大怪獣決戦テイル 第一部
評価: +27+x

空白
空白

太平洋上 財団所属サイト-I5群 第16番海中保安施設
「SCP-682-E計画実験施設 実験棟前廊下」
20█年7月28日 午前11時31分2秒 (UTC+12)

空白
空白

682_core.jpg

空白
空白

SCP-682-E-1 第108次ヒト遺伝子配合実験 (20██/7/27実施)


結果: 失敗。現実改変能力が行使されなかったため、目標因子の特定できず。

分析: 実験体による現実改変能力行使の基準は依然として不明。SRAによる低現実性環境の再現にも反応が見られない。- トミー・レイク上席研究員

連絡: SCP-682-E-1サンプルのヒト遺伝子配合率がステージIIIを超過したため、バックアップによる純粋状態へのレストレーションを数日以内に実施予定。

██████ 科学部門/工学技術部門-上級収容監督官 (SD/ETSD-SCMO) 宛

SCP-682-E-1 収容チーム定期報告 (20██年7月第4週)


(1) 28日に実験。詳細な結果は翌週分に記載。

(2) 引継を要する事項は特に無。定期レストレーションについては補遺を参照されたし。

補遺: SCP-682-E-1サンプルのヒト遺伝子配合率がステージIIIを超過したため、バックアップによる純粋状態へのレストレーションを数日以内に実施予定。

空白

「……なんだ」
 最近調子が悪くなってきたスピーカー設備は、何かを放送する前に必ずノイズを発するようになっていた。トミー・レイク上席研究員らは慣れた様子で、耳だけをスピーカーへ集中させる。ノイズは二秒ほどで晴れ、替わってけたたましいアラートを叫び始める。短い悲鳴がそこかしこで上がり、研究者たちは一斉に情報を受信し始めた端末を手に取った。機械的な合成音声が、状況を放送し始めた。
『……SCP-682-E-1収容核にて、ヒューム値異常が検出されました。SRA11号機から4号機までが非ARS2化部品の消失とともに動作不良』
 その場の視線は責任者の方へ集中した。上席研究員は管理部からかかってきた通話に出ると、恐慌状態寸前の警備主任の震え声が待っていた。
「予備のSRAを動かしますから! 防災マニュアルのプロトコル-35にしたがって行動してください」
「防災プロトコル-35だ。ただちにシェルターへ移動する」
 従順かつ冷静に、助手たちはレイクの後を追い始めた。複雑な構造の施設を走る彼らの行く手に、やがて武装した保安部門の職員たちが現れる。「誘導してくれ」とレイクが叫んだのもつかの間、天井へ数条の雷霆が走り、一挙に彼らを巻き込んで崩落した。
「どうなってる」
 崩落した天井の穴から、まるで豪雨のように赤い水が降り注いでいた。鼻の利く研究助手の1人が「血だ……」と叫んだのを最後に、研究員たちは一斉にもと来た道を戻り始めた。天井のひび割れは徐々に広がりを見せつつある。アラートはさきほどの衝撃とともに途切れ、徐々に廊下を伝わってくる地鳴りが激しさを増し始めた。
「ここから一番近いシェルターと連絡取れるか」
「第3シェルターさっきから通じません」
「第4も」
「……クソっ」
 ことここに至って、いまだに冷静さを失っていない研究員たちにレイクは内心感動していた。財団職員としてはあるいは当然の素質であったかもしれないが、進退窮まったこの状況下で自らが冷静でいられるのも、おそらくこの部下たちの存在があるからだった。
「管理部へ連絡を取る。もしダメだったら──」
「収容核へ戻ります」
 レイクは部下たちに向き直って、うなずいた。端末を取り出して、省略ボタンを押す。数度のビープ音が続き、完全に通信回線が途絶したことを示すパターンが流れ始める。
「行こう」
 端末を投げ捨てたレイクと研究助手たちは、ゆっくりと歩き出した。

空白

同・実験棟
「SCP-682-Eー1 収容核」
20█年7月28日 午前11時37分9秒 (UTC+12)

