初期収容手順-その女、国頭-
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「君、コレをどう思うかね?」
その声に怪訝そうに顔をあげた女は、白衣が基本の研究者という仕事には似つかわしくなく流行のニーハイブーツに香水の匂いを漂わせていた。
そして手渡された顕微鏡写真と老人とを二度見した。
「は?なにこれ?」
「言っておくが、冗談でもなければトリックでも無いんだ。これはある所かから送られてきた血液サンプルなんだ」
「ITSですか、日村博士?」
「ご名答。めちゃくちゃな検査数値が出て、困り果ててうちに調査を依頼してきたというわけだ」

ヒムラ・ケミカルリサーチセンターは民間の研究施設で創薬や医療開発などの支援、調査を行う企業だ。
最新の検査機器を揃えており、保険会社やベンチャー企業などを主な顧客としている。
とある企業の社員の健康診断時に採血されたサンプルに異常が見つかったのだ。

「これが何に見えるか率直な意見を聞きたい。」
と、疲れきった様子の白衣の老人が問う。彼はこの研究所の所長でもある。
「んー、水族館?」
「全く、一体なんなんだこれは。あまりにも不可解だ!こんなもの、こんな、この世には…」
「この世にあってはならないもの」
「そうだとも、あり得ない事だ!だが確かに存在している。もしコレを発表したら一体どうなると思う?」
「さぁ…、少なくとも、このサンプルの持ち主は平和な暮らしをできないでしょうね」
女の発言に老人はハッとした。そして自らの胸に手を当て、悔いた。
目の前に居る若い女研究者は科学者として以前に大切な、いや科学者だからこそ大切にせなばならないものを老博士に気付かせた。
「そうだな、全く君の言う通りだ。これは慎重に扱うとしよう。」
女は軽く肩をすくめて退出し、サンプルは老博士の手でキーパッド付きの保管庫に入れられた。

そこに清掃員の姿があった。ブラインドの僅かな隙間、一人保管庫のキーを操作する老人を注視している。
「こちらTKO-F-5623J。要調査事象を報告。……了解、レポートを」
「何してるのあなた?」
清掃員の肩に突然手が置かれ、声をかけられた。男は反射的に身を返し向き直る、そこには訝しげに身構える女の姿。
先程まで日村老人と話していた女研究員だ。
「い、いえ何も…」
清掃員は冷静に目を伏せ、そして立ち去った。
「何よあいつ」

「どうしたんですか国頭さん」
そこに声をかけたのは、研究職という割には体格のよい男だ。
「ねぇ坂本君、あの清掃員の人見たことある?なんか妙だったんだけど」
「え、いやぁ流石にそこまで覚えてないですよ」
「産業スパイってやつかも、なんか変だから注意した方がいいかもしれない」
「うちみたいな貧乏企業に、スパイとかありえないんじゃないですかぁ?」
肩をすくめて笑う坂本の背後から聞こえる咳払いに、男はわざとらしく背筋をただした。
「あー、そういえば、国頭さんの論文読みましたよ、新型微生物を利用したバイオミネラリゼーションの利用探索、でしたっけ」
「まだ途中よ」
「でも日村博士にも読んでもらったんですよね?褒めてましたよ。これなら博士号は確実だろうなって」
「あら、初耳ね。」
「そうなんです?所でさっき博士と話してたのってなんなんです?」
「大したことじゃないわ、血中に変なものが見つかったの、ほらコレ持って」
「変なものって」
しかし坂本の言葉を遮るように、大量の紙が詰まったバスケットを手渡す。
坂本は重さに小さくうめきつつ何とかバランスを保とうとよろめいた、3、40Kgはありそうだ。
「ほんとに凄い馬力だな、どうやったらそんな怪力が?」
「カラテよ」
「カラテ?」
坂本はバスケットを二つまとめて持ち上げる国頭をあきれたような顔で見送った。


「勘の尖そうな女だ… 用心すべきだな… 」
男はそうひとりごち、PHSを取り出し、ダイヤルする。
電話の先は、そう、「財団」だ。


大学院に通う傍ら、研究所でアルバイトをする国頭は仕事を終えたその足でジムで体を動かし、さらに空手道場へ向かった。
空手の指導員でもある彼女はそこで子供たちに空手の手ほどきをし、型の確認をし、
組手で数人の男子選手を叩きのめしてから家路に着くのだった。

