皇帝陛下の星鳥 前編
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 東京都千代田区永田町二丁目三番一号。またの名を首相官邸。アメリカ合衆国であればホワイトハウス、イギリスであればダウニング一〇番街、ロシアであればクレムリン。一般に政府首班が拠点とする行政中枢施設と呼べるものには愛称があるものだが、この建造物は一九二九年の旧官邸創設以来そういったものに無縁であった。
 財団はこの施設を単に、官邸、と呼ぶ。実はこの呼称自体は広く敷衍しており、他ならぬ内閣官房が自称しているうえ、いまやホワイトハウスの公式文書にさえ載っている。ほとんどの超常関係機関は官邸に要員を派遣しており、用向きがあると大抵は四階に顔を出す。四階には閣僚執務室や大会議室などが集中しているが、その中に超常関係政策の行政執行者の部屋が紛れ込んでいるためだ。
 細谷幸史は内閣総理大臣補佐官(国家安全保障担当)として二年のキャリアを積んでおり、国難と呼びうる事象も数多く経験してきた。そして財団や世界オカルト連合、日本超常組織平和友好条約機構JAGPATOといった正常性維持機関との連絡折衝、および政府内超常関係機関との調整役として、彼は持てるすべてを注ぎ込んでいる。彼個人の悩みは大体そのあたりに起因しており、結婚目前にある婚約者との疎遠ぶりがそれである。仕事と女性との重婚状態は違法であると、先頃先方から警告を受けたばかりであった。
 現在時刻は午前一〇時半。とうに彼の身体は大崎の自宅を離れ、革張りの椅子の中に沈んでいた。
「──ええ、その件はもうすでに総理の耳に入っています」
 細谷は三つ目の携帯電話が鳴ると、すぐに秘書を追い出す習慣があった。忠実な部下はかれこれ五分は廊下で待たされているが、もう一、二分で解放される見込みだ。
「……いえ、いまのところは。でももう間もなくあるでしょう。……ええ、ありがとうございます。……必ず。いま、公安が探りを入れていると。……はい。ご期待に沿えるよう尽力します」
 通話が切れると同時に携帯電話を折り畳み、机の上に放り投げる。目をつむって背もたれに身を預けると、自然と視線が天井へ向いた。まっすぐとした木目調の、なんの変哲もない天板。実際のところはこの部屋のいたるところに盗聴器や監視カメラの類が設置されているはずだ。いま自分が間抜けな顔をしているところも、当然見られているわけである。
 好きなだけ見ろ、と細谷は思った。昨年末の幹部自衛官殺害事件・ロシア人外交官殺害事件から、超常行政界隈はざわめき続けている。官邸はそのただ中で、荒波に抗う一艘の小舟のようだった。財団、あるいは連合、もしくはその両方が指をひとたび鳴らせば、ここはすぐにでも住人総入れ替えとなる。総体としての人類が持つ制憲権Species' Constituent Power。一般協定。この国は、彼らには絶対に勝てない。
 首相補佐官は意を決して身体を起こした。だからこそ、やり遂げねばならないのである。ここは彼の仕事場だ。今でこそ官邸は彼らの集会所のような様相を呈しているが、もっとマシなものに変えることができる。立ち上がると、部屋に掛けられた時計が目に入った。もう出る時間を過ぎている。
「申し訳ない、きみを呼び戻すのを忘れてた」
 秘書に謝りながら玄関口を出る。時間が切迫しているため、歩いて九分の道をわざわざ公用車に乗って短縮しなければならなかった。四分で党本部に着き、待ち受けていた内閣官房の担当官僚である遠藤と合流する。
「おつかれさまです。細谷先生」
 正門の自動ドアをくぐると、一期後輩の芦間に声をかけられた。今年経産省の政務官を拝命した後輩は、派閥領袖の息子として地盤を譲り受け、手厚い庇護をうけるホープの一人だった。
「ああ、どうも。昼はもう終わった?」
「いえ、まだです。細谷さんは」
 まだだけど、と細谷は上を指さした。これから部会・調査会の合同会議へ出席の予定があり、食堂へ行く余裕はない。聞いてみたのはちょっとした挨拶だったが、「なるほど」と芦間は残念そうに苦笑している。政務官である芦間が党本部に来ているということは、彼も何かしら党務の用事があるのだろう。
「部会のメンバーでお食事ですか」
「その時間があればいいけどなあ」
 エレベーターで別れると、今回の会議で相棒となる遠藤が手帳を開いた。合同会議での議題についてもう一度軽いレクチャーがあり、フロアに着くとすでに代議士たちが廊下で雑談に興じていた。部会の開始時間はもうすぐだったが、まだ部会長は来ていないらしい。なんとなく理由の想像がついている細谷は、会議を早めに切り上げようと決心する。