空白

「第4連絡橋はまだ隔壁が機能しているようです。そこから侵入できるかもしれません」
「わかった。賭けてみよう」
 収容核はパノプティコン型の実験棟施設の中央に位置し、遮蔽材に空けられた数本の連絡橋だけが実験体──SCP-682-E-1を収めた施設の内部に繋がっている。ヒューム値異常を検出したのはこの遮蔽材のスペースであり、その一部にはスクラントン現実錨が含まれている。そして四つある通路のうち、いまだ機能を保っている隔壁は1つしかない。それ以外の通路はすでに溢れる血と瓦礫で圧潰していた。
 ライムグリーンのUREIユーレイユニット3を着た一行は、カント計数器の不快な警告音をよそに廊下を進んでいく。第4連絡橋に続く道ではまだ配備されたSRAが機能しているらしく、血の奔流による蹂躙を受けていなかった。
「あの血は現実改変による産物のようですね」
「ここのSRAなら食い止められるはずだ、なのに何故」
「おしゃべりは終わりだ。扉を開けるぞ」
 灰色で統一された施設内にあって、深紅色の合金でできた耐爆扉の存在感は非常なものだった。バイオハザードとリアリティ・ハザードの警告が並ぶ扉は、レイクのIDがなければ開くことはない──内側から無理やり圧し破らない限りは。タグを認証した扉は、金属同士を擦り合わせたような音を掻き鳴らしながらロックを解除する。
「各自カラビナは固定したか? 流されるぞ」
「はい」
 ユーレイユニットにはおびただしい数の固定用装具が備わっており、廊下に張り巡らされた手摺りに固定することができた。カラビナの調子を確認する音が止むと、徐々に質量を持った水音が近づいてくる。研究者たちの間に緊張が走る。
「来るぞっ」
 次の瞬間。まだ半ばほどしか開いていなかった隔壁は、超高圧によって射出された血液によって切り開かれた。『シャイニング』とは比べ物にならない量と速度で、血の洪水は廊下を死の色で塗り替えていく。中央から啓開された隔壁は、大きく湾曲しながらも最後の通行者のために動作を続けている。開口部が大きくなればなるほど圧力は弱まり、洪水の中を遡上することが可能だと踏んでいたレイクたちは、空間中の大気の体積がそのまま血に変換されたかのような水量に呆然としていた。
「いったいどこにこんな能力を……」
 レイクは飛び散った血が生ぬるいことに気が付き、思わず不快さで顔をゆがめた。頭頂から胸部まで開いたアイピースは、半分が血で埋まっている。噎せかえるような鉄の匂いに腰まで浸かった研究員たちは、手摺りにつかまってただ流れが収まるのを待っていた。すでに床から足は離れ、ただカラビナと2本の腕が流れに逆らって身体を繋ぎとめている。
 そのまま数分が過ぎると、徐々に血の流量が減少し始めた。腰まであった水位は、膝下まで落ちている。研究者たちは摺り足で前進を試み、数分をかけてようやく隔壁をくぐることに成功した。
「──ID確認。ようこそ、トミー・レイク上席研究員」
 赤い雨が降っていた。20メートル頭上の収容核を見上げた研究員たちは、その内部から無際限にあふれ出ている血の滝を発見する。収容核の本体は、数本の支柱と制御棒が突き刺さった形状をしているはずだったが、今はすでに支柱の半数が破折され、制御棒は一つを除いて引き抜かれていた。
「ヒューム値0.8~1.0/2.0~3.1で安定しています。まだSCP-682-E-1の意識はこちらに向いていないようですが……」
「生きているSRAを使って、ここの現実性を収奪してみよう。それが失敗したらフェイル・セーフを起動させる」
 実験・制御用のコンソールは水圧で使用不能になっていたが、パネルを抉じ開けると端末用の端子がまだ生きていた。背嚢からラップトップを取り出して接続すれば、すぐにまた使用が可能になる。複数人で手分けしてコンソールとの接続を試みると、数分のうちにSRA5号機へのアクセスが確立された。ここに配備されているすべてのSRAには愛称が付けられており、5号機はHOWハウという名が与えられていた。
「HOW、こちらトミー・レイク上席研究員」
 第16番海中保安施設の中枢フレームに"居住"しているSRAを含む保安システムには、人工知性体が搭載されている。システムに対する知識のない者が生存した場合に備えて、AIADの開発した疑似人格搭載型の人工知性徴集職員AIC4たちは事態対処に加わることができる。
「トミー・レイク上席研究員。こちらHOW」
 1秒以下の時間で、合成音声がラップトップのスピーカーから返ってくる。
「HOW、中枢と連絡はとれるだろうか」
 できない、とまたすぐに返事が返ってきた。ラップトップにつないだマイクを握ったまま、レイクは少し考える。中枢までもやられたとして、ではこの保安AICの分身はどこに身を寄せているのだろうか。
「HOW、今どこにいる?」
「SRA5号機内です」
「わかった。質問を変える。現実性をこの部屋から移動させることは可能か」
「不可能です」
 周囲で作業していた研究員たちが、一斉にレイクとラップトップの方を向いた。この部屋から現実性を移動させられなければ死。先ほどレイクが宣言したばかりの状況が、早くもこの人工知性体によって告げられようとしている。レイクは自分を落ち着けようと、数度うなずいた後で深呼吸をした。
「HOW、今なににリソースを割いているのか教えてくれ」
「現実性を集中している」
「なんだって?」
「現実性を集中させています」
「どこに?」
「収容核内部へ現実性を集中させています」
「理由は」
「ありません」
 イカレちまったのか? マイクを握ったままレイクはつぶやき、軽薄に笑った同僚へ冷ややかな視線で応じる。今のやり取りだけでも分かるが、HOWは今完全にまともではないだろう。点検システムの起動を進言してきた部下を退けて、レイクは再び深い呼吸をした。
「誰の命令だ」
「不明」
「では命令する。即刻現在の作業を停止し、わたしの命令に従え」
「了解」
 こちらを不安げに見守っていた研究員たちの間で、安堵の吐息が漏れた。マイクを置いたレイクは、ふたたび頭上へ目を向ける。赤い滝は依然として高い現実性を持った血を垂れ流し続けており、とどまる気配を知らない。動作を停止すれば徐々にその水量も減るとみて良さそうだが、1分が過ぎてもその滝を流れ落ちる血に変化はない。苛立ちながら、研究員はマイクを取り上げる。
「HOW、こちらレイク」
「………………」
 10秒経っても返答はなく、みるみるうちに苛立ちは不安へと変化していく。この事態に唯一の希望だった人工知性体は、もはや人類を見捨てる決断をしたのだろうか。
 ぽつ、とアイピースに赤い点が1つ増える。数秒前に見たときより、滝は明らかに巨大化していた。収容核に走っていた亀裂が増え、そこから流量が増している。見ればそこは、5本目の制御棒──SRA5号機が係留されていたはずの箇所だった。
「HOW、HOW」
 返事はない。当然であった。5号機はすでに破壊されていたのだ。繋がっている最後の1本だった制御棒は1号機のもので、すでにその先にSRA本体はないだろう。だが、とレイクはマイクを見つめる。いま会話をしていた人工知性体は、いったいなんだったというのか。
「お前は誰だ、なんだ」
「われは、われである」
 その時だった。収容核が破裂し、大質量を持った血しぶきが円筒状の空間全体に飛散する。血に混ざって飛ぶ金属片は高熱に晒されたらしく、ところどころ赤熱していた。塊で落ちてきた血に、幾人か研究員が巻き込まれている。くぐもった悲鳴と蒸気の音が混線して、やがて消えた。
 レイクは幸運にも落下物による不慮の死を迎えることはなかったが、その幸運を自覚するには余裕がなさ過ぎた。赤色で汚れた彼の視界は、収容核に立つその影を捉えている。茶色の体躯はニホンカナヘビのように細く華奢で、4つの脚が残骸を器用に掴んで支えていた。
 HOWはすでにあの爬虫類もどきの中に取り込まれているのだと、レイクは直感で理解した。異空間部門から引き渡されたオブジェクトの正体は今もって不明であり、もとはごくごく小さな細胞片に過ぎないものだった。引き渡されたI5群は細胞を培養していくうちにこれの持つ現実改変能力に気が付き、胎児状まで成長させてその経過を観察していた。
 SCP-682-E-1──実験体の持っていた性質は、組成を問わない物質との融合や、学習にあった。成長の過程で異物に接触した際、体内に通常の感覚器官が存在しないにもかかわらず、対象の異物を学習し模倣するような挙動を取り、現実状態の変化に対する反応さえも見せていた。この"体外器官"は第6感覚器官と呼ばれ、まさにこれがI5群での主要な研究対象となっていた。
「SRAも模倣の対象の外ではない、と」隣で自動拳銃のスライドを引いた音がして、見れば同僚が護身用の拳銃を手に震えている。上席研究員は強気に鼻で笑う。「そんなもの役に立つかよ」
 未熟児のカナヘビの瞳が、ようやく収容核に侵入してきた人間たちの姿を捉えた。とうの昔に研究員連中の緊張は頂点に達していたが、異常存在と直接視線を交差させる恐怖は今までに感じたことのない類のものだった。
 上席研究員がコンソールの上に倒れこみ、次の瞬間彼のアイピースが血で真っ赤に塗り替えられた。
 レイクのユニットを突き破った爬虫類が、彼の眼窩に手を伸ばして、何かを探すようにうごめいている。
「あ、ああ……」
 財団職員に必要なのは、呆然とする前に駆け出す才能である。レイクとその親しい同僚を除くほとんどの研究員にはそれが備わっており、ゆえに崩れてきた収容核の残骸によって叩き潰された。同僚だけが、間に合わずその光景に固まっている。
「うううう」
 カナヘビモドキの腕は、通常の爬虫類とは異なり、五指となめらかな皮膚を持っていた。鋭利な爪で青色の眼球をどかしてしまうと、斜め上にある黄色の白灰質に爪を伸ばしていく。爪で触れることで、抵抗を止めてしまったレイクの脳髄の一部を取り込もうと試みている。ヒュームに関する先端研究では、各臓器間で現実性の濃度が異なることが明らかにされていた。細胞記憶説が関連しているとされるが、まだ確定的な学説が存在するわけではない。ともかく脳はもっともヒューム値が高く、このカナヘビモドキがそれを理由に接触を図ったというのは合理的説明になる。
 レイクに痛みはなかった。
 ただ、かれを感じていた。かれの思考はぼんやりとしたイメージになって脳髄のスクリーンに映り、傷ついた視神経にちかちかと火花を散らさせる。レイクはその恍惚に似た感覚の中で──かれだれであるかについて思い当った。その刹那、強い憎悪がじんわりと思考全体に広がっていく。レイクに向けられたものではない、かれの仇へ向けられたもの。
「──レイク、待ってろいま助けてやる」
 呼びかけに返事はなく、ただレイクの身体には痙攣が起き始めていた。そう長くないことは誰の目にも明らかで、同僚の男は握ったベレッタの感触を改めて確かめる。同僚は講習会以来の感覚に怖気づいていたが、引き金を引く快感はそれを振り払えると信じていた。
 数発の乾いた銃声と、湿った破裂音によってトミー・レイクは現実世界に感覚を取り戻す。幸運なことに、銃弾はいずれもレイクの身体を抉ることなくカナヘビモドキに制裁を加えていた。強烈な運動エネルギーを持った金属片は、体長数十センチのカナヘビモドキが度肝を抜くには十分すぎる衝撃であった。素早く爪を引っこ抜いた生き物は、内壁まで飛び退いている。吸盤で身体を支え、傷跡を確認するように吹き飛んだ顔の半分を舌で舐めて、それから動きを止めた。
 冷や汗と血が生還したレイクの痛覚を迎え、首筋に打ったモルヒネは眼窩から流れ出しているような気さえしていた。強制終了させられた恍惚感は今や不快感となり替わって、混濁した意識の中から記憶を引き出す邪魔をする。
「……脳を探してたのか」
「大丈夫か、俺がわかるか」
「ああ」
 レイクはラップトップを開いて、最後の仕事に取り掛かった。SRA=AICがあのカナヘビモドキの手に渡った以上、ここにいる人類にはもはや勝ち目がない。すでにI5群には緊急事態宣言が発令されているはずだが、中枢から侵蝕されていた場合、通常のデータ・バックアップ・プロトコルは行われることなくフェイル・セーフが起動する。だが現時点で金属ヘリウムによる救済が行われていないことを見ると、このカナヘビ亜種が何かしらの妨害をしているに違いなかった。
「フェイル・セーフを強制起動する。AICを迂回して、わたし名義で保安システムに割り込みをかけよう」
「俺はてっきり、生き延びるためにここに来たもんだと思ってた」
「ヌルいこと言うな」
 システム操作マニュアルのすべては、この上席研究員の頭の中に記憶されていた。視界の端で睨み続けているカナヘビモドキを疎みつつ、レイクは打鍵する。もう数分もすれば、ここは海の藻屑どころか大気中の微粒子レベルにまで還元されてしまう。システムの応答を待つ間、上席研究員は自嘲気味に笑い、目をつぶってこれまでの人生を振り返ることに数秒を費やした。失敗した結婚──陸地に置いてきた老いた犬──数点の心残りについて。
 彼は眼を開いた。いくつかのスタンドアローンなシステム──例えばイントラネットを維持する電源──が生きていたことで、彼の小さな試みは達成される。フェイル・セーフ強制発動のオーダーを受領したというメッセージが現れた。
 トミー・レイク上席研究員は、自分が唯一あのSCP-682-E-1という存在の実際を知った人間だと自覚していた。送ったメールはいくつかの添付資料と、短いテキストで構成されている。考え付く限りの宛先を入力していたが、この中の一通でも届けばよい方だった。一時的に共通ネットへのアクセスを得たイントラネットは、もう間もなく運用を停止する。
 ラップトップを閉じたレイクは、ベレッタを食べ物と勘違いした同僚を見て笑った。
「もう終わったよ」
 何のことだかわからない様子だった男は、やがて意味を理解すると自動拳銃を置く。人間のまま死ぬという人生最後の目標は、どうにか達成できそうだった。
 レイクはもう一度眼を閉じる。懐かしい女の顔が思い浮かんだ。

