覆面男の憂鬱
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『それでは次のニュースです。先日、大阪府堺市にて確認された巨大な卵が孵化しました。』

 ソファーに深く腰をかけ、テレビを虚ろな目で見ている男がその部屋にはいた。
 片手にはリモコンを持ち、背の低い机の上に足を乗せながら男はただただ脱力しきっていた。
 机の上には、付箋がいくつも貼られたテレビ雑誌やオレンジジュースの瓶と飲みかけのグラス等、物が散乱していたがまったく意に介さず、足でグラスを倒しても見向きもしなかった。
 時刻は午後六時を過ぎたばかり。部屋の明かりは控えめで、窓の無い室内はテレビの光が照明代わりになっていた。書類や雑誌、何らかの装置に玩具のようにしか見えない銃が数丁乱雑にぶちまけられている床からは、とてもまともな暮らしをしているとは誰も伺えないだろう。この家には男がただ一人で住んでいた。二階建ての一軒家で、家族四人で住んでも広いぐらいの大きさだった。こんな生活をもう何十年も過ごしている。他人と会話をしたことは、この家に移り住んでから一度も無い。当然、訪ねる人間も居なかった。その日までは。
 
「お久しぶりですね、天王寺博士」
 誰もいないはずのソファーの後ろから不意に誰かに呼びかけられるも、そうなることがわかっていたかのように驚くことは無く、ゆっくりと体を起こした。
「誰だアンタ」
 後ろを振り返ることはなく、疲れきった声で聞いた。
「俺ですよ。那澤和です」
 小さく息を吐き出し、ぞんざいに答える。
「そんな奴は知らん。それに俺は」
 言いかけるも、続きを言わせないように言葉を割り込ませる。
「本名、天満京一てんまきょういち。財団でのコードネームは天王寺響。京大を主席で卒業。友人達と卒業旅行中にオブジェクトに遭遇し、その場でこれを簡易的に収容した功績が買われ、内定の決まっていた研究機関から財団に鞍替えし、以降二十年間財団職員としてその責務を果たす。財団内での評価は……」
 もういい、と声を張り、大きなため息を吐くと天王寺は起き上がる。そのまま何も言わずにグラスをもう一つ棚から取り出し机に並べ、旧知の男を対面のソファーに座るように促し、テレビの音声をミュートにした。

 なごむは何故かピンク色のナース服を着ていたが、天王寺はそこには特に触れなかった。そんな気力も無かった。
「……で、なごむ、お前今更何しに来た?」
 天王寺はまたソファーに深くもたれかかり、変わらず覇気の無い声で聞いた。
「そんなの決まってるでしょ。戻ってきてくださいよ。財団に」
 なごむもまたソファーに深くもたれかかり、明るく快活な声で答えた。
「断る」
「どうしてです?」
 側頭部を掻き毟りながら、天王寺は大きく息を吐いた。
「俺はなあ、もう嫌になったんだよ」
「何がですか?」
 なごむは無邪気そうに尋ねる。
「この世界の全部がだ」
「えー、滅茶苦茶たのしいじゃないですかー」
 満面の笑みを浮かべるなごむとは対照的に、天王寺の表情は憂鬱に満ちていた。
「お前はそうかもしれんが俺はもう嫌なんだ」
 息を吐くと同時に言葉を紡ぎ、天王寺は俯く。

「この世界で毎日何が起きているのか本当にわかっているのか?」
 顔を上げ、なごむを睨みつける。
「勿論ですよ。でなきゃ今もエージェントなんてやってませんよ」
「まずそこだ。今もエージェントやってるって言ったけど、お前今年で幾つになった?」
「九十四歳ですが」
 当たり前だと言わんばかりに答える。
「……おかしいと思わないのか、お前の外見はどう見たって二十代前半だ」
「天王寺さんだってもう百十歳超えてるのにまだ三十代に見えますよ」
 一瞬、天王寺は言葉を詰まらせる。
「……いや、なんで俺ら歳取らなくなってんだよ」
 今更何を言っているのですか? と呆れ気味になごむは言葉を返した。

 何がきっかけかはわからないが、ある時期を境に、財団の許容量を超える量と規模のオブジェクトが次々に出現。当初は従来どおりの対応をしてきたものの、少しずつ限界を向かえ、結果的に財団を始めとする各要注意団体の存在はいつしか公然の秘密と化し、対応が追いつかなくった。
 このときに取られた対応の一つに、全世界の全職員は不老化するというものがあった。当時、天王寺もこれには賛同していた。
 だが、今となっては後悔しかしていない。