「こんにちは。先生方、おつかれさまです」
 おお、と中年の男たちが振り向いた。電子加熱煙草を吸っているのは元防衛副大臣だった3期先輩の議員で、このほどは国防部会長代理に就任している。閣僚を経験すれば次は顧問だが、派閥間調整と上の先輩方が重しになって、まだお鉢は回ってきていない。
「今日はよろしく頼むよ」
 はい、と細谷はやや緊張した面持ちで応える。今日の彼は、この場にお上──総理の代理人として馳せ参じていた。遠藤は律儀に近くで待っていたが、先に入ってよいと合図すると、すぐに会議室へ消えた。今日の会議で一蓮托生となる若手官僚と細谷は、数日前から会議資料の作成に追われていた。
「それでは、定刻になりましたので開会と致します」
 山川やまかわ 犀治さいじ国防部会長が入ってきたのは開会間際のタイミングだった。安全保障調査会長と部会長の挨拶があり、すぐに防衛省の官僚たちと細谷の出番がやってくる。いくつかの安全保障政策について、防衛省と内閣官房が説明を行うというのが今回の会議の主要テーマだった。
「それでは、細谷首相補佐官よりご説明お願いいたします」
 内閣総理大臣補佐官(国家安全保障担当)という文字列が、彼の名刺でもっとも輝ける肩書だった。時の首相の信任を得た国会議員として、細谷は安全保障政策の中枢にいる。だがその分、部会メンバーからの質問は容赦がなかった。
「多額の予算が割かれる以上、部会では厳しく精査せざるを得ないのはご理解いただけると思いますが……」
 山川部会長の前に、遠藤と細谷の作り上げた想定問答集はほぼ無力だった。だが入念な資料作成が功を奏し、資料を参照しながら回答を作り上げ、一時間の会議を凌ぎ続けた。終盤には、神経を削られた遠藤が、メガネがずれたままどこか一点を見つめるようになっていた。
「では、以上で散会といたします。みなさん、おつかれさまでした」
 席を立つ議員たちに交じって、細谷も部屋を出ようとした。この後はまた官房に戻って、法案作成と決裁が待っている。ドアをくぐろうとした刹那、「おい」と低くよく通る声に呼び止められた。遠藤がびくりとし、振り返ると山川が手招きをしている。
 予想通りの誘いに、細谷は少しおかしさを覚えた。
「このあとはまた官邸に戻る?」
「はい」
 遠藤は山川と昼食を共にするという事態を想像していたらしく、ほんのわずかではあるものの顔を明るくしていた。細谷は気が付かない振りをしたが、国防部会長はそれに目ざとく気が付いている。
 鍛えがいのある若手だな、と山川は誰に告げたのかもわからない感想を述べた。40代半ばの細谷は、党内の代議士ではまだまだ若造の部類に入る。
「会合まではもうあと三週間ほどか」
「ええ、準備も大詰めです」
「おれもこの件は大変だよ。なにせ行かなきゃならなくなったし」
「ああ、そうだったんですか。まだ聞いておりませんでした」
「そうなのか、連絡が遅いのは困るね」
「いつものことですから」
 まったくだな、と型通りなねぎらいの言葉をかけて、山川は細谷の耳元に顔を寄せた。首相補佐官は少しもたじろぐことなく、油断なく視線を横へと滑らせる。
「うまくやってくれよ。鳥が落とされるかは先生次第でもあるんだ。会合の頃には決着がついてるようなものだろ」
「ご忠告、痛み入ります。山川先生もどうぞ、頑張ってください」
 いくつかのニュアンスが混じった曖昧模糊な笑顔が、国防部会長の顔を覆い隠していた。遠藤はやり取りについて行けずに戸惑った様子だが、この話がそう簡単に首を突っ込んでよい類のものでないことはすぐに理解できた。
「それじゃあ、また近いうちに」
「はい。それじゃ、失礼します」
 軽く一礼して、細谷は会議室を後にする。その背中に山川の視線が矢のように突き立てられているのを、彼は本能的に理解していた。
「遠藤くん、飯を食いに行こう」
 後ろからついてくる官僚は、待ってましたとばかりに威勢よく返事する。細谷はかすかに苦笑すると、すぐにそれを打ち消してしまった。
 呑気にしていられるのも今のうちだ。数日後には、細谷か山川のどちらかが消えているかもしれない。勝算は十二分にあったが、これは単なる政局ではない。ルール無用の生存競争。正常性維持機関とやり合うとは、そういう戦いに身を投じるということだ。
「かつ丼にしようか。おいしいところ、知ってるんだ」