暗い夜道、いつものように職場である研究所の近くを通って行く。
そこに見慣れない二台のハイエースがアイドリングしたまま研究所の前に止まっているのが見えた。
それは動物的な勘だった。何かが起こっている、そう直感した彼女はまっすぐにハイエースの運転席に向って歩き出す。
しかしそれを察知したか、二台の車はタイヤを切りつけながら逃げるように走り去る。いや、実際に逃げ出したのだろう。
「あいつ……」
だが女は確かにそれを見た。あの運転席に座っていた男。帽子を目深に被っていたが間違いない、あの時の清掃員だ。
南国育ちの彼女は子供の頃、いつも海へ行き、水平線の先に浮かぶ船を見て、自分の父親の乗る船を識別していた。視力には自信がある。
国頭は二つ折りの携帯電話を開いた。


「一体、どこの誰がこんなことを…… どうするつもりなんだこんなものを」
ヒムラ・ケミカルリサーチセンターには数人の警察が現場検証を行っていた。その傍らには国頭を含むスタッフ達が落胆に肩を落としていた。
研究所内部は荒らされ、幾つもの研究機器や資料が失われていた。物的被害は保険でなんとかなるだろう、だが最も重要な信用はそうではない。
小さな民間の研究所にとって、顧客の信用はどんな高価な機器よりも大事なものだ。
「施錠もしっかりしていたし、センサーだって…… くそっ!金目のものなんか無いだろう!」
一人憤る老博士の肩に手を置いたの国頭だ。
「博士」
「国頭くん?」
「あのサンプル、きっとあれが目的よ。他のは偽装とかそんなものだと思うわ」
「あれか?しかし何のために?そもそもあれを知ってるのは何人も居ないぞ」
「見たのよ、今朝見た清掃員が、研究所の前に車を止めていたの。絶対あいつよ」
「警察には話したのか?」
「もちろん、話した。それで博士、あのサンプルの出処……知ってるんでしょう?」
老博士は眉根を寄せ、国頭を二度見した。

「それを知ってどうする?警察に任せればいいだろう」
「嫌な予感がするの、警察は何かあってからしか動かないわ」
「気は確かか?何があると思ってるのだ、誰かがあれの持ち主を襲うとでも?」
「そうよ。別に何もしない、警告してあげたいだけよ。無事が確認できたら帰るわよ」
老博士は大きくため息を付き、首を左右に振った。こうなった時の国頭は絶対に引かない事を知っていた。
「問い合わせてやろう。だがおかしな事は絶対にするんじゃないぞ」

二人のやり取りを見ていた男がそっと国頭に声をかける。
「あー、国頭さん?」
「何よ」
「その、まぁなんとなく聞いていたんだけど…… 僕も一緒にいきましょうか?」
「助かるわ」
坂本はその答えに意外そうに肩を竦めた。
「本当よ。それじゃ、少し仮眠とってから行きましょ」
「準備できたら僕のPHSに連絡くださいね」
真夜中に起きた事件に、研究所のほとんどのスタッフは徹夜で事にあたっていたのだった。


数時間後、二人は電車をいくつか乗り継ぎ、東京郊外の住宅地へとたどり着いた。
古いアパートが軒を連ねる、下町風情に溢れた地域だ。
教えられた住所を頼りに付近を捜すも、住宅地はよそ者を阻むかのように入り組み、人影も無い有様だった。
「二手に分かれましょう国頭さん、僕はあっちを探します」
「わかった、見つけたらすぐ携帯入れて」
そうして分かれて捜索を開始した直後に、国頭は二人組みの警官に声をかけられた。
「こんにちは。何かお探しですか?」
「丁度良かったわ。この住所なんだけど、どこにあるかわかるかしら?」
「ええと・・・ああ、これなら直ぐそこですが… すいませんが何か身分証はありますか?」
「はぁ?何いってんのよあんた。私がなんか怪しく見えるっていうの?」
「ああ、いえ、そういうわけではないのですが、最近この辺りに不審者が出ていて……」
「で、私がその不審者だとでも?私は今日、生まれて初めてここに来たのよ。国民に奉仕するのが仕事でしょ、さっさと案内してよ!」
女の剣幕に押されたのか二人の警官はたじろぐがそれでもなだめすかせようと食い下がる。
その時だ。

