彼と彼女の事情
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目が覚めると、やけに天井が高い部屋に寝かされていた。
アルコール度数の高い酒をやたらと飲み比べた後のようなひどい頭痛と胸焼けに呻きながら首を回していたが、どうも時計が見当たらない。
今日はオブジェクトのクロステストだ。二日酔いのまま顔を出したら酷い事になる、と考えたが、そもそもそんな重大な実験の前夜にしこたま酒を飲むようなへまをした事は無かったはずだ。
焦燥感で少しずつ意識が目覚め始めてきたところで、目の奥の深い部分に強烈な痛みを感じて思わず手で押さえつけた。しかし、肩から指先にいたるまでの筋肉の動き方がおかしい。目頭を押さえつけたときの感触、自分の肌の手触りや弾力性が慣れ親しんだ硬さではない。視界に入った自分の手は明らかに"小さすぎる"。そして奇妙なほどに高く、まるで女児のような自分の声。
見覚えの無い部屋と相まって、何が起きているのかが分からなくなる。混乱したまま体を起こそうとしたとき、ようやく頭のスイッチが入ったのか、意識を失う直前の記憶が動画を逆再生するように蘇ってきた。

瓦礫の下敷きになる職員。
倒壊する建物。
"何か"に腹を貫かれて内臓を出鱈目にかき混ぜられる不快感。
悲鳴。叫び声。断末魔。
"何か"に首を刎ねられるDクラス職員。
綿密な予測から厳密に定められた順番をひとつ飛ばして投与されたシリンダー。
記録装置に向けて喋る自分の声。
「音声記録開始。本日は20██年4月10日。SCP-███及びSCP-███-JPのクロステストを開始します。査察及び記録は私、冴場が担当――」

直後、絶叫を上げながら再び意識を失った。

/ * /

「ふーんふふーんふーんふーん、ふーんふふーんふーんふーんふーん」
「何かご機嫌ですね、さえば博士」
サイト-8181の医務室には、さえば博士と彼女の"事情"を知る数人のメンバーが集まっていた。
表面的には「財団業務によるストレスの診断とカウンセリング」という名目が宛がわれていたが、実際には数か月前に発生したインシデントとその後遺症に関する情報共有のためであった。
さえば博士と数名の医療部門スタッフの他に、彼女の介助員(または監視役)として雨森秘書官、インシデントリスク判断のために招集された三国技師、それほど広くない部屋の中で一つの机を囲んでいた。
一番の当事者であるさえば博士は鼻歌を歌いながら小さなノートに何かを書いているが、そろそろミーティングを始めたい雨森は眉をぴくぴくと痙攣させている。
「冴場博士、そろそろ時間なのですが」
「えーまだあと3分ありますよー。今いいところなのでもうちょっと待っててください」
「5分前もそんな事言ってましたよね!?」
一度こってりと絞るべきかと葛藤する雨森をまあまあとなだめ、三国が扇で口元を隠しながら言葉を引き取る。
「しかしこう、なかなか"歳相応な"振る舞いが板についてきましたね」
「でしょうー?……最初は私もどうなるかと思ったのだが、案外何とかなってきた。というかこれはこれで楽しいぞ?」
「唐突に素に戻るのやめてください。あとあんまり不穏当な事を言わないでくださいね!?」
"彼"本来の理知的な光が瞬間的に"彼女"の瞳に宿ったが、雨森が悲鳴を上げている間に、すぐに消えた。
その不自然な言動に違和感を抱いたのは扇で表情を隠している三国だけだった。

/ * /

あの事故から数日が経ち、おおよそ自分の体の変化を受け入れられたところで見知らぬ男が部屋に入ってきた。
高木、と名乗るこの職員から自分の身に起きた事の説明を受けたところで、頭の中で大体のピースが揃った。
やはり、4番目の薬品の投与が抜け落ちたことが直接のインシデントの原因か。
高木曰く、調査班も同じ見解を示しているとのこと。残念な事になったと言う高木に「私もだよ」、と同意を示した。
無念さを込めた声を出したつもりだが、この若く幼い声帯から出る高い声ではその意図が正しく伝わるかどうか心配になる。
……だが、過ぎた事は仕方が無い。できればここから挽回したいのだが、私は今後どうなるのだろうか?
財団内での処遇については改めて話があるらしく、この男が言うにはすぐに処分ということはおそらく無いだろう、とのこと。しかしそれとは別に医療部門は重大な懸念を持っているらしい。