 
 

西暦 201█年 1月7日

職員各位

財団日本支部理事会 幕僚部
管理総局人事教育局第1部 発令課
課長 吹上 真

 
 

人事異動報知

 
 

人事異動について、下記の通り通知す。

 
 

 
 

1. 人事異動

 

西暦 201█年 1月7日付

 

海野 一三 サイト-8181諜報機関 ケース・オフィサー
西塔 道香 同上

 

上記二名、サイト-8100、財団日本支部理事会幕僚部 政治局行政監督部へ出向を命ずる。

 
 

以上

 

 


 

「政治局に……出向」
「なにしたのお前」
 ずいぶんのんきな調子でぼくを小突く西塔もまた、政治局への出向を命じられた人間だ。いつもより長い年末年始休暇を終えたぼくらを待っていたのは、オフィスに貼られた一枚の通知と片付けられたデスクだった。休暇前に必死になって片付けた書類の山が嘘のように、きれいさっぱりとその他の私物を含めて消えている。はじめはなにかの嫌がらせを疑ったぼくだったが、この書面を見てようやく合点がいった。
 これは組織からの嫌がらせだ。
「おうお前ら、残念だけど一足遅かったな。お前らの机の中身は政治局の奴らがあらかた持って行った。追ってサイト-8100預かりの配置転換の辞令もくだる」
 班長は鷹揚にぼくらの肩を叩いた。常日頃から面倒な案件を引っ張ってくるぼくらの異動に、一番喜んでいる人間はこの男だろう。非特定組織専従班はしばらくの間サイト-8181諜報機関の基幹業務ローテーションから外れ、広域司令部の直属組織として補助的任務に徹することになるらしい。つまり、お仕事がものすごく減ることになるということだ。その恩恵にぼくらは与れない。それがもたらされた原因は、ぼくらにあるというのに。
「すみません、政治局というのは……」
 ぼくはこの人相も底意地も悪い笑顔への対応をどうすべきか悩みつつ、とりあえず穏便に質問を飛ばしてみる。財団の詳細な組織階梯など、それこそ幹部教育を受けていなければ知りようのない機密事項の一丁目だ。
「知らないね。政治介入専門部署らしいけど」
 この前政治局の担当者と飲みに行ったときは、仕事の話は一切していなかったらしい。財団ではありがちなことだ。必要知の原則はコミュニケーションに優越する。
 ぼくはもう一度異動通知を見直した。サイト-8100といえば、日本支部理事会の本部施設が存在するとされるサイトだ。理事会直属の輔弼機関である幕僚部に所属するのだから当然といえばそうなのだが、そんな施設がまともなロケーションにあるとは思えない。なにより身柄がサイト-8100預かりになるというのは、なんとなく「業務上の死」の隠語のようで気味が悪かった。
「まあ、頑張りたまえよ。おれはきみたちが誇らしい」
 意地でも戻ってきてやろうと思わせる笑顔に送り出されたぼくらは、迎えが来たという連絡を受けてサイト地上施設の玄関口で待つことになった。ようやく明けた年は、いまのところ最悪の滑り出しだった。世の中には年末年始がない職業の方もいらっしゃる分、この仕打ちはまだ人道的かも──そう自らを慰めていると、
「ふざけんなよあのオヤジ絶対脛毛むしってやるからな」
 こう息巻いてらっしゃる方もいる。
 腕時計に目を落とすと、まだ午前一〇時だった。出勤して一時間後に任地を変えさせられるというのは、効率性と流動性を追求する財団組織ならではの現象だった。その結果わけのわからない僻地へいきなり飛ばされるという点では、むしろ未開的な組織だが。
 迎えは五分と経たずに現れた。ただの黒い乗用車──国産車のセダンは、公用車という趣がある。いよいよ理事のお膝下からのお迎えとあって、ぼくらはかぐや姫のごとく緊張した面持ちで、停車するのを見守った。自動的にドアが開き、中から「どうぞ」という女性の声がする。
「失礼します」
 西塔に先を譲り、バックミラー越しに運転手の顔を覗き込む。そこには、低い座高でなんとか車を運転している少女の姿があった。驚きのあまり声が出せないぼくの横で、西塔は「おいおいおい……」とあきれたような反応を見せている。せっかく締めたシートベルトを伸ばして、女エージェントは身を乗り出した。
「なんだお嬢ちゃん。免許取るのは高校卒業してからだろ」
「女子中学生ではありません。わたしはあなた方の同僚、あるいは上司です」
 は、という返しでぼくの先輩が不機嫌になったことがわかる。振り返った女子中学生──来栖くるす 朔夜さくやを名乗るエージェントは、少なくとも西塔よりは運転が丁寧だった。今のところ、ぼくが彼女について知っていることはそのぐらいだ。それから、カーオーディオでディキシーランド・ジャズをかけ続けて、同乗者を眠りに落とすことができる。
 あれは実際、ミームでも混ぜてあったのかもしれない。
「着きました」
 そこは、ぼくの記憶ではこの国の中心だった。
 千代田区は紀尾井町のビルディングの中へ入った車は、立体駐車場のエレベーターへと呑み込まれていく。おそらく藩主屋敷の地下へ潜っているらしいと知れたが、ぼくらはいまだ目的地を知らされていないことを思い出す。どうやらサイト-8100に向かっているわけではないらしいことは、そろそろわかってきたが。
「ここは」
日本超常組織平和友好条約機構JAGPATO、その本局所在地──仕事に取り掛かる前に、会うべき人間がいます」
「会うべき人ね、ところで」西塔は前部座席に手をかけて、運転手の顔を覗き込もうとする。「結局あなたはなんなの。所属は」
 その所作があまりにも無遠慮だったからか、来栖は身を縮ませてよじる。フロントガラスの向こうでは、コンクリートに穿たれた錨が規則的に上から下へと流れていく。そこにかすかに映る姿は、やはり少女のものに相違ない。会話が苦手で、人に近づかれることを嫌う。ごくごく軽いものだが、エージェント・来栖には対人恐怖症の気があるようだった。
「おいおい、わたしたちはもう名乗ったんだぜ」
「まあまあ、西塔さん」
「記録・情報保安管理局」
「はい?」
「RAISAから遣わされたエージェントです」
 彼女が名乗った記録・情報保安管理局1RAISAライサと呼称される組織は、機密管理を一元的に担う一方、その存在自体もまた機密でできている。財団内部である程度以上の機密に触れると、必ず名称を目にすることになる組織だが、その実態を知る者はごく限られていた。
 来栖はRAISAとしての職務もまた、一時的なものに過ぎないと付け加えた。専従の職員は、そもそもこのような場に出てくることは稀なのだろう。
「これから会うのは、管理総局の政治局長です」
「まずは上司にご挨拶ってことか」
