化物達の日に人間と化物は人について話しあう
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 外国人の職員も多いため、サイトの中はトリック・オア・トリートの声で満ち溢れていた。職員たちは日頃のひどい憂さを今日ばかりは晴らそうと、皆仮装し、歌い、持ってきた菓子やらを交換しあっていた。
 食堂内で大量の菓子類をモリモリという擬音が似合う食べ方をしているエージェント餅月に向かって、きゃらきゃらと黄色い笑い声を上げる自分の妹を見ながら、猫宮寓司はいつもの妹へ向けるだらしなさの混じった表情ではなくて、ひどく複雑な、悔恨とか悲しみとかが交じり合ったような表情、まるで懺悔を行う前の罪人みたいな、そんな不景気な顔をしていた。
「あっはっは、トリック」
 "トリート"がないまま、後頭部に軽い衝撃。振り向くと、"馬鹿を殴るトンカチ"と書かれた巨大なピコピコハンマーを持った大和が立っていた。
「どうしたんだい変態男。妹に対して随分とまぁ神妙な顔をしているじゃないか。ひょっとして妹相手にこれをやっちゃったかい」
 彼が卑猥なジェスチャーをした瞬間に思い切り猫宮は大和の顔面を殴りつけた。漫画のように鼻血を出しながら吹き飛んだ後、大和は素早く立ち上がった。憎たらしいことに拳による影響は、立ち上がった頃にはもう消えていた。
「おいおいおい、随分と手が早いねえ。私は」
「大和さん」
 大和の嫌味を猫宮は妙に神妙な顔で遮った。
「なんだね」
「人間じゃなくなるってどういうことだと思いますか?」
 大和は珍しく真剣な顔をして、
「『俺は人間だ』と信じられなくなった時、人間じゃなくなるのさ」
と言った。
「では」
 猫宮は続けた。
「人間じゃなくなった者が自分がこれまでと変わらないと思っている場合は?」
「さぁね? 人間か人間でないかなんてのは意志の問題だよ、結局は。もっとも、本人以外がどう思うかは知らないがね」
 そう言った後、大和は素早く"馬鹿を殴るトンカチ"で猫宮を殴りつけた。その表情はもう、真剣ではなくなっていた。
「トリック!」
 ドイツ訛りで叫んだ後、大和は小太りの見た目よりは随分と早く逃げていってしまった。

「宇喜田博士」
 机の上で転がるバスケットボールに向かって、猫宮は話しかけた。
「何か御用ですか? 猫宮さん」
 にゅるり、とバスケットボールから触手が伸び、オレンジジュースが入った紙コップを掴むと、近くに引っ張りよせた。あまり愉快ではない宇喜田の飲食の光景が目の前で行われるところを見ながら、猫宮は言った。
「人間でなくなるってどういうことだと思いますか?」
 宇喜田博士は飲む手を止めて、
「それは真剣な質問ですよね?」
と聞き返した。
「ええ」
 猫宮が短く答えると、宇喜田は十数秒、ごぼごぼと湯が沸いたような音(どうやら思案声であるようだ)で考えこんだ。
「……ううーむ。慣れると案外便利だなぁと。この体は体で最近気に入ってきたんですよね。もっとも親とは会えなくなりましたけど、でも私はまぁ、これはこれで、って。面白いですしね」
「そんなものなんですか」
「ええ、そんなものです。思ったよりも辛くないですよ。むしろ前の体の時は胃腸がちょっと悪くて、緊張するとトイレによく行きたくなったんですが、今やそれからも開放されましたし。便利になるなら、別に形にとらわれる必要はないと思いますねえ」
 吹っ切れたような宇喜田の言葉に対して、猫宮は言った。
「そうですか。……本人の意志に反して、人間を辞めることになったとしても、ですよね」
「ええまぁ、なりたくてなったわけじゃありませんし、二度と御免ですが、それでもまぁ、この体で一生過ごしてもまぁいいかなと」
「ありがとうございます」
 そう言って猫宮はテーブルの上で転がる宇喜田の元を去っていった。

