異常保持職員のオリエンテーション-ある職員の場合-
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「それでは般若博士、いやB-█████。異常保持職員の初回オリエンテーションを始めます。」

全身を拘束され、真っ暗い箱の中で機械的なアナウンスに耳を澄ます。
「可逆的なものとはいえ財団職員██名を即座に心神喪失状態に陥れるというのはなかなか強力な異常性ですね。これまでの実験であなたの異常性はほぼ解析できました、収容に問題はないでしょう。」
何でこんなことになったのか、あの糞現実改変野郎に訳の分からない理屈で訳の分からないことをされたからだ。何が「君は美しい」だ。歯をギシギシと噛んで怒りを噛み殺す。そのせいで私は殺される寸前だったし、今もなお崖っぷちに立つ羽目になっている。
「さて、あなたの今後の処遇ですが、2つの道があります。人型SCiPとして収容されるか、あるいは異常性を保持した職員として継続雇用されるかです。ミルグラム従順性試験ではまずまずの成績ですが、これはあくまで継続雇用の最低条件です。収容対象となるか継続雇用されるかはまだ決定していません。」

「質問します、貴方は…
そうだ私は…

「どうもこんにちは、これまで何回も行ってきた異常性保持職員に対するオリエンテーションもこれで最後となります。これが終われば正式に再雇用となります。」

一同はほっとしているようだ。四肢が異形化している者、身体が半透明となっている者、顔に仮面を被っている者など様々な"元・人間"が同時に弛緩した雰囲気を醸し出す。

「財団で人型SCiPを雇用している例はそれなりに存在します。SCP-073SCP-105などですね。ただしいずれにしても"収容"の一環としての限定的な雇用であり、人前に出る機会はそう多くはありません。特にあなた方のような異形を持つ者や人に対して重大な影響を与えうる存在にはそれなりの管理体制で臨む必要があります。これについて異論はありませんね。」

皆が一斉に頷いた。

「よろしい、あなた方は財団職員として十分な適性を持っていると認めましょう。忠誠度も高く、ヒトならざる者となってなお、財団で貢献しようとしている存在を見捨てるほど財団は冷酷ではありません。とはいえ今から何かが変わるという訳でもありません、今まで通り室内勤務を主として、上層部の決定でその力を行使する。無闇に力を使えば収容対象に逆戻りか、最悪終了対象となることを忘れないで下さい。これでオリエンテーションを終了します。お疲れ様でした。」

満足気に異形の者たちは部屋を出て行った。

ディスプレイには「人型オブジェクト」たちが「標準人型オブジェクト収容房」に戻って行く様子が映し出されている。

「はい、これが"異常保持元職員"の収容手順となります。彼らにはこのように自分がまだ職員であると思い込ませるためダミーの事務仕事を与え、適宜記憶処理を行っています。」

壇上の女性博士は同じく異形を持つ私達に説明している。

「彼らとあなた方の違いに留意して下さい。彼らは最初のオリエンテーションで"継続雇用"を選び、あなた方は"収容"を選んだ。これが些細な差だと考える方は…この場にはいないでしょうが敢えて説明しましょう。財団職員に最も必要なもの、それは冷徹さです。小を捨てて大を救う、我々の日常はそんな何かを切り捨てる行為の連続でできています。そして自分が切り捨てられる対象に選ばれた場合、躊躇なくそれを実行することが必要となります。」

そうだ、私もそう思う。既にヒトならざるモノとなった自分を財団がどう扱うか、その選択に迷いはなかった。

「意地の悪い質問で振るい落としているわけではありません。財団職員として必要な客観性、それが欠けているものを運営に携わらせる程我々はお人好しではありません。例え忠誠を誓っていたとしてもその自己愛が蟻の一穴になる可能性がある以上、財団はその危険性を見逃すことはしないでしょう。」

女性博士はこちらを向き直り、続けて述べる。

「最後に、決してあなた方に忘れて欲しくないことを述べます。ディスプレイの向こうの彼らとあなた方には、職員としての資質以外に差はありません。必要ならば即座に収容対象になりますし、場合によっては終了されることもあるでしょう。」

ふと仮面の下の眼鏡のつるに触れる。これを外せば即座に爆発し、私は終了されることとなっている。Dクラス職員に繋がれる首輪爆弾と大差ない。

「財団は財団職員を信頼しています、同時に財団職員は財団に奉仕し、その信頼に応えなければなりません。財団職員としてどう振る舞うべきか、よく考えて行動してください。それではオリエンテーションを終了します。」

席を立つ。張り詰めた雰囲気の中、私を含めた皆が自分の仕事場に戻っていく。
歩きながらとりとめもないことを考える。
視界の端に見える監視カメラは一体誰が監視しているのだろう。

「はい、これが"異常保持元職員"の収容手順となります。彼らにはこのように自分がまだ職員であると思い込ませるため同類の映像を見せた上でダミーの仕事を与え、適宜記憶処理を行っています。」

というやり取りが何処かでされているとしたら、私たちは本当に惨めな存在になるのではないのか。
実際にそうかもしれないし、単にそう疑わせることで私たちの行動を制限しているだけなのかもしれない。
私が本当に財団職員であり続けているとして、安寧の中ただ無意味な行動をしながら生きる彼らと、何もかもに疑いを抱きながら脅えて働く私、どちらが幸福と言えるのだろうか。
もはや"知ってしまった"私には彼らの幸福がどのようなものなのか窺い知ることはできない。あの時ただ何も考えず「継続雇用を希望する」と答えるだけでディスプレイの中の彼らの中に私は居られたというのに。

そうか、私は後悔しているのか。単なるヒトで無くなったあの日、「私は人間である」と確信しなかったあの日の選択が未だに私の精神を苛んでいる。
しかしもう何もかもが遅い。人であり続けるために私は私の務めを果たすことでしか生きていけなくなってしまった。
異常保持職員として新たに増えた仕事に向き合わなければならない。

さあ、仕事に戻ろう。

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