女性なのにジョー”キング”とはこれいかに
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「ハーイ! 財団本部、サイト-77より参りました、ナノ・A・ブラーナと申します!」
いつもの書類仕事に追われていた船盛研究員の下へいきなりやって来た、金髪碧眼の小柄な女性。いわゆるコーカソイドで、恰幅の良い中年男性の隣にいることも手伝い、妙に眩しく映る。
財団本部からの出向研究員。連れてきた張本人、彼の上司である研究主任からそう説明された。とにかく挨拶せねばと、船盛は慌てて立ち上がると、胸元のIDを掲げながら自己紹介した。
「え、あ、はい! 失礼……船盛智介と申します。こちらこそ、宜しくお願いします」
予想していたより、遥かに日本語が上手い。それが彼女の正直な第一印象だった。女性は――ナノは、ぺこりと一礼。斜め後ろで束ねた髪がぴょこんと跳ねる。慌てて船盛も一礼を返した。それを見届けた主任は、船盛の肩をポンと叩く。
「というわけで、すまないが……ナノ君をちょっと、簡単に案内してあげてくれないかな。仕事の方は?」
「わ、私がですか。いえまあ、仕事は丁度一段落ですが」
挨拶だけかと思いきや、思ってもいなかった頼み事。船盛の顔に、一瞬だけ狼狽の色が浮かぶ。
「私みたいな頭も寂しいオヤジよりは、トシの近い君の方が話も合うだろうと思ってね。何か都合が良くなかったかい?」
「いえ、そんなコトは。わかりました、私で宜しければ」
ははは、とオーバーなアクションで笑う主任。残念ながら、彼には跳ねる程の髪がないのが現状だ。
「君のクリアランスで行ける範囲だけで構わないよ。それじゃあ、あとは若いモン同士で。なんてね」
スタスタと足早に去る主任。
こういう時だけは早いな――パソコン作業用の眼鏡を外しながら、口の中で船盛はぼやく。立ち上がると、ナノと目が合った。ずっと見られていたのだろうかと思うと、やや気恥ずかしい。
「えーと、それじゃあ……ブラーナさん。今からこのサイトをご案内しますので」
「ヨロシクお願いします! ア、ワタシはナノでいいですよ」
改めて互いにお辞儀。それから連れ立ってオフィスを後にする。
サイトを人に案内するのも初めてであるし、自らのクリアランスでは入れない場所もある。何より相手は、かの財団本部からの出向研究員。新人に近い扱いとは言え、研究員としての経験は間違いなく自分より上だろう。無礼を働くことはないか。不十分な案内では、サイトの、延いては日本支部の格を下げることにならないか。案内される側より、案内する彼の方が間違いなく緊張していたのは事実であろう。
そして案内開始から30分――船盛は、早速疲れていた。だが、案内そのものに難儀していた訳ではない。それなりに歩き慣れたサイトであるし、以外とスムーズだった。ナノの人間性に難がある訳でも決してない。極めて明るく気さくで、実に話しやすい。
「あそこに見えるのが、植物関連のプラント施設ですね。植物系オブジェクトとかは、大体あそこに」
「ワーオ! ワタシのいたサイトのものより大きいかも知れませんね。さぞ、凄まじい技術が?」
目を輝かせるナノに、船盛は首を傾げる。
「確かに、実用できうる技術の殆どは突っ込んでいるでしょうけれど」
「実はそんなコト言って、本部にも知らせてないような、とんでもない技術を実用化してたりするんでしょう?」
