イレブン
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過去

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「これが、」
部屋の正面で男が喋った。色とりどりの点で埋め尽くされたスライドを見せていた。
「宇宙です。我々の手が届く存在していた、あるいは今後存在するもの全てがこのスライドに載っています。我々の知る限り、これこそが答えです。全存在の答えです。」

プロジェクターを消し、瞬間、部屋は真っ暗になった。明かりが戻った時、映像は遠く、上の方から写したような地球の絵画に変わっていた。

「これが我々です、」
男はスライドを中央に合わせて言った。
「我々の知るほぼ全ての生命はこの岩の塊の上で生まれ、死にました。」
彼は雰囲気の為にしばし止まった。
「実際、悪い物件ではないようです。」

聴衆がまばらな笑いをあげる中、彼はスライドを調節した。

「そしてこれが…分子です。というか、少なくともそのモデルです。現在の技術はまだこれらを視える点まで追いついてはいませんが、その姿がどのようなものかの検討はついています。さて、分子は──建材です。宇宙と最も基礎的な粒子です。あるいは単に、その可能性があります。もしかしたら更に分子を構成する小さな粒子が存在するかもしれません。はっきり言ってどこが限界かは言い切れませんが、その底にあるのは根源的なものに違いない…そうでしょう?ただ我々の作る建物を構成するだけでなく、存在そのものを、存在たらしめるモノです。我々はそんなものを探求しています。」

明かりが戻り、男は振り向いた。男の白いジャケットには「フェリックス・カーター博士ーと青く印字されていた。丸眼鏡が鼻の上にちょんと乗り、白髪が丁寧に梳かされ顔の両側に生えていた。

「我々が、あー、実在科学国際学院に接近した時、我々は一つの目標を獲得しました。その理由の探求です。我々は説明を求められたわけでも、ま、また、なぜそれが理由なのかという推論を、求められたわけでもありません。我々の役目は、我々が何故あり、何であるかの答えとなる宇宙の要素を探求する事でした。本日、これが達成された事を、歓喜を込めて報告しましょう。」

彼は両手を広げ、別の男が視界に入った。長身で、短く切りそろえられた茶髪を持ち、黒いジャケットを着ていた。彼は微笑み、熱狂的な拍手に丁寧に手を振り返した。そして紹介される時、手をその体の前で固く組んで立った。

「彼は王立科学学院のフレデリック・ウィリアムズ博士。彼の支援と援助のおかげで、我々は、うむ、この大発見を果たしました。」

2人は沈黙し、明かりはまた暗くなって頭上のプロジェクターが映像を映した。映像はぼんやりとしており、ノイズが多かったが、その焦点ははっきりしていた。1本の白い線が映像を横切り、両端でフェードアウトしていた。

「今映っているのは1本の糸です、」
カーター博士は続けた。
「我々はそう呼び始めたところです。始まりの時にこれがどういう姿をしていたかはわかりません。我々は小さなオジマンディウムのフィルムを使って高エネルギーパルスを放射する事で、この糸を顕現させる事に成功しました。ここ手法はアメリカのアダム・ブライト博士のチームから借りたものです。彼らはタキオンと呼ぶ、いわば時間の基礎的物質を誘発する為の、類似のプロジェクトに携わっています。我々は、同様に装置のチューニングを行う事で、本来起こらない事を…起こす事ができると、発見しました。」

映像が切り替わった。次のスライドでは、近くの構造物が糸の中心に劇的に引き寄せられていた。次では、糸は消え、構造物はクシャクシャに不恰好な姿となっていた。

「これが我々の観測したものです。これらの糸の1本を、宇宙の基礎の素子を一瞬だけ顕現させ、ほんの少しだけ操作すれば、範囲内で瞬間的に7000%近くの重力上昇が発生します。もう一度言いましょう。我々は宇宙の物理法則を、眩い光と岩で操作したのです。」

集められた観客らは再び拍手した。しばし、カーター博士は沈静の為に手をあげた。

「我々の研究の完全な文書は間も無く提供可能になる。姉妹プロジェクトが研究を完了すればすぐです。3ヶ月ほどで、発見に関する完全なプレゼンテーションをこの集会で行う、そして…そしてより知識の進歩した世界へまた一歩先を進むのです!」

