第一〇九一番
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日奉柊蒐集物覚書帳目録第一〇九一番

二〇一六年五月補足。研儀官日永田一が第〇〇八番異常空間への侵入調査の際遭遇。「日奉柊いさなぎ ひいらぎ」についての現存する最古の記録は八一年前のものであるが、財団との合併及び当院の内部分裂によって資料の多くが紛失しており、実際にはこれよりも古い記録があっただろうと推察される(ただしこれは書類の形とは限らない。詳しくは添付文書-1を参照)。日永田の遭遇時、彼女は淡い青と白を基調とした着物姿であったことが確認されているが、報告された容姿を含め、これは八一年前の記録と(相当の年月を経ているにも関わらず)合致している。

以下の添付文書-1~6は残存する「日奉柊」に関する資料の一部であり、可読性のために一部現代語訳されている。原文及びすべての資料は添付資料を参照のこと。

添付文書-1


私はこれから、日奉柊という人物について記すことにする。
彼女については、長らく我が一族に関する最大の機密事項のうちの一つとして扱われてきた。これを今になって書面に残すことにはいくつかの理由があるが、その一つはこの秘密を共同で管理していた日永田家の能力の減衰である。
日永田家は我が一族に仕え、その類稀なる記憶力を用いて我が一族に関する秘密を継承してきたが、長い年月でその血は薄まり、その特異な記憶力もそれに伴い(依然として常人よりもはるかに高い水準ではあるが)失われつつある。よって、私はこの秘密が忘れ去られる前にこうして形に残そうと試みる次第である。もう一つの理由は、私が日奉の一員として、一族のために達成せんとする変革のためであるが、これについて詳しく述べる必要はないであろう。

さて、日奉柊の話に戻ろう。端的に言えば、彼女は禁忌によって産まれ、禁忌を犯し追放された。

彼女の母は当時の日奉の長の娘であった。名は消され、存在も隠されているが、伝えるところによれば彼女は美しく、学に優れ、よく趣を解したとされている。また荒ぶる神を鎮める巫女の役割もよく果たしており、日奉の一族の皆は彼女に敬意を抱き、また彼女の姿に一族の明るき未来を見た。

しかしながら、ある事件を機に状況が変わる。当時の日奉と敵対していた者たちが徒党を組み、長の屋敷を襲撃したのだ。警護に当たっていた一族の者が数名犠牲になったが、一番の痛手は長の娘が連れ去られてしまったことであった。一族の皆は彼女の身を案じて幾晩も泣き明かした。特に長はその涙で庭に池を作り、天の太陽と池の水面に映る太陽の両方に毎日祈り続けたとさえ言われている。

一族の総力を挙げての捜索でさえ何の手掛かりも得られない中、誘拐から二月が過ぎたころ、彼女は自ら屋敷の扉をたたいた。攫われていた時に身に着けていたはずの紅と橙の衣の代わりに、冷たく不吉な青と凍えるような白の衣を纏って帰った彼女は、二月の間に何があったのかを決して話すことはなかった。突然の帰還に一族の者は皆よろこんだが、一方で日を追うごとに、彼女の顔からは太陽のようにすべてを温めていた笑みが消えていき、代わりに彼女は毎晩月を見ては涙を流した。新月の晩は、付き添いの者さえも近くに置かずに一人でいることを望んだ。

そうした日々が続いたある日、彼女は身籠った。彼女は他のものが知る限り、帰ってから一度も男と床についたことはなかったし、またそれを長が許すはずもなかった。むしろ彼女は、あらゆる縁談を断り続けていたのだ。

彼女は自身の腹に宿った命を周囲から隠そうとしたが、長は彼女の異変を見抜き、密かに見張りをつけた。そうして、新月の夜に隠された真実を知った。長の怒りは日奉の地をほとばしり、時を歪め、崩れる屋敷の中で失った自身の手首から怒れる肉の巨人を作り出した。娘の逢引の相手は、最もおぞましいことに、夜の民――またの名を"鬼"――であったのだ。

 
添付文書-1は筆者日奉茜が所有する日奉家に関する資料群に含まれていた。資料群は日奉の血筋の者に継承されるものであり、本文書は日奉家によって作成、保管されていたことが予測される。ただし、添付文書-1のほとんどの内容について、それを裏付ける資料は発見されておらず、日奉柊及びその母、加えて長と呼ばれる人物についても詳細は明らかになっていない。

なお、本文書が途中で途切れていたために筆者が個人的に調査を進めた結果、旧蒐集院施設であった廃墟から以下の添付文書-2,3が発見された。添付文書-3は-1の続きであるとみられる。添付文書-2,3は一つの封筒に同封された状態で発見された。また添付文書-1~4の筆跡は全て一致している。
 

