Casa de Jacinta / Jacinta de la Casa
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アウレリオはいつも飛ばしすぎる。最後に会った夜もそう言ったはずだ。無様な姿を晒して死ぬ理由がどこにある?あんたがそんな姿になったのを見るはめになる私達のことも考えて欲しい。彼はいつもこう返した、そんなことはクソ食らえだ、俺が死んだ後のことをどうして俺が心配する必要がある?はっはっは。

そんな彼はバイクに乗り、シウダに繋がる坂沿いの曲がり道を引き裂いていた。彼は一人きりで、心配になる。最近の彼はバルクエロの集団を頻繁に引き連れていた。トラックに機材に道具を、塔に運び込んでいた。でも今は?今は、彼一人だ。あと何人が残っている?それがどうした?空っぽの街は殆どが憑りつかれ、等しく呪われていた。新しいバルクエロ達は、かつてのバルクエロと同じ川を渡っている。

彼は小さなマーケットの前の停め所に大胆に滑り込み、いつものように表の老人席に座っていたマクシモとアーネストを喜ばせるかのように、そこらに泥をまき散らした。どうして彼らはそんなに面白がるのだろう。彼がまだ死んでいないから?あれだけ年を食ってしまえば、それを愉快に思うこともあるかもしれない、もしかしたら。知る由も無い。私はそこに辿り着かなかった。

アウレリオが店に踏み入る時点で、彼がキルメスの6本入りを買うつもりなのが分かる。あいつはシウダに来る度にそれを買っていた。彼が中に消えると共に、日焼けで皺くちゃになった老人らは儀式めいた風に首を揺すり、何事かを呟く作業に戻った。葉を捥がれた細長いクブラコの木のように、マクシモとアーネストは揺れ動いていた。オートバイと共に現れたアウレリオの邪魔が去ったと知り、街を吹き荒ぶ風があたりを打ち始めた。狂気と儚さを伴った風は、緩やかに街を磨り減らし、滅ぼそうとする。省の立案者が街を建てる前に誰かに意見を求めたのなら、誰だってそのことを教えてくれたはずだ。

彼は戻ってきて、既に最初の一本に口を付けていた。一つをマクシモに、もう一つをアーネストに投げてよこす。居心地の悪さを感じる。しかし彼らはそうでない。彼らは一言の疑問も挟まずに飲み始めた。一度死ぬと、何に対しても疑問を覚える癖がつく。何も考えずに一寸先の闇に頭を突っ込むような大胆さが、恋しいと思った。今は出来ない。出来ることなら、天の神に文句の一つでも言いたかった。バイクに再び乗り込む前に、アウレリオはしばし足を止めた。

あんたらはどう思うかい?世界の流れとかをよ。

アーネストは顔を上げようとすらしない。いつも通りだ。

侮辱されたかのように、マクシモは隣の案山子に目を向ける。彼の顔はより折りたたまれて、ますます茶色の線と皺の塊にしか見えない。いつも通りだあ?馬鹿め。全てがボロボロだ。ヤンキーどもだってクソを漏らしてやがるよ。

へえ、今しがた目が生えてきた訳か。最初からそこにあったんだよ。だからあの塔にちょっかい出すんじゃねえと言ったはずだ、アウレリオ。誰も聞きやしない。

彼の言葉に、思わず息を飲む。アーネスト。あんただってあの塔にあった物を知らなかったんだろう。

アウレリオは笑う。あんたが最後に人の話を聞いたのはいつのことだい、爺さん

アーネストは髭を掻いて、ビールを口に含んだ。誰も他人の話を聞いちゃいない。それが自分に向かってくる時まで、周りを気にも留めてない。そういう世界だ。本当は、狂気はそこからやってくる。それで谷底の方に流れ込むんだ。滴って、底で水たまりを作ってるんだよ。

あんたは俺の所で働いた方が良いよ、アーネスト。その先見の明は役に立つ。なにせ成長分野だからな、これは。キャリア形成、歯科治療、良いをした受付嬢もだ。あんたみたいな奴の将来は明るいぜ。

前にお前と一緒にいた奴ら、あいつらにどんな将来があったって言うんだ?

