終わりからの旅路 前編
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私の歩みは遅いが、歩んだ道を引き返すことはない

2099年 1月 アリューシャン列島 キスカ島 観測サイト-44 エージェント・許

人類は過ちを繰り返す。第一次世界大戦の時も、第二次世界大戦の時もそうだ。振り返ればアヘン戦争だってその前の数多の戦乱の時もそうだった。人は争い、摩耗し、その結果としていくばくかの平穏を得る。今回も規模が大きいだけでいずれ平和が訪れるだろう。そう思っていた。だが、何百年生きてこようが、何千年生きてこようがあてが外れるのはよくある事だ。今回もそうだった。

最初の異変はSCP-1475-JPの定時観測だった。重要機材の緊急搬送の為のオブジェクト運用、好ましいとは思えないが必要とされてのそれはもう半年にわたって定期的に行われていた。私の任務はこの射出された椅子が無事に中間地点を突破したことを機材から観測してデータを本部に送信する事だった。

いつも通り日本から射出されたそれは順調に太平洋を飛行し、キスカ島に差し掛かり……その直前で落下した。私は緊急回線を開いてその事を北米司令部に通告しようとしたが、これも無駄に終わった。通信は北米司令部にも、南米司令部にも、通信範囲内のどの司令部にも繋がらず、私は、いやサイトに駐在していた数人のエージェント全員が破局の訪れを悟った。


我々はまず、落下したSCP-1475-JPの積み荷の回収を行った。正確には落下時に洋上で観測を行っていたレックスが積み荷を回収した。これは我々にとってある意味幸運だった。積み荷だけでなく、一緒に堕ちた運び手も拾ってきたのだ。それは、しかめっ面の人と機械の狭間にいるサイボーグだった。

濡れ鼠の女性は機動部隊タウ-5『サムサラ』所属のナンクゥと名乗った。彼女は墜落の数分前、アメリカ大陸で何らかの異常が起きた後に通信が途絶したことを証言した。おそらく、ノースカロライナ、ないしはサウスカロライナ、目標地点が”ロスト”した為に墜落したのだろうと彼女は話した。アメリカは失われたと考えるべき……だそうだ。だが、そもそも衛星通信を通じて何処かと接触を取ろうにもアメリカどころか日本も、ロシアの広域司令部も応答がない。我々は、身の振り方を考えねばならない。


それから数日、我々は備蓄の確認と情報収集に努めた。結果としていくつか重要な事がわかった。財団の衛星は生きているが受信側の異常か何処とも連絡が取れない事。フォー・マウンテンズ諸島より東、アメリカ大陸に至るまでの範囲が衛星や電子機器の観測を受け付けず、ただ白い霧のようなもので覆われている状態にある事。我々の施設の備蓄が半年分しかない事だ。我々は、この島で救助を待つか、我々から物資を持って何処かのサイトを目指すか決めねばならなくなった。

この観測サイトに管理官は駐在していない、今いるメンバーはナンクゥを入れて6人、研究員のレックスと助手のブラック、無線技士のウィンストン、衛生官のジュバイル、そして便宜上、観測サイトの施設責任者兼フィールド・エージェントの私だ。僻地で動くだけあって全員がフィールドワークの経験がある。旅は可能だ、だが旅に出たとして何処を目指す?

ミクロネシア?ユーラシア大陸?それとも日本列島?

情報が足りない、だがゆったりと構えられるほどの時間があるわけでもない。どうせ厄介ごとに悩まされるのであれば自分一人の方が楽だ。仲間の命を背負って選択をするのはいつだって胃が痛い。


2099年 1月 アリューシャン列島 キスカ島 観測サイト-44 ウィンストン・イーデン通信担当官

各地のサイトからの連絡が途絶えて一週間が経った。初めは各国から受信できていた緊急放送の類がついに観測できなくなった。現状、衛星から送られてきた映像を見る限り、ミクロネシアは核の雨が降り注ぐことはなかったものの、未だにUSPACOMによる継続的な軍事行動が行われており避難は難しいと考えられる。

東は霧に覆われ、北回りにロシアを行くのであれば、冬の荒れた海を越える必要があり、我々の巡視船がどの程度持つか保証が出来ない。資材を引き上げて目指すのであればロシアか日本か、どちらかしか考えられないが、エージェント・許は未だに資料を纏めて悩むばかりで埒が明かない。ナンクゥとかいうサイボーグを除けばどいつもこいつも落ち込んで絶望するばかりで、このままでは半年どころか2か月も持たずにチームが瓦解しかねないような有様だ。

折角の朝食を用意したっていうのに、レックスはまだ熱い粉末卵のスクランブルエッグを延々スプーンでかき混ぜているし、ジュバイルは朝から泥みたいな濃いコーヒーを一気飲みして底にたまった粉で未来なんか占っている。分かり切ったことだ、占っているばかりでなく行動しなければただ陰鬱に飢えてどうにもならなくなるだけなのだ。我慢できず、許に声をかける。粉っぽいパンケーキに顔をしかめながらパクついている許は驚いたような顔でこちらに視線を投げかける。

それにしても保存食だからといっても卵位は普通のものが食べたい、粉末卵は確かに食べれると言えば食べれるが水でもどして合成バターとミルクで仕上げても特有の甘みと水っぽさが合わさってべちゃべちゃした感じが消えない。ケチャップをかければ食えるが……もう少しいいものが食べたい。

「許さん、結局どうするんだ?アメリカは霧に覆われて、南のミクロネシアは艦隊が軍事行動中、今日にいたるまで他の支部やサイトからの通信が受信できない現状だ、このままじっと救助を待つのか?それとも西を目指すのか?早く決めてくれ、狂いそうだ。」

