ブラックウッド卿と不浄の地
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1875年 12月25日:

幾年に渡り至る所を探検してきたが……クリスマスのロンドンのように静謐とした世界を見たことはない。
透き通った冬の空には皆々が歌うクリスマスキャロルが響き、四望すれば同胞たちの目は博愛と平和の色に満ちていた。
私は早めの食事を終えた後、家政婦に休日を与え、午後は静かに追憶と計画のために過ごした──このクリスマスこそ、今私が置かれている壮大で輝かしい新たなる探検の芽生えだったのだ。

二夜前、私は紳士クラブのクリスマスパーティーに参加した。
食事は素晴らしく、浴びるほど飲めた。
私は何人かの仲間の博物学者と朝まで談話し明かした。
夜も更けようという時、私達の議論の話題は超自然へと向かった。
そしてウォレス先生1──名高い進化論の父であり著名な神秘学者──は、私に彼が最近聞いた出来事の中で最も並々ならぬ話を語ってくれた。
彼の同僚が最近レヴァントから帰ってきたのだが、尋常でない人工品アーティファクトを持ち帰ったのだという──それは小さな朱い円盤で、辰砂らしきもので神秘的な記号が掘られていたという。
彼は初期フェノキア文字、ないしはクレタ人の文字では無いだろうかと考えているとの事だった。
装置を放置しておくと、独りでに転がって、驚異的な速さになり、それが鏡面の物に映し出されるまで、行く先の壁を貫き何もかも破壊するのだという。
どれほど高速になろうとも容易く持ち上げられるのだ、と彼は主張した。
そして決まった様になるまで、眩く輝き、奇妙な色を示すのだという。
これが最も私の好奇心を惹いた。
次にウォレス先生が話は、さらに興味深いのだと解るのだ。

二ヶ月前のことだった、と彼は語った。
ウォレス先生の同僚のメイドは、ディスクが更衣鏡に向き合って置かれている部屋を掃除しているところだった。
そのメイドは物体の性質を知らなかった。
メイドは、真下の塵を払うのに、鏡が邪魔だったので鏡を上げた──すると、鏡が小波を立てたのですとメイドは言ったのだという。
そして奇妙な服を纏った男がすり抜け落ちてきた。
あたかも彼は崩れた壁に凭れかけていたかのように。
男は慌てふためいていて、じたばたしながら、意味の無い言葉を叫んでいた。
男が逃げ出す前に、メイドは彼を部屋に監禁し、警察を呼んだ。
男は絶叫を上げながら最初に現れた部屋に大急ぎに戻ろうとしていた所を、警察に連行された。
ウォレス先生の同僚は、はじめ彼を単なる泥棒だと考えていたのだが、全く怪しまれずに土地に侵入する方法は皆無であった。
そしてメイドが言う事の大部分は明瞭であった──彼は鏡からやってきたのだ。

私は天地創造に於いて、人、又は人に似た存在が存在し繁栄している世界が在るのかどうか長らく知りたいと思っていた。
だがその広大さが故に、我々の手の届く範囲には存在しないと長らく見なしていた。
ウォレス先生の言うことが真実ならば!そのような世界の一つに、このロンドンから旅立てるやも知れぬと云うことではないか!
私はウォレス先生に、暫くの間、同盟者(confederate)の名を暴露するよう嘆願した。
彼の友人のプライバシーを尊重するということから、彼は拒んだが、奇妙な侵入者については教えてくれた。
名前は”イジキイア・ベルソン(Izikaiah Belson)”、法廷で狂っていると宣告され、ベツレヘム精神病院入りと判決された。
そして、もしも私が望むのであれば、彼にその場所で会えるかもしれないと話してくれた。
新年がすぎれば、私はこの狂人を訪ねるつもりだ。

1876年 1月3日:

ベドラム──ベツレヘム精神病院──このような施設が我らの大国に存在することを許されているという事実が、我が国の誇りに傷をつけているのである。
仮に狂気に憑かれていない者がこの壁の内に入れば、この収容されている環境が彼を狂気へと貶めるだろう。
私は薄汚れた独房に詰められた、月に魅せられた狂人どもの目から、私の目を背けるべく最善を尽くした。
超満員の監房がポーターの如く、イジキイア・ベルソンと呼ばれている者のが監禁されている部屋の下へ、独り私を導くのであった。
ある精神科医の女は言った。
彼と会話を成し得た精神科医は居ません。
もし貴方がやって見れるものでしたら、大歓迎ですわ。
そこでは荒々しい獄卒が大きく古めかしいキーリングを持っていた。そして彼が牢の錠を開けると、私は牢の中へ招かれていった。
ベルソン氏は独り孤独に角に座っていた。
自己紹介をし、彼が何者で、何処から来たのか尋ねに来たという由を彼に伝えた。
はじめ彼は何も応えなかったが、そのうち顔を項垂れ、声を潜めてモガモガ言い出した。
注意して聞くと、彼の言葉遣いは英語に似ているが、これまでクイーンズコートで遣われてきた、あらゆる言葉遣いからかけ離れている事に気がついた。
数世紀は逸脱しているのではないかと思うぐらい歪な変わった言葉だったが、ローマ帝国の滅亡より進化してきた、種々のロマンス語2に似ていなくもない様であった。
彼が一連の文を3度繰り返して言っているのを、注意して立ちながら聞いた。
以下に示す。

よろしくそらにいてはるおんかたよ、おんこえをきかせておくれやす。
あんたさんはわしらのすがたをここでもここかしこでもみていなはる。
わしんつみをはらってぇや。おとっつぁん、わしんためにひとつなみだしたらせておくれやす。
おとっつぁんのおんおことばちじょうにおくっとくれやす。せいなるぎせい。

Hae who are bitwayn space, press'd is yir voce. Yi are watchen n' I yir vyss'l, here n' here n' there. Awaye wit' me sin, Vaader, n' shed for me yir sanggre weppin', n' I'll but do the word of the Vaaders b'low ye. S'beit.
(祈りの言葉であろうか。原文。かなりの不安がある訳。)