アーネストでさえも冗談を飛ばす気分ではないようだ。

アウレリオはボトルを空にした。皆と同じ将来ですよ、アーネスト殿。何ら変わったことの無い普通の日に、俺達は地べたを這うことになるんだ。

あんたが空気も読まないで馬鹿みたいに詩を引っ張ってくる時ほど親しみを覚えたことは無いよ、アウレリオ。面白がって、いつも私を怒らせて。思い返せば、多少は面白かったかもしれない。でもやっぱり腹立たしい。

そうして彼は、老人らを残して死んだ街の中心から去った。彼が風を切って谷底に走り去るのを、プログレスの大通りの家から眺めた。谷底には、生ける賢者が未来の為に建てた墓がある。あいつは一人で塔に入るつもりで、怖くて仕方がない。残りの皆が川の向こう側に辿り着いたらどうなる?どれだけ先のことだろうか、誰もいなくなって、誰もが永遠に独りになるのは?


コンクリートの建屋を前に、アウレリオはバイクのエンジンを切った。ルコルビュジエの靴箱、と彼女はそれを呼んでいた。表扉の上に塗られた2本の櫂の意匠を除いて、道沿いの他の家となんら変わる所は無かった。バルクエロのそれぞれには色があった。彼女は赤。彼もそれに同じ。

彼はバイクのセンタースタンドを靴で蹴りつけた。キックスタンドだけでは、忌々しい風に吹き飛ばされるまでだ。スタンドに重心を載せ、唸り声が口をつく。もう若くないと彼は思った。見っともない。電車の親父が見る物全てをあざ笑うかのように、口笛を吹いて、枯草と白い埃を纏った吠えるような風がプログレス通りを駆け抜けた。クソったれな場所だ、彼は思った。最初からこうするべきだった。

最初期のバルクエロの一人であり、かつてはリーダーであり、いまはキャプテンとなった男は、四角の鉄扉をくぐり、四角のセメント建築に入った。鉄扉の蝶番からは、外の暴風に混じろうとするように茶色の錆の雲が浮き出ている。家に踏み込む。板張りの窓と堅固な壁により、部屋は暗闇で満たされていた。彼は後ろ手に扉を閉めた。

彼は三本目のキルメスを開けた。唯一見えるのは扉の輪郭だけで、埃まみれの光が薄い四角形を映し出していた。彼は自分の手も見えなかった。

「死に際の会話なんざクソくらえだ。」アウレリオは廃屋の闇に向けて語り掛けた。「ただの見っともない先延ばしだ。あんたがここにいないのは分かってるんだ、ハシンタ。その点は譲れねえ。」

地獄に落ちなさいな。どうしてこんなに長いこと待たせたの?

彼はキルメスを口に運び、焦げた腕で髭を拭った。「でもこういうことをする時は、やってきたことの清算をしなきゃならねえ。クソが。俺は長いこと前からこうするつもりだったんだ。自分のために。」

他に言いたいことは?

「新人のバルクエロ共を送り出した。自分なりのやり方でケリをつけろとな。アメリカだとかヨーロッパからのアホガキは、随分と傷ついた顔をしやがった。俺達に残された最高の自由だってのにな。でも狂気に負けてはいなかった。全員が揃ってやってきた。侵略者だろうが外人だろうが、何とでも呼べばいいが。」

馬鹿ね。あんたはその若者達を大事に思っていたんでしょう、アウレリオ。私はずっとここから見ていた。

「古株が里に帰っただけだ。エドゥアルド、マリエラ、フランキーとか、あと他の奴らだ。散っていった。何をするつもりかは言わなかったが、どうせ察しはついていたんだろう。大した友人だ。」

エドゥアルドなら二日前に一人でここに来ていた。あんたが先に思いついて無ければ、多分代わりにやっていたでしょうね。あんた二人は兄弟みたいなものだったから。きっと悲しみに暮れるはずよ。

「だから俺がやらなきゃいけないんだ。怖いんだよ、ハシー。やるしかないし、あんたがここにいる振りをして話すしかない。あんたはやるべき時にやることをやったからだ。どれだけ昔かも分からない、あのクソったれなジャングルで、あんたがパブロとロベルトとラナと他の皆の為にやったようにだ。」

私も怖かったよ、アウレリオ。自分が決心したことも覚えていない。どちらの時も。肌と血が氷みたいだった。他にどうすればいいのかも分からなかった。教えてあげられたらいいのに、アウレリオ。あんたが知らないはずのことも。

