僕が確かに見てきた世界
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収容房に行く途中、私は手に持った日記帳をちらりと見た。

この日記帳は、私が昨日戸棚から見つけたものだ。ところどころ破けてボロボロになっていて、名前が書いたシールが残っていることだけが、子供の頃に自分がつけていた日記帳なのだとわかる唯一の印だった。
これをなぜ職場に持ってきたのか、それははっきりとは分からないが、なぜか持っていかねばならない気がしたのだ。今からとても大切なことがあるのに、いや、あるいはそうであるからこそなのかもしれない。そんなことを思いながら、私は昔のことをゆっくりと想起していった。

子供の頃、母が死んだ。正確には、連れていかれた。
私は、二階の窓からその様子を眺めていた。家の玄関口で、父が知らない人と話をしていた。父はどうやら怒っているようだが、相手の人は冷静に何かを語っていた。二人はしばらく話していたが、30分ほど経ったあたりで、相手の人がいきなり父にスプレーを吹き付けた。するとどうだろう、父は何もなかったかのように家の中に入っていったではないか。そして階段を上がり、私の部屋に来て「母さんは重病なんだ、これから病院に行く。」とだけ言って出ていった。それが本当かどうかは、子供の私には分からなかった。
次の日、父から「母さんは死んだ。」と言われた。私はその言葉を信じて、それ以上は何も話さなかった。

そして次の日、父が逮捕された。
あとから聞いたところによると、どうやら酒に酔って暴れて人を殺してしまったらしい。生前酒癖が悪かっただけあって、まあそうだろうな、という淡白な感想だけが漏れた。子供の頃の私が聞いても、おそらく似たような感想になるだろう。普通であれば、父母がたった二日のうちに亡くなってしまったことを悲しむのだろうが、あの頃の私にはそういった気持ちが全くなかった。もしかすると、私はあの時から狂っていたのかもしれな………

「我修院博士ー。」


助手の研究員に呼ばれ、私は追憶の世界から抜け出した。


「なにぼけっとしてるんですか。」


『ああ、すまない。少し昔のことを思い出していてね。』


「…………」


『どうした?』


「博士。本当に、これでいいんでしょうか?今回の実験の人選は……その、何というか……」


『ただの職員と、ただのSCiPだ。そこに拘る必要なんてないだろう。自分の番が回ってきた、ただそれだけの事だ。』


「ですが……」


『上が決めたことだ。勝手に人選を弄れば、収容違反に繋がりかねない。ダメだ。』


「だからって、これはあまりにも………」


『SCiPの実験に、余計な感情は必要ない。…………私は試されているんだ。どういう意味か、わかるかね?』


「………はい。」


そして、私は収容房に入った。


『ただいま。』


そこには、母がいた。


そこには、父がいた。


そして、私がいた。


『それでは、実験を開始します。』


そこには、SCiPがいた。


そこには、Dクラス職員がいた。


そして、私がいた。

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