空白
空白

日本国████████ 財団所属サイト-8100 第1会議場
「I5サイト群での緊急事態に関する81地域ブロック理事会臨時会議(第1回)」
20█年7月28日 午前9時17分7秒 (UTC+9)

空白
空白

「I5群残存サイトから送られてきた映像です」
空白

11:50:56:03 - [海上に巨大な水柱。同時に衝撃波が拡散し周囲の観測装置がすべてブラックアウト。電磁パルスを確認]

11:51:00:69 - [映像が大きく乱れる]

11:52:02:81 - [全I5サイト群にて緊急事態宣言発令。マーシャル政府へ避難勧告。以降20秒間映像に変化なし]

11:52:22:90 - [爆心地付近の海上に赤い点が確認される]

11:54:18:24 - [重防護ヘリが出動]

[以下、空撮映像]

[後略]

空白
「緊急対策室に現時点で入っている情報によると、I5サイト群所属第16番海中保安施設のフェイル・セーフが発動しました。金属ヘリウム爆弾5による爆発ですので放射能汚染等の被害報告はありません」
「まったくの周辺被害ゼロ、というわけではないんだね?」
 財団81地域ブロック理事会首班 "獅子"が発した問いの調子は、まるでいたずらをした生徒に語りかける教師のようなものだった。会議場には、最低限の光源だけが確保されている。理事会が始まると同時に外部から遮断される場内には、1人だけ異物が立っていた。
 報告者たる阿形仁人・理事会幕僚部 危機管理局長は、小さくかしこまって答える。
「第14、15、17海中保安施設が連鎖的にフェイル・セーフを発動し壊滅。隣接していたサイト-I5-4が半壊状態です。周辺島嶼および岩礁へ高さ1メートル級の高波が発生し一時水没しました。しかしいずれも民間人への被害はありません」
「所属職員への被害は?」
「現時点で殉職が確実なのは578名です。この数倍程度になる可能性があります」
 議場に相次いで重いため息が漏れ、場にある負の情念の密度を高めていく。「……原因は」と誰ともなく問う声が上がる。阿形は手に持っていた端末からの文字を目で追い、その内容に一瞬硬直する。固まったままの官僚がたった1文字を読む時間でさえ、理事たちには悠久を待つように感じられた。やがて男は顔を上げる。その表情は引き締められたと言うより凍結されたかのごとく、視線は理事の誰にも合わせられていない。
「実験中だったSCP-682-E-1の収容違反によるもの、だそうです」
 その答えは決して、彼らの想像の埒外にあったものではない。当初から用意されていた最悪の可能性が、大方の期待を裏切って実現してしまったのだ。嘆息がこだまする室内で、ただ1人官僚は取り残されている。しばらく目頭を押さえていた代表理事は、疲労と老いに対抗するかのように首を振って席を蹴った。
「太平洋沿岸諸国の理事会と憲章第12条の緊急会合招集をO5へ要請する。ヴェール・プロトコル6の進捗についてメモを1時間ごとに提出。緊急対策室を改組して収容違反対策本部をサイト-8159に設置する。幕僚部から人選を急ぎなさい」
 はい、と阿形が一礼して出て行こうとするのを、1人の理事が呼び止めた。
「ちょっと待て」
「はい」
「……SCP-682-E-1は行方不明か。終了された可能性は?」
「まだ報告はございませんので」
「……そうか」
 背もたれに寄りかかった理事の1人は、顔を覆ったまま動かなくなる。うやうやしい一礼とともに、危機管理局長の姿は障子の裏に消えた。質問を投げかけた理事はゆっくりとその手を下ろすと、ぽつりとつぶやく。
「報復に、来るんじゃないのか」

空白
空白

日本国埼玉県飯能市 財団所属サイト-8181 地下4階
「サイト管理官執務室」
20█年7月28日 午後1時2分40秒 (UTC+9)

