した。

もっとも、“円”の任務はこれで終わりではない。最終的な目標としては、離脱者テロリストに対処するための充分な戦力を速成する事が狙いだった。東京中に張り巡らされた魔術経路レイラインを使うことにより、GOC排撃班は素早く移動することが可能だ。この利点を生かし、排撃班と財団機動部隊が緊密に協働する事で、スピーディな機動・展開能力を持つ部隊を作り上げること。これは機構に於けるテロ対策の雛形となる施策となるはずだ。御蔵はほんのわずかな時間で混成部隊を2個小隊規模まで拡大可能だと豪語している。それが可能かどうかはさておき、“円”は効率的に機能し、短時間で任務を完了した事は事実だった。

御蔵が現場の清掃を実施する間、私は欺瞞情報の流布とその散布状況を確認しつつ、財団・GOCフロント・官公庁への連携と調整に忙殺されていた。現場主義の御蔵は「事務仕事が少なくなって助かる」などと嘯く。

御蔵とは妙にウマが合った。彼は昔、陸自の一佐だったと言う。一方私の前歴は国交省官僚だ、私も御蔵も、宮仕えの経験があった。そのせいか、彼はJAGPATO案件に呼び出される事が多い。つまり、私と同じ便利屋と言う事であり、お互いこう言う時にどうするべきか、心得ていたというわけだ。

「これで現場の“掃除”は終わりだ。あんたたちの部隊、なかなかにいい仕事してたぜ」

巌のような顔と体躯のGOC排撃班隊長、御蔵みくらが私に声をかけた。
御蔵は財団の働きを賞賛しつつ、あとで存分に“参考にさせてもらう”がな────と付け加えるのも忘れなかった。

「こちらもあなた方の部隊展開と装備については参考になりました、今後の現場で“共有”させてもらいます」

私の回答に、御蔵は豪放磊落な笑い声を返した。

「くだらねえ意地を張った、やめようぜ。道策さん、あんた吸う方か?」
「ええ、ヘビースモーカーです」
「この現場に入ってから休みなしだ。役人連中もいい加減大人しくなったろ?一服したってバチは当たらねえ」
「いい提案ですね……鎌倉くん、しばらく任せていいか?」

私は、オペレーター席付近で待機していた管理官補佐の鎌倉映司かまくらえいじに声をかけた。

任されましたアイハブ、勿論です」

鎌倉は、元航空管制官と言う経歴を持つ変わり種の財団職員だった。年齢は25歳。指揮管制能力の高さから財団に雇用された。幕僚部総合企画局員の同僚であり、彼は私と共にJAGPATOに出向していた。彼は財団側のUAVの監視情報を把握し、また諸々の雑務を担当してくれている。

任せたぞユーハブコントロール何かあったら呼んでくれ」

私は、国交省航空局に聞き齧った知識で応答した。お互いの経歴は知っていたので、たまにこう言うやりとりをする。ふと、笑い声が聞こえた。御蔵の傍に控えていた連合側の女性副官が、鈴の音のような笑い声を漏らした。

「“高駒たかこま”、どうした」

御蔵は女性副官“高駒”に声をかけた。歳は30ほどに見える。ウェーブがかかった茶色の髪と、青い瞳が印象的な女性だった。肌は白く、コーカソイド系の血を引いているように見受けられた。彼女は御蔵と共に、GOC極東部門麾下、物理PHYSICS部門より派遣された。非常に理知的な女性であり、オペレーション・ルームの状況にいち早く適応していた。

「いい年齢としをした大人二人がパイロットごっこだなんて……ふふっ、すごくおかしくて」

彼女は笑い上戸なのか、口から漏れる笑いを抑えきれないようだった。彼女の風貌は、美人と言ってよく、笑い声を聞いた何人かのオペレータの口元からため息が漏れるほどだ。

「“高駒”さん、僕はあくまでも真剣なんですよ」

鎌倉が“高駒”に反論する。彼は“高駒”よりも年下であるせいか、彼女に揶揄されると余裕をなくす傾向があった。

「あら、ごめんなさい。それじゃ一緒に頑張りましょうね」

“高駒”は素直に謝罪し、笑顔で対応する。どこか、小さな子供を相手にしているような風情である。

「……仲良くしろ。じゃ、任せたぜ」
「はい、御蔵隊長。ごゆっくり」

私と御蔵は副官に指揮を任せると、オペレーションルームの片隅に併設されたガラス張りの喫煙所に足を運んだ。
それぞれが、タバコのパックから一本抜き、ジッポで火を点ける。
紫煙を薫せつつ、御蔵が口を開く。

「ひとまず後始末は終わったな。俺もあんたも、とんだ面倒事を押し付けられたもんだ」

久々のニコチンの摂取だったのか、御蔵は随分とリラックスしていた。封鎖された場所で、自身がリラックスしてみせる事で、彼は私に胸襟を開く仕草を見せた。ならば、私も遠慮する必要はなさそうだった。

「そうだな。だが、私たちの仕事はまだ終わっていない」

紫煙のカーテンの奥から、御蔵が見つめ返した。

「税務署の役人みてえな目をしやがって、なんだよ、俺は申告逃れなんざしてねえぞ」
「しているとも、私たちは一番厄介な部分に手をつけていない」
「ああ、わかってるよ。面倒がまだ残ってる」
「そうだ────五行結社ごぎょうけっしゃ

私は世界オカルト連合極東支部が抱えているオカルト組織の名を口にした。
それは、御蔵が今日一番聞きたくない文言でもあったようだ。

五行結社とは、1000年の歴史を持つと言われる日本でも有数の隠秘組織だ。
連合は108議会、108つのオカルト組織の集合体を基盤としており、五行結社はその加盟組織の一つでもある。