— - —

その後のオーディトリアムのロビーにて、ウィリアムズ博士はカーター博士とそのチームを伴う研究者のグループと話をしていた。2人の男が近づき、1人が手を伸ばした。

「ウィリアムズ博士、」
男は言った。
「お会いできて光栄です。ヴィンセント・アリアンス、オックスフォードからです。貴方の研究に心から惹かれました、本当に。」

長身の男が笑った。
「アリアンスさん、もちろんです。同窓生に会うのはいつだって嬉しいですね。」
彼は2人のうちのもう片方を見た。
「そして彼は?」

「アーロン・シーガル。」
男は言った。アリアンの握手に続いた。
「コーネルです。」

ウィリアムズ博士の目がかすかに見開いた。
「名高い物理学者じゃないですか。先に貴方がこの発見をすると私は半ば期待しておりましたよ、シーガル博士。」

アーロンは笑った。
「あいにく、我々の研究は違う転換をしまして。原子について解析したならば、貴方の研究を先に実施して形状の解明をしていたでしょう。貴方の研究は非常に感動的でした。」

ウィリアムズ博士の目は物憂げだった。
「はい、カーター博士は非常に優れた成果を上げてくれました。彼はこのプロジェクトに大きく貢献してくれたのに、追放されるのは残念だ。」

アリアンスは二度見した。
「待ってください、彼が……え?」

2人が何かをいう前に、黒い目に華奢な体、短い黒髪の女性が接近した。青いドレスに、長い黒手袋を着用している。彼女はウィリアムズ博士の背後に回り、彼の肩に手を乗せて耳元に何かを囁いた。彼は頷いた。

「みなさん、残念ながら席を外させていただきます。」
彼は振り返る途中で止まった。
「ああそうだ、失礼しましたアリアンスくん、シーゲル博士。彼女はソフィア・ライト博士。彼女はカーター博士とそのチームと共にロンドンで研究をしているんだ。」

女性は柔らかく微笑み、頷いた。
「お会いできて光栄です。」

アリアンスが横で聞いた言葉の処理を続ける横で、アーロンは頷き返した。ウィリアムズはポケットをしばらく弄り、3つの矢印のエンブレムのついた白いカードを取り出した。

「こちらが私の名刺です、シーガル博士。」
彼は言った。
「街にいるうちに、ぜひ事務所からこの番号に電話してください。 ちゃんと適切なミーティングを手配しましょう。アリアンスさん、貴方も是非ご参加ください。我々の組織は素晴らしい研究の断崖にあり、新進気鋭の人材が欲しいのです。」
彼は肩を竦めた。
「考えてくれると嬉しいですよ。それではみなさん、また今度。」

ウィリアムズ博士は帽子とコートを身につけ、ライト博士についていく形で客間を後にした。


現在

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「むかしむかしあるところで、ある男は自分がだれであるのか、どうやってそこにたどりついたのかの記憶がないことに気がつきました。」


オリヴィアはスタジオのバルコニーに出て、耳元から白く、細いタバコを取り出した。ポケットの中にライターを探していたところ、背後のドアが開く音がした。

「知ってると思うが、ソイツは命に関わるぜ。」
アンソニー・ライトはスーツやタイの似合う男ではなかった。彼は囚人服のように身に纏っていた。
「俺ぁとっくに知ってる筈なんだがな。」
彼は付け加えて、半分だけ入ったガムのパックを差し出した。

「アンソニー!」
オリヴィアの細身の影が、小さくエレガントなナイフのような優美さでアンソニーに滑り込んだ。彼の体に腕を巻きつき、強く抱きしめた。もう5年前にやめたというのに、この老人は未だにタバコの匂いを漂わせていた。

アンソニーはその大きな腕を彼女に落とし、優しく撫でた。2人は並んで欄干に寄りかかった。まだ朝とは言えない時刻だ──下では、街の道路はタンジェリン色に光っていた。涼しく気だるげなそよ風が2人を通り過ぎ、海の香りを運んだ。

「うまく行ってよかったわ、」
オリヴィアは言い、ライターを取り出した。展示会の時に拾ってきた蛍光緑のプラスチックの安物だ。数回親指で回したが、火花を散らすばかりだった。

