大怪獣決戦テイル 第三部
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日本国東京都千代田区 仮設サイト
「アップショット作戦(第IV期着上陸侵攻対処 内陸地域対処オペレーション)」
20█年8月12日 午後8時50分58秒 (UTC+9)

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tokyo-blackout.jpg

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 都心、副都心、それから臨海部。東京を大都市たらしめていた超高層建築群は、いまや原始的な宵闇の中に沈んでいる。財団による電力統制で、東京電力管内における使用量の数十パーセントが宮内庁に特設された仮設サイトのために再配線されていた。結城が立案した作戦と、同時並行で実施されている数千万人規模の集団疎開で、財団とGOCのロジスティクス部門は混沌と狂乱の最中にある。他国の支部が支援を申し出てきたが、現場の彼らにはカウンターパートを立てる余裕もなく、結局理事会や部門作戦運用官房がトップダウンに受け入れを管轄している。
「巨大脅威存在、首都レイラインまで距離4000」
「目標の戦闘移行線突破を確認」
「アップショット作戦発動。作戦開始。第1段階、対地攻撃準備」
 宮内庁庁舎内に設置された"共同任務部隊-クライマックスCTF-CX"前方戦闘指揮所は作戦の開始を宣言する。作戦目的に粛清を掲げてはいたが、実態としてはWanzava'r収容に向けた結界構築──通称・ノットホール作戦──遂行のための遅滞攻撃というのがより正確である。"クライマックス"構成部隊の1つである財団機動部隊CX-1("Founders")から通告された20分という時間は、本来ノットホール作戦の一段階に過ぎなかった誘引任務を1つの作戦にまで昇華させた。
「SAG-1、CP。グングニル攻撃開始」
「CP、SAG-1了解。攻撃を開始する」
 相模湾に待機していたGOCS いつくしまを旗艦とする第1水上戦闘群SAG-1は、統合攻撃のシステムに組み込まれた陸上目標誘導員によるレーダー照射を検知した。と同時に、各艦へ搭載されたFCS1へ攻撃諸元が入力される。
「戦闘用意」
「戦闘用意よし」
「CIC指示の目標。グングニル、発射始め」
「1番から6番発射用意よーい撃ててー!」
 VLSに並ぶ正方形の蓋が開き、次々と火焔と白煙を噴き出す白い槍が上空へ舞い上がる。推力偏向ノズルが弾体の姿勢を寝かせ、ひときわ明るく輝きながら加速していく。総計30発近い巡航ミサイルが水上戦闘群によって発射され、Wanzava'rを360度取り囲むように滑空する。
「グングニル発射、正常飛行」
「目標到達まで20秒……」
 怪獣は顔を上げた。側面の4つと正面の2つ、合計6つの目がバラバラに動き、自らに向けられたアクティブレーダーのEVE波長を目ざとく見つけている。
「巨大脅威存在がインターセプトの準備態勢と思われる」
「"蜜柑タンジェリンズ"、行動開始」
「蜜柑、了解」
 戦闘指揮所の一角には、通常の戦闘指揮システムから外れた部隊のためのスペースがあった。超重交戦殻U-HEC──オレンジ・スーツとよばれる世界オカルト連合物理部門の開発した人型の戦闘システムは、彼らの誇る精強な戦力であり、また機密の塊でもある。財団のC4Iシステムへの参加を拒否する代わりに、指揮所内にオペレートのためのスペースが置かれ、形の上ではCTF司令官の指揮下に入っている。
 8199排撃班 "蜜柑"タンジェリンズ班長は、臨時編成された10機のオレンジ・スーツおよびそのバックアップ要員を擁する部隊へ通達する。