彼女はニヤニヤと笑っている。来たか、と船盛は若干身構える。
「どうでしょうか……」
「で、あそこ、もしもに備えて自給自足のための食用作物なんかも育ててたり。例えば、大葉とか」
「うーん……ところで、なんで大葉なんですか?」
「だって、ホラ。これがホントの、大葉テクノロジー」
しん、とした静寂。鹿威しを鳴らしたかのような。暫く待って、ナノがぺろりと舌を出した。
「……イマイチ、ですか?」
「正直に言えば」
――彼女は来日以来、日本語を使った駄洒落にすっかりハマっているらしい。それ自体は構わないが、こうも事ある毎に聞かされては、若干ながら精神の表面が削れてくる。
「Ummm……ニホンゴ、ムズカシネー」
「あなた凄く流暢じゃないですか……じゃあ次は」
「オット、これは失礼」
歩き出す船盛を追い、ナノがペンとメモ帳を持ち直す。無論お喋りばかりではなく、きちんと話は聞いているしメモも取っている。財団本部からの出向研究員だ、仕事に関しては抜かりのあろう筈もなかった。だからこそ、駄洒落マニアという部分の残念さが際立つ。雑談の間にいつしか、今日一日の間に彼女の駄洒落が船盛に三度受けたら、船盛は彼女に明日の昼食を奢るという契約まで交わされていた。無論、三度に満たなければ立場は逆だ。
「そう言えば、ナノさんがいたところにはどんなオブジェクトが? 守秘義務とかなければですけど」
「アー、そうですねえ。サンゴガニになっちゃったヒトの頭とかありましたよ。サイトで飼育してるんですけど」
「そりゃまた物騒というか、不思議というか……ここに勤めてて、って感じもする言葉ですけど」
「アハハ! それはしょうがないですよー。確か名前は、ムロマチ……いや、カマクラ?」
唇を指でつまんで考え込むナノ。かと思えば、ちらりと視線を飛ばしてくる。船盛はポン、と手を打った。
「……エド、というお名前だったり?」
「エクセレーント!」
ナノは大喜び、両手を挙げて一回転。
「サスガ、日本男児は違いますねー! サムライのソウルが今も!」
「関係あるんでしょうか……あ」
外が見える渡り廊下。その向こう側から、白衣を着た小柄な女性が歩いてくる。否、白衣よりも見るべき部分は多い。白衣の下から見える、真っ赤な袴。髪は黄色がかった銀髪で、狐の耳にも見える独特な跳ねが飛び出した、何とも不思議な髪型だ。
「御先さん、こんにちは」
「こんにちは。あら、そちらは」
「あ、えと、本日からこのサイトに。財団本部からの出向で」
「ナノ・A・ブラーナと申します! どうぞヨロシクお願いします!」
「まあまあ、これは。御先稲荷と申します。こちらこそ、宜しくお願いしますね」
柔らかく笑って、狐耳――もとい、御先稲荷は深く一礼。それから、「是非また今度お話しましょうね」と言い残して、二人の来た方向へ歩いていく。
「不思議な方ですねー」
「優しい方ですよ。なんでも、Anomalousアイテムなんかの声が聞こえるとか、なんとか」
「オー……声なき声に耳を……ア、そうだ。ちょっといいですか?」
返事を聞かず、ナノは何故か御先を追いかけていく。先に追いついた彼女は、御先へ頭を下げ、何やら頼み込んでいるように見える。船盛が追い付くと、彼女は苦笑いを浮かべた御先の後ろに回り、突如、彼女の顔に両手をかけたのである。
丁度、目隠しをするような形で。

