狐達の夜
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「どうして、あんなのが職員なんですか」
 
午後に差し掛かった頃のAnomalousアイテム研究室に声が響く。例日どおり扉の向こうへと管理員を見送ると、配属初日の新人研究員が苦々しげに吐き出したのだ。
 
その一言には様々な感情がねじ込められていた。収容すべき人類の敵たる異常実体が目の前に存在することへの苛立ち。異常実体が財団で、しかもAnomalousアイテム管理員という地位で、平然と勤務していることへの疑問。優良な勤務態度への感心。人格を認める以上は、勤務する当人に存在を問うような言葉を投げつけづらいという倫理との葛藤。出来ることなら排斥したい拒絶感……。新人研究員の複雑な胸中を、直属上司である上級研究員は察した。
 
「人手不足だから、だ。条件をクリアしたら制限付きで使う制度だと」
「制限付きって……巫女のコスプレしててもいいんです?」
「ありゃ午後からの仕事着だ。アレにしかできない仕事のな」
 
新人は怪訝な顔を隠そうともしない。上級研究員は、こいつには色々と叩き込まないと早死にしそうだと考えた。ここ財団においては観察眼があるか否かは生死を分ける。よく見ろ、異常を察知しろ、と言われる所以をもう少し教えるべきなのだろう。
 
「それに、見えてなかったか? "首輪付き"だったろ。何か異変があればソレで直ぐに無力化される。服装は仕事のパフォーマンスを上げるためのだ。ありゃまだ全体的に大人しい方だよ」
「え、首輪付いてましたっけ。というか、そんなにひどいのがいるんですか」
「お前……はあ、今度もう一回サイト内の見学に行くぞ。最低限の挨拶しかしてないんだろ」
「……? 分かりました」
 
そこで3分を告げる電子タイマーの音が響いた。それから、食事に特に拘りのない2人はズルズルと各々でカップ麺をすすりあげた。新人研究員は悶々とした感情を落ち着かせながら、上級研究員は持参物にゲロ袋、治療キット、簡易記憶処理剤を思い浮かべながら。
 
 


 
 
御先稲荷おさきとうががサイト-8181の第3食堂を訪れるのは、いつも混雑が落ち着いた頃だ。
 
ルーチンワークが苦手というわけではないが、特段に早くこなせる方でもない。膨大な数のAnomalousアイテムの点検、数値測定、記録、管理、新規アイテムの情報の整理と"静聴"の必要性を評価しスケジュールを立てて……。どうしても少し遅くなってしまうのだ。自信は無いがよくやっている方だと一定の評価は得ているので、弛むことなく業務をこなし続ける他ないのだろう。
 
券売機にはいつものように豊富なメニューがずらりと並び、売り切れのランプが今日も選択を狭めている。御先は午前中に溜め込んだ疲れを肺から吐き出しながら、第3食堂内でも特別に美味しく、特別に注意が必要な唐揚げ定食のボタンを押した。たまにしか食べないのだけれど、今日はそんな気分だった。
 
 
 
 
 
 
「虎屋博士ですかー?」
 
御先は食事前に皿の上の唐揚げ相手に問う。この行動は、サイト-8181の慣例である。そういうのがいるのだ、うっかり狐面を外すと唐揚げに見える博士が。今しがたカウンターから受け取ったばかりの唐揚げ定食が彼である訳もないのだが、彼が少しばかりいたずら好きな事を御先は知っていた。
 
「私はそっちではありませんよ」
 
カタリ、とテーブルの向かい側に和定食が置かれる。虎屋外郎とらやういろうは御先の向かいに着席すると、口元だけ露出するよう狐面をずらす。2人の少し遅い昼食はいつも通り始まった。
 
Anomalousアイテムの管理員と人工系オブジェクト研究専門の博士。巫女服を着た狐耳の女性と狐面をした細身の男性。異常性持ちと、異常性持ち。仕事内容で連携を持つこともある御先管理員と虎屋博士は、いつも何となく時間が合うのでこうして食事を共にしている。
 
「分かっていますけど、念のためですよ。ほら、つい虎屋さんを食べちゃったら……ほら」
「確かに、身体をおしゃぶりされるのはあんまり。配慮は助かりますけど、さすがに食堂では外しませんよ」
「以前、私に指をかじらせて恥ずかしい思いをさせた事を忘れた、とは言わせませんよ?」
「うーん何のことだったか」
 
いただきます、の言葉と共に箸を手に持つ。それほど長くはない休憩時間に他愛ない会話を紡ぎ合う時間は御先にとっての僅かな平穏だった。この白い壁に包まれた空間での仕事はいつ何時なんどきも油断ならない。今だって食事中のエージェント達は銃を携帯している。サイト中に設置されたアラームはいつ鳴り出すことか。それでも僅かな平穏を求めることは……間違っては、いないはずだ。御先はそう信じていた。
 
「髪の色、変わってきたんじゃないですか?」
「あぁ、そろそろ冬も終わりってことだと思います。私は黒髪の方が落ち着くんですけど」
「元々は黒だって言ってましたもんね」
「それに、黒のほうが服に合いますし……」
「本当にこだわりますよねえ、巫女服」
 
