紅灯の海
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日本のどこか。時空連続体の歪みの後ろ側。基底世界の次元の裂け目に存在する街「恋昏崎」
この街には要注意団体の元構成員達がヒッソリと隠れ住んでいます。ある者は財団やGOCから逃れるため、ある者は自らの血塗られた生業に嫌気が差したため、ある者は信仰に目覚めたため、その出自は様々です。

今回の主人公は、要注意団体「東弊重工」に勤続60年、引退後の隠居先に恋昏崎を選んだアノマリースミスのお話。
 
 
 
 
 
 


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次元の裂け目を潜り抜け連絡船に揺られる事小一時間、湾と人里が見えてきた。どこから電気を引いているのかは不明だが、夕暮れにポツポツと灯が見える。

「お客さん、いいところでしょう?ここは夜と夕方だけを繰り返すんで、この綺麗な夕暮れと湾が良く見えるんですわ。オイラはこの景色をみる度に、志摩のセンターで鮫を殴ってた頃を思い出すねぇ。」

「へぇ……。そうですか。」

お喋りな船頭とは対照的に、乗客の老人は無口だった。老人の名前は印西 平蔵、"その道"では顔も名前をしれた有名人である。

集団就職の際に15歳で上野へ上京。当時まだ小さな町工場だった東弊重工の屋台骨として働き、75歳に至るまでの半世紀以上を東弊重工の躍進に捧げた。還暦後も嘱託職員として東弊重工に残り続けた印西であったが遂に高齢を理由に東弊重工を退社、千を遥かに超える多くの後輩達に温かく見送られ、セカンドライフへの歩みを始めた。

その功労を称える意味以外にも口封じの意味もあるであろう莫大な退職金を握りしめた印西のセカンドライフは華やかな物に……は成らなかった。と、言うのも印西は妻との間に2人の子供を儲けていたが、長男を病で亡くしており、次男は思春期に入ったころに父の生業が時に人命を厭わないものだと知ると家を捨てて出奔、その後は叢雲カタリストパートナーズ……即ち財団のフロント企業に入社し、終いには印西に対し襲撃部隊を送り込むようになった。2人の子供に決別された印西の支えは40年間連れ添った妻だけであったが、その妻がつい先日他界。ついに印西は独居老人と化してしまったのである。

行く当ても無ければ、何かを成す当ても無い。失意に陥っていた印西であったが、ふと昔に小耳にはさんだ噂を思い出した。それは恋昏崎の噂であった。"かつてアノマリーを生業にしていた者達が、肩を寄せ合い隠れ住む場所"という噂は当時から印西の関心を集めていた。印西は前述の通り千を超える後輩たちと連絡をとり、恋昏崎へ行く方法を聞き込み、遂にその方法を手に入れたのである。

「お客さん、もう着くよ。少し揺れるから、ちゃんと手すりに掴まって。」

回想にふける印西に船頭は呼びかけた。印西は呼びかけに応え、手すりを握りしめた。連絡船は船頭の操作に導かれ、静かに船着き場に横付けされた。印西は僅かな手荷物を持つと連絡船を降り、恋昏崎の土を踏んだ。

「お客さん、印西さんだっけ?島であったらよろしくね!」

「ええ、ありがとうございました。では、また。」

船頭は印西を送り出すと、再び船を操ると来た航路を戻っていった。印西は軽く手を振り送ると、印西は船着き場に張り付けられたボロボロの地図を仰ぎ見て役場への道のりを確認し、その歩みを始めた。

歩く事15分程、”役場”と書かれた木看板の打ち付けられた木造建築が見えてきた。中に入ると人はおらず、受付机の上には印西の住む家の場所が記された地図と家の合鍵が置かれていた。無施錠で合鍵をおきっぱにする所に不用心さを感じたが、反面治安の良さを物語る材料として納得する事にした。なにより印西は、「船頭曰く、"夕方と夜を繰り返す特殊な場所"故に現在の時刻を察するに難しいが、もしかしたら今は随分遅い時間なのかもしれない。」と予想し、むしろ申し訳なさを感じていた。

印西の家は海がよく見える小さな家だった。1LDKの間取りであり、老人1名が暮らすならば十分な広さであった。最低限の家財道具が備え付けられており、手荷物の無い印西でも不自由がない様になっていた。本来であれば家の状況を一通り見て回るところであったが、旅の疲れからか印西は居間に寝転がるとそのまま眠りに付いた。静かに響く波の音は、印西の睡眠を心地よく促した。
 
 
 


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この町に"翌日の朝"は来ない。翌日の夕方である。印西は家の戸を叩く音で目を覚ました。