空白
空白

「カナヘビ、幕僚部の緊急即応班がI5-サイト群関連の案件で動いているそうです」
 サイト管理官オフィスへ戻ってきた秘書は、昼寝の時間を邪魔された爬虫類の罵声をまず浴びた。不明な発声器官を持つ老獪なサイト管理官は、のそりとおがくずの床から這い出してきて、ラフマニノフ7をかけるよう要求した。
「湿り気が足らへん」
 レコードに針を落としていた秘書は、すぐに踵を翻して部屋のすみに置かれている霧吹きを手に取った。それと同時に、なおも具体性を欠く報告を続けようとする。
「現時点で広域司令部にはなんの下命もありません。しかし緊急即応班が動いたという噂が本当なら──」
「理事の連中はまだなにも言ってへんのやろ? ならほっとくがよろしい」
「しかし」
「知っとるよ」
 うんざりという様子のカナヘビに、霧吹きをする青年事務官の手が止まる。静かになった室内でレコードは依然として回転を続けており、ピアノ協奏曲第2番は管弦楽器たちの参加によって1つの奔流を作り上げる。
「さっきI5勤務の知り合いに電話かけたけど、通じなかった」無線封鎖かなにかだろうと付け加えると、カナヘビは再びもぐりこむ。「I5で何が起こったかはわからへん。でも81地域ブロックでの問題なら早晩確実にここまで届く」
 それまではゆっくり構えようや、と財団で唯一サイト管理官職にある爬虫類は続けた。秘書官は数度うなずくと、「失礼いたしました」と深々と頭を垂れる。
 そういうのはいらん、とカナヘビは尻尾を振って退室を促した。スーツ姿の青年がドアの向こうに消えると、ふたたび老獪な爬虫類の思索が始まる。毎朝日本各地の連絡役から送られてくる報告のうち、I5サイト群からのものがなかったことは決して偶然ではないらしい。
 だが今のカナヘビに、それを確かめるすべはない。秘書にああ言ったのも、余計な気をまわして詮索をさせることを防ぐためだった。下手な動きを取れば幕僚部はすぐに首を狩りにやってくるだろう。
「なにが起こった……あんな辺鄙な場所で……」
 曲は始めの盛り上がりを終え、ふたたびピアノが軽快に駆けまわる。気に入っているはずのフレーズが妙に苛立たしく、カナヘビは不愉快そうに瞳を閉じざるを得なかった。

空白
空白

日本国東京都千代田区 内閣総理大臣官邸 4階
20█年7月28日 午後5時26分46秒 (UTC+9)

空白
空白

「マーシャル諸島で津波ですか」
 総理大臣官邸四階、内閣総理大臣補佐官室の前に数名の背広姿が集まっている。さきほど情報集約センターから報告を受けたという事態対処・危機管理担当の官房副長官補は、訳知り顔でこう続ける。
「でも、実際に政府で報道発表するようなことはないと思いますが」
「F案件8ですか」
 国家安全保障担当の総理大臣補佐官である細谷幸史は、深くうなずく副長官補の様子に得心して腕を組んだ。それにしても、と今年還暦を迎えた副長官補は首をかしげる。
「今回は津波そのものを隠蔽するつもりのようです。情報官9に言って連合10に探りを入れてみようと思います」
「また向こうから問い合わせが来るような状況だったら、お手上げですね」
 ここ数年の政権運営で徐々に"作法"を覚えることになった細谷は、F案件、G案件11と称される特定の事案について苦々しい表情を隠さない。国外のみならず国内でも日々行われる超法規的な活動の多くは、政府に無許可で、ときには事後報告すらもなく行われている。
 70年以上前、戦後間もないこの国が財団・世界オカルト連合という二大超常組織と結んだ"一般協定12"なる不平等条約は、国家の主権にかかわる自主独立と、その国民の自由を徹底的に毀損する内容が含まれている。原文は内閣総理大臣補佐官というポストに就いてもなお、閲覧することはできないらしい。
 このたびのマーシャル諸島での惨状に関する報道管制もその一環、ということになる。マーシャル諸島は気象庁の北西太平洋津波情報センターの管轄内にあった。その内部にいるであろう彼らのシンパが、情報を内閣情報集約センターに上げる時点ですでに検閲し、副長官補から正副官房長官、それから総理に行く頃にはスカスカにしてしまっている。
 だが、彼らのシンパが内部に潜り込んでいても、そう悪いことばかりではない。詳しいことは何もわかっていないとはいえ、財団と世界オカルト連合が決して蜜月とは言えない関係にあることは確実視されていた。
 この抜け目のない内閣官房副長官補は、その関係を利用して"財団"が隠蔽しようとした事案の内容を少しでももぎ取ろうとしている。
「PN班13の中には財団も連合もモグラを送り込んでいますから、さすがにどこかしらが情報を持ってこれると思いますがね」
 染めたばかりの白髪を直して、中年は笑う。
「何かあれば、すぐに財団から僕か細谷先生のところへ相談が来ると思いますから、注意しておいてください」
「ありがとうございます。気を付けておきます」
 では──と会釈をする副長官補は、腕時計に目を落とすと小走りに去って行く。細谷のこなさねばならない政務は、これだけではない。二度と顧みられることのないフォルダーへ記憶を仕舞い込み、首相補佐官は執務室のドアを開いた。

空白
空白

アメリカ合衆国自治連邦区北マリアナ諸島██████████
「財団所属観測所OP-6903」
20█年8月11日 午後1時43分20秒 (UTC+10)

空白
空白

「主任、MPのいくつかから要報告のアラートです」
「なに?」
 モニターの前でぼんやりと座っていた職員は、コーヒー片手にやってきた上司のために指をさす。マリアナ海溝に沿って配置されているモニタリングポストが、次々と要報告の急報を知らせていた。1分前にグアムのサイトから米海軍籍の潜水艦が出撃しており、しかもアメリカのサイトからレポート提出を求めるメールが届いている。一番出遅れているのは現場の直上にいる自分たちなのだ。
「おい、まずいぞこれ早く詳報を届けないとどやされる」
「は、はい」
 モニタリングポストが収集した情報の中身はすでにアメリカのRAISA14から機密指定を受けており、2人がアクセスすると警告画面が出てきた。思わずうめき声を上げた2人が収集情報の内容を開くと、たちまち即効性のミーム抹殺エージェントが起動する。頭を内側から鈍器で殴られたような衝撃を受けた後、内容が表示された。
「マーカー・コード "Wanzava'r" を捕捉……? なんだ、これ」
「ズールー語ですかね……検索しても出てきませんけど」
「とにかく秘匿回線でグアムの研究所とサイト-8159へ転送しろ」

空白
空白

日本国茨城県鹿嶋市 財団所属サイト-8159
「SCP-682-E-1収容違反対策本部」
20█年8月12日 午前6時10分7秒 (UTC+9)

空白
空白

「──伊豆諸島沖の緊急調査派遣団観測艦隊全艦艇からGMDSS15による船舶警報途絶。作戦海域に重大な通信障害。海上にてEMP16発生のおそれあり」
「救難班全部隊出動。現着予定時刻6時20分。生存信号急速に減少」
 オペレーターはあくまで冷静に事態を読み上げたつもりだったが、その声は怯懦に満ちたものだった。その震えは大気を伝わってオペレーション・ルームの内部に拡散し、絶望を吐き出すため息を誘発する。各部署からの指示を乞う電話が大合唱を始め、けたたましいノイズの中で確かな失敗の事実だけが厳然とそこにある。
「原潜2隻に駆逐艦3隻だぞ……ありえん……」
「Wanzava'r消息途絶えました。放射性マーカーが無力化された模様」
 満面に玉のような汗が噴出している阿形収容違反対策本部長は、部下の過半が数時間のうちに海の藻屑と化した事実に戦慄していた。隣にいた秘書官にうながされてようやく作戦終了を宣言すると、椅子へへたり込む。SCP-682。財団職員の中でも危機管理に関わる幹部教育を受けていれば、必ず触れることになるオブジェクト。知識として知ることと実際に身内を殺されるのでは、何もかもが異なる。
「……沿岸部所在のサイトへ収容違反警戒情報を発信するよう幕僚部へ通達」冷房の効いたオペレーション・ルームが、額の汗を急速に冷やしていった。手渡された茶を一気に流し込み、阿形は再び立ち上がる。「理事会へ報告に行く。副本部長、あとを頼む」

空白
空白

日本国埼玉県飯能市 財団所属サイト-8181 地下5階 広域司令部オペレーション・ルーム
20█年8月12日 午前6時20分58秒 (UTC+9)