「気が滅入るのは分かりますが……もう少しだけ待つべきかと。あと3日待って、他の支部から連絡がなければ日本を目指します。あそこは地下施設が多い区域です、衛星からの映像ではかなりの都市に攻撃を受けましたが、逆に言えばそれだけです。おそらく多くのサイトが生存しているでしょう。」

「では、日本へ向けて船を出す準備を?」

許は困ったような曖昧な笑みを浮かべた後に少しためらうように続ける。

「そうしたい所なんですけどね、ここは元々観測サイトなのです。本来であれば物資の供給を受けたうえで、衛星設備を通じての観測任務を維持したまま年単位で潜る事が想定されましたが、その食料が届かないままこうやって取り残されています。私は日本を目指すことを考えていますが、問題は観測任務を継続するために誰かを残すべきか、このまま全員で発つべきか、という事です。」

食堂にいた全員の耳がピクリとこちらに向けられた気がした。いや、無表情にケチャップもりもりのスクランブルエッグにぱくつく表情の良く分からないサイボーグ女は別か。ともかくほぼ全員がさっとこちらに注目したのは間違いないだろう。

「残る?この島で補充できるのは海鳥の卵とちょっとの水、魚と海藻、それにビタミンを確保できるぎりぎりの植物、その程度だぞ。備蓄を含めても生存はなかなか厳しいんじゃないか?」

「だから……よ、一人ならギリギリの物資でも備蓄のあるうちにため込んで保存食に加工すれば十分に生活できる。水は一人なら蒸留器と含めて生活できる程度には確保できる。残すか、皆で行くか、どちらも可能なの。」

重苦しい空気が流れる。誰もが何かを言いたそうな顔をしている。ああ、一人だけ違うな、何だこのサイボーグは、ナンクゥは空になった皿を見て憂鬱そうな顔で考え事をしているように見える……表情は変わらないが視線がもっと食いたいって訴えかけている。無言で食欲のなくなって手を付けていない自分の皿を滑らせる。ただスプーンでスクランブルエッグを掻き込む音が響き、無言に耐え切れなくなったのかジョバイルが口を開く。

「みんなで悩んでも、どうせ仕方がないならゲームでもしないか?カードか、ボードゲームか、後は備品室に小動物用の22口径のリボルバーがある、8連のあれだ。空砲を使ってロシアンルーレットって手もある。人は確かに選択する事が出来るが、運命には逆らえないものだ。ならゲームの敗者に決めさせよう。」

結局のところ、誰も反対しなかった。


2099年 1月 アリューシャン列島 キスカ島 観測サイト-44 エージェント・許

我々の運命を決めるロシアンルーレットはその夜決行された。

電灯に反射して鈍く光る22口径の8連リボルバーに一発の空砲を装填する。体のいい貧乏くじな気もするが、運命論者のジョバイルにしてはいい提案をしたと思う。正直なところ決めかねていた。結局のところ私は誰かをここに残すことを選べなかった。だからこそ困り果てていたのだ。なし崩し的というのは確かにそうだが、それでも決められないよりはましだと内心で自分に言い聞かせ、リボルバーのシリンダーを回転させる。

ゆっくりと机の中心に滑らせると、ジョバイルは真っ先に引き金を引き、清々しい顔でこれをスルーした。運命に人は逆らえないと言うだけあって自信があったのだろう。続けてナンクゥが無造作に引き金を引いて何事もなかったかのようにこれに勝つ。さっさと決めればいい、とでも言いたげにキスカに自生するハーブで造ったお茶を啜っている。

「次は誰が?」

イーデンが絞り出すような声を出す。残った全員が青白い顔でテーブルの上で鈍く光る拳銃に目を落としている。1分、ないしは10分だろうか?重苦しい停滞が流れる中でゆっくりと手を伸ばしたのはレックスだった。怯えるような目で引き絞るように引き金を引き、カチンと金属音がなった時、彼は脱力したように拳銃を机に落とした。続いてブラック、彼女も泣きそうな顔で引き金を引く。きりきりと回るシリンダーがまるで絞首台の縄を準備するようにゆっくりと動き、そして彼女はその宣告を逃れた。

「許さん、もしあんたが残すとしたら誰が残る?」

「あなたね、機材の故障に対応できる。」

「俺は、この場所に残るのだけは絶対に嫌だ、それなら全員で発ちたい。」

「ならあなたが負ける事ね、負けた人に決定権がある。」

私はゆっくりとリボルバーの銃柄を彼に差し出す。私は出来れば選びたくない。決まったことの責任を取るのが責任者の仕事だ。決定をしてくれるのであれば私に異論はない。

「それで、本当に?」

私はゆっくりと頷き、彼に銃を差し出す。彼が逡巡するのがよくわかる。つまるところ私は選択を彼に押し付けているのだ。内心では分かっているが、私にできるのは自身が選ぶことではなく、誰かが選ぶことを後押しする事だった。いい性格をしている、とは思うがそれでもまだ、停滞の中で取り残されるよりはましだと言い聞かせる。

イーデンは震える手でゆっくりと銃を握りしめた。こめかみに銃を向け、地獄に堕ちろと言ったような恨みのこもった目で私をゆっくりと睨みつけた後……引き金を”二度”引いた。

食堂の狭い部屋に乾いた銃声が響き渡った。


その日、私たちは太平洋の孤島から日本へ、長く険しい旅に出る事を決めた。それは、長い人生からすれば小さな、ほんの些細な旅路ではあったが、一方で、世界が変わってしまった事を再確信する事になる分岐点であることは疑いようがなかった。

イーデン、彼は全員で旅に出る事を選択したのだ。


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