国頭の正面を塞ぐ警官の背後に急ブレーキをかけて一台のミニバンが止まる。慌しく助手席から降りた男に国頭は叫んだ。
「あいつ!泥棒よ!!」
男は以前に見たあの清掃員に間違いなかった。今は上下ジャージ姿だが。
怪訝な顔で警官二人が向き直るもミニバンから出てきた数人の男たちは意に介する様子もなくアパートの一室に向かっていった。
「おい、君たち待ちなさい。少し話を……」
そう呼びかけつつ近づいた警官の1人をバンから出た男が突如殴りかかり、蹴り倒した。
躊躇の無い、狙いすました一撃だった。もう1人の警官も叫びながら近寄るがさらに現れた男に羽交い絞めにされてしまった。
一体何が起こっているのかわからなかった。とれる選択肢は逃げる事だ。
いや、もう一つある。こいつらが何者かは知らないし、関係も無い。だが、きっとそれはあの血液サンプルとその持ち主に拘ることだ。
「さぁ…、少なくとも、このサンプルの持ち主は平和な暮らしをできないでしょうね」
自分の言葉が頭をよぎった。目の前には倒れ伏し、気を失った警官。
国頭は走り出した。男も国頭に向き直るも困惑を隠せない表情だ。
「おい、一体何を」
言いかける男を無視して顎に向け右の掌を突き出す。しかし男は顔を逸らしてこれをかわした。
そこらのチンピラなんかじゃない。少なくとも何かの格闘技を見に着けているのは間違いない。
すぐに国頭が切り返して左でボディに一撃を加える。突き出された掌で視界は塞がれ、反応が鈍い。
しかし顔をしかめたのは国頭の方だった。「こいつ、何か着けてる?」拳に伝わる硬い感触。
男は服の下に防弾チョッキを着込んでいた。繊維で出来た薄手のタイプだがそれでも革ジャケット数枚分の強度がある。
激昂した男は国頭に掴みかかる。女は逆に迫る男の力を利用してその場に男を引き倒した。
二人はもつれるように地面に倒れた。そのすぐ傍にはいまだ意識を失ったままの警官。
男は国頭の首元を掴み、力任せに地面に押し付ける。いくら鍛えているといってもこのウエイト差はいかんともしがたい。
だが突然、顔面に受けた衝撃に男は苦悶した。いつの間にか国頭の手には重さ290グラムの金属の塊が握られていた。
警察官の腰から抜き取った特殊警棒だ。
警棒の柄で数発、こめかみを打つとたまらず男は体を離した。そしてうめきつつ目を開けた男の目には金属を鳴らして振り出した警棒を構える女の姿。
人間には二種類いる。他人の頭に硬い金属の棒を思い切り振りかざせる人間とそうでない人間だ。
普通は暴力を働く事に本能的に嫌悪感を持つものだ。だが女は前者だった。
がつりと鈍い音が響き、軽合金製の警棒がひしゃげる。
服をあちこち擦り切れさせた女は正面に迫るもう一人の男を睨みつけた。