古くは平安時代、法師陰陽師が企図した霊的なテロを未然に防いだ勢力を母体としている。
私の知る限りに於いて、五行結社についての沿革は「そのようになっている」。
そして、それ以上の情報はなかった。財団側は、彼らの事について知らないことがあまりにも多い。
過去に財団は五行結社と幾度となく干戈を交えており、無視できぬほどの損害を被っていた。
財団にとっては、警戒すべき「敵」に他ならない。

「今回のテロには、五行結社を離脱してカオスゲリラに加わった者が複数名存在する。彼らの基本情報と足取りは未だに掴めていない。ゲリラを捕縛ないし終了しない限り、私たちの仕事は終わらない」

省庁襲撃に関与した離脱者達は、現在も逃亡中で行方が知れなかった。財団はあらゆる手を尽くして彼らを追っているが、現在も有力な情報はなかった。彼らは再びテロを起こすだろう。それは何としても防がねばならない。
その好機があるとすれば、それは条約軍を利用できるこの時期だけだ。

「処理するなら、財団と連合のリソースを集中投入できる今の時期をおいて他にない」
「同感だ。条約軍が解散する前に奴らを補足しなきゃならねえ」

現在条約軍はその任を解かれてはいない、だが、夜鷹の後処理が終われば、条約軍は解散する。
この残された時間を利用して、テロリストを狩り出さねばならなかった。しかし、機構を取り巻く状況は常に予断を許さない。そして、時間はあまり残されていない。取るべき方法は、今のところ一つしかない。
条約軍の強大な力を背景に圧力をかけつつ、五行結社と交渉する。そして、離脱者の情報を提供させるのだ。
御蔵も、この方針に概ね同意してくれているようだった。
「俺たちも連中には散々苦労させられてるからな……これで奴らを掣肘できれば言う事はない」

異常オブジェクトの徹底破壊を掲げる連合。その日本初の加盟組織となった五行結社は、連合から独立した軍事組織を持っていた。彼らは、しばしば連合の作戦から逸脱した軍事行動を取っては財団と衝突を繰り返していた。故に、五行結社は連合内部でも獅子身中の虫と言っていい。もっとも、虫というにはあまりにも巨大な大長虫ロングワームであった。

呪術・道術・魔導・占術、その他諸々の隠秘術オカルティックのエキスパート集団であり、その力は日本国内に身を横たえた危険な暴龍と言っても過言ではない。

連合は五行結社に資金と技術面に於けるペナルティを課してはいたが、彼らの行動は静止される事はなかった。恐らく、彼らのシンパは日本国内に多数存在する。“夜鷹”を後押ししていた『重臣会議』はその筆頭と言えるだろうが、彼らの金蔓はそれだけではないのだろう。つまり、彼らの潜伏先はどこででもあり得る。しかも、我々が知らない聖域を用意している可能性が高い。このまま手をこまねいているわけにはいかなかった。

連合そっちの上はどうしている?そろそろ話がまとまったはずだ」
「ああ、その件なんだがな。今、上層部に五行結社側との会談を申請している最中だ。そろそろ────」
喫煙ブース内に、無機質な着信音が響いた。御蔵は端末を手に取り、液晶画面の通話ボタンを押す。

「こちら尾宿・アルファ……ええ。今、財団の機動部隊の代表と……え?はい」
御蔵の表情に、焦りが浮かんだのを道策は見逃さなかった。

「それなら増援が必要です、追加の情報も……ええ……動けるのは我々だけ、という事ですか?」
一体誰と話をしているのか、道策には検討がついていた。恐らく、精 神PSYCHE部門の曲水ごくすいだろう。
「……了解、伝えます。断固として、排撃班-尾宿は、異常災害テロに対処する」
御蔵は通話を切った。ニコチンで若干緩んでいた御蔵の表情が、厳しい顔つきへと変わっていた。

「まずい事になった」
「聞こう」
「現在、極東支部上層部で五行結社の離脱者に対する審議が行われている。五行結社の代表は……今回の件について、離脱者の情報を公開しなかった。代表はただ一言『改めて他日』と言い残して議場から消えた」
「堂々退席したというわけか」
「いや、会議場から文字通り綺麗さっぱり消えちまった。代表の足元には、古めかしい人形ヒトカタが残されていた。奴らは人前に出る事を極端に嫌う。あそこに出席していたのは人じゃなく、奴らの式だろうな……問題はその後だ」

御蔵は上層部から伝えられた情報を淡々と述べた。現在、五行結社の離脱者に対しては連合内部で処理する方向で決議が進んでいるという。しかし、五行結社は連合内部でも謎の多い組織だった。そしてその離脱者については、連合内部でも未だ掴めておらず、現在特定を進めているという。

「つまり、連合は離脱者を機構に委ねるつもりはない、という事か」
「そういう事だ、ついでに言うなら増援も出ない」

これは、私たちの当初の目論見が破綻した事を意味する。
財団と連合、両者の強大な力を背景に交渉に臨むことは、不可能になってしまった。
連合が人員を出せない以上“、つぶら”を基盤として混成部隊を速成する構想も、これで終わりだ。

「だが、君達ですら知らない離脱者の情報をどうやって特定する?」
「俺たちは、隠秘的手法オカルティズムではあんたらを凌駕している。ウィジャ・カバラ・奇跡論的推命法サマトロジックフェイトメソッドなんでもござれだ。連合のパラテクを駆使すれば、容疑者のプロファイルと現在位置の特定も未来位置の予測も簡単にできる」

「しかし、相手は五行結社だ。君達の使う手段が隠秘術なら、向こうもそれを使って妨害するのは容易いはずだ」
「嫌なことを云やがる、だがその通りだ。正直言ってかなりまずい。奴らが安全な“聖域”に逃げる時間を作ってやるようなもんだ」

