GoI-001: シカゴ・スピリット
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イリノイ州シカゴの異常な犯罪組織…                                                                                                                            
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1938年ごろ撮影

「”まっとうな教育”というものを、私は信用していない。教室で一日を過ごしたことなどない私が、今やこの街で最も成功した男になっている。生産的に時を過ごせたはずの大人も子供も、本の上にかがみ込んでわずかな知性を掻き出すことを強いられている。学者先生は教えてくれないが、才能とは生まれながらにして持つものだ。微積分など知らない私が、この国でその種のビジネスを行っている。アフリカの部族を暗記などしたこともないが、指を鳴らすだけで人間の中と外とを裏返してしまうことができる。我々の為す奇跡が如何なる理論に基づいているのか科学的に説明することはできないが、だがしかしそれは、誰にもできないことだ。私のビジネスでは、私もアイビーリーグの学生も、皆平等だ ― ものを言うのは力だ。私には、力がある。」

リチャード・D・チャペル、1925年の書簡より抜粋

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スピリットが初めて開いた酒類密売店、The Cistern Chappell

GoI #: 001

名前: シカゴ・スピリット (The Chicago Spirit)

活動期間: 1895 - 1938

指導者:
名前 生没年
リチャード・デイヴィス・チャペル (Richard Davis Chappell) 1871 - 1953
チャールズ・フェリス・デリンジャー (Charles Ferris Derringer)1 1878 - 1950
ホガース・ミンツ・カートライト (Hogarth Mintz Cartwright) 1869 - 1929
ジュリアス・ラレー・マクガラン (Julius Ralleigh McGallan) 1865 - (193X)

説明: シカゴ・スピリット、あるいは単にスピリットと呼ばれるこの団体は、イリノイ州シカゴに拠点を持つ組織化された犯罪集団でした。その活動範囲は成立から20年はシカゴ内に限定されていましたが、その後禁酒法時代にビジネスを急激に拡大させ、アメリカ各地の大都市に広まりました。スピリットは異常な能力を持つ人物を多数雇用し、また異常な性質を持つアーティファクトを開発作成してビジネスに利用していました。リーダーはリチャード・D・チャペルという、タイプ-Cの現実改変者でした(SCP-046-ARC)。

背景: 1873年、2歳のチャペルは両親と共にシカゴへ移住しました。チャペルの異常な能力が記録上で明らかになったのは、当時11歳だったチャペルが競争相手だった新聞配達の少年から大量の血を噴き出させているのを通行人が目撃した事例でした。少年の死体は後日シカゴ川で発見されましたが、現地の警察はこの事件を追及しませんでした。後年、チャペルはこの少年の死は事故であったと主張しました。

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チャペルが個人的なコレクションを収めていた「黒の櫃」

シカゴ・スピリットは本来、合法的ビジネスを行う組織でした。シカゴ南部に拠点を置いて1893年に設立され、常連客にアルコール飲料を振る舞いときには生演奏を披露する、典型的なバーを経営していました。初めの2年の収入が思わしくなかったことから、チャペルはバーの2階を利用して”自然でない物品”の秘密取引を行う副業を思いつきました。その後数年の間に、チャペルは600個以上の異常なアーティファクトをシカゴやそれ以外の買い手に対して販売していました。これらアーティファクトのうちの多数は、チャペル自身によって作成されたものだと考えられています。

この新事業は裕福な収集家やシカゴのエリート層の目に止まり、1階の店にも大繁盛をもたらしました。この時点ではチャペルの異常性は殆ど秘密にされており、異常物品を扱うビジネスの秘密は固く守られ、他人に対して現実改変能力を行使することもありませんでした。

スピリットが繁盛し成長するに従って、チャペルは彼の事業を違法な領域に、強請りや計画的強盗、ライバル社への襲撃などへと広げて行きました。1899年時点で、およそ410名がチャペルに雇用されていました。チャペルの組織はこの頃から、組織の本部として機能していたバーの名を取って「シカゴ・スピリット」と呼ばれるようになりました。

スピリットのメンバーのほとんどはありふれたごろつきやけちなこそ泥で構成されていましたが、組織の中核はチャペルと同様の能力を持った人物が主に占めていました。現地の言い伝えによると、チャペルは日常的に町を出歩いて住民と言葉を交わし、彼と同じ超常的な力を持つ人間を雇っていたとされています。そのような人物として、チャールズ・デリンジャー(SCP-032-ARC)、ガース・”車輪”・カートライト(SCP-039-ARC)、ジュリアス・”鋸歯”・マクガラン(未収用、無力化と推定)が確認されています。

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スピリットのメンバーが所有・運営していた阿片窟

1900年の時点で、チャペルはシカゴの犯罪社会の無慈悲なカリスマ指導者を自称していました。スピリットはその規模と範囲を拡大させ、異常なアイテムがさらに多数常用されるようになりました。この時期の財団はごく限られた権限しか有しておらず、それらアイテムのほとんどは収容されないままになっていました。スピリットは基本的に他の組織と関わらずに活動していましたが、時には予測不能な敵意をもって他の組織に干渉することもありました。注目すべき例外として、シカゴ・アウトフィットのリーダーであったアル・カポネは「[あいつらに対して]できることは何一つない」として、スピリットと関わりを持つことを固く禁じていました。これは前リーダーであるジョニー・トーリオによってシカゴ・スピリット本拠地のバーへの襲撃が行われ、凄惨な結果に終わったのをカポネが目撃していたのが影響していると考えられています。

1920年代にも組織は増強と拡大を続け、ボルステッド法に基づくアルコール飲料の禁止から生じた(そして利益を生み出した)酒類密売店の利益もこれを後押ししました。記録では、シカゴ・スピリットは1921年から1933年にかけて西半球における最大の異常犯罪組織であったことが示されています。

シカゴ・スピリットは莫大な力と繁栄を誇っていると見られていましたが、チャペルの異常な能力が弱体化しているという報告を受け、財団のO5司令部の命令によりチャペルの住宅が襲撃されました。襲撃は成功し、チャペルは捕獲され、SCPオブジェクトのコレクション155個と共に収容下に置かれました。指導者が捕獲されたことでスピリットは分裂し、構成員は他の組織に吸収されました。スピリットへの忠誠と自身の能力を維持していたメンバーは、最終的に1938年にはマーシャル・カーター&ダーク株式会社に買い取られました。

補遺: 2008年、チャペルが書いたと思われる日記が財団職員により発見されました。注目すべき点として、内容にはしばしば”ナイト氏(Mr. Night)”という名のパートナーが言及されていました。彼は1933年に組織を去っており、それによる組織の弱体化がチャペルの捕獲につながったと考えられます。この人物について頻繁に言及されているにもかかわらず、他の記録はチャペルにはそのような密接な関係のビジネスパートナーは存在せず、”ナイト氏”が組織に所属していたという文書もまた発見されていません。しかし日記の文書はチャペルが収容されてからのインタビューで繰り返し主張していた、自分は異常な能力など持っておらず、超常的な仕事はパートナーが行っており、そのパートナーは突然組織を抜け、名を変えてアメリカを出ていったという供述を裏付けています。

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