Files: KTE-3317-Green-Sunset
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KTE-3317-Green Sunset "顔のない厥起将校(Faceless/フェイスレス)"はレスポンスレベル2及び3に設定されている。我々はこの男と、その周辺人物たちを70年近く追跡し、遂に討伐に成功していない。対象の発見次第、0811排撃班"忍び足ソフト・ステップス"へ通報することを義務付けるものとする。"決して一人でやるな"



「逃がすなよ」
「はい」
 昼下がりの霊園に、喪服の男たちが二人。痩身な方の青年が、道路挟んだ向かいのベンチを覗き見た。彼のサングラスに搭載された超小型サーモグラフイーが、ベンチの上にいるネコ科動物のシルエットを映し出す。
「間違いありません。目標の猫です」
「よし、確保だ」
 2人の男が姿勢を低くして、ベンチの陰から出てくる。あからさまに怪しい喪服の二人組が昼間の道路を横断していく有様は、かなり異様なものであったが、この猫にさえバレなければいいのだ。丸まって昼寝をしている猫は男たちの接近に気が付く様子もない。
「確保」
「はい」
 痩身の男───育良啓一郎は網を振り下ろした。猫の上に白い特殊な合成繊維でできた網がまとわりつき、スイッチを入れると網の口が自動的にすぼまった。猫は身じろぎ一つせず、平穏な眠りを続けている。
「熟睡だな」
 保井虎尾がサングラスを外すと、二つの異なる瞳が露わになる。しかしその視界に猫の姿はない。サーモグラフィーで見えていたはずの猫の姿は、肉眼ではとらえることができないのだ。
「透明猫か」
 不意に、網の中にいた猫が目を覚ました。肉眼の保井にもすぐにそれが知れたのは、この猫の瞳が唯一透明ではない部分だからだった。黒い紡錘形に囲まれた翡翠色が、状況を把握しようとしきりに左右へ振れる。やがておおよそのことを理解したのか、透明猫は暴れるでもなく、今度は捕獲者の二人の顔を見比べ始めた。ずいぶん間抜けな猫だったが、この小さな獲物こそ、カナヘビが『理由あり』で捕獲を命じた異常存在だった。
「透明なだけで、ただの猫なんですね」
「ああ。さっさとケージに入れて持ち帰ろう」
 この格好は目立つしな───保井は無人なはずの周囲を見回した。霊園の雰囲気は極めて長閑であり、皺ひとつない喪服の二人組は、かえって大げさだった。
 木場購買長がこだわった特殊合金製のケージへ猫を放り込めば、それで仕事は殆ど終わったも同然ということになる。
「さっさと帰るぞ」
「はい」
 保井はイヤホンを付けた。普段は何ももつながないことが多かったが、今回は無線機を使うためにそうもいかない。懐に手を伸ばしてボタンを二、三度操作すると、周辺警戒にあたっているはずの仲間たちへつながる───はずだった。
「………………」
 いや、周波数帯は間違っていない。何かが起きている。
「……保井さん」
 先ほどとは打って変わって沈痛な育良の声が、背後から聞こえてくる。その声にただならぬ違和感を感じ取った保井は、あえて後ろに振り返らずに、「どうした」と最小限の声量で応えた。
「もし違ったらいいんですけど……」自動拳銃の入っている腰に手を当てたまま、育良は目を泳がせる。「あそこの木陰に一人、僕らを見張ってる奴がいます」
「どうして分かる」
「保井さんが動くと同時に一瞬、向こうで光学迷彩のノイズが走りました」
 猫は鳴き声一つ発しない。保井は特段表情を変えずにケージを背負った。育良の目配せに保井は頷きもせず、顎で一番近い出口を指し示す。
「こちら育良。餅月さん……ここから最も近いセーフハウスってどこだっけ」
『あれ、もしかしてお客さんがいた?』
 切羽詰まった様子の育良の忍び声に、懈怠な返事を寄越したエージェント・餅月は、待機していた車の中でどうやら居眠りをしていたらしい。