 いくらか機嫌が直ってきた西塔は、先行く来栖を頭の上から押さえたりなどしている。勝手に妹分のような処遇を受けるRAISAのエージェントは、身長を尋ねられると「機密です」と言い放った。RAISAはガードがかてえな、と西塔は感銘を受けた様子でうなずいている。軽微とはいえ、対人恐怖症持ちの人間に対する悪手を連発する同僚は、やがて距離を露骨にとられるようになっていた。
「お待ちしておりました。こちらです」
 政治局長の秘書官を名乗る男が、玄関口で待っていた。木目調のドアを押し開くと、生暖かい風が顔に当たる。同時にやわらかい絨毯の感触が革靴越しにわかり、唐突な違和感に襲われた。足を踏み入れると、そこには地下空間という語感とは縁遠い光景が広がっている。10メートル以上はあろうかという天井にぶら下がるシャンデリアや、各所にみられる格調高い家具その他が、高級なホテルのフロントを思わせた。財団と世界オカルト連合、日本政府の三者協議の場として整備された以上、見た目以上にセキュリティは固いはずだ。
 秘書官の男の着ている背広も、ぼくらの仕事着とはだいぶお値段が違いそうな代物だった。政治家だか外交官だかの秘書である以上、それなりの装いというものが求められるのだろう。だが営業的な笑顔を張り付けたままの男は、年齢も──下手をすると国籍すらも──判別しがたい奇妙な不気味さがあった。財団日本支部の中枢で働く官僚とは、このような人間がなるものらしい。
「局長、三人が到着されました」
「入れ」
 財団JAGPATO代表部と印刻された表札のドアが開かれると、そこには30畳ほどの応接間がある。執務机に座っている銀髪の男が、ぼくらを見るなり立ち上がった。かなり小柄で、来栖ともいい勝負をしそうなほどだが、しかしそれ以上に目を引いたのは派手な色をした背広だった。
「黄色かよ……」
「ようこそ、よく来た。さあ、座ってくれ──いや、悪かったね。年明け早々いきなり異動なんてさせて。まあ必要があったから呼んだんだが──ほら、座って座って」
 色に負けない声量と表情の強さで、ぼくらは早くも気圧されることになった。来栖はさきほどまでのエージェント然とした態度が一変、押しの強さに怯えている。西塔はその様子を面白がっており、眼前の政治局長の長広舌に全く耳を傾けていない。
「──そうそう、名乗り遅れた。わたしは菓子岡かしおか 仔鹿こじか。幕僚として、政治局の局長とJAGPATO代表部全権大使を兼務している」
 差し出された派手男の名刺を見るまで、ぼくは名前の漢字が全く思い浮かばなかった。第一印象のすべてが胡散臭すぎる幹部は、ぼくらの微妙な表情を察して付け加える。
芸名コードネームさ。政治局は外とのつながりが多い。きみらも持っているだろう」
 なるほど、と言っても、ぼくは財団内部向けの名刺をもっていないし、それは西塔も来栖も一緒だった。しばらくしてようやく菓子岡はそのことに気が付き、「失敬失敬」と頭を掻いた。「なにぶん、長いこと政治畑で仕事をしてきたから、名刺交換が当たり前なんだ」
 財団は巨大組織だ。ぼくらの知らない習慣にも、時に行き当たることがある。菓子岡はこまごまとした心配りができる男だった。冗談を飛ばしてぼくらの緊張をほぐそうとし、西塔の危なっかしいトークにも機敏に対応する。
 数分の間に、ぼくらはこの男の類まれなる話術の才能を存分に味わうこととなった。ただ一人来栖だけが警戒感を崩さず、言葉少なに菓子岡の話を聞き続けていた。四方山話が終わると、菓子岡は背もたれに預けていた背中を起こす。
「きみたちを呼んだのは他でもない、『夜鷹』に関する案件のためだ」夜鷹部隊と立ち回ったぼくらの仕事を褒めはじめた政治局長は、ここからが本番だと身を乗り出す。「もうすぐ、財団JAGPATO代表部は夜鷹部隊へ非難声明を出す。きみたちが押さえられなかったあの通信システム隊の幹部の一件だ。あの事案を夜鷹部隊による条約違反ということで、制裁を受けてもらう」
「条約違反、しかし制裁対象は夜鷹というより、日本政府になるのでは」
「きみの言いたいことはわかる。JAGPATOにおける代表権を持つのは日本政府自体だ。身内の夜鷹の処罰に同意などできるのかということだね」
 ええ、とぼくは首肯する。日本政府のJAGPATO代表部は国家安全保障局に置かれており、首相官邸によって握られている。もし制裁を要求すれば、財団は日本政府に対して自罰を求めたに等しい。
「もちろん、政府の一部高官とはすでに協議を詰めているよ。具体的には、夜鷹の解体まで見込んでいる」
 来栖は驚いた様子で、背もたれに身を預けている。彼女の想像を超えて、政治局の動きは急激だったのだろう。日本政府と共同で外交の手続きを進めている部署があるというのは、平の職員には想像しづらい世界だった。菓子岡は自信に満ち溢れた態度で、ぼくらに仕事を説明する。
「政治局員たちは彼らに注文を付けて操縦することにかけては一流だが、共同して地道に捜査活動をするにかけては、とんと素人だ」
「それでわたしたちが」
 地道な捜査活動のために呼ばれた西塔は、少し鼻に突く菓子岡の言種に機嫌を損ねたようだった。幕僚はその機微を察すると、気を悪くしないでくれ、と苦笑した。
「餅は餅屋だ。プロフェッショナルには敬意を払わせてもらう。理事会に、条約違反の証拠集めに人員をくれと言ったんだが、期待以上の人材を寄越してくれた。諜報活動の専門家二人に、エージェント・来栖はRAISAから裁量権を与えられていると聞いている。わたしとしては申し分ないよ」
 両手を合わせて揉んでいる菓子岡は、親戚の伯父のような笑顔をつくる。
「それで、具体的には何をすれば」
「まあ、そうだね、とりあえず、例の殺人事件について改めて調べてほしい」
「いつまでに」
「書類の作成を含めて三週間。そこでまず第一次報告書として防衛計画委員会に提出する」
「また急な話ですね」
「そういう戦術だ。彼我の調査能力が開いているからこそできる、強引なものだが。会合は三週間後に設定しているから、夜鷹──政府にとっても時間は三週間しかない」
「第一次、というのは」
「この件、確実に世界オカルト連合が反対する。最初の報告書を出した段階では、必ずそうなる」
「だから感触を一度確かめた後、もう一度報告書を?」
「そうだ」
 それからもしばらく話が続いた。カナヘビの息災を聞いた幕僚は、微妙な態度を取った。かつてはともに仕事をしていたらしく、しぶとい爬虫類の生存は単に喜ばしいだけではないらしい。
「きみたちもさぞ、苦労しているんだろうな」
 立ち上がって握手を求められたぼくは、はあ、とあいまいな返事を寄越した。いったい昔どんな目に遭ったのかは、聞かないでおいた。

