遠くとも懐かしい音色
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「ふーんふふーん ふふーんふーんふーん」
精鋭が集うはずの財団のオフィスにおいて、どこか間の抜けた鼻歌を歌いながらA4サイズの用紙をいくつかの箱に分類している少女の姿を見て目を疑う者もいるかもしれない。
しかし彼女はれっきとした財団職員の一員であり、その傍らで同じく回収されたヒアリングシートを分類している雨森秘書官の補佐として知られるさえば博士である。
そしてその正面で難しい顔で狐耳……もとい頭髪を揺らしながら分類されたヒアリングシートを眺めているのは、無力化されたオブジェクトがEuclidクラスに再指定されたため保管物品の引継ぎでサイト-8181を訪れたところをこの二人に捕まってしまった御先管理員である。

彼女たちが分類していたのは、先日異常性が再発見されたSCP-1532-JPの調査の一環として財団職員に対して行われたヒアリングの回答結果である。
再発見されたSCP-1532-JPは少なくとも30代後半以上で特定条件を満たす者がキャリアとなっている可能性があるため、公衆調査に先駆けて財団内での影響調査が認められたのである。
「ふーんふーんふふーん……。なにかわかりましたか?」
「いいえ、全く何も感じませんでした」
「そうですかー。このオブジェクトの出どころやヒントが分かれば、と思ったのですがー」
さえば博士は鼻歌を止め、ままならないものですねー、と小さく首を傾げる。彼女は気まぐれと作業の手慰みに鼻歌を歌っていた訳ではなく、SCP-1532-JPの再現記録を御先管理員に聞かせ、彼女の持つ"静聴"能力で由来不明なこのミームがどこからやってきたかのヒントを得ようとしたのであり、列記とした調査の一環であった。
ちなみに本人は「なつかしいですねー」とつぶやいているが、再発見されたSCP-1532-JPの推定発生時期と彼女の外見から類推される年齢は大きく違うため、事情を知る者以外はそのまま聞き流すであろうことは想像に難くない。
「……どうやらあまりお力になれなかったようですね。ではこれで」
「あー、待って、まってー。せっかくなので休憩にしましょう!」
「手伝っていただいたのですから、せめてコーヒーくらいはご馳走させてください」
「とっておきのおかしもあるのです!」
カステラの詰まった木箱をてしてしと叩くさえば博士を横目でながめつつ、甘味の誘いに屈した御先管理員は浮きかけた腰をそのままソファーに深々と下ろした。
 
 
「うーん、予想されていましたが、やはりばらけますね」
「そうですね。財団内にこれだけのキャリアがいたことにも驚きましたが」
休憩といいつつもカステラとコーヒーを口にしながら話すのは先ほどの調査の内容である。SCP-1532-JP-2の総数はSCP-1532-JP-1の最大確認人数を超えそうな勢いで増加しており、財団内部だけで500人以上になる可能性も囁かれている。人体に対して無害であることはせめてもの慰めであったが。
「アニソンに、邦楽ポップス、こっちは演歌に……と、最初のにくらべるとジャンルも多様化しているのです」
「どこかで変異しているのでしょうか?」
「その可能性は否定できません……んくっ」
さえば博士は頷きながら頬張ったカステラを牛乳で飲み込み、続ける。
「これからの話もそうですが、気になるのはこれまでの話なのです」
「過去…つまり、最初の報告以前に同様のオブジェクトが存在していた可能性、ですか」
「もしもこれがながい年月をかけて変異を続けているタイプのオブジェクトだと仮定すると、もしかしたら無害なのはたまたま運が良かっただけかも知れませんし、このまま将来にわたって有害にならないでいられるという保証はできないのです」
「ただ、仮にそうだとしても調べられる方法は限られますね。考古学の専門だった頃はよくタイムマシンが欲しいと思っていましたが、今このときほど痛感したことはありません」
雨森秘書官が悔しそうにしているのを見て、そういえばこの人は考古学畑の出身でしたか、と思い出した御先管理員だったが、あまり熱弁させても面倒そうだな、と思い直して話の向き先を変えることにした。
「さえば博士は……例えばですが、もし本当にSCP-1532-JPが"歴史のある"オブジェクトだと仮定した場合、一番最初のSCP-1532-JPは何だと思いますか?」
先ほどの鼻歌を頭の中で思い浮かべながらさえば博士に問うと、彼女はカステラを刺していたフォークを口にくわえたまま小首をかしげて少し考えこんだ。
 
 

広場のあちこちからパチパチという木の燃える音が響く。
日が沈んであたりは真っ暗闇になり、普段ならねぐらで横になろうかという頃合いだが、今この広場だけは昼間が居残っているかのように明るく照らされている。集まった人びとの瞳には篝火の照り返しだけではない熱がこもり、その視線を一身に受けた俺は思わずグッと手を握った。
今までに重ねてきた苦労のことを思い出す。今は亡き伯父から森で教わったリズムをどうしても伝えたくて、普通に生きるには不要はずの仕事をこなしながら仲間を集め、長である父を説得してようやくこの時を迎えている。