「死ぬのが怖いんじゃない。いや、人並み以上には、だ。でも誰も逃げられないことなのは間違いない。夕暮れを怖がるみたいなものだ。」

ずっと待っていたよ、アウレリオ。どうしてこうなる必要があるの?ここからは手も届かないし、話しかけることも抱きしめることも出来ない。言葉の全部に殺されるように感じる。理解も出来ないやり方でバラバラにされるように。お願いだからやめないで。

「最上階が恐ろしいんだ。あそこにまた立つのが恐ろしい。あれは俺にまた違う選択をさせようとするはずだ。」

あんたはアウレリオ・ロハスだ。曲者のあんたは、やりたくないことをやったことなんて一度も無かった。ああもう、本当に聞こえてくれたらいいのに。延々と続く空間と時間と虚空が邪魔をしなければ。皆のように、あるべき姿のように、モンテビデオの街並みに消えてしまえば良かった。

「あんたの残った物を盗んでいるんだ、俺は。自分がいいように使うために。心の隙間を埋めるために、死人を作り直している。あんたの残った欠片を捻じ曲げるんだ。あんたの記憶をどうにか勇気に変えてな。あんたに対する、俺の最後の悪行だ。」

アウレリオは瓶を空にして、暗闇から暗闇へ投げた。音は聞こえない。

「ああ、酷い恥さらしだ。俺は昔から墓に向かって喋る人間が嫌いだった。死体を掘り起こすようなもんだ。俺はもっと酷い。ハシー、ごめんよ。」

本当に馬鹿ね、アウレリオ。あんたに私を作り直すことなんて出来るわけが無い。この先も。だから私を好きになったのでしょう。

彼は額から頭へ手をやり、細く脆い髪に触れた。冷たい墓のような家の中で、声は壁越しに反響した。どういうわけか、言葉が帰ってくるまでの一瞬に、それは少しだけ変化して聞こえた。暗闇は、意識を遠くに引き寄せようとしていた。バルクエロにとっては日常的な感覚だった。離れる時間が来たようだ。

「俺は…全部すまないと思ってる。螺旋の終わりを見せてやれなくてすまなかった。お前が死んだのに、俺だけ生き残ってすまなかった。でもこのクソみたいな状況を全部直してこようと思う。」

アウレリオは振り返り、去ろうとした。しかし彼はその場で立ち尽くした。立ち上がった場所に止められていた。内意識の誘惑が、必至に爪を立て、破いて引き裂いて全てを焼き尽くしながら、現世に出ようとしていた。何かの誕生と、あるいはもっと恐ろしい物の誕生と引き換えの、死の誘惑があった。塔の引力。その力は、時が経つに従って強まっていった。

私はここにいるよ、アウレリオ。最後まで隣にいる。影だったとしても。私の影だから。一緒に歩くよ。

アウレリオ・ロハス、機動部隊φ-9のキャプテンは、暗がりに映る仄かな四角形に手を伸ばした。開いた扉は風に捕らわれて、大きな音を伴って外壁に打ち付けられた。通りはトンネルのようなもので、アウレリオが発った道と同じような、コンクリートの空き家が並び立つ通りのそれぞれを疾風が駆けていた。ゴミも無く、包みも紙も缶も飛ばされてはいない。この場所には人の気配が無かった。いずれは家を飲み込み、世界中の街々を侵食するであろう、死んだ街の白い埃だけが存在していた。

怒り狂った、息もつかせぬ風に寄り掛かり、彼は歩き出した。街の中心に立つのは、苦い後悔と共に仲間達が探していた物を見つけた、荒れ果てた残骸。彼の傍にはハシンタ・アラシャがいた。生前と死後における、バルクエロのもう一人の創始者。彼女は誰にも視られない。共に、二人は塔へ向かった。


風は止んだ。大地が揺れ、その場で飲み込まれるのかと思う程の静けさだった。アウレリオは躊躇せず、メインエントランスの鎖を解き、大扉を引いた。どうして躊躇うことがある?ここは他のどの場所よりも彼の家と言える場所だ。隣同士の墓で、二人で暮らし続けること。それが、死ぬ前の私が思い描いていた終わりだ。

ロビーをついていくと、囁きが聞こえてくる。私のようになると、ここにあるモノの声を聴くのに、小細工は必要ない。きっと彼らに近づいているのだろう。でも話しかけてくるわけではない。今更私が世界に何の価値があるというのか?彼らが話しかけているのは、アウレリオだ。長くこの仕事をしていて、声が聞こえてくることは無いのだろうか?もしも聞こえたなら、とうの昔に死んでいたのだろう。あるいは、彼らに教えられてやっている事なのかもしれない。いや、それは無さそうだ。唆されようものなら、この場所を遊園地にでも変えていたことだろう。