 

「事件を再度整理する必要がありそうです」
 紀尾井町を離れたぼくらは、その足で千葉県柏市──科学警察研究所へ向かっている。警察庁特事調査部の研究機関である科警研第五部には、昨年一二月に殺害された通信システム隊の幹部、犬山等助の遺体が収容されていた。遺体の管轄権は完全に向こうにあることになるが、菓子岡の口添えでぼくらはその遺体との対面を許された。つまるところ、これは特事警察との共同捜査ということになる。
「犬山は認識災害兵器によって自ら命を──絶たされた。いったいどこで仕込まれたかは不明、現状判明しているのはそれが夜鷹によるものらしい、というだけ」
「犬山の死を通報した特事課への電話も、結局誰からものなのか不明ですからね。あれがわかれば、この事件の背後関係が浮かび上がってきそうなものですが」
 時刻はすでに午後五時を回っていた。都心から一時間足らずで着いた科学警察研究所は、曇天の暗色の中に煌々と明かりを灯している。再び来栖の安全運転に運ばれる最中、西塔はずっと寝ていた。運転するかと聞かれると、撮影機材を持っているから止めておくと言っていた。
 研究所の地下施設には、法科学第五部のラボが収容されている。入るなり撮影機材を没収されたぼくらは、係員に食って掛かろうとする西塔を引き留めなければならなかった。
「霊安室に入った後にお返しします」
「中身をのぞこうなんて真似はやめておくんだな。無駄だぞ」
 こちらが三人なのに対して、特事調査部の関連人員とみられる警官は五人もついていた。
 やがてエレベーターが開くと、研究者らしい白衣に身を包んだ男が出迎える。
「お待ちしていました。さあ、こちらへ」
 あからさまな敵意に満ちた警官たちとは異なり、紳士的な対応だった。
 ここまでにいくつかの監視システムをくぐっているぼくらだったが、顔と指紋の記録を防ぐため常に記銘拒否のミームを身体に刻み込まれている。要注意団体施設を訪問する際の基本的な装備として、コロイド銀による呪詛パターンを全身に走らせるのだ。
 ぼくは、顔にそれを塗る必要がない。
「網膜内部に刻まれた認識災害の呪印を解読しているのですが、これは過去数件確認された正体不明の現実改変能力者殺害と類似したパターンであることがわかりました」
「夜鷹部隊が関与を疑われた事件ですか」
 そうです、と研究者はうなずいた。夜鷹部隊の活動には謎が多く、財団でさえもその捕捉に苦労を強いられていた。その活動の実態を掴むためにもっとも活用されるのが、JAGPATOのデータベースである日本特異例報告だった。
 政府超常関係機関の多くはここへ律儀に詳細を登録しているが、その中には、よく調べると出処が不明な脅威存在粛清に関わる案件が混じっていることがある。多くは現実改変能力者や妖術者の殺害だったが、その手法から世界オカルト連合の活動とは異なる組織によるものと断定されていた。
 つまり、あれらは夜鷹による作戦と見られている。だが今回の案件において、殺されたのは『ヒト型脅威存在カラーズ』ではなく、ただの人間だ。それは粛清などではなく、単なる殺人と呼ばれるのが正しい。
 菓子岡は、今回の提訴で、世界オカルト連合は夜鷹の弁護に回る可能性が高いと見立てていた。世界オカルト連合──その極東部門は、その成立経緯からして、財団日本支部に対するカウンターとしての色彩が強い。反財団的な態度を崩さずに、吸収されゆく蒐集院を去った人員の多くは、極東部門へと身を寄せていた。
 JAGPATOで起きるもめごとの多くは、財団と世界オカルト連合、この二者による異常存在対策活動の方向性の違いによるものだ。二項的な対立が常態化する中、彼らはあらゆる場面で反目しあう。政治闘争とはつまり、あらゆる手段を用いて相手の権威を失墜させることだ。
「政府系機関が、現実改変能力者事案対処に用いる兵器とは異なる系統です。どちらかというと米国系の超常関係機関が用いているものに近いかも」
「しかしこれは、決定的証拠にはならない。財団のラボとほぼ同じ見解です」来栖はいくつかの資料をしまいながら、誰に告げるでもなくそう言った。「客観的な証拠とするには、夜鷹がこれを使っていると認めなければならないはずだ」
 戻りましょう、とRAISAの使者は続けた。はなから彼女は、この研究所での収穫を期待していなかったようだった。西塔は特事課の刑事たちとなにか話しているが、どうせまた脅迫まがいの絡みに違いなかった。
「なんだ、あんたもいたのか」
