忘却の囁き、偽りの現実
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人間は死んだら消えてしまうのだろう。

今日まで私はそう思っていた。いや、或いは思わされていた。
もちろん私は無学な幼子ではもうないし、そんな事が有り得ないとは科学的に理解しているつもりである。現実的に考えて、死者は忽然と消える筈がないと。
しかし、しかしだ。実際に死に直面して、それが現実味を伴っていなかった場合には、一体どうすれば良いのだろう。
もしかしたら、消えてしまう方が自然なのではないか?
違うのだ。死んで消えるなどあり得ない。今目の前に繰り広げられている惨劇こそが、まさしく現実なのだ。
だがしかし、何かがそれを否定する。現実など認めさせないと、何者かが囁いてくる。

そう、"こんな異常なものは、ここには存在しない"、と。

遠い昔から、誰かがそう囁き続けている気がしてならないのだ。
 


 
小学生の時、学校で爆発事故が起きた。
私は当時の事を良く憶えていないが、先生からそう聞かされた。家庭科室のガス管が破裂したんだと。酷い事故だったようで、一週間学校が休みになった程だ。学校が楽しかった私にとってはなかなかにショックな出来事だった。
その爆発事故で、親友だった██ちゃんが死んだ。本当に仲が良かったから、聞いたときは愕然としたものだ。確か、事故の次の日に██ちゃんの家に行った時に、お母さんから聞いたような気がする。
葬式にも行ったけど、██ちゃんには会えなかった。棺桶の中には花が敷き詰められてただけだった。
今思えばそれはきっと、爆発で既に焼けてしまっていたのだろう。しかし当時の私はまだまだ無知で、
「██ちゃん消えちゃったの?」
と、両親にずっと問いかけていた。
 
 
中学生の時、祖父母が亡くなった。祖父母は遠方に住んでいたけど、どうやら事故にあったようだった。
葬儀の為に赴いたが、死体は無かった。警察が検死の為に回収したらしい。どのような事故だったかは、確か自動車による轢き逃げだった気がする。両親が犯人を捜すよう警察に詰め寄っていたのを憶えている。
死に目に会えなかった影響か、葬儀では全く泣かなかった。実はどこかに隠れているんじゃないか、そう思えてならなかったから。それほどまでに実感が湧かなかった。
結局、犯人は今も捕まっていないようだ。
 
 
高校の頃にも悲報があった。私の叔父さんが亡くなったらしい。叔父さんとは仲が良くて、よくラーメンを奢ってもらっていた。
亡くなった理由は、詳しく教えてはもらえなかった。病気だとかなんとか。持病持ちだとは聞いていなかったが、不摂生な生活が祟ったのだろうか。
そして、相変わらず棺桶には死体がなかった。
私にはもう見慣れた光景だった。花だけが敷き詰められた棺桶を覗き込んで、どこか現実味のない死を考えて。その葬儀でも、私はさっぱり泣けなかった。
 
 
そして大学院時代にまで、事件が起きた。どうやら私の周りでは惨事が流行らしい。
今度は大学で研究されていた細菌か何かが流出したとのことである。事件当日のことは何も憶えていないのだが、恐らく必死で逃げたのだろう。次の日大学に来てみれば、何か物々しい雰囲気になっていた。建物は立ち入り禁止のテープが張られ、警察だか消防だかよく分からない人間が、慌ただしく作業を続けていた。
大学の理学部棟は一週間も封鎖されて、更には実験停止処分。これには私も参ってしまった。折角培養した細胞が台無しである。
そして、やはりと言うべきか。友人が数人亡くなっていたようだ。何を研究していたかも思い出せないその人は、きっとよく分からない細菌の犠牲になってしまったのだろう。
当然のように死体は無かった。棺桶の中を覗いて、失礼ながら思わず笑ってしまった位だ。
そうだ、笑える位に何かがおかしかった。
 


 
そして今。私の目の前には高校生がある。突然細切れになって死んだ、高校生だったものが。
それは余りにも唐突すぎた。本当に目と鼻の先で、彼は虚空に引き裂かれたのだ。
繁華街の片隅で起きたそれは小さな悲鳴を引き起こし、波打つように恐怖と混沌を広げていった。
電話を始める人、倒れこみ嘔吐する人、おもむろに写真を撮る人。そんな中、私は何もできずに立ち尽くしている。
初めて、人が死ぬのを見る。強烈な血の臭い。悍ましい中身が飛散し、飛び出した目がじっとこちらを見据えている。
本物の人の死だった。それが初めて、私に現実を突き付けてきた。ほら、これが真実だと言わんばかりに。
しかし、それでも、私は確信していた。疑いようがなかった。これは私が知るべき現実ではないと。だってこんな事ある筈がないから。有り得てはいけない事なのだから。そう何かが囁いているのだから。

「きっと、これも消えるかな」

淡泊に呟いて遠くを見やれば、そこには何処かで見たようで、しかし見た事のない者達がやって来ている所だった。

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