大怪獣決戦テイル 第二部
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日本国埼玉県 旧サイト-8181広域司令部 巨大脅威存在合同対策本部
「巨大脅威存在に関する財団・GOC科学リエゾン情報共有会議(第1回)」
20██年8月12日午前10時45分19秒 (UTC+9)

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「科学部門の見解は」
 見事に部門ごと接収されてしまった科学部門次官の結城は、意見を求める対策本部長が気に入らないとでも言うように眉をしかめている。
「天地部門の出したレポートは読みました。巨大脅威存在のEVEがグングニルによる攻撃の際に特徴的な反応を見せたというのは興味深い。おそらく彼らの言うとおり、巨大脅威存在にはEVEに対する感受性が高い器官が存在することは間違いないでしょう」
 心なしか気だるげな科学部門次官の受け答えにむっとしたGOC派遣のリエゾンたちは、気丈に会議室のスクリーンに新たな写真を映す。ホエール・ハント作戦中に対潜ヘリ隊が撮影したもので、いくつかのレイヤーに分かれた数枚が一挙に画面を分割する。そのうちのいくつかは、カラフルな色調で彩られていた。
「これは通常の超望遠レンズで撮影したWanzava'r──巨大脅威存在です。背部にはVLSに似た構造体がぼやけていますが確認できます。財団が第一撃を加えた際に撃沈された駆逐艦か、あるいは潜水艦のものでしょう。ここまでは事前にある程度想定されていたものでした」
 問題は、とリエゾンの科学者は続ける。ラップトップを操作して、次のカラフルな写真を大写しにした。
「ご覧ください。GOCの持つ機材で撮影した、グングニルによる高度現実攻撃後の巨大脅威存在です。受傷した部位にシャープやダブル・シャープと表現される強力な現実維持作用が働いています」
「ホエール・ハント作戦であなたたちは巨大脅威存在を殺して、その現実を補強するためにグングニルを撃ち込んだんじゃなかったのか」
 阿形の率直な疑問は、リエゾンたちの会話に対する良い相槌となった。我が意を得たりといった表情になったリエゾンのリーダー格は、細かく頷いた。
「海上総軍の奇跡論技師は最終的に、とくにこの強力なダブル・シャープのピッチがグングニルによる作用ではないことを突き止めました。Wanzava'rは不死身の性質を初めから持ち、グングニルの現実維持作用にオーバーラップする形でみずからの蘇生を早めるために利用したと考えられています」
「要は火に油を注いだと」
 結城が滑り込ませた皮肉によって、会議場の雰囲気はいよいよ険悪なものへと変貌した。数秒の沈黙が話の継ぎ穂を完全に断ったあと、阿形はおもむろに咳払いを行使して、議事の進行を促す。
「……ええ、グングニルの調整では単なるシャープレベルの現実維持作用が想定されていました。しかし実際は──」
 対策本部長から視線を受け取ったリエゾンは憤懣遣る方無いと言った様子だったが、それでも自らの責務を果たすことに異存はなかった。黄緑のビブスを着た腕が、写真中の青を通り越して焦げ茶色になった部分を指差す。
「シャープを通り越してダブル・シャープの規模で現実維持作用が観測できました。……GOCは以上の観測データをもとに二つの結論に達しました。すなわち、巨大脅威存在には生物の基本的な形質として蘇生の能力を持つこと。そして体内に高度に構造化されたEVE──あなた方で言う高いヒューム値を持つ現実性──を内蔵していること。この二点です」
「財団科学部門としてもその結論について疑義を差し挟むつもりはありません」ペンをやや粗雑に放り出した結城は、ひとりごちる。「奴の目的は首都レイラインか……」
「そう、首都レイライン。GOCは旧東京市域・首都レイライン構造こそが巨大脅威存在の目標であると断定しています」
「仮にWanzava'rの目的が都心部のレイラインであったとして、そこで奴は何をする気なんだ」
 対策本部長が疑問は当然のものだった。キャリアの殆どを危機管理畑でやってきた阿形にとって、統一奇跡論を交えた超常行動生物学など門外漢もよいところである。
「巨大脅威存在は体内に取り込んだモノの現実性を収奪し、自らのうちに溜め込んでいると思われます。大規模なEVE放射の構造体──高ヒューム値空間の現実性を限りなく自らに集積することよって、一種の神格存在へ進化するのが狙いではないかと」
「現実性を溜め込む……。それだけで神格存在になることは可能なのか?」
 初学者による教科書通りの質問に、リエゾンはあくまでも端的な物言いを崩さずに答える。
「不可能です。神格とわたしたち通常──あえてこの言い方をするならばですが──の存在との間には、奇跡論や現実構造力学でも説明不能な存在の相違が存在しています」
 阿形の眉目がくもり、説明を求めるように結城の方へと視線が滑ってくる。老齢ながら美貌を保つ女性研究者は、難しい顔のまま「神格存在とは──」と講義を始める。
「一括りにいうと、神格存在、タイプ・ブラック──この場合では、エクスマキナと呼ぶのが適切かもしれませんが──は生贄や儀式、反動を必要としない現実改変能力のうち、特にその能力の程度が高度なものを指します。たとえばただのタイプ・グリーンのようなあくまでも通常の存在の範疇にある者が、どこまで現実性を溜め込んだとしても結局神格存在の持つ現実再構築能力にはとても及ばないということです。
 これらタイプ・ブラック──神格存在と通常のタイプ・グリーンの能力の間には深い溝が存在することが予想されています。タイプ・グリーンでも願望成就などの外的影響型と、タイプ・レッドと呼ばれるような卓越した自己再生能力などの内的影響型に分かれたりしますし、因果律に干渉するものや精神への干渉を主とするものもあります。タイプ・ブラックはあらゆる性質において高度な能力を持つものがそう呼ばれるのです。あのデカブツがこれまで行使した現実改変能力は、自らの身体部位の欠損を埋めたり、捕食した物質を解析して自らの器官として取り込むような場合などが目立ちます。つまり、ごくごく小さな規模でしか現実改変能力を行使していない。いえ、現状ではその程度の力しか持たないのかもしれません」
「結城博士のお話と同様の結論に、われわれGOCも至っています」
 リエゾンたちは怒りの矛を収めて、不遜な財団の上席研究員に同調する様子を見せていた。
「Wanzava'r──巨大脅威存在はこの基底次元に"存在し続ける"こと、それ自体を現実改変に頼っている可能性があります」
「つ……つまり、どういうことなんだ」
 額を抑える官僚は呻きを上げ、首を振って難解な説明の絡まりをほどこうと試みている。
「奴はこの基底次元の出身ではない可能性がある、ということです」
「なに」
「可能性の話です」結城はそこで話をさえぎって、それよりも、とGOCのリエゾン連中を見回す。「現状東京の方角へWanzava'rが向かっているのは事実ですが、われわれが検討すべきは奴のイニシエーションの方法とそれをいかに阻止するかです」
「しかし結城博士。奴がこの次元の存在でないとするとタイプ・ブラックへの変異自体、この基底次元の法則を当てはめることは危険です。もしかするとやつは、すでにタイプ・ブラックとしての能力を獲得している可能性すらある」
「だとしたら」白い指でリエゾンの顔を指しながら、科学部門次官は言う。「わたしたちに打つ手はありません」

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日本国埼玉県 旧サイト-8181広域司令部 巨大脅威存在合同対策本部
20██年8月12日午前11時00分37秒 (UTC+9)