「オサキマックラ!」

船盛は慌ててナノを引き剥がし、御先へ向けて頭を下げた。と同時に、ナノの後頭部を掴んで水飲み鳥の如く頭を下げさせた。
90度、100度、110度。


「ノ、ノォォー……ワタシの腰が、荘厳なるカルミナ・ブラーナを……」
「また今度、改めて謝って下さいね……?」
幸い、御先は笑って許してくれたが、船盛は気が気でない。ナノは優秀な研究員だと思っていたが、もしやこの出向は左遷なのではと訝しみかけたのが正直なところだ。かくかくと妙な歩き方になったナノを一応気遣いつつ、船盛はサイトのあちこちを案内していく。
「そういえば、噂程度にしか聞いたことないんですけど」
「ハイ、なんですか?」
「本部には、ダジャレに対してツッコミを入れてくるトマトがあるって聞いたんですが」
「ありますよ! いささかバイオレンスですけどねー」
「それって、あなたの所には……っと、この辺りには過去のオブジェクト研究資料がありまして」
二人の前には本棚。いわゆる資料室の一角だ。データベースだけではなく、物理的に捲って見られる媒体に保存することにも勿論意味がある。
「たっくさんですねー……ひとつ、拝見しても」
「もちろんですよ」
ナノは少し背伸びをして、頭より高い位置にあったファイルを一冊抜き取る。開きかけ、手を止めた。
「ア、ミームとかは」
「大丈夫です、流石にそこまで迂闊じゃありませんよ」
「ですよね」
『ゴメンなさいね』と小さく詫び、ナノはファイルを開いた。彼女の問いは念の為だ。ファイルの中身は超常現象記録のようで、開いたページにファイリングされている写真はどうやら、洞窟の入り口のように見える。別の写真には、内部から採取したらしき鉱石。
「SCPオブジェクトじゃないか、って疑われていた洞窟のようですね。私も少し見ました」
「ナニナニ……足を踏み入れると、周囲の鉱石や岩盤が語りかけてくる? やがて子守唄を歌い、眠りへと誘う……」
「作りが複雑みたいで、風の音が幾重にも重なったり、鳴り響いたりで、声のように聞こえたそうですね。結局のところ」
眠りに誘う云々は、洞窟奥で一酸化炭素中毒になった人物がいたことからの誤解。よくあるパターン。
「いかにもな怪談の誕生秘話っぽい感じですけどね。もし本当に何か異常があった時のために残してるんでしょうね」
「オー、まさにホラーな洞穴と」
「……さっきのトマトのやつ、ナノさんは絶対関わってないですよね。関わってたら今頃」
「ワタシの顔がマルガリータピザみたいになってましたねー」
心が広いのか自覚があるのか、はたまた両方か。特に怒ることもなく、ナノは笑ってファイルを戻した。
二人は資料室を離れ、隣の研究棟へ向かう。主にバイオロジカルな研究まわりの設備が多い。その最中、廊下から窓の向こうに並ぶ微生物培養のインキュベーター群を眺めていた時だ。不意に空いた研究室のドアから、船盛にとってやや見慣れた顔が出てきたのである。
「あっ、鳴蝉博士。こんにちは」
「あら、こんにちは。今日はデートですか?」
鳴蝉時雨――クリアランス3の博士だ。船盛も数度、彼女が監督を務める実験に参加したことがある。肩に乗った蝉のような存在にも、流石に慣れてきた所だ。
「でっ……違います。本部からの出向研究員の方を、案内して」
「ドーモ! ナノ・A・ブラーナです! 以後お見知りおきを!」
「これはどうも。鳴蝉時雨です。セミについて知りたかったら、是非私のところに」
「セミ、ですか?」
「博士、それはまた今度で」
虫は好きなのか、ナノは興味のある素振りだったが、船盛が慌ててそれを遮った。鳴蝉は少し残念そうに唇を尖らせつつ、頷く。
「ちぇ。本部の方にも日本のセミの良さを知って頂ける、いい機会だと思ったのですが」
「え、ええ、残念ですが。それじゃ、お邪魔するわけにもいきませんし、私達はこれで」
「おっと、これは失礼しました。私も実験の合間でしたし、続きはまたの機会に」
鳴蝉は二人に笑いかけると、ぶらぶらとのんびりした歩き方で、鼻歌混じりに廊下の向こうへ消えていく。その背中へ暫し手を振っていたナノが、船盛に尋ねる。
「ナルセミさんは、セミ博士なんですか?」
「ええ、それはもう。一度語り出したら止まりませんよ。以前厨房付近で捕まった同僚が、セミの天ぷらを食べさせられそうになったとか」
「オー、まさしくセミのお話は、博士のテンプラートというワケですね?」
「おしいですね」
「どっちがですか?」
「ダジャレ。セミ語りがテンプレなのはその通りですが」
二人は歩き出した。研究棟を抜け、食堂の方向へ。
「なんかイロモノみたいに言っちゃいましたけど。鳴蝉博士、研究者としてはとても優秀な方ですよ。何度もお世話になってます」
「ワオ! しかも研究の傍ら、やむを得ない職員の終了措置まで担当とは……大変ですねー」
「え? そんな仕事は……」
「だって」
ナノは立ち止まり、船盛を振り返った。

