静かなるエージェントたち
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──こちらエージェント・保井 エージェント・コールマン。1425時を以て初期収容任務を開始す。
 
マンションの一室のドアノブがゆっくりと捻られ、軽い衝撃と共に開かれる。
その先に広がる乱雑とした生活空間、の手前、開かれたドアの前に立つ黒服の男が二人。
片方は首からイヤホンをぶら下げた、右目と左目の大きさが合っていない短髪の日本人男性。
もう片方は鼻筋のよく通った金髪碧眼のドイツ人男性。
前者は彼の職場での呼び名をエージェント・保井と言い、後者は同様の職場でエージェント・コールマンと呼ばれている。

開きっ放しのドアを前にして、二人は佇んでいた。が、直ぐさまエージェント・保井が懐からガサガサと紙片を一枚取り出すと、それに視線を落としながら何やら呟き始める。
「対象は年齢未確定の成人男性。現実改変能力者の傾向ナシ。ベランダからの飛び降り自殺による外傷以外に目立った外傷や痕跡ナシ。血中から多量のLSD由来物質が検出される。警察の実地検分は2時間前に抑制されたため、現場への侵入者はナシ」
その言葉に、エージェント・コールマンが得意げに鼻を鳴らす。エージェント・保井はそれを無視しながら、ミミズのような暗号の書かれた紙片をライターで燃やしていた。

「クスリか?」
紙片の燃えカスを素手で握り潰しながら、エージェント・保井がボソリと呟く。
ここで言うクスリとは、無論のこと麻薬などの生易しい子供用風邪シロップの如きものではない。現代科学の最先端を行く組織を以てですら解析が不可能な異常存在。彼らが収容し、確保し、保護すべきもののことである。
その言葉に、エージェント・コールマンは胸を張りながらますます得意そうに鼻を鳴らした。
「・・・なんだ」
横目でそれを確認し、半ば呆れながら訊ねるエージェント・保井。すると途端に、エージェント・コールマンの居丈高な演説が始まった。

「オレはなァ保井ィ、昔ペンギンのぬいぐるみの形したァ奴を相手にしたことがある。人間がそいつを見ちまうとよォ、頭ン中どぱどぱ麻薬が出るんだよ。どんな麻薬が出たと思うよォ? コカインだ、コカイン! 脳の中に直で・・・濃度82%のコカイン水溶液が一秒で3ccも出た! そん時にャ5人が死んだ。内2人は、警官だったァ」
コールマンの声は、重篤の訛りを患った猫のように間延びしていた。
「オレはよォ、そん時決心したんだ。奴らは最悪だ。奴らは最低だ。奴らは俺たちを騙すためなら何だってやる。見た目も記録も情報も、全部奴らが用意したもんだと思ってやる、ってなァ」

保井は小さくため息をつくと、口では「確かに認識災害の可能性もあるか」と呟き、頭では「前話した時は3ccじゃなくて7ccだったぞ」と呟いた。
だが、今回の事例が予断を許さぬものであるというのは、保井も同意見であった。SCPオブジェクトとは「なんでもあり」の存在だ。「異常」が「正常」以上に定義の難しい存在である限り、どのような不思議が起きても不思議ではない。
保井は銃を抜き、前方に向けて小さく構えながらゆっくりと部屋に進入した。部屋の外からの目視によってある程度の安全は確認済みであり、外部からの長時間の観察で、建築物自体がSCPオブジェクトである可能性も否定されている。それでも尚、警戒に足るものがこの先にあるのだ。

保井と同様、コールマンも銃を抜いて後に続く。ただし、保井とぴったり背中を合わせて、彼の後方をカバーしながら後ずさりで部屋の奥へと進入していく。
「間取りは憶えてるな?」
「おうよォ」
「じゃあお前の方法でいくぞ。3秒後に、俺からスタートだ」

背中合わせでじりじりと進んでいく両名。その奇妙な行進が玄関を通り抜け、居間に至ろうとした時であった。
「1」「1」
「2」「2」
「3」「3」
保井が「1」と発声した直後にコールマンが「1」と発声し、その直後に間断なく保井が「2」と発声、すぐさまコールマンが「2」と発声、その直後にまた・・・
それを1から10の数まで繰り返した後は、再び1へと戻る。それぞれの数字の発声は1秒の間も無く行われている。そしてそれを行いながら、両名は居間へと進んだ。
「4」「4」
「5」「5」
隙間無く発声を行いながら、二人は部屋の内部の全てを視界に収める。周囲を広く見渡し、背中合わせで互いの死角をカバーしながら、居間、台所、寝室、トイレ、ベランダ、全ての場所をざっと見遣る。銃を構え、可能な限り何にも触れずに部屋内部の表面を視線で撫でる。

