刑務官の憂鬱:エージェント梅田視点の場合
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「了解しました。」

いくつか形式的なやりとりを済ませ、所長室から刑務官の同僚と共に出る。
同僚…大宮と高崎の顔色はよろしくない。それはまあ、当たり前だろう。
相手が3人殺した大悪人であり、かつ職務であるとはいえ彼らは人を殺す、という事になったのだから。
要するに、俺ら3人は死刑囚の死刑執行役を命ぜられたわけだ。まあ俺は一昨日から知っていたが。

これは彼らには決して言えない事だが、彼らは今回件の死刑囚に手を下すことはない。
なぜなら、表向きには死刑執行という事になるが、実際には件の死刑囚は秘密裏にとある組織に雇用され「危険な業務」に携わる事になっているからだ。

無論事前に面会する宗教家などに扮した俺の仲間によって既に「契約」は結ばれている。つまり同意の上だ。「危険な業務」に携わる代わりに1ヶ月生き延びたら自由の身。それが件の死刑囚ととある組織との契約の内容だ。まあ実際は生き延びることは無いとは思うが、俺にとってはどうだっていいことだ。

とある組織…財団。異常な現象やオブジェクトを確保、収容、保護することで人類をその脅威から守る秘密組織。かくいう俺もその一員だ。表向きには梅田刑務官としてこの拘置所に勤めているが、その正体は財団のエージェント梅田。それが俺だ。


今日の任務は件の死刑囚の財団施設への移送だ。
無論俺の同僚2人を始めとした刑務所の職員のほとんどは財団の存在なんぞ知らないため、移送は秘密裏に行う必要がある。

死刑に立ち会うのは所長、立会検事、検察事務官、それぞれ処遇と教育を担当する首席矯正処遇官2名、医官2名、刑務官10名、宗教教誨師。合計18名だ。
この内所長と首席矯正処遇官2名、医官2名、刑務官3名、そして宗教教誨師は財団関係者だ。そして俺こと梅田刑務官も財団職員。この合計10人で残りの8人を黙らせる必要がある。

ただ、俺はその場にはいない。俺は別室で同僚2人とともに執行する役割を担っているからだ。そのため俺は1人で2人、つまり大宮と高崎を黙らせる事になる。

黙らせる、と言ってもそうそう過激なことをするわけではない。クラスA記憶処理用の薬品をスプレーで軽く吹き付け、色々忘れてもらうだけだ。吹き付けてしばらくはぼうっとしたようになるため死刑囚の回収の邪魔にもならない。

そして8人を無力化した後に地下室(本来なら執行された死刑囚がぶら下がっているあたりだ)に隠し通路でやってきた財団の回収部隊に身柄を引き渡す。後は回収部隊の仕事だ。
で、俺らは事前に用意しておいた書類やら筆跡を真似たメモやらを立ち会っていた人間に彼らが気が付かないうちに握らせ、検事など一部の人間にはこれまた予め用意してある偽の記憶を植え付け、何事も無く死刑が執行されたように仕立てあげる、という寸法だ。


「おや、あなたはもしや今日執行に当たられる刑務官の方で?」
「え?そうですが。」

準備中に突然声をかけてきたのは、見慣れない初老の男だった。
ネズミ色のスーツ、赤っぽいネクタイ、そして眼鏡と少々寂しいことになりつつある頭をした地味な男性だ。
スーツの襟には秋霜烈日をあしらったバッジが付けられている。この人が立ち会う検事らしい。

「そうですか、お勤めご苦労さまです。ところで例の死刑囚、献体にはしないでくれ、とか何とか言ってたそうですね?」
「ええ、私の知るかぎりではそうらしいですね。」
「私に言わせれば図々しい限りですよ。とんでもない罪を犯したんだから、せめてそのくらいする気にはならないもんなんですかね、まったく。」
「…まあ、人それぞれ、という事なんでしょう。」

安心なさい、検事さん。あの男は献体なんぞより遥かに有意義に使われますから。あなたが一生知ることはないであろうし一生知るべきでないところで、だけど。


さて、ついにこの時が来た。
俺は既にボタンの前で待機している。
隣にいる大宮と高崎の足はがくがく震えている。かくいう俺も震えてはいないが心臓がバクバク言っている。
まあその緊張の原因は全く別な理由なんだけどな。

さて、いつ頃この2人を黙らせるべきか。
タイミングを図っていると、向こうが騒がしくなってきた。
「何だ君らは」というちょっと高めの声はあの検事だろう。どうやら所長たちはもうおっ始めたようだ。
2人に気づかれないようそっと後ろに下がる。
大宮と高崎も(彼らからしたら、だが)異常な事態に気づいたらしく、顔を見合わせている。

「おい、大宮、梅田、なんかおかしい…って、あれ?梅田は?」

懐から記憶処理用の薬品スプレーを取り出し、2人に声をかける。

「なあ、大宮、高崎、ちょっといいか?」
「え?」

まず高崎の顔に吹き付け、すぐに大宮も同様に処置する。
彼らは呆然とした表情のまま、ぼんやりと突っ立ったままになった。

「悪く思うなよ、こっちも仕事なんでな。」


2人を黙らせてすぐに刑務官がやってきた。
一瞬身構えたが、そいつは俺の仲間の財団職員だった。

「終わったか?」
「ああ、見ての通り。」
「こっちも完了だ。奴はもう回収部隊に引き渡した。」
「そうか、無事終わったか。」
「ああ…奴はこれからBルートでサイトに移送される手はずになってる。」

拘置所からサイトまでのルートは安全や防諜のため、いくつも用意されており、どれを使用するかはランダムに決定される。
今回はBルートか。下水道を通ってフロント企業の佐山セントラルパーキングの敷地から地上に出て、それからまた別なフロント企業である鷺ノ宮サボテンプランテーション(Saginomiya Cactus Plantation)を経由しての移送ルートだったはずだ。
結構な遠回りだ。回収部隊の連中は大変だろうな。

「さて、じゃあ事後処理だ。梅田、お前はもう今日の刑務官としての仕事は終わってる事になってるからな、そこの2人を拘置所から適当な場所に連れ出してくれ。」
「了解。」
「あ、おいおい、梅田君!」

声をかけてきたのは所長ことエージェント三ノ宮だった。
手には封筒が2つ握られている。

「なんでしょう?」
「こいつを彼らに握らせておいてくれ。ほら、例の特別手当2万円だ。」
「なるほど、了解です。」

未だにぼーっとした表情の2人に2万円入りの封筒をそれぞれ握らせ、その場を後にする。
さて、どこに連れて行くべきか。
この前高崎が話していた行きつけの居酒屋にでもするか。そこならそう違和感もないだろう。


できれば2人と飲みたいところだが、まあそうもいかない。
2人の意識が戻ったらその旨を報告し、俺は家内に呼ばれたとか何とか適当な理屈をつけて離脱し、サイトに戻る事になるだろう。
刑務官も大変だが、財団職員もまた大変なのだ。
だが大変でも為すべきことを為す。それだけだ。



「すまん、家内がさっさと帰ってこいだと。俺もう行かなきゃ。」
「そうか、残念だな。じゃあな。」
「ああ、また明日。」


「…こちらエージェント梅田。刑務官2名の意識がはっきり戻りました。どうぞ。」
「回収部隊アルファ了解。こちらもサイトへのD-67885の送致終了。エージェント梅田もサイトへ帰還せよ。どうぞ。」
「了解。これより帰還します。オーバー。」

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