張り詰めた糸を緩めながら時間は過ぎていく。数刻の後にはまた緩みを正さなければならないが、恒例となったこの時間がとても心地よいのだ。虎屋の息子の話、廊下で見かけたエージェントや博士について、食堂の新しいメニューの味見、社会で話題になっている事……。
 
 
「ええ、私にとって大切な日常ですから」
 
 
 


 
 
 
昼餉と共に数刻の日常を終えれば、また非日常と向き合う時間が訪れる。奴らは待ってくれないし、向こうに主導権を渡してはならないのだ。例え危険性が低いと見なされたアイテムといえど死人が全く出ないというわけではない。時おり、検討や実験の結果によってSCP指定されることもある。いくつかの死体を見た経験は油断を良しとしなかった。
 
緩んだ巫女服の帯をギュッと締め直す。自分の頭の上から退いてくれない耳と元の色を忘れた髪、ずっと昔からこの体に馴染んでいる巫女服の上にこの場所の象徴とも言える白衣を被せて、自分に与えられた日常へ帰る。今日のオブジェクトから聴こえてくる声はどんなものだろうか。愛情でも執着でも悲哀でも怨嗟でも、その感情を全て拾い上げてやる。
 
御先の持つ狐耳から「物の声が聞こえる」異常性を利用した仕事、"静聴"は大抵いつも午後に行われる。Anomalousアイテムや無力化アイテムへの"静聴"は実験として実施され、監視の対象はアイテムだけではなく御先へも向く。ただし、それは人員を守るためというよりは御先稲荷という異常を見張る警戒の視線であり、御先はそれを感じ取っていた。
 
――まるで物言わぬ声です。だけど無理もないと思います。監視員と実験室にいる私、その立場が逆であればきっと私も同じ視線を向けるでしょう。財団職員ならばアイテムも私も、どちらも怖がるべきですもの。
 
実験開始のアナウンスが室内に無感動に響く。今日の実験対象は[編集済]だ。呼吸と意識を澄ませ、一切の自らの感情を不純物として排除していく。いま必要なのは自分の感情ではなく、あなたオブジェクトの感情だ。長く少し重い袖を動かし、綿の手袋越しに合掌する。意識は透明に。そして御先は頭上の耳もとい、逆立った髪をオブジェクトに押し当てて意識を集中させた。
 
 
 
 
 
 
"静聴"を終えた御先は実験室を後にし、準備室へ移動する。そこには安価なデスクの上に白紙の書類とペンが1本、慰めにミネラルウォーターがぽつんと置かれている。あまりに質素な空間は実験室より一回り小さなだけで、室内にいる気分はそう大して変わらない。警戒はまだ解けない。
 
「お疲れ様でした、御先管理員。5分間のクールダウンの後、内省報告をお願いします」
「わかりました。……ありがとうございます」
 
鉛を纏ったように、心が重たい。自分の身体が一気に疲れを訴えている。それでも今しがた聴いた声について実験中に報告で伝えきれなかった情報を、5分後には机の上の書類に書き記さなければならない。安物のパイプ椅子を引けばガタガタ音を立てる。いつもより音がやかましく響くように感じるのはストレスのせいだろうか。一歩だって動かなかったのに、運動した後みたいに汗が出る。首筋を汗が伝っていく感覚が妙にはっきりして、忌々しくて気持ち悪い。御先は勢いに任せてパイプ椅子に自重を任せ、乱れてもいない呼吸を整えはじめた。
 
彼女オブジェクトは、愛情の飢餓と孤独を訴えていた。私は一人ぼっちだと叫んでいた。とても、とてもとても強い感情で。……私は聞き届けることしかできない。せめてその想いを晴らすことが出来たらいいのだけど。彼女の想いを晴らす方法が、無力化案が頭の中に流れていく。この考えを提出したって実施されないのは分かっている。それでもこれを伝えることは私の信念で、大切にしたいと思うことだから……私がここに居る理由になると思うから。ストレスになると分かっていても、御先はまた"声"を反芻する。
 
5分が過ぎ、電子音と共に作業を開始するようアナウンスが入る。警戒はまだ解けない。時間差で発現する特異性もあるのだ。この作業時間中もずっと警戒が続いていることを御先は知っている。
 
 
 
怖がりすぎ、とは言えなかった。何も言えなかった。何かを言いたかったのに。
私を、怖がらないで。
 
 


 
 
 
その夜、御先はサイト-8181中庭のベンチで眠れない夜を過ごしていた。冬の終わり、春の始まる前。寒さも和らいできたとはいえ薄い寝間着のみでは体が震える。が、煮詰まった頭を冷やしたかったので敢えて何も羽織らなかったのだ。
 
夜の深まった中庭は暗い。現在は必要性がないため照明が必要最低限まで落とされているのだ。いつしか中庭で夜間実験が行われた日には、あまりに眩しい光が部屋の中まで差し込み、眠りにくかった事を思い出す。今日は何も無くてよかった。頼りなく灯る光と程よい夜の闇の静寂なら、妙に騒ぎ立つ心を鎮めてくれる気がした。
 