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「結城博士、話がある」
「でしょうね、こんなところに呼び出して」
 オペレーション・ルーム横の会議室を改装した本部長執務室には、部屋の主たる阿形と対策本部主任研究員である女の姿があった。
「先刻の会議は有意義だった。巨大脅威存在の目標に対する考察は今後のオペレーションにとって大いに役立つ。すぐに理事会へ今回の結論について報告する。結城博士も万障を排し、今回の要請に応えてくれたことを感謝する」
 明らかに回り道をしている阿形の態度は、彼の背後関係を露骨に想起させるものだった。理事会直轄の"中央"──幕僚部と称される組織は各サイトに存在する内部部門の元締めとして君臨する。阿形はその中でも危機管理の長として、このような状況に際して絶大な権力を手にしているはずだ。
「……それで、本題は」
 直立不動でいる白衣の女は、相手の文脈を読むなどという行為に意味を見出すつもりはない。
「さきほど、理事会で機密指定の解除が決定された。結城博士、君に伝えておく必要がある情報だ」
「前置きはもう十分です」
 日頃の激務で神経が削られているのか、阿形の眉目はみるみるうちにくもった。この女に機密を任せてよいものかと自問する瞳は、同じぐらい不機嫌そうな結城の表情を捉えている。しばらくすると対策本部長は分厚い資料を机上に広げた。
「SCP-682-E-1輸送計画要綱……。例の怪物の細胞、本土に持ってきていたんですか」
「数週間前東京付近を通過し、最終的に長野にあった地下保管施設に運び込まれた。理事会は、これがWanzava'rを引き寄せた一因なのではないかと疑っている」
 確かに、輸送ルートにはI5群からの定期便としてWanzava'rの幹細胞サンプルが鹿島港に運び込まれた、とある。その後埼玉県を通過して長野県に入り、付近の大規模保管施設へ運び込まれ、以後の情報は機密指定されたままであった。怪獣映画であれば、よくある展開であろう。自分の子供を取り上げられた怪獣が怒り狂い、人類へ復讐にやってくるという筋書き。
「一因であっても、主因ではないと思いますね。……しかし、これは朗報であるかもしれません。あの怪物が収容違反を起こす以前のサンプルがまだ残っているんでしたら、こちらで分析を行うこともできます」
「……理事に談判してみよう」
「ありがとうございます」
 組織令で組み上げられているロジックに対して無関心な研究者は、上司の配慮に最低限の謝辞で応えた。面倒な仕事を1つ増やされた格好の阿形は、さっさと扱いづらい部下に消えてもらうべく、席を立とうとする。
「……しかし、不足です」
「それですべてだ。I5群からもほとんどのデータが失われている」
「対策本部長」結城は受け取った資料を早々に秘書官へ預けると、執務机に詰め寄った。「トミー・レイク上席研究員が所掌していた事務に関する情報をわたしに開示してください。これだけではないでしょう。隠し立ては失敗に直結します」
 凄みをのぞかせた科学者の剣幕に気圧されていた官僚は、しかし落ち着きを払った声でこう答える。
「残念だが本当なんだ。RAISAはI5群での計画に関する機密の一部について永久凍結を決定していたが、君たちリエゾンに対しては指定解除を承諾した」
「しかし──」
「もちろん、このオペレーションに必要な情報についてはわれわれも収集を継続し、すべて明け渡す。それは約束しよう」
 そんなことはできるはずがない、と結城はつぶやいていた。現場で作戦を実施する人間にすら、今必要な情報とはなんなのかを完全には把握できていない。そんな状況で行われる情報収集に、どれだけの信頼を置くことができるのか。
「結城博士。君がいま世界でもっとも、あの怪物について詳しい人間だ。よろしく頼む」
 本部長執務室の扉が閉ざされる。女は秘書官に伴われて、その場に立ち尽くしていた。怒りは疲弊によって無気力へと消化されかけていたが、手は無意識に職員証へと伸びていた。
「ちくしょう」
 マニキュアの剥げた指が職員証を千切り、手の中でもみくちゃにされたビニールが床にたたきつけられる。警備員たちの注意を引いた結城は、ばつが悪そうにその場を後にした。

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日本国東京都千代田区 内閣総理大臣官邸 5階
「内閣総理大臣執務室」
20█年8月12日 午前11時1分50秒 (UTC+9)

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「総理、GOCと海自の阻止作戦が失敗しました」
 細谷は電話を切るや否や、ソファーに腰掛ける男に叫んだ。部屋中に動揺が走り、ただ二人とその取り巻きだけが平静を保っている。内閣総理大臣秘書官(超常政策担当)なる奇妙な職掌を持つ二人の男女は、閣僚らを集めた執務室で異様なオーラを放っていた。スキンヘッドの初老とショートの妙齢の女性という一見すると役員と秘書のような二人組は、それぞれ同じ使命を背負って立っている。
「海自で処理できなかった奴を、財団と連合は本当に処理できるのか」
 日本国の国家元首は、この期に及んで自らの動揺を隠そうとは考えていなかった。状況は常軌を逸しており、尋常ならざる災厄が国家へ降りかかりつつある。
 閣僚たちから向けられる敵意の視線をものともせず、秘書官たちは一国の元首へ恫喝めいた言葉を浴びせる。
「予定通り原子力緊急事態及び災害緊急事態を布告し、財団とGOCの戦力を都市部へ展開します」
「……国内にしろ、海外にしろ、報道はどうなる」
「問題ありません。すでに数十ヶ国で報道管制を開始しています」
「しかし、道路も港も空港も、すべて止めてしまった。これから我が国がこうむる経済的損失は計り知れないんだぞ」
「時間がございません。あらゆる手を尽くしましたが、カバーストーリーとして大規模なものを流布させるほかはないと判断しました」
「総理、お気持ちは痛いほどわかります」細谷は、自らにも言い聞かせるように言う。「しかし、われわれには対処できないこともまた事実です」
「……わかっているよ、そんなことは。わかってるんだ」

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【速報】関東地方で震度6強観測

 12日午前10時55分ごろ、茨城県で震度6強の地震があった。気象庁によると、震源地は茨城県沖、震源の深さは約10キロ。地震の規模はマグニチュード(M)7.0と推定される。

 各地の主な震度は次の通り。

 震度6強=██████、█████(茨城)▽震度6弱=█████、█████、████(茨城)、███、███、███、███(千葉)、███、█████、███████、███(東京)など▽震度5強=███、██████、████、█████(埼玉)███、██████、██████、███(神奈川)█████、████、██████、███(茨城)、███、█████、█████、█████(東京)███、█████(千葉)など

報道用テンプレート
制作 財団 報道管制部門
協力 世界オカルト連合 広報・情報隠蔽部門

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 関東地方は約1世紀ぶりに大地震に見舞われた。東京湾内での津波発生や都心部での交通麻痺、大規模火災の発生という「状況」が次々に行政から発表された。同時に財団と世界オカルト連合のミーメティック兵器運用部隊は、防災無線からテレビ番組にいたるまで、避難を促すミームを混ぜた内容を放送させ始めた。
「これから第II期着上陸侵攻対処オペレーションが開始されますが、万が一進攻阻止に失敗した場合にはカバーストーリーの規模を段階的に拡大し、並行して都心部へ散布するミームの強度を上げていきます」

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【速報】██第2原発で暴走事故

 12日午前11時00分ごろ、茨城県████市██第2原発1号機において原子力災害対策特別措置法第15条事象(原子炉冷却機能喪失)が発生していると通報があった。████████社(株)によると、茨城沖の地震発生後に緊急停止システムが作動せず、原子炉の冷却が困難な状況下に置かれているという。

 これを受けた政府は11時30分に原子力緊急事態、および災害緊急事態を布告している。 

報道用テンプレート
制作 財団 報道管制部門
協力 世界オカルト連合 広報・情報隠蔽部門

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 この国にとって2度目となる原子力緊急事態は、茨城県の原発が暴走状態にあるという報道から始まり、数分のうちに布告が行われた。ほぼ同時に災害緊急事態の布告も行われ、国会が閉会中であることから議決を事後に回す形で、国家は緊急事態にあることを宣言した。
 災害緊急事態の布告によって、陸上自衛隊第一師団/東部航空方面隊と航空自衛隊中部航空方面隊へただちに出動命令が下された。GOC指揮下の海自による行動は厳重に秘匿され、現時点から命令が下りたということにされている。
「立川へ避難? なぜだ、まだ都心に直接的な脅威は迫っていないだろう」
 すべてが総理執務室で事後的に決められていく中、正体不明の巨大組織はついに首都機能の移転までも口にし出した。当惑が部屋中に広がり、政府首班は思わず立ち上がって声を荒げていた。
「あくまでも、予防的措置です。巨大脅威存在の能力は未知数です。急速な変異によってミサイル攻撃能力を獲得し、都心部へ向けた長距離攻撃を行う可能性も否定できません」
 国家元首の男は細谷の顔を見て、それから背後で無表情に立っている二人組をにらんだ。細谷はあくまでも、フクロウの役回りを押し付けられているに過ぎない。
「だが、立川では十全なオペレーションのフォローができない。災害対策本部予備施設は市ヶ谷や内閣府からも遠すぎる」
 自分の腹心である補佐官が見事に取り込まれてしまっている状況に、総理はひょっとすると件の怪物に対する以上の恐怖を覚えていた。
「財団やGOCといえども、副大臣や政務官を含めれば50人以上になる行政関係者を一度に失えば政治的空白を作らざるを得ません。生き残るために必要なことはすべてやるべきです」
「体のいい厄介払いじゃないか……」
 細谷はただでさえ疲弊の色濃い総理の顔が、さらに青ざめていくのを痛ましく見守っていた。この件に関する基本対処方針の決定もオペレーション実施も、明らかに政府には重すぎる荷だった。
 立川へ政権を避難させる計画は、総理の言うとおり厄介払いが目的の1つであることに疑いはない。だが鹿島灘でのオペレーションを見守っていた細谷には、リアリティある事態として都心への攻撃が想像できた。
「これは要請ではありません。合同対策本部の出した決定として、政府はそれに従うしかない」
「……もういい。わかった。やるしかないのだろう」
「ご理解いただけたようで、大変嬉しく思います」
 狭間がここぞとばかりに歩み寄って、細谷の前に進み出る。敵意よりも疲労のほうがより多く含まれた目が、官僚の禿頭を見上げた。
「われわれの避難に関しては了解した。だが」ゆっくりと、だがはっきりとした声音で政府首班は問う。「……"ご一家"はどうなる」
「すでにPEJEOPAT条約軍が保護し、京都御所へ移送中とのことです」
 "財団"秘書官の淡々とした報告は、この場に少しの安息をもたらした。保守政権の総理大臣は、放心したようにソファーに身体を預ける。
「……そうか。東京ここはもう首都ではない、ということか」
「首都でなくなったとしても、敵の最重要攻撃目標です」

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日本国埼玉県 旧サイト-8181広域司令部 巨大脅威存在合同対策本部(旧サイト管理官執務室)
20██年8月12日午前11時19分43秒
(UTC+9)