空白
空白

「SCP-682-E-1収容違反対策本部から報告。緊急調査派遣団現地部隊が壊滅。死者重軽傷者2000名以上」
「収容違反警戒情報が全国のサイトに発令。加えて関東圏沿岸のサイトに緊急事態準備宣言が布告されました」
「関東圏サイト出向者安否情報集約センター機能移動の下命来ました」
「対策本部から8181工学技術事業部門・科学部門へリエゾン派遣要請です」
 カナヘビ、と青年が呼ぶと、オペレーション・ルームの中央に座す爬虫類はのそりと首をもたげた。日頃の俊敏さが嘘のように精彩を欠くサイト管理官は、珍しく自らの長い肩書の存在を恨んでいた。関東圏の広域司令部施設を持つ8181は、いわば幕僚部の使い走りの任を負わされている。
「先ほど幕僚部の方から追加の動員計画が送付されてきました。ここも戦力供出の対象になります」
「……で、サイト-8181広域司令部ウチへのレベル4/682クリアランス付与はまだなの?」
「RAISAが調整中だそうで」
 大きなため息をつく振りをしたカナヘビは、足元のおがくずを蹴飛ばした。どないせえっちゅうねん、と甲高く怒りの気炎を上げ、サイト管理官は秘書を見上げる。少なくとも彼よりは疲れているはずの青年は、それでも気丈に霧吹きを取り出して、水槽に湿気をもたらしている。
「……I5群の職員の1割はここからの出向者やった」
「存じ上げております」
 神妙に秘書がうなずいたその時、ジャケットの懐が振動を始める。爬虫類の身ではまともに携帯端末を扱えないことから、彼にかかってくる電話はすべて秘書官を通さなければならない。だが、カナヘビ個人の携帯番号を知らされている者はそう多くないはずだった。爬虫類の上司が首で促すと、青年は通話ボタンを押す。
「……ああ、結城博士」聞きなれた妙齢の女声に、思わず秘書は安堵した表情を作る。またどこかの部署でトラブルかと身構えていたカナヘビは、拍子抜けしたようにおがくずへ頭をうずめた。「──面談? 今からですか。いえ、いま立て込んでおりまして……」
「なんや、結城はなんて?」
「──いま代わります」
 カナヘビの居城である多機能水槽は、無線で携帯の通話に参加できる機能を備えていた。秘書が操作するとすぐに、「……カナヘビか? すぐに来てほしい」とやけにくぐもった声音が水槽内に響き渡る。サイト管理官は間もなくその意味を悟り、頭をあげて目を細めた。結城は部屋の場所を告げると、一方的に通話を終わらせた。
「何用なんでしょう」
「直接会った方がよさそうやな。──土橋クンにあと全部仕事投げといて」
「またですか」
「文句言われへんやろ。使うもんは使っといたほうがええ」
 カナヘビはするすると枝を上っていくと、秘書の腕に飛び付いた。邪魔そうに電話を掛ける秘書は、甲高く急かす上司を無視して歩き出す。
「もしもし、はい。次長はいらっしゃいますか──」

空白
空白

日本国埼玉県飯能市 財団所属サイト-8181 地下3階
「科学部門管理次官執務室」
20█年8月12日 午前6時35分19秒 (UTC+9)

空白
空白

「レイクから連絡があった──かもしれない」
 近頃明るい茶色に染めたという髪は、もう数日放っておいたかのように感じられるほど乱れている。結城久磨・財団科学部門上席研究員/サイト-8181科学部門管理次官は、かつてトミー・レイク上席研究員とともにI5-サイト群実験団の副団長を務めた人間であった。内情に精通しているということから幕僚部より出頭命令が下されていたが、今のところ本来業務の多忙を理由に拒否を続けている。幕僚部からの注文の数々に頭を痛めていたカナヘビにとっては、旧知の態度に一抹の痛快さを感じていた。
 が、眼前の女性の惨状はどうだろう。乱れた髪を剥げたマニキュアの指で直し、眉間に切り込まれた皺が生物のようにうごめく。横目にやってきた爬虫類をにらむ結城は、ティッシュで口紅をぬぐった。
「かもしれない? どういうことや」
「2週間前、忙しくてメールボックスを見ている暇がなかった。ひとつだけ見覚えのない差出人がいて……」
 ややあってから、結城は部屋の防諜について問うた。サイト管理官が心配いらないと告げると、女は再び手櫛を髪に通す。昔の恋人を思い出そうとするかのような仕草は、今の今まで事態対処に当たっていた管理官の神経を逆なでした。
「本題に入れや。時間がない」
「レイクを名乗るアドレスからメモが送られてきた。けど、内容が内容だから、このことは誰にも言わないで」
「なんのメモや」
「見ればわかる」
 コピー用紙が爬虫類の目の前に差し出される。秘書官を外で待たせているサイト管理官は、水槽越しに紙面へ目をやる。財団の内部文書に使用されるフォントで、全文英語で書かれていた。文字は細かく、一部には図のようなものさえも含まれている。
「報告書の下書きか?」
「いいから、読んでみて」
 数分が過ぎた。数千文字を50センチ程度の紙幅に収めたものを読みきるには、それでも幾分早い。財団の管理職に求められる才覚の1つとして、カナヘビは速読を挙げている。
「……なんやこれ。ホンマか?」
「…………まあ」結城は電子タバコから口を離して、真偽はわからないが、と煙で誤魔化しながら背中を丸める。「死人が最期の最期で戯れにジョークを送りつけてきたとかじゃないかぎり、そうだと思う」
「この内容を誰かに?」
 もちろん、あんただけだよ──結城は癖が抜けないようで、電子タバコで灰皿を数回たたいた。
「……この文書の信憑性は、現時点でどのぐらいなんや。死ぬ前に告発文を送ったちゅうことか」
 元諜報機関管理官としての血が騒ぐのか、サイト管理官は生き生きとして枝をするすると登っていく。器用に尻尾で蓋を開けて、結城の目の前に躍り出る。
「仮に本当だとすれば、これをわたしに送ってきたことの意味を知りたい。……彼はわたしにどうしろと言いたいの」
 知るか、そんなこと。カナヘビは突き放すような言い方をして、結城の不興を買った。昔の恋人が絡んで冷静を欠いている女に対して、カナヘビもまた苛立ちを募らせている。小さな前脚が数回書類を叩き、ニホンカナヘビが発する不明な声が上がる。
「とにかく、あれはSCP-682やないし、SCP-682を使った怪物でもあらへんのやな……」
「ああ」
「これを知ったボクは無事で済むんか。一番与えちゃならん奴に情報を渡したな、結城」
「知る権利があるかと思ってね。わたしはこれを調べてみる」
 ハイヒールが床を打つ音が数回続く。結城が部屋から出た後には、かすかな香水の香りが残っていた。普段であれば神経質なサイト管理官はすぐに消臭スプレーの散布を命じているはずだが、それも叶わぬほどの動揺が彼を襲っていた。
「カナヘビ?」
 入れ替わりで入ってきた秘書官が、様子のおかしい上司に当惑した様子で立っている。カナヘビは一瞥もくれずに、静かな調子で言った。
「I5群にはなにがいたのか、わかった」

空白
空白

日本国████████ 財団所属サイト-8100 第1会議場
「SCP-682-E-1収容違反に関する81地域ブロック理事会臨時会議(第2回)」
20█年8月12日 午前6時57分30秒 (UTC+9)