「ごめんくださーい!印西さん、いらっしゃいますか?」

声は若い男の声だった。印西は騒々しさを感じたものの、役場から黙って鍵を持ち出した経緯を鑑みて、来客者が役場の職員であるだろうと予想し、来客者への応対の為に戸を開いた。

「はい、どちらさんで?」

「はじめまして……いや、久しぶりです。自分は入江と申します。元東弊重工の者です。」

来客者は"役場の職員"といった様子ではなかった。それどころか印西にはあまりに縁深い東弊重工の構成員であった。印西は怪訝な表情で彼がどんな用件で来客したのかを確かめ始めた。

「元東弊……。そんな方がどんな御用で?」

「伝説の職人である印西さんが恋昏崎に引っ越してきたと聞いて急遽お邪魔しました。夕方早くに突然の来訪申し訳ありません。」

はて……?印西はこの家に着くまで誰にも会っていない。役場から鍵が消えているから?あのお喋りな船頭が話した?印西は思考を巡らせていたが、入江は構わず話を続けた。

「印西さん、単刀直入にお話しします。印西さんの職人としての腕、是非お貸しいただきたい。」

印西は軽く首をかしげ、頭を掻いた。

「入江さん……でしたか?私は隠居するためにこの場所に越してきたのですよ。何が悲しくて隠居先でもモノづくりをしなければならないのですか。」

印西は冷たくあしらった。隠居の身になったのにも関わらず労働を、ましてや製造業など印西はまっぴらだった。印材が乗り気ではないのは明らかであったが、入江はあきらめずに食い下がってきた。

「そう仰らずに!今、恋昏崎では子供たちのための学校造りが急務となっています。この街では子供への教育が課題となっていまして……。私が校庭の遊具造りを任されているのですが、何分若輩者ですのでできれば偉大な先輩とともに仕事をと……。」

食い下がる入江を追い返すために印西の手は戸に伸びていたが、"子供"という単語が戸を閉めるどころか、印西の思考の扉を開いた。

印西の子供へのコンプレックスは凄まじい。前述の長男との死別と、次男との決別。失敗の連続の末、印西は子供という存在に対し、執着とも言える感情を抱いている。なにより、印西が自分の人生に未練があるとすれば孫の事が挙げられる。次男は財団に勤めている、ならば生活は安定しているだろうし、子供即ち孫も産まれているだろう。しかし印西は次男とは完全に決別していたため、孫の顔を見たこともない。孫と手をつなぎ、遊びに連れて行ってやる……どんな気分なのだろうか?確かめる術もない。印西はこのことを悔いながらも表に出さないようにしていた。

「子供?この街には子供がいるのですか?こんな……皆、元は"その道"の人間でしょう。子供なんて――」

「ええ、いるんですよ。子連れの人がたまに……。あと我々が保護した子供が少々。だいたい7歳ぐらいから10歳ぐらいの子供が多いですかね。」

印西は自分の目の前に"子供の為に何かをする"というチャンスが巡ってきたことに気づいた。勿論ここの子供たちは印西の孫ではない、しかし例え誤魔化しだとしても子供と触れ合う欲求を満たせるかも知れない。印西の目の色はみるみるうちに輝きに満たされた。

思えば空虚な人生である。60年の歩みで得たものはアノマリースミスとしての名声のみ。築き上げたと思っていた家庭は砂上の楼閣であり、結局何も残らなかった。モノづくりを生業にしていたくせに何も残せていない、何も作れていない。もし何かを残す機会があるならば、しかもそれが次の世代に残せるものならば、そのためにこの老体に唯一残された職人としての知識が生かせるならば、これはなんて素晴らしい。

「アノマリーに日常的に触れたり、そもそも本人がアノマリーそのものだったりしてる子供の大体は、"その道"に足を踏み入れてしまいます……。アノマリースミスになる子、アノマリーで商売をする子、財団に拉致されたりGOCに殺害されてしまう子、或いは財団やGOCの職員になってしまう子……。ここにいる大人の大体はそれを望みません。自分の様になってほしくはありませんから。」

印西が子供という単語に反応したのを入江は見逃さなかった。入江から語られる恋昏崎の子供に対するスタンスが印西の胸に深く突き刺さる。

「だから我々は子供達に、アノマリーに関わらない生き方の教育を行おうとしています。遊具造りは学校設営のために必要な事です。協力していただけないでしょうか?」

入江は印西に対し手を差し伸べてきた。その眼差しは真剣なものであり、信念を感じる。印西はさっきまで入江を冷たく追い返そうとしていたが、既に心変わりをしており、その返答は決まっていた。