「……ANNIEアニー蜜柑リーダー。全機行動開始。目標の粒子ビーム発射器官破壊を最優先」
「蜜柑、ANNIE了解」
 すでに都内各所に配置されていた全高15メートルの機体が、一斉に目を覚ます。それはまさにそう表現するのが妥当な光景だった。頭部を模したような観測装置モジュールが、エンジンへの点火と同時にアンテナを展開する。日本産の柑橘類ミカンの名称を冠された部隊名になぞらえ、オレンジ色に統一された機体たちは、機体の各所に配置された制御翼の動作を確認し始めた。それは猛禽類が羽ばたくための準備動作のように見え、ある種威嚇的でさえあった。
「各機、ANNIE。準備完了次第上がれ。指示を待て」
「了解」
 戦闘指揮所の外に駐機されていたオレンジ・スーツ隊リーダーの"ANNIE"は背部機関出力を上げ、上空へ飛翔する。背部と四肢に配置された推力偏向ノズルが協働し、事前に定められた防御陣地の方角へ機体を指向させる。NANCYナンシーからHARRYハリーの9機は、それぞれがすでに防御陣地において滞空している。
 作戦に供されたU-HECマークIII-J型10機のうち数機はさらに改修が施されていた。追加コンテナを背部に備え、重量過多を承知の上で多目的ミサイルとレールガンを運用する。
上野恩賜公園BP-U1旧陸軍被服廠BP-C2へ、ANNIE。早まるなよ」
「了解」
「了解」
 オレンジ・スーツ隊の展開終了から数秒後、Wanzava'rの視認可能な距離に巡航ミサイルの群れが現れる。360度を取り囲まれた巨大脅威存在は、臆することなく咆哮を上げる。首の中ほどまで裂ける口の周囲が、にわかに泡立ち始めた。口裂がさらに首の付け根にまで伸び、途中で裂け目が癒着して、幾つかの口が独立して出来上がる。首の周りに大量の口を作り上げた怪獣は、それらを一斉に開いた。沸騰した血がほとばしり、未完成の牙の間から砲身がのぞいている。
「まさか、まとめてインターセプトする気か」
「胸部器官に発光とEVE放射を観測。粒子ビーム発射兆候と思われる」
「各BP、CP。射撃用意」
 巡航ミサイルが芸術的なまでに制御された飛行経路で、一直線に怪獣へ駆けていく。残り数百メートル。Wanzava'rの胸部器官の発光が弱まり、頸部が白くひらめいた。
「撃て」
 その瞬間。浅草寺周辺上空に虹色のオーロラが現れた。グングニル・ミサイルと荷電粒子が衝突したことによって、搭載されていたエヴァーハート共鳴器は多量の火薬とともに爆散する。それが引き金となって空間情報系に構造化されていないEVE量子が展開し、一時的にWanzava'rの第6感覚器官を混乱させた。
 その瞬間を狙って、各防御陣地BPに待機していたオレンジ・スーツのレールガンがACFSDS2を数十発連射した。背後には突入役のオレンジ・スーツが付き、爆炎で隠されたWanzava'rのもとへ急行する。ACFSDSはグングニルと同じくシャープ3のピッチを持ち、Wanzava'rが現実を再編するまでの時間を稼ぐ役割を持っていた。
 突入役のオレンジ・スーツ4機は増槽を完全に捨て去っていたが、それでも弾体の超音速に付いていくのはかなりの困難を伴った。爆炎が急速に沈静化していく中、突入体のみになった弾頭が強烈な憎悪を怪獣へ向ける。ミサイル攻撃で粒子加速を止めていたWanzava'rは完全に虚を突かれる形で、首に大量の呪われたトゲを叩きこまれた。
 同時に4機のU-HECが怪獣に近接戦闘を挑み、裂けようとする頸部に高周波振動ヴィブロブレードを打ち当てる。ACFSDSの弾頭は完全に脊柱を破壊しており、ヴィブロ・ブレードの役目は文字通り皮一枚繋がった首を刎ね飛ばすことだけだった。
 怪獣の首が宙を転がり、血を撒き散らす。だがオレンジ・スーツたちは手を止めない。NANCYが搭載しているサーモバリック爆薬4をリリースし、首の切断面にねじ込んだ。