私達はエレベーターに乗り込んだ。この建物で唯一の綺麗な、整備された場所だ。アウレリオが自分の声を組み込んだおかげで、上るに従って彼が数字を読み上げる声が響く。イチ、ニ、サン。作った時は、面白いと思ってやったはずだ。今はただ、彼を不安にさせるだけだ。

ネクロポリスの頂上に近づくにつれ、囁きの密度は増していく。幻影は人を惑わせ、見えなかった苦痛の数々を刺激する。この場所は、燃え上がる焚火を見て飛び込もうと思った古代の男の為の墓だ。むしろ慈悲だ。ずっと以前からおかしくなっていた世界は、最悪のソレをまだ残していた。多くの瑕疵の中心に集合的な安全装置を組み込まれた人間だ。時には、状況を悲観するのも生存に必要なことだ。今では誰の心にも悲観は残っていなかった。よって誰もが、後戻りの道は無いことを理解していた。

チーン。地上32階。厳かさも無く、エレベーターは塔の頂上の広々とした空間への扉を開いた。グランド・ホール。シウダの指導者の会合の為に作られた空間だ。遠方の壁には高座が、未来あった席の列は空白の玉座を向き、座って要求を受けることは無かった統治者を思い起こさせた。この場所で、私は人ではなくなった。不思議と、感傷は湧いてこない。本来ならどう思うべきだった?増える疑問は空しく響く。

私はアウリレオを見ていた。唇は結ばれていて、何かを捉えた目は広間に向かって見開かれていた。彼の視線の先を辿る。あの時にいた、頂点捕食者の世界の偉大さと脅威を見せつけた男はいなかった。代わりにいたのは、紫のローブを纏い、堂々と立つ長身の女。白く凍った氷柱のような髪は肩に届く。肌はローマの彫像のアラバスターの如く。彼女はアウレリオを見返していた。微塵の興味も無いという顔だ。しかし目は、肌の白さ程に青く、眼前のアウレリオの吐息が曇って見えるかのような冷たさを放っていた。冷蔵された病院の地下室のような視線。憎悪に満ちた不毛、強固な侮蔑、人間性を捨て去った死女神。目が無ければ、さぞ美しかったことだろう。

私と同時に、アウレリオは気付いた。劇に出ていた女だな、彼は言った。最初の時にお前はここにいた、昨日、世界がおかしくなった時もあの場所にいた。モナシア・ヴァイオレットライト、塔の女。文字通りの肩書とは知らなかった。

彼が瞬きをするだけの時間に、女は10メートル以上の距離を詰めてきた。どうやら、歩くのは品位にそぐわないらしい。瞬き、再び現れる。生前の時だったとしても、この女を幻影と見間違えることは無かっただろう。同じ立ち位置で、同じ表情を浮かべていた。アウレリオと違って、女は瞬きをしない。威厳を示す程の価値も無い、という風の印象を与えた。

何か言うことは無いのかい、アウレリオは訊く。そういえばお前は脇役だったな。セリフでも忘れたか?

アウレリオの声も、表情も、匂いも姿勢も変わらない。それでも、岩山のような意識の中で雪崩の如く押し寄せる恐怖に慄いていることが私には分かった。生きていた頃から出来たことだ。彼が恐れていたことが分かってきた。

彼はもう一度瞬きをする。彼女は瞬く。私達二人の真後ろについた。その場でアウレリオが殺されるのではと半分疑う。しかし女は肩越しに視線を送る以上のことはしなかった。前方には、沢山の人がいた。彼らは動き、呼吸をし、生きていた。ここでは、彼らの方が幻影だ。疑いを挟む余地も無い、そこには一人の人間がいたからだ。再び、私は生きていた。この奇妙な地球で過ごしてきた中で、唯一の不可能だ。

