密室のラプラス
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「一応訊くが、遺体ホトケの身許は」
「佐波川徹平、五十九歳。職業は政治家。現職の衆議院議員。若い頃は"政界の暴れん坊"の異名を取る人気政治家でしたが、最近は不正な献金、脱税、贈収賄に失言と、連日のようにワイドショーを賑わせていましたね」
 青い作業着姿の鑑識の男は、無残に変わり果てた姿で自室に横たわる太々しい男の前に屈み込んだまま、こちらを一瞥もせずに答えた。こちらとしても敢えて彼の背中をジロジロ見つめる理由はないので、慌しい現場ゲンジョウから目を逸らし、曇りひとつない壁一面の窓ガラスの外に目をやる。高層マンションから見下ろす二十四時の東京は、人工的な光と路地裏の闇が混在して、ある種の魔物的なコントラストを湛える。
「死亡推定時刻は」
「ざっくり言って四時間前ですね」
「死因は」
「背後から腹部を刺されたことによる失血死。凶器のアイスピックは元から部屋にあったようです」
「発見時の状況は」
「第一発見者は被害者ガイシャの秘書です。急に連絡が付かなくなって様子を見に来たら、というお決まりのパターン。玄関の鍵が閉まっていたので合鍵で開けると、室内には佐波川氏の死体だけがあったとのことです。部屋の出入口はその玄関だけ。マンションの監視カメラにも、佐波川氏が部屋に入って以降、秘書が来るまでの間、この部屋に近付く人物は映っていません」
「密室殺人、か」
 ミステリ小説の影響か、密室殺人は解決不可能な犯罪の代名詞のように思われている。だが最近の警察を舐めてもらっては困る。どんなに不可解な事件だろうが、なんとしても犯人検挙に漕ぎ着けてみせよう。
「そもそも、第一発見者の証言は信じられるのか。政治家の秘書というのはどうも信用ならん」
「アリバイはあります。発見時はマンションの管理人も同席していましたし」
「他に出入りできる経路があった可能性は。換気扇とか」
「人間の通れる余裕はありません」
「動機は、怨恨か」
「部屋は荒らされていないので、物取りではないでしょう」
「自殺の可能性は」
「もしそうだとして、わざわざ背中を刺しますか」
「他殺に見せかけたかったんじゃないか」
「それなら密室にはしませんよ」
「何か犯人の手掛かりは」
「皆無、ですね。今のところ」
 用意周到な犯人であれば、簡単に見つかる証拠を残さないことも珍しくない。地道に人間関係を洗って、動機がある人間の目星をつけていくしかないだろう。
「こんなのはどうです」不意に鑑識の男が立ち上がった。「犯人ホシ被害者ガイシャの帰宅前からこの部屋に潜んでいた。犯行後はクローゼットかどこかに隠れていて、秘書が部屋に入ってきた後に隙を見て逃走した。あるいはまだこの部屋の中にいる」
 成程。些か推理小説に感化され過ぎな印象ではあるが、辻褄は合う。
「後者はともかく、前者の可能性はゼロではないな。もう一度監視カメラを確認しよう」
 十中八九、何も映っていないとは思うが。しかし取り敢えずは管理人の許へ行かなくては。足を一歩踏み出すと同時に、右手が無意識にポケットの中のカートンへ伸び、そこで思い留まる。近頃の嫌煙ブームの勢いは激しく、警視庁本部庁舎は愚か、犯罪捜査の最前線にまで波及している。ニコチンの味を思い出して煙をせがむ自身の脳を宥めながら部屋を出ようとしたそのとき、後輩の刑事が速足で歩み寄ってきた。
「先輩、あの、なんというか、来客が」
「来客って、殺人現場だぞ、ここは」
「はい。えっと、はっきり言いますと、公安の関係者です」
 耳を疑った。ここで公安ハムの御登場だと。
「解った。少し待っていてくれ、すぐ行く」
 思い当たる節はある。実は、今回と同じような事件がつい三ヶ月前にも起こっている。そちらの被害者は与党の重鎮。血税で私腹を肥やす悪徳政治家だった。ともあれ、大物政治家が立て続けに二人も殺された。状況が状況だ。そりゃあ公安部の担当するような背景があったとしても不自然じゃない。だがいくらなんでも早すぎだ。まだ通報を受けて三時間だぞ。クソ、落ち着け、一体どうすればいい。俺はベランダに出て、周囲の白い目も気にせず煙草に火を点けた。抑えきれないこの苛立ちを無理矢理抑える方法を、俺は他に知らなかった。