「蜜柑、NANCY。爆薬設置完了。離脱する」
 首を失って崩れ落ちる怪獣は、その切断面から大量の血液を放出していた。ヒトと同じ暗赤色の液体が、碁盤目状の町並みに降り注ぐ。転がる死体が異類のものであることを除けば、それはスケールアップした殺人現場と同じだった。津波のような速度で、赤色が地面を這って拡がっている。
 オレンジ・スーツは速やかな散開を試み、再びスラスターの出力を上げた。地に広がる血液が波打ち、波紋を倍化させながら機械製の巨人が浮かび上がる。
「点火」
 首を失った怪獣の身体が、急激に膨張した。爆轟が怪獣の外骨格を破壊し、サーモバリック爆薬の持つ強烈な爆風によって上半身が裂けて弾ける。胸部の粒子加速器はもはや完全に跡形もなく破壊されたと見えた。
 爆炎が消えると、周辺数十メートルは瓦礫と灰に変えられていた。ただWanzava'rの下半身だけがそこに屹立しており、血と肉の焼け焦げる匂いが満ちている。
「やったのか」
「あれで死ぬなら、苦労はない」
 8199排撃班班長"検校"はオペレーターたちの期待を砕くことに躊躇いがなかった。頸部切断はタイプ・グリーンやタイプ・ブルーに対峙するときと同様のプロシージャに従ったに過ぎない。
「突入したオレンジ・スーツの外殻部に異常発熱」
「どうした」
 "検校"が叫ぶのとほぼ同時に、2機のオレンジ・スーツが機能を停止してちた。遠隔モニタリングしている機体状況図には、超高分子量ポリエチレンUHMWPE5製の複合装甲モジュールが破られ、バイタルパートへ致命的な一撃を受けたことが示されいている。
「槍が──」
 墜ちていくNANCYから無線が入り、次の瞬間通信が途絶する。乗員保護システムの無反応が引き金となって、機体の自爆機構が発動していた。同じく怪現象によって装甲を破られたRUTHルースが撃墜判定を受け自爆し、残された2機は防御陣地からの援護射撃を頼りに飛行を続けている。
DIXIEディキシー、ANNIE。状況を報告せよ」
「ANNIE、DIXIE。詳細不明。飛散した血液が形態変化し装甲板を突破した可能性がある」
「下半身しかない状態でもアスペクト放射が可能とは恐れ入るな」"検校"はANNIEを通じて指示を下す。「DIXIE、HARRYへ、蜜柑。"ファイアストーム6"を使用し外殻部に付着した血液を掃除しろ」
「了解」
「CP、CX-1。進捗状況を報告せよ」
「CX-1、CP。現在起動試験実施中。東御苑SRA群は稼働可能状態まで約10分」
「CP了解。アウト」
 CTF-CX司令官──有沢解子 機動部隊中将は、メイン・スクリーンに映る静止したWanzava'rをしばし見つめていた。不気味なほど動きを見せないが、GOCの観測装置では体内のEVE量子の構造化がすでに始まっていることを捉えているらしかった。女性中将は隣のスペースで指揮を執る"検校"へ歩み寄り、
「貴隊の奮戦に感謝します。あと10分、それだけ耐えればノットホール作戦に移行できる」
「お役にたてて光栄です、閣下。石棺が破られた時のことを考えると、たとえ10分でも攻撃態勢を維持されたほうが得策かと」
「同感です。できればあの下半身も吹き飛ばせればよかったが」
「巨大脅威存在の急速な再生を確認。総重量に変化あり」
 メイン・スクリーンの画面上の怪獣が、濃霧のような蒸気に包まれていた。傷口からだけではなく、無傷なはずのつま先から尻尾の先まで、全身から蒸気を放っている。
「"蜜柑"、ANNIE。射撃の可否を問う」
「ANNIE、"蜜柑"。射撃を許可する。効果は不明となるが再生を静観するわけにはいかん」
「各BP、ANNIE。統制射撃を行う。目標正面、移動中の巨大脅威存在。連射。ACFSDS。指名──撃て」