眼前の光景はこうだ。バルクエロが、古いバルクエロが、喋っていた。会話は加熱している。何人かは、塔の頂上まで上りすぎたと考えていた。今すぐ離れないといけないと。反対者の筆頭が私だ。他の人らは探検のクライマックスだと言った(決して研究とは呼ぶな)。今よりもう少し髪を蓄えて、腹の出ていないアウレリオが、こちらの側に立っていた。皆が叫んでいた。ここは覚えている。皆が唆されたのだ。世界は迷宮で、ここが中心だ。知ったところで、何の意味がある?何年もかけて、一体何を求めていたんだ?是と否が足元で渦を成す中、深層の流れを求めてきた数十年が何だったのかをその場で考えようとしていた。あの時も今も、すぐ下でサメどもが泳いでるのが感じられる。魚の本能。電気信号の全てが間違いを知らせていた。

ここから、記憶と現実が分岐する。バルクエロの喧騒が止んだ。幽霊らが位置につく。呼吸を、待機の動きを模していた。ここでアウレリオは中に入ることを宣言して、従わないなら見捨てると言い出した。本物のアウレリオが、固い頭の中で全てを再演しているのが見える。

背後の女はようやく口を開き、凍り付いた崖から麓の岩に吹き付ける霧のように、声を発した。冷たく、ゆっくりと、囁くように。選べ、と彼女は言った。

古傷のように、人は様々な後悔を抱えて生きている。例えば、膝や手首をじわじわと痛め、雨の度に再び訪れる傷のように。あるいは、時折り訪れる神経が圧迫される痛みで、首を回して後ろに振り向くのが難しくなるような傷。信じる正しさに従って、自分や他人に付けた傷。それらは癒えない。爛れ、決断の一つ一つを毒する。遥か昔のあの日は、アウレリオの胸から突き出ていたナイフだ。彼の手は、心臓から3インチ離れた見えない柄に向かう。彼も知らないうちに。

背後の霧の声は、再び息を吐く。今度は少し大きく。アウレリオは、外の見捨てられた谷を吹く風を想った。彼女は言う、アウレリオ・ロハス、今知っていることを知った上で、何を決断する?私は彼女を一目見るために振り返った。あのメスは笑っていた。

対立は明白だ。アウレリオが違う結末を望んだなら、彼は壊されるだろう。全ての死が、塔の頂上での一夜からの幾年が、無に帰す。この塔こそが、他の何よりも、荷物を負うことがどういうことかを彼に思い知らせた。呪われること。過去の過ちを切り捨てれば、ナイフを抜き取ることは容易い、しかし腐敗は癒えた傷口の下で広がり続ける。痛みは激しい。彼がこの残酷な場所に来る度に、苦しむのを見てきた。荷物が無ければ、旅は無意味だ。人の身体から魂を抜き取る問いだ。

アウレリオが同じ決断を繰り返したなら、彼は私達を地獄に送り込むのを認めるに同じだ。私たちは、終末を知らせた昨日の演劇の、先行上映を既に見ていた。私達がそれを知った今、彼はもう一度見届けることを選ぶだろうか?仲間と共に?彼が今日この日まで自分を導いてきた必然を信じたとしても、踏みしめるべき足元は刻一刻と崩れている。彼の探求心が、仲間の非業の死と実質的な共犯である可能性は、彼を押しつぶそうとしていた。塔から与えられたこの問いは、立場を定めることを強いていた。徹底的な死か、許されざる妥協か。

私はあの演劇を、畏敬の念と共に見た。ジャングルの地獄に分け入って手に入れたどんなハーブよりも、強烈な光景が現れていた。表現しえない程に美しい社会。手の星の、逃れられない天罰。形ばかりの、私達への悪夢のような愛。人間の情動の奥底に語り掛ける体験は、欠片の人間性を残した者には絶対的に理解不能だ。彼らを長らく退けていたのも、無理はない。

最初に呼ばれたのは私だ。彼らにとって、最初に見初められるのは褒美だ。帰るのだ、男の幻影は語り掛けた。その目には、歪んだ悦びからくる涙が光っていた。唯一の選択肢だと思った。絶世の美を目の前にした時、正気でもって降伏するしかなかった。私達の皆が、見惚れていた。私もそうだ。彼らにとって私は、皆を留めおく最後の反逆の糸を切る為の手段だった。あの世界の崇高さと優れた機構に身を委ねた私の後ろで、何かがあった。もっと古く、賢い何か。それは人の最も深い恐怖と手を取って歩いていた。赤い何か。