「ホラ。」
アンソニーはまるで危険なおもちゃを取り上げるように、彼女の手からライターを取り去った。彼は自分のものを取り出した──古く色あせた、真鍮製のものだ。自身よりも多くの凹みが付いていた。
「世界の為にコイツは外さないぜ、お嬢さん。ここシアトルだとしてもな。」

オリヴィアは目を丸くした。アンソニーのライターは1発で火を点けた。彼女はタバコの先に火を点ける為に頭を低くした。
「ごめんなさいね。また変なわけわからない芸術だと思ってるでしょう。」

「ああ、まあ、カッテージチーズでできたマドンナを俺は『理解できる』とは言えねえな。」

オリヴィアは彼を見た。「お気に召さなかったかしら?」

アンソニーは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「待て、今の──お前のか?てっきり、えっと…。」

彼女は笑った。
「いえ、冗談よ。あれはゴミ。アレを作った野郎は陳腐ね。」
街に振り返り、長い一服をした。息を吐いた時、1筋の煙が彼女の鼻から立ち上り、頭上のバルコニーを舐めた。
「カルヴィンは?」

「うまくやってる。来れない事をすまなかったってアンタに言えってだけ言付けられたが…。」

「忙しいのよね。わかってる。ほんと、わかってる。」
オリヴィアは目を閉じた。
「今、たくさんの事が起きているんだから。」

「ああ。誰もこうなるとは考えてなかったなぁ…。」
アンソニーの声は次第に小さくなった。
「『会計士』は思った以上に必要な人間だったらしいな。奴を失った瞬間、その財源を失っちまったんだ──何もかもが崩壊し始めた。職員はパニックして、サイトは崩壊し始めた──なんたって、あの晩だけで2人の監督者が死んじまったんだ。」

何かがオリヴィアの意識を引いた──何かを忘れている。
「サイトはあといくつ残っている?」

「まだ200くらいかね。先週、サイト-173が廃棄された。残ってるのは死体とゴキブリだけだ。」
彼は首を振った。
「フツーのゴキブリだ。」

オリヴィアは彼を見た。ここ数年で初めて彼が老けて見えた──老けて、疲れ切っているようだった。顔のシワは肌に深く刻まれ、目は黒く、頑固な丸いモノに囲まれていた。

彼女はまた後を引くものを感じた。
「貴方は大丈夫?」

「おかしな話さ、」
アントニーは街を眺めながら言った。
「てめえは長らく悪魔と戦い、火を消して生きてきた──そこが大変なところだ。必要な仕事だ。てめえを死に至らしめる事だ。でもそうじゃねえんだ。」
彼の目が向いた。
「灰を払い──クソッタレなモノをまたかき集め直す。ソコが一番大変なところだ。」

彼女は顔を顰めた。後を引く力が強まっていた。

「誤解しないでくれな。今は、だいぶマシになってる。」
彼は力のない微笑みを浮かべた。
「誰も傷つける必要はねえんだ。殺す必要もねえんだ。悪夢をおさえこむ為に、子供達を切り刻む必要もねえんだ。」
彼の目は、ゆっくりと街へと戻っていった。

オリヴィアは目を閉じた。
「アンソニー…。」

「どうやったかは俺もわからねえが、俺達は勝ったんだ。世界は…まだメチャクチャだ。眠る時、未だに悪夢を見るんだ、わかるか?でも毎晩、良くなってきている。悪夢が失われている。」

彼女は何かを探しにポケットの中を弄り、それを取り出した。

「まあともあれ──すまねえ、愚痴っちまったな。聞いてくれオリヴィア。俺にはずっとお前に言いたい事が──」

オリヴィアは、4インチの滑らかで鋭い工作用ナイフをアントニーの心臓に全て叩き込んだ。一瞬、老人の目が純粋な混乱と衝撃に満たされた。そして──後ろによろめき、弱々しく柄を握りながら──その目は空虚になった。

「ごめんなさい、」
オリヴィアは囁いた。そして彼を欄干の向こうへと押し倒した。

そして世界は消え去った。



現在

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「するととつぜん、男に声がささやきました。「2つ目のねがいは聞き入れられました。さあ、3つ目で──最後の──願いを。」