「どうも。公安第一課の霧島です。単刀直入に申し上げます。我々は一年ほど前から今回の被害者、佐波川徹平の周辺を重点的にマークしていたのですが、本件は極左集団による暗殺事件である可能性が極めて高い。つきましては、本件の捜査は我々公安部が主体となって行わせていただきます」
 表向きの肩書きを名乗る。説得力のある建前を並べる。全ては"穏便に"事を運ぶため。"尤もらしい嘘をつく"という我々にとって最も大切な技術は、公安部特事課に属する捜査員全員が備えるスキルという次元を通り越して、もはやマニュアル化している。以前何度か一緒に仕事をした"財団"の連中は高度な記憶操作技術を持っているらしい。そんなものがあれば我々ももっと強引な手法を取れるのだが、生憎我々にとって"忘れてもらう"という行為は極めて面倒かつリスキーだ。
「おい、ちょっと待て」目の前に立つ四十代前半くらいの壮年刑事は明らかに不機嫌だ。「会っていきなり何を言い出すんだ。それと、そっちのお前は」
 おっと、忘れていた。私はすぐ隣に立つ今日の同行者に目配せをして、自己紹介を促す。彼は特事課の人間ではない。別の超常組織の構成員だ。色々な事情が絡み合って、今回の事件は彼らとの共同任務となっている。細身で背が高く若いその男は、余裕すら感じられる表情のまま口を開く。
「同じく公安第一課、駒込です」
 当然ながら、この肩書きは真っ赤な嘘だ。だが、さらりと嘘をついた彼の顔からは些かの動揺も読み取れない。ポーカーフェイスの巧い男だと、思わず感心してしまう。だが今は、そんなことよりも。
「どういうことだ。まともな捜査もまだ始まってないのに、現場を公安に明け渡せとは」
 壮年刑事は怒鳴ってこそいないが、その口調と表情からは今にも掴みかかってきそうな怒気が嫌でも伝わってくる。まあ無理もない。むしろ自然な反応ですらある。
「別に明け渡せと言っているわけではありません。ただ、捜査の主導をさせていただくというだけで」
「どうしてそんなことをする必要がある。せめて犯人ホシの手掛かりを掴んでから言え」
「掴んでいますよ」
 隣の男……駒込が口を挟む。その言葉を聞いて、刑事の表情が一瞬で強張る。あまり望ましい状況ではない。間髪入れずにフォローを試みる。
「お気持ちはよく解りますが、これは依頼ではなく決定事項なのです。今までの警察人生で貴方も学んでいるでしょう。世の中は理不尽なことばかりです。個人の主張に拘っていては、組織は立ち行きません」
「生まれてこのかた四十三年、こんな理不尽は経験したことがないね」
「それはたまたま貴方が経験しなかったに過ぎません。どうか御理解を」
 まだまだ納得いかない様子ながらも、刑事は渋々我々の主張を受け入れてくれた。百八十度踵を返し、事件現場へ戻っていく。我々二人はその後に追随する。現場には被害者の遺体が、まだそのままの状態で残されていた。先程の刑事は部下と何やら話している。あの部下が実は特事課のスパイエスで、我々をここに呼んだ張本人だということなど、彼は想像もしていないのだろう。私はまず鑑識の男に話を聞くことにした。刑事と違って、こちらは素直に質問に応じてくれる。
「凶器はなんですか」
「あちらのアイスピックです」
「カクテルでも呑んでいたのかな」
「いえ、酒の類は机に出ていませんでした。単に凶器に使われただけでしょう」
 凶器に使われただけ、ねえ。そうすると犯人は、台所の数ある調理器具の中から、包丁やキッチン鋏という解りやすい刃物はスルーして、わざわざアイスピックを凶器に選んだと、この鑑識はそう考えている訳か。
「この部屋のアイスピックは、その1本だけですか」
 背後から駒込が質問を飛ばす。
「いえ、凶器に使われたものの他に、もう一本。台所で見かけました」
「形状は」
「見た目は凶器に使われたものと同じだったと思います。御覧になりますか」
「是非」
「台所の上の棚に入っていた筈です」
 駒込はそそくさと台所に移動する。私もすぐ後を追う。背の高い駒込は戸棚を上から下まで素早く確認し、白々しく言った。
「あれ、見当たりませんよ」
 戸棚の中に、もう一本のアイスピックはなかった。鑑識の男は不思議そうな顔をしている。
「おかしいな。誰かが証拠品として押収したのかもしれません。ちょっと聞いてきますね」
「いえ、それには及びません。大したことではありませんから」
 素直な男の親切心を丁重に断って、我々はそろそろ現場を後にすることにした。得るべき情報は手に入った。気づけば現場には遅れて到着した他の特事課職員(勿論全員公安第一課の振りをしている)と刑事部の刑事達が混在して、異様な緊張感が漂っていた。
 現場を出て、階段を下りながら、駒込にひとつだけ忠告しておく。
「これを聞いて気を悪くしないでほしいのだが……余計なことを喋らないように気を付けてくれ」
 駒込は一瞬なんのことだか判らないという顔をしたが、すぐに心当たりに気付いたようだ。
「済みません、つい。以後気を付けます」
 台詞に反してその顔は全く反省していないが、この男の性格はもう把握しているからいちいち気にはしない。どこの組織にも一人二人はいる、面倒臭いタイプの人間だ。
「それにしても、なぜアイスピックを選んだんでしょう」
 駒込は私と同じ疑問を口にした。だが、私はもうその疑問に一応の解を見出していた。三ヶ月前に起きた第一の事件からこれまでの捜査結果を総合すると、答えはひとつしかない。
被害者がアイスピックで殺されていたから。それしかないだろう」
 自分でも何を言っているのかわからないが、しかし、そうとしか言いようがない。我々の仕事は、法で裁けぬ特異事例の相手をすること。常識なんて通用しない。全く、この世の中は理不尽なことばかりだ。