御蔵は灰皿にタバコを押し付けると、もう一本抜いて火を点ける。典型的なチェーン・スモーカーの動作だった。どうやらこの男も、私と同じ悪癖を抱えているらしい。だが、御蔵の表情はさらなるニコチンとタールの摂取を経ても、なお険しいままだった。官邸側の要望は、テロリストの捕殺だ。それを果たせなければ、財団と連合の信用は低下するだろう。しかもそれが、財団と連合の意思の不一致が原因ともなれば、日本政府側から機構に対する不満が吹き出す事は避けられない。

「五行結社側はこの効果を狙って議場を退席したのか」
「多分な。それに、結社の目的は離脱者のやろうとしている事とあまり変わらん」

私は御蔵に頷く。五行結社本体と離脱者との利害は一致している、という事だ。
そもそも五行結社は、日本国内の怪異や異能に対する徹底的な排撃を目的としている。怪異を時に「保護」する財団を、彼らは敵視している。機構もその例外ではないだろう。実際のところ五行結社は離脱者に対して何の処置も取らず、離脱者を逆用して政治的に有利な局面を作り出し、条約軍を麻痺させる事に成功した。

「だが、問題はこれから後の事だ」

機構へのネガティブなイメージが醸成されれば『重臣会議』の再来を望む者が現れてもおかしくはない。解体した夜鷹が復活する可能性もあった。多くの血によって得られた超常組織間の安定、それが再び崩れる。

そして、テロが起これば────財団・連合、そして機構そのものの信用は失墜するだろう。

「このままじゃ、俺もあんたも詰め腹を切らされる事はまあ、間違いねえな」
「別にそれくらいどうと言う事はない、だがこれ以上無駄な死人を出したくない」
「俺だってそうだよ。連合側もかなりの死人が出てる、これ以上葬儀屋を煩わせたくねえ」

だが、一つだけ突破口はあると御蔵は言う。

「五行結社との会談だけは、どうにかできそうだ。これだけは曲水が保証してくれた」

ならば、そこで情報提供を打診するしかないようだった。

「彼らが首を縦に振るとは思えないが……やるしかないな」

私は頭の中で、取りうる限りの最高の策を巡らせ始めた。今この状況でもっとも必要なリソース群を、頭の中で呼び出し、整理する。その思考を巡らしつつ、この奇妙な状況に対する疑問を口にした。

「しかし、なぜ連合は条約軍のアドバンテージをわざわざ捨てる?どうしてそんな無駄な事を?」
「んな事より、俺たちにお鉢が回って来た事をもっと考えるべきだと思うぜ」
連合そちらがダメでも財団われわれのリソースがある、今連絡を取る」

五行結社と相対するならば、呪術的な援護は必要不可欠だ。確かに財団は、隠秘術では連合に遅れをとってはいる。だが、呪術や魔導の専門家なら財団にもいるのだ。蒐集院しゅうしゅういん────古来から異常オブジェクトの回収及び調伏に従事してきた者たち。彼らは、1945年の大日本帝国降伏後に、財団に吸収された。紆余曲折あったが、私たちの味方だ。今や、彼らの力を借りる時が来た。私は蒐集院残党に顔の効く一人のエージェントを想起した。エージェント・カナヘビ。

彼こそ、会談の成否を握る妖術者ジュー・ジュー・マンだ。私は彼の所属する西日本統括サイトへと連絡を取るべく、スマートフォンをポケットから取り出そうとした。

「ああそうか、あんた知らないんだったな」

御蔵が妙な事を言い出した、両腕を組んでこちらを眺めている。その視線には、哀れみのようなものを感じた。

「条約軍としては、現在事態の収拾に当たっている部隊に全てを委ねるほかないそうだ」

私は耳を疑った。いち指揮官でしかない御蔵が、条約軍の動向について語っている。
条約軍の決定は私たちの頭の上で決まると言うのに。いや、これは────嫌な予感が頭の中で広がった。

「私は何も聞いていない」
「曲水はマクリーンと既に会談を済ませた後だよ。詳細をあんたに伝えるように、と言われたぜ」

磐石だった足元の地盤が、突然粘土に変わったかのような感覚。迂闊だった。任務に邁進していたとはいえ、私はこの複雑怪奇な「機構」なる場所を過信していたらしい。思えば、この組織は3つの超常コミュニティがしのぎを削る闘技場だ。私たちは今、その闘技場に引き摺り出された剣闘士に等しかった。そして戦うべき相手は、怪物。

ポケットのスマートフォンが鳴る、私はポケットからスマートフォンを取り出して画面を確認する。
秘匿回線、相手はマクリーンだろう。私は通話に出た。

「道策です。排撃班の隊長から話を聞きました、どういう事か説明してください」
「忠誠心の話をしよう、道策常道管理官。君は忠実だろう?そのはずだ」

その声を聞いて、私はマクリーンの意図を察した。この男は、まだモグラ狩りを続けるつもりらしい。
今回の後始末に乗じて動き出す何者かがいる。その動きを監視し、捕らえる。
マクリーンはそのために、あえて現場の人間を孤立させる考えなのだ。
納得がいくわけがない。私や御蔵だけならともかく、テロの収拾に動いている人間は100人をくだらない。
その全員が組織の正常化の名の下に犠牲になるかもしれないのだ。全力で抵抗しなければ。

「私は職務によって忠誠心を示しています、テストをするおつもりなら別の機会にして頂きたい」
「結構だ、君は忠実なのだろう。それゆえに、君は今回の任務に選ばれた。君なら裏切らない」
「つまり、今現場にいる人間以外に関与させるつもりはないというわけですか?」
「その通りだ」
「しかし、情報がありません。財団側の装備も不十分です、このままでは無為に戦力を磨耗する事にも」
「もちろん、無為に戦力を浪費する事は許されない。だが安心したまえ、それは連合側に任せればいい」
それはつまり、手を握った相手を盾に使え、という事に他ならない。