添付文書-2


ホリ様へ

計画は順調に進行し、このまま進行すれば早いうちに日奉の血を不名誉な束縛から解放することが叶いそうです。ホリ様のご尽力に、あらためて御礼申し上げます。柊の件についてですが、現在失われた記録を精査している途中でございます。その過程で一つ、疑問点が浮上しましたので、ホリ様にお尋ねしたく、こうして筆を執らせていただきました。

如何にして柊は真実を知りえたのでしょうか? 真実は完全に隠蔽され、また彼女もそれを探るだけの力がなかったはずです。現在判明しているところによると、"異様な服を着た女"の関与が疑われますが、この人物についての情報はまさに柊が真実を知るそのときにしか存在せず、不自然で――まるでかつて西洋の演劇に用いられた"機械仕掛けの神"のようです。この件についてホリ様が何かご存じであれば、ご教授いただけると幸いです。

加えてもう一つ――これは非常に不躾な質問かもしれませんが――ホリ様はなぜそこまで柊についてお詳しいのでしょうか? 日奉と日永田の力をもってしても、今や柊の情報は虫に食われた本のように穴あきです。しかしながらホリ様は当時についての詳細、それこそ彼女の母の衣の色や彼らが何を話したかさえご存じでいらっしゃる。ホリ様を疑っているわけではございませんが、もしよろしければこちらについてもご教授のほどよろしくおねがいします。

添付文書-3


長は怒りのままに、娘とその逢引の相手を殺そうとしたが、鬼はその忌まわしい奇術をもってして娘と一緒にその場から逃れた。
再び一族を挙げての捜索が行われたが、一月、二月と経っても2人を見つけることはできなかった。
一族には焦りの色が見え始めた。鬼は天照大神にあだなす存在であり、穢れであり、そして皇家が最も嫌う存在の一つであった。一族に鬼と交わった者が存在するということは、一族の血の穢れであり、一族が今まで積み上げてきたすべての名誉、栄光をすべて無駄にしてしまうことすらあり得た。それゆえ、鬼と親交を結ぶのはあらゆる意味で禁忌であったのだ。しかし幸運にも、この忌まわしき血の交わりを知る者は一族に限られていた。まだ取り返しがつく、むしろこの状況が焦りと、そして彼女に対する憎悪を増幅させていった。

捜索の開始から九月ほど過ぎたころ、転機は訪れた。ほとんどの人々が寝静まった夜、長の部屋に娘と娘をたぶらかした鬼は現れた。娘は長に言う。

「私の犯した罪は理解しております。その罪を贖いに参りました」
長は返す。
「贖える罪ではないぞ。血は穢れた。今まで我々が守り、繋いできた美しき血が穢れてしまったのだぞ」
「わかっております。しかしながら、もはや私に残された選択肢はここに参ることのほかにありませんでした」
娘は長に向かって、静かに眠る一人の赤子を差し出した。
「逃げ回りながらこの子を育てることはできません。この子のために残された手は、我々が犠牲になろうとも、この子をあなた方に預けることのみだったのです」
「我々が穢れの象徴たるその子を生かしておくと?」
「罪を犯した私は巫女としてもはや何をすることも叶わないでしょう。しかしこの子は違います。私たちの都合で産み落とされたこの子に罪はありません。加えてこの子は私の巫女の力を継いでいるはずです。そして今のあなた方は、不幸なことに、荒ぶる我らの神を鎮められるだけの才をもつ者を知らない。この子以外には」
「親に対し取引か? よほど鬼の穢れた気に毒されたと見える」
「鬼と私、そしてあなたたちに何の違いがあるのですか? どちらも同じ化け物です。むしろ私にはあなたが鬼に見える」
「血だけでなく日奉の名さえも穢すつもりか?」
「権力におぼれようとしている日奉の名がまだ穢れていないとおっしゃるのですか?」
二人の間でお互いを食わんと絡み合う静かな怒りは、音もなしに一族の皆の眠りを覚ました。このいつ二人が立ち上がり衝突するかもわからない状況を収めたのは、鬼だった。彼は娘の頬を強く打って、深く頭を下げた。
「ご無礼を謝罪いたします。その怒りを収めていただくのに十分なものとは言えないかもしれませんが、私からの鬼らしい土産として、こちらをお持ちしました」
彼が風呂敷から取り出したのは、壮年男性の首だった。そして長はその首に見覚えがあった。
「私はあなたの娘を伴わずに一人で彼の屋敷に忍び込み、この首を取りました。その際、私の顔は屋敷の他の者に見られてしまいました。そうして、これは完璧な偶然ですが、この首はあなたの政敵のものです。この私を捕まえ首をはねれば、あなたは悪しき鬼を討伐した英雄であり、この首の家の者は日奉の一族に恩ができます」
長は娘の差し出す赤子――柊を受け取った。
「なるほど、まことに野蛮な鬼である。しかし私とて人の子、この幼子の命は責任をもって生かそう。安心して死にたまえ」