「──ろ。頼むよ、頼むよ、早く起きてよ──」

1条の光がオリヴィアの瞼に入り込んだ。止まらない耳鳴りを感じた。

誰かが腕を引いていた。

「起きてよ、起きてってば──」

彼女は目を見開き、即座に後悔した。鋭く激しい陽の光が瞳孔に雪崩れ込み、反射的に目を瞑った。オリヴィアは拳を片方、左目に押し付けてぬぐい始めた。
「何…私、どこにいるの?」

青年が彼女を揺するのをやめ、椅子に座りなおした。
「ああ、ほんっと良かった。」

オリヴィアは目を擦り続け、視界を調節した。彼女は安いモーテルの一室で、ベッドに横たわっていた。過充電されたACが横で震え、その上では太陽光がカーテンを通り抜けて照らしていた。部屋はかすかにココナッツオイルの匂いがした。

アダムはベッドの横に座っていた。まるで数日間眠っていないかのような顔だった。彼のラップトップはナイトスタンドに設置され、横にはピストルが置かれていた。

オリヴィアはフラつきながらも瞬きをして気を落ち着けた。
「アダム?何が──」

「どこまで思い出せる?」

オリヴィアは眉を強く寄せた。まるで加算器の歯車のようにギリギリと擦り付けられた。ここに至るまでの出来事について思考を巡らせた。最後に思い出せるものは─

「何か夢を見ていたわ。アンソニーがいたけど、あれは─数年前の事だった。何もかもがおかしかった。現実じゃない。現実のように感じたけど…。」

アダムは頷いた。
「何かがおかしかった、でしょ?」

「ええ。」
オリヴィアは目を閉じて夢を無意識の隠れ家から引き出した。
「彼はタバコを吸わなかったけど、ライターを持っていたわ。私達はシアトルにいた、でも海の匂いがしたの。そして考えれば考えるほど…。」

「より嘘だということに気づいてく。」

彼女は頷き、目を開いた。アダムはラップトップを見つめていた。

「どうしてかはわからないけど、私が気づいたその脱出方法が─」

「うん。」
アダムは遮った。彼はアイコンタクトを取らないように苦痛を感じているようだった。
「わかってる。」

オリヴィアは顔を顰め、ベッドの上に座った。
「アダム?その…えっと、話をしたく─」

「いいよ。もう脱したんだ、今はね。」
彼はコンピューターでファイルを開いていた。
「どうやってここに来たのかは覚えてないでしょ?」

オリヴィアは首を振った。
「いえ。」

「こっちもさ。幸い、どうやら計画的な事みたいだ。」
彼は何かをダブルクリックした。ラップトップの画面がカルヴィンの静止画でいっぱいになった。彼の冷静な顔がこちらをじっと見つめていた──その背後には、オフィスのようなものが見えた。
「カルヴィンが僕たちが、その…ここに来た事を思い出せなかった時の為に、手順書と一緒に再生できる動画をアレキサンドラにロードしてくれてたんだ。」

オリヴィアは前にずれて、アダムの横までベッドの上を移動した。彼は「再生」ボタンを押した。

ウィンドウが動画の上に表示され、2つのパスワードを要求した。片方は「アダム」、もう片方は「オリヴィア」と表示していた。

「暗号化されているの?」
オリヴィアは尋ねた。彼女は画面を見つめ、顔を顰めた。

「たぶん。思い出せない…というか、使ったかもしれないパスワードはあるんだよね。」
アダムは言い、自分の名前のあるウィンドウに何かを打ち込んだ。エンターを押すと同時に、名前は緑色になった。彼は彼女を見返した。

オリヴィアは下唇を噛み、何かを考え込んだ。

「オリヴィア?」

何かが彼女の思考を後ろに引いていた。

考えるのをやめないまま、ナイトスタンドからアダムのピストルを奪い取り、彼の頭蓋に3発を撃ち込んだ。

そして世界は消え去った。



現在

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「男は少しだけ考えこみ─他にせんたくしなどないと知りながら──最後の願いを口にしました。「おれのわすれたすべてのことを思い出させてほしい。」


