令和元年の神々
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「社長、そろそろお時間です」

 腕時計を確認し、トートが言った。時刻は13時を少しばかり過ぎていて、彼にとってはそれが悩みの種だった。

「もう少しだけ」

 ヘルメースは彼に背を向けたまま、商品棚の前を行ったり来たりした。溢れんばかりの知的好奇心といくばくかの悪戯心をもって、彼は冷気を噴き出す棚から果実の写真と赤色の装飾が印字された飲料缶を手に取った。古代ギリシア語、それも古典的なクレタ方言で記述された原材料名表示は、彼にとってはいくぶん読みづらかった。

「翻訳精度がまだ低いな。訛りがかなり入ってる、これじゃあだいぶ読みにくいぞ」
「アルゴリズムの強化が必要ですね。依頼を出しておきましょうか」
「そうしてくれ。なあ、この缶に入った……桃のネクタルは本物だと思うかい? 人間はついにあの味を再現できるようになったのかな」
「少なくとも、あなた方の知るものとは別の何かだと思いますが。このタイプの桃はあなたの故郷では育たないでしょうし、厨房の神が工場の瓶詰め機を好むとは考えづらいので」
「それもそうか。だが、何事も冒険というからね!」

 彼は陽気にステップして、ついでに革靴で器用に一回転してみせた。
 商談成立後の彼は、こうして動作の端々に踊りが交じるのが常であった。

「こいつと、何か小腹の膨れるものを買っていこう。どこにでも店があるというのはやはり便利だね。パンは少しばかり堅いほうが好みだが、まあ干しぶどうが入っていることだし、贅沢は言えないな」
「……お早くしてくださいね」

 賢い側近はこの奔放な上司が人の話を聞かないのをよく承知していたので、呆れつつ軽く肩をすくめた。コンビニエンスストアは確かに便利だが、干し葡萄が入った小麦パンのバターありとバターなしを並べて幾度も首をひねるような存在にとってはあまり効率的な場所ではない。横目でカウンターを流し見る──元より彼の目は上司と比較してかなり横の方にあった──カウンターのおそらくはまだ10代であろう店員は立ったまま居眠りしており、頭が危うげなバランスを保ちつつも前後左右に揺れ動いている。

「おやおや」

 このごろの人間は余裕がない者が多い。物質的には豊かであるのに、日中から眠るとは何事だろうか? 昼は彼の領分ではなかったから、せめてかの店員が夜は穏やかに眠れるようにと祈るほかはない。
 ひとつ頷いて、鳥頭の神は再び時計を確認した。実のところ、あまり時間はなかった。商機というのは常に手元に残しておける類のものではないし、ただでさえこの国は難しいのだ。儲け話はそこら中に転がっていたが、顧客は一癖も二癖もある連中ばかりで、商談にはなかなかの困難がつきまとった。
 先ほども大口の契約を纏めてきたばかりなのだ。集団観光は最も実入りのいい業態のひとつなのだが、今回は顧客が頑固な善神ばかりで少しきまりの悪いことになった。なにせトリスメギストス・トランスレーション&トランスポーテーション、我らがTTT社の社長は盗人と博徒の神でもある。『悪い子はいねが』ときつい北方訛りで憤る土着神たちを落ち着かせ、地中海周遊24日間観光パックの料金形態を説明するのは、偉大なる叡智の神にとってもなかなかの難行であった。

(為替レートの説明は、少しばかり改善が必要かもしれません)

 心の中で業務をひとつ追加する。ドラクマ金貨は地中海世界ではおおよそ馴染みの深い貨幣だ。これまで彼らはもっぱらこの金貨で商売をしていたのだが、この島国の同類たちはすっかり円という近年になって編み出された通貨に適応していたので、両替の際は少々厄介だ。
 医神としても名声を馳せる彼としては、医術に後半生を捧げた人間の肖像が記されたその紙幣は馴染みこそなくとも好ましいものだったが、支払いの際にはやはり難儀する。
 このお金はうちで扱ってないんで、と先ほどすげなく受け取りを断られたオボルス銀貨はまだポケットの中だ。慣れない紙幣を渡して在庫のありったけを買い込んだ、ナッツのたくさん詰め込まれた焼き菓子(フロランタンというらしい)が彼の好物である。飛び散った欠片が少々スーツを汚すのが難点なそれを啄む至福の瞬間に思いを馳せつつ、腕時計で3分が経過したのを確認し、彼は今度こそ我儘な上司を店の外に引っ張り出そうと決意した。
 
「あれえ? ヘルメス兄貴じゃない! こんなところで会うなんて奇遇ねえ」
「その声、その奇抜な服装、見覚えのないがどこか懐かしい金色の容貌かんばせ! さては我が妹へーべーか、いやあ奇遇だねえ!」
 
 可及的速やかにこの欲望の地を飛び去るという、偉大で哀れな苦労人の神の目論見は鮮やかに頓挫した。がくりと項垂れるアフリカクロトキの眼前では、スーツ姿の青年神と何か奇妙な──随分と改造されているが、原形はこの国の少年少女が纏う学校用被服の一種であろうか──服装をした少女神が旧交を温めあっている。カウンターの店員は未だに立ったまま揺れ続けていて、軽やかなスキップで入店してきた少女神を咎められるはずもなかった。