 部屋のすみで、先輩エージェントがいきなり大声を上げた。その場の視線が集まった先には、久しぶりの顔がある。
「大屋刑事、どうしてここに」
「あ? あんたは……だれだ」
 案の定ぼくの顔を覚えていなかった特事課のベテランは、まとわりついてくる西塔を振り払いながら老眼鏡をかけた。そんなことをしたところで、たぶんぼくの顔を思い出すことはできないのだが。しかし大屋は、わかったような表情をつくる。
「あ、ああ、この女の部下か」
「知らねえだろ、おまえ」
 どうしてこちらに、というぼくの問いに、老境の刑事は肩をすくめた。上からのお達しよ、とぼくらにクリアファイルを差し出す。中には、犬山殺害にかかわる捜査資料が束になっていた。
「電子データだとそちらさん受け取らないだろ。わざわざ印刷させやがって」
「気が利くな」
 流れるようにぼくの手からファイルを奪い去った西塔は、その中身に目を通すことなく鞄へしまう。読まねえのか、と聞かれると、首を振って応えた。
素面では読まないことになってる」
「こいつはもうそちらさんの検疫にかけてある」
「なに」
 西塔は奪い取ったファイルをもう一度取り出すと、まじまじとその表紙を見つめる。目を凝らすと、ミーム-情報災害部門の検疫済み文書を表す印章が押してあるのがわかる。この文書はもう、タブラ・ラーサ2によって無害であることが検証済み、というわけだ。ぼくらのほかにも捜査に従事している人間がいることは確かだろうが、警察と共同戦線を張っているにしては動きが素早い。
「ぼくの知っている警察っていうのは、もっとお役所的で鈍重ですが」
「『上の上の上』からのお達しでね。あんたらにはなんでも協力しろと」
「上の上の上……」
 想像もできないほど、高位の人間からということだけはわかる回答。階級社会にいる人間の動かし方をよく知悉している人間の仕業だ。感心しているぼくをよそに、西塔と来栖はファイルの内容をすでに吟味し始めていた。
「おたくらはすぐ別の案件に目移りしちまうみたいだが、うちはもっと根気よく調べる性質タチの組織でね」
 来栖の頭の上から、大屋がファイルを覗き込んでいる。犬山が死んだ日の行動がつぶさに調べ上げられているが、この内容は神州AIC3に任せれば一日足らずでわかる内容だろう。故人の行動確認作業──もし自分が現役刑事だったらと考えると、ちょっと気が重くなる。
「よく調べてある」
「警察だからな」
 その日──犬山はいつものように午前八時頃に市ヶ谷の職場に出勤している。だが、何か重要な予定が入ったということで、急遽午後から有給休暇を願い出た。その後約一時間半の空白を経て、午後二時頃認識災害によって自らの頸動脈を断ち切った。
「午後から重要な予定か。犬山の手帳には、午後二時になったら自分の首をぶった切ると?」
 西塔の不謹慎な冗談を無視して、大屋はぽっかりと空いてしまった午後零時半から午後二時前までの時間を指差した。
「この空白の一時間半、ここで認識災害を仕込まれたんだろう」
「戻って検証してみます。この時間のことをはっきりとさせれば──」
「この時間の犬山は都心部にいたということ以外、われわれにも確実な特定ができていません」
 珍しく来栖が、ぼくらの会話に割って入ってきた。すでに輪の中を抜け出しているRAISAのエージェントは、ぼくらについて来いと言わんばかりに顎をしゃくる。妙だな、と西塔が目配せをしてきたが、もう背の低いエージェントはドアの向こうに消えていた。
「どうしたんです、来栖さん」
「その時間の犬山の行動については、わたしたちもすでに調べを付けています」
「何をしていました」
「いえですから、わからないと調べがついたんです。その時間だけは、AICにも調べられなかったんです」
 なるほど、とぼくは嘆息する。つまるところ、ここでの収穫は夜鷹が使った認識災害兵器の種類と、彼の死に至るまでの数時間の詳細な行動についてだけだ。報告書の内容のいくらかは稼げるだろうが、夜鷹の関与を決定づける証拠にはならない。そんなぼくの心を見抜いたのか、来栖はため息をつきながら二の句を継いだ。
「もっとマシなところを当たりましょう」
「どこです」
「夜鷹のカットアウトか。まだ尋問中だろう」
「ご明察です」
 西塔はこういうところで妙に記憶力を発揮する。ぼくの肩を小突いて見せた後、車に乗り込んだ。さっきはずいぶん気が立っていた気がするが、足取り軽く進んで運転席に行こうとしている。手ぶらで。
「西塔さん、撮影機材は?」
「あ、」