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「対策本部は、まだあの告発に気が付いていないみたいだ」
 コーヒー入りの紙コップを慎重に置いた結城は、今日はじめての食事を今から始めるつもりでいる。
「まあ、キミも二週間まるまる気が付かなかったわけやしな」
 なんかイヤなことでもあった? と旧知に問うカナヘビは、しおらしく首を振る結城の様子に予想が的中したことを知った。多少憐憫の情を見せたサイト管理官は、亡き旧知が残したメッセージに関する調査を始めていた。同情なら結構だ、と言い張った結城も、これまで拒んでいたリエゾン班への班長就任を正式に承諾し、財団側のWanzava'r研究の最前線で指揮を執る立場となっている。
「レイクの告発はいったい何を目的としているのか、それはまだわからない。けど、奴らが隠していた機密はそれだけじゃなかった」
「なんや」
 結城が取り出してきたのはフラッシュメモリだった。SCL4以上専用の端末でしか再生不可能な機密が格納されており、その中身はある機材の設計図であった。
「新型スクラントン現実錨……」
「単にヒューム値を固定するだけじゃなく、現実性を流動的に操作できるらしい」
「そりゃつまり──」
「そう。つまるところこれは、現実改変能力を一部機械化したことになる」ついさきほど手に入れた機密資料を広げた結城は、付箋の貼られた数ページを指さす。「長野に運び込まれた幹細胞だけど、その護衛にはこの新型が使われたらしい。作戦にもこれを使う」
「作戦? あのトカゲとドンパチやるんやろ」
「そうだけど、金属ヘリウム爆弾で仕留められなかったときのための予備計画の立案はわたしがやる。皇居にこれをありったけ配置して極高ヒュームを作り出す」
「現実の檻ってことか」
 作戦がうまく行くかはわからない、と結城は漏らした。これから編成されるPEJEOPATに基づく統合軍は、兵力だけを見れば強力な部隊であるに違いはなかった。財団とGOCは在日米軍を含む全自衛隊戦力をすでに接収しており、その気になればそのすべてをWanzava'rに叩きつけることすらできる。
 だが科学リエゾン班班長の見解はより悲観的で、前例のない高度現実性による活動の強制停止という作戦に対しても懐疑的な姿勢だった。財団もGOCも、"ノットホール"作戦失敗後には純粋水爆による飽和攻撃以外にオプションを用意していない。民間人数千万が巻き添えを食う可能性があったとしても、O5や最高司令部は確実なオペレーションの遂行を優先するであろう。
「でも、どないすることもでけへんやろ」
「1つ提案がある。万が一ノットホール作戦が失敗した時のための最終手段だ」
「なんや」
 結城の表情にかかる翳は今までになく濃く、カナヘビを見つめる瞳には昏さが密閉されている。
「カナヘビ、わたしたちのために死んでくれるか」

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日本国埼玉県飯能市 旧サイト-8181 PEJEOPAT条約軍総司令部 中央作戦指揮所
20█年8月12日 午前12時4分49秒 (UTC+9)


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「現在Wanzava'rは鹿嶋灘海岸1キロで微速ながら進行中。我は荒川・隅田川を絶対防衛線とし、一気呵成に火力を集中します。はじめの一撃に全力を投射し、進行阻止に失敗した場合は段階的に攻撃を加えつつ皇居周辺のヒューム値を極限まで高度化し現実性防御に努めます」
 接収した陸自の第1師団1・自衛艦隊第1護衛隊2・空自第3航空団3・米空軍第35戦闘航空団4、財団機動部隊所属の回転翼機隊、GOC所属の機甲部隊を中心とした共同統合任務部隊CJTF、「シュラ師団 (Sura Division) 」が本作戦に参加する戦力となる。財団保安部門/機動部隊・世界オカルト連合物理部門/108評議会団体の各兵力・3自衛隊・在日米軍・各軍兵站機構をすべてPEJEOPAT防衛計画委員会でまとめあげるのは不可能に等しい難事であり、結局財団とGOCの2者による管理が妥当という結論を得た。
 防衛計画で阿形たちが苦慮の末に実施したのは、統合軍の司令部および連絡会議として全軍の上部に「既存日本超常組織平和友好条約機構軍(PEJEOPAT条約軍)」を創設するというものだった。組織図に新たな階層が書き加えられたことで、財団およびGOCは自衛隊と米軍を国家主権から切り離し、これらに対して直接の指揮権を有することとなる。
 同時にシステム面での統合も進められ、財団81地域ブロックはGOC極東部門に対して戦闘指揮管制システムをオープンソース化するという異例の対応を決定した。サイト-8181の合同対策本部/PEJEOPAT条約軍総司令部に機動部隊の使用するメインフレームが運び込まれ、戦闘指揮の一元化が図られている。
 特例と異例が手をつないで踊り狂う前代未聞の統合軍編成は、財団とGOCの持つ官僚組織の柔軟性に大きく依って立つものだった。硬直的な国軍と政府、国家官僚たちをゴムの膜で包み、紐で縛り上げることを"統合"と呼べるのであれば、今回の施策は間違いなく統合であった。
「住民の避難誘導は」
 条約軍創設の辞令で合同対策本部本部長/条約軍最高指揮官として全権の総覧者となった阿形は、GOCから出向した物理部門総監 "篳篥"とともに長机の最も奥に位置している。
「作戦区域内の避難対象者の避難誘導はすでに85パーセントが完了しており、財団およびGOCの両倫理委員会における作戦行動基準を満たしています。しかしながら二次・三次の避難区域が広大であるため、受け入れ先確保が困難です。現在対策本部が財団サイトやGOCベースの一部開放に向けて協議中です」
 GOC出身の条約軍総司令部第2部長(情報担当)は神経質そうな細面で、財団の機動部隊出身将官たちを見回す。いかにも官僚といった者もいれば、軍人といった風情の人間もいた。
 オペレーションの全体統括を対策本部が、オペレーションのうち特に戦闘任務に関するものを総司令部が担当するという分掌が行われ、財団とGOCの意思疎通は複雑を通り越して怪奇のレベルに達している。
「第3部長、施設構築はどうなっていますか」
「現在北浦5金属ヘリウム地雷群が設置完了。茨城県内の施設構築は90パーセント完了しています。現在都内での施設構築が難航しており、渉外部門・精神部門で接収を進めています」
 第3部長(作戦担当)は財団機動部隊出身の中将として、幕僚中の最先任でありながらもっとも武人然としていない女性だった。黒縁メガネに青白い肌、皺の少ない若々しさと病弱さの濁った表情は、報告を読み上げる間もほとんど動かない。
「部隊展開についてですが、第1戦車大隊が茨城県内の東関東自動車道と京成本線に沿って展開、こちらは配置完了となっています。特科大隊は千葉県中部、高射特科中隊は静岡県御殿場駐屯地に陣地を設営し、30分後には展開が完了する見通しです。また、Wanzava'rの予想進路上に財団-陸自混成の回転翼機隊を配置し、第1飛行隊として運用します。さらに、現在空自ならびに在日米空軍、海兵隊が固定翼機の戦闘空中哨戒CAP運用に際し調整中です。以上、PEJEOPAT条約軍隷下「シュラ師団」第1戦闘団は30分以内に展開完了の予定です」
「把握しました。都内の施設構築に関しては対策本部と協力して早急に進めてください。第2戦闘団の展開完了を待たずにオペレーションを開始します。皆さんオペレーション・ルームへ移動してください」

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日本国茨城県香取市 利根川河川敷 PEJEOPAT条約軍「シュラ師団」前方戦闘指揮所
「シュラ作戦(第II期着上陸侵攻対処 海岸および着陸地域対処オペレーション)」
20█年8月12日 午前12時34分50秒 (UTC+9)