 さてさて、クライマックスです。既に二人から長話を聞かされてお疲れでしょうが、もう少しの辛抱を。大丈夫です、私の話はすぐに終わりますから。
 最初に私の身分を明かしておきましょう。特事課の駒込、なんていう偽名では皆さん御満足なさらないでしょうからね。世界オカルト連合極東部門、排撃班所属特殊工作員、コードネーム"孟宗竹Moso Bamboo"。それが私の名、私の正体です。
 刑事部の皆さんに丁重にお引き取りいただいてからおよそ五時間後。そろそろ東の空が白んでくる頃。私と霧島さんの二人は、二人きりで、殺人現場のリビングを再び訪れました。
「駒込さん」
 霧島さんは私に、偽名で呼びかけてきました。
「"孟宗竹"でいいですよ」
 私は自分のコードネームが気に入っています。駒込という偽名は、正直あまり好きではありません。
「いや、駒込さん、のほうがいい」私の提案はけんもほろろに却下されました。「常に気を張っていなければ、どこから誰が聞いているか判らないからね」
 霧島さんの指摘に私は心から感心しました。壁に耳あり障子に目ありという諺からも判るように、この日本という国はスパイ天国です。人は多く、国土は狭く、壁は薄い。各国諜報機関から御近所さんまで、警戒すべき対象は余りに多い。一分の隙も見せないことが重要です。私は己の未熟さを恥じました。
「済みませんでした。それで、どうなさいました」
「いや、大したことではないんだ。果たして奴は本当にここに来るのか、と」
 彼は少し緊張している様子です。無理もない。脅威存在の粛清に立ち会うのは彼の本職ではありませんから。先程のお返しではないですが、ここは私が頼れるところを見せる番ですね。
「御安心ください。奴の能力に関する報告が正しければ、必ず奴はここにやって来ます。そして、奴の能力を突き止めたのは、霧島さん、他ならない貴方達じゃないですか」
 私の言葉で、霧島さんは少しだけ安心したようです。適度な自信を維持するための手段として、励ましは有効です。心の迷いはすぐさま任務失敗に繋がりますから、チームメイト同士はできる限り互いを励まし合うべきだと私は考えています。
「っと、お喋りしている場合ではありませんね」
 こうしている間にも、敵はすぐそこまで迫っています。私と霧島さんは物陰に身を潜め、拳銃を抜き、祈念弾が込められていることを確認します。
 人型脅威存在タイプカラーズ、とりわけ現実歪曲者タイプグリーンを粛清するときに、最も大切なことは何か御存知ですか。答えは、スピードです。迅速さです。敵は私達人類の理解を超えた型破りな能力を持っています。ですから、その能力を使わせないために、奴らがこちらに気付く前に、奴らの理解の外から、奴らを仕留め、終わらせなければならないのです。ゆえに……いえ、語っている暇はなさそうですね。足音がします。奴がもうじき、この部屋に入ってくる。「会敵直後の一秒間で生死が決まる」。これは、かつて私が尊敬する先輩方から耳に胼胝たこができるほど聞かされた心構えです。これから具体例をお見せしましょう。もうすぐですよ。あと五秒。
 五。拳銃を構えます。
 四。安全装置を外します。
 三。引鉄に指をかけます。
 二。いつでも撃てる状態であることを確認します。
 一。精神を、じっと研ぎ澄まします。
 零。リビングの扉が開きます。右手にアイスピックを握った敵の姿を確認するのとほぼ同時に、条件反射的に引鉄を引きます。三点バースト。消音器サイレンサーを介した乾いた音が立て続けて三度鳴ります。獲物は前のめりに崩れ落ちます。扉が開いてからここまで、一秒もかかっていません。
 対象の破壊に成功したことを確認したら、戦いは終わりです。血塗れになったその死骸の右手からは、先程まで持っていたアイスピックが消えていました。予想通りとはいえ、ここまで巧くいくとなんだか晴れがましい気持ちになりますね。でも今回の一番のヒーローは、私ではありません。
「お手柄ですよ、霧島さん。貴方が明らかにした情報のおかげで、人類の脅威がまたひとつ減りました」
 数時間前まで我々に散々憎まれ口を叩いていた男の亡骸を挟んで、私と霧島さんは顔を見合わせました。霧島さんは見るからにほっとしています。名探偵ものならここで締めに主人公が推理を披露するのでしょうけど、肝心の犯人がこんな状態とあってはやりがいがありません。彼は一体何を考えて罪を犯し、何を思いながら死んだのでしょう。それはもう今となっては誰にも知りようがありませんし、知る必要もありません。あとはこの死骸と血の海を片付けたら任務完了……ああ、いけない。もうひとつ残っていました。一番面倒な仕事、報告書の提出が。でも仕方ありません。これもまた特殊工作員の欠かせない任務ですからね。