「納得できません、ご再考ください。せめて増援だけでも、それがなければ我々は────」
「君の働きには大いに期待している、ではごきげんよう」

冷ややかな声音とともに、通話が切れた。私は三本目のタバコをパックから抜き、点ける。
御蔵は何故か微笑を浮かべて私を見ていた。

「まことにおめでとう!そして同情するぜ、友よ。これが機構だ。ようこそ、歓迎するぜ」

御蔵は、やけに嬉しそうに言った。これで、道連れができたと言うわけだ。
私は嬉しい気分にはなれず、タバコの煙を深々と吸い込みつつゆっくりと吐き出した。

「しっかりしろよ、よそんちの戦力をアテにするほど財団ってのは零細組織なのか?」
「相手が違いすぎる。条約軍に頼れないなら、蒐集院残党の力も借りる事はできない」
「貧乏くせえ。お前ら、まだそんなモノをアテにしてたのかよ」
「他に何を頼れと言うんだ?ついでに言えば、蒐集院残党の何割かは五行結社に吸収されているがね」
「ああ、知ってる。要するに、財団も全然アテにはならんという事だな」
「嫌な事を言うやつだな、君は」

おう、ようやくさっきのお返しができたぜ。と御蔵は言った。そんな事を言っている場合か。

「連合は、なぜJAGPATOマターの範囲内で解決しようとしない?」
「道策さん、確かに俺たちは“夜鷹”の件で手を結んだ。だが極東支部はな、次の標的は五行結社だと考えてる」

私は今日二本目のタバコに火を点けつつ、御蔵の言葉を頭の中で反芻する。どうやら、新しい戦いは既に始まっているようだ。“夜鷹”の次は五行結社、なるほど。彼らがそう考えるのもおかしくはない。

「連合は、財団が五行結社の解体をも狙っていると考えているのか」
「今のところ連合の意思決定は為されていないが……そう考えている奴らは多いって事だ」
「馬鹿な……確かに彼らは危険だが、財団は彼らの根絶までは考えていない」
「この前、大海戦 をやらかした割には慎重なんだな」
「あの戦いは勝利とは言い難い、ほんの偶然で敗北を免れたに過ぎない」

あの戦いの様子を連合側は察知していたようだ。確かに、あれほどの大きな動きなら知っていた当然だろう。

「しかし、あれは局地戦だ。彼らを本気で相手にするなら、財団と連合が総力を上げる必要がある」
「だろうな、日本中の宗教施設と妖術者タイプブルーを集めた、大調伏戦になるだろう」
「そうだ、だからこそ財団は彼らの根絶に踏み切れていない。全く現実味のない話だ」

しかし、連合内部にその可能性を叫ぶ人間がいるという事は事実だった。

「連合は何を恐れているんだ?」
「決まってるだろ、戦争だよ」

五行結社は108議会加盟組織の一つだ。108議会の歴史は、今から70年前に遡る。
第七次オカルト大戦。かの戦いの凄惨さは、同時期に行われた第二次世界大戦を凌ぐほどだったと言う。
連合は、その戦いが終わったのちに結盟された。目的は、人類を超常存在から守る為。
そしてもう一つは……オカルト大戦もう二度と繰り返さない為だ。

「財団が奴らを突けば結社は108議会を抜ける、結社が独自に行動を開始すれば……第八次オカルト大戦が始まる」
「想像したくもないが、その可能性は大いに考えられるな」
「そうだろうよ。だから、上も奴らに対しちゃ慎重にならざるを得ないんだ」
「私も戦争は望まない、だがけじめはつけてもらう必要がある」

御蔵は頷く、だが私の頭の中にはまだ違和感があった。

「待て、もう一つあるだろう」
「おお、調子が出てきたかセンセイ。聞いてやるよ」
モグラ狩りモールハントだ。曲水も連合内でそれをやっているな?」
「ビンゴ、さすがに勘が鋭いな。曲水も組織の正常化を望んでる……現場こっちはいい迷惑だがな」

どうやら、そちら側の“家庭の事情”も似たようなものらしい。財団も連合も自ら混乱を招いているように見えたが、私たちの頭の上で、曲水とマクリーンは手を結んでいるのだ。おそらく、戦争発生の恐怖喚起を行っているのも曲水だろう。彼はその裏で、粛々ともぐらを狩り出しているに違いない。私はため息を紫煙と共に吐き出した。しかしこれで、ようやく状況がクリアになった。あとは行動あるのみだ。

「会合地点は?」
「横浜ベイブリッジの中心部、なんであんな場所に陣取るんだか理解できねえがな……」
「了解した、念のため後詰の戦力をも-9から抽出しておく」
「そいつらは極力戦闘に参加させるなよ、妖術者に対処できるだけの機動力がねえ」
「勿論わかっている、私たちに残された時間は?」
「極東支部が議決案をまとめるまで、おおよそ24時間ほど猶予がある。俺たちはそれまでに、五行結社の懐に飛び込まなきゃならない」
「覚悟はできている、行こうか」

私は御蔵に、行動を促した。だが御蔵は、胸ポケットから片眼鏡とゴーグルを掛け合わせたかのような装置を右目に嵌め込んで、私を見た。おそらく、超小型化されたVERITASだろう、今更そんなものをどうするつもりだ。

「ちょっと待て。道策さん、あんた……初詣は済ませたか?」
「……は?」

何を言っているのだ、この男は。初詣?この非常時に?だが、御蔵の目は真剣そのものだった。
まるで新兵に、予備の弾薬は持ったか、防弾ベストは着用したかと尋ねているかのようだ。

「俺はマジで言ってるんだぜ、道策さんよ。もう一度聞くぜ、初詣は済ませたか?」
「私の本職はサイト管理者だ、そんな暇はなかった」

はあ、と言うあからさまなため息が聞こえた。

「おい、マジで言ってんのか?サイトの中に神社くらいあんだろ?」
「サイトによっては神祇的な性質を持つものもあるが……私のサイトにそんなものはない」
「いいか?ド素人、教えてやる。術者に頼れないのであれば、それ以外の防護手段が要るんだよ」

