甘い恋慕と愛の形
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 生まれてこの方20年、色恋沙汰には丸きり無縁であった俺だが、ただそれでも人からそういった話を求められれば、思い浮かぶ女性の姿があった。まだ小学生で在った当時の俺は、地元で子供向けに開かれていた"登山クラブ"に毎月通っていたのだが、これがまた子供の顔ぶれの入れ替わりが激しい。8歳からの小学生を受け入れていたそのクラブに、2年以上籍を置く者が少ない中で俺ともう1人。たった1人、4年間ずっと変わらなかった少女が居たのだ。

 学校では余り目立たない子であったと思う。いつも教室の片隅で本を読んでいるような姿が思い浮かぶ。しかし一旦フィールドに出たならば、快活に駆け、喋り、よく笑う。そんなヒトであった。

 山道を軽快に跳ねる彼女と、追随する黒髪。明確に好意を自覚していたわけでは無かったが、彼女の笑顔が見たくて、道すがらに、サルナシ、ヤマブドウ、ノグワ、それからムカゴなんかの様々な木の実など見つけてはプレゼントしていたような覚えもある。後にして思えば、彼女が好みそうな本の1冊でも買えば良かった話であり、そんな過去の自分に苦笑が漏れる。
 
 


 
 そんなこんなで僅かながらも親交のあった少年時代であったが、中学を出て地元を出た頃からはパタリと縁も途切れ、"彼女"と再会したのは大学を中退して地元に帰った日。よく晴れた夏日のことだった。地元の誰にも会いたくないと、足早に実家に飛び込んだは良いものの、親の同情的な目線にも耐えられなかった俺は、薄暮れの中で家を飛び出し、山へと向かった。

 山と言っても成人男性の足じゃあ頂上まで1時間とかからぬ小さな丘だ。程無くして辿り着いた山頂のちっぽけな祠。祀られる神への挨拶もそこそこに、狭い境内の端にある東屋に座り込む。そこに、彼女が、落ちていた。

 いや、落ちていた、というのも正確では無いかもしれない。そこに"あった"彼女の頭部から、黒髪の間から、甲殻類を彷彿とさせる、脚が覗いていた。白い顎の下から伸びる無骨な螯がカチ…カチ…と音を立てる。とっさにポケットを探ると、ヤマブドウが1房。時期にはまだ早いのに珍しい、と道中摘み取っていたことが功を奏したか。差し出すと、器用に螯で抓んで、喉元へ運び、咀嚼。夕闇に浮かぶ青白い彼女が、微笑んだ。あゝこれこそが、俺がこの田舎へ帰ってきた理由なんだ。ストンと腑底に落ちた感情が、じんわりと体の芯で主張していた。
 


 
 
 その日から俺と彼女の同棲生活が始まった。長いこと使われてなかった物置─離を片付けて生活に必要な荷物を運びこんだ。どうやら彼女は湿った場所が好きらしく、村はずれに遺棄されていたバスタブを軽トラで運び込み、土を敷く。

 あの頃を思い出しながら、毎日山に入って様々な恵みを彼女にプレゼントした。夏の間はスグリや野生種のイチゴ、ヤマグワなどを。秋にはコケモモやアケビに始まる種々の果実。1度オニユリのムカゴを用意したことがあったが、これはお気に召さなかったらしい。顔を顰めた彼女に、シューシューと威嚇されてしまった。ヤマブドウを山ほど差し出すことで事なきを得たが、流石にあの時は別れを覚悟した。

 そんなこんなで2人楽しくやっていたのだが、寒い冬を越え、春を迎える頃、彼女の様子は段々とおかしくなって行った。毎日湯で洗い櫛で梳いていた黒髪が徐々に抜け落ち、動きも精彩を欠いた緩慢なものとなる。そして何より、時折背後から、俺をジッと見つめるような気配。
 
 
日に日に窶れていく姿。1週間が過ぎるころには用意したプレゼントに手を付けることも無くなってしまった。

彼女が喜んでくれるのであれば、この身を摩り減らしても良いと考えていた。
 
 
そして、俺は、
 
 
 
 
 
 
 

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