愛猫と呼ぶにはほど遠く
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夜の街を歩いていた。

夜の街は好きだった。夜の静寂さは周囲に誰もいないことを俺に教えてくれる。それが俺にとっての安心だった。友人たちは昼間の喧騒こそが孤独ではない安心感を与えてくれると言っていたが、俺にとっては全く逆だ。昼の騒がしさは、むしろ自分が入り込めない世界がいくつもあることを知ってしまうようで、あまり好きではない。友人たちは俺を変わり者だと言っていた。実際自分でもそうなんだろうなと思う。

小さなワンボックスカーを降りる。俺はこの街に死に場所を求めてやってきた。

夜の街を歩いてビルを品定めしている。

なぜ死ぬのか、と言われれば特段深い理由はなかった。ただ、いくつもの小さな積み重なりがその選択肢を形作ったのだと思う。理由を捜してみてもそれらしいものが見つかるわけではない。その分、死にたくない理由と言われてもそれらしいものが見つかるわけではない。ある種、それが理由だともいえるかもしれない。

どうしてこの町を選んだのか、それにも大した理由はない。ただなんとなく止まった町が、言い換えてみればそれなりに気に入りそうな町がここだったからだ。せめて死ぬなら気に入った場所で、人間としておかしいことではないだろう。

3日間、ビルを探している。少し社会の発展からは取り残された町のようで、余り高さのあるビルは見当たらない。時たま見つける良い雰囲気のビルは、高い分やはり金がかかっているのかセキュリティ対策がしっかりしていて中に入れそうな雰囲気はない。今しがた見つけたビルもそうだった。

死ぬのにいい物件(果たしてこの場合本当に良い物だと言えるのかは分からないが)はなかなか見当たらない。ここに来るまでに見かけた海、あっちの方が良かっただろうか。どうしたものかな、とところどころ錆びた柵に体を預けたとき──

にゃーん、と猫の鳴き声がした。


「にゃーん。」

まずい。

まずった。

どうしよう。つい拾ってきてしまった。

ワンボックスカーの中で頭を抱える。どうしよう。つい拾ってきてしまった。でもほら、あんまり天気もよくなかったし、雨に打たれると可哀相だし、まぁ、ほら。

車の室内ライトを付け、入っていた段ボールの中から猫を取り出して眺める。白い毛並み、華奢な手足、生後……大体3ヶ月というところだろうか、生まれた猫が飼いきれないから捨てた、という感じか。

「にゃーん。」
「おうどうした。なんかあったか?」
「にゃーん。」

解らん。俺は猫語を解すことは出来ないんだ。

「にゃーん。」

……そういえばコイツはいつからあの場所にいたのだろうか。あの辺りを通ったのは今日が初めてだ。もし、もっと前からあそこに捨てられていたとしたら?

「……腹か?お腹がすいたのか?」
「にゃーん。」
「おおよしよし、わかったわかった。今からコンビニに行ってやるからちょっと待ってな。」
「にゃーん。」

返事を勝手に肯定と受け取り、俺は車のエンジンをかけた。


助手席に座っていた猫は、コンビニで買ってきた缶詰を食べ終わるとすぐ、後部座席の方に飛びうつるとそのまま寝てしまった。眠る猫を見ながら、この町──桜木町に来た本来の理由を思い返す。

俺は死ぬためにこの町にやってきた。相応しい場所を探すために何日も何日も歩き回った。

そして猫を見つけた。

気づいたら拾い上げていた。車まで戻ってしまっていた。予想外だった。1人で最後を終えるつもりだったのに。気づいたら同乗者を作ってしまっていた。俺は死にたい。が、この小さな小さな同乗者を置いていったままそれをするのは──

「無責任、だよな。」

せめて猫の引き取り先が見つかるまで、それをするのは延期だ。明日、もう一度猫がいた場所まで戻ろうと思った。気が変わった飼い主が猫を探して戻ってくるかもしれない。


海沿いを走る。風が強く、白い泡の塊が─確か風花とかいうアレが車のガラスに張り付く。幸い平日の昼間ということもあってか周りに車はいないし十分に徐行しているから事故の心配はなかった。ただ適当なところで休憩は挟もうと思ったが。

結局、俺はコイツを連れて桜木町を出た。飼い主は現れなかった。それどころかどうやら白色のワンボックスが不審者情報として出回り始めたらしく、それじゃあ敵わないのでこうして桜木町を出た。1週間は滞在した。

コイツに──つまるところこの白い猫に名前はない。
最初の1週間は恐れから、別れてしまうならば寂しくなると思って名前はつけなかった。その次の1週間は気恥ずかしさから、同行人が出来た恥ずかしさから「おい」だの「お前」だの呼び続けた。

今は慣れから。名前のない同行人を連れて旅を続けている。実際のところ、俺自身旅を始めてから偽名で呼ばれることしかなかったし、なんだかお似合いだと思ったりした。何者でもない1人と1匹、それなりに旅を楽しんでいた。交差点にさしかかれば俺は右と左どっちが良いかとコイツに問いかける。するとだいたい、にゃあだとかなんとか答えてくれるので、それを俺は返事ととって好きに右なり左なり(あるいは別の道に)進む。それなりに満足そうに旅を続ける。