例えばそれは、自らの生活圏内に存在する「氏神」の加護なのだ、と御蔵は力説した。
一般的な神社にはアノマリー的性質などない。だが、新年に神社に行き、加護を祈ると言うその行為は純粋な意味での呪術的行為に違いない。その無意識の行為が、被術者に対する大きな対呪的防護効果を付与するのだと言う。
御蔵がVERITASで私をスキャンしたのは、その防護効果を確認するためのものだったらしい。

「土着神の神的加護もナシとかありえねえだろ?これから誰を相手にすると思ってんだ?丸裸で拳銃を持った相手と戦うようなもんだ。これだから財団の連中はダメなんだ、平気で呪術を蔑ろにしやがる」
「何しろ急な話だったからな、しかも状況が状況だ。だが、対呪術装備ならそちらが持っている筈だ」

私はほぼ当てずっぽうで、それを口にした。連合の排撃班は対異常存在の破壊のため、様々な装備を持っている。それは時に、ハリウッド映画を超えるような代物も数多い。特徴的なのは、彼らの持つ対異常防護装備だ。
例えば、御蔵が着ているのは陸上自衛隊の制服に見える。しかし実際は、制服に偽装されたマークⅦ 標準実地礼装Standard Field Dressであり、防弾効果など様々な超現代技術が付与されている。

現在これらの技術はGen+2まで開発されていると言う情報がある。そして、彼らはこれに加えAlt 邪径技術Tangentialと呼ばれる技術をも開発していると言われている。それは信仰・魔導を設計思想に組み込んだパラテクの粋であり、異常存在に対する有効な切り札と言えるものだった。彼らはおそらく、その「スーツ」を1着か2着は所持している筈だった。

「貸せって?バカ言え、足手まといに着せるほど、装備は潤沢じゃねえ」
「つまり、行くのは君だけか」
「ああそうだ、俺が行ってやる。あんたはここで俺からの連絡を待て」
「こちらの動きが読まれていた場合はどうするつもりだ?君が帰って来なかった場合は?」

マクリーンの考えに完全に同調するつもりはなかったが、いつどこにモグラが紛れ込んでいるかもわからない。それは事実だった。情報が漏洩する危険性は常にある。会談に向かった御蔵が狙われる可能性は非常に高い。

「まだ巻き込める相手がいるだろ?そいつらとナシをつけるしかねえ」

日本政府の超常コミュニティの事を、御蔵は言っていた。テロによって、各省庁のコミュニティはそれぞれ打撃を受けていた。本来なら頼れる相手ではない、だが他に方法もなかった。私は私で、やるべき事はまだあると言う事だった。

「俺もあんたも元公務員、だが霞が関に顔が効くのはあんたのほうだろ?頼んだぜ」
「分かった、混成分隊はどうする?」
「悪いがまだ使わせてもらう、あんたらは残った奴らの面倒を見てもらうぜ」
「それも承知した、だが……分が悪すぎるな」
「俺は一人でやるつもりはねえ。言ってる意味はわかるよな?」
「ああ、もちろんだ」

御蔵は「決まりだな」と言うと、その巨躯を揺らしながら喫煙所を出て言った。喫煙所のガラス向こうには、すでに帰還した混成分隊の隊員たちが整列している。私は喫煙所を出る、オペレーション・ルームの喧騒が再び鼓膜を打つ。御蔵は早くも、混成分隊に指示を飛ばしている。私は周囲を見渡す。そこには、数人の内閣超常コミュニティの連絡要員リエゾンオフィサーたちが、“高駒”を取り囲んでいた。

「────ええ、道策は現在休憩を取っておりますので、お待ちいただければ」

“高駒”は笑みを浮かべつつ、彼らに応対しているのが見えた。彼女は振り返り、私に視線を投げる。
鎌倉はと言うと、オペレーター席を巡回しつつ状況の確認に余念がない。恐らく、“高駒”は鎌倉では応対は無理だと判断し、自らその役を買って出たのだろう。

私は“高駒”と、連絡要員たちに歩み寄った。

「管理官、皆様長らくお待ちでしたよ」
「ご苦労だった。対応する、引き続き状況の監視を頼む」
了解ウィルコ

“高駒”は、笑顔を浮かべつつ航空管制用語を口にする。
視界の片隅で、鎌倉が嫌そうな表情をするのが見えた。

彼らは私に詰め寄ってきた。ふと御蔵の方を見たが、すでに彼は混成分隊とともに駆け出していくところだった。本当に抜け目のない男だ、全ての面倒をこちらに押し付けて姿を消すとは。

最初に口火を切ったのは、警視庁公安部特事課の敷島巧しきしまたくみ理事官だった。
警察庁特事調査部からの命令で、彼は現場を離れて機構への特使として動いている。

「道策さん、今事務局から通達がありました。条約軍の行動を停止するそうですね?説明を願います」

寝耳に水だった。情報は既に機構を通じて各省庁に伝達されている。これを行ったのは蔵部だろう。
彼は新たなカードを配った。機構とはプレイヤーではなくディーラー。ゲームに参加する全てのものに、状況を開示する義務がある。だがこれには、機構が果たすべき義務以上の何かを感じる。

私は敷島の顔を見た。彼の表情には、財団に対するあからさまな不信感が浮かんでいた。首都の治安を守る警視庁、その特事案件を預かる部局の長であればこそ、今の状況は納得できるわけがないだろう。

「ご安心ください。既に我々が成すべき作業はほぼ完了しています、あなた方はまず組織の再編に力を────」
「冗談じゃない、ウチの若いのが死んだんですよ?あなた達はテロリストを狩り出す責務がある」

敷島はかなりの気骨のある男だ、部下が死んだとあれば独自に行動を起こす可能性があった。また、彼には時局を読む老獪さも備えている。超常コミュニティ再編までの空白期間、自身の組織の有用性を示すのであれば、財団に噛み付く事も厭わない。今の私にとって、非常に厄介な相手と言えた。

