サヴァランの幸福
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 吊り下げられた電球が周囲をオレンジに染め上げる。目の前には白いテーブルクロスがかかった木製のテーブル。俺は簡素なクッションが乗っけられた木製のひじ掛け椅子に座っている。赤レンガで作られた内壁、中央に暖炉がある。多分お飾りだろう。使った形跡が全くねぇ。暖炉の上には白いレースがかけられて、その上に黒い陶器の小物が数点……
 クソっ!妙な癖が付いちまいやがった。これも全部あのナントカ博士って奴のせいだ。いつも妙な事ばかり命令してきやがる。野球のボールを触ったら鼻の穴を見せろだの、同じ扉をずっと開け閉めしろだの、この前なんか俺に字を書けって言われて書いたらそいつを取り上げて「この字が読める?」だと?ふざけやがって!世界最高の頭脳を誇る財団だかなんだか知らねぇがただの阿呆の集まりじゃねぇか。ちくしょう!

 で、今度は妙な廃墟まで連れて来られたかと思ったら、今日見る夢の詳細を教えろか。夢の内容なんて忘れちまいましたで済ませようと思ったが、生憎明晰夢ってやつだ。意識がはっきりしてやがる。覚えてりゃいいんだろ!本当に臭い飯から解放してくれんのか?

 夢は森から始まった。やけに肌寒い。周囲を見渡すとほのかな明かりが見えた。そこを目指して歩くと、今日クソ博士に見せられた廃墟と似た建物があった。ただ、実際の建物と違って新しい建物に見えた。扉の脇には看板が置いてあって、よくは読めなかったがとりあえずこの建物がレストランだという事だけはわかった。で、その中に入って勝手に席に着き、そして今に至るって訳だ。

 しばらくすると、1人の男がやってくる。黒いスーツに黒い蝶ネクタイ、白いYシャツを着た短髪の日本人。清潔な印象を受ける。齢は若いな。やけに畏まりながらテーブルにナイフとフォークを並べた後、男が口を開く。

「かのブリア・サヴァランは言いました。『人は新しい星を発見した時よりも新しい料理を発見した時に幸福を感じる』。あなたは幸福の機会を逃しております。当店でお客様はサヴァランの幸福を存分に味わう事ができるでしょう」

"サワラン"?誰だよ。何か知らねぇが男がそう言って店の奥に入るとすぐに皿に持って戻って来た。

 テーブルに置かれた皿を見る。2切れのパン。恐らくフランスパンを輪切りにして焼いたものだろう。その上には溶けた……チーズ。チーズ!勘弁してくれ、俺はチーズが嫌いなんだ。臭くてたまらない。夢の中でも食いたくねぇ。……そうだ。こいつの目の前で料理を吐き捨ててやろう。どんな顔するだろうか。これも立派な"実験"だろ?
 パンに齧りつく。その瞬間口の中にスパイスの香りが広がった。よく見るとチーズの上に黒っぽい粉がかかっている。こいつの香りがチーズの生臭さを打ち消している。それどころじゃない。スパイスの強い刺激がきたかと思うと、それをチーズがまろやかに包み込む。口の中で心地よい味の波が押し寄せる。その味とパンのサクサクとした食感が調和し、何だ、訳がわからねぇ。食えば喰うほど腹が減ってきやがる。俺はたちまち2切れのパンをたいらげてしまった。

「お気に召して頂き光栄です」

男はにこやかに笑うと空の皿を持ってまた店の奥へと消えてった。そしてすぐに深皿を持って来た。中身はスープのようだ。具材はベーコン、白菜、それに……また俺の嫌いなものだ!トマトが入ってやがる。しかもこいつは潰されて果肉がスープ全体に広がってやがる。どこを掬ってもトマトが入ってきやがる。しかし、さっきのパンを食べてからやけに腹が減ってきやがった。俺はかまわずスープを掬って口の中に入れた。
 鳥ガラをベースにしたのだろう。そんな味がする。それにベーコンの塩味が合わさり、そして今までエグい味だと思っていたトマトがこの2つを繋げている!喉の奥に伝わるようなトマトの味。体が熱くなるようだ。トマトのブチュブチュした食感もたまらない。むしろベーコンと白菜の食感にアクセントを加え飽きさせない。これがこの男の言った"幸福"って奴なのか。夢中になってスープを飲んだ。最後は更に直接口をつけて飲んでしまっていた。