『あー、使えそうなのは日野博士の施設外自宅のあるマンションかな。今外出中みたいだし』
「ああ"ひのけん"ね……」
 努めて平静を装いながら育良は、耳に当てていたスマートフォンを一度離して、送られてくる地図データを確認した。距離はおよそ500メートル。餅月が今暖めている車を利用すれば、すぐにでも到着することが出来る距離だ。
『でも、部屋に籠城なんかしたらそれこそ袋の鼠じゃないの?』
「いや」確信を持った声で育良は言った。「そこなら相手を一定時間足止めできるはずだ」
『じゃあ、応援を呼んでおくよ』
「頼む」
「話は終わりか?」
 気がつくと、保井が横目に育良を覗いていた。一瞬心臓を跳ね上げた育良は、あわてて落としたスマートフォンを拾い上げると、はい、と答えた。
「かなり近くにセーフハウスがあります。そこで応援と合流しましょう」
「………………」
 育良の報告に答えようとした保井は、ふと何かに気が付いたかのように、公園のある一角に目を向けた。桜の木陰に置かれたベンチに、10代と思しき少女が座っている。眠っているのか、時折吹く風が服をなびかせても、少しも直そうとしない。
「どうしたんです?」
「いや、なんでもない」
 気味の悪い胸のつかえを感じながら、保井虎尾は後輩エージェントに頷いて見せた。
「行こう」




「わざわざKTE-3317をやめて猫ちゃん狩りとはね」
 南中する太陽の下、風になびく長い赤毛の麗しい北欧系の美女が、標準実地礼装ブラック・スーツ1のスポーツウェアに収まりきらない武骨な肢体を投げ出している。
「その猫は既に財団の手に渡っている。取り返すのはそう容易じゃない」
 そう諭した白人の男の手には、分解されたスナイパーライフルの部品がある。慣れた手つきでそれらをテニスバッグの中へ詰め込んでしまうと、すっくと立ちあがった。狙撃で財団エージェントたちを片付ける仕事はようやく終わり、これからいよいよ猫の直接回収に向かわねばならない。
指揮通信車CC C。こちら"頭足類Pääjalkaiset"。第1フェイズを終了した。"ウィスパー"の連中と合流する」
 首筋の紋様に手を当てて、"頭足類Paajalkaiset"と名乗った女が独りでにしゃべり始める。秘匿性の高い思念伝達通信システムは、彼ら排撃班の最もよく使う連絡手段の一つだった。思念伝達に必要な用意は、驚くほど少ない。事前に準備すべきなのは交信者同士の血判と、共有される術式、そして冷静な頭───それだけ、と来ている。もちろん有効範囲に限界はあるが、それは戦略上全く意識されないレベルの些末な問題に過ぎない。
『こちら指揮通信車CC C・"揚げ足取りNitpicker"了解。班長へつなぐ』
 通信兵の中国訛りの英語が答えると、頭足類はそばに立つ物憂げな男───"三本足Dreibeig"を見上げた。三本足は頷いて、同じく首筋へ手を当てて通信に参加する。
『こちら"早足Trot"。よく聞け。KTE-3317の偵察に当たっていた"Hoof"から報告があった。奴は今財団の連中の保護下にあるようだ』
「ああ!?」頭足類が素っ頓狂な声を上げた。「あたしらがあんなに苦労して捕まえられなかったんだぞ!? 一体どうして」
 騒ぐ頭足類を手で制した三本足は、しかし驚きを隠せない様子でいた。
「財団が……」
『そうだ』
 通信相手の"早足"は彼ら0811排撃班の班長職にある男だった。数十年に渡って暗殺任務に従事してきた経験のある老兵だ。
「自分で捕まりに行ったのか? じゃあやはり……」
『ああ。財団が猫の回収に動いたのもそのためだろう。猫確保の折には交戦も辞するな。以上』
「頭足類、了解」
「三本足、了解」
 通信を終えた頭足類は、嬉しそうに口角を吊り上げた。両の拳を胸の前で打ち付け、「班長どののお墨付きだ!」と叫ぶ。「大暴れしてやれるぞ。たまにゃこういうのがないとな」
