ただ正常の前に立つ男は何を思うのか。
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まだ、照明も薄暗い午前5時、市役所の小さな引き出しの前で私は通常通りの業務を行う。開けて、調べて—


私がここに勤務し始めたのは、大分昔、30年以上も前だったか。私は財団の現地エージェントだった。私の仕事は企業、団体、それらの組織に潜入して異常物品の監視をすること。この市役所にやってきたのもその一環だった。

財団に就職し、最初の任務地として選ばれた市役所。聞くに、余り命の危険がない場所に新人は回されるのだそうだ。同僚と2人でここを訪れ、新入職員として勤務した。3年も過ぎれば後続の職員と交代する予定の場所だった。

私達は忠実に任務を遂行した。ただ、引き出しを開けて、調べて、異常性がなければ閉じる。それだけの作業だったが、そこには確かに世界に寄与する感覚があった。私は世界を救う一端になれることを酷く喜んでいたのだ。そして、知られてはいけない秘密を守るために人並み以上に勤勉に働いた。もっとも、私達がここに来た理由など皆は知るよしもなかっただろうが。それが災いした。

2年と半年が過ぎるころ、ああ、もうそろそろ財団のエージェントに戻らねばならない頃。それは通告された。

『██くん、昇任の話があるそうだ。』

当時の部長にそう言われた。勤勉な働きぶりが評価されたとのことだ。年功序列が強く残る市役所では異例の昇進だった。私は愚かにも、その時は喜んだ。

それから少し経って、財団から連絡が入った。
『昇任で君を呼び戻すことが難しくなった。』ということだった。

どうやら予定では新人として他の地区に異動させる(そうして財団に呼び戻す)予定だったそうだ。私の昇進はその小さな計画を狂わせてしまったらしい。私はこの市役所に残ることになった。

—おまえ、馬鹿やったなぁ。

同僚がそう苦笑した。彼と入れ違いになって新人が新しく後任としてやってきた。私は絶望した。世界に寄与できるチャンスを自ら閉じたのだ。

最初のうちは一緒に行った確認も、部下が3人目になる頃には私ひとりで行っていた。

開いて、調べて、閉じる。そのサイクルに狂いはなかった。私はどれだけ異常を渇望したか!現れるはずの異常はどこにもなかった。私はただ、工場のラインで検品をするだけのような日々を過ごした。そしてたちの悪いことにその工場では粗悪品が流れてくることは1度も無い。

どこかで起こる異常を知らずに私はここで一生を終えていくのだろうか。私が財団に入った意味はなんだったのか。自問する日々が続いた。しかしどれだけ待っても引き出しから異常が見つかることはなかった。

開いて、調べて、閉じる。
開いて、調べて、閉じる。
今日だって、開いて、調べて—


私はその手を止めた。薄汚れた印紙。たったそれだけを見つめた。—あぁ!どれだけこの日を渇望したのだろうか!私はひとり、薄暗い部屋で絶叫した。唯一手に入れた異常。これだけが私の生きる意味を肯定した。任務などはとうに頭から消え去っていた。私はデスクにそれを隠した。手のふるえはいつまでも止まらなかった。


始業の時間はいつもと等しくやってくる。部下がどうでしたか、とそれだけ聞いた。私は手の汗をひた隠しにしながら、いつも通り、と答える。欠伸をしながら部下は自分のデスクに向かっていく。

あぁ、この異常を如何にするべきか。鼓動は止まらなかった。無論、仕事の通りにするべきなのだが、これは、私が無為に過ごしてきた30年の答えなのだ。誰にも見せるつもりはなかった。今日の仕事は手につくはずもなかった。


昼頃を少し過ぎて、日が射す頃にその時は訪れた。1組のカップルがカウンターに訪れる。私は駆けだしていた。カウンターにつきかけた職員を押しのけ、怪訝な面持ちの2人に私は問いかけた。勿論彼らの目的は決まっていた。私は震える手でそれを差し出し、彼等にこう告げた。

「ご結婚のご決断おめでとうございます!私からも祝福を申し上げさせていただきます。この辛いご時世、きっと大変なこともございますでしょう。それでも私は、おふたりの、正しき、間違いのない生活があることをお約束します。それでは、この書類に—」

少しだけ薄汚れたその書類に、2人はペン先をつけた。

補遺3: ██市役所で検査を行っていたエージェント・██がSCP-434-JPを一般人に提供する事案が発生し、斉藤 学氏、斉藤 香苗氏がそれぞれSCP-434-JP-1、SCP-434-JP-2となりました。エージェント・██は極度の興奮状態にあり、インタビューのめどは立っていません。先日までの勤務態度も良好であったことからなんらかの確認されていない異常性も疑われています。

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