男のアクセントは聞きなれないものであった。
彼が3度目の暗唱をしている途中で、私は彼が祈ろうとしてるのでは無いのかと思いついた。
私は祈る者の姿は良く知っている。
彼が3度目の暗唱を終えた後、クイーンズイングリッシュで彼に繰り返した。
私の翻訳を聞く間、彼は黙り込んでいた。
そして最初彼が示した反応は、私が想像していたよりも辛辣であった。
おそらく彼は、私を”年上の老人の物言いだ”と非難したのであろうと思う。
私を罪深きものまたは魔女だと訴えたのであろう。
だが、ベストを尽くして私はそのどちらでもないと彼に確信させた……私は博物学者だ。
その言葉を聞いて、彼は幾分か落ち着きを取り戻したようだった。
とにかく、彼は私のことを恐れるのは止めた。
1、2時間の紆余曲折を経て、我々は英語と彼の方言のピジン語3を作ることに成功し談話出来るようになった。
やがて、驚異的であるが、全く相容れない世界から彼は来たのだという結論に達したのである。

ベルソン氏は”イライジャ降臨の地"という街("The City Where Elijah Fell")からやってきたと主張する。
そこは、何千万もの人が家と呼ぶ数千フィートもある塔が立ち並び、雑踏を時速数百マイルで四輪車が馬車馬なしで行き交う、ロンドンを凌駕するメトロポリスであると彼は言う。
それぞれの建物は電気で接続され、人々は図書館に含まれているすべての知識を得られる、世界の果ての景色や音を受信するための機械、他にも信じられない驚異的なものを所有しているのだという。
私は彼に世界地図を示し、その街が何処にあるのか尋ねたところ、彼はアメリカ西岸のフロリダ半島を指し示した。
彼が言うには、その街の偉大な塔の一つで働いていて、祈りの合間に、凭れかけていた壁が急に傾いたのだという。
壁が落ちていくようで、気がつくと妙な服を着た女性が私に対して叫び声を上げていたのだという話は、ウォレス先生の話を裏付けるものであった。

医者の一人から得た聖書を彼に見せて、彼がクリスチャンかどうか尋ねた。
私が主の祈りを復唱しているのに彼は後ずさりを示した。
そして彼はいった。
キリスト教なんぞ過ぎ去った老人どもの教えだ、再臨し(Second Coming)第三聖書(Third Testament)が与えられた時から全ては変わった。
キリスト教は異端だ。
最も憎むべき違法行為だ。
と公然に宣言した。
ベルソン氏が言うことから推測できるのは、彼の国では全世界の支配を主張するために、教会と国が共謀して、カンタベリーの大司教さえも国教制度廃止論(disestablishmentarianism)の提案者に仕立て上げるだろうということだ。
私は彼に、異端者が捉えられればどうなるのか尋ねると、彼は”聖なる涙(S'Tears)によって浄められる”、もし異端者が広がることに歯止めを掛けられなくなれば、”不浄(Unclean)”が訪れ、穢れ無き者にも邪な者にも破滅を齎す、と教えてくれた。

不浄について詳しく説明してくれないかと尋ねたが、ベルソン氏は拒否した。
語ることすら冒涜であると彼は力説し、名を言えば連中の注意を引くと言った。
私は彼に、ロンドン市民がこのことを聞いても、彼に危害を加える事は全くないと保証し、”不浄”が何であれ、その世界を探検することに一切の迷いなかった。
ベルソンは言葉震わせながら囁いた。
不浄とは悪魔であると。
洞穴のそこに隠れ住む異教徒の言うところの悪魔とは違い、その悪魔は地上を闊歩する。
それは巨大な化物で、佞悪醜穢ねいあくしゅうわいな肉体が与えられた悪逆非道の巨獣である。
それは世界の暗黒に蔓延り、その罪は世界を堕落させる。
そして世界は不毛の地に変わり、人は死に絶える。
神聖な十字軍戦士(crusaders)は、世界の終わりを訪れさせないために、それが解き放たれる事無く封印し、封印が解かれないよう全身全霊を注いでいるのだという。

医者が私に、夜も遅いから去らなければならないと伝えに来るまで、ベルソン氏の独房でベルソン氏がやって来た奇妙な世界のことについて、学び得られる限りのことを学んだ。
言語の事、文化の事、ファッションの事、その輝かしい街で名を明かすこと無く旅行するために必要なことをすべて聞いたのだ。
私はなんとか、従業員のデスクの前で、若い看護婦に甘言を弄し、ベルソン氏のファイルを見ることを許可させた。
そして、私は彼の逮捕につながる小競り合いがノッティングヒルのウェザー邸で起きたことを知った。
明日、彼の下を訪ね、この異世界の門となるディスクを購入する意図を述べるつもりだ。
私はこの未知の文明社会の探検を運営し、バートン卿4のメッカへの禁じられた旅に対抗するのだ。
出来る事なら、ベルソン氏の言う悪鬼羅刹の悪魔の一匹を我が犠牲にしてくれようと思うのだ。

1876年 1月9日:

ウェザー氏は私にディスクを売ることで、ディスクが処分でき安堵したらしい。
ディスクは渡された時、不気味な紫色に光っていた。
だが一旦手に取れば、その色味は消えて、緑がかった色調になった。
私はそれを持ち帰り、書斎の鏡の上に置いた。
すると鏡はたちまち水面のようになった。
想像していた物とは違い、風景は至って牧歌的なものであった。
遠くに農家が見え、その間には背の高い作物が実る耕された大地が見て取れた。
作物の合間で子どもたちが駆けまわり、地平線の彼方には、我々の地球上で建造されたあらゆる建築物よりも高い巨大な建築物のシルエットが見えた。
数日間鏡を観察して、数回、農民とその従業員たちの会話を近くで聞くことが出来た。
ベルソン氏のアクセントより不明瞭なものではなかったが、やはり異質な言語であるから、解読には苦労した。
従業員の衣服は、イングランドで着られている物と良く似ていた。
ベルソン氏が忠告するには、都市部のファッションは、ロンドンで見られる物とはかけ離れていて、どのみち、私の普段着はどの場所でも不適当であるという。
私はロンドン市警に赴き、警察管区巡査との暫しの交渉と、唸るほどの額の寄付の約束を取り付けて、ベルソン氏が我らの世界にやってきた時に着ていた服を入手した。
それはモーニングに似ていたのだが、私の目には些かフォーマルさを欠くように見て取れた。
ベストは無いし、ジャケットは地味に短く切られ、広い襟を持ち、ネクタイは細く、黒一色の色合いをしていた。
デーズ君に私に合うように仕立てさせて、それを都市に着いた時の荷物に詰め込んだ。