「我が妹よ、きみがこの島国を格別好いているのは知っていたが、まさかここまで入り浸るとは想定外だったぞ。その服装は何だい? いつから女学生をも守護するようになったのかな」
「えー、時代に合わせてるだけだってば。ここじゃあ青春といえば学生なの! オリンピアのむさ苦しさなんかとは無縁なんだから。兄貴もどう? まだまだイケるでしょ?」
「ううむ、妹の提案とあれば聞くのもやぶさかではないのだが、この僕にはまだ社長という役目があるからなあ」
「もう、トートといるときは堅苦しいことばっかりね。制服、似合うと思うんだけど」
「客受けが良いなら考えるとも。相手の意表を突いて取り入るのは商売の基本にして醍醐味だからね」 
「やめてください、社長が学生の格好をしていては仕事になりません」

 話が怪しい方向に向かう前に差し止めるのはいつも彼の役目だった。社の会計係の錬金術師はこういうときにはまったくの役立たずだ。

「ただでさえこの国では伝統を重んじる者が多いのですよ。富士山での一件をお忘れなく。もう二度と社殿から締め出されて雪の中を彷徨いたくありません」
「オリンポス登山で神体からだを鍛えておけとあれほど言ったのに、寒いといって聞かないからだ」
「トートっていつも堅物よねえ。おにぎり要る? この前、北の方のコンビニで会った熊さんが、このチェーンの鮭おにぎりは美味しいって言ってたのよね」
「私はコメは食べませんし、寒さは大の苦手です。へーべー、兄妹で語り合うのは結構ですが、私たちは商談を控えているのです。もう時間が──」
「商談? 今から?」

 ヘーベーが首を傾げる。彼女の権能を表す春の花冠を象ったネックレスが、その動きに合わせて小さく揺れた。

「それって今日は難しいんじゃないかなあ。どうせ相手はここの土着の神でしょう?」
「無論だとも。訪問販売は我々の得意とするところだからね──それで妹よ、僕たちの実り多き商談が難しいというのかい? いったい何故?」
「だってさあ」

 言葉と同時に虚空から携帯端末が無音で引き出される。銀色のラメと大量の模造ビーズで装飾された端末は、彼女の手に触れる前から液晶画面に光を灯し、正常に──使い手の素性からすればある種冗談のように──起動した。

「流石に無理じゃない?」

 そう言って差し出された端末の画面──彼女と馬に乗った軍服姿の7人の女性がポーズを決めた小写真プリクラが端に貼られていたが、トートは努めて無視した──の中では、初老に差し掛かったスーツ姿の男性が、壇上で大きなパネルを掲げる姿が動画として流れている。
 カメラのフラッシュで壇上が染め上げられる中、掲げられたパネルには白地に黒の毛筆で、二文字の漢字が大書されていた。

「これはもしや。……さては発表は今日でしたか」
「5月1日だもの。忘れてたの? この国の神々ときたら、今日はお祭り騒ぎでしょう。まともな話になるのかなあ」
「ううむ奥深き元号文化よ。僕らには縁遠いものだからなあ」
「先ほどの商談ではそんなことは一言も…………ああ、彼らは山奥から出てきたばかりでしたっけ」
「どうりで店に元号記念の商品が多いわけだ。同じことばかり書いているから自動翻訳が捗るとしか思わなかったけれど」

 ふうむ、とヘルメースが唸る。深き智慧を湛える空色の瞳が悪戯っぽく輝いた。

「どうせなら買い込んでおこうか。祝祭は大事だ、そうだろう? この時代、捧げ物を神殿で燃やすわけにはいかないけどね。直々に見分というのもいいじゃないか!」
「いいんじゃないのー? 今どきは楽だよね、なんでもコンビニで買えるんだもの」
「いえ、贈答品を買うにはコンビニエンスストアは不向きなのでは…………」

 鳥頭の神が止める間もなく、偉大なる商人の守護神は安っぽい新元号の特集商品を集めた棚に飛びついた。
 ああ、と顔を覆う賢神にひらひらと手を振って、少女神はおにぎりを片手にカウンターへ向かう。
 レジの店員がヒュプノスに魅入られているさまに少し驚きながらも、彼女は流れるように改造制服のポケットからぴったりの金額を取り出してキャッシュトレーに押し付けた。
 店のガラス扉が開くと同時、彼女の姿は靄がかかったように薄れていく。神々がベールと呼び習わすその力によって、ヘーベーの闊達な足取りが掻き消され見えなくなるのにそう時間はかからなかった。
 後に残されたのは項垂れるアフリカクロトキと、棚の奥で宝探しに明け暮れる大男の二柱。

「ううん、いいなあ! やはりコンビニってのはアイデアの宝庫だね。別の私もここで買った飲料水がお気に入りで、翼を授けるのに使っているようだし。神々をも惹きつける便利さ、奇妙さ、猥雑さ! やはり人の町たるはこうでないと。──なあ、この煎餅なら君にも食べられるかい?」
「………………もうなんでもいいですから、早くしてください」

 首を振ってお手上げのジェスチャーを示す人身鳥頭の神と、笑顔で土産物を両手に抱える青年神。
 左右に揺れ続ける店員の頭上、レンズを鈍く光らせる監視カメラだけが、彼らの姿を映していた。


補遺: SCP-1988-JP-A接触記録
2019/5/1、神奈川県横浜市のローソン████店でSCP-1988-JPが発生しました。SCP-1988-JP-Aの店舗滞在時間が比較的長かったことから、近隣のサイトから現場に出動した機動部隊および同行した研究員がSCP-1988-JP-Aと接触しました。

以下はインタビュー記録の書き起こしです…………

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