月例解雇 D-3382
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D-3382は拘束されていた。足のついた硬い板の上に寝かされ、それはベッドというよりも、テーブルに近いものだった。天板に生えた手かせと足かせはキリリと肌に食い込み、指先のみが、わずかに動きテーブルの滑らかさを感じ取った。部屋は明るく、用途のわからぬ機械や棚のようなものが雑然と並んでいる。鼻を突く消毒のにおいから、ここは病院だと推測できた。すでになかば朦朧とした意識の中で、D-3382は冷たい声を聞いた。

「20██年11月31日、10時45分、月例解雇を開始します。」

月例解雇?1ヶ月の間ここで勤務して生き延びたら、罪を許され解放されるという話ではなかったか?解雇とは、解放という意味なのか? D-3382の思考は、そんなうまい話があるか、という声に邪魔され、再び混濁したまどろみに落ちた。さっきの声が本当に聞こえたものなのか、D-3382の妄想だったのかも判然としない。唯一動かせていた指先も、すでにあるかどうかすら確信が持てないものとなっていた。

視界の端に、白い影が近づいてきた。人のようだが、焦点が定まらない。白い。白衣か?何かを持っている。あれは。耳鼻科で見たことがある。ネブライザー? たしか薬を霧状にして吸わせるマスク。何を。はい、ゆっくり深呼吸してください。いやだ。呼吸などするものか。D-3382は、懸命に抗った。呼吸を止め、全身に、あらん限りの力をこめた。

そのとき、部屋が急に真っ暗になった。停電だ!誰かが叫んだ。D-3382は、拘束が緩んでいることに気づいた。電気式の拘束具は、停電によりその能力を失ったのだ。D-3382は闇の中で懸命に体をねじり、拘束台からどたりと落ちた。そして、まだしびれの残る足をひきずり、懸命に逃げようとうごめいた。

早く逃げるんだ!

声がする。銃声も。一筋の光が、扉から伸びている。D-3382は、どうにか起き上がり、扉へ向かった。そこには、かつての仲間がいた。ともに笑い、ともに苦しみ、ともに捕まった。その後、D-3382は財団へ送られ、仲間のその後を知ることはなかった。 早く逃げよう、走れ、表に車が用意してある。D-3382は、言われるがままに施設のなかを駆け抜けた。いろいろ言いたいことはあった。恨み言とか、感謝とか、懺悔とか。しかし、その余裕はなかった。なぜここに、という短い言葉さえも、のどから出ることを許されず、D-3382はただ呼吸もままならないままに走り続けた。

「Aレベル警報発令、職員は直ちに包囲配置についてください」

車はあった。D-3382が近づくと、扉が開いた。後ろで銃声がする。仲間の苦悶の声が聞こえる。振り返る余裕すらなく、D-3382は車に飛び込んだ。車はドアも閉めずに猛スピードで発進した。

ひさしぶり。

運転手の声は、甘く、やさしく、冷たく、それは、D-3382の恋人の声だった。きみも、なぜ。あなたを助けに。恋人は車を走らせた。海岸線を、ただ一台の対向車もなく、太陽がギラギラと照らすアスファルトを、車は唸りをあげて走った。ずっと待ってた、ずっと、とても長かった。D-3382は、声を詰まらせ、ようやくいくつかの単語を吐き出した。きみは、なぜ、だってきみは。

「Bブロックにてターゲットを確認、確保します」

銃弾が車に打ち込まれた。車はスリップし、ビルに追突した。ビルの間の路地をふさぐように止まった車は、追っ手を少しの間遠ざけた。早く逃げて。恋人が血を流し叫ぶ。D-3382は、路地の奥へと走った。銃声が聞こえる。恋人の叫び声は、もう聞こえない。もう、二度と聞けない。

こっちだ、静かに。

D-3382は腕をぐいと掴まれ、ビルの入り口のひとつに引き込まれた。腕は力強く、しかし、あたたかかった。父さん、なぜあなたが。路地は危険だ、この先はすでに包囲されている、この通路から逃げるんだ。ああ、しかし、父さん。母さんもいるぞ、おまえのことはずっと愛していた。でも、あなたは、私たちを。望んで子を捨てる親などいるものか、さあ、急ぐんだ。

「C組のみんなが待ってるぞ」

通路は広く、明るかった。リノリウムの張られた通路の両脇には同級生がはるかまで並んでいる。よお、元気そうだな。週末カラオケ行かね? 貸したCD早く返せよ。D-3382は、一人ずつ顔を眺めた。ごはんおごるって約束忘れてないよな。まだあいつと付き合ってるの? こいつ誰だっけ。いろいろ言いたかったが、そんな暇はない。逃げなければ。逃げる?何から? 逃げてどうする? D-3382は、ひたすらに走った。どいて。やめて。じゃまをしないで。

「D-3382ってなあに?」

けんちゃんが聞いてきた。名札にそう書いてある。名前だよ。名前?そう呼ばれていた。呼ばれていたと思う。なんだっけ。よくわからない。早く行かなきゃ。早く。でも、なんでだっけ。なにかが追いかけてきている気がする。犬かな? けんちゃんが横を一緒に走っている。早く行こう。あ、みおちゃんだ。いっしょにはしろう。たのしい。わらおう。あっ、ころんでしまった。痛い。痛いよう。

「E子、いー子、さ、泣かないで、おうちへ帰ろう」

あっ、おかあさんだ。いいにおいがする。おかあさんは、あったかで、やさしくて、おもしろくて。かえろう。おかあさん。あったかくて、くらくて、あんしんできて、とっても、ねむく、ねむくなって──

 
「10時50分、記憶処理クラスA~E、すべて完了しました。これでD-3382は『純粋な』人間になりました。」

「お疲れ様。引き続き、再教育プログラムの担当班へ、引継ぎをお願いね。」

「はい。しかし、こういう再利用プロトコルって、よくあることなんですか?」

「たまにね。優秀なDクラス職員を、純粋な人間に戻し、再教育する。こうすることで、素質を残して優秀な人材を確保することができる。常に人材枯渇状態にある財団の、苦肉の策ね。」

「私個人としては、あまりいい策だとは思えませんが。まあ、仕事だからやりますけどね。D-3382はこれからどうなるんです?」

「D-3382には、新しい人生が与えられる。特殊教育プログラムの後、財団へ再就職。再就職後の任務は、主に医療や記憶処理、情報統合分析研究の予定。コードネームは、幅広い知識の収集をしてほしいという意味で、『諸知』となっているわ。」

「ふうん。しかし、記憶処理って、どんな感じなんでしょうね。処理される感覚とかあるんでしょうか。」

「さあ。でも案外、楽しい夢でも見てるのかもね」

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