狂喜と絶頂の中、私の手はベルトから下がる長いナイフを引き抜いた。一振りで、古の脳からの命令に従って、私は自分の喉を掻き切った。傷はあまりに深く、手で押さえようと流れる血のカーテンを遮ることは出来なかった。終末後の人間擬き達の幻影すら見えなくなる程の血の量だった。私は床に落ちて、瞬間ごとに弱り、自ら割った傷によって息は奪われていた。部屋の冷気がそのまま体に染み込む。そして、夜の外気の寒さがやってくる。アウレリオが私の所にたどり着いた頃には、星々の間を流れるような極寒が体を満たしていた。

私の生の最後の光景。バルクエロの半分は、狂ったように扉に向かっていた。半分は、喜びに涙を流し、次々と手を積み上げていた。アウレリオはコートの残骸を喉にあてて、私が自分でやっていないかのように、彼が唯一信じる聖人へ声を上げて祈っていた。冷たさのすぐ後ろから、暗闇がやってきた。

記憶は途切れる。

アウレリオが選択を迫られる中、私の回想は全く違う意味を持つ。彼がこんな残酷な目に遭うなら、千回でも喉を切っただろう。助けられたなら、一万回でも切っただろう。どうしたら良いのか分からない。

アウレリオは、並べられた過去から目を逸らし、勝ち誇った氷の表情を纏った未来に向き直った。彼の手はポケットの中だ。

お前はアメリカか何処かでこれをやるべきだった、彼は言う。あるいは、このクソが何なのか検討が付いてる連中のいる所でだ。

彼もまた、最後にここに来た時のことを思い出していた。私には見える。彼の手は、ポケットの中の何かを探っていた。

彼女は応える。貴様が選択を拒もうが、選択は消えない、アウレリオ・ロハス。ここもまた機構の力が届く場所にある。貴様の反抗は予想されていたことだ。

アウレリオの手はゆっくりとポケットから抜かれる。彼の手の震えから、動かされているのが分かる。彼の手には何も無かった。数秒後、鉄のスイッチがついた小さな金属箱が、自らポケットから浮き出した。静かな風に乗り、アウレリオから離れ、女の前に止まった。侮蔑に値する何かを家畜に見出したかのように、女はあざ笑った。彼女は敢えて手を上げた。拳を握ると共に、起爆装置は砕け、粉々の金属片に変わった。欠片は音を立てて床に落ちる。

どちらがより神に近い、アウレリオ・ロハス?不合理で愚かに、廃れた大地で命を繋ごうと足掻く牛か?それとも牛の生存を助け、役目を果たす場を整えてやり、必要なら内臓も身も直すことが出来る超越者か?

憎悪は、彼女の声を暖めはしなかった。これが仮面を失った人の姿だろうか?

彼女は続ける。貴様らとて、我々が爆発物の準備に気付かなかったとは思うまい。決断を実行に移す以前に、計画が筒抜けになっていたことを知るべきだった。無意味な、空虚な行動だ。無思慮。低劣。先人の為とは良く言えたものだ。

紫の衣を纏った女は、もう一方の手を上げた。アウレリオは徐に宙に浮き、天を衝く塔を無意味とするように、人が求めた未知の力で固定された。彼女は腕を広げ、従ってアウレリオの腕も開き、浮遊するキリストの紛い物と化した。しかし顔はそうではなかった。穏やかな笑みを浮かべ、不可能な十字の上で悠然と構えていた。不思議と、紛い物は表敬に変わる。主に侮蔑される家畜に堕とされ、塔の女は感情を露わにした。この時、私は彼の最後の一手を薄っすらと見た。

今度はアウレリオの番だ。大した労力だ、彼は言う。無意味な動きを叩き潰すには。どういうわけだ、偉大なモナシア様よ、あんたが俺達と一緒にこの塔にいるのは?

顔の凍り付いた崖はひび割れる。彼女は怒っていた。女が返答する間も無く、彼は続ける。

あいつらは驚いたんじゃないか、え?彼らの一人がこの中で見つかって。ここがあんたらのクソみたいな楽園の永遠の象徴なら、何故この場所を隠す?何故俺達を後で隠れさせた?そして何故、俺に会ってまでここを守ろうとする?

彼は笑い、女は取り乱した。急な動きで彼女は手を振り下ろし、アウレリオは落とされ、真下の埃と残骸に打ち付けられた。横から着地した彼の骨は割れ、衝撃に息が奪われた。床上で彼は呼吸を取り戻そうと足掻き、唇からは血が零れ落ちた。彼は再び笑う。

まだ考えてる途中だがな。お前が始めたことじゃないんだろう、これは?