その土地の金は持っていないため、私は一人で旅をするつもりで荷物は軽く纏めた。
ベルソン氏が我らの世界にやってきた時、彼は財布もない素寒貧だった。
数日分の衣服とレーションを持って、最初は農作業着で入り、中央都市にたどり着くまではそれを着続けるつもりだ。
通貨と交換できることを期待して金と銀を持っていくことにした。(ベルソン氏は主要な取引方法は紙幣であると教えてくれた。)
隠し銃とミスターモスの武器を数点を荷物に加えた。
さらにコンパス、六分儀、懐中電灯、広範囲の地図帳、日誌、2、3の幸運のタリスマンを入れた。
異世界の日夜のサイクルは我々の世界より約8時間遅れている。
ここから推測するに、アメリカの西岸部に沿った何処かに位置するのだろう。
私の存在を農民に警戒されるのは不味い。
私は夜陰に乗じて、今晩、鏡を通りぬけ都市を目指そうと思う。
うまく行けば、学会や図書館を発見し、当地の歴史や文化を学べるだろう──不毛の地の場所を知り、不浄を観察できるだろう。

1876年 1月10日:

この世界には全く驚かされた。

この世界は実に温暖な世界なようだ。
私がこの世界に入った時、現地時間で深夜過ぎであったのにもかかわらず、気温は全く暖かなものだった。
星を読む限りでは、大体34度線に位置しているようだ。
これはこの地域でのカリフォルニアの位置と一致している。
ここは暗いのだが、南東には偉大なメトロポリスの眩い電灯が星の灯を掻き消さんばかりに輝く光彩陸離のパノラマが広がっていた。
遠くから大きなエンジンのような音が聞こえた。
降り立った農家の端のフェンスをよじ登らなければならないのを除いて、暗闇であろうが、容易く渡れる地形であった。

雑音の発信源に着いた時、私が見た光景は信じがたいものだった。
両端を頑丈な柵で覆われた広い舗装された道が、草原のいたるところに伸びていた。
それは見たことがないほど広く、16車線であることを示すストライプ模様が引かれ、その内の8車線は一方向に伸び、その他は別の方向へ伸びていた。
道全体が、ロンドン、ニューヨークのガス灯よりも眩い巨大な明かりに照らされ、その下では新聞すら快適に読める程であった。
夜も遅くであったが、驚愕の眼差しで(白状すると些か恐ろしさも感じていながら)行き交う内燃機関車を見ていた。
それは音を上げながら突進するボレ5の蒸気自動車よりも遥かに優れ、最上級の蒸気機関車、又は最も速い競走馬よりも高速であった。
時速100マイルは優に超え、少人数を運べるほどの小さなものもあれば、数トンもあろう貨物を牽く列車のようなものもあった。
車道に触れてさえいない、空気のクッションの上を滑空するようなものもあった。
人目につかないよう影で、私は道傍に座り込み、暫く思案せねばならなかった
幾度も文明の欠片も見いだせないような野蛮な種族に遭遇してきたが、見よ!
今、この私こそが考えることも絶望的な野蛮人ではないか。

私は道を渡る勇気を持ち合わせていなかった。
都市へ直行する道のようであったから、路肩にそって数時間歩いた。
暗闇の中、景色を説明するのは難しいのだが、郊外にたどり着くまで凡そ30マイルは有るように見えた。
居住区につくのは正午過ぎになるだろうと私は判断した。
いつかこの猛進する車両がコントロールを失って、傾きでもすれば大惨事だと思うと恐ろしいものだ。
この速度では一溜まりもなかろうと思った。
東の空は朝焼けに染まりつつあった。
すると、一台の車両が減速して私の隣に停まった。
ドアが開かれると、中から都市まで乗っていくことを希望するかどうかと尋ねられた。
見知らぬ人からの施しに頼るつもりはなかったのだが、車両を内部から調査したいと思い承諾した。

中央都市に聳える水晶のように透明な塔の内部にたどり着くまで、15分も経たたなかった。
ドライバーはベン・オ・カゼム(Ben O'Kazzem)と名乗った。
彼が私の職業は何かと聞いてきたので恐怖を偽ることに手一杯であった。
テオドア・スヮズロド(Teodor Swarzrod)(これはベルソン氏が教えてくれた彼の国での私の名前だ)と名乗り、近くの田園地で働く農場労働者で、家族の歴史を大図書館で調べてみようと思い立ち、一度も都会に行ったことがなかったので一度見学に行こうとしたのだと話した。
私は完全にその土地の訛りを習得していなかったため、お互いに理解するのには苦労したが、彼は単に私が”国訛り”しているだけだと見なしているようだったことが幸いで、困るような質問はされなかった。
都市の金融センターで降ろしてもらい、ドライブのお礼にと小さな金の塊(slugs)を差し出した。
単なる運転でそこまで貰う程でないと拒絶されたので代わりにと小さな銀の塊を差し出した。
彼はそれを受け取り、地方住まいでここまでの富を持っているなんて思わなかったと述べ、お釣りとして相当な金額の流通紙幣を提供してくれた。