不思議なことにコイツは大きくなる様子を見せなかった。コイツを拾ってからおおよそ5ヶ月、こうして旅をしているが、拾いたての仔猫の頃から変わらず折れそうな足をしている。少なくとも飯は十分に食わせていているし、仔猫ならすぐに大きくなりそうなものだが、やはり大きくはならない。ただ、健康そうではあるので特段気にしていないし、コイツも不調そうな様子を見せるわけではない。そういう品種なのかもしれない。猫はよく分からないが。

気づけば車は小さな町に入っていた。疲れはあったが、昼をとるためにも少しだけ中心に車を走らせた。


桜木町より少し活発な町。特に夜、それを感じた。大きくはないが小さくもない駅の周りでは古びた居酒屋から出てきたサラリーマン達が談笑を楽しんでいる。きっと街に繰り出すのが少し早いのもあったのだろうが、ビルにも明かりがついていたりした。よそ者の俺を気にかける人もいなかった。ビルの高さは桜木町より少し高かった。

ビルを横目で品定めしながら、少し早歩きをした。桜木町にないビルばかりだったが、あまり魅力は感じなかった。そのうちに町の端の、パチンコ屋に着いてしまったので歩みを止めた。時計を出して見ると1時間も過ぎていなかったことに驚いた。少し早かったが根城のワンボックスカーに戻ることにした。車から出るとき、アイツは眠っていたが今はどうしているだろうか。俺がいないので泣いているだろうか。ビルを品定めしていたときよりもまた少しだけ早く、駐車場に向かって歩き出した。

根城に戻る途中、町の案内看板のような物を見つけた。少し足を止めてスマホのライトで照らして眺める。なるほど、やはり桜木町より栄えているようでいろいろな物がある。見慣れた名前のショッピングセンター、名所らしい山、観葉樹が植えてあるらしいストリート。その少し消えかかったマークのうち、1つに目がとまった。

「足湯か。」

足湯、居所を決めずふらふらと走り回っている身分なので、正直なところ自分が清潔かと聞かれれば自信が無い。もちろん身だしなみには気を遣っているし、寄った町では銭湯なんかにも入るし入れなくとも毎日体を拭いたりとかそういうのはちゃんとしているのだが、そこはやはり日本人の血が流れている。幼い頃からの習慣でやはり風呂に入ってこそという感覚があるわけだ。

明日の行き先は決まった。足早にワンボックスカーに戻ると勢いよくドアを開けて留守番役に話しかける。

「明日、足湯に行こう!」

返事はない。見ればアイツは眠っていた。無防備なおでこにデコピンを仕掛け、もう一度同じことを言うと、不機嫌そうに「にゃあ」と返事を返した。俺はその曖昧な返事を肯定と決めることにした。


「ふぅ~、染みるなぁ。」

足湯、やはり暖かい温泉は体に染みわたる。欲を言えば体全体浸かりたいものだが、湧出量が少ないらしく、こうして足湯として開放しているらしい。ただ、無料なのはありがたい。道沿いにある無人の足湯だから気軽によれるのもプラスポイントだ。周りには既に数組の入浴客がいた。

アイツは今膝の上にいる。流石にペットの入浴はNGだと注意書きにもあったし、勿論書いていなくとも入れないだけの分別はある。ただ、先客さんが犬を連れてきていたし、それぐらい構わないだろうということで連れてくることにした。赤信号みんなで渡ればなんとやらと奴だ。

風呂に浸かれていないコイツもそれなりに温泉を楽しんでいるように見える。最初はなれない硫黄の匂いに戸惑っていたが、すぐに気にしなくなったようで暖かい湯気に包まれながら膝の上でうつらうつらと首を傾けている。猫でも人間みたいな動きをするんだな、と旅を始めて5ヶ月ほどたって再発見した。

「わぁ~!かわいい猫ちゃんですね!」

意識外からの声に思考が引き戻された。はは、どうも。と曖昧な返事を返す。見ればさっき少し離れたところにいた女性2人組が自分の隣にいた。ここまで移動してきたのだろうか。店員以外と話すのは久しぶりだ。声はうわずっていないだろうか。大丈夫だろうか。

「あの、触ってみても良いですか?」
「ええ、まぁ、大丈夫ですよ」

ありがとうございます。といいながら2人が手を伸ばす。ちょっとひやひやしたが、コイツもまんざらでもなさそうな顔をしている。とりあえずは問題なさそうだ。

「うわ~!ちっちゃいのにふわふわでかわいい!」
「この子の名前、なんて言うんですか?」

名前。

思考が止まってしまった。どうしようか、名前が無い猫なんですとは到底言えない。適当に名前をでっち上げてこの場を凌ごうかとも思ったが、こういうときに限ってそういう頭は回らない。どうしようか、沈黙が長く続けば怪しまれる。その時、1つの名前が不意に口をついて出た。