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「巨大脅威存在の戦闘移行線突破を確認。繰り返す、巨大脅威存在が戦闘移行線を突破。送れオーバー
戦闘指揮所CP6了解。シュラ作戦発動。作戦開始。作戦第1段階、航空誘導開始。オーバー」
第1飛行隊コンダクター1、行動開始」
 攻撃ヘリが隊列を組んで、再び姿を変えた怪物に向かっていく。GOC所属駆逐艦の自爆攻撃を受けて活動を停止したWanzava'rは、断続的な砲火を現実改変によって極小化、艦隊の残骸を取り込んで成長を続けている。深緑色の体表は地上に出ると、護衛艦の塗装を取り込んで灰色へと変化していた。それだけにとどまらず、背部の気孔と鰭は急速に発達して細く伸び、まるで細い木が林立しているかのような様相を呈している。
「モニタリングポストが強力な電磁波を検知しブラックアウトしました」
「背部アンテナ群はレーダー機能を具備していると推測できます」
「電磁防護済みでない資産を奴に近づけるな。作戦は予定通り続行する」
「予想針路との誤差修正。地点IPへの直線コースと合致。これより誘導に入る。オーバー」
 怪物は徐々に短く退化しつつある頭をもたげ、空中に待機する回転翼機の群れを見上げた。深海生物の形態をとっていた時からは想像もつかぬほど発達した眼球は、顔面の正面と側部に1つずつ、合計4つが独立して動く。回転翼機隊は高出力エヴァーハート共鳴器でWanzava'rの第6感覚器官を刺激し、注意を惹き始めた。
 EVE放射を検知・可視化するVERITAS7のような機能を有していると想定される第6感覚器官は、しかし身体のどの部位に存在しているのかが不明瞭であった。この器官を破壊できれば、必然的にWanzava'rは皇居──地点IP──がどこにあるかを理解できなくなり、都心部への進攻を阻止できる可能性がある。条約軍の採用したドクトリンは徹底的な物量作戦であり、怪物を完膚なきまでに叩くことを目標としていた。
「CP了解」
 第1飛行隊コンダクター1の任務はただ1つ。Wanzava'rを現在地点からたった8キロだけ北へ誘導し、北浦──地雷群直上へと招き入れることだった。空中すら、すでに怪物に対する安息の場所ではない。総司令部第2部の報告によれば、汎用護衛艦や原子力潜水艦を捕食したとみられるWanzava'rには、対空兵器という概念が発生しているとされていた。
「目標、我を追尾中。推定時速30キロ」
「あと15分で地雷群到達か、現場人員の避退は」
「すでに撤収を完了しております。2分後に被害半径を離脱との報告です」
「空軍調整連絡官へ通達。指定空域への飛行を禁ずる旨を再度確認するように」
 Wanzava'rは、地上における移動というものを知る以前から、すでに足を備えていた。それはおそらく地上生物の遺伝子が強く発現したものだったが、対峙する職員たちにとっては全知の神を思わせる光景だった。鰐のように関節が外部を向く構造は、走る速度を上げるたび徐々に軋みを上げていく。
 長い巨躯は120メートルへ達しようとしており、蛇行を繰り返す怪物は住宅地をすり潰すことに余念がなかった。尾は一時体長の7割を占めていたが、地上への進攻に伴って短く退化し、ネコ科に近いバランス維持を目的としたものへと変わっている。
「CP、コンダクター01。目標の形状が変化。背部レーダー群が左右に展開中。対応の要否を問う」
「コンダクター、CP。目標背部に未知の器官を確認。対空火器の可能性があるため欺瞞手段使用を許可する。必要あれば回避せよ」
「コンダクター01了解。あれは──」
 その瞬間、怪物の背中は何かによって突き破られた。

空白
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日本国東京都立川市 立川広域防災基地 緊急災害対策本部予備施設
20█年8月12日 午前12時36分12秒 (UTC+9)

空白
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「あなたがたがそう言うなら、信じるしかないが」
 立川広域防災基地への移転を余儀なくされた総理大臣以下の閣僚たちがまず気にしたのは、京都御所へ移されたという皇居の住人たちの安否だった。財団報道管制部門とGOC広報・情報隠蔽部門の協働によって、国内の情報統制はほぼ完全な形で進行しており、この動座も国民一般には知らされていない。
「あの怪物は、どうなんだ。駆除できるのか」
「現在茨城県の沿岸部で作戦が進行中です」
 財団派遣の秘書官である男が答え、総理大臣は不安そうに唸った。設置された緊急災害対策本部は、多くの人員を合同対策本部へ引き抜かれて機能不全に陥り、現状日本政府が独自で何かを為す能力は残されていなかった。中央省庁に対しては条約軍の指示によって避難命令が出されていたが、一部の職員は指示を無視して残務処理を続けようとしていたという。
「それであれを殺せるんですか」
「少なくとも皇居への進撃を止めさせることは可能なはずだと」
 細谷の質問に、GOCの女性秘書官が歯切れ悪く答えた。そのやりとりを見守っていた総理は、まるで信用できないというように、ため息をつく。先ほどからほとんど官邸のお守りと化しつつある首相補佐官とその配下官僚たちは、内心辟易していた。秘書官たち──その背後にいる合同対策本部と条約軍総司令部──から入ってくる情報は、巨大脅威存在に対して有効な攻撃手段がないということを示している。
「もし怪物の都内侵入を許せば、この国の行政中枢は再起不能なダメージを受けることになるのではないですか」
 禿頭で蛍光灯の光を跳ね返しながら、狭間は首肯しつつ、私見ですがと断りを入れた。
「現時点で巨大脅威存在の陸上における戦闘能力は不明ですが、これまで行われた作戦によって怪物は対空戦闘能力を獲得した可能性もあります。もし巨大脅威存在が今回の作戦において生存できた場合、使用された兵器の能力を自らの生体器官に複製するといったことも考えられます。そしてそれらに対する耐性も持つようになるでしょう」
「それじゃあ、もう攻撃が効かなくなるということじゃないのか」
「PEJEOPATの情報保護協定をお忘れなく」
 廉藤は同僚の軽率な発言を咎めるべく肩を掴んだ。
「……あくまでも可能性の話ですよ。もし本当にそうなったとき、心構えがあるのとないとでは違う」
「何かあれば、このことは報告します。ところで、狭間秘書官。ひとつお聞きしたいことが」廉藤は閣僚たちのいる部屋から出て、秘書官たちが待機している小部屋へ入っていく。「──作戦要項に金属ヘリウム爆弾による爆撃が記載されていると聞きました。本当にそれで奴を殺せるんでしょうか」
 GOCの総理秘書官の言葉の調子には、隠しきれない不安と猜疑が渦巻いていた。精神部門の政治工作部出身のエリート工作員といえども、この事態に際して不安を抱いている。
「すでに数度試行したが、成功はしていない」
「それならなぜ」
君たちGOCの提案だ。あの地雷の発破後に、対再生能力者タイプ・レッド用の分化阻害剤を封入したスマート爆弾を撃ち込むらしい。除染が完了するまで北浦は水源として利用できなくなる」
「……なるほど。第3部からこちらに情報が上がって来づらいのは困りものです」
 男は苦笑してうなずき、しかし、と言葉を継いだ。
「現場には不満もあるだろうが、よくやっていると思いませんか。財団とGOCが手を取り合えばここまでやれる」
「違いありません」
 かすかに笑いあう二人の前に、ドアを開け放って連絡担当者が駆けてくる。ただ事でない雰囲気を感じ取り、室内が急に騒がしくなる。
「巨大脅威存在が再び形態を変化し、ミサイル攻撃能力を獲得したと」
「被害は」
「第1飛行隊が全滅。現在米空軍のF-228が誘導任務を継承しています」
「まだ作戦は続行されている、ということですか」
「はい」
「頼むぞ……」

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日本国茨城県 霞ヶ浦・北浦
「シュラ作戦(第II期着上陸侵攻対処 海岸および着陸地域対処オペレーション)」
20█年8月12日 午前12時44分31秒 (UTC+9)