この街が天使の栄華(Angelic Glory)と呼ばれているのを私は知っていた。
この街は、全世界の都市を優に越す広さを誇り、イギリス市民全て居住したとしても隣家が空いてしまうだろうと思う。
どんな都市でも忙しなさを抱えているが、この街にいたっては何処か根底に不安と自暴自棄が有るように見えるのだ。
ここにいる者は全て人と目を合わさず、同時に人を恐れ疑うようだ。
オ・カゼム氏が渡してくれた紙幣で、落ち着きのないカフェで、ロンドンの評判の良い店で食べられる朝食と僅かに違う食事を目一杯楽しんだ。
そしてセントジョンズ(St.George)という立派なホテルで食事を取れると知った。
私の部屋が79階に有ると聞いて一驚を喫した私を想像できるかね!?
オーチス氏6をも妬みで真っ青にするほどの電動リフト(エレベーター)は、私をありえない高さまでさっと運び、私といえばこの貪欲な巨人のように途方も無い街の風景を写しだす窓からつい目を背けてしまった。
この私の立つ塔に似たようなものは至る所に乱立している。
そのほとんどが我が視点の数百フィート上へ伸びていた。
私がやってきたものと寸分違わないハイウェイがこのメトロポリスを縦横に貫き、都市の境界に環形を成していた。
そして、小さな道と鉄道の大規模なネットワークが敷かれているのを一望した。
ホテルの案内人は市民図書館へまでの道順を教えてくれた──明日、私はそれを探しに行くつもりだ。
だが、その前にこのカーテンを閉じねば。
この有り得ない景色は私を圧倒し疲れさせる。

1876年 1月11日:

この大図書館で得た知識は、私のこの世界に対する自然観に光明を与えてくれた。
図書館は13階層に位置するが、天使の栄華の街では高所という程ではない。
だが、ロンドンのあらゆる教育機関の施設の高さを楽に超すだろう。
司書に歴史と地理学の本はどこで見つけられるかねと尋ねると、第9階層に案内してくれた。
そこで私は書に耽け勉学に励む一日を過ごした。
蔵書は今まで見たことない異様な活字で書かれていたが、なんとか一般の英字の文章のように読むことが出来た。

私の地図帳と、その世界の世界地図を比較してそれらが地理的に一致していることを確認し、私の現在地はカリフォルニアであると知った。
我らが世界と同様な土地に大都市が位置するのだが、どの都市名も一致しなかった。
ロンドンはウィンストンの立つ街(City of Winston's Stand)、江戸7はダビデの凱歌の街(City of David's Triumph)となっていた。
複数の異なる地方──例えば、子の和なす土地 (United Lands of the Son)、ハッファシア(Huffasia)、豊沃の土地(the Land Bountiful)──を指す名はあったのだが、国境は引かれていなかった。
唯一示されている境界は、緑で表された”祝福の地(Blessed Lands)”と赤で表された”不浄の地”の間に引かれてあった。
不浄の地は世界中に分布していたが斑点状であった──北米には…7箇所、欧州には4箇所、アフリカにいたっては多数、清国はほぼ全土が不浄の地に覆われていた。

この世界にも聖書が存在すると知った。
だがそれは、我々の持つ聖書とは違った。
1000頁以上あり、第一、第二、第三聖書と三巻に分けられていた。
第一、第二聖書については、旧約聖書と新約聖書に類似していたが、広範囲において"神"、”主”、”父”の名は"彼(Him)"と単純に置換されていた。
学校で教えられてきた聖書を思い出す限りでは、異常なまでに罪、不浄、浄化について強調されていた。

第三聖書は17世紀に書かれたようだ。
私は読む時間もなければ読む気乗りもしなかったので、再臨について触れている歴史書について言及する。
私の理解した範囲では、1621年以前の、歴史は言語や細かな相違を除いてよく似た経緯を辿っているが、米州の広範囲に渡る植民地化は数百年近く早く行われたようだ。
その年に、この世界で"彼"と呼ばれている存在を全世界は神と宣言した。
"彼(He)"はテクノロジーと医療の多大な進歩に貢献し、この先進的な文明に刺激を与えた。
そしてこの世の誰が最も"彼"を愛しているのかという問は、世界中に戦火をあげさせた。
"彼"が”彼の”子どもたちの勤めで成された建築物の荒廃を見た時、”彼”は涙を流した。
その涙に触れた者の罪は浄められ、その者は戦う意欲を失った。
それでも闘争をやめなかったものは罪と邪悪に焼かれた。
”彼”無しでは、その悪意は拡大され続け、いずれ不浄となる。
不浄とは、今日の不毛の地に潜み彷徨う忌々しい巨人である。
不浄は出逢ったものを、男であれ女であれ、はたまた動植物を問わず、その全ての生命を喰らい尽くし、喰らい尽くされた者は跡形も無く消え去り、吐出された罪の膿漿──イコル──だけを残す。
祝福されし市民兵(Blessed Militia)と知られている教団のエージェントは、土地を守るべく不浄を封じ込める絶え間ない戦いに明け暮れている。

やがて、子の和なす土地は、最も神聖な父(Most Holy Father)を頂点とした、神権政治の形態で世界支配を成し遂げた。
聖職者には十段階の階級があり、最も神聖な父から底辺は祝福された父(Blessed Fathers)であった。
この聖職階級は、教会のみならず、法廷、議会、そして政治執行力も持ち合わせていた。
司法制度はイギリスの法令に似ていたが、ローマ教会法に似た要素が含まれており、聖職者においてはその直接判決を免除されており、最も神聖な父のみ聖職者を批判することが出来た。
死刑の有無は不明であった──ただ重大な違法行為を犯したものは、涙(the Tears)(おそらく”彼”の流した涙の精製物)に浸す。
もし、試練に生き残ることが出来たのであれば罪の衝動が浄められるのだという。

