迷い子は夢に沈む
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「速報です。先程、神奈川県██市のJR██線██駅で、高校生とみられる男女が線路内に飛び降り、走行中の車体に撥ねられ全身を強く打ち死亡しました。これにより、現在も交通の遅れが発生しています。現場駅前に──」

また自殺か。
一昨日は飛び降りで、その前は確か…車の中で練炭自殺だっただろうか。いずれも男女の、あるいは同性のカップルによる無理心中だったようで、最近よく耳にするニュースである。
ワイドショーのコメンテーターが、憶測を並べ立てて馬鹿みたいに騒ぎたてる様を、私は呆けたようにただ見つめていた。
土曜の昼下がり。風がレースをふわりと踊らせ、新緑の爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。
そこに初夏のやわらかな陽射しが加わると、なんとも心地の良い眠気を誘ってくるのだった。
私はだらりとした姿勢を崩すことなくリモコンに手を伸ばし、そのスイッチをオフにした。

「心中、ねえ…」

少しずつ意識を手放しかけている頭で考えてみる。
彼らはなぜその行為に及んだのだろうか。
生きているのが辛くなるほどの理由があったから?
自分達の存在を世間は認めてくれなかったから?
死んでしまったらどうなるのだろう。
一緒に死ぬことが出来たら、ずっと一緒に居られるのだろうか。
そうしたら二人だけの世界で──

「……そうできたら、楽だろうなあ。」

咄嗟に漏れ出た言葉と自分の愚かさを「馬鹿みたい」、と一蹴する。
この曖昧な感情を覆い隠すかのように、側にあったクッションを抱き寄せ顔を埋めてみた。
そのまましばらくの間じっと耐えていたのだが、気をとられスマートフォンの画面を見てしまう。
見慣れたLINEのトーク画面。最新メッセージは相手のもので、それは二週間前で途切れている。
 
嗚呼、今日も伝えたい言葉が見つからない。
 



 
ひんやりと纏わりつくような空気。その違和感に私はゆっくりと瞼を開けた。
ベッドで寝ていた筈なのに…どうして座っているんだろう。
まだぼんやりと霞む頭をあげてみる。
その先に、知らない誰かが座っていた。

「こんにちはお姉さん、はじめまして!」

それが発した言葉で、今度こそ私の脳は覚醒した。
私の目に飛び込んできたのは白。
どこまでも果てのない白。
その空間に、にっこりと微笑みをたたえた少女が座っている。
流れるような髪に、透き通った肌。
そして、燃えさかる宝石のような赤い瞳。
それはまるで名画のような、ひとつの芸術品ようで──
私はまず、得体の知れない恐怖を感じた。

「あんた一体誰なの!?」

確かにそう言ったつもりだった。言葉が喉まで出かかっていた。
だが私の口は微動だにせず、それどころか視線を逸らすことさえ許されない。
身動きひとつとることの出来ない私の足の先から、恐怖がずるずると肌を這い上がってくる。

「どうか怖がらないで、可哀想なお姉さん。私はあなたの味方。あなたを助けてあげる為に来たの!」

助ける?私を?
一体何から救ってくれるというのか。

「大丈夫よお姉さん。私、あなたのこと全部知っているんだから!」

白い花は軽やかに笑う。

「私にはわかるわ、お姉さんの哀しみが。私なら、あなたを助けてあげられるの。もうこれ以上苦しまなくっていいのよ。」

理解が追いつかない。
この子は何を言っているんだろう。
この子は何を知っているんだろう。
そうか、これは夢だ。夢なんだ。
だったら早く、目を覚まさなきゃ。

「辛かったでしょう?哀しかったでしょう?…大切な人と離ればなれになって。誰もあなたを理解してくれなくて、家族からも見捨てられて!」

ぱき、ぱきん。
何かが、割れていく音がする。

「苦しみから解放されたくて、あなたは諦めようとしたわ。何度も何度も…でもあなたにはそれが出来なかった。だって──」

ぱきり、ぱきり。
音は止まず、罅は広がっていく。
それは薄氷の張った湖面に足を踏み入れたかのように。
 
お願い、これ以上進んでは駄目。
言わないで、その先を。

「あの人を心の底から愛しているから。」

瞬間、薄氷は砕け散る。
私はそのまま冷たい湖の中へ投げ出され、沈んでいくような感覚を覚えた。

…そう。私はあの人を愛していた。
いや、愛しているんだ。

──私は孤独だった。
良き両親の元育てられ、周囲からはさぞや幸せな家庭だと思われていただろう。
現実は真逆で、"私という人間とはこうあるべき"と常に行動を制限され、父の理念を押し付けられ、選択の余地のない人生を過ごして来た。
生きていても、心は死んでいる状態。
だから私は、家族がいたとしてもずっと孤独だったのだ。
…我儘で傲慢だと周りは思うだろうか。
 
そんな私を、夜の底から救ってくれたのがあの人──仁奈だった。
仁奈と出逢ったのは高校2年の春。学校行事でたまたま一緒になったことがきっかけで話す機会が増えたのだ。
とはいえ、当時の私は周囲と壁を作っていたので、はじめはあまり言葉を交わさなかった。必要最低限の情報をやり取りして終えるだけ。
他の人間なら、とっくに根をあげて私の前から去っていってしまうのに、仁奈だけは全く気にもとめずにその屈託のない笑顔を見せるのだった。
彼女は私が知らない世界をたくさん知っていて、私の中で鍵をかけ仕舞いこんでいた小さな好奇心を揺り動かした。
 