 その後も次々に料理が運ばれてきた。どいつもこいつも俺の嫌いな食い物が入っていやがる。透き通ったソースがかけられた煮魚、こいつにはセロリが添えられていた。次に赤みがかかった鴨肉の料理、付け合わせにはキノコとナスが添えられていた。だがどれもこれも一口すればたちまち俺を魅了してきた。そしてグラスに入ったアイスクリームが運ばれてきた。これで終わりだろうか。妙に寂しく感じた。

「お客様。それでは本日のメインディッシュをお持ちします」

俺がアイスクリームを食べ終わると男はそう言った。俺の心は跳ね上がった。まだ食べられる!

 男はアイスクリームが入っていたグラスを手に取ると店の奥にひっこみ、すぐに大皿を持って戻って来た。皿の上にはあのボクシングのゴングみたいな形をした金属製の蓋がのっかっていた。男はテーブルに皿を置くと、蓋をとって皿の中身を見せた。それは何かのステーキだった。その上には何か野菜か果物のすり身が乗っていた。横には確かマリネっていうやつだろう、白く細長い肉が2切れ添えられている。
 俺はそれを確認するとすぐにナイフとフォークを手に取り、ステーキを切って口に入れた。口の中を果物の芳醇な香りが満たす。これはリンゴだ。そしてこの甘味は炒めたタマネギか。リンゴの香りとタマネギの味、この2つは出会うべくして出会ったように、否、元から1つのものであった様に調和している。そして肉、細い繊維が固まったような舌ざわりだ。そして噛むと繊維の間から肉汁が溢れ、舌を湿らす。ややアッサリしすぎた印象を与えるソースに肉汁が重厚さを与え、ついにソースの味を完成させる。更に噛むと肉がほどけ、細切れになった肉片が舌に横たわり俺に味を与えてくれる。飲み込むと肉片が喉の奥にこそばゆい感触を与えたかと思うと、それをリンゴのソースが洗い流す。
 ただ美味しいのではない。口の中に入れ、香りを楽しみ、咀嚼し、飲み込む。この一連の動作が楽しく、そしてたまらく嬉しいのだ。
 次にマリネを口に入れる。コリコリとした食感、これは軟骨なのだろうか。いや、そうではない。独特の弾力を感じる。その絶妙な噛みごたえにより、一噛みするごとにマリネは口内で踊り、柑橘系の香りを振りまく。噛み切るのには多少苦労するが、それはまるで己の味を出し切るまで口内に留まろうとする意志にさえ感じた。ステーキとは対照的な味わい。酸味がかった爽やかな味。それが為に、マリネは口の中から脂を取り去り、ステーキへの食欲を更に増大させる。
 全ての食材がそれぞれの長所を持っている。それをうまく組み合わせれば、食材の良さが引き立ち、幸福の材料になる。これが料理か。食材そのものには悪いも何も無い。ありがとよ。夢の中とは言え、あんたには教えられた。

 ステーキの後はサラダ、チョコレートケーキ、最後にオレンジといった順番で料理が運ばれてきた。こいつらはまるで有終の美を演出するかのように、控えめでそして心を落ち着かせるものだった。食後のコーヒーを飲み切った時、正直寂しくもあった。だが同時に確かな満足感もそこにあった。満腹感ではない。ただ今こうして生きているだけで強い充実感を得る、そんな感覚だった。

「サヴァランの幸福、存分にお楽しみ頂けましたか?」

男が深々と頭を下げてから言う。確かに"サハラ"の幸福ってやつは最高だよ。



 白いコンクリートが目に入った。鉄格子をはさんで入った太陽光は、そこに白と黒の縞模様を作りだす。俺が死んでも誰もあんな幕をかけてくれないんだろうな。俺はベットに横たわりながら天井を見つめていた。夢のひと時は終りを告げたようだ。