「あのとき断っていれば、もうとっくに死んでいたはずなのにな」
 聞こえるかどうかの小声で呟いたのを、なごむは聞き逃さなかった。
 数秒ほど、気まずい沈黙が発生した。あまりこの方向に進むのは良くないと判断し、なごむは違う話題を切り出した。
「ところでなんで関西弁キャラと覆面キャラやめたんですか?」
 天王寺の顔をじっくり見つめながらなごむが問いかける。
 今の天王寺は覆面もしていなければ服も着ている。外見だけではどこにでもいる普通の男としか言いようがない。
「ああいうのは、まともな奴が多いから成立するんだよ。今は世界がこんなことになってるんだ。もうやる意味ねえだろ」
 天王寺がリモコンを押し、テレビの音量とチャンネルを変える。
 十秒程度で次々に番組をザッピングし、チャンネルを一周させていく。
 番組の大半はニュース番組で、それぞれの局で違う内容のニュースが流れていた。

 ある現実改変者の女子高校生が、彼女の通う高校を中心に同じ部活のメンバーを巻き込み、異常空間を作り出した事件。
 一週間に一度、異常なヒューム値を検出していた赤塚市の数々の超常現象の原因となっていた六つ子の逮捕。
 別世界ではドラゴンやエルフやニンジャだったが、この世界に人間として転生したと主張する人間の増加現象。
 インストールするだけで自分の周囲に五分に一匹のペースで猫を出現させるアプリの紹介。
 SCP-1264の一部がそれぞれ二人の美女となって、海上自衛隊に保護された騒動。
 巨大な空母の上で戦車戦を行う女子高校生の密着取材。
 ほぼ全てがニュースだったが、ある局だけは、二人の男が向かい合い、何か話しているドラマを放送していた。

 そのどれもが異常としか言いようがない。だが、それは天王寺にしてみればの話だ。
 大半の人間はこの状況を何も思ってはいない。いつからそうなったのかも誰も気にしていない。この世界はそういう世界だと思い、それ以上のことは深く考えようとしていない。
 天王寺はそんな世界に嫌気が差し、財団から離れ、都会から離れ、古き良き時代の残る田舎で一人隠遁生活をしていたのだ。

「今更、財団が何を出来るって言うんだ?全部が手遅れじゃねえか」
「それでもまだまだやることはありますよ。むしろこういう状況だからこそ出来ることもあります」
なごむは真っ直ぐに天王寺の目を見つめる。沈黙。天王寺は一瞬目線を合わせるも、すぐに目線を外し、俯き、再び沈黙した。
「……俺にはもう無理だよ」
 数秒か数十秒か続いた沈黙にその一言だけを残し、机の上のテレビ雑誌に目を向けながら、天王寺は頭を抱えた。

「もう帰ってくれ。これから風呂に入るんだ」
「じゃあ、一緒に入りましょうか?」
 冗談とも本気とも取れる発言と共に天王寺の顔を覗き込むも、天王寺は「いらん」と話に乗ろうとすらしない。なごむは何かを考えるような表情を一瞬見せ、どこからか手のひらサイズの端末を取り出し、時間を確認する。時刻は午後六時二十四分。今週はこれ以上無理だと判断し、「そうですか。わかりました。では、また来ます」とだけ言うと、なごむは音も無く一瞬にして、ソファーから姿を消した。
 再び一人になった天王寺は、大きなため息を吐き、天を仰ぎ、しばらくの間、そのまま微動だにせず時間が過ぎるのを待っていた。

 テレビの隅に表示されている時刻が午後六時三十分を超えたとき、ようやく天王寺はソファーから起き上がった。
 そして、机の上のテレビ雑誌を開き、ある局の今日の番組表、午後六時の欄を確認した。

SCP-JP 第2178話 覆面男の憂鬱

「今週から四週かけて天王寺さんが財団に戻ってくるまでの話やりますからねー」
 開かれた部屋の扉からなごむが顔を出し、それだけ言い残して改めて去っていった。
 天王寺はテレビ雑誌を握り締め立ち上がり、腹の底から叫んだ。

「ああ知ってるよ! 全部これに載ってたからな! だからこんな世界嫌なんだよ!」

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