「ちょ、ちょっと!や、やめて、やめてください!こんな、警察がすぐに来ますよ!」
「ああ、そいつは困るな。だからさっさと外に出て車に乗れ」
上下ジャージ姿の男は拳銃を構え、涙目の若い青年を威嚇していた。
哀れな青年はアニメキャラのプリントされたTシャツにボクサーパンツの姿のまま、身を守るように引きっぱなしの布団を抱えていた。
「手間かけさせるなよ。とにかくすぐに車に乗れ。以降は俺の指示に従うんだ、わかるか?」
「は、はいっ!」
青年が這うように玄関に向かって行こうとした所にドアが開く。
そこに立っていたのは鬼の形相で拳を握る、返り血にまみれた女。
青年は恐怖にたじろぎ、反射的にドアから離れた。
「なんなんだお前」
「あんたこそなんなのよ、うちの研究所からサンプルとデータを盗んで、この人までさらうつもり!?」
男は髪をかきむしり、心底面倒そうな顔で拳銃を国頭に向けた。
「どうでもいいからどくんだ、撃ちたくない。お前一体なんなんだよ、あの二人をのしたのか?くそ、めんどくせえ」
男は引き金を引いた。火薬の弾ける、乾いた音。TVやアニメのそれと違って酷く安っぽい音だ。
銃弾は玄関付近に置かれていた電子レンジを粉砕し、その後ろの壁にまでめり込んだ。
「わかったか、こいつは引き金を引くと人が殺せる道具なんだ。わかったらさっさとそこをどけ」
「ひ、ひぃぃっ!う、撃った!ほんとに撃った!」
「黙ってろ」
反射的に両手を挙げて震える青年を冷たく一瞥すると再び女に向けて拳銃を構えた。
「今度は当るぞ、足を撃ち抜いてやる。変に動かないほうがいいぞ、やばい所に当たるかもしれないからな」
「私は絶対にどかないわよ」
「好きにしろ」
男が狙いを定め、ゆっくりと引き金に力を入れようとした時、背後の気配に気付いた。だが遅かった。
「おっと動くなよ。お前は何者かは知ってる、さっさと銃を捨てろ。」
背後から現れたのは坂本だった、しかも拳銃を構えている。彼はいつの間にか部屋の後ろから侵入し、男に近寄っていた。国頭もそれを知っていたのだ。
観念した男は銃をその場に置いた。勝負ありだ。
「国頭さん、申し訳ないがその拳銃をこっちによこしてくれ」
「坂本、あんた警察だったの?」
「あー、まぁそんな所さ。詳しいことはあとでゆっくり話そう。とりあえず、外へ出て場所を変えよう。」
「ぼ、僕も……ですか?」
「もちろんだ」

四人が外に出るとそこにはすでに数台の車が止まっており、警官も彼らを襲った男たちの姿もなかった。
おそらく、車の中に押し込められているのだろう。にしてもなんて早業だろうか。
「さ、早く車に乗ってくれ。申し訳ないが嫌だと言っても乗ってもらうけどね」
「は、人攫いをやっつけたと思ったら、今度は別の人攫いってわけ?」
「まぁそんなとこさ。一応言っておくが危害を加えたりしないことは約束するよ。」 
「で、あいつらは何なの?警官は?」
「あいつらはまぁ商売敵って所さ。警官は……あれは本物じゃない。君を足止めしておいて俺が彼を連れ出す予定だったんだが……情報漏れがあったようだ。本当はもっと慎重にやりたかったが邪魔が入った」
「偽者ですって?一体あんたたちなんなのよ!」
「財団さ」
「財団?なんのよ」 
「ただの財団だ。詳しいことは後で話す。……君は見込みがありそうだから是非ともスカウトしたいと思ってる。信じられないような話だがこれから君が行く場所で何もかもわかるさ」


そして三年後。
「久しぶり、調子はどうかしら?海洋くん」
二人が顔を合わせたのは「財団」の所有する施設内部に作られた特別収容室。
海洋くんと呼ばれた男のためだけに作られたスイートルームだ。
テレビもあるし閲覧専用だがネットにつながったPCもある、空調完備で食事も提供される。
少なくとも見かけ上はプライバシーも守られている。これは「財団」の扱いとしては格別な高待遇だ。
三年前、国頭と坂本が彼を襲った暴漢-後にGOCの息の掛かった人物である事を知らされた。-から助けた青年、彼は今SCP-094-JPという新しい名前で呼ばれている。
彼の不思議な体の特性から「海洋人間」とあだ名されていたのだった。

「どうもお久しぶりです。国頭さん、、じゃない、前原さん、になったんでしたっけ?」
「もう籍入れたからね、よくできました。前に言ってた貴方用の施設が完成したわよ。そしたらもっと広い部屋になるわ」
「ここも結構、愛着わいてたんだけどなぁ……」
「贅沢言わないの、世界一豪華な自宅なんだから。工費だけで小さい国の国家予算くらいかかってるのよ?」
「あぁ……はは、あまり聞きたくないです……」
「またしばらくあえなくなるけど、寂しかったら呼んでいいのよ?」
「あ、はは……」
「何よその笑い。何か文句あるわけ?」
「いやっ!その、決してそんな事はないです!」
「ふふっ、それじゃぁ坂本によろしくね」
「はい、それじゃぁまた、前原博士」

片手をひらひらとさせて、白衣を纏う研究職員、という仕事には似つかわしくない、流行の巻き髪に香水の匂いを漂わせる、若い女博士は去っていった。

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