「遺伝子的には冴場博士の同一性は保障されています。しかしその体は"女性"のものです。診断結果から推定される肉体年齢は8~10歳前後、2年以内に第二次性徴が始まる可能性は90%以上と考えられます」
この内容に、「マジで」、と思わず言ってしまった。財団職員らしく表情を変えずに事務的に話す高木だったが、当事者の私としては落ち着いていられる話ではない。自分で言ってしまうのも何だが、ダンディな髭と苦労して鍛え上げた中年の肉体を失い、筋肉がまるでない少女の体になったかと思えば、さらには生理まで。
「それはちょっとまずいんじゃないか?」
「はい。医療部門では現在の状態から内分泌系が変化した場合、冴場博士の性自認と肉体のバランスが崩壊し、精神健康上重大なリスクが生じると考えてます」
「いや、そうなんだけど」
そうじゃないんだ、と続けようとしたが口をつむんだ。
事故の産物とはいえ人間の肉体を若返らせるのみならず、性別を変え、さらには「正常に機能する」レベルにまで作り変えることが出来たということは間違っても外部に流出させてはならない類の情報である。
今回使用したSCP-███-JPは破壊されたということだが、その性質から再度の確保、そして私の身に起きたことの再現実験は不可能ではない。仮に収容違反が発生した場合の影響は以前のものに比べてさらに危険なものになる。老化の克服と性別変更の獲得は今まで人類が築いてきた『ありかた』を容易に破壊してしまうだろう。
気づいていないのか、分かってて言わないのか……と考えた所で、この二択であれば財団は間違いなく後者であり、あまり不用意なことは言わない方が良いと判断したのだ。

小さく息を吐いて気分を切り替え、今後の予定を高木に聞く。
約1か月ほどはこの施設で検査を受けることになるだろう、との回答。その後の事は……言葉を濁された。
高木は答えなかったが、良くて解放、悪くて収容、というところだろうか。悪い方に転べばその後の事なんて知らされるはずは無いし、良い方に転がったとしても体の事がある、すんなり放免とはいくはずもない。
「あ、そうだ。雨森君に『あんま心配すんな』って伝えてもらいたいんだけど、それは大丈夫かな?」
「……ええ、おそらくは。伝えておきますのでご安心下さい」
財団職員がこんな口調の時は絶対伝えて貰えないパターンだ。そう思いつつも、納得した振りをしてベッドに体を預けた。
高木はそれからすぐ部屋を出ていったが、私もそのまま眠りについてしまった。
この日は他に特筆すべきことは無し。