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コンダクター07F-22回避成功。巨大脅威存在なおもコンダクター07を追尾中」
「CP、コンダクター07。残弾なし。フレア払底」
「CP了解。こちらで支援を行う。任務を続行せよ」
「誘導方式がわからんが、あれが撃ちっぱなし能力ファイア・アンド・フォーゲットを獲得しているとは思えん。高射特科の誘導弾による電子攻撃は可能か」
「師団傘下部隊の敵味方識別装置IFFは財団で改良済みです」
 第1飛行隊がWanzava'rの背部に造成されたVLSからの一斉攻撃で全滅した瞬間、総司令部はF-22を嘉手納基地から上げることを決定した。Wanzava'rの骨細胞から分化したとされる対空ミサイルは、艦載サイズの形状から言っても"むらさめ"や他の戦闘艦艇をコピーしたものとみて間違いなかった。
「時間を稼ぐ。第1戦車大隊ツーリスト1に攻撃を開始させる。脚部への集中砲火を徹底しろ」
「了解。ツーリスト1射撃開始。繰り返す、射撃開始。オーバー」
 高速道路上に一直線に並んだ74式戦車と10式戦車の混成大隊は、命令を受けるや否や一斉に砲塔を這いずり回る怪物へ向けた。各中隊連携しての統制射撃の準備が行われ、数秒のうちに射撃指令が伝達される。
「──目標正面。巨大脅威存在。対りゅう。中隊集中正面射、指名──各車、射撃開始」
 数十の光球が一直線に、せわしなく動き回る6本脚へ吸い込まれていく。動目標としても生物の歩行となれば、訓練想定からはかけ離れていた。半数は現実改変によって音もなく潰えたが、残りの8割ほどは命中して爆炎を上げた。
 左側の脚2本が折れ、Wanzava'rは、大きくバランスを崩して地面へ叩きつけられた。瞬間、大規模な地震が起こったかのような衝撃が周囲へ広がる。前方司令部は一時騒然としたが、怪物の天然VLSが誘導弾を暴発させたことを確認すると沸き立った。
「命中22。──続いて撃て!」
 効果ありと判断した大隊長は断続的な砲撃を指示したが、6本足の鰐から進化を続けるWanzava'rに対して同様の攻撃は急速に効果を失うものだった。陸上で行動する形へ適したものへ脚を造り替えたWanzava'rは、射撃の方角へ向いた。頭部の4つの瞳が、不遜な敵の姿を捉える。
「目標、背部VLSを急速に再構成。数秒のうちに再発射予想……発射確認。数13、いずれも大型」
「ツーリスト1を現場から避退させろ」
 黒い歪な鱗に覆われた棒状の誘導弾ミサイルたちは、怪物の遺伝子を受け継いだのかのごとく、その弾頭に眼を持っていた。トビウオに近い制御翼をバタつかせて、弾体後部から発火した体液を推力に変えて飛行するその姿は、もはや生物であることすらやめたWanzava'rの理不尽を体現している。
 それらが飛ぶ様子は、まるで黒い渡り鳥が南を目指して滑空しているのにも似て、どこか牧歌的でさえあった。悪意のない有機的な黒い槍が、戦車隊の頭上へ落ちてくる。直後、黒煙と火焔がじゃれあうように連続して炸裂し、粉々の金属片を吐き出して地表へ降り注いだ。
「──PAC-39全弾命中。ツーリスト1被害報告なし」
 高射特科による誘導弾迎撃がすんでのところで間に合っていた。ツーリスト1は地雷発破に備えて、ただちに湾岸市川方面へ撤退を開始する。
「コンダクター07、離脱成功。巨大脅威存在の最大効果範囲内への侵入を確認」
「この機を逃すな。周囲確認」
 F-22を追って北浦へと誘導されたWanzava'rは、超音速で離脱する餌への対空攻撃をなおも続けていた。特科や高射特科による砲撃はおおよその方角をつかめても、敵の位置までは分からずに近接防空に徹するのみであった。
 明らかに怪物は、足下の罠の存在に気がついていない。人類にとって最後の反撃の機会は、いまここに訪れようとしている。
「異状なし。カウントはじめ。20秒前──」
 北浦の湖底に沈められた金属ヘリウム地雷は、財団81地域ブロックとGOC極東部門に配備されている大量破壊兵器の約10パーセントにあたるものだった。綿密に計算された危害半径3キロメートルの威力は、北浦の水深を数倍に押し下げる程度のことは容易くできる。
「──3、2、1、発破」
 その瞬間、茨城県南部をほんの小さな地震が襲った。中心温度は数万に達する爆煙が、日本人が見知ったきのこ型に成形されていく。壊滅的な衝撃波が3キロメートル圏内の被造物をことごとく薙ぎ、死神の鎌で刈り取られた麦畑のようにすべてを無に帰していった。
 ひたむきな暴力は無自覚にその場にいた生命を蒸発せしめ、湖を枯れ果てた擂鉢へと変貌させた。エネルギー放出がはじめの数秒で終了すると、やがて強烈な揺り戻しが始まる。上昇気流は急速に周辺の空気を吸い込み始め、そしてひとつの渦を成す。
 観測装置のほとんどがブラックアウトする凄まじい衝撃が北浦中心3キロを一通り破壊し尽くすと、待機していた十機単位の偵察・管制機の編隊が乱気流の中へ突入していく。明らかに安全な飛行には程遠いものだったが、この作戦を成功させるためにはあらゆる犠牲を払うという、条約軍が意思の表れだった。
 偵察機や高高度偵察機がきのこ雲を取り囲み、高熱と上昇気流によって混沌の城と化した爆心地グラウンド・ゼロ内部を覗き見ようと窺っている。条約軍の何人も、怪物がこの方法で殺せないことを知っていた。いや、それは正しくない。この方法で殺し続けることはできないと知っていた。
 そんな中、急速に4機のF-210が北方から飛来し、高高度を亜音速飛行で接近していく。作戦の最終段階を飾る4機は、GOCが接収した三沢基地所属の飛行隊から選抜されている。搭載しているGOC天地部門11製のJDAM12弾頭は、極高温環境下での精密誘導と弾体・内容物の耐熱化をアスペクト放射によって実現するものだった。 
「Hammer1, in from north北方より接近中
「Hammer1, Cleared Attack攻撃を許可する, Cleared Attack攻撃を許可する
「Ready…now. Bombs away爆弾投下
 4機から合計8個のJDAM(対再生能力者弾頭型)がリリースされ、巨大な爆炎の内部へ突入していく。GPSと慣性航法装置INS、そしてEVE固有波検知の3つのアクティブ誘導システムに導かれるスマート爆弾は、誘導キットに含まれるVERITASを作動させると怪物の姿を捉えた。高熱に耐えうる外骨格を残すのみとなったWanzava'rは、事前予測通りに地面へ落下する最中にあった。
Spotロックオン
「…Completed」
 視覚化されたエーテルエネルギーの映像が、サイケデリックなパターンを炸裂させた。偵察機から指揮所へ送信されるカラフルな輪郭の寄せ集めでできた映像。メイン・スクリーンの大半を占領した冗談のような光景は、それでも確かに人類の目論見がうまくいったことを示している。外骨格だけにされた怪物は、とにかくこの爆風から逃れようとあらゆる手を尽くそうとし、EVE放射の色相やピッチが目まぐるしく変化していた。しかし分化阻害剤を撒かれたことで、再生を図ろうとするWanzava'rの試みは破れた。しばらくすると諦めたかのように放射のペースが鈍化し、ところどころ炭化した外骨格だけが残置される。
 停止している。ここまで一切の攻撃を受け付けて来なかった怪物が、とうとう歩みを完全に止めていた。

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日本国埼玉県 旧サイト-8181広域司令部 巨大脅威存在合同対策本部
20█年8月12日 午前12時59分9秒 (UTC+9)

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「やったか……?」
 阿形は、対策本部のメインモニターに向かってそうつぶやいた。これまで人類の攻撃を単身跳ね除け続けた怪物は、けっきょく人類の物量に押し切られる形で敗北を喫した。対策本部に常駐している研究員は、あれはあくまで仮死状態に過ぎないと補足しながらも、その頬は緩んでいる。
「途中から脚が改善されて、時速60キロ近い速度が出ていました。ここで止められなければ、1時間強で皇居へ到達していたはずです」
「ただちに収容施設の構築を。あの爆風はどかせられないのか」
「奇跡論技師の工兵隊を派遣します。数時間以内に建屋を完成させる見込みです」

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同・幕僚会議室
20█年8月12日 午後7時27分20秒 (UTC+9)


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 それから6時間で、茨城県南部は完全に日本の主権の及ばない地となった。財団とGOCでカバーストーリーや復興方針への食い違いが鮮明となったが、それを脇目にWanzava'rの石棺化は進んでいく。両組織が国内に確保していた資材の備蓄を解放し、動員可能なすべての輸送力が茨城県南部へと集結させられ、動員可能なすべての施設科部隊が駆り出された。対策本部は仮設封印施設完了までの6時間──最悪の6時間と彼らはこのときあだ名している──を、事後処理と残務処理と記憶処理に追い回され続けた。
「Wanzava'rは死んだわけではありません。分化阻害剤によって復活が妨げられているに過ぎない」
 財団からやってきた研究員は、対策本部/総司令部の面々に資料を配って回る。綿密に組まれた収容プロトコルは、作戦前からすでに制作が進められていたものだった。
「──50キロトンの金属ヘリウム爆弾? 今回の3倍以上の量だ。北浦どころか霞ヶ浦をまるごと吹き飛ばす気なのか」
「万が一の収容違反に備えるならば、絶対必要な量です」
 財団主導で作成した石棺化計画は、数十に渡るフェイル・セーフで構成されていた。北浦の跡地にできた深さ20メートル、直径56メートルのクレーターと、その周辺数十キロに及ぶ共同管理エリアは、原発事故のカバーストーリーを適用されて日本国領域から切り離されており、警備にあたる条約軍は今後、財団・世界オカルト連合から供出される常設部隊となる。
「しかし、爾後の関東圏での水源確保が困難になります。千葉県や茨城県での農業に深刻なダメージが与えられるでしょう」
「仮に起爆すればの話やろ? それに、風評被害で向こう数年は関東圏の農水産業は壊滅状態に陥る。まずは確実な保障措置の実施が第一や」
 合同対策本部副本部長の爬虫類は、地図を机に置くと深く息を吐き出す。施設管理担当者にも関わらず、職責を盾に幕僚級の会議へ参加している老獪は、あからさまな敵意の視線を歯牙にもかけない。議長役の阿形は議事進行を邪魔しない限り干渉しない方針らしく、GOCの面々の苦い表情に内心同情を寄せていた。
「──事後処理に関してですが、災害緊急事態の布告はできたものの、外出禁止令を発布するにはカバーストーリーの相性が悪すぎましたね。現時点でも数百万人規模で都内からの避難民を確認しています」
「封印措置はいつごろ終わるんや。都内の自主避難民の統制にも期限を設けないと現場がパンクするぞ」
「結城博士の連絡では、もう間もなく最終段階に入るとのことでした」
 会議室のスクリーンに、黒い墓石のような建造物が映し出される。現場に置かれた強烈な照明で、その表面に白い文字を読み取ることができた。『巨大脅威存在仮設封印施設群-1』と書かれた石棺。財団と世界オカルト連合が6時間で仕上げた作品は、一辺が数十メートルあるサイコロとでも言うべき外観を有している。
「杞憂だったな、あいつの心配は」

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日本国茨城県 旧霞ヶ浦・北浦 財団・世界オカルト連合共同管理エリア 巨大脅威存在封印施設群
「シチュエーション・ルーム」
20█年8月12日 午後7時31分49秒 (UTC+9)