その朝、日の出と共に二人の首は地に落ちた。

 
ここまでの調査により、日奉柊について日奉の歴史への深い関連から注意を払うべきだと判断した筆者は当院に対し正式な調査を建言。それを受けて行われた当院残存資料の大規模調査によって、以下の添付文書-4,5が発見された。
 

添付文書-4


柊は自身の親についての真実を知らされないまま長の家で育てられた。一族の者でさえ、柊について多くのことを知るものはほとんどいなかった。
ただ彼女は与えられた自室という牢獄の中で、世話人に最低限の読み書きと礼儀、振る舞いを習った。長は彼女と顔を合わせようとしなかったし、世話人にも柊と長い間接触しないように命じた。世話人が柊に対して情の一つも覚えようものなら、すぐに新しい世話人が呼ばれた。
長がそれだけの嫌悪と恐怖を持ちながらも柊を葬ることができなかったのは、彼女に巫女の素質があったからであった。荒ぶる日奉の氏神を鎮められるのは巫女だけである。当時巫女の素質を持っていたのは、柊だけだったのだ。

長が柊と顔を合わせるのは、特別な教育を施すときだけであった。一つは巫女の儀式を教えるための教育、もう一つは彼女の心を縛るための教育である。後者において、柊は自身が穢れた血であり、不幸をもたらす者であると教え込まれた。そのうえで、柊を受け入れたのは日奉が寛容だからであって、柊が日奉の恩に報いることができるのは巫女の役目の時だけであるから、普段は不幸をもたらさないように静かにしているべきであると告げて、彼女が決して外に出ないように精神的にも牢獄へつなぎとめた。彼女の母親については、鬼に襲われ柊を身籠ったのち彼女を出産して死んだと教えられていた。

これらの"特別な教育"は功を奏し、柊は部屋から一歩も出なかった。彼女は鬼を自分から母を奪ったうえ、自分に穢れを与えた存在として憎むようになった。また日奉については、神聖な仕事のために存在する寛容な一族として、自分が彼らに迷惑をかけていることに対する罪悪感と、何もできない無力感を募らせた。そうして彼女は、愛など全く与えられず、当然愛を知ることもなく、心を冷たく凍らせながら育っていった。

そうしてなにもないままに、彼女の親の死からおおよそ10年の月日が過ぎた。長は一日の多くの時間を床で過ごすようになったが、日奉はその地位を高め続けていた。それと合わせて徐々に彼らは驕り、氏神への礼拝すらおろそかになり始めた。そうして、公家を招いての宴が開かれていたある日、ついに日奉の氏神は約20年の歳月を経て、再びその荒ぶる魂を日奉の地に蘇らせた。

長は柊の部屋を訪れ、ただ役目の日が来たことを告げ、儀式の準備を整えるべく動き出した。荒ぶる神を日奉の力で押さえつけながら、日奉の人々は巫女の登場を待ち望んだ。そこに現れた彼女の姿は――あまりに彼らの想像とは違っていた。

柊は正装ではなく彼女の母が残した青と白の衣をまとい、そしてその傍らには異様な白い衣に身を包んだ女がいた(この女は柊にどこか似ていたそうであるが、詳しいことはわかっていない。) 柊の視線は冷たい冷気を帯び、目を合わせた者は雪になって地に積もった。空は重い雲に覆われ、雪が降りだした。彼女は日奉の者には目もくれず、荒ぶる神に近寄り、触れた。神は一瞬で凍り付き、砕けた。それは巫女の仕事である"鎮める"という行為ではなく、ただ単純な"破壊"であった。彼女は日奉の守り神を殺したのだ。

長は柊の恐ろしさに気づいた。つまり、自分ではもはや彼女を殺せないことを悟ったのだ。
柊は長に向かって、すべてを知ったこと、この地を去ることを静かに告げた。それを聞いた長は柊に、神殺しの罰として呪いをかけた。そして、これは日奉の名誉を守るための呪いであった。柊はそれを受け入れ、最後まで優しさも知らず、一度たりとも愛されることなどないまま、日奉の地を去った。