笑いと血混じりに、言葉は辛うじて発せられる。生命が漏れ出し始め、言葉は明瞭さを失う。

いや、お前は最初から俺達と同じ場所にいて、どうしてこの最上階に閉じ込められるはめになったのか考えていたんだ。どうしてこの塔の仕組みから逃れられないのか。どんな間違いのせいで、他の死体と一緒に埋められるはめになったのか。棺の蓋に、必死に爪を立てるように。

紫の女は消え、横たわるアウレリオの上方に現れた。崩れた表情は憤怒を呈し、完成した怒りは死んだ目に炎を灯した。女は腕を払い、その場から飛ばされたアウレリオは前方の高座に激突した。木の裂ける音が響き渡り、笑声のいくらかは、否が応でも苦痛の呻きに取って代わられた。

無い命も試みず、息を切らす彼の元に駆け寄った。面倒を省いてやるよ、彼は言う。お前は死を克服したと思い込んでいた。でもお前は死を忘れただけだ。狂気を支配したと思い込んでいた。辛うじて呼び寄せることが出来ただけだ。お前はこの塔を守ることで、唯一解けない問題が解決されると思い込んでいる。答えを教えてやる。ここがお前の居場所だ。理由を、お前は一生知ることはない。お前には一生理解出来ない。

女は再び頭上に現れた。アウレリオの隣から、私も見上げていた。女は、止めを刺すつもりだ。

息も絶え絶えに、彼は血を吐きかけた。止めを前にした反撃だ。

お前達は死を見捨て、死の知識を失った。世界に狂気を解き放とうと、それは俺の心の中で生き続けていて、お前達は何も出来ない。譬え目を閉じようが、墓場はそこで待っている。地獄に落ちろ。

理屈を超えた怒りに導かれ、恐ろしい力が振り下ろされる。アウレリオが理想郷の欠落を露わにするにはもう遅く、彼らは隠れた綻びを認めなければならない。憎悪が彼女と世界の亀裂から溢れ、間欠泉のように噴出した。もう止めることは出来ない。

彼女は拳を振り下ろして胸板を砕き、彼を終わらせた。私は死人のように、声も言葉も無く叫んだ。彼の破れたシャツの隙間から、何かが視界を捉えた。

胸骨のあたりに、生新しい縫い後があった。露出した金属の輝き。息が途切れる瞬間も、血塗られた唇には笑みがなお張り付いていた。彼が暗くなった目を通して私を見ているように感じた。彼の奥底から、何かが聞こえるのを確信した。

女もそれを聞いた。アウレリオの言葉の端々から生じた、差し迫る脅威が彼女を捕らえた。狂気は心の中で生き続ける。それは皆の心の中にあり、触れた組織を全て破壊し、この生きた墓場からでも星々に届かんとする。私達は彼らであり、彼らは私達だ。故に、彼らは逃れられない。

死人仕掛け。導線は胸に埋め込まれていた。彼の鼓動が止まる。女は辛うじて、屠殺場に落とされる牛の如く咆哮をあげた。

最後の時だ。鈍い崩壊音が響く。壁と天井と床が崩れる。炎。煙。風に乗った塵と金属と漆喰と石が、周囲を駆け巡る。アウレリオが巨大な炎柱に吹き飛ばされると共に、死地の中心の大墓場は解体され、風と日差しと瓦礫が一つになる。紫の女は暫しの間だけ火に焼かれ、人の奥底に眠る不確実と死に引き裂かれる。致命的な傷は何百マイルも先に届くだろう、きっと何百万年を掛けて。あるいは一日で。火葬場は死者を消し去り、生者の場所を作るだろう。譬え死者が気付かずとも。自分が、アウレリオと共に昇っていくのを感じる。真実が一生の外にあったとして、何の問題がある?私達がいる。狂気がある。死がある。その中で私達は違う方向に進み、折りに触れて散り散りになり、再び収まる。壮大な、想像もつかない過ちの遺跡は、存在を消した。いずれ、一つの道はより真実に近い場所を示すだろう。より調和に近い場所へ。死は再び顔を出し、慈悲を施すだろう。ようやく死神に会う時が来た。

私は彼と最後を共にして、次の誰かに道を譲りながら空に至る。

私はその先を知らない。

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