「オリヴィア?」

オリヴィアは目を開けた。何かとても居心地の良さそうなオフィスの簡易ベッドに横たわっていた。革装丁の本が全巻みっちり詰まった書棚の前には、広く、よく磨かれたデスクがあった。

カルヴィンが横から彼女を覗き込んでいた。とても遠く感じた─そうでない時なんてあった?─が、その表情は微かに心配そうだった。

オリヴィアは即座に彼のみぞおちに膝を叩き込んだ。

カルヴィンは背を曲げて前のめりになった。彼女はベッドからデスクへと転げ出し、急ぎ引き出しの1つの隠し扉をまさぐった。このオフィスには何百回も来ていた。記憶が確かなら、隠し扉が…ここにある。

カルヴィンがようやく呼吸を始めた時、オリヴィアは彼の心臓に銃を向けていた。

カルヴィンは両手を上げて1歩下がった。
「オリヴィア…」

「黙って。」
彼女は目を細めた。
「考えさせて。」

カルヴィンは何も言わなかった。

「何かが私の頭の中をいじくり回してる。既に2回繰り返してきたわ。1つはアンソニー、もう1つはアダム。どちらにおいても、私から情報を聞き出そうとしていたわ、」
彼女は喋りながら思い出していった。
「どちらでも、私は何かがおかしいと思ったわ。矛盾する物事。アンソニーのライター。アダムのパソコン─本当の彼は「アレキサンダー」と呼ぶ、「アレキサンドラ」じゃない。そして考えれば考えるほど、おかしいと気づいていく…」

カルヴィンは手を下げ始めた。
「オリヴィア、よく聞け─」

黙れと言ってるの、」
彼女はぴしゃりと言い返した。
「いい、どのループでも私が違和感に気づくと、全ては崩壊していった。どのループでも、そこから逃れる術は…」
彼女の息は荒くなっていった。

カルヴィンはまた下がった。

「貴方を殺さなくちゃ、」
彼女は囁いた。

「オリヴィア。いいから、ああもう、いいから落ち着け。話をしようじゃないか、な?」

「もうとっくに考え抜いたの。アンソニー、アダム、そして貴方─また夢なのよ。また新たな…」
彼女は唇を固く結んだ。
Lie嘘つきThe Liar。貴方が忌々しい嘘使いThe Liarなのね。」

「オリヴィア。」
カルヴィンの声は、緊迫感を帯びた。
「頼む。俺の話を聞いてくれ。君が正しい可能性はある。誰かが君の頭をいじくり回しているんだろう。でもそれは俺じゃない。俺は『嘘使い』じゃない。」

「だとしたらどうやって…」
彼女の指がトリガーにきつく巻きついた。

「聞け。いいから聞け。OK?君は俺の調査の手伝いをしてくれていたんだ。君はそのままオフィスで眠りについた。そして目をさました途端、こうして俺に銃を向けてきたんだ。」
カルヴィンは手をなるべく上げ続けた。
「君は違和感に気づくと世界は崩れたと言ったな。何か気づいたか…?」

オリヴィアは彼を睨みつけた。
「まだ。でも…」
オフィスの各所を目で追った。全てはあるべき形に見えた。今までの夢と異なり、全ては彼女にとってしっくりきた。しかしそれはつまり…?

「夢はアンソニー、次にアダムと続いたんだよな。考えても見ろ、俺が『嘘使い』なら、次を本当にカルヴィンとして出てくるか?」

オリヴィアの呼吸は落ち着いてきた。違和感のあるものは無い。おかしいとは感じなかった

「最初は偶然。2度目は一致。3度目は法則だ、」
カルヴィンは言い聞かせた。
「きっと『嘘使い』は君に俺を殺すよう仕向けているんだ。」

彼女のトリガーを握る手が緩んでいった。

「奴が何か情報を引き出そうとしていたと言ったな。どんな情報だ?」

「私…アンソニーと一緒だった時は、わからない。聞きたい事があるって。アダムに関しては、パスワードだった、と思う、けど…」

「パスワードだって?」

オリヴィアは銃を下げ、しかししっかりと握っていた。
「ええ。」
ゆっくり呼吸するよう自身に言い聞かせた。
「ええ、ええ。だから…ちょっと時間をちょうだい、お願い。」