 防御陣地で今か今かと出番を待っていた蜜柑色の巨人たちが、ふたたび魔弾を射出する。レールガンが轟音と閃光を放った直後、蒸気の塊に穴が穿たれた。だが、弾体の持っていた加速度はその鱗に届く前に消え失せ、無力に地面へ落ちる。再生途上の肉体を守るべく、現実改変能力が行使されていた。
「命中弾なし。撃ち方待て」
 射撃が中止される中、白い蒸気の塊は不気味にうごめいていた。周期的な轟音と衝撃で、周辺の観測点は1つの結論を導き出す。Wanzava'rは、目指す聖地への進攻を再開していた。
「巨大脅威存在の蒸気が晴れていきます」
 白い帳を置き去りにして、Wanzava'rは歩みを続ける。大半の部位で皮膚の生成が終わらず、怪獣はピンク色の真皮組織を曝していた。急激な肉体の再構成によって絞り出された血が、一歩を踏み出すたびに周囲へと飛散する。
「これは……」
 細く伸びた2本の腕、胴体に比しても長い脚部、脊柱が直立した2足歩行──それは、まぎれもなく人間の形象だった。
 尾骨のあたりにはまだ数十メートルの尻尾が残されていたが、この再生──進化で体細胞が利用されたのか、かなり短く退化していた。頭部はほぼ人間を模しているようだったが、頭蓋骨は後方に長く伸びている。装甲板のような外骨格が口から上を覆い、瞼のない6つの眼がそこに穿たれた穴から覗いている。
 下半身の再構成は脚部の伸長以外には確認されず、上半身と下半身で異なる外観を持ったアンバランスな姿が、一層Wanzava'rが異形であることを強調していた。小さな後脚は完全に退化し、長い二本の脚と尻尾でバランスを取りながら直立二足歩行の真似事をしている。背部からVLSは消えていたが、見るからに不自然な膨らみが現れていた。怪獣はこれを背負うように猫背になり、腕を垂らしている。
「背部の不明な器官に高熱源を確認」
 背中に一条の亀裂が走り、蒸気と血がほとばしる──そして次の瞬間、ピンク色のなにかが拡がった。
「翼か……」
 それは一見すると細長い腕のようでもあった。幾本かの発達した指と指の間に、筋張った膜が張られている。きわめて高いヒューム値を検出する翼は、しかしそれでもこの巨大な生物を浮揚させるには不足なはずであった。
 翼がしなやかな軌道を描いて広がり、羽ばたきを見せる。周囲に突風を起こしながら、巨大脅威存在の両足はアスファルトから浮かび上がった。
「飛べる、飛ぶのかやつは」
「揚力を強化しているか、それともあの場の何らかの物理法則を書き換えているのでしょう」
「巨大脅威存在、高度500メートルまで上昇。滑空を開始」
「まずい、このままだと数分のうちに皇居へ到達するぞ」
「各機、ANNIE。目標を撃ち落とせ。各個射撃」
 上昇をやめ、ひらりと身を翻したWanzava'rは羽ばたきながら皇居の方角へ泳いでいく。オレンジ・スーツは一斉にミサイルポッドのセーフティーを解除し、驕り高ぶったイカロスを撃墜せんと槍を放つ。
 数十発の多目的ミサイルの群れが背後に迫る中、怪獣はただ尻尾を一度、大きく振り回した。尻尾に並んでいた尾骨の節が遠心力によって次々と抜け、空中へ放り出される。
 それらは重力に身を任せて落下し、やがてミサイルの前に躍り出た。アクティブレーダー誘導のミサイル群は棘をターゲットにすることなく、通過すべき対象として認識した。だが棘たちはただ落ちてきたわけではなく──エナメル質の体組織片は急激に膨張し、一瞬の輝きを経て数倍の体積を持つ火球となった。
「誘導弾全弾インターセプトされました」
「燃料気化爆弾が使用されたと思われる」
「サーモバリックを使った影響か、学習が早い」
「あと2分で皇居東御苑到達の予想」
 まだ8分必要です──。"検校"に告げた有沢の顔には、隠しきれない動揺の色が現れている。"検校"が返答に数秒を要している間に、ANNIEからも追撃の指示を求める無線が入った。
