もう一人の、ただの、普通の、観客
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平日の昼間とはいえ、まさか自分一人しか客がいないとは……。
上映時間と空いた時間が丁度よく重なったため、あなたは前から気になっていた少しマイナーな映画を観に、この映画館まで来たのだった。
映画の半券をしまいながら、あなたは律儀に指定された席につく。真ん中の、少し前。あなたが劇場内でベストだと思う座席の位置だ。
お、両方の肘掛けが使えるじゃないか。あなたは左右にあるプラスチック製の肘掛けに自分の手を置く。
そしてあなたは広々とした場内を眺め、スクリーンを独り占めできるささやかな幸運を噛み締める。

照明が落ちると、劇場内のマナーについて注意するCMが始まる。自分一人なら守らなくてもいいんじゃないかとあなたは思うが、それでも携帯の電源を落とした。
ビデオカメラ頭の男があえなく逮捕されてからしばらくすると、これから上映予定の映画の予告編が流れて行く。これも映画を見るときの楽しみの一つだ。
あなたはこっそり持ち込んだ飲み物を口に含みつつ、気になった作品を頭の中にメモしていく。

照明が完全に落ち、映画会社のロゴが流れて本編が始ろうとする。
そこで、あなたはふと、最近読んだSCP記事を思い出す。翻訳された奴か……いや、日本のだったはずだ。
番号は思い出せないが、内容は思い出せる。確か、こんなシチュエーションになると現れる奴だ。
……あんまり怖くなかったな、とあなたは考えるが、いまこの状況ではあまりその考えを肯定できない自分に気づく。
まぁ待て、あれは単なる創作だ。作り話だ。
誰よりも自分が知っているはずじゃないか、とあなたは思う。
そんなことよりも本編に集中しないと、とあなたはスクリーンに目をやる。

と、そこで一人の観客が遅れて入ってきて、あなたの後ろのどこかの席に座った。
あなたはその観客が入ってきた時、ほんの僅かではあるがビクッとした自分を恥じて、頭の中で笑う。いやいや。
あれは普通の客だ。たしかあの記事には写真がついていて、その写真に映っているのは痩せたみたいな気味の悪い化け物だった。
今の客はちゃんと服を着ていたし、リュックみたいなのも背負ってた。SCPがリュックを背負うか?
あなたはそこまで考え、確かそのSCPは入ってくるところを人に見られても何故か不審に思われない特性を持っていた事を思い出す。
変なところで執拗な描写を加えやがって、とあなたは半ば苛立ちまじりに思う。

ちょっと……冷房がキツすぎないか……?
あなたは、先ほどよりも数度、劇場内の温度が下がったように感じる。
温度を上げてもらいたいが、あなたはそのことを誰に言えばいいのかわからず、言いに行くのも面倒なので席に座りつづける。
心なしか、先ほどよりも座席が固くなっているように感じる。

しばらくして後ろの方から、ごそごそという音が聞こえる。
きっと、携帯の電源を切ってリュックに入れているんだ……それか飲み物を取ろうとしているのかも……。
既に映画の内容は頭の中には入ってきていないが、そのことにあなたは気づかない。
あなたは後ろが気になってしょうがないが、かといって振り向く勇気もない。あなたは、自分の目をあくまでスクリーンに向け続ける。後ろにいるのはただの客だ……このマイナーな映画を楽しむ、いってしまえば自分と同じ趣味の同族じゃないか……。
この映画が終わった後、照明がついて後ろの席を向けば、さえない男が座っている……なんでこっちを見ているんだ、という目つきをしながらその男が出て行くのを見て自分は安堵するんだ……。自分は何に怯えていたんだろう、バカバカしい、と思いながら劇場を出るんだ……。

あなたはスクリーンを見続ける。
後ろからドン、という音が聞こえたが、それでもあなたは目をスクリーンから離さない。
きっと……持っていたリュックを落としてしまったんだ……多分そうだろう……。
今すぐここから出ろ、と本能が訴えかけてきているのをあなたは感じる。
一旦トイレに行くだけでも、冷房の温度を上げてもらうようにスタッフに言いに行くだけでも良い。それで、もし戻る気がしないなら、そのまま帰ればいい。
あなたは頭の中で響くそんな声を無視する。

心なしか映画の音量が大きくなってきているようにあなたは感じる。
劇場内は寒いくらいだが、あなたは冷や汗をかいている。
もしここで自分が襲われたとして誰かが気づくだろうか……気づいたとしても、その頃には手遅れになっているかも……。
いや、待て。まず、そもそも、襲われることはない。SCP記事ってのは創作だ。あなたは自分の恐怖心を押さえ込もうとする。
映画に集中しろ……平日料金とはいえ、1400円がもったいないぞ……。

後ろから何かの気配を感じたが、あなたはそれを気のせいということにする。
すぐ後ろで、男のものとも女のものともつかない叫び声が聞こえはじめた時も、あなたはスクリーンを頑なに見続ける。
……何者かの湿った吐息が耳にかかっても、あなたはそれを空調の風が耳に当たっただけだと自分に言い聞かせ続ける……

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