運良く、この地域の近くの大体街から東に100マイルほどの砂漠に、不毛の地の一つが位置していた。
地図上でこの地帯に危険なまでに隣接する鉄道が引かれていることを見つけた。
興味深いことに、ほとんどの街から同様に不毛の地までの直通線が引かれていることに気がついた。
だが市民兵専用で見張りがついているため、近寄りがたい。
明日、私はこの境界まで列車で旅をして、可能な限り近寄るには、どのように出発すればいいのか調べる。
そして、この禁じられた土地に密入するかどうか決心する。
歴史書が全て真実を記すわけではない。
歴史書の一部は教会で作り出された聖人列伝にすぎないのだ。
だが私によって真実を解き明かされる日は近い。

1876年 1月14日:

ここ数日は私の人生の中でも、運に恵まれて数々の困難を回避出来た。
だが私でも天運尽きることが有るのだ。

不毛の地に踏み込むことには何の問題はなかった。
電車が暫く停車している間、私は電車から失敬させてもらい抜けだした。
そして日の傾く中、砂漠を2、3マイル歩いた。
この区域の境界部はフェンスに覆われていて、その中に目立った標識があった。

警告

不毛の地──不浄が存在

祝福されし市民兵以外立ち入りを禁ず

聖フランシスの凱歌の街地区高級神父
(By order of the Regional High Father, City of St. Francis' Triumph)

おそらく祝福されし市民兵は、何らかの方法で不浄を追跡し、不浄の越境を防いでいるのだろう。
だがその一方で私は、神と幸運に頼るより他ないのだ。

この場にやってきて数時間、我が嗅覚は不浄の気配を察知していた。
この土地にはペンペン草も生えていない。
流水もなければ糞鳶も飛ばぬ。
その死臭芬芬ふんぷんたる様は、瘴気漂うスコットランドの屠殺場、はたまた腐敗したガンジス川の岸よりもなお酷いものであった。
もう私は倒れ込み入りそうであったが、我が鋼の精神は、脚をその悪臭のより強い場所へ向かわせた。
私の安定崩壊マスケット銃をパックから取り出し、組み立て、準備した。
この探検に先立って、特別にミスター・モスに用意してもらった特別モデルだ。
通常モデルより遥かに優れた可能性を秘めているという。

峰に登り周りを見渡すとそれは居た。
私は咄嗟に退却した。
私はその化物が、男性大、又はそれを少し上回る程度だと想定していたのだ。
あの忌々しき奴は長さ五百フィートを軽く超え、体高は数十フィートあった。
奴はほとんど人間男性の姿をしていた……脚がないことを除いて。
奴は無貌で、無感動に虚空を見つめて居た。
2本の腕を伸縮させるように動き、その様はまるで巨木を砂漠から引き抜くようであった。
奴は全身に白人のような皮膚を持ち、その坦々たる皮膚に全く毛はなかった。
さらに放浪しながらも一切の音を立てなかった。
そして乾くこと無く褐色の膿漿を滲ませ続けていた。
これを肉塊で形作られた悪魔だと、この世界の人間が考えたのは当然であろう。
携えたこの重い安定崩壊装置でさえ、試すまでもなく、このサイズの化物を討つには力不足だ。

数時間観察を続けたが、奴はこの区域を万遍なく、そして漫然にのそりのそりと動くだけで、特に目的も指向性もなさそうだった。
この間に私はメモとスケッチをとった。
もう戻らないとならないな、と決心した時もう午後も遅い時間であった──夕暮れの直後に、境界の反対方向の傍を通る事になっている電車に乗り込み、都市へ戻ろうとしていたのだ。
だが私に運はなかった──私が身を隠していた峰から立ち上がった時、不浄は頭部をぐるりと私の方に向け、その延々と続けていた徘徊を止めたのだ。
どう言ったことか、目も耳も無いあの奴は私がここにいるということに気がついたのだ。
あの忌々しき奴は、口もないのに、数マイル先まで響くような、血も凍るほど恐ろしい唸り声を上げた。
あの化物は、樹の幹のような腕の一本を私の方へ伸ばし、引きずるように私の方へ向かってきた。
最早、迎え撃つより他はない。
マスケットを構え、奴の無愛想な面へ狙い澄まし、一撃を放った。

不浄の奴にはどこ吹く風で、我が銃口から放たれた電閃は敢え無く奴を通りぬけ、そして奴は空に消えた。
そして数秒、奴は私の眼の前に現れた。ああやんぬるかな。私は死ぬのだと確信した。
その化物は、私の頭上へ不気味に迫り、その巨大な腕に体を凭れさせつつ、私へ顔を寄せてきた。
思うに全身を貪ろうとしていたのだ。
その刹那、大量の怒声が聞こえ、巨大な破裂弾が不浄の顔を殴りつけ、爆発した。
その獣の顔に風穴が開き、私は不快に臭う褐色の膿漿を浴びた。
それでもなお、奴の傷口を塞ぐよりも早く、身体髪膚に渡り破裂弾の雨を打ち付けられた。
奴は躓き、私に向かって倒れて来たので、奴を急いで回避した。
同時に、化物は暗い色の服装をまとった集団に大砲を叩き込められた。
その集団の服装には以前ロンドンで見た、ディスクのシンボルがあった。
奴はその集団によろめきながらも近寄り、そして一人の兵士が丸呑みにされた。
男は蒸発し、服と武器だけが地面に落ちた。
奴は浴びせ続けられる弾幕にこれ以上の為す術がないのか、振り向き砂漠へ逃げていった。

私は、大型砲を備えた重装モーター車両の輸送車を見つけ、その方向から退却した。
走ろうとしたが、たちまち兵士に囲まれ、祝福された市民兵の名の下、捕らえられた。
市民兵は私に、あの愚かな追跡から生き延びられて幸運だったと言い、更に私は祝福されし声の法廷(the Court of Blessed Voices)で質疑されると伝えた。
だが事態は悪化した。
兵士が私のパックを漁り、私の幸運のチャーム──アレキサンドリアの総大司教から賜った黄金の十字架──を見つけたのだ。
兵士どもは私をすぐに異端者と認定した。
この場で銃殺すべしと言う兵士もいれば、取って返して不浄に貪り尽くさせるべきだという兵士もいた。
そして私は鋼鉄の手錠を掛けられ、連行された。
今や私は独房に勾留されている。
連中は未だこの日誌に気づいていないが、いずれ異端判決を受け、”涙”にこの身を置かれれば、日誌云々は問題ではなくなるだろう。