LTE-22156-Clockwork Green

脅威ID: LTE-22156-Clockwork Green ("Retrograde Parfect Crime/逆向性完全犯罪")

認可レスポンスレベル: N/A (破壊確認済み、記録書庫入り)

概要: 粛清当時43歳の日本人男性。警視庁刑事部捜査一課所属の警察官。Type Green(時間改変型)脅威存在。対象自身の存在する時刻から丁度9時間前の事象に対して四次元的な物理干渉を行う能力を有する。その振舞いは決定論的であり、現在において干渉の結果が観測された場合、それから9時間後に、対象による干渉が必ず行われる。対象の能力は粛清の約半年前に突発的に発現したと見られる。その能力によって2人の国政政治家を殺害。背景には個人の政治的思想があったと思われるが過激派組織および超常組織との繋がりは認められない。第一の殺害事件を契機として警視庁公安部特事課により最初の同定がなされた。

粛清: 特事課による同定後、PEJEOPAT1規定("反社会的人型実体の取扱いについて")に則りGOC排撃班による対象の粛清が承認され、特事課職員霧島██の立会いの下、特殊工作員"孟宗竹Moso Bamboo"により粛清が実行された。第二の被害者の遺体発見直後に特事課職員がこれを対象による殺害と看破したため、殺害現場にて待ち伏せを行い、20██年5月6日5時3分(日本標準時)、減音小火器の近接射撃により粛清。この際、対象による第二の殺害事件が副次的に遂行されたと見られる(詳細は附則1参照)。

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