背後に控える仲間達の息遣いを感じて、グッと意を決した。

「Yoォー!ホォー!こんなに集まるなんて思ってもなかったぜ。お前らサイコーだな!」
俺の掛け声に、聴衆が一斉に叫ぶ。
放っておくといつまでも収まらなさそうなのでいつも父がしているように片手を頭上に掲げて皆が黙るのを待ち、それから言葉を続ける。

「んじゃ、知ってる奴らもいると思うけど、初めて見るって奴のためにメンバーを紹介するぜ!まず、ブルドガ!」
紹介された浅黒い肌の男が引き延ばした家畜の腸を使った弦楽器をかき鳴らすと群衆から歓声が響く。ブルドガは頭が良くてこの弦楽器みたいな変わった物をよく作る。見た目も良いので女の声が多い。
「次!ゲゾゲゾ!」
一歩前に出た長身の男が骨をくり抜いて作った笛を吹き鳴らし、息を継いだところで歓声にこたえるように両手を高々と掲げて定位置に戻る。ゲゾゲゾはこの中では一番の年嵩だが、伯父の教えてくれたメロディを思い出したので皆に聞かせたい、という俺の思い付きを笑いもせずにここまで付き合ってくれたすごい奴だ。
「次!ンゴバ!」
右目と左目が別の方を向いてハァハァとだらしなく口を開けて息をしていた男が待ってましたとばかりに4つ並んだ大きさの違うドラムを次々に叩く。雷のような轟音で寝ていた鳥が一斉に悲鳴をあげながら飛び去った。ンゴバは見た目の通り頭が悪い男だが、試しに叩かせてみたらすぐに調子を覚えたのでメンバーに入れてやった。名前を呼んだ時に馬鹿にしたような笑い声がしたが、この爆音で全員黙ったようだ。
「そして、俺はドクテド!よろしくな!」
あいさつ代わりにブルドガとは少し形の違った弦楽器をかき鳴らすと群衆の興奮は最高潮に達する。……長である父も、皆の歓声を受け止める時はこんな気持ちなのだろうか、とふと思った。
「それじゃあ一曲目、行くぜ!――」
規則正しいドラムの音に合わせてあのメロディを弾き始める。仕事をさぼって山の川ぞいで休んでいた時、水のせせらぎと森の木のざわめきを聞いているうちにふと思い出して口ずさんだ懐かしい音色。伯父に教わったという記憶が蘇ってくるが、懐かしさに浸っている暇はない。何せ、今日のために皆で考えた曲はまだまだ沢山あるのだ。
鳴りやまぬ観客の歓声に応えるように、すぐに二曲目の演奏に移る。

夜はまだ始まったばかりだ。

 
 
「……というような!」
「たいへん、夢のあるお話ですね」
思ったより長い話だったので聞き流したかったものの自分から水を向けた話なので律儀に最後まで耳を傾けていた御先管理員だったが、流石にそろそろ限界だった。皿の上にあったカステラもなくなったし。
「ただ、さえば博士の作り話もあり得ないと言って斬って捨てられないことも事実です。そもそも人類史において『音楽を記録する』という行為は比較的最近の発明ですし、それよりも遥か昔にどのような音楽が奏でられ、いつ誰がどのようにしてその曲を作ったのかさえ、今の我々には知る術がありませんのでね」
雨森秘書官はそう言葉を続けながら、空になった皿を重ねて片付けを始める。彼にとってもそろそろ休憩は終わりのようだ。
カップの底に残った最後のコーヒーをすすりながら、さえば博士の話を反芻する。
 
……例えば、まだ音楽どころか文明のかたちすら無い有史以前。
あなぐらを住処とした初期人類たちが川の水の流れと木々のざわめき、そして風のせせらぎが混ざりあった音の中から奇跡的な偶然を経て『存在しないはずのどこかで聞いたことがあるメロディ』を想起していたとしたら。
骨を削り、木をくりぬき、革と弦を張って作られた粗悪な楽器によって奏でられたあの音色が髪のように細々と人々に伝わりながら、時に神を讃える詞を添えられ、時に幾多の楽器を用いて広く大勢の集まる舞台で演奏され、やがて電波に乗って雲の上を飛び交い、電子の海に溶け込み広がっていくとしたら。
……そして遥か遠い時の彼方で、いつか人々が音楽と共に文明を失い、元のあなぐらを住処としたとき。あの原初の旋律が水と森と風の中から再び人々の前に姿を顕わすのだとしたら。
 
 
……無言で頭を振る。想像力が飛躍しすぎたようだ。いささか感化されすぎではないかと思いながら御先管理員は飲み干して空になったカップをテーブルに置いた。
「ご馳走様でした。それでは私は戻ります」
「ありがとうございました。また何かありましたら連絡させていただきますね」
「またねー」
いくつかの事務的なやり取りのあと、二人の声に見送られながら部屋の扉を閉める。喧噪から遮断され、サイト-8181の秩序だった静謐に包まれると、まるで異世界に飛ばされたかのような錯覚に襲われる。
御先管理員は何かに耳をそばだてるかのように髪を揺らすと、すぐに何事もなかったかのように表情を取り繕い、どこか厳かな足取りで帰路に着いた。
 
……今日はいつも聞こえてくるあの声ではなく、どこか遠くとも懐かしい音色が耳の奥に届いたような、そんな気がした。

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