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「"石棺"内部のヒューム値2±0.01で安定化。EVE放射、確認されず」
「これより分化阻害剤およびベークライトの注入を開始します」
 超硬化コンクリートと合金の複合素材で完成した棺の中には、すでに火葬された死骸が地面へ縛り付けるようにして捨て置かれている。識別用の青い薬液が壁面から一挙に放出され、Wanzava'rのいびつな骨格に降り注ぐ。
「まさか、こんなことになるなんて」
 科学部門からめでたく対策本部へ出向させられた結城は、ついには最前線であるこの"石棺"での監督指揮を要請されるに至っていた。施設群の警備にあたる第1戦闘団本部から少し離れたシチュエーション・ルームには、随時封印処置の作業状況がモニタリングされている。その部屋の主である彼女は、数分前まで条約軍工兵隊の陣頭指揮に忙殺されていた。
「結城博士、アラートです。地下モニタリングポストのひとつが数分前から観測情報を送信していません」
「注水は続行して。どこのものなの」
「巨大脅威存在直下、NP-11290です」
「周辺の観測機器から映像を送って。現状はどうなってる」
 なんの変化もない地下空間の様子が流れた直後、轟音がシチュエーション・ルーム全体を揺さぶった。異常振動を検知したモニタリングポスト群は一斉にアラートを発し、オペレーターが悲鳴に似た絶叫で告げる。
「EVE放射検知! 3.6メガキャスパー:エボニー:ダブル・シャープ:タイト──」
 光。それが現場人員の大半にとって、最後に見た光景となった。数秒間地上にもたらされた虹色──大量の電磁波とプラズマ化した大気は、黒い棺の中腹に巨大な穴を穿ったばかりか、その周囲にいたちっぽけな人類を巻き添えに何もかもを滅却した。深さ20メートルのクレーターの底に安置されていた棺は、外壁を融解させながらもまだかろうじて直立を保っている。だが滞留した水蒸気煙はなかなか消えず、残されていた北浦のわずかな水の過半は、気体へと置換されていた。
 事態は"光"の直撃を免れた外部観測所によって、すぐさま総司令部および対策本部へ急報としてもたらされた。財団の用意した幾重ものフェイル・セーフのうち、すでにその3分の1が何ら効力を発揮することなく蒸発させられ、残りの3分の2もまだ蒸発していないというだけだった。
「水蒸気煙内部に高度現実性を確認。詳細不明」
「詳細も何も、これは収容違反以外考えられないだろうが」
「いまの光はなんだ」
「放射線量に上昇が認められる。防護服のない人員は外出するな」
「シチュエーション・ルームと通信途絶。結城博士以下幹部全員が安否不明」
「第1戦闘団本部と連絡は取れるか。奴を北浦から出すな」
 上空にはすでに重防護ヘリの数機が展開していたが、強烈な上昇気流によって近づくこともままならない状況が続いていた。ただVERITASとSRAが強烈な現実の歪みを感じ取り、人員は視界ゼロの中怪獣の復活を知るのみであった。事案発生直後から総司令部が有線式の非常用回線ホットラインによる通話を試みていたが、第1戦闘団本部はすでに地上から消え去ったと気付くまでには15分の時間を要している。
「巨大脅威存在を目視確認。著しい形状変化が認められます──」
 外部観測所から送られてくる有線通信はそれを最後に途切れ、撤退準備に入っていた第2戦闘団はすべての資産について安全装置の解除を命じられた。最悪の6時間は終わることなく、また次の最悪の時間へとその引き継ぎを終える。外部観測所を左足で踏みつぶしたWanzava'rは、地獄の底から響いてくるような鳴き声を一度上げた。分厚い煙幕を切り裂いた怪獣は、ふたたび目指す聖地への歩を進め始めた。

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日本国東京都 杉並区 首都高速4号新宿線
20█年8月12日 午後7時40分20秒 (UTC+9)

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 政治家に求められるセンスの1つに、危機回避能力は必ず含まれると細谷幸史は信じていた。
 細谷と狭間を乗せた官邸へ戻る公用車は、いま首都高速道路にさしかかるところにある。シュラ作戦成功の知らせから数時間経ち、ようやく政権は立川広域防災基地からの撤退を完了させようとしていた。閣僚のほとんどはすでに霞ヶ関に戻っており、FおよびG案件となった今回の政権避難について隠蔽工作のレクを受けている。
「細谷先生、酒はたしなまれますか」
「いえ、あまり。まあ飲まねばならぬ席などはかなり多い身分ですが」
「わたしなど、いつも自制が効きませんで──」
 そうなんですか、とあくびを噛み殺しながら細谷は答える。10時ごろに政府が事態を把握してから、まだたった9時間ほどしか経っていないはずだった。休息を取る暇もなく対処に当たり続けたとはいえ、この眠さはすこし過剰なもののようにも思える。
「──二日酔いで起きると、いつも記憶が飛んでおりまして……細谷先生、少し休まれては」
「いえ……ええ。そうですね」
 狭間の話の途中をまるきり聞き落としたと気づき、首相補佐官の男は申し訳なさそうにうなずいた。この男の話に催眠術でも込められているかのごとく、先程まで緊張状態に置かれていた脳髄がほどかれていた。
「官邸までまだあと30分はありますから、それまで一眠りするとします」
「お疲れさまです」
 狭間は腕時計を見る。隣席の男の身体的ステータスを常時モニタリングしているナノマシンから情報が送信されており、細谷はいま完全に入眠状態にあることを示している。立川にいた時点で細谷の飲料水に遅効性の睡眠薬を混ぜていたのだが、なぜか手を付けなかったため別の手段に頼ることになった。狭間より10歳近く若い細谷にしか聞こえないモスキート音の中に催眠作用を持つミームを仕掛け、車内で強制的に眠らせるという荒業である。
「ありがとうございました。細谷補佐官」
 財団職員はビジネスバッグから小さな吸入器を取り出すと、黒の一本線があしらわれた注射器をゴムチューブでつなぎ、内容物のAクラス記憶処理剤を充填する。十数ミリリッターの透明な液剤は、吸入器に内蔵された圧電体セラミックスの発する高周波数の振動によって微細な粒子──つまり霧のようなもの──となり、対象の呼吸器に侵入する。
 すでに官邸に戻った閣僚のほとんどからは、今日会った財団の幹部や計画に関する情報はあらかた記憶処理で抹消されていた。最後まで折衝と事後処理のために残っていた総理大臣補佐官は、記憶処理対象となった政治家の中でも飛び抜けて機密接触が多く、本来ならば最優先で記憶処理をかけなければならない人間だった。
 事態対処を優先してそれが順延に次ぐ順延になった結果、結局細谷は一番最後に記憶処理を受けることとなった。感慨深そうな面持ちで狭間は吸入器を当て、持ち手のスイッチを入れようと親指に力を入れようとする。
 電子音。3連の短い音が周期的なパターンで鳴り、狭間は即座に携帯電話を取り出した。重大緊急事態の発生時に鳴らされるパターンは、これまでの訓練でいやというほど聞かされている。
「狭間です」
「情報共有班の市川です。実働対処班から第一報連絡です。5分前"石棺"が破られました。周辺で大規模な爆発を確認しています。現地収容チームおよび第1戦闘団と通信が途絶しており、対策本部と条約軍総司令部が先ほど緊急会議を招集しました」
「了解しました」
「狭間工作担当官、細谷補佐官の記憶処理はもう済んでしまいましたでしょうか」
 男は持っていた吸入器を慌てて下ろす。
「いえ、まだです」
「それは幸いでした。政府代表として細谷補佐官と事態対処専門委員ら数名を会議に招聘します。調布飛行場へ向かってください。ヘリを手配します」
「了解しました。それでは」
 電話を切ると、不意に隣の男の言葉が、狭間の脳裏に浮かぶ。
「政治家に必要なのは危機回避能力ですか……起床用のミームはあるか?」
「いえ、必要ありません」
 運転手の答えに、工作担当官は怪訝な表情を作った。次の瞬間、法定速度超過で走り続けていたセダンは180度回頭する。黒く掠れたスキッドマークは弧を描き、搭乗者たちの悲鳴をよそに元来た道を戻り始めた。

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日本国埼玉県飯能市 旧サイト-8181 PEJEOPAT条約軍総司令部 中央作戦指揮所
「緊急ブリーフィング」
20█年8月12日 午後8時18分6秒 (UTC+9)