彼女にかけられた呪いは、忘却の呪いである。これによって、一部の日奉の人間と語り継ぐ役目を負った日永田の一族以外、彼女を長く覚えておくことはできなくなった。正確に言えばこれは柊という存在を隠すための呪いであったから、彼女が柊であるという記憶が失われるのだ。誰もが彼女の姿を覚えていても、彼女が柊 ――つまり日奉であるということは知らないのだ。これで日奉の穢れは忘れられ、その名誉と栄光は保たれた。

その後の彼女の足取りは当然ではあるが多くが不明のままである。ただし当院の過去の記録において、彼女と酷似する人物の目撃情報が存在する。どうやら彼女は成長し、まだ生きているらしい。情報を時系列順に並べると、彼女の容姿の変化は20歳代後半~40歳ほどの状況から変化していない。おそらく彼女はこれからもどこかで生き続けていくのだろう。
(記・日奉くちる)

添付文書-5


日奉朽君

君がこれ以上深く知る必要はない。"私"は胡乱な鳥籠の中に閉じ込められた。そして、二度と羽ばたくことはないだろう。だからもう、ほとんどの懸念は消えて、これ以上書き残すべきこともない。
ただし、もし私に弁明の機会が与えられているというならば、少しだけ、その機会を利用させてもらうことにする。
この世界にはバランスというものがある。光の下には影がなければならず、影の外には光がなければならない。
もしくは、生態系に例えるといいかもしれない。ある些細な絶滅が連鎖を産み、大きな崩壊とつながる。
もし不意に大きな力が生まれれば、バランスというのは容易に崩れるのだ。そうして光か闇、そのどちらかが完全に消え去れば、もう片方が消え去るのも時間の問題なのである。
私はそういう光景を見た。いや、そういう光景を作り出したのだ。
鬼の目はゼリーのように柔らかく、永遠に手に残る感触だった。そんな繊細なものを無暗に突いては、鬼などすぐに滅び、そしてその滅びは連鎖し、やがて全ての調和は崩れていくだろう。
私は、自身が負った責務をこなさねばならない。もう私の世界のような悲劇が繰り返されぬよう、できる限り多くの世界を救わなければならない。
そのためならば、私は"私"に死を超える苦しみを与えることさえ厭わないだろう。

Holly Saiga

 
これらの資料から日奉柊が高い危険性を有することが予測され、二〇一七年、第〇〇八番空間へ日永田をはじめとした4人の研儀官が再調査のため送られた。再調査からは4人中3人の研儀官が帰還した。帰還後の日永田の報告によると、「日奉柊」は第〇〇八番空間第三区画(識別名「雪の酒場」)において、居酒屋風の飲食店の店主として振舞っている。日永田は当該店舗の客として彼女に接触したが、資料以上に有益な情報は得られなかった。ただし、日永田が日奉柊から"土産"として受け取った酒類には、以下の添付文章-6が添えられていた。なお、他の大半の第〇〇八番空間の住民とは異なり、彼女自身が酩酊状態にあるようには観察されなかったようである。上に掲載した資料と第〇〇八番空間に関する情報から推察するに、おそらくは第三区画及びその周辺空間における降雪には彼女が関与しており、また彼女は第三区画全体に対し一定の影響力を有していると考えられる。
 

添付文書-6


これ以上なにを探ろうというのですか? なぜ思い出そうとするのですか?
あなたがたが思い出そうとするのはきっと、無意味で、悲しい記憶です。
つらいことは忘れればよいのです。何も悪いことではありません。ここの皆さんはみな楽しそうです。私もきっと、いつかすべて忘れて酩酊に沈むことができるでしょう。
この街はとてもやさしい場所です。あなたのお仲間も一人、こちらで楽しく過ごしていますよ。あなたも何かが嫌になったらいつでもいらしてください。美味しいお酒とお食事を用意してお待ちしています。
それでは、またお会いしましょう。

酩酊街より、愛をこめて。

※Holly Saigaを名乗る人物について、Saigaの名は"犀賀派"との関連が疑われる。Hollyはヒイラギを意味する英単語であるが、日奉柊との関連は不明。
※当院に彼女を蒐集する能力はないが、財団への通報は行わないというのが上層部の決定だ。
※日奉朽という人物についての情報は添付資料群以外に存在しないが、私には彼が、そしてこれらの記録が偽造されたものであるようには思えない。この勘が正しければ、彼はなんらかの意図のもとに歴史から抹消されたのかもしれない。なお、彼が達成せんとしていた計画がなんであるかは依然謎であるが、資料に記された日付から、"日奉の落日"との関連がありそうだ。
(記・日奉茜)

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