「おはよう。早速だけど報告してくれないかな?」

朝から嫌な顔を見た。笑顔を作り、穏やかな声色で言っているが、実際は俺達を脅迫してるだけじゃねぇか。

「嘘はいけないよ。君がどういう夢を見たか大体の予想はついているからね」

自分が気に入らない内容を話したら拷問にかけるって事か?俺はさっきまで見ていた夢を全部話した。見た事、聞いた事、感じた事全てを。ただ一言、"夢に出てきた男はあんたより賢そうだったぜ"というのを除いてな。
 その日の飯は3食とも俺が嫌いだった食材ばかりが使われていた。だが、俺はもうこいつらを嫌わねぇ。それぞれ長所になる味があるんだ。ただそれが活かされてないだけだ。
 どんな飯も食えるようになった。満腹感を得るのは簡単になった。だが、何を食べても満足感を得る事ができなくなった。もとから好きだったものを食べても同じだ。昔は好きなものさえ食べれば、あの、そう、あの砂漠みてぇな名前の幸福を多少とも感じる事ができたんだろう。今はそれが全くない。きっと最高の料理を食べたせいだ。ここで出される料理はテキトーな食材にデンっとテキトーな味付けをしただけだ。食材を引き立たせる方法を全く考えてない。それどころか食材の味を殺している時さえある。
 どうしたらもっと美味しくなるのだろうか?飯を食う時は密かにこんな事を夢想するようになった。たまにあの博士がやってきて好き嫌いがなくなった俺の心境をきいてくる。だが"お利口な"あんたが俺の考えを聞いたって鼻で笑うだけだろうよ。俺は"わからない"とだけ答えておいた。

「そっか。でも良い事かもしれないね」

うるせぇ。

 虚しい日々が続いていた。思えばこんな生活、唯一の楽しみは食い物だけだった。それすらも楽しみを奪われた。早朝、博士が俺の独房に顔を見せた。今日は好きなものを食べて良いから希望を言ってみろという事だった。いつもらしくない。だが俺にだってわかる。今日、ここの飯ともおさらばするのさ。朝の光が俺の為に縞模様を描いてくれる。もっとも、まだ日が出きっていない今じゃ一歩間違えば紅白だ。博士には何でも良いと答えた。

 落ち行く太陽が周囲をオレンジに染め上げる。目の前には鉄の扉。俺は簡素なパイプに座りながらそれを見つめ続ける。扉が開くと黒い服を着た2人の大男が俺を捕らえる。それに遅れて博士がやってきた。白衣の下に黒いインナー。

「君とは色々ありました。短い期間とはいえ毎日の様に顔を合わせ、一緒に仕事をしましたね」

今更の説明をしようとしている。俺はそれを遮った。もうわかっていると。ただ、ここの人間で俺が知っているのは博士だけだ、だから2人だけで話をしたいと言った。恨み言を言うつもりだった。

「それはできません。ただ……君たち、彼、ちゃんと拘束して」

博士がそう言うと大男2人が俺の腕をきつく締めあげる。それを確認した博士は俺に近づきながら言う。

「私にだけ伝えたい事があるなら、ここでも聞く事ができますよ」

そう言って微笑むと博士は自分の耳を俺の口元に近づける。呪いの言葉でも言おうとした。だが、博士の耳をはっきりと視界にとらえた瞬間俺の意識が途切れた。



 コリコリとした食感、軟骨には無い独特の弾力。その絶妙な噛みごたえにより、一噛みするごとにそれは口内で踊り、鉄の香りを振りまいた。噛み切るのには多少苦労するが、それはまるで己の味を出し切るまで口内に留まろうとする意志にさえ感じた。財団の飯とは対照的な味わい。素材そのものの無骨な味。それが為に、それは頭の中から余分なものを取り去り、食への探求心を更に増大させる。
 どうしたらもっと美味しくなるのだろうか?きっと酸味と柑橘系の香りがよく合う。全てのピースが頭の中ではまりあい、体の芯から冷たい快感が沸きあがる。そうか……これがサヴァランの幸福か!

 気が付くと俺はうつぶせに倒されていた。目の前には一直線に続いた赤い水玉模様。それを辿っていくと博士が目に入る。博士は驚愕の表情で俺を見つめる。扉を背にして座り込み、真っ赤な袖口を顔の横に押し当てていた。目には薄っすらと涙が浮かぶが、それは恐怖の為ではないように思えた。なんだよ、本気にしたのか?俺があんたに情を持ったなんてよ。……やっぱり財団は阿呆の集まりじゃねぇか。俺は喉を鳴らす。

「でもよ。俺はそんなあんたが気に入った」

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