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「被害は」
「倒壊5万戸、半壊や損傷含めるとそれ以上となり正確な数は把握できません。すでに経済損失は兆オーダー目前です」
「現時点で条約軍の残存戦力は」
「石棺の周辺で防備にあたっていた旧第1戦闘団13が5割を損失し、現在再編中。現在進行阻止中の第2戦闘団が間もなく壊滅ラインの損失2割を超えます。戦車58両と戦闘ヘリ32機、固定翼機が4機、兵員の死者はホエール・ハント作戦およびシュラ作戦を合計して現時点で1600余名。民間人の死傷者は今のところ確認されておりません」
 もはやため息すら、会議室には存在しなかった。誰もがこの部屋の酸素濃度を疑うほど、彼らは呼吸に難儀している。つかの間の安堵を粒子ビームによって融解させた怪獣は、こうしている今も、彼らのリソースを蒸発させながら歩を進めている。
「単刀直入に言って」女性の第3部長(作戦担当)は立ち上がって、資料から目を離す。「Wanzava'rを生物として殺害、無力化する方法は現時点で存在しません」
「では、どうされるのです」
 オブザーバー参加している首相補佐官の発言に誰も答えないのを見た第3部長は、大きく息を吸った。
「財団は、すでに阻止作戦失敗時のプランを整えています。資料を」
 壁にずらりと並んだ武官の一群が、大量の書類を一斉に配布し始める。列席者は財団とGOCの関係者だけで30名、政府から細谷 首相補佐官を代表とした十数名の官僚、PEJEOPATの事務官が数名。少なくとも財団は、GOCに対してだけは根回しを終えていた。
「プロトコル・ネクロポリス死者の町……」
 唯一政治家として参加した4回生議員の顔は、表紙をめくって数ページの間に青ざめ始めた。背後の超常セクション所属の官僚たちが密やかに協議を開く声だけが、会議室で発されている音のすべてとなる。
「……巨大脅威存在は高度な現実性を有し、またこれを恣意的に制御することの可能な現実改変・歪曲能力を有しています。これに対しわれわれは、皇居三殿を中心とした大規模アスペクト放射構造を利用した超高高度現実空間を構築します」
「──これは、つまり」細谷は表紙と概要のページを行きつ戻りつしながら、第3部長に問う。「東京都市圏を放棄しろと?」
「語弊を恐れずに言えば、その通りです」
 GOC出身の第2部長(情報担当)が答え、次のページを開くよう促す。第2部で作成した最悪事態ワースト・ケース想定に基づく作戦計画の委細が事細かに記されており、政治家は瞑目して眉間をつまむ。
「現時点で進行中の計画では皇居三殿より周辺70キロメートル圏内の現実性を援用して、直径1000メートルの球状である超高高度現実空間を構築し巨大脅威存在に対する"現実の檻"として機能させます。代償として、東京都市圏全域で現実状態が不安定化し、帰還困難区域となる見通しです」
「東京都市圏の経済規模は国内総生産の3割以上を占める。そこが一夜にして領域から外れれば、この国は」
「ご理解ください」
 有無を言わさぬ響きで、阿形は告げた。それは財団が日常的に政府に対して取る態度と同じく、一切の反論に対して耳をふさいだものだった。彼らが政府を従わせるときに、世界や人類のためといったロジックは用いられない。ただ、実際的な命令だけが下される。
「人類を守るのがあなた方の仕事ではないのですか。ここには3700万人の国民がいる!」
 唇を震わせた政治家は、しかしそれ以上言うべき言葉が見つからないのかしばらく押し黙っている。その背後で音もなく連絡役が壁際の官僚に紙片を渡し、細谷の席へと差し出された。それは小さなメモ書きで、特例として細谷が欠席の中緊急事態大臣会合が開催された旨が説明されている。それらの一番下には、最終的に決定された結論が示されていた。
「憲法の無期限停止……」
「この国はたった今から明確に、国家緊急権14を持つことを宣言しました」
「そんな馬鹿な、法的根拠は」
「一般協定は憲法に優越します15。今から1時間後には作戦を開始する予定ですので、そのつもりで」
「これが成功するという保証は」
「ありません。ですが、これ以外に有効な選択肢が残されているとも言い難い」
「細谷補佐官、PEJEOPAT防衛計画委員会は一般協定に基づいてあなたを次期政府首班として推薦し、関西地方への首都機能移転の遂行をお願いしたい」
 対策本部長は政治局から送付されてきた計画書のコピーを、細谷に引き渡す。幕僚部管理総局は政治局の官僚たちは、こういった事態に備えて大阪国際空港の即時接収を基幹とした関西への首都機能移転計画を温めていた。当面の間は、近畿統括サイト──三国岳のサイト-816にある予備施設へ行政府を移すことになる。
 もはや話し合うべきことは何もなかった。議長である阿形が会議終了の時間となったことを告げる。室内の軍人たちが立ち上がり、オペレーション・ルームへの移動を始めた。細谷はただ1人座ったまま、愕然とした面持ちで資料に目を落とす。結城の残した作戦計画書の1ページには、被害想定図の赤い同心円の中に沈む東京がある。やがてゆらりと立ち上がった細谷は、出ていこうとする阿形の肩を掴もうとして秘書官たちに制止された。
「──ひとつだけ教えてください」
「落ち着いてください。細谷補佐官」
「どうして奴は皇居に来るんですか? 一体何のために」
「確証は得られませんが、あれは神にでもなろうとしているのかもしれないと」
「神……?」
 そんなものと戦っていたのか、この人間たちは。
 丁寧に一礼して出ていく官僚は、一切振り返ることなく閉じたドアの向こうに消えた。政治家は浮遊する現実感の中、手元に残った資料をふたたびめくった。めまいのしてくるような文字の羅列が組まれている。
「わたしがやるのか……」

空白
空白

日本国埼玉県飯能市 旧サイト-8181 巨大脅威存在合同対策本部
20█年8月12日 午後8時27分16秒 (UTC+9)

空白
空白

 夜空に白い光がひらめくと、隊列を組んでいた戦車の群れが端から端までまとめて爆炎へと置換される。よりヒトに近くなっていくWanzava'rは、視界に入る動くものすべてを焼却すると決めたらしく、条約軍の飽和攻撃をものともせず進んでいく。
「──Breaker壊滅。巨大脅威存在、首都高6号向島線破断。荒川・隅田川絶対防衛線突破されました」
「巨大脅威存在、皇居東御苑・首都レイラインまで距離6000を切ります」
 鰐のような頭は、もはや跡形もなくなっていた。新たに一から身体を再構成した怪物は、肉食動物のような顎と爬虫類の面影の残る目鼻立ちのキメラと化している。頭部にはひときわ高いヒューム値が観測されており、ヒトに近い構造の臓器が備わっていると判断された。それはあるいは、ここまでの進攻で取り込んだ人間たちの影響であるかもしれなかった。
「HQ、CP。"クライマックス"全部隊配置完了。オーバー」
「HQ了解。会敵予想時刻二〇四三。以上アウト
 首は進化を遂げるたび徐々に短くなり、直立している胴体と比してもその三分の一ほどしかない。表皮は、鱗が溶けて1枚に繋がった皮膚で覆い尽くされている。たてがみのように背骨に沿って発達した骨が並び、それが尻尾の先まで続いていた。
「O5理事会より通達。皇居失陥時のヴェール・プロトコルに関する諮詢です」
「幕僚部から人員を派遣する。人選はこちらでやるからとりあえず時間を稼げ」
 胴に生える2本の腕は陸上に来てからほとんど歩行に寄与しておらず、直立歩行を実現した今となっては、完全にヒトと同様の機能を獲得するに至った。しかしながら4本の指は爪が異常に発達し、ものを掴むにはいささか不適だった。
「108評議会が全会一致で局所的ピチカート・プロシージャの実行を承認しました。10分後に最高司令部から下命来ます」
 歩行用に残された4本の脚は、前脚が主脚となって後脚には退化の傾向が見えている。再び70メートル近い長さの尻尾を得たWanzava'rは、その補助のために後脚を必要とした。
 "石棺"で観測された粒子ビームは、棺のみならず周辺の地上施設すべてを焼き払った。金属ヘリウム爆弾の直撃に耐えるはずの石棺がいとも容易く突き破られたのは、環境改変微生物による仕業だという。
「Wanzava'rは2度の金属ヘリウム爆撃によって、粒子を電子励起状態にする術を学んだようです。その過程で粒子ビームを」
「そもそもあの爆撃で、息の根を止めたんじゃなかったのか」
 阿形は報告へやってきた総司令部付の連絡将校を怒鳴りつけると、机の上のコーヒーを取った。気を鎮めるように内容物を半分ほど飲み下すと、大きくため息をつく。乱暴に置かれた紙コップの中で茶色が波打ち、点々と雫を走らせる。
「分化阻害剤散布までの間隙を突いて、土壌に自身を切り離して潜り込ませていたようです。分化阻害剤に対する耐性を獲得するまで、Wanzava'rは急速に進化を繰り返したと見られ……」
「もういい。──本当にもう、生物としてのやつを無力化する手段はなくなったんだな」
 技官は、無言のうちにうなずいた。部下が退室した後もしばし瞑目していた阿形は、不意に机の赤い受話器を手に取った。理事会への直通回線は数回の暗号化を経て、遠く離れたサイト-8100へつながる。
「対策本部の阿形です。"獅子"」
「きみか。きみから掛けてくるということは、肚を決めたのかね?」
「……はい。総司令部は先ほど撤退を決定しました。ノットホール作戦の実行承認を」
「幕僚部の答申では、まだ政府の了解を取り付けていないとあったが、目処はついているのか」
「緊急避難16条項を適用します。むろん、最後まで説得を試みますが」
「東京都市圏喪失後の日本についてはすでにO5とGOC事務総長が協議を始めている。きみたちは何も気にせず、必要な措置を実行してほしい」
「善処いたします。それでは、失礼します」
 合同対策本部長はまさに激務と言って差し支えなかった。受話器を置いた阿形は、ほんの少しだけ安堵の息をつく。約3700万人という規模の疎開計画によって、同時並行されている皇居での仮設サイト構築がかなり遅滞しており、状況把握が数分おきに行われている。
 理事会は完全に阿形たち対策本部を信任しており、彼らによって動きが制肘されることは、ほとんどなかった。ただ一点、トミー・レイクに関する情報公開を除いては。理事命令によって結城の要求をはねつけざるを得なかったが、あの上席研究員に関する未確認情報について、阿形はリエゾンに伝える用意があった。
 理事会はすでに"戦後"を見据えており、少しでも財団側にとって不利益につながりかねない情報は売り渡さない気でいる。財団が巨大脅威存在による一連の擾乱の責任を負わされるような状態は、決して望ましくはない。
 理事会は直轄のRAISAと内部保安総局を動かして、トミー・レイク上席研究員が何らかの背信行為を行った疑いについて捜査している。I5群はフェイル・セーフ発動前に秘匿された通信を中継していた。内容は不明であり、送信先に関する記録も残されていない。
「……会敵予想時刻にプラスしてあと20分、20分いただけなければ、新型SRA群による"ノットホール結界"の稼働は不可能です」
 総司令部から報告に馳せ参じていた第3部長は、汗をぬぐう。工兵で構成された機動部隊が皇居で新型SRAの配備と仮設サイトの建設作業を継続しているが、作業完了までの時間は条約軍が稼ぐことになっていた。だが巨大脅威存在への遅滞攻撃が想定よりも効果を上げず、単なる消耗戦の様相を呈し始めている。
「間に合わないのか」
「自活型サイトの建造のためには人員があまりにも不足しています。GOCからも応援を頼んでいますが、最高クラスの機密が関わる以上中枢部への関与は避けなければ」
「現地のCTFには通達済みか」
「はい。なんとか20分、持たせるとの回答を幕僚よりいただいております」
「そうか……」
 ため息とともに疲労感を吐き出した阿形は、眉間をつまんでメイン・スクリーンを見やった。煌々とした都心部の夜景は、実際にはもう存在しない風景である。有機ディスプレイが偽物の光景を映し続ける窓を消すと、病的な表情をした自分と目が合った。
「皇居にいる彼らは、全員見殺しだ」
 編成された共同任務部隊の全人員は約1000名──大半は結界建設を行う機動部隊と、最終防衛線を担うGOC排撃班である。ノットホール作戦発動後の彼らは、現実状態が不安定化した結界の外に出ることも叶わず、高ヒューム空間の中で人知れず消失する運命にある。
「しかしみな志願者です。彼らの犠牲を無駄にしないよう、なんとしても成功させましょう」
「……ああ」