 

 怪物が口を開いた、とぼくは思った。
 分厚い鋼鉄製のゲートは、金属同士がこすれ合う不愉快な音を立てながら上下に分かれていく。サイト-81JAは、拘留中の要注意人物が多数収容されているサイトであり、ただの牢屋であっても数枚の耐爆扉によって閉ざされている。収容施設への入場申請は来栖のおかげですぐに通ったが、実際に現場に着いてからが大変だった。持ち物検査やら検疫やらと、低度脅威オブジェクトの収容施設以上の警備体制が敷かれている。
「おいおいおい、いったいどのぐらい潜るんだ、これ」
「あと二分ぐらいはこのエレベーターに乗ったままです」
 マジかよ、と西塔はペットボトルの水を飲み干す。彼女がなんとか持ち込みを許可してもらった飲料水は、おそらく昨日買った飲みかけのものだ。ぼくが観測した限りでは、最長三日は同じペットボトルの水を飲んでいたことがある。
 空振りだった科警研への出張から、まだ半日ほどしか経過していない。政治局はあらゆる部門に証拠集めの協力を要請しているらしく、今から向かう81JAは本来、保安部門と内部保安部門が共同で利用している施設だ。
「担当者、八家やからしいな」
「お知り合いですか」
「真面目で歯並びがきれい以外に取り柄のないやつだよ」
 来栖がなにか馬鹿にしたように鼻を鳴らした。西塔の人物評ほど当てにならなそうなものはないが、しかし意外とこれが正鵠を射ていることもある。少なくとも来栖は、そのことを数分後には痛感していた。
「まったく、最悪のタイミングで来たな、きみたちは」
「すみません、八家尋問官。しかし報告書の提出が遅れているとのことでしたので」
 ぼくは努めて低姿勢に、目の前の中年男に紙を手渡した。ぼくらの機密接触資格を証明する書類だ。八家はサインを終えると、ふたたびため息をついた。八家十次はゴム製のエプロンをハンガーにかけると、部屋のすみに用意された椅子に腰かけた。ちなみに部屋に椅子はこの一脚しかない。
「茶くらい出せよ」
「コーヒーしか飲まない。自販機なら地上だ」
「やっぱクソムカつくなあんた」
 西塔がつっかかったが、慣れた様子で八家は無視した。机に開かれているファイルを取り上げて、ぼくらに向かって差し出してくる。それはこの八家十次が担当中の案件──夜鷹部隊のカットアウトに対する尋問の記録だった。侵襲的・非侵襲的を問わない尋問のスペシャリストとして知られる彼は、今回もその例にもれずその手腕を発揮しているようだった。
「仕事はこなしたはずだ。彼は知っている範囲であらゆることを吐いたよ。犬山を殺したのは夜鷹にいる鈴木とかいう二等陸佐の命令だ。使った兵器についても証言した──なのに」
「何かあったんですか」
 八家の口調にはどうにも気にかかる部分があった。普段は几帳面な人間であろうということは、部屋や格好から十分推察できる。客が来ると分かっていれば、椅子をいくつか用意するぐらいする男だろう。
「今日中には報告書をまとめるつもりだった。だが、ついさっき──」尋問官がそこまで言ったとき、部屋にあったもう一つのドアが開く。ぼくたちが入ってきたものとは別の、尋問室に繋がるドアだ。「彼の『地雷』を踏み抜いてしまった。うかつだったよ」
 出てきたのは、黒い巨大な袋をかついだ防護服の人間たちだった。二人がかりで担架を運ぶ防護服たちは、会釈するとそのままどこかへ行こうとする。慌てて来栖が呼び止め、八家の方を向き直る。
「どういうことか、ご説明願います。八家尋問官」
 西塔は死体袋のジッパーを抉じ開け、口から上のない遺体と対面することになった。もはや顔は確認できないが、八家の尋問室から出てきたということは、これが例のカットアウトの成れの果てだ。千切れた舌がだらり、と炭化した断面を晒している。苦しまずに死に──はしなかっただろう。直前まで八家の尋問を受けていたのだから。
「うへえ、爆弾?」
地雷と言っていましたね。彼の『殺し文句パンチ・ライン』はなんだったんです」
 ファイルを閉じた来栖は、改めて八家に問うた。報告書の最後、彼が死亡した事実についてはまだ、文章としてまとめられてはいない。別に隠すつもりはなかったのだろうが、参考人の一人が死んだとなれば、重大事案だ。
「わたしから話すより、実際に見た方がいい」
 八家は立ち上がり、長靴とゴム手袋を脱いだ。仕事着の下には几帳面にスーツを着込んでおり、体格の良さから一見するとフィールドエージェントのような容貌になる。「格闘技はまったくたしなんでいないのでね、さっぱりだ」ぼくの心を見透かしたかのように、尋問官は苦笑した。
「ことによるとあなたは、財団内規違反に問われることになります」
 保安部門のオフィスへ向かう途中、来栖はそう切り出した。八家がもし意図的にカットアウトの死亡を伝えずにいたのだとすれば、それは財団に対する反逆行為とできる。だが男はすこしも身じろぐことなく、
「そんなつもりはない。彼のあたまが吹っ飛んだのはきみたちが来る一〇分前のことだ」
「なぜすぐにわたしたちへ連絡しなかったんです」
「無駄だからだ。わたしにもうまく説明できる自信がなかったしな。どのみち、きみたちは尋問の映像を手に入れるつもりだったんだろう」
「だからと言って──」
「着いたぞ。映像を確認するとしよう」
 来栖は最大限不満そうな顔で、八家の背中を睨み付けている。遅れてきた西塔は会話を聞いておらず、RAISAのエージェントがご機嫌斜めなことを面白がった。
「どうしたんだよ」
「本当に歯並びぐらいしか好きになれませんね、あの人は」

 

登録名称: 財団日本支部指定要注意人物████████号に対する聴取の映像記録
尋問担当者: 財団日本支部諜報機関 対外情報局分析部尋問課 八家 十次 情報分析官
尋問対象者: 財団日本支部指定要注意人物████████号(本名、███ ████)
実施日: 西暦20██年█月██日
場所: サイト-81JA
映像時間: 9時間10分42秒
付記: 尋問対象者は特定情報制御プログラムによって頭部を破壊され即死。以上状況により尋問は即時中止。

 

[再生開始]
[09:3:17]


 

尋問者: そろそろ潮時じゃないかね。政府も財団も、どちらの組織であれ、大した価値などないと認めてもいい頃だろう。

対象者: [10秒間の沈黙]

尋問者: 戻れば、当然きみは口封じをされることになる。意味は分かるな。ただきみの舌の根を引っこ抜いたぐらいじゃ彼らは安心せんだろう。

対象者: [5秒間の沈黙]

尋問者: きみはいまや腐った林檎だ。少なくともそう見える。『夜鷹』の連中からするとね。

[対象者は顔を上げ、八家の顔を見つめだす]

尋問者: どうする。財団なら、きみに新しい人生を約束できる。安心したまえよ、たとえば君の頭の中に遠隔操作式の爆弾が詰まっていたとしても、それを取り除くぐらいは簡単な仕事だ。