「その件については、我々にも責任があります。我々は今、その責任を果たすべく動いています」

「お待ちください、条約軍が停止した理由は何なのですか?それをご説明願いたい」
もう一人がさらに口火を切った、公安調査庁の特異案件対策室の宮部武揚みやべたけあき上席調査官だ。

「夜鷹の部隊員を拘束したのは、我々にとって苦渋の決断でした。ですが、現今の状況は国難であるという事を私も理解しています。ならば、財団は私たちにも誠意を見せていただく必要があります」

宮部は職務への忠誠心に溢れた男だった、省庁再編から設立された特異案件対策室を見事にまとめ、また夜鷹への対処にも尽力してくれた。しかし、彼は今回のテロの原因は財団と連合のパワーゲームの一環でしかないと考えている事が、その言動から窺い知れた。

「よろしいですか?ウチからも一言申し上げたい。今回のテロによって使用された異常技術ですが、これについての諸元について情報を共有して頂きたい。無論、条約軍についてもご説明を」

経済産業省 大臣官房 非主流技術調査室から派遣されてきた、駈戸晋平はせどしんぺい調整官。
彼は今回使用された五行結社の転移技術を、どうにか持ち帰りたいようだった。テロの発生を奇貨とし、彼らは超常技術の情報を省庁に持ち帰る考えのようだった。人死にが出たというのに、否、だからこそ彼はなんらかの成果を機構から持ち帰ろうと考えているのだ。

事案発生時には、彼らは協力的な態度で接してくれていた。だが、条約軍の動きが止まった事により、その協力姿勢にも限界が訪れようとしている。まずい────テロ事案に対応するという一つの目的で動き出した機構に、早くも綻びが生じ始めている。

条約軍が問題なく動きさえすれば、テロ事案の解決を先例として機構の協力関係を緊密にすることもできたというのに、これでは逆効果もいいところだ。どうやら、私の垣間見た夢ももう醒める頃合いだ。そして、機構は同床異夢の雑多な寄り合い所帯に戻るだろう。無念だった。彼らを宥める、なんらかの言葉を用意しなければ。

もはや、ここは戦場だった。ここに御蔵がいれば、連合側の内情を開示させる事によって説明責任が果たせたかもしれないなどと考えたが、既に後の祭りだった。かくなる上は、連合の内情をこちらから開示するか?いや、これを行えば連合側に矛先が向いてしまう。かと言って、財団側の不利になる状況を作れば、これもまたテロリストの掃討作戦に悪影響を及ぼすだろう。ここは一つ、臨時の指揮官で在る私が、なんらかの責任を負う動きを見せねばならない。私は、慎重に口を開こうとした。

「皆さん、落ち着いてください」

その時、もう一人のリエゾンが歩み寄って来た。彼は私と同じく40前後、黒髪を短く刈り込んだ、一見野暮な、だがいかにも官僚風という男だった。羽織っている制服から見て、国土交通省 緊急災害対策派遣隊 特事班EXTRA TEC-FORCEの人間だ。国交省の混乱は収束するまでに時間がかかっていた、ようやくリエゾンを出す余裕ができたのだろう。

「確かに、条約軍の停止は理不尽な措置だと私も思います。ですが、今そんな事をしている場合ですか?」
彼は、私に食ってかかろうとする他のリエゾン達を制止する構えを見せていた。

「国交省さん、あんたらのところだってこっぴどくやられただろう?黙るわけには行かない」
「ウチも同意見です、説明責任を果たして貰うだけです。我々は財団の丁稚ではない」
敷島と宮部が同調する、この不慣れな闖入者の意見をひとまず封殺する考えのようだった。

「私も同意です。そういえば道策さん、あなたは元国交省でしたよね?そういう事はちょっと……」
駈戸が抜け目なく指摘した。確かに私は、元は国交省の官僚だ。彼の指摘は稚拙なように思われるが、政治的判断というものは時に感情的なものが入る場合もある。この責任の所在が現場責任者にしか求められないこの今の状況に於いて、これは私にとってのアキレス腱だった。だが、国交省のリエゾンは動じずに答えた。

「みなさん、私たちは官僚です。そして彼は今、財団を代表して現場に出ている。彼の元の職業が何であれ、今は我々とは目的を異にする人間です。そして私たちは国益のため、財団と協調路線を取っている。なのに、あなた方は財団を非難している。それはあなた方の省庁の意向なのですか?もしそうであれば、これは政府の見解と大きく違背する事になります。その責任を取る覚悟はおありなのですか?財団側の施策を聞き、省庁に持ち帰るべきでは?」

敷島、宮部、馳戸、この三者は国交省の男を静かに見つめた。どうやらこの男は、単なる闖入者ではないらしい。
それを認識した三者は、気勢を挫かれた様子だった。

「わかりました。非常時だったもので、冷静さを欠いてしまいました。申し訳ありません」

敷島は即座に矛を納め、私に小さく頭を下げた。彼の考えは分かっていた、敷島は、感情に流されて無駄な行動を取る男ではない。今回の非難については省庁側の総意ではない。むしろこれは、各省庁のトップの個人的な意向だろう。これは、宮部も馳戸も同じような事情を抱えているのだと思われた。嚙みつけないならば、せめて吠え掛かりでもする他ない。こうすれば、少なくともけじめをつけられる、つまり面子の問題でしかなかった。

他のリエゾンが見ている前でそれを行えば、自身の手駒を通じて省庁トップの不満は伝えられる。つまりは演出家から示されたポーズを取ったにすぎない。無論、敷島は今回の件について怒りを抱いている事は確かだろう。本来ならばひとしきり私を絞り上げてから、改めて財団側の出方を見るつもりだったのだろうが、その部分だけは出端を挫かれる形になったようだ。