「ナルセミさんは、シケイダー博士1、なんでしょう?」

船盛は一瞬、面食らった表情になった。
「ああ」
思わず漏れ出た呟きを、彼女は聞き逃さなかった。ずいっと顔を近付け、歯を見せて太陽のように笑った。
「ワンストライク!」
「む、む。確かに、今のはお見事でしたけど」
素直に認める船盛。ナノは一層嬉しそうに、白衣の襟を大仰な仕草で正す。
「さあさあ、次のネタはなんですか?」
「趣旨変わってますよ……」
元気なのはいいことだ、と船盛は前向きに考えることにした。


夕刻近いサイト-81██。夏場だけあり、窓の向こうはまだ日も高い。
船盛は廊下で立っていた。学生時代、特に廊下で立たされた経験はないが、無性に心細い気分になる。
(すごいな、やっぱ)
傍らにはいないナノの存在が、その心細さを際立たせているのは間違いない。彼女はすぐ隣にあるドアの向こう――サイト管理官のいる応接間にて、何やら小難しい手続きを行っている。今日の内に済ませたいものがある、と声を掛けられ、サイト案内は中断された。そのまま、三十分以上。詳しいことはあまり知らないが、何故か日本語と英語の両方が、およそ交互に聞こえてくる。どちらもネイティブ同士の会話としか思えないほど高度だ。異様に長く思える待ち時間の果てに、ドアが不意に開いた。
「ヤー、お待たせしました!」
「申し訳ないね。サイトの案内の続きをお願いするよ」
ナノは当然その場に残り、書類の束を手にした管理官は会釈して廊下の向こうへ。彼の去る方向へ深い一礼を暫く続け、船盛は上体を起こした。だが歩き出せず、ナノの方を見たまま、口ごもった。
「どうしました?」
「……その、今日は、なんというか、申し訳ないと」
「え、なんでですか?」
心底、その理由が分からないと言いたげな彼女の表情。船盛も上手な言葉が見つからず、探りながら一つずつ、単語を繋ぐように答えた。
「えーと、なんと言いますか……ナノさん、本部からの出向ってことは、とても優秀な研究員の方のはず、ですよね。なんか今日一日、かなりの無礼を、働いたような気が、しまして」
視線を彷徨わせる彼を見て、ナノは尚も屈託なく笑って見せた。
「ワタシは、嬉しかったですよ? なんていうか、初めて漫才の相方が出来たみたいで」
首から下げた職員のIDカード。クリアランスは2。日の光を反射して輝く。
「……もうちょっと上手い例えは、なかったんでしょうか」
「これ以上ないくらいの例えだと思ったんですけどねー。実際ツッコミまくりだったじゃないですか」
船盛も気付けば笑っていた。傾いた首から下がった、自らのID。クリアランスは1。
彼女の駄洒落癖は、自分を委縮させまいとした演技だったのかも知れない。そう思うとますます恥ずかしくもあった一方、嬉しくもあって、自分でも己の感情がよく分からなくなる。
「すみません、なんか面倒なことを」
「モー、また謝ってます。気にしなくても……ア、じゃあ、そうだ」
不意にナノが廊下の端へ視線を投げた。向こうには遠くからでもそれなりに目立つ、昼間に続いての御先の姿が。残業でないのなら、そろそろ退勤の頃合いだろう。
「じゃあ代わりに、新作聞いて下さい!」
返事も聞かずに彼女は小走りで御先の下へ。手を引いて戻って来る。
「アナタの人生を30秒だけお貸し願えますか?」
「はい、いいですよ」
大仰な仕草で許可を得、ナノは御先へとこんな質問を投げた。
「オサキさんは、オブジェクトの声を聞く事が出来るとか」
「ええ、そうですよ。Anomalousとか、やや限られますけれど」
「なるほど、ここに勤めて三年目、毎日のように声を聞くのは大変でしょう」
「え? いえ、申し訳ありません。私はまだ一年目で」
「あれ、そうなんですか?」
ナノはここで、成り行きを見守る船盛へ視線を移し替えた。ニヤリと笑い、続ける。