エージェント・コールマンが考案したこのコールマン法は、フィールドエージェントが認識災害の可能性のある現場で捜索を行う際、捜索範囲内の一先ずの安全を確保するための方法である。
互いが互いの死角をカバーし合った上で、隙間なく数字を次々と発声する事は、バディ同士が正常であることの確認である。この方法で片方が認識災害に曝された時、必ずどちらかの発声が途切れるか、あるいは混濁する。
認識災害は、必ずそれを認識した人間に異常をもたらす。何かが襲いかかってくればまだ分かりやすいが、精神または認識の変調は判断が困難である。
だからこそ、そういったものに罹患した瞬間に対処出来るかどうかが重要となるのだ。そしてその瞬間を、数字の発声の途切れによってバディは知る事が出来る。この方法の最中、どちらかの発声が少しでも遅れたり途切れたりした瞬間、問答無用でもう片方が拘束を実行。退却して状態を観察後、応援を呼ぶ手筈となる。

この方法は実際にフィールドエージェントの間でも使用され、なかなかの評判を得てはいるが、科学的な裏付けと実証例数が少々不十分であることから正式採用はされていない。だが保井とコールマンは、経験からこの手の事例には十分に効果があることを知っていた。
「10 終了」「10 終了」
全ての部屋を見回り、居間まで戻ってきた所で発声を終了。二人は背中合わせの状態を解き、互いに向き合った。

「さて、どう思う?」
右目を大きく開きながら、保井がまず切り出した。
「マンションにしちゃ、散らかってるなァ」
「そうだな」
散らかってる。それはコールマン法で視界に捉え切れなかった物体が多かった事を示している。物体の奥に隠れた物体が、異常性を持っている事も考えられるのだ。
「だが被害者の遺体の状態と室内の痕跡を見るに、被害者は認識災害に罹患してから短時間で自殺を図ったようだ。ならばオブジェクトもその辺に放置されていると思ったんだが・・・」
「認識災害じゃねェのかもなァ」
「分からん。取りあえず、敵対的知性はいないようだな。ネズミ一匹見当たらない」
銃を仕舞う両名。今この瞬間も何も襲っては来ていない。ならば武器は不要である。

「とりあえず、気になったものがいくつかある。テーブル上の複数の郵便物、寝室の少々不自然な数の薬瓶、トイレの外れた電球、押し入れの内部」
「それなァら、そこから調べてくかァ。居間、トイレ、寝室のルートで行くぞ」
「ああ」
そう言って、保井はしゃがんでテーブルの高さと目線の高さを合わせた。そして右手で懐からピンセットを取り出し、郵便物の束へと腕を伸ばす。

「裏から確認すんだぞォ」
「わかってる」
コールマンの言葉に短く応える。
先程保井自身が述べたように、今回が認識災害による事例だった場合、被害者は罹患してから直ぐに飛び降りた可能性がある。郵便物に異常性があった場合、被害者は異常を受けた直後、その郵便物をそのままテーブルの上に放置した可能性が高い。
つまり、異常が発現する面が上側、あるいは表になっている可能性が高いのだ。上から覗き込みながら郵便物を確認すれば、被害者の二の舞を演じてしまいかねない。被害者と同じ行動を取れば、それと同様の結末を辿るのは目に見えている。それは何としても避ける必要があった。

ピンセットで郵便物を捲り、郵便物の裏側を覗いていく保井。そして見つけた。宛名だけが書かれた開封済みの封筒だ。当然裏面にも記載されているはずの差出人の名前は無い。
保井はピンセットを封筒に押し付け、その感触から中身がまだ入っていることを確認すると、その事実をコールマンに報告する。それによってコールマンが直ぐさま黒い袋を取り出すと、保井は郵便物をピンセットで摘まみ上げ、慎重に袋の中へと収めた。

ほぼ同様の方法で、彼らは他の様々な物品をそれぞれ別の袋へ収め続けた。
寝室の棚の薬は、裏面を目視せず全てを棚から袋の中へと落とす。電球は割れないよう保護材で包んでから袋を被せる。押し入れの中はマンションに進入する際と同様の方法──入り口を開くのと同時に距離を取り、内部を二人で目視しながら軽く話を交わして互いの正常性を確認する方法──で調査した。
怪しいものは、全て持っていく。それからラボでじっくりと調べる。やる事は、実際のところ警察とそう変わりはない。だが細心の注意を払う必要があるのと同時に、何が怪しい存在であるのか、その基準は財団独自のものであった。

「怪しいものは大体確保したか?」
寝室の薬で一杯になった袋の口を縛りながら、保井が訊ねる。あとは、これらを回収部隊に引き渡し、現場を監視しながら回収物品検査の報告を待つだけである。

