終りと始まりのロンド
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大晦日、2330時。私は年越しそばを啜っていました。世界は終焉を迎えつつあります。複数のKeterオブジェクトの収容違反及び覚醒、それによる国際社会の緊張激化がもたらした審判の日は、今日でした。
私達は生きて正月を迎えることは出来ないでしょう。なにがしかのKeterオブジェクトか、あるいは人間の核兵器によって、息絶える運命なのです。
ですが、私はそれに対しては感慨を覚えませんでした。
「これで何回目の世界終焉なのでしょうね……」
とあるSCPオブジェクトが世界終焉に備えて世界をやり直すために存在するという事実を、私はちょっとしたイレギュラーで知ってしまいました。この終焉も「なかったことにされる」ことはわかっています。
でも。
この世界は、私にとって唯一の、かけがえのない世界です。私はここで生まれ、ここで様々な幸せを掴みました。それが、ぐしゃぐしゃにされてしまうのは、すごく悔しいです。
そして。
次に生まれてくる「私」は「私」じゃない。
文明再興と滅亡の隠蔽のために戦う私は今の「私」じゃない。
そして再建された世界でなにごともなく振る舞う「私」も、もちろん「私」じゃない。
今いる私は、自身の滅びという恐怖に怯える一個人にすぎないのです。
本音を云うと、怖いです。とても怖い。とても悔しい。だけどそれは避けようもない事実。
だからこうして、あたかも「私」にとっての新年が来るかのように、日常を送るのが、私なりの挟持です。
「人間の偉大さは恐怖に耐える誇り高き姿にある」という言葉もありますが、そんな大げさに振る舞うことなく、恬淡と、世界と自身の終わりを受け入れたいと思います。
――蕎麦を食べ終わりました。時刻は2345分です。あと15分で世界の終わり。やっぱり自分は怖いし悔しい。だから、せめて可能性だけでも次の「自分」に託したい。あるいは呪いかもしれない。だけど書かずにはいられない。だからこうして、乱れる筆致で、万年筆片手に遺書めいた文章を書いています。何も残さずに死ぬのは、あまりにも無念だから。
ああ。願わくば次の「私」は、こんな恐怖と悔恨に苛まれないことを祈ります。

「というネタを考えたんですけど、どうでしょうか?」
と、新年を迎えるサイト-8181の皆さんが集まる集会場で、恐る恐る話を振る私に、同僚の女性研究員は呆れたような笑みを浮かべて云いました。
「世界再構築SCiP? そんなもんあるわけないじゃん、さくやん想像力豊かだねー。とりあえず年越しそば食べよう! それで、『ゆく年くる年』見て、新年になったら初詣に行こうね?」
その反応に、私は肩を落としました。
「はぁ……渾身のギャグだったんですが」
私の哀れな姿を見て、同僚もフォローしてくれました。
「大晦日に振るギャグとしてはちょっとねー。でもまあさくやんのギャグとしては上出来だったよ?」
「ありがとうございます」
いつしかTVでは新年に向けてのカウントダウンが始まっていました。
「5,4,3,2,1、Happy New Year!」
それと同時に皆が「明けましておめでとう!」と云い、クラッカーが鳴らされ、樽酒が割られました。財団も新年はお祭り騒ぎです――当直の人も、ささやかに新年を祝っているでしょう。
でも。
私は知っています。私の実家に収集された古文書から出てきた、古ぼけた手紙が、私の筆跡でそう語りかけてきた時から、この世界は、再構築された世界なんだっていうことを。
この新年は、過去の「私」や「みんな」が迎えられなかった新年だってことを。
だからこそ、私達はこの新年を真摯に生きなければならないということを。

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