[対象者は首を小刻みに横に振り、震えている]

尋問者: 鈴木二等陸佐の話をしてくれたね。ありがとう。彼──夜鷹部隊による作戦の一部が判明したことは大きな進展だ。そして、きみにとっても。

対象者: ぼくは、もうなにも知らない。

尋問者: そうかな、きみの脳波はそうは言っていないように見えるが。

[尋問者はタブレットを見せる。頭に装着された脳波を示すグラフが跳ねる]

対象者: [3秒間の沈黙]

[尋問者はタブレットを降ろし、殺害されたオレーグ・バラクシンの写真を見せる]

尋問者: 同じ道をたどりたいのか? わたしたちが手を下す前に、きみはこの国に殺されるぞ。

対象者: ぼくらは靖国には行けないが、夜鷹は仲間のことを忘れない。

尋問者: そうかね、素晴らしい組織だ。ではもう一度聞こう。その素晴らしき夜鷹部隊に犬山を殺してもいいと承認をしたのは、どこのどいつだ。

対象者: 言えない。それは。

尋問者: おいおいおい、きみの家族は全員こちらで確保したって前にも話したろ? 怖がる相手を間違えちゃいけない。きみが怖がるべきは判断ミスだ。もうすぐ家に帰れる。

対象者: ああ……ああ……わかってるんだ。これを言わないとぼくは永久に帰れない。

尋問者: 理解が早いところ、わたしは好きだなあ。いいとも、わたしはいくらでも待とう。一日、一ヶ月、一年かな。

[対象者は首を振って答えるそぶりを見せないため、尋問者はセカンダイド4の入った注射器を取り出す]

尋問者: さあ、もう一度聞こう。きみが話す気になるにはどのぐらい必要かな。一日、一ヶ月、一年かな。

対象者: もういやだ……あそこは……いやだ。

尋問者: 勇気を出して、きっとできるさ。

対象者: わかってる……言う……い、

尋問者: [さえぎって] ああ、いいんだ。きみがそういう人間だってことは知ってる。実際には言うつもりなんてさらさらないんだろう。

[尋問者は注射器を腕に突き刺し、親指で薬剤を押し込もうとする]

対象者: 待ってくれ! たのむ、本当だ。

尋問者: 続きは夢の中で聞こう。さあ、この一目盛で一日、二目盛で一週間、三目盛で

対象者: 先生方だ! えらい政治家の先生たちが、ぼくらの上にいるって、隊長が。

尋問者: どの先生だ? えらい先生なんてたくさんいるだろ。

対象者: ああ、待ってくれ。あれは、そう、ええと、じ、じゅう──

[対象者の頭部が破裂し、タブレットの脳波が途絶する]

尋問者:殺し文句パンチ・ライン』か、[罵倒語]


[再生終了]
[09:10:42]

 

「この件をわたしのミスだと言われるのはとても心外だ」
 とりあえずのところ、ぼくらはこの尋問官の主張とやらを聞いてみることにした。どうやらある程度の事情をこの男も聞いているらしく、ほかの映像を見る限り報告書に必要そうな証言はあらかた引き出せていたようだ。はじめからここに来るべきだったな、とは西塔の台詞で、ぼくも思わずそれに同調してしまう。
「んでよ、どうやって尋問官どのはこいつの頭を吹き飛ばしたわけ」
 爆弾なんてなかったんだろ、と西塔は続ける。八家は医師免許を持っており、机の上にはカルテのような尋問対象者の容態を記した記録資料が散乱していた。そこには体内に埋設されていた各種の『機器』についても記載があり、危険そうなものはあらかじめ外科的な手法で取り出した、とある。
「当然、彼を始末するためにつけられていたシステムがあったとも」
 財団のそれに比べれば児戯に等しいがね、と八家は付け加える。彼の医師免許は、そういうところにも役立っているのだろう。
「なるほど」
「だがこれは特定情報制御プログラムだ。一定の語を思い浮かべ、発声したのがスイッチとなって頭部の血が一気に気化し、頭が膨張に耐えきれずぶっ飛ぶ」
「爆薬なしで? ありえない」
「ミーム汚染を利用した兵器の一種です。大体は、血管の拡張や強心作用のために薬物が元から投与されているパターンがほとんどですかね。でも市販薬と成分がさほど変わらないから、検査では見分けも付きづらい」
 堂に入った説明をする来栖に、八家は感心したようにうなずいていた。おそらくは同業者の匂いを嗅ぎ取ったのだろう。RAISAの中でも手を汚すことを求められるエージェントならば、なんの不思議もない話だ。
「んで、なんだっけ」
 西塔は首がぶっ飛んだ映像を見たあたりから飽きており、すでに話を聞く気がない。対照的なのは来栖の方で、この十数分のうちに九時間分の書き起こしを読み終えていた。並々ならぬ決意をもって尋問と真摯に向き合うつもりらしく、苦手と公言した八家にも質問を繰り返している。
「結局、最後の──その頭吹き飛ばす原因になった質問は、報告書に必要がなかったはずだと」
「わたしはそう理解したが」
「ではなぜそんな質問を」
 ぼくが素朴な疑問をぶつけてみると、八家はここぞとばかりに大きなため息をしてみせた。また面倒なことを言い出すのかとぼくらが身構えた刹那、尋問官はあきれ顔で言った。
「どうして直属のきみたちが知らないんだ」
「というと」
「そっちの上司が、しつこく言ってきたからやったんだ」

 


 

 
 

〈オフィサー、ドクター、ソルジャー、スパイ〉
Their Finest Hour

第三話 前編

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