空白
meeting-room-1.jpg

空白
空白

「封印措置が失敗したという報告は聞いていたが、状況はより深刻ということだね」
 首班 "獅子"の口調は、叱責という類のものではなかった。死傷者が1000名を超える見通しであることを聞いたときも、獅子はただ「そうか」とだけ答えるにとどまった。報告の間、ほかの理事は誰も口を挟まない。ただ敗北したという事実だけが淡々と報告され、阿形は報告を結ぶ。
 獅子はそれを待って「辞令を読み上げる」と厳かに宣言した。部屋の奥にただ立ち尽くしている哀れな敗戦の将は、ただうつむいてその言葉を拝聴することに集中している。81地域ブロックが即応可能なほとんどの海洋戦力を喪失したという事態は、ただ彼のキャリアを終わらせるだけでは到底ぬぐい切れない。
「きみを対策本部長から解任する。今回の作戦失敗の責を負って、だ」
「承知しました」
 臨時招集であるためか、諜報/保安担当の4号理事"稲妻"やPEJEOPAT/渉外担当の"若山"が欠員として出ていた。場にいる五人の理事たちの表情は仮面で覆い隠され、外部からはうかがい知ることができない。薄暗い部屋の照明に浮かび上がる白い面は、どこか幽霊のような趣さえあった。
「後任は持ち上がりで決める。早速で悪いが、きみはこの後ただちに紀尾井町17へ飛んでくれ。"稲妻"と"若山"が待機している」
「は」
 急な辞令に、阿形は顔を上げる。"獅子"はかすかにため息をついて、右手を上げた。不意に阿形の背後の闇から人が現れ、驚く元・幕僚に紙束を手渡す。数十ページに及ぶ分厚い書類の表紙には、『財団による大規模海洋汚染への懸念』と表題が載っている。
「これは」
「世界オカルト連合が本件への介入を望んでいる。PEJEOPAT防衛計画委員会会合がさきほど臨時招集を受けた。ここから先は上陸対処も含め日本政府も対応へ参画する可能性がある」そこで、と獅子は言葉を切る。再び背後から官僚が現れ、PEJEOPATの徽章を阿形に渡す。「きみを財団側の特使としてPEJEOPATに派遣する。そこで建設的な意見を述べてもらいたい」

空白
空白

日本国東京都千代田区 PEJEOPAT事務局ビルディング地下厳重警備区画
「PEJEOPAT防衛計画委員会臨時会合 (第███次) 」
20█年8月12日 午前9時48分55秒 (UTC+9)

空白
空白

「では、財団──世界オカルト連合の二者による合同防衛計画整備で合意とし、会議を終了いたします」
 4号理事 "稲妻"および6号理事 "若山"以下30名の理事会幕僚部および81地域ブロック各部門責任者は、同じく30名の威容を誇るGOC極東部門作戦運用官房からの代表者たちと向き合っている。両者の間の緊張関係は主にGOCによって醸成されたものだったが、外交という建前の元に会議はにこやかに進められた。PEJEOPAT連絡事務局の派遣した議長団が両者の間に陣取っていたが、彼らの仕事といえば、会議が終始シナリオどおりに進むか監視することぐらいのものでしかない。すでに両組織の事務方は会合前から合同の計画整備に忙殺され、あと数時間のうちに決定稿を提出する手はずとなっていた。
 長丁場だった会議の終了を受けて、議場にようやく安堵の空気が流れ始めた矢先、チーク材でできた議場の扉が開け放たれる。駆け足で飛び込んできたスーツの連絡担当が、理事のもとへ真っ先に駆けつける。
「失礼します──サイト-8159から約3キロの海岸に、大量の深海生物等の死骸が打ち上げられたそうです」
「なに」
「対策本部の調査班によると、海岸は著しい低ヒューム環境下にあると。周辺3ヶ所の海水浴場は封鎖。現場保全プロトコルが進行中です」
「Wanzava'rか」
 理事たちと共に耳を傾けていた阿形が言うと、連絡担当は「不明です」と汗をぬぐいながら答えた。
「Wanzava'rは現在も相模トラフあるいは日本海溝に潜伏中とみられます」
 周囲の幹部たちから、一斉に唸り声が上がる。Wanzava'rに対する追跡能力をほぼ喪失している財団にとっては、限られた戦力をどこへ配置するのかが最大の課題だった。稲妻はねぎらいの言葉を掛け、駆け足で戻っていく連絡担当の背中を見送る。
「やつはサイト-8159の所在を掴んでいるのか」
「撃沈した艦艇から情報を取得した可能性が否定できません。至急関東地方東部に部隊を展開させるべきでしょう。今回の一件で日本海溝に潜伏している可能性が高まりました」
 阿形が答え、周囲に待機していた幕僚や部門責任者が集められる。見れば、向かいのGOCでも同様に協議が開始されており、すでに事態が知れ渡っていることは明らかだった。
「サイト-8159含め関東圏内のレベル3以下の収容施設からは人員を退避させましょう」
「ただちに81地域ブロックで緊急事態宣言を発令すべきです。一度全サイトのコントロールを幕僚部が握る必要が認められます」
「保安部門で自衛隊と在日米軍の接収を繰り上げます」
「渉外部門で特使を官邸に派遣しますので、行政との調整はそれまで待ってください」
「わたしたちは理事会で待機する。車を出してくれ」
 協議が済み、幹部たちが一斉に散開する。阿形は対策本部長を解任されてからも付いてきた秘書官とともに、巨大な会議室の扉をくぐった。このところ薄くなってきた白髪交じりの頭は、難しい表情のまま塗り固められていた。
「阿形部長18」理事に随行してサイト-8100へ向かう途中、急にPEJEOPAT担当の秘書官が端末を取り出す。「GOC麾下の第2潜水隊群19が鹿嶋海岸115キロの地点でWanzava'rを発見したそうです。一直線に本土へ向かってきていると。現在自衛隊と在日米軍がDEFCON120に入りました」
「予想よりも早いな」防衛計画の完成まではあと数時間もないが、それよりも早くにWanzava'rが上陸することになる。しかし火力の高い海自と在日米海軍で阻止作戦を展開できれば、財団による再収容に光明も見えてくるだろう。「横須賀に派遣した機動部隊に報告を急がせてくれ。MOFシステム21との統合進捗がわからない」
 財団の運転手は、どういうときに超法規的措置がとられるのかをよく知っていた。交通管制システムが青を叩き出し続ける中、限界までアクセルを踏み込む。V12気筒が唸りをあげ、同乗者たちは悲鳴を上げた。

空白
空白

日本国東京都千代田区 内閣総理大臣官邸 4階
「内閣総理大臣補佐官室」
20█年8月12日 午前10時1分32秒 (UTC+9)