「██。」
「え?」
「コイツの名前、██って言うんです。」
「へぇ~、かっこいい名前ですね!」
「はは、ありがとうございます。それじゃあ俺は時間が来たんでこれで。」

逃げるように足湯を後にした。

██、死に場所を見つける旅に出てから長らく呼ばれてない俺の名前だ。


今日の夜も飛び降りるのにちょうどいいビルを探すのに町に出た。だと言うのに、俺は下ばかり見て歩いている。早足に、早くここを抜けられるようとでも思っているように。

あっさりとビルの合間を抜けた先に、小さな公園があった。俺は倒れ込むようにそこにあるベンチに腰掛けた。どうしてこんなに俺は早足なのだろう。桜木町にいた頃はゆっくりとビルを品定めしていたのに。どうして俺は上を向けないのだろう。ずっとビルの高さを目で測って飛び降りた後を空想していたはずなのに。どうして──

「ああ。」

すぐに合点がいった。ずっと前から感じていたことじゃないか。変わるのが怖くて、戻るのが怖くて、ずっと目をそらしていたんだ。俺は

「アイツとの旅、楽しんでたんだなぁ。」

運転中、暇つぶしにアイツに話しかけたように、足湯なんかに興じようとしたほどに、自分の名前を与えてしまうほどに。

気づけばベンチから立ち上がっていた。死ぬための旅を続けるなんて馬鹿らしいことだ。根城のワンボックスカーに戻ろうと思った。そして、アイツを連れて行きたい場所があった。

桜木町の前に訪れた始まりの場所。あの海だ。

俺は走って車に戻った。深夜零時。疲れにも構わず車のエンジンを掛けた。


がちゃり、とドアを開けた。潮風の冷たさが肌に刺さる。俺がコイツを抱き上げようとするとその腕の上をひょいと上って肩の上に座った。

ここは海を見下ろせる崖の上だ。桜木町にたどり着く前、つまりコイツと出会う前に一度死のうと思って立ち寄った場所。唯一旅を始めてからコイツとまだ立ち寄っていない場所。

「なあ、見えるか。海がきれいだろ。俺、あそこに飛び込んで死のうとしたんだよ。」

不愛想に耳元からにゃあ、と鳴く声がした。話を聞いていてくれているのがわかって、俺は話を続けることにした。

「でも、なんか納得いかなくてやめたんだ。決心がつくまでここで3日ぐらい車中泊したかな。でも踏み切れなくて、ここから逃げたんだ。」
「お前と出会ってさ、いろいろ見てきたよ。一人で見る景色と二人で見る景色ってのは本当に違うんだな。俺さ、いろいろやり直したくなったんだよ。」

やり直すならこの場所から。死ぬための旅を始めた場所から、今度は死なないための旅を。

「また、この場所から始めたいんだ。」

そこにコイツがいてくれたらどれだけ素敵だろうか。

不意に沈黙を守っていたアイツがにゃあと鳴いた。それと同時に肩からするりと重さが抜ける感じがした。俺はアイツを受け止めようとして後ろを向いた。

「あれ?」

アイツがいない。足元に降り立ったはずの猫の姿は何処にもいなかった。おーいと呼び掛けても返事はなかった。まさか崖下に落ちたんじゃあるまいかと何とか呼びかけようとした。でも、呼びかける名前はなかった。俺はここにおいて初めてアイツに名前を付けていなかったことを後悔した。文字にならない声でひたすらアイツを呼び掛けた。

「██!」

気が付くと俺は自分の名前を叫んでいた。あの足湯でアイツにつけてやった名前だった。俺はもう一度、あの不愛想な声でアイツに泣いてほしくて自分の名前を、ひたすらに、叫んだ。


いくらか時間がたった後、俺は車に乗って海岸を後にした。結局アイツは見つからなかった。別れの寂しさはあったが、不思議と涙は流れなかった。

俺はアイツとの出会いを思い返していた。今思えば不思議だ。3日間のうちに何度かあの道を通ったが、猫がいることには気が付かなった。アイツは腹を空かせていたが、衰弱したそぶりは見せなかった。じゃあ、ちょうど俺が通りかかる少し前にアイツをおいていった飼い主がいたということだろうか。それならばやはりおかしい。俺が夜の街を好いていたのは静寂があって、そこに人の感覚を感じられるからだ。だから、誰かいたならば気づけたはずだ。それにアイツはちっとも成長しなかった。小さな仔猫のままだった。

俺のところからアイツはいなくなった。きっと、アイツはまた同じように橋桁の下や、人通りの少ない路地裏なんかにいるんだろう。そう考えると少しおかしくなった。それでいいと思った。きっと、俺が生きようと思ったからいなくなったんだろう。

アイツに誓ったように、今度は生きるための旅をしよう。行くあてはないけれど、行き先があるのは確かだ。そう実感があった。気持ちは晴れやかだった。周りに車は走っていなかったので、景気付けに少しアクセルを踏み込んでやった。

雲が太陽の日差しを遮らなくなった頃、桜木町はとうの昔に過ぎ去っていた。

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