1876年 1月16日:

昨日、私は祝福されし声の法廷の前へ連れだされた。
気付くと、私はまるでスペイン宗教裁判の一場面にいるようだった。
私は祝福された市民兵に固められた被告人席に立ち、妙なローブを纏った三人の男に裁判官席から見下されていた。
上級裁判官は私に、異端、不毛の地への侵入、”涙”を浴びたことで告訴されていると通知し、更に私に抗弁、罪状認否を要求してきた。
私に弁護士は付けられ無かった。
そして、答弁した所で公平な裁判などというものは期待できないのだ。
罪状を認めでもすれば、涙だか奇怪な調合液で、私は”涙”に漬けられ、我が心は四散五裂するのだ。
ふと私はこの土地の法律が中世イングランドの法に類似していること思い出した。
更に、聖職者は裁判に掛けられない。
私は大博打を打った。
私は牧師だと主張し、更に聖職者においては与えられた権利、聖職者の特典(benefit of clergy)8があると主張した──それは、古の聖人の権利、聖書を読み取れることを証明し起訴を回避することだ。

裁判官は最も無神論的に懐疑的に(skeptical)この提案を受け止めた。
この国においてさえ、聖職者の特典は時代遅れの典礼だった。
なぜならば、今日において全く聖職者よりも遥かに多くの人々が識字することが出来るからである。
だが、連中の法のテキストを参照する限りではこの典礼は決して廃されていない。
私が望むならこの特典を適用することが出来ると教えられた。
だが、どのみち私の運命を左右するのは最も神聖な父であり、彼はこの法廷より寛大ではないという。
私は時間を稼ぐより他に望まず、そして同意した。

私は3節読まされると決められた。
この世界の変哲な聖書が私の前に置かれ、第三聖書が開かれた。
そして、エドワード7:22と呼ばれる節を読めるかと尋ねられた。
これまで通り、奇怪なこの世界の言語は、私には明瞭であった。
そして、私は読んだ。

其れでも罪は無し、彼と彼の天使に罪は無し。
何処で如何なる心に秘めたる悪が露見しようとも、何処を不浄が間を行こうとも。

(Be free of sin, therefore, as He and His angels are free of sin; for wherever evil transpires in the hearts of men, the Unclean walk among us.)

次に第一聖書が開かれ、そして賛美歌23:4を読むように尋ねられた。
何年も前にチャペルで学んだものと、さっぱり似ていなかったが、私ははっきり正確に読んだ。

貴方が常に見つめて下さるから、不浄が地を歩けども、私は悪を恐れません。
貴方の声と眼差しが私を守ってくれるから。

(Though I walk in the land of the Unclean, I will fear no evil, for you are always watching; your voice and your sight protect me.)

裁判官が本を閉じ、自身を証明するために空で第三の節を暗誦せねばならないと宣告された時、私は動揺した。
私は第二聖書から、マタイ5:38-39を復唱するように要求された。
私は欽定訳聖書(ジェイムズ王訳)での節は十分に知っていたが、それがこの世界で示されているか、この妙な信仰に十分であるかどうか知る術はなかった。
最後の審判が我が身に忍び寄ってくるような心境で、それでも成し得る限りを尽くさねばと決断し、私は目蓋を閉じて私の知る節を暗唱した。

「目には目を、齒(は)には齒を」と云へることあるを汝ら聞けり。
されど我は汝らに告ぐ、惡(あ)しき者ものに抵抗(てむか)ふな。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。

(Ye have heard that it hath been said, An eye for an eye, and a tooth for a tooth: But I say unto you, That ye resist not evil: but whosoever shall smite thee on thy right cheek, turn to him the other also.)

最初、裁判官は私の朗読に応じなかった。
連中は席に戻り、暫くの間討議をしていた所、一人の裁判官が席を外した。
そして何とも古びた本を持ってきて、それを分析しつつ更に協議を重ねた。
もし私の暗唱した一節がこの世界の原本の形式ならば、私の告訴は確定するのではないかと考えていた所、私の拘束は解かれ、裁判長に従い裁判官執務室に来るように命じられた。

立派な黒檀製の豪壮な机に座し、裁判長は私に再来以前の古代の聖書に、私が問われ暗唱した一節が存在したと知らせた。
その古いテキストは市民には禁じられていた。
異端宗派でさえも、現代版で間に合わせていたほどであった。
知られている唯一の複製版は、教父が個人研究用に所有していた物だ。
この街で調査されている限りでは、唯一の古代の聖書で、今日、彼は50年間以上門外不出の聖書を調べたのだ。
それにも関わらず、私はその一節を暗記していた。
彼は従って、明らかに私は少なくとも聖なる父(Holy Father)──この聖職階級において第三位の階級──であり、聖なる父は或る目的のために、変名を用いて彼らの国を旅するのだと言った。
彼の唯の祝福されし声の身分で私を服従させる強いる力が無いのだとしても、彼は私に何故やってきたのか、そして不浄に無意味であったとしても、異教徒の十字架と奇妙な武器を用いて何をしていたのか尋ねさせて欲しいと言った。

私は機会を得た。
そして、私はこの機会を巧みに利用することに決めた。
私は祝福されし声に言った。
私は協会の科学調査部の上級メンバーである。
不浄の鎮圧、更に駆除するための武器を改善する開発に関する試験を指揮しているのだと。
この安定崩壊マスケット銃は、組織サンプルに対する試験に於いては有効な兆しがあった故、現地での試験のために私は派遣されたのだと。
生憎にも、私は約束を果たせなかった。
これの持つ可能性を引き出すためにも、更なる洗練が必要であると。
そしてこの十字架は、異教の聖職の反逆罪を白日の下に晒した際に奪い取った戦利品に過ぎないと主張した。