空白
空白

「海自に出動命令?」
 執務室で資料を読み込んでいた細谷のもとに、慌てた様子で秘書が駆けこんでくる。完全に自衛隊法を無視した行動だったが、それができるのは2者しかいない。
「さきほど世界オカルト連合から統幕へ直接要請があったそうです。すでに横須賀地方隊の2隻が茨城県鹿嶋灘へ急行中です」
「財団だけでなく連合もか。まだ副長官補からはなんの報告も受けていないが」
「総理が緊急でレクを開くそうです。4大臣と安保局長あたりにも招集がかかっているそうで、事実上の緊急事態大臣会合22になる可能性があります」
「まずいな。現時点で海自に被害などの情報は?」
「まだ、ありません」
 席を蹴るようにして立った細谷は、上着を取って「レクは何時からだ」と問うた。10分後です、と秘書が答えるのも待たずにドアを乱暴に開くと、
「おっと、失礼」
 2人の男女が門前に立っていた。客人と勘違いした細谷は2人を押し退けようと、手刀を切る。
「失礼ですが急用ですので、後ほど──」
「お待ちを、細谷補佐官」
「総理レクの前にあなたとお話をしておきたい」
 不気味な男女2人がそれぞれ細谷の肩肘を掴み、混乱と怪訝にまみれた彼の瞳の中で微笑んでいる。男女は、内閣総理大臣秘書官を名乗った。現状で6人いる秘書官の顔と名前ぐらい細谷も全員覚えていたが、この2人はその中の誰でもない。
「わたしは財団から派遣されました、狭間です」
 スキンヘッドの中年──いかにも平凡な官僚を思わせる顔立ち──は、名刺は持たない主義だと語り出し、するりと握手を求めた。だが気味悪がる首相補佐官の表情を見て、素早くその手を引っ込めた。
「わたしは世界オカルト連合より派遣されました簾藤です」
 財団から出向した秘書官(自称)に比べると幾分若い女性官僚は、冷たく鋭利な瞳をメガネ越しに光らせている。法令上も慣行上も聞いたことのない秘書官2人は、連れている秘書官補──らしき人々──に命じて資料を机上に並べた。
「今回の世界オカルト連合主導の作戦案に関する資料の要約版です」
「どうしてこれをわたしに?」
 徐々に気味の悪い客人たちの正体が明らかとなってくると、細谷の態度は職業人としてのそれに変わっていく。眼下の資料には、茨城県沖の海図と着上陸侵攻対処に関する説明が簡潔に記されていた。先ほどの報告にあった海自の超法規的活動も、この紙面上では当然のものとして織り込まれている。
「これは……」
 侵攻対処の説明欄には、見慣れない文字が並べられていた。文章は全編を通して、海上自衛隊は"巨大脅威存在"と呼称される物体に対して、いかなる攻撃を加えその侵攻を阻止するかについて書かれている。
「巨大、脅威存在?」
「われわれが今回総力を挙げて駆除しようとする目標です」
「いったいなんです、それは」
「一種の生物兵器であるとお考えください。諸元に関してはその資料にも記載されています。現時点で確認できるのは体長70メートル、水中速力は少なくとも最大30ノット以上です」
「……ちょ、ちょっと待ってください。わたしにこれを総理レクに持って行けと」
「細谷補佐官、あなたにぜひわれわれと政府の橋渡しをお願いしたい。今回の事案は特殊です。より3者が合同して事態に対処しなければならない」
 信じられないという面持ちで2人を交互に見回す細谷は、その真剣な表情にめまいさえ覚えた。こんな狂人の戯言を、これから自分は国家の要人たちを前に演説しなければならないのだ。
「お分かりいただけましたか」
 数秒間黙りこくっていた壮年の政治家の頭上で、ひょうきんな男は眉を上下に動かし続けている。相棒である簾藤はしばらく細谷のことを見守っていたが、やがて思い立ったようにスマートフォンを取り出した。
「細谷補佐官。現在の茨城県鹿島灘の様子です」首相補佐官に向かって突き出された画面には、海上を数隻の仮装巡洋艦と艦隊行動を取る第1護衛隊の空撮が映し出されている。「間もなく戦闘状況は開始されます。どうかお早く。レクももう始まりますし」
「……わかりました」
 立ち上がった政治家は、資料を周囲のスタッフに預けると矢継ぎ早に質問と要求を繰り出す。
「資料には接収したとありますが、その状態でも海自の作戦センターと市ヶ谷および官邸をつなぐことは可能ですか? できればリアルタイムで戦況を把握したい。それから、以降の着上陸侵攻対処に関しても早急に資料の提出をお願いできますか。このカバーストーリーについても逐次官邸へ報告をお願いしたい。もう1つ、消防庁と警察を指揮下に置くのは構いませんが、報告なくそれらが行われると事後処理に甚大な影響が出ます。留意していただけるとありがたい」
「善処しましょう」
「GOCも同じく」
 うなずく狭間と簾藤は、細谷に続いて部屋を出ていく。作戦行動開始まで残り15分を切る中、彼らの歩みは自然と速いものとなった。

空白
空白

日本国埼玉県飯能市 旧サイト-8181広域司令部 巨大脅威存在合同対策本部
20█年8月12日 午前10時18分5秒 (UTC+9)

空白
空白

「大規模作戦時の司令部予備施設がここしかなかった……本当なんかそれ」
 サイト-8181管理官/広域司令部事務局長であるエージェント・カナヘビは、合同対策本部に副本部長のポストを与えられていた。基本的に施設運営を一手に任されるという役として、結局のところ彼の権勢はサイト外に伸びることはない。隣に立つGOC極東部門出向の武官は、これから編成されるPEJEOPAT条約軍総司令部の第2部長(情報担当)に内定していた。少なくとも、カナヘビよりは実権のある職務だった。
「われわれのベースでもいいんですが、都心部に近すぎますし、なによりここほどの冗長性がありません」
「ふん。そうかね」
 第2部長は神経質そうな顔のイメージそのまま、型通りに答えてみせ、爬虫類の不興を買った。
 広域司令部・管制部改め合同対策本部オペレーション・ルームは、数百人規模の追加人員と通信基盤の再配線で混沌とした様相を示していた。対策本部機能と条約軍総司令部機能の2つを収容しての稼働に際して、カナヘビの辣腕が振るわれていた。
「そういやなんやて? 都心? あのでっかいのの行先わかっとるんか、自分ら」
「天地部門の分析を聞く限り、あれは高濃度かつ組織的なEVE量子の流動・放射──かなり大規模なEVE放射に引き寄せられていると推測されます」
 まさか、とカナヘビの頭をなでる手が止まる。カナヘビの同輩となる総司令部の幕僚は、水槽の中のエージェントにうなずき返して見せた。
「皇居か」
「──現地CTF23より。GOCヘリテレ来ます」
 会話を打ち切らせた放送とともに、メイン・スクリーンが青一色に染め上げられる。ヘリテレの映像は、徐々に海上の一点へとズームしていく。翠色の光を見せる海面下には、確かに何らかの巨大な構造体が存在しているのを見て取ることができる。翠色の水の中で、さらに深い緑色で反射する全長70メートルの水棲生物は、ほとんど動きを見せないまま水中航走を続けていた。輪郭の不明瞭な姿は大型種の鯨に似て、およそ怪物のそれという感想を抱かせない。
「巨大脅威存在はほとんど姿を変えている。……やはり調査派遣団との戦闘で進化したのでしょう」すでに財団が提出した戦闘詳報に眼を通しているという武官は、GOCの持っていた排撃資産による粛清にも自信がないと告げた。「もしもそちらがまだ未開示の情報などがあれば、こちらは犬死だ」
 それはないやろ、とやや投げやりに返したカナヘビは、今回の事態対処の総責任者である阿形危機管理局長の疲れた顔を思い出している。
「幕僚部はO5と相当やりあったみたいでな、Wanzava'rの情報提供」
「最高司令部が独自にO5へ打診して、ようやくという話を聞きました。秘密主義で人類が守れますか」
「究極的にボクらはボクらが生き残ることを目的としとる。それはそちらも同じと違うか」
 ついに一分を切った行動開始予定時刻ゼロ・アワーまでのカウントダウンが、オペレーション・ルームの喧騒を徐々に溶かし始めていた。続いていた音声や足音が静まれば静まるほど、場の意識は作戦海域を放送し続けるスクリーンへと向けられていく。
「どうなるやら……」

空白
空白

日本国茨城県鹿島灘沖 海自・米国海軍・GOC共同任務部隊
「ホエール・ハント作戦(第I期着上陸侵攻対処 洋上対処オペレーション)」
20█年8月12日 午前10時20分00秒 (UTC+9)