しかし、コールマンは一点を凝視していた。
その目つきに保井は見覚えがある。野生の獣が脅威を目の当たりにした際、その脅威を計ろうとする目つき。それはコールマンの直感が刺激されている証であった。
「どうした?」
認識災害によるものでは無いようだ。と言うより、物をかき分ける事無く視線を巡らせられる範囲内に認識災害が存在しないことはコールマン法により確認済みである。
ならば、彼は何かを見つけたか、あるいは気付いたのだ。

「保井よォ、対象が飛び降りた時刻って何時だったか?」
「検視報告によると0840時あたりだそうだ」
「あの目覚まし時計、0817で止まってるぜ」
保井がコールマンの視線の先を注視すると、そこには一つの古めかしいデザインの目覚まし時計があった。
時計の針は8時17分で停止しており、その上目覚ましのベルの起動時間を設定するための針は、明らかに7時半へと設定されていた。

「関連性があるかもな。回収するか」
「触らねェようになァ」
「わかってる」
保井は少しだけ目覚まし時計に接近すると、袋をふわりと広げるように投げた。袋は落下傘のように口を広げて落ち、目覚まし時計に被さる。保井はそれから袋の口を両端を掴んで左右に引っ張る事で閉じ、くるりと手首を返して、袋越しにですら目覚まし時計に触れる事無く目覚まし時計を袋の中へ落とし込んだ。

「よし、初期収容は完了だ。回収部隊に連絡するぞ、いいな?」
「ああ・・・初期なら、まァこんなもんだろ」
 
──こちらエージェント・保井 エージェント・コールマン。1521時を以て初期収容任務を完了とす。回収部隊への物品の引き継ぎの後、現場の保全と監視へと移行する。

終了報告書: 初期収容任務完了報告から7時間後、サイト-81██へと回収された目覚まし時計の異常性が確認され、SCPオブジェクト候補へと認定され研究が開始されました。
その20分後、エージェント・保井、エージェント・コールマンの両名に対して回収任務の終了が通達されました。両名は最終的な現場の確認調査を報告した後、現場からの異常性の喪失を報告し通常任務へと戻りました。

「良かったぞ、お前ら」
筋骨隆々の男が腕組みをしながら、にんまりと笑った。半裸の上に白衣を羽織った、奇妙な出で立ちであった。
シミュレーション用マンションルームの居間の椅子に腰掛けながら、保井とコールマンは苦笑いをした。保井は両耳に装着していたイヤホンを左耳だけ取り、コールマンは煙草を灰皿に押し付けた。

「嵐戸よォ、ガキンチョどもの手本になってやるなァいいけどよ・・・こいつァちと連中にゃ酷ってもんじゃねェのか?」
苦笑いを崩さずコールマンが遠慮なく意見を述べた。
「ま、確かにな・・・今時じゃ、大抵の場合はもっと本部からのバックアップが整ってるしな」
保井もそれに乗る。
それらに対して、嵐戸と呼ばれた覆面男はわざとらしく苦々しい表情を作ってみせた。その様子に対して、ますます保井とコールマンの苦笑いが強まる。

「訓練ってものは、あらゆる事態を想定していなければ意味が無いからな。実際今回のような事例が無かった訳でも無し。それにお前らは、それでもちゃんとやり切っただろう」
「それにしてもなァ、誤カバーストーリーにオブジェクトのミスリードに支援の不備に専門機材の不足にって、ちと詰め込み過ぎだろォ?」
「訓練に割ける時間も有限だからな。今こうしている間にも、ヒヨッコが成鳥としての働きをしなければならん事態が起こっているのだ」
「本当にひどい職場もあったもんだ」
最後の保井の呟きに、嵐戸の小さな笑いが漏れる。

「まぁ、だからこそこうやってお前たちに例を示してもらおうと思ったのだ。お前たちが上手くやってくれて本当に助かる。撮影した映像はしっかりと役に立ててやるから、それで勘弁してくれ」
「・・・ま、これで借りを返した、ということにしておくか」
「おいおい、命を助けた貸しをこんな事でチャラにされちゃたまらんぞ!」
豪快な笑いを放ちながら保井の肩をばしっと叩く嵐戸。保井は、左耳にイヤホンを着け直したい衝動に駆られた。
「まァそうだなァ、俺たちの姿を見て育ったヒヨッコどもに、まァた貸し作っちまわんとも限らんからなァ、今の内に若い芽は潰しておきてェよな保井ィ?」
保井はイヤホンを着け直した。静寂の世界が、彼の中に復活した。

補遺: エージェント・保井、エージェント・コールマンによる訓練映像は新人エージェント教育用教材A-14として分類されます。担当教官が本教材を使用する場合、物品管理課へ所定の手続きを行ってください。

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