新人職員の向けていた敵意だろうか。"静聴"で受けたストレスだろうか。名も知らぬ職員の視線が首元へ向いていくことだろうか。隔月の定期考査の結果を待っていたからだろうか。その結果である雇用継続通知書が自室のポストへと乱雑に突っ込まれていたことだろうか。いつまでも、無力化案は採用されないことだろうか。
 
心が凪ぐのを待てば、頭はそのざわつきの原因を探り始めてしまう。足元の芝生が風に揺られ、その身を擦り合わた音が耳に届く。目を瞑れば世界にはそのような僅かな音だけがあった。静寂とひとりぼっちの世界は、草を踏みしめる音によって遮られた。
 
「……虎屋博士?」
「奇遇ですね、御先さん」
 
そこにあったのは見慣れた狐面と白衣の男性の姿だった。昼とは違うラフな服装をしているので勤務明けでない事が窺える。散歩か何かだろう。一枚羽織るものに白衣を選ぶ所に、御先は虎屋博士も職業病にかかっているなと思った。
 
「ちょっと、眠れなくて」
 
御先はバツが悪そうに目を逸らす。面の下の瞳と向き合うことができなかった。ひと呼吸置いて、虎屋はその視線の先に回り込むようにして隣に腰掛けた。少し俯いたままの御先は言を紡ぐ。
 
「虎屋博士が勤務時間じゃないのにお面つけてるの、めずらしいですね」
「あー……唐揚げが浮いていると騒ぎ立てられるのも面倒で」
 
それでは寒いでしょう、と虎屋は御先の肩に白衣をかける。ありがとうございます、その声は聞き取りやすくも、か細く折れそうな声であった。
 
話はそこで途切れる。重たい心のまま明るく話す術を、御先はあまり知らなかった。明らかに意気消沈している自分の隣に座るということは、彼に甘えてしまってもいいということなのだろうか。新たな思案に食事よりもゆっくりと過ぎていく時間の中、ただ風の音と冷えていく体温を共有していた。
 
また、口を開くのは御先だった。
 
「虎屋博士は、」
「ええ」
「その、あの」
「はい」
 
迷いながら言葉を選ぶ御先を、虎屋はただ静かに待っていた。御先の宙を泳いでいた視線が、狐面の目元へと向く。
 
「寂しいとか、孤独だとか、思うことはありますか」
「さみしい、ですか。それは……感じることもありますけど」
 
狐面の下から紡がれる言葉は、いつもよりくぐもっていた。物理的に遮られているのも原因だ。
 
「仕方のない事だと、そう思いますよ」
「仕方ない、ですか」
 
その響きは諦めを示すものだが、不思議なくらいに柔らかで。
 
「私は財団職員でありながら、SCiPの影響を受けていますから。他の方にとっては異常存在ですし」
「そんな、でも虎屋博士は博士で、他の方からも」
「いくら功績を認められようが、使える人材だろうが――彼らにとっては、少し使えるだけの……異常存在です。仕方ないんですよ」
 
御先はまた、何も答えられなかった。自分だってその感覚は既に嫌なくらい理解しているのに、どうしてこんなに辛いのだろう。「仕方ない」を否定してあげたいのに、言葉が見つからないのだ。
 
虎屋がSCP-███-JPに暴露した事件の後、妻と息子にその異常性は見られなかった。御先はそれを知っている。御先がSCP-███-JPに暴露した事件の後、母親と父親にその異常性は見られなかった。虎屋はそれを知っている。そして2人は、異常性持ちに向けられる正常な職員達の視線を、知っていた。管理員だろうが博士だろうが科せられたその首枷の意味も、分かっていた。
 
「皆、私達が怖いらしいから。きっと孤独を感じるのも仕方ないことだ」
虎屋の言葉はひどく暖かな受容を込めて御先へと向けられていた。私達は異常性を持っていて避けられる存在だ。それでいい。
 
「それでも。私は虎屋さんのこと、怖くないって思います」
「ふむ。私は御先さんがちょっと心配ですよ。素直に受け止め過ぎで」
「虎屋さんの言葉だからですよ、きっと。いつもならもうちょっと探りますとも」
 
御先の肩の力が抜けていくのを見て、虎屋はどこか安心を覚えていた。
 
――絶対的なパートナーの居ない彼女にとって、自分は世界に受け入れられる必要がないと言い切ってしまうのは少しばかり恐ろしいことなのだろう。正常で満たされた家族との接し方を忘れた自分にとっても、また。
 
監視カメラが見ている。警備員は常に配置されており、サイト-8181は常に警戒が蔓延っている。しかし、深夜の中庭の緊張は解けていた。冷えた身体の奥で、ただ感情が生まれていた。2人はお互いの中に同じ感情を持っていることも、その感情の名前も知らなかった。
 
それから御先と虎屋は、明日の昼食に何を食べたいかの話を少しだけして、別れた。また明日、と手を振りあって。
 
 
 
 
 
そして虎屋は、自室の扉を開けてから気づく。
 
「……あ、白衣、貸したままだ」
 
携帯端末からまたひとつ、明日の2人に新しい約束が生まれた。
 

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