空白
kashima-port.jpg

空白
空白

「各部対潜・対水上戦闘用意よし」
「一〇二〇。ホエール・ハント作戦フェーズ・ツー開始」
 哨戒機のソノブイ24といえども、常にその巨体を音波でとらえつづけることは困難だった。財団の緊急調査派遣団との戦闘を経て格段に巨大化したWanzava'rは、確実に対戦相手の特徴を取り込んでいる。自らの姿を浮かび上がらせようとする音波と電波を表皮のごくわずかな突起を動作させることで吸収し、70メートルの巨体を最小限の動きで前進させていた。
「Ch-20機雷投下」
 海上に隊列を組むシーホーク25とそのマイナーチェンジたちが、一斉に海中へ対Wanzava'r用の特殊爆雷を投下する。断続的な投下が60秒間続き、黒く塗装された円筒が急速に規定深度まで沈下していく。Wanzava'rは先の対潜・対水上戦闘ですでに爆雷の存在を知悉していた。視覚機能を退化させてまで強化した聴覚が爆雷投下を聞き分けると、怪物は深度を急速に下げて速度を上げる。
「起爆します」
 自動制御された爆雷は怪物の位置情報を共有しつつ、一斉に破裂して中身を拡散させた。Ch-20化学特殊爆雷ケミカル・ボムには炸薬はほとんど封入されておらず、内部の対潜ネット流体を瞬間的に海中で展開させる最低限の量だけが含まれている。黒い粘性を持った網が、Wanzava'rの硬化した深緑色の鱗に取り付き、手足を退化させた振動翼の動作を掣肘する。
「目標の進行速度低下を確認」
「対潜用具開け」
「CIC指示の目標。アスロック26、発射始め──」
 財団からの戦訓を経て、合同任務部隊の水上艦および潜水艦はWanzava'rから1キロ以上の距離を取っていた。哨戒ヘリが上空へ退避したのち、各艦のVLS27から白い槍が次々に打ち上げられる。陽光に照らしあげられるアスロックが海上を切り裂くように滑空し、所定の地点に到達するとパラシュートが開き減速、ロケットモーターを分離して海中に没した。
 速度を5分の1まで落とされたWanzava'rの背鰭に、合金製の弾頭が高速で襲い掛かる。伊豆諸島沖の深海戦と異なり、水深の浅い阻止作戦では速度による貫通力が桁違いに大きくなっていた。怪物にとってそれは誤算というほかなく、背骨が数か所破砕され、長い巨体がくの字に折れる。一時接収中の横須賀の海上作戦センターMOC28では、それを受けて驚嘆のため息が広がった。
 センターにいる財団情報システム部門機動部隊は作業の手を一時止め、血を吐いて動かなくなるWanzava'rをモニター越しに見守る。多くの職員が知らされているすべては、Wanzava'rがSCP-682と全く同義の存在ではないということと、しかしながらそれに近い存在であるということだけだった。
 だからこそ、死んだ怪物のヒューム値が変動しだしたとしても驚きはしなかった。
「攻撃します。右対潜戦闘。CIC指示の目標、グングニル29発射始め」
 GOCは蘇生の兆候を確認すると、ただちに行動を起こした。物理部門有する巡洋艦2隻が後部VLSを開き、呪術文様に彩られたアスロックが姿を現す。2メガキャスパー30:エボニー31:シャープ32:タイト33の調整がAM-12と通称される戦闘知性の手によって施され、弾頭に積まれた炸薬に浸透する。
「発射用意、撃ててーー──バーズアウェイ」
 数秒の後、輪形陣の中央で水柱が上がった。強力な現実維持作用が海域を侵襲し、Wanzava'rが周囲のヒュームを吸収する作用を阻害する。フラットの作用が蘇生という現実改変事象を抑制し、怪物の死という現実の強度を補完してとどめ置こうとする──はずだった。
 輪形陣の一角で、再び水柱が立つ。白いしぶきの中に現れた汎用型護衛艦は、Wanzava'rに中央から食い破られながら水上へ押し上げられていた。脱落した装甲板や弾薬、構造物の一部が次々と海面に白い花を落とし、バイタルパートを派手に切り裂かれた護衛艦は悲鳴のような軋みを上げた。
 それは初めて怪物が、海上へ姿を現した瞬間となる。霊長類と爬虫類の中間の形状をした頭部には乱杭歯が並んでおり、驚異的な噛咬力で艦底へ食い込んでひびを走らせる。太い胴長の体には三対の脚が並び、そのうち一対は人間の手のように長く発達していた。しかしいずれも長い海中行動のうちに退化の傾向が見え、振動翼のような鰭が外腕に沿って生えている。
「"むらさめ34"大破。目標再び潜航」
「なんで生きてる」
「EVEを集積したのは蘇生のためではなく、単なる形態変化のためだったということでしょう。蘇生自体は現実歪曲なしでやれるってことです」
「あれと戦っていたのか、俺たちは」
「10キロだぞ……早すぎる」大型タンカーに仮装した巡洋艦『GOCS いつくしま』の艦長は双眼鏡から目を離すと、哨戒ヘリからの報告を見て目を見開いた。「まさかスーパーキャビテーションか」
 哨戒ヘリに頼らずとも目視で確認できるほど、海面に白い膜が拡散している。Wanzava'rの航跡が、大量の気泡となって海面に浮上したものだった。
「海水温に変化あり。ソーナーの効果範囲に変化が出ています」
「間違いない。奴はなんらかの方法で短時間に推力を得たんだ。全速で奴から離れよう。そう長い距離は航走できない」
 一角の欠けた隊形が急激に広がり、海岸側を閉鎖するように再編成されていく。Wanzava'rの位置は現時点で海岸から80キロを切っており、すでに日本の領海目前まで迫ってきている。今や防空識別圏を内側に抜けようとしており、財団はE~Kクラス緊急事態宣言を布告しかねない状況下にある。
「──フェーズ・ワン終了」
「どうしますか……確認できる限り、有効な攻撃と呼べるものは何1つない」
 海上作戦センターを支配する空気は開設以来最悪のものだった。静まり返った部屋の中で、財団の情報システム機動部隊だけがもはや無用となりかけてしまった作業を続けている。
「まだやれます。ラムアタックを仕掛けてでも奴を止めるべきです」
 机を叩いて立ち上がった自衛艦隊幕僚長は、無念と敵愾心に青筋を立てている。彼の怒りの矛先はしかし、あの怪物に向けられたというよりはこの場に紛れ込んでいる異物たちへ向けられたものだった。性急すぎるPEJEOPATによる接収命令や、海自関係者をほとんど通さない作戦計画策定と、組織の威信をことごとく踏みにじってきた者たちの前で、このまま引き下がることをよしとはできない──偽らざる彼らの総意だった。
「……いや」海自籍の艦を率いる艦隊司令官は、暑そうに襟をはためかせてから、顔を上げた。「ここまで彼に攻撃の効果が認められず、この先もこのような我の被害が増大するようなら──海自としては現時刻をもって作戦終了を具申する。GOCの判断をお聞かせ願いたい」
 海自の青い戦闘服に混じっていた黒いデジタル迷彩のGOC物理部門将校たちは、なんの合図もなく額を寄せ合う。ナノマシンによる秘匿会議が終結するまでに要した時間はたった3分だったが、敗色濃厚のMOCにとっては十分に長すぎた。やがて艦隊幕僚長が再び立ち上がろうとしたその刹那、唐突にGOCの幕僚たちは向き直った。無表情に視線だけを交わし、GOC物理部門代表の総監 "篳篥ヒチリキ"は沈黙を破る。
「現時刻をもってホエール・ハント作戦は終了とします。海自および米軍艦艇はただちに戦闘海域から離脱を」
「あなた方は、どうするんだ」
 青ざめた顔をハンカチで拭いながら、自衛艦隊司令官は非人間的な同業者たちに問うた。
「無人の艦艇をぶつけて爆破します。ある程度の時間稼ぎにはなるでしょうが」"篳篥"は、はじめてそこで露骨に表情を出した。「国民に対する隠蔽はもはや困難になります。あとはわれわれにもわからない」

空白
空白


空白
空白

tsuduku2.jpg

空白
空白

ハブ

« 第一部 | 第二部 | 第三部 | 第四部 »

「大怪獣決戦テイルシリーズ」

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。