彼女をもっと知りたい。
私のことも知って欲しい。
そうして頑なな私の心は、徐々に、ゆっくりと、確実にとけていったのだ。

私達はいつしか親友になっていて、同じ大学に進学した。
それから更に親密になり、お互いをそれ以上の関係として意識し始めるようになるまで、さほど時間はかからなかった。 
性別の問題などどうでも良い。互いが一番の理解者だということ、それが何よりの心の支えであった。
 
このまま二人なら生きていけると思っていた。
障害など些細な問題でしかないと思っていた。
幸せになれるのだと、そう信じて疑わなかった。
二人でいる時間ほど、幸せなものはなかったのだから。
 
しかし、現実は違った。
それは酷く重くのし掛かり、私達の行く手を阻んだ。
──甘かった。
 
はじめは学校生活。
本当にふとした拍子に、私達の関係がゼミ仲間に知られてしまったのだ。
その噂は瞬く間に広まり、そして教員の耳に入ることになる。
古きを重んじる私達の学校は頭の固い教員が多かった。
とりわけ性の多様性についてはあまり理解を示してはくれなかったのだ。
それから程なくして、同じような学生からの執拗な嫌がらせが始まった。
私達は格好の餌食だった。
今思えば、理解を示してくれそうな人間もいたのだと思う。
しかしあの状況で声をあげることなど、一体誰が出来ただろうか。
最初こそ二人でなんとか耐えていた。二人だから耐えられていた、けれど──
結局私達は、学校を去ることになった。
 
次に私の両親。
私の話など聞く耳もたず、挙げ句の果てに"お前のせいで娘が異常者になった、どうしてくれる"と、仁奈の自宅へ怒鳴り込む始末。
私も、仁奈も、異常者なんかじゃない!
誰かを愛することがそんなに悪いことなの?
 
後日、私は何度も何度も謝罪を繰り返した。
仁奈はいつもの調子で迎えてくれたけど、やっぱりどこか哀しそうな笑顔だった。
私のせいで迷惑をかけ、そして傷つけてしまった。
それまで確かに噛み合っていた歯車は、少しずつ軋み、ずれが生じて。
少しずつ、お互いに距離を感じてしまった。
 
結んだ赤い糸に絡まり、呼吸の仕方さえ忘れた哀れな二人。
それが私達。
 
「──大丈夫、私が二人を助けてあげる。」

白く滑らかな手が、溺れていた私を強く拾い上げた。
私の瞳から大粒の滴が溢れて、頬を伝い落ちていく。
私を支配していたあの得体の知れない恐怖感は、いつの間にか消え去っていた。
 
「泣かないで、可哀想なお姉さん。私が、私だけがあなたを助けてあげられるわ。あなたは絶対に幸せになるの。誰にも邪魔されたりなんかしない。誰もあなた達を咎めたりしない。あなたは大切な人とずうっと一緒にいられるの!」

本当に?私達は幸せになれるの?

「そうよ、約束するわ。私とあの樹があなたの願いを叶えてあげる。だから…とっておきの素敵な"おまじない"、教えてあげる。」

お願い、教えて。どうか私達を助けて。

「その"おまじない"はね──」

蛇の甘言のように、少女はそっと耳元で囁いた。
耳にかかる吐息がゆっくりと思考を麻痺させていく。
「さようなら、お姉さん。そして、おやすみなさい。」
私はただ、薄れ行く意識の中で最愛の人を想っていた。
 



 
今、何時なんだろう…
傍らにある目覚まし時計を見た。
時刻は17:13、昼寝にしても少し寝過ぎてしまったようだ。
大きな欠伸をひとつして、私はあの奇妙な夢のことを思い出していた。
 
二人が絶対に結ばれる"おまじない"。
幸せになれる素敵な"おまじない"。
そんな都合の良いものなんてある訳がないのに。
でも。
それでももし、本当にそれが叶うならば──
 
「私は…あなたと一緒が良いな。」

私は勇気を出して、メッセージを送ることにした。
自分の素直な想いを、正直な気持ちを込めて送信した。
 
しばらくして着信があった。
一瞬戸惑ってしまったけれど──声が聴きたくて仕方がなかったから。
久しぶりに聴いた仁奈の声は、電話越しでもわかる程にぐちゃぐちゃに泣いていて、私は改めて謝罪の言葉と自分の想いを伝えた。
仁奈は時折嗚咽を混じらせながらも、ただ黙って私の想いを聴いてくれた。
そうして話し終えた後、仁奈も全ての想いを吐露してくれたのだ。
私達はやっと本当の意味で理解しあい、心から笑いあうことが出来たのだと思った。
 
そこからは時間を忘れて、あきるまでたくさん話をした。
他愛のない話や、勿論あの奇妙な夢のことも。
なにそれ、変な夢!と、楽しそうに仁奈は笑っていた。
 
仁奈からの提案で、来週末二人で旅行をすることになった。
急で日程は短いし道内旅行だけれど、卒業旅行が出来なかったこともあったし…なにより私達は、今まですれ違ってしまった時間を少しでも早く取り戻したいと思っていた。
私達の問題が完全に消えた訳じゃない。
これからも色々な壁が立ち塞がるだろう。
だけど、私達は二人で生きていきたいんだ。
 
どんな困難にも負けない、そんな願掛けの意味を込めて。
二人で、あの"おまじない"をしてみようと思う。

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