「落ち着け。"ソフト・ステップス俺たち"は暗殺部隊だということを忘れるな」
 副班長格の三本足は頭足類とバディを組んでまだ1年だったが、だいたいこの女の特性は理解しているつもりだった。所属する0811排撃班-"ソフト・ステップス"の一癖も二癖もある班員たちの中でも、群を抜いて気性が荒く、また少々命令無視の傾向があった。その代わり腕は立つ。GOC極東部門の中でも彼女の格闘戦技能は1位、2位を争う。
「お前に言われなくてもわかってる。我らが血の最後の一滴までTo The Last Drop Of Our Blood
 部隊モットーを口にした頭足類が、打ち合わせた拳の片方を相棒に向ける。作戦前にやる儀式を、仕切り直しの意味を込めてもう一度やろうという魂胆であるらしかった。
我らが血の最後の一滴までTo The Last Drop Of Our Blood。さあ、かかるぞ」
 次の瞬間、彼らのいた屋上は無人になった。


 長閑な霊園のベンチに座ったまま瞑想していた"舌切り雀Mute Sparrow"は、ゆっくりと目を開いた。718評価班唯一の女性班員は決して職務に怠慢なわけではなく、今まさに一仕事を終えたところなのである。この短時間のうちに、大人二人分の波形を識別できるようにするのは容易なことではなかったが、彼女の集中力にかかれば決して無理という話ではない。
「………………」
 予知をやめた舌切り雀は一つ大きく伸びをする。この後のスケジュールもなにもかも聞かされていたが、眠さがそれに勝った。全神経を集中する波形識別を行った後は、急に疲労がこみ上げてくる。
 首筋をさすった舌切り雀は、一旦浮かしかけた腰を、再びベンチの上に置き直す。雑嚢から地図を取り出して、サインペンで線を引く。地図上にはすでに長大な赤い線が浮かんでおり、その全てはこれまでの"猫"の足跡とすなわち符合する。
 彼女は、GOCで言うところのType Greenだった。
 しかし彼女はこうして存在を許されており、あまつさえ評価班に籍を置く身としてある。このあどけない現実改変能力者は、実のところGOC極東部門の"歩く備品"なのだった。少女は人体の発するエネルギー、そして空間内部に存在するエーテルの波を"検知する"才能を生得的に持っていた。
 本来ならば殺害あるいは無害化されるところを、当時は特 殊 立 会 人スペシャル・オブザーバであった"親不知Wisdom Teeth"によって助命され、評価班の一員として雇用された。
 とはいえGOCもそう簡単に信用してくれるわけではなく、彼女の頭蓋の中には、今も排撃用の小型爆弾が埋められている。
「おい、お前」回想にふけっていた舌切り雀は顔を上げた。そこには当時と変わらない、不機嫌そうな幼顔がある。「任務はどうした。奴らの追跡は」
「…………できる」
 手にしていた地図を差し出すと、親不知は耳珠を押して通信を始めた。労いの言葉を待っていたにも拘らず裏切られた舌切り雀は、彼をきつく睨み付けたが、当の親不知はさっぱり気が付かない様子で排撃班員と話し込んでいる。
「───ああ、"猫"はうちの班長と"喉仏Adam's Apple"が追ってる」
『了解した。早足から聞いていると思うが───この、黙れ───そちらに一旦合流する』
 通話先の三本足は後方で騒いでいる頭足類を黙らせているらしく、時折声が離れて折檻と思しき音が混じる。うちではあり得ない現象だ、と親不知は背後の静かさに感謝の念を抱いた。
「……聞き及んでるよ。お宅も大変だな」
『お互い様だろう』
 ふと親不知が振り返ると、恐ろしい形相の舌切り雀と目が合った。




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