驚いた事に、祝福されし声は私の説明に対して一切の質問をしなかった。
この国における権威に対する畏敬は余りにも大きく、彼の高級な位でも、推測程度で私を非難するに十分ではないのだと推測する。
会議の終了までに、私は彼に不毛の地の端部に位置する祝福されし市民兵基地の研究施設に立入る権利を提供された。
私は彼の提案を承諾した。
そして今日、私は子供のおもちゃのように見える私の私有地に建造された調査施設にいる。
科学者が望むあらゆる器具が設備されていた。
その中には私が一体どういう目的で造られたのか理解していないものさえ有る。
化学薬品が満杯に貯蔵されており、不浄から獲得した組織サンプルもある。
不浄の排出した膿漿のサンプルに、様々な医学的栄養剤に流体、主の涙(Lord's Tears)と呼ばれる向精神作用性物質も含まれていた。

基地内の個人営舎と広い寝台が与えられた──ホールを通る時、彼らは私から目を背け、私が部屋に入れば会話が止むことが気になるが……
私が彼らの生命を左右する力を有していると信じているのだろう──少なくとも今のところは、この概念を解こうという努力はしない。
いつか気が付くだろう。
だが、彼らが機材とサンプルを提供してくれる限り、連中に真の攻撃を与える正真正銘の兵器を製造するための、不浄の性質に関する十分な知識を得られるのだ。
デーズ君がここに居れば──少なくとも有能な研究助手は居るが。

1876年 2月27日:

今日、我が調査に恐るべき進展があった。
この世界の上級幹部でさえその真実を知っているのだろうか──だが、この異世界の異教徒がこれ程までに素早くこの事実を見つけ出すことが出来たのだから、その一部は間違い無く知っている──そして、その宗教上の偽りを隠すために労を厭わないのだ。

不浄と呼ばれる存在は悪魔でも無ければ、人の罪の結晶でもない。
吐き気を催す程の肥大化した人の変異なのである。
鍵は"涙"だ。
その化合物の真の由来、そしてそれが何処から齎されたのか知らないが、これは単なる洗脳の道具以上のものだ。
十分な濃度の下に人の肉体が曝された時、それは変化を起こす──原子間の結合が剥離し、そして、齎される他の全ての生命を吸収し組み込む、変異性と弾力性の有る物になるのだ。
一つの変異体は二つになり、そして三、四となっていく。
変異体は肥大していき、人間から掛け離れていく。
そしていずれ不浄になるのだ。

どのような方法でこの化物が最初に造られたのか分からなかった。
もし教父が武器として作ったのならば、彼らの意にそぐわない背教者の国に浴びさせられたのでは無いのか?
恐らくは、連中は未だにその様な理由でこれを運用しているのではないのだろうか──私は不浄に攻撃を受けた都市、地方についての膨大な歴史のレポートを読んできたが、彼らは突然に土地が不浄の地に変わり土地を追われている、如何なる時も、土地の感情に教会に対する反発が現れた時だ。
今でも連中は支配をより盤石にするために毎年、何百万もの人を"涙"に投げ入れている──一部は間違い無く変異し、結果として新たな憎悪の基盤となるのだ。
不毛の地への直通の鉄道があったことも何ら不思議はない──変わり切った者を処分する必要があるからだ。
不浄を恐怖の武器として、より強大に、より脅迫的にする為に何人もの人が故意に犠牲にされたというのか。

この悍ましいニュースが知れ渡った日には一体どうなるというのか分からない。
教会の長老は何人の異教徒を"涙"に投げ入れるのだ?
市民の力という脅威を鎮圧するために幾つの都市が不浄によって失われるというのだ?
反乱をいつまで管理できるというのだ?
どれ程の数の不浄になる前の変異体を抱えて、この連中の膝に置かれたこの社会を制御出来るというのだ?
私はこのことを考え戦慄した。

しかし、恐怖に意外な新事実が来た。
不浄は、人々が他者の思想を同化する事を可能にするために、"涙"を用いられた事によって生じた。
この結びつきを薄める混合物が生産できると有らば、どうだろうか?
私は、哀れな魂で成り立った"涙"に対処できる、相違なる"涙"を生産できると考えている。
私はこの世界の人々に試す義務を負うのだ。

1876年 3月20日:

生涯私はこの日を忘れないだろう。
何週間にも及ぶ研究の末、私はついに武器を作成できた。
それは血清であり、少なからぬ誇りを持って"ブラックウッドの涙(Blackwood's Tears)"と名づけた。
不浄の繊維サンプルにおける実験においては、見事にその組織を分解させたのだ。
市民兵の用いるこの一つの洗練され尽くした連発銃を調査するのに数日かかった。
だが私はこれを改造し、銃弾をブラックウッドの涙で満たされた注入装置にした。
衝撃を受ければ、圧力が突入機を作動させ、標的に直接血清を注入するのだ。
数百発の血清を製造し、それぞれ弾倉に装填した。
私の計算が正しければ、不浄の奴を一体破壊するには2、3ダース有れば十分だ。

昨日私は市民兵の大佐と話をした。
彼こそが、教父の宣言するところの"救い難き罪深きもの(uncurably sinful)"を乗せるために不毛の地へと繋がる鉄道を確立した男だ。
だが彼とてその悪名高い言葉の真の意味を知らないのである。
彼が言うには、各々の車両には不浄を誘い込むために、非常に洗練された"涙"の小瓶が積み込まれているのだという。
このように、不治の病人は処分された。
そして不浄があまり遠くに彷徨い行かない様にされていたのだ。
私は、今朝に空の電車を出すよう手配をした。
電車には、私自身と我が武器と精錬された"涙"以外積み込まない。
出発の前、私は彼に調査結果を渡し、すべて読むよう約束付けた。
この書類には、この知識が世に知れ渡った暁には何が起こるのかという私の見解と、その知識が暴露された時にブラックウッドの涙を世界中で製造することを確かめる由のことが書かれている。
電車が離れるとき彼は頷いた。
無言の中に彼の同意があった。