/ * /

あの事故から数か月が過ぎ、どうやら「悪い方」には転がらずに済んだようだ、と冴場博士は語る。
異常性の検査では記憶処理及び薬物投与に対して強い抵抗力が確認されたものの、事故に起因する体質かどうかの判定は最後まで付かなかったため待遇保留のままサイト-8181に留め置かれているというのが今の冴場博士の立ち位置である。
財団基準での「異常性」は無いに等しいため復職が認められるのではないかというのが大方の見立てであったが、些細な事故であっても何かあれば容易に覆されるような微妙な時期でもあり、彼……もとい彼女の周囲は余計に神経を尖らせていたのだった。
雨森が強権を発動して(さえば博士が書いていたノートを取り上げた挙句、届かないように頭上高く持ち上げて)進められたミーティングでこのような認識が共有された他には新たな情報も無く、今後も経過観察を継続するという方針のみ決められた。
「それで、結局さっきまでは何を書いていたんですか?」
「あー、このノートですか……。本当はひみつなのですが、三国技師なら見せても大丈夫なのです」
さえば博士が持っていたノートを差し出す。
最初は鉛筆で乱雑に、ページをめくるに従ってペンで丁寧に記述されているのは、冴場博士自身の述懐と思われる文章だった。
「これは……手記ですか?」
「はい。4月の事故が起きてからの私の記憶なのです。あ、一応記録を取る許可は貰っているのですよ?」
「正式記録とは別に私的な記録を残すのは構いませんが、機密文書扱いですので落としたりしないで下さいね?」
「あー、はい。電子データだと管理領域の自動整理があった時に困るからペーパーメディアにだけ保管してるのが逆に仇にならないように厳重に管理するのです」
だからそのお菓子を下さい、と続けようとしたさえば博士は案の定雨森に睨まれている。
二人のやり取りを横目に手記を流し読みしていた三国だったが、後半から終わりにかけて流暢な丸文字になってきたところでギブアップしてノートをさえば博士に返した。
「……どうして手記を書き始めたのですか?」
「うーん、うまく伝えられるか心配なのですが……たぶん、そのうち記憶があいまいになってくると思うのですよ」
その言葉に三国はいぶかしんだ。
「冴場博士は記憶処理に耐性があると聞きましたが」
「あー、いえ、そういうんじゃないです。そうですね……三国技師は10歳のころの自分の事をどれくらい正確に記憶していますか?あるいはそのもっと前は?」
まだ幼かった頃の自分を思い出そうとした三国は、すぐに得心がいったような顔をして頷いた。
「……記憶の経年劣化ですか。確かに私自身、多少の事は思い出せますが正確に記憶しているかと言われると、あまりそうとは言えませんね」
「人間の脳は結構いい加減に出来てるのです。特に私はずいぶんと若返ってしまったので、ここからまた2~30年も経つころには昔の自分がどうだったかなんてすっかり忘れてるんじゃないかと不安なのですよー」
体は熟女なのに中身はじじいなのですよ!と憤慨して見せるさえば博士だったが、おどけて見せる反面、自己の消失という恐怖を抱いている事は三国にも察することができた。
しかも、今後の成長過程における身体の変化が”彼”の精神にどのような影響を及ぼすのかは誰も分からないのだ。
「ただ、その……冴場博士は本当にそのノリで行くんですか?」
「ふっふっふっ、三国技師、それは愚問なのです。世の中確かに”ロリババア”とかの需要はあるのですが、体は幼女、頭脳はおっさんというのはいささか最先端過ぎて誰もついてこれないのですよ?」
椅子から飛び降りてその場でくるりと一回転し、ポーズを決めたさえば博士だったが、雨森は大きなため息をつく。
「現実を見てください冴場博士、10歳の女の子は普通そんな感じのノリではありません」
「あー!雨森は黙っててくださいー!」

/ * /

事故が起きてから1年以上経ったが、今日ようやく正式に復職が決まった。
上層部も相当悩んだに違いない。財団基準でいえば私は異常性は無いに等しい普通の少女だが、外に出れば「いないはずの人間」である。戸籍やら何やらはうまいことやってくれるだろうが、どうしても消せない違和感はどこかに残ってしまうものだ。
「それで、私はどこの誰になるのですか?」
すっかり着慣れた女物の服と板についてきた口調で問うてみたが、帰ってきた答えは予想とは違うものだった。
「いえ、冴場博士は冴場博士のままですが」
「えっ?」
「博士がご自身の以前の姿の事を妙に消したがっているのは承知していますが、現時点ではその必要性は無いと判断されました」
「あっ、そう……」
これは予想外だ。
私の心身への影響を考慮すれば、私は新しい「私」として再定義し、冴場博士にはこのままいなくなってもらった方が都合が良いはずなのだが。雨森の野郎が何か口を挟んだのだろうか。
ということは戸籍とかその辺もそのままになるのだろうか。駅前のワインバーで高いボトルを入れたままにしてたのは残しておいてくれると嬉しいのだが。
そう思えば、自分のままで戻るのもあまり悪い事ではないかもしれない。
「なので、その口調も無理して続けていただく必要は無いのですが」
高木がやや困惑していた。人の覚悟も知らないで無責任なことだ。
「そういうことはもうちょっと早く言ってほしかったのです。このしゃべり方、もう染みついてるのですよ?」
と、記憶の中から想像した10歳の少女の真似をしてみるが、高木の反応はあまりよろしくない。
「はあ、そういうものですか……まあ、戻さないといけないという訳でもありませんのでご自由になさって下さい」
からかったときの反応は雨森の方が面白いようだ。昔ほどの手管は使えないかもしれないが、この状態だからこそ出来る事ということも沢山あるだろう。
そんな事を考えているうちに、自分が思いのほか元の仕事に戻れることを喜ばしく思っていることに気が付いた。
実際死ぬような目にあうほど酷い職場ではあるが、やりがいという意味では他に比肩しうる職は無いのもまた事実だろう。
なんだ、この仕事、案外好きなんじゃないか。

(手記はここで途切れている)

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