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「本部長、ヘリが到着しました」
「わかった」
 荷をまとめて部屋を振り返ると、不可解な悪寒が背筋を走った。それは作戦が失敗したらという不安からきているのだと、自らに言い聞かせようとする。これ以上悪いことは、起きようがない。秘書官が慌てた様子で端末を開くまでは、阿形の自己暗示はうまくいっていた。
「本部長、エージェント・カナヘビが所在不明との連絡がありました」
「なに……」
 あの憎たらしい爬虫類は、この期に及んで彼にとっての頭痛の種たらんとしている。人探しに人員を割いている余裕はないぞ、と阿形はやや取り乱した様子で語気を強めた。対照的に冷静な秘書官は、ヘッドセットでその後も連絡を聞いている。
「詳細は不明ですが、石棺突破直後から誰も姿を確認していないそうです」
「じゃあ、サイト-8181放棄のオペレーションは誰が進めてる」
「土橋副本部長代理が指揮を執っているそうです」
「遂行可能ならなんでも構わない」
 決断は迅速なことが最も肝要で、あとはすべて二の次でもよいというのが危機管理畑でやってきた阿形のポリシーだった。
「816に着いたあとで処分については考える。カナヘビの件はいったん忘れよう」

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日本国長野県██市 サイト-81██ 大深度地下研究保安施設
「メイン・シャフト第16職員通用口」
20█年8月12日 午後8時39分20秒 (UTC+9)

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「巨大脅威存在合同対策本部・実働対処第1班正常性維持セクションの諸知です。照会を」
「確認しました。ご用件は……結城博士よりうかがっております」
 長い長い三つ編みの女は、形ばかり正確に、内実の伴わない微笑みを浮かべる。胸に付けたIDタグを示すまでもなく、"同志"であるらしい職員はすぐにセキュリティを解いた。超合金製の対爆扉が襖のように次々と開き、金属でできた巨大な口が内部の闇を晒す。
「この下数十階層にE-1のサンプルが眠っています」
 数十メートルほどの廊下は、貨物の通用口として10メートルほどの高さが確保されていたが、今は最小限の照明しかつけられていないため、その全貌は判然としない。職員は、このトンネルの壁には検査装置と放射線遮蔽、それから大量の爆薬が仕込まれていると説明した。
「サンプルの保存状態はどうなっていますか」
「おおむね良好です。収容違反を引き起こす前の個体から採取されていますから、今のところは安全だろうというのが審議会の結論です」
「楽観的ですね」
 悪気はないのだろうと、男は女の表情を見て悟った。諸知は感情を表情筋の運動という以上の意味ではあまり理解できておらず、このときもまた空虚な微笑みをただ張り付けていた。
 カナヘビと結城は、彼女にある1つの使命を託している。長野の大深度地下施設に眠る生体サンプルを確保し、爾後は行方をくらますという任務。結城は石棺の監督者となるや否やこれを諸知に任せ、自らは今もって安否不明の状態である。対策本部は最後の──と考えている──大勝負に出て、東京都心での巨大脅威存在迎撃作戦を展開している。諸知の本来の任務は、これに付随する記憶処理活動の統括および指揮監督であった。
 だが、同時にカナヘビの腹心でもある彼女は、この計画に乗ることが財団にとって最善手となると信じていた。
「諸知博士。あなたも結城博士から今回の計画について聞き及んでいると思いますが」
「なぜそのような自明なことを」
 直通エレベーターの中に、数秒間におよぶ生ぬるい沈黙が降りた。保安上の理由から内部にハードウェアキーの類はなく、セキュリティクリアランス上認可された階数だけがソフトキーとして表示されている。案内役の男のことを諸知は知らなかったが、相当高位な人間であるらしく、ほぼすべての階についてボタンが表示されていた。
「……彼女とぼくは旧い知り合いでね」
「そんなセリフを今日数回ほど聞きました」
 直通という名を冠されているとはいえ、数百メートルという地下に存在する施設に到達するにはまだ時間がかかるようだった。こんどは腹の底を冷やすような沈黙が訪れ、耐えきれない様子で男はふたたび口を開く。
「諸知博士、どうしてあなたがわざわざこんな真似を」
「後腐れがありません。この件が露呈したとして、そのような判断を下した"今回のわたし"に問題があったということになるだけです」
「わたしは違うと思いますね」ドアの上にある磁気反転式パネルが、目的の階に着いたことを告げる。「あなたは信頼されているのでは」
 ふたたび、入り口にあったような廊下が現れる。大深度地下研究保安施設は、植物における主根と側根のように、縦に伸びるメイン・シャフトと横に伸びるラテラル・ルートで構成されている。いま諸知らが降ってきたエレベーターはメイン・シャフトの外縁に位置し、螺旋状に配置された側根ラテラル・ルートを1つ1つ通過しながら目的地へとたどり着いた。
 廊下の奥──サンプルの保管されているルート-793-FHBには、すでに先遣されていた協力者たちが化学防護服を着た状態で待っていた。
「お待ちしておりました。管理官」
 防護膜が幾重にも貼られたテントの中で、男と諸知は呼び止められた。男──サイト-81██工学技術事業部門管理官は片手を挙げ、それを挨拶に代える。諸知は立ち止まり、胸ポケットの住人に到着したことを告げた。
「カナヘビ、着きましたよ」
「んん……ああそうか、わかったわかった」
 目を覚ましたニホンカナヘビ──サイト-8181管理官は、ラベンダーの香りのするポケットからのそりと顔を出す。袖をするすると伝って、諸知の小さい掌から、研究員が着た防護服の上へと身軽に跳躍した。
「こいつを選んだのは信頼? 違うねえ、居心地がええからや」
「そうですか」
 残念そうな振りをした諸知は、別れの言葉を交わすこともなく滅菌室へと向かった。時間はあまり残されていない。服を脱いで椅子に座ると、持ってきていた薬品を静脈へ注射した。数分程度でそれは脳へ達し、予定された作用をもたらす。外部保存されていた結城の記憶は、諸知の脳内で問題なくエミュレートされていた。記憶処理医は優秀な工学博士──そして超常生物学博士として、防護服姿で出てくる。
 ラテラル・ルート内の実験ユニットは、十数名の人間が入っただけで手狭になった。最奥部にある隔壁内のチャンバーには円柱型の容器が安置されていた。諸知の合図で遠隔操作アームが蓋を開き、煙の中から"それ"が姿を現す。知性を未実装の瞳──それが中心となって、周囲に不定型な肉片をこびりつかせたもの。
「これが自分だなんて、信じたくないなあ、ボク」ニホンカナヘビは大きく息を吸い、そして吐き出した。「はじめてくれ」
「ただいまより、施術を開始します」
 諸知の声が聞こえ──視界が黒く、落ちて、転がり、カナヘビは眠りについた。

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ハブ

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「大怪獣決戦テイルシリーズ」

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