「神山博士」
 オーブンの中にあるでかいパンプキン・パイの焼き加減を見ている、いつものスーツの上からエプロンを羽織った神山に向かって猫宮は話しかけた。
「おや、猫宮さん。パイはまだですが、オリーブとサラミのサンドイッチならできているので、おひとつどうですか?」
 手料理を勧める神山博士に対して猫宮は言った。
「いや、今はお腹が空いていないんで……その、聞きたいことがありまして」
「おや。私でよろしければお聞きしますが。ただし、職務上お答えできない部分もあることをご了承下さい」
「ええ、わかっていますよ。その……人間じゃなくなるってのはどういうことだと思いますか?」
 神山の動きが一瞬止まった。
「ふむ」
 そして、しばらく思案した後で言う。
「そうですね、私は人間ですが、前提をもう少し絞っていただけませんか?」
「人間……と、いうか、その、個人なのですが、何かがあって人間でなくなってしまって、それを本人は知らない場合、なのですが、その、その場合彼女……彼女は人間といえるのでしょうか?」
 神山はそれを聞いて、ちらりとオーブンの中身を見た後で言った。
「人間の人格などというものがとても簡単に変質することは我々はよく知っているでしょう? たとえ、精神やミームに影響を与えるオブジェクトに曝露しなかったり、記憶処理を受けなくても、人間というものは新陳代謝という形で変質していくものです。脳髄もまた然りで、1年で脳細胞は全て入れ替わっていきます。人間というものは同じ体ではいられないものなのですよ」
「それはそう、ですが……」
「そうですね、財団の理念に反することなく、収容対象ではなく我々の協力者として活動を行っているのならば、そしてそれが信用に値するならば人間として数えればよいのではないでしょうか」
「でも……いや、ありがとうございます」
 期待した答えを得られなかった、という顔で去っていく猫宮を尻目に、神山はパイをオーブンから取り出し、大きな包丁で切り分け始めた。

「エージェント・カナヘビ」
 猫宮の言葉に対して、水槽中の小さな爬虫類は書類の山からこちらに顔を向けた。
「何や猫宮クン」
「人間じゃなくなるってどういうことだと思いますか?」
 カナヘビは動きを止めて、それから水槽に取り付けられた12本のアームのうち1本を伸ばして、壁の一つにあるボタンを押した。猫宮の後ろのドアが施錠され、窓の防音カーテンが素早く閉まった。
「へぇ」
 カナヘビは言った。
「今更後悔しとるんか?」
「いえ……いや、ええ……」
「そりゃまァ、あンたがそうしたんやもんなァ。君が後生大事に抱えとったいくつかの特異存在のせいで、GOCに行ったお仲間を敵に回して、そんで妹さん失えたんやからなぁ。可哀想や思て命をねじ曲げる特異存在についていくつか権限の範囲内で提供したのに……まぁ代わりにあンたの持っとった特異存在はうちら預りになったんやけどさ」
 カナヘビの口調は、いつもの明るいボーイ・ソプラノではなくて、悪魔じみた、という表現がしたくなる、そんな響きを持ったものになっていた。
「それは」
「ああ、ええよ。戻したげよか。妹さんはあの時死んだちうのをねじ曲げて生かしとるのは君なんやから、簡単にでけるで。猫の死骸を使こてああなったんやから、後に残るのは何やろ、猫の骨かいな……すぐ取り掛かろか?」
「出来るわけ無いでしょう!」
 猫宮は叫んだ。
「ああなる前と、性格も何もかも違うけれど! それでも容姿は俺の妹なんです! 大事な!」
「左様か。ほな、受け入れるしかあらへん」
 カナヘビは冷酷に告げた。
「まぁ、どうしてもあかん、受け入れられへん、言うんやったら、戻し方教えたげるわ……けどな」
 爬虫類は少し言葉を切った後、
「自分で生み出した命は、生かしといたりや……できるだけ」
と言った。先ほどまでとまたカナヘビは雰囲気を変えていた。悔恨がそこにはあった。
「……ええ」
 それだけ言って、猫宮は暇乞いをした。ドアが開く頃には、カナヘビの纏う雰囲気はいつも通りに戻っていた。若いような、老人のような、なんとも人を喰ったような、そんな感じに。

 食堂に戻った時、神山博士謹製の巨大なパイを餅月とともに自分の妹が取り合っているのを見つけた。あれからずっと食堂にいたのか、と少し呆れたような気分に猫宮はなった。
 互いににらみ合いながらフォーク片手にパイの周りをグルグルと回っている20代の少女2人のうち、妹の背後を素早く取って抱きすくめる。
「ああーっ! 兄貴! なにすんのさぁー!」
 叫ぶ自身の妹、機を得たとばかりにパイを凄まじい早さで自分の皿に盛り始める餅月。しかし猫宮は妹を抱きすくめる手を緩めずに、そして妹の声も聞きもせずに、考えていた。
 今のところは、大丈夫だ。こいつは、単に性格が変わっただけなんだろう。結局、大きすぎる変化に対して、精神が引っ張られただけなんだろう。きっとそうだ。そう、今は耐えられる。それに、猫の死骸へと、こいつを戻してどうするんだ? 妹をまた失うんだぞ? そう、その辛さのほうがずっと上だろう。この違和感より。この、触れ合っても触れ合っても大きくなる違和感より。きっと上だろう。今は。

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