正午少し前、砂漠の中央にある行き止まりに電車は停車した。
不浄の悪臭が空に満ち始めてきた為、私は武器を用意し、車外のブラインドで不浄を待ち構えていた。
あの忌々しき奴が近づいてくるのが見えた。
私は武器上部に備え付けられた非常に洗練されたスコープを覗き、初弾を放った。

不浄は想像及ばない憤怒の叫びを上げた。
私は武器を落としかけ、更に苦痛に倒れた。
私の見た範囲では、化物は蹌踉めき、元よりも2、3フィート縮まる様であった。
私はもう一弾放った、そして頭部の一部を抉った。
だが視界には私の元に来つつある奴の姿があった。
数発打って、私は走らざるをえなくなった。
飛び散った肉はさながら泥道のようになり、化物は私の下にそれを引きずりながら迫り来るようであった。
奴の絶叫は耳にも届かぬ狂気を伴って空を劈いた。
私は闇雲に走った。
そして時折、振り向き奴を撃ち、弾倉を取り替えた。
嗚呼何ということだ、私は周りよりもあの化物に注意を注ぎすぎた。
気づけば私は袋の中の鼠である。
振り向いて撃つにも、やんぬるかな、銃は目詰まり塞がっていた。

不浄は前見た時の半分程度になっていた。
私が荒れ狂いながら目詰まりを解消しようとする中で、不浄はゆっくり、それでも容赦なく己を引きずりながら私の方へ来た。
私の頭上へまで迫り、奴は叫んだ。
その傷ついた有様でも、それでも、先程よりは人間的であった。
その巨人の肌の隈なくに、異なった顔を見る様であった。
各々は怒涛の音吐を上げ、悶絶躄地もんぜつびゃくじの何百の声が反響していた。
私がなおも目詰まりを解消しようとする間、奴は私に押し迫りはじめた。
嗚呼、私は彼らの終わりのない地獄に落とされた魂の一員に加えられるのだ。
だが私の足元までその巨大な頭を近づけた時、それはふと止まった。
不浄は私を前にして動かなかった。
目詰まりさえ解消すれば、もう私はいつでも止めを刺すことが出来た。
数秒の後、私の武器は発射できる準備ができた。
私は理解した──不浄は永遠の混乱と苦痛に苛まれる呪われた魂の混汞であり、彼らは永遠に許されることのない解放を求め彷徨っていたのだ。
私の前にあるモノは死にたかったのだ。
私は武器の狙いを定め、目蓋を閉じて、弾倉をその顔の無い貌に注いだ。
奴は最期の悲鳴を上げ、事切れた。
砂漠の全体にその反響が響き、やがて消えた。

再び目を開ければ、眼前に大虐殺の光景が広がっていた。
不浄自身ではない、その兆しはなかった。
何百人もの、男性女性子供が裸で、生まれた日のままの姿で、この砂漠の平野に死に絶え、死に逝きつつ、横たわっていた。
その合間を私は歩きながら、老いも若きも見た。
臨終、断末摩に空気を求め喘いでいた。
何の為でなく、忽ちに死に絶えるまその時まで続けていた。
群衆の中で私が見た顔があった──それは、私の生命を救ってくれた祝福された市民兵の兵士、少なくともその時はそう思えた。
私が見守るその死に逝く男は、私と目が合って、こう言った。

おおきに。

1月に計画していた方向に合わせて、私は西へ向かった。
そして、天使の栄華の街に行く電車に乗り込んだ。
早く、不毛の地の光景が我が背後へ過ぎ去るほうが、私の正気を保つのにいいのだ。

1876年3月23日:

夜が明ける前に私は鏡を抜けて、真昼のロンドンの我が書斎に到着した。
私は、この出入口がまだ作用していることに感謝した。
ここまでの長旅では、予期せずディスクが作用を辞めたり、鏡の前からディスクが取り除かれているかもしれないと恐れていた。
即座に鏡の前からディスクを取り除き、地に置くと、ディスクは独りでに鏡に戻って、鏡に密着した。
しかし、人によって鏡の前に置かれない限り、鏡は鏡のままであった。
この出入口とそこに住まう恐怖は、今の所は、封印された。

もう私は二度とあの世界を旅する気にはならない。
不浄は十分に極悪非道であった。
だがそれは明らかに皮肉であった。
あの土地に存在する最も異質で恐ろしい物は人そのものであった。
あの世界の主導者は、彼らの恐怖政治を恒久化させるために、初めに不浄を作り出し、不浄の存在を許し続けてきた。
この世界では、私の持ち帰ったブラックウッドの涙そして銃は、殆ど役に立つまい。
だが、私はこれらをこの世界の我が家に保管する。
もしこの地球に”涙”が齎された日には、この合成物は大いに有用であるからだ。

私は今日再び、ベドラムのベルソン氏の下を尋ねた。
彼の世界での私の探検談を語り(だが、そこで私が知ったことは私の心の中だけに留めた)、そして彼が望むなら、彼の元居た世界に戻す方法があると伝えた。
彼は断った。
忽然と消え去り、ここまで長く失踪したのであれば、彼は間違いなく大きな疑いをかけられ、恐らくは涙の下へ入れられるだろうと言う。
それこそが、人の最も望まない運命であると言った。
私は獄卒に、彼の保証人となって彼を開放すると約束した。
彼に、自由になった時、もし望むのであれば地位を用意してあると伝えた。
我が家のスタッフである。

デーズ君は私の平行世界の大冒険の話に魅了されていた。
そして私がこの体験記を発表すると示唆すると彼はこう言った。
しかしながら、一体誰が鏡を抜けた先の世界と、巨大な恐怖の様な空想じみた物語を信じましょうか?
それならば、労働階級の間で人気があると聞く、ペニー・ジャーナルにフィクションとして掲載したほうがよろしいかと。
それが真実であろうと無かろうと、とても心を沸く旅行談(yarn)になると思いますかと。

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