カルヴィンはゆっくりと手を下げ、距離は保った。
「よし。でも、そうだな、まるで意味がわからない。君は『嘘使い』が求めるようなパスワードを知らないよな。ほかに聞いたりはしてこなかったか?」
彼は一拍置いて、付け足した。
「手帳のコピーについては聞いてこなかったよな。だろ?まだ持ってるか?」

オリヴィアは首を振った。
「いえ、聞いてこなかったわ─ええ。まだ持ってるわ。」
彼女は空いている手で手首の根元に触れた。微かに、覚えのあるふくらみがまだあった。
「手帳はここにある。」

『嘘使い』は微笑んだ。
「そうかい。」

そして世界は消え去った。



現在

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「おかしな人、」声は男の最後の願いをかなえながら、わらいました。「それはあなたがさいしょにねがった事よ。」


オリヴィアは口の中に、溶けたチョークの薄い膜に包まれたような感覚に気づいた。ペパーミントの味が舌の上に微かに残っていた。

目をこじ開けて、すぐさま閉じた。眩い、突き刺すような光がまっすぐ網膜に飛び込んだのだ─こめかみに覚えるズキズキとした痛みが激しくなった。

彼女はどこかの病室にいた。それを理解するに辺りを見渡す必要はなかった。感じる事ができたのだ。なにせオリヴィアは病院が嫌いだった。後ろから10数えて、目の力を抜いていき、調節する時間を与えた。

やはりだった。明らかに医療施設だ─そして彼女はベッドに縛り付けられていた。懐かしい事だ。いくつかの清潔な、複雑な機械が横に設置されていた。多くは何かピ、ピ、と音を鳴らしていた。体を縛るナイロンストラップが許す限りで頭をもたげ、状況を確認した。

看護師や医者がうつ伏せに倒れていた。赤い海がその下からにじみ出ていた。純白のスーツを着た年上の女性が近くに座っていた─その手には銃が握られていた。彼女はオリヴィアを見つめていた。

オリヴィアは瞬いた。違った─ネオングリーンのモヒカンの若い男がいた。濡れた何かの散りばめられた鋲打ちされたジャケットを着ていた。左手には血の滴る飛び出しナイフを握っていた。

また瞬いた。中性的な人がいた─濃いオークル色の肌で、顔面はピアスで埋め尽くされていた。チャコールを縛る紐のような革紐を身につけていた。ナイフの代わりに、アルミニウムの野球バットを持っていた。それは髪と肉にまみれていた。

また瞬いた。鋸状のステーキナイフみたいな歯と鋼を切り裂きそうな爪を生やした男だった。また瞬いた。アンソニーだった。また瞬いた。アダムだった。また瞬いた。カルヴィンだった。

また瞬いた。

『嘘使い』だった。

「傷の具合はどうだい?」

オリヴィアは自分の手首を見た。真新しい傷をジグザグに縫った痕があった─手のひらの根元から、肘の内側まで続いていた。遠い記憶が思考の奥底を引っぱった。

彼女は唇を舐めて嘘をついた。
「そんなに…痛くないわ。」

「念のため。ちゃんと覆っておくようにね。抗生剤も忘れずに。」
『嘘使い』の口の左端が吊り上がった。
「彼らが何か処方してくれたかもしれないけど、生憎そうする機会を与える前に私が殺してしまったんだ。」

「誰…。」
オリヴィアの目は、床に転がる人らを見下ろした。
「何が起きているの?この人達は誰?」

「私のもとで働く者達さ、そして我々は君を捕らえた。」
『嘘使い』は彼女に説明した。
「君をここに連れてきたのは…処置の為さ。君の知る事を調べる為に…君が手帳を持っているか判断する為に。最低限、君が何を書かれていたか知っているかをね。」
その唇は興味深げに続けた。
「いやあ、長らくそれが存在していた事すらも忘れていたよ。ソレを書き記したエージェントが逃げ出して、内容について語った時、君はきっと我々がその内容を真実とさせない為に何らかの手順を踏んだと思っただろうね。しかし…我々は典型的な、習慣の奴隷なのだよ。」

オリヴィアは『会計士』を殺害した後の事が思い出せなかった。『嘘使い』は彼女の混乱に気づいたのだろう。
「君は記憶処理を受けている。実を言うと、数回ね。私の財団における主な役割を知っているかい?ヴェールを維持する事さ。皆が知ってはいけない事を思い出させない事さ。」

