ねこのはなし
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もう幾年も前から人の寄り付かない寂れた場所に、誰からも忘れ去られてしまった井戸小屋があった。
井戸小屋の中には当たり前だが井戸がある。しかし、とっくの昔に井戸水は枯れ果てていた。井戸の底を覗いても全くの闇によって何も見えないが、唯一わかることがある。そこには、ねこがいる。

猫は、寂しがりだった。
だから井戸小屋が好きだった。この井戸小屋は、猫と同じように寂しく見えたのだ。猫は、寂しい者同士で寄り添うのが好きだった。
ある時は井戸小屋の中で静かに眠り、またある時は井戸小屋の屋根でウトウトと日向ぼっこをし、そしてまたある時はじぃっと井戸の中の闇を覗き込んだりした。
そんな毎日が、猫は好きだった。

猫は全くの一般的な猫なので、他に生きる別の猫と同じように生きていた。ひとつ違ったのは、猫の周りには他の猫がいなかったことだ。だから猫は、寂しかった。誰かの傍で過ごしてみたかった。でも猫はただの猫である。何か特別なことが出来る猫ではないのだ。ただ唯一、猫が知る寂しくない場所は井戸小屋だけなので、いつも井戸小屋に猫は居た。

ある時、猫は間違って井戸の中に落ちた。水は枯れ果てていたから溺れることは無かったが、随分と深い所まで落ちてしまった。だから猫は、井戸から出られなかった。井戸の中は全くの暗闇で、見上げても猫の目には何も見えなかった。外の音はここには届かなかった。聞こえるのは、猫が助けを求め鳴く声だけだった。

ねこです。ねこがいます。

猫は、寂しかった。
猫は闇の中で、本当に、ひとりぼっちだった。
猫の居る場所は誰からも忘れられた井戸小屋だから、誰も猫を助けに来てくれる訳がなかった。
ねこは、ここにいるのに。

ねこはいます。ここにいます。

ねこは、井戸小屋というものは知らない。ねこが知っているのは、ねこのいつもいる場所。

ねこはねこのいますところにいます。よろしくおねがいします。

ねこは、一人寂しくこのまま闇の中で死にたくなかった。誰かと一緒に、居たかった。

ねこです。
ねこはいます。
ねこはここにいます。
よろしくおねがいします。

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