「皆さん、このような事になり大変遺憾に思っております。我々財団は……」

私は彼らに、条約軍が置かれている状況を述べた。まず、連合側で意見の不一致があり審議中であるという事、また、財団側もスリーパーへの対処のため、現場に出ている戦力のみで事に当たらねばならないという事、その結果条約軍が停止したという事。五行結社を巡る連合側の動議については何も伝えなかった、この情報はあまりにも恐慌の要素パニックファクターが強すぎるからだ。

そののちに今後の方針を伝えた。

「まず我々は、現有の戦力でテロリストに対処します。そして、その方策は既に立っています」

私は空手形を持って賭けに出た。しかし、ここは“大きく張る”ほかない。

「そして連合側の齟齬が解消されれば、財団側もそれを見計らってゴーサインを出し、条約軍は再始動します」

これも空手形だ。手札はブタ同然、賭けるチップは虚偽。

「テロリストの捕殺については、私が責任を取ります。もちろん、これには連合側の御蔵指揮官も同意済です」

きっと御蔵も同意してくれるだろう。同意してくれなくても、事後承諾の形で必ず同意して貰うが。

そして、最後に一つ付け加える事も忘れなかった。

「我々は今回のテロに対して、確実に対処します。ですが、万が一の事態についても我々は想定してします。もし可能であれば……引き続き内閣超常コミュニティの皆さんのご助力を願いたく考えていますが、いかがでしょうか?」

これに対し、敷島は即座に口を開いた。
「わかりました、その意向についてはまず省庁に持ち帰らせていただきます。ですが、我々警視庁特事課のインフラはまだ生きています。東京都内管轄下の警察機構を動員する事は十二分に可能でしょう」

「敷島さん、ご協力ありがとうございます。」
「ですが、可能であればマル被被疑者は我々でヒットする。ご了承ください」

敷島の目が、私を強く睨みつけた。私はその視線を真っ向から受け止めた。

「わかりました、今度の敵は我々の身内でないのであれば、大臣も快く引き受けてくれるでしょう」
「私も、今回の案件は持ち帰らせていただきます」

宮部も馳戸も、同じように頷いた。

「私も同意です、テロへの対処に尽力させて頂きます」

国交省の男も同様に頷いた。

そして、敷島、宮部、馳戸はオペレーションルームを後にした。
残ったのは、国交省の男だけだった。

「ひとまず終わったよ、道策。見ていてヒヤヒヤした」

私は彼の顔を再び見た、その顔は、私の知っている顔だった。

「野辺か」
「ああ、久しぶり。さすがに記憶力がいいな、僕の顔を覚えていてくれたか」
「バカな事を。一度会ったら忘れない顔だぞ、君は」

野辺征伍のべせいご。私の古巣である国交省では同期の男であり、その付き合いは省庁再編前の建設省道路局入局以来からの付き合いだった。私は多くの部局を転々としていたが、それでも彼との交友は長く続いた。だがそれも、私が財団にリクルートされて以来、途絶えていた。

「君が何故ここに?どうして、君は特事畑に飛ばされたとは聞いていないぞ」
「官僚ってのは、望むと望まざるに関わらず様々な部署を経験するものさ。お前もそうだろ?」

野辺はかつてのように、笑いながら言った。私は、突然の同期の登場に若干混乱していた。よりにもよって、彼が特事案件に回されるなどとは考えていなかったからだ。

「君にこんな仕事を任せるとは…上もヤキが回ったか」

野辺は、入局当時から優秀な男だった。同期の期待を一身に受けていた。野辺を大臣に────そんな言葉が、同期の人間たちの間で交わされていた程に。彼は「表」の世界で一身に光を浴びるべき存在の筈だった。だが彼は今、世界の裏側にいる。それが、とても奇妙に思えた。

「ヤキが回ったのはお前の方だよ、国交省こっちでやるべき仕事はいくらでもあっただろうに」
野辺は、財団に渡った私を惜しむような事を言った。だがそれも、今となってはどうしようもない事ではあるが。

「ウチからも話がある、そっちとしても悪い話じゃない。どうだ?」
「わかった、聞こう」

私はオペレーションルームのモニターを見つつ、野辺に答える。
彼が持ち出してくるものが何であれ、今は財団側の人間として処理するのみだ。
「今回のテロ事案、うちのTECを使ってくれていい」
「それは有難いが……TECはテロに対応できるのか?」

国交省TECは、災害発生時の特事案件に対処するための部局だ。
大規模な地震や洪水などの災害に乗じて、この国のどこかに安置された異常オブジェクトが目を覚ます。その時が彼らの出番だった。しかし、彼らの活動は特事課に比して目立たないものが多い。そのため、TECがどこまで異常存在に対抗し得るのかという事は未知数だった。

「可能だ、ウチには抗アノマリー装備がある。まだ試作段階でテロには間に合わなかったが」
「初耳だな、一体そんなものをどこから……」
「国家機密だ」

野辺は事も無げに言う。

「全く……これからが大変だよ。ウチの大臣は、これから超常コミュニティの存在する施設は優先的に防護措置を取るべきだって言っててね。もう施工計画が立ち上がってる。これが済んだら、そっちにも顔を出さなきゃ」

今回のテロは、官庁側の魔術的防護の手薄さが狙われた。国交省はいち早くそれに対応する考えのようだ。さすがは建築を一手に担う官庁というだけあって、スピーディな決断だった。

「随分忙しいんだな、取りまとめも大変だろう」
「ああ、本当にそうなんだよ。特事ってのは何でもかんでも機密事項だからさ」

野辺は、大変だと言いつつも楽しそうに言う。この男は万事そうだった。どのような面倒な案件であっても、進んで働き、その事を楽しんでいる。そのくせ、状況のチェックを怠らない。

「官僚は国民の税金で動いてる。だから特事案件なんてわけのわからない物に、国事を左右されちゃたまらない。早く状況を正常化して、国民のためになる施策に力を注がなくちゃ。そのためなら何でもするよ」