彼らはその太ももに武器をトントンと叩きつけた。
「そして、当然、納得いく嘘でその穴を埋める事さ。」

「どうして私はまだ生きているの?どうしてこんな話をしているの?」

「それは君と君のお友達が占めていたからさ。君手帳を持っていたからさ。少なくとも、その一部をね。皮下にフラッシュドライブ、ちょうど手首に。」

「意味がわからないわ。」

『嘘使い』は微笑んだ。オリヴィアはその特徴を捉えられなくなっていたが、その表情に疲れた様子を感じとった。
「全ての認識災害が異常であるわけじゃないんだ。」

キーワードがオリヴィアの思考を走った。まるで今まで解いていた事も知らなかったパズルのピースを見つけたようだった。映像が記憶の中に迫った──ついに、全てを思い出した。

「貴方は、私達の1人だったのね、」
彼女は囁いた。
「インサージェンシーのメンバーだった。貴方は3番目のデルタだった──アンソニーが貴方について話していた。サム…サム・バイエル──貴方は抱える情報の為に財団によって何週間も拷問を受けて、一切情報を漏らさなかったって語っていたわ。理解が…理解ができないわ。」

『嘘使い』は目を閉じて頷いた。
「そう、それは本当だよ。でも私は記憶を漏らさなかったのは、私に漏らす記憶がなかったからなんだ。」

彼らは嘆息した。
「私はベンガル海に存在するアノマリーを特定する為に配置された。私達の船は嵐の中で転覆し、私は足を網か何かに取られ海に引きずり込まれた。目の虚ろになるような暗闇の中を漂い、虚空の中へと落ちていった。数ヶ月後、彼らは私を見つけ、そして財団は私の正体に気づいた──私のできる事を知った。彼らは私を『グリーン』、あの魔女に引き渡し、彼女は私に新たなアイデンティティを与えた。信じる為の嘘として。」

彼らは目を開けて立ち上がり、オリヴィアに歩み寄った。
「君のお友達のカルヴィン…あの賢しい若造が、手帳を読んで見つけたんだよ。君の持つコピーにはこの部分だけが載っていた──私の名前の記述された部分だ。長年目にしてこなかった…まるでずっと水の中に沈んでいて、ようやく浮上できたみたいな気分だ。」

『嘘使い』はオリヴィアの手足の拘束を解き始めた。
「入口への道は開けたよ。あと10分程度開けている。外に出ればすぐ、グレーのバンが駐車されている。ドアの鍵は開いている。鍵は小物入れにあるよ。手順、地図、フラッシュドライブもある。」

「フラッシュドライブ?」
オリヴィアは座り、急激に血の通った手足に激しい痺れを覚えた。二の腕が痛みに疼いていた。

「重要なデータが入っている──君達の次のターゲット、『記録管理人』の居場所も含まれている。」
『嘘使い』は下がった。
「我々の中で、彼女が最も辿り着きにくい場所にいるだろう。君のお友達には気をつけるように言っておいてね。」

オリヴィアは頷き、足を振り回した。床に足をつけた。
「…貴方はどうするの?」

「私かい?」
『嘘使い』は聞き返し、笑い出した。
「この件で私に過失がないわけじゃないよ。私は本来の役割を忘れたかもしれないけど、それでも今まで判断をしてきたのは私だし、行動をしてきたのも私だ。私にはもう何も残されていないんだ──財団がすぐさま始末しに来ないならば、私の知る情報を求めて一生追い続けるだろう──そして私は真実から逃げる気はないよ。真実は私を自由にしてくれたんだ。」
彼らは椅子に座り込み、膝にその武器を乗せた。
「急いで。窓は閉じ始めている。」

オリヴィアは『嘘使い』の手に触れる為、手を伸ばした。彼らは見上げなかった。脱出すべく背を向けたが、最後に一瞬だけ振り返った──一瞬だけでも、彼らの顔は認識できた気がした。そして通路に出て、出口に向かって駆け出した。

吹き抜けに着いた頃、彼女はようやく1発の、寂しげな銃声を聞いた。




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