花の装い
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拝啓 あなた様

かつてあなた様とは婚約の契りを交わしためおと仲でございましたが、うつりにけりな悪戯に心変わりする愛情の矛先を他所の女性へ注ぎ、愛人との約束ゆえに私を刺し、山中へ遺骸を捨て長い月日が流れましたが、いかがお過ごしでしょう。あなた様が私の胸に煌く刃を突き刺したことは、今でも忘れることはできません。久し振りに二人で出かけようと云って、辺鄙な場所へお出かけ致しましたね。

……人気のない山中の墓標となる大きな楠木の傍で、あなた様はイキナリ振り向いて、私を殺したんです。まず初めに首をむんずと掴み、咽喉を乱暴に締め上げました。頭の中に驚きが充ち満ちているその最中、どこに隠していらっしゃったのでしょう……白刃の一突きが胸を刺突しました。あなた様が殺意を持って私を刺し、膝から地面に臥し倒れ、どくどくと流れる血流と血溜りをボンヤリとしたまま見ているうちに、殺された事実をヒシヒシと自覚をしました。

あなた様は躯を前に青息吐息……その荒い呼吸は胸を刺したことではなく、人を殺したゆえの精神的なお疲れだったのでしょう。疲労困憊とまではいきませんが……暫くその場に居座り、心と身体を休め、そのうちあなた様は立ち去りました。その時、穴を掘る道具を持ってきておりませんでしたので、それを取りに一旦お帰りになったのだろうと思いましたわ。最後まであなた様が戻ることはなかったのですけれど……。

死んでから間もなく、月光の銀波と星雲、陽光の金波と斑雲を淀んだ眼で具に眺めるだけの、何とも寂しく虚しい毎日でございましたでしょうか。葉擦れやちろろの音調が茫漠を際立たせ、孤独そのものが深奥から冴え澄み渡っているかのようです。その内、私の体が腐れ始めました。腐敗は自然の摂理であることは承知しておりましたけど、我が身に起きる異変が……姿が崩れ、肉が溶け、骨が離れるその有様は無念で残酷なことでした。

泣いて身悶えても、身の毛の弥立つ変化は留まることなく、ズンズン進行していくの。最初に鼻が潰れ、鼻先の頂にある軟骨がポロリと落ちました。次に唇が縦横無尽に破れ、歯列を覗かせたの。長く艶やかな黒髪がハラハラと乱れ落ち、雑草にへばり付きました。青黒くなった腹部が大きく膨張したかと思うと、死の臭気を放ちながら破裂し、臓腑がどろどろと地面へ染む……へどろのようになった私は長い時間をかけ、白い遺骸へ……ようやく骨組みだけになれました。

私は泥のような肉体は余り好きじゃございませんでした。だって傍目にも醜悪で、何とも不快なものでございますでしょう? 腐敗が中途半端な時分は、イッソのこと野鳥や啄ばみ、虫が啜るように願ったものです。……でもホントウは、キチンと火葬して、コンナ楠木の無縁仏ではなく、チャントした墓標へ納めて欲しかったのですけれど、骨しか持たない私は思う侭に動くことはできませんので……。

ただ……早く誰か私の躯を見付け、埋葬してくださらないだろうかと考えておりました。それは亡者の願いでもあったのよ……無弔いの虚しさや口惜しさが、ゴチャゴチャ渦巻き渾然一体となって……その思念を神様がお気に留めてくださったのかしら……あなた様が肋骨を砕き、心の臓に届いた凶刃の瑕に、若草色の青い芽がポツポツとくっ付いていたのです。

それは苔にしては余りにも眩しい緑色で、雨粒が降れば俄かに大きくなり、蔓とも蔦ともいえない触腕が肋骨全体に広がりました。最初、風が植物の種を運び……或いは、小鳥の落し物の種子が時季になって芽が覚め、骨を突き破ったのかと思いましたが、よくよく見定めれば違う有様で……。植物の種は、雨粒が岩を穿つように堅い骨を通過したのではなく、骨の上に種が宿って生長していたのです。

その種子は更に時期を重ねると、伸びた蔓蔦の節々に穂先のような突起を見せるようになりました。それは徐々に花開いて見事に開花し、胸骨の捨て鉢は小奇麗な花束になりました。名前も知らない菫に似た愛らしい花は、何とも優美で素晴らしいことでしょう。ただ本能で咲いて、ただただ本望に精虫を散らす花とは違うのです。抜け殻に咲いた供花は遺骨に芽吹くことで一種の美となり、一個体として命が宿り、私はそうして生まれ変わったのよ。

生まれ変わる……流転転生したその身が可憐であること……前世の意識を保って存在しているコト……嬉しかった。悦びを感じました。心残りをヤット叶えることができるのだと思ったのですから。あのね……私が願っているのは、もう一度あなた様に可愛がられたい、ただソレダケ……愛しいあなた様に慈しみられたい、ソレッキリの夢想なのです。

ワタシ……少しもあなた様を恨んでいませんよ、呪ってさえいないのよ。好きな人に殺されたのですから……それがどんなに歓迎すべき末路であるか、あなた様はお分かりになりまして? でもね……少し不満がございますのよ。一つだけどうしようもない不満が……ソウ……私、寂しかったの……。花へ生まれ変わる間、あなた様は、一度も顔を見せて下さいませんでした……。それがどれだけ懊悩と滂沱を重ねたことでしょう……。

でも……もうそれはいいわ。私はあなた様のお傍へ、お近付きになるために花の子を散らしながら、ゆっくり辿り寄っておりますから……。飛び梅の伝説のように……各地に足跡を残し、様々な場所を苗床にする……短い輪廻と長い道則を幾度となく繰り返し、最後に枯死するのはあなた様の家に置かれた花瓶の中……あなた様の顔や声を花の姿で見守り、私は枯れるでしょう……。

妄らな夢想とは思わないで……キット辿り着いてみせますわ。
 
 
あらあらかしこ
つばめに代筆を願った、あなた様の愛した野辺の供花より

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