「解りました。是非協力させてください。」

印西はそう返すと入江の手を握り返した。先ほどまで労働をする事を拒否していた人間とは思えないほどに、印西の労働意欲は燃えていた。印西の恋昏崎の住民としての生活が始まった。
 
 


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3か月後。

印西が張り切りすぎた結果、遊具の製造と設営は予定を遥かに越える速度で完成した。校舎の完成はまだまだ先であったため、先行して遊具達を公園として解放した。

印西は今までモノ作りを金を稼ぐ方法としか認識して来なかったが、モノ作りの素晴らしさを知ることができた。と、いうのも印西は子供達が遊具で遊んでいるのを見て感激を隠せなかった。自らが作った物で子供が笑顔になる。印西には初めての体験であった。更に印西の自宅へ子供達の直筆で「いんざいさん、どうもありがとうございました。」と書かれた手紙が投函された時など、いよいよ印西は声をあげて泣き出してしまったほどだ。

さらに遊具造りは子供達からの感謝以外にも福音をもたらした。学校作りの打ち合わせや作業場に出入りしていた住人達との交流する内に、恋昏崎の住民として溶け込む事ができたのだ。気のあう仲間も見つかり、印西のセカンドライフに追い風が吹き始めた。
 
 
 
しかし、事件は起きた。

印西は明日、仲間に誘われ釣りに出掛ける予定となっていた。そのため印西は家で手製の釣り道具の準備をしていたが、そこに急な来客が現れた。家の扉が乱暴に叩かれる。緊急事態を知らせる来客の様だ。

「印西さん!大変だ!」

来客は入江だった。入江はここまで走って着たのであろう、酷く息切れをしていた。

「入江君、そんな慌ててどうしたの。」

印西は入江を心配しながら、何事かを確かめた。入江は肩で息をしながら緊急事態を告げた。

「遊具が!遊具が壊れて、子供が怪我を!」

印西の顔が急激に青ざめる。入江が知らせた内容は印西にとって最悪な物であった。印西は持っていた釣具を投げ捨て、鍵もかけず、寝巻のまま、裸足のままに学校建設予定地へと向かった。印西にとって子供とはそれほど大切なものになっていた。

学校建設予定地に、大人一人と子供二人が見える。どうやらブランコに何かがあったらしい。ブランコの製作をメインでしていたのは印西だ。印西は急いで子供に駆け寄った。

「君達!大丈夫か?何があった。」

周辺にいた大人が答える。

「印西さん!?それが、子供達がブランコを二人乗りしていたらブランコが落ちてしまって……。」

確かにブランコの座板とチェーンがハンガー部分ごと千切れて落ちてしまっている。子供達は酷い怪我では無いようだが、うめき声をあげながら踞ったまま動かない。二人乗り……、印西はその可能性を見落としていた。なにせ遊ぶだけの遊具など作ったことなどない、安全に対す知識が欠如していた。法令によって定めらてた保安基準も無ければ、既製品の設計図があるわけでもない。印西の失態を防いでくれるものは存在しなった。

「と、とりあえず医者に見せましょう!手伝って下さい。」

居合わせた大人が呆然とする印西に呼びかける。印西は"ハッ"とすると居合わせた大人と共に子供を背負い、街の診療所に向かった。苦しむ子供を庇い励ましながらながら印西は全力で走った。

診療所には入江が先回りしており、医師が印西達を待ち構えていた。医師の診断の結果、幸い子供達は打撲で済んだようだが印西はすっかり思い詰めてしまった。

自分は自らを職人であるなどと傲っていたが、実際はブランコひとつ満足に作ることが出来ないではないか。思い返せばこれまで製品の安全性など気にかけた事など一度もなかった。むしろ自分の製品に犠牲者が生じると箔が付くなどと考えた事があるほどだ。60年間そんな感覚でモノ作りをしていたような身分だから子供が二人乗りすることも想定できないのだ。否、いくら想定外の二人乗りだとしてもそもそも壊れるのが早すぎる。そもそも安全性に問題があったのは火を見るより明らかだ。

「印西さん……、大丈夫かい?」

椅子の上で俯いたまま動かない印西を見て、入江が励ましてきた。

「やっぱ東弊鉄と普通の鉄じゃ感覚が違うし。工房の設備もショボいしさ。だから――」

"仕方ない"。と続いたであろう励ましを聞かずに印西は立ち上がり、医院を飛び出して行った。子供に怪我をさせてしまったという事実は印西にとってあまりに重く、入江からの励ましすら責め苦に感じるのであった。入江は印西を追いかけようとしたが、子供達をそのままにする訳にもいかず断念せざるをえなかった。
 
 