「サードイヤーをお持ちなのに、ファーストイヤーでしたか。これは失敬」

一瞬の静寂の後、御先がぱちぱちと手を叩き、顔を輝かせた。
「まあ、お上手ですね!」
「どうですか!? さっきのお話の間に頑張って考えたんですよ!」
「ちょ、さっきの大事な会話中に!? いや、上手いですけど、いいんですかそんなの」
「時代はマルチタスクですよ、フナモリさん! ツーストライク!」
御先におだてられ、からからと笑うナノを見て、船盛は認識を改めた。彼女の駄洒落癖は、演技でもなんでもない。素だ。
(でもまあ、ツッコミ役がいた方がいいのかもなあ)
そう思うと、悪い気はしなかった。


「ヤー、お疲れ様でしたー。慣れない環境で大変だったでしょう?」
「それ、全部私の台詞ですよ」
オフィスへ戻った時、時刻は午後六時を回っていた。机の上に、特に追加の書類もない。今日はなんとか、このまま帰れそうだ。船盛は椅子に座り、息をつく。
「ソレにしても、素敵な方が多いですね、こちらは」
ナノがデスクから身を乗り出してくる。船盛は少しだけ遠い目になって、言葉を絞り出した。
「……そうですね。毎日大変ですし、無茶ぶりもありますけど。皆さんのおかげでやってこれましたから」
「ワタシも」
彼女に視線を戻すと、何度目か分からないが――きっとこの日で一番と言えるだろう笑顔を浮かべていた。
「なんだか、皆さんと一緒に頑張っていける気がします! これからも、どうぞツッコミ役をお願いしますね、フナモリさん!」
船盛は、まいったな、と呟いた。嬉しかったのだ。
「ええ、お任せ下さい。わざわざ言う必要はないとは思いますが、大事な業務中は控えて下さいね」
「そりゃモチロン、マルチタスクでアイディアを練るだけに留めます!」
「おっ、終わったのか。ご苦労様だったね、二人とも」
おいおい、という脳内での突っ込みは遮られた。研究主任が通りかかり、二人を労う。彼の手には近所のドラッグストアのレジ袋で、中身が結構詰まっている。休憩中に寄ったのだろう。
「ええ、一通りは。今日はまだ何かありますか?」
「いや、特にないよ。二人とも今日はこれで上がりなさい。明日も宜しく頼むよ」
主任は強調するように手にした袋をちょっと掲げる。嬉しい申し出だ、甘えない理由もない。
「ハーイ! ヨロシクお願いします!」
「有難う御座います。お疲れ様でした」
頭を下げる二人に再度会釈し、主任は自らのデスクへ戻っていく。するとナノが、小さな声で船盛へ尋ねた。
「主任さんの袋の中にあったのって」
「ええ……育毛剤ですね。まあ、気にしてるのか気にしてないのか、絶妙なところですけど」
中身の詰まったポリ袋から、ラベルが透けて見えていた。頭髪が寂しいことを自ら笑いのネタにしていく一方、このような事実を見つけてしまうと、どうにも接し方に悩んでしまう。船盛が微妙な思いになる中、ナノはデスクへ向かう主任を見やっている。
砂漠化の進行する頭部と、袋の育毛剤。それを交互に何度も見てから彼女は、船盛にしか聞こえない声量で、そっと呟いた。

「……At No More Tree……」

彼女は間違いなく、船盛が飲み残していたコーヒーカップを口にするタイミングを計ったに違いない。盛大なカフェインのシャワーが、物の少ないデスクに降りかかる。
こうして船盛研究員は明日、ナノ研究員に昼食を奢ることが確定したのである。

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