「────官僚は国民の忠実な従僕たるべし、か。君の口癖だったな」

このモットーを、彼は貫いていた。そして今もそうなのだろう。元の職場でろくに出世できなかった私としては、彼の存在は今でも眩しく思えた。彼こそ、まさに理想的な官僚と言えた。昔、共に働いていた時の情景が脳裏に浮かび、私はそれを急いで打ち消す。

「そんな事も覚えてたのか」
「人一倍物覚えがいいのが、私の唯一の取り柄だからな」

私はそこでようやく、野辺に対して笑みを返した。

「じゃあアレも忘れてないよな、僕らが温めてた計画。アレ、実現するかもしれない」
「────何?アレは、結局リジェクトされて終わったはずだ」
「忘れたわけじゃないみたいだな。大臣は乗り気だよ、現今の情勢なら来年の予算案に組み込めるかもってさ」
ああ、今のはオフレコで頼むよ。と野辺は言っていた。

過去の記憶、その膨大な映像が私を取り巻いた。かつて私と野辺が、国交省政策研究所に派遣された事がある。
平成17年に成立した「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」通称「国民保護法」の成立がそのきっかけだった。概要としては、敵性戦力の着上陸などを含む武力攻撃事態が発生した場合、上は首相官邸から、下は小さな村役場まで、武力攻撃事態に備えるための発令・動員体制を法律上整えるためのものだ。

しかし、それに対応するための具体的な方策については白紙も同然であり、それらのインフラ構築の一環として、私と野辺はスタッフの一員として派遣された。政策研究所では、国民保護法の施行とその実際に於いて、どのような事態が生起し得るか、それに対する適切な措置・施策とは何かについての基礎研究が行われており、オブザーバーに防衛庁と警察庁も出向していた。そこで問題となったのは、武力攻撃事態発生時に於ける適切な交通整理の方法だった。

我が国は山谷に渡って長大な道路網を敷設しており、状況によって容易に渋滞が発生し得る。こう言った状況下で武力攻撃事態が発生した場合、国内の交通状況は多大な混乱を招くことは明白だった。例えば、高速道路に於けるジャンクションが爆撃など破壊されれば、それだけで甚大な交通麻痺が発生する事は明白だ。また、交通状況が混乱すれば、武力攻撃に対処すべき陸上戦力の移動もまた困難となる。我が国は攻めるに易く、守るに難しい。

そのような地勢を持つ我が国に於いて、非戦闘地帯に国民を誘導しつつ、交戦地域に戦力を投射し、物資を送り届けるためにどのようなインフラを構築する必要があるか?と言う事が、国交省側に課せられた課題だった。

そして、私と野辺は一つの提言を行った。平成17年の時点で、自動料金授受システムやカー・ナビゲーションシステムは一般に普及しており、なお交通渋滞回避システム対応車も普及し始めていた。今後も道路交通の情報化を国交省は推進していく。ならば、攻撃事態に対処可能な広域交通情報管制システムを作り、有事の際には車両のカーナビ及びパソコン・携帯電話などの情報端末に情報を送信できるようにすれば、攻撃事態の際にもスムーズな避難・救助・攻勢が可能ではないかと。この提言は研究所内でも一考の価値ありとされた。

しかしながら、当時の政治的状況は混沌を極めていた。時の首相の目指す方針は、とある省庁の民営化だった。私たちの提言がもし政策として実現するとなれば、複数の省庁を跨いだ政策となり得ただろう。しかし、結局のところ内閣の目指す方針と、私たちの考えは全く別だった。本省の要請にしても、何か小規模でもいいからなんらかのモデルケースが欲しいと言うだけであり、ここまで大掛かりなものは要求していなかったのだ。

そして私と野辺は本省に呼び戻され、上席から軽い叱責を受けた。そして、私たちの提言は廃案の書類の山の中に消えていった。そのはずだった。しかし、野辺はそれを復活させるつもりでいるらしかった。

「信じられない、本当にそのつもりなのか?」
「大臣が乗り気なんだ、あとは首相を説得できるかどうかだな。なあ道策、古巣に戻る気はないか?」
「私が?国交省にか?」

予想だにしない言葉に、私はほんの少したじろいだ。かつての計画、この国のための政策。再び官僚として古巣へと帰り、今一度国民のために仕事をする。それは、私のかつての理想だった。

だが──────

「すまないが、それはできない。私はもう、知りすぎている。様々なことを」
「そうか、そう言うと思ったよ。でも残念だな、また一緒にやれると思ってたんだが」

まあ仕方ないか、と野辺は少し寂しそうに笑った。私は曖昧な笑みで、それに応えた。

「とりあえず、条約軍が落ち着くまでウチのスタッフも官邸ここに待機させておくから。何かあったら連絡してくれよ」

「わかった、感謝する」
「こいつは国交省から財団への貸しにしとくぜ、忘れたなんて言うなよ。じゃ、ちょっと上に用があるから」

そう言うと、野辺はセンターの出口へと足早に駆け出して行った。


野辺が去ってから、30分あまりが経過した。
私はセンター内のモニタに視線を遣る。そろそろ、御蔵が会合場所に到着する頃合いだ。
大型モニタには、御蔵たちが搭乗する車両の現在位置がリアルタイムに表示されている。
彼らが向かったのは、神奈川と東京を結ぶ横浜ベイブリッジ。その中心点が、会合場所だった。

五行結社の連中が何を考えているのかはわからない。だが、下手に山奥を指定されるよりはマシだった。異常技術による攻撃事態に備えて、財団の監視ドローンと、連合の攻撃ドローンが会合地点を遊弋している。そして、私はいざと言う時のため、二の矢を用意している。無論、これに頼らざるを得ないような

しかしその刹那、モニターが赤く発光した。センター内のオペレーターの一人が叫んだ。

「作戦領域内でEVEが上昇しています!」

そして、御蔵たちの車両を示す輝点フリップが、モニターから消失した。


 

 

 

 
 

 
 

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