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事件から数日。

印西は自宅の縁側で黄昏ていた。あれから家を全く出ていない。結局子供に謝りに行くことも出来ていない。完全に気力を失っていた。

「印西さん……。お邪魔しますよ。」

入江が見舞いに来た。あの日以来、入江は毎日のように見舞いに来てくれる。内容は毎度決まって同じ「子供達は回復した。子供達や街の皆は今回の事を気にしていない。皆印西さんを心配している。」という物だ。しかし印西は応答することなくただ黄昏るのみである。入江がいつものように話しかける。

「印西さん。今日は俺だけじゃないんだ。ぜひ話を聞いて――。」

「入江君。私は決めましたよ。」

黙って聞いているのみだった印西が入江の話を遮った。視線は水平線を見つめたまま表情も変わらない。落ち着きはらった様子で、目には夕日で紅く染まる海が映りこんでいた。

「決めた……?何を?」

入江が当然の疑問をぶつける。印西はさらに口を開いた。

「私はね、どこまでいっても東弊の人間なんですよ。人を幸せにするために技術を使うことはできない。いままで私の製品のために沢山の人間が犠牲に……。私は罪深い人間なんです。」

「そんな私が普通の人間のような、普通の老後を求めるなんて許されるはずが無かったんです。だから――。」

「私は息子のいる……。財団に投降しようと思います。私は東弊の人間なんです。東弊の人間としての運命を全うする事ができるのはあそこ以外にありません。」

印西は事実上の自首を選択しようとしていた。入江は大きく首を横に振ると印西の肩を強く掴み、強い口調で印西を諭した。

「印西さん、それは違う。俺だって印西さんと同じ東弊の人間だったさ。俺も、自分の仕事が原因で両手では数えきれないほどの人数が酷い目にあったのを知ってる。俺は、そんな俺の罪が許せなくて。だから罪を償うために恋昏崎に来たんだ。」

「いいかい印西さん。罪の償いはここでしかできない。アノマリースミスとしての自分から目を背けずに、償いの道を探せるのはここしかないんだ。財団で囚われの身として余生を過ごす事は償いではないんだ。過去を悔いてるなら財団に行っても何も救われないよ。」

「過去は消せない。俺も印西さんも天道様の下を堂々と歩ける人間じゃない。でも、そういう人間にだって自分の"業"を見つめなおし、人々の笑顔の為に自分を捧げれるような……そんな救われる機会があってもいいじゃないか。」

その眼に炎を宿し、まっすぐと印西の目を見ながら諭してくる入江に、印西は少し怯んでしまった。印西はボソボソとつぶやく。

「そんな事を言ったって……。私はどうしたら……。」

弱気な態度で応答する印西を見て、入江は家の敷地外に合図を送った。敷地外から中へ人影が向かってくる、それは印西のブランコで怪我をした2人だった。印西は驚きの表情を浮かべた。

「き、君たちは。」

「印西さん。ごめんなさい、僕らが二人乗りなんかしたばっかりに。」

「いや!違う!君たちは悪くないんだ。君たちはなにも。」

印西が珍しく声を荒らげる。子供たちによる謝罪に、印西はひどく心を痛めた。印西にしてみれば全てが自分の失態にも関わらず、被害者である子供に謝罪されるなどあってはならない事だった。

「私のせいで!私がこのザマだから。だから君たちはあんな目に……。こちらこそすまなかった。許してくれ!」

印西は立ち上がると子供たち深々と頭を下げた。心からの謝罪だった。その様子を見て2人の顔はニヤリと笑うと更に続けた。

「じゃあお相子だね!印西さん、早く元気になってね。印西さんにはこれからもいっぱいいろんな物を作ってほしいから。」

「い、いや私は。」

「じゃあね!」

子供達は印西にそう告げると駆けて出ていってしまった。印西は呼び止めようとしたが、喉から声が飛び出る前に子供たちは行ってしまった。

「印西さん。子供たちに貴方は求められている。遊具を作る貴方はあんなに楽しそうだったじゃないか。本当に財団に行くのか?」

入江の呼びかけに印西は大きくため息を吐くと、再び縁側に腰を降ろした。表情は心なしか明るくなっているように見える。入江も縁側に腰かけ始めると印西に話し掛けた。学校が完成するまでに遊具を作り直さないといけない事。遊具以外にも制作依頼が来ている事。未経験だが我々と仕事がしたいという人間がいるという事。今夜また皆で夜釣りに行くという事。入江が口を開く度に印西は嬉しいような大変なような複雑な表情を浮かべていた。時折聞こえる二人の笑い声は隣の家にも聞こえるほどだった。

夕日が昇り始めていた。

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