「追撃の可否を問う」
「有沢中将、SAG-1に艦対空攻撃を実施させてください。爾後はオレンジ・スーツが白兵戦を挑んででも阻止行動を取ります」
「了解しました。SAG-1、CP。グングニルによる攻撃を再開せよ」
 翼が、まるで形だけ整えたかのように緩慢に羽ばたいている。翼の生えた人型実体となりつつあるWanzava'rの容貌は、天使と形容するには程遠い生々しさをたたえていた。四肢が脱力したように垂れ下がったまま、巨大脅威存在の首が飛来するミサイル群へ向いた。
「目標到達まで25秒……」
 8199排撃班は当初作戦計画の修正を強いられていた。指揮所防衛に回されていた指揮官機のANNIEがレールガンによる直援に入り、ふたたび4機での肉迫攻撃が行われる。
「ここでACFSDSを全弾使い切れ。とにかく東御苑への侵入を阻止しろ」
 砲撃が断続し、輝点が空中を正確な弾道を描いて1つのパターンを形作った。白い槍と黒い弾丸は、息を合わせて怪獣の懐へ飛び込む。直後に閃光が続き──再び不安定化した空間が虹色の悲鳴を上げて、爆風と轟音があたりを覆い隠す。オレンジ・スーツパイロットたちはただちにVERITASビューに切り替え、サファイア色のEVEの流れを読む。
「……ターゲット・サーバイブ」
「突入する」
 あと7分。4機の橙色の小人が、ほとんど同時にスラスターの推力を上げた。黒い巨人は自らの周りに発生した不安定空間に気を取られ、その襲来に気が付いていない──はずだった。オレンジ・スーツが怪獣に向けて手を伸ばす。金切り声を上げるヴィブロ・ブレードの一振りは空を切り、取り残された左手がひとりでに弾け飛んだ。獲物を捉えた感触もなかったはずだが、熟練したパイロットの勘が緊急コードに指を走らせた。現実歪曲によって関節部の急速な劣化が起きており、DIXIEは人工神経系統が麻痺を起こす前にパージする。
「俺を撃て」
 あと6分。DIXIEの耳殻に入ってきた通信は、今まさに弾き飛ばされようとしているBADGERバッジャーのものだった。抗現実歪曲性呪詛の刻印が装甲から剥落し、表面に蛆虫の湧く腐肉が張り付いている。強烈な運動エネルギーを付与された肉と金属の塊は、僚機へ向かって跳躍した。DIXIEは衝突を避けてパワーダイブし、脳髄から血液が逃げていくのを感じながら、操縦桿を上げて機体を引き起こしにかかる。真下に出たDIXIEが機関砲を向けるよりも早く、蛆虫をまき散らすオレンジ・スーツの死骸は急激に回頭する。
「そっちへ行ったぞ」
 もう死んでいるであろうBADGERパイロットの代わりに、DIXIEはSIMONサイモンへ向けて叫んだ。が、遅すぎた。劣化部品のパージが遅れたSIMONは大きくバランスを崩しており、真正面から蛆虫の直撃を食らった。悲鳴でパンクした回線を遮断したDIXIEは、HARRYが背部へ回り込んでいるのを視認し、援護に回るべく再び上昇する。
 あと5分。Wanzava'rは羽ばたきを続けていたが、その場に滞空を余儀なくされている。HARRYとDIXIEによる背部制御翼型器官へのワイヤーによる動作妨害は、即物的な発想ではあったものの、ある程度の効果を上げていた。ただし現実歪曲によって数秒ごとにワイヤーは切断され、機体はワイヤーの射出を繰り返している。
「ANNIE、HARRY。このまま膠着状態が続くとは思えない。もう一度一斉射撃をすべきだ」
「HARRY、ANNIE。肉薄攻撃を中断すると再度接近を許す可能性がある。戦闘を続行せよ」
 あと4分。ワイヤーにはアスペクト放射が織り込まれ、切断されると先端部が自らアンカーへと再構成する性質を備えていた。だがワイヤーそのものが払底することは防げない。もう二、三度切られればワイヤーは底をつき、この忌々しい偽物の翼に対する嫌がらせも不可能となる。後方にいるANNIEは遊撃によって統制射撃ができなくなると、散発的な射撃をするのみで一向に撤退を命令しない。HARRYは幾度かDIXIEに撤退を具申したが、そのたびに頭の固いパイロットはそれを無視して通信を切った。
 あと3分。あと3分でノットホール作戦が実施されれば、全員が現実性を奪われて死ぬ──と表現できるかもわからない状態になる──ことは間違いなかった。
 おそらくANNIEや"検校"にも妙案はない。それは現場にいるパイロットにもわかる絶望的な事実だった。操縦桿を握る手が一瞬緩み、神経接続されている機体の制御にもそれがフィードバックされる。HARRYが牽引していたワイヤーが瞬時にたわみ、Wanzava'rにとって格好の武器へと変わった。鋼線が食い込んで出血しているにもかかわらず、翼はHARRYを引きずり降ろそうとする。
「ワイヤーを切断しろ」
「できない」
 切断するタイミングを逃したワイヤーの内部には、すでに怪獣の細胞が浸透していた。爆砕ボルトが鋼線を切り離しても、生体組織がそれを繋ぎ止めて離さない。翼から溢れてきた血液が、怪獣のへその緒と化したワイヤーをたどってHARRYの内部へ殺到した。
「HARRY、ダウン」
「たった4分間で、3機も落とすとは……」
 凝固した血液が、まるで矢のように装甲の隙間から林立している。推力を失って地面へと落下していくオレンジ・スーツの姿は、戦闘指揮所にあったわずかな希望的観測を完全に叩き潰した。
「DIXIE、こちらANNIE。第3波攻撃を敢行する。レーダーを注視せよ」
「DIXIE了解」
 防御陣地にいた4機のオレンジ・スーツは長距離狙撃用の装備一式をパージし、空中へ舞い上がった。ANNIEと"検校"は、当初作戦の不首尾が分かった時点ですでに消耗戦を決意していた。4機ごとの肉薄攻撃は少なくとも数分間の足止めとして有効である──。それは皮肉にも、HARRYたち自身が証明したことである。
RAYレイGRABLEグレイブルENCOREアンコール、DIXIE。こちらANNIE。誰が死んでも恨みっこなしだ」
 ──どうせみんな死ぬ。という言葉を付け加えたのは、通信を切ってからだった。4機のU-HECマークIII J型が暗い東京の空を斬り抜くように飛ぶ。
 ふたたび飛翔した怪獣は、千切れかけていた片翼を急速に退化させはじめていた。折りたたまれた翼は背中に溶け込んでしまうと、表皮に黒色のこぶが次々と現れた。しばらくすると瞼が開くように表皮が外れ、隠されていた眼球が露わとなった。背中に現れた数十の瞳は、至近を飛行するDIXIEの動きを追っている。生理的嫌悪を催す光景にパイロットは盛大に舌打ちしたあと、通信回線を開いた。あと2分。
「ANNIE、DIXIE。画像誘導型のミサイルだ。数20以上。間違いない」
 言うが早いか、目玉たちはずるりと背中から飛び出していく。赤い目はすべてDIXIEに釘づけであり──数秒後の彼の末路を見据えている。黒い棒状の肉片から羽が生え、後部から発火した体液を噴射しつつ迫ってくる。
 オレンジ・スーツの頭部機関砲がインターセプトすべく、秒間数百発の弾丸を浴びせはじめる。数秒と経たずに半数近いミサイルが起爆し、数発を残して火焔に消えた。
回避ブレイクする」
 DIXIEは戦闘上昇旋回機動インメルマン・ターンをしつつ複数のミサイルをさらに機関砲で撃ち落とす。残存ミサイルは急速に反転すると、光学迷彩を発動して逃れようとパワーダイブするオレンジ・スーツを3秒ほどで再捕捉した。
「──誘導弾内部に高熱源」
 高速機動による重力の中で、DIXIEはこの報を即座に自爆の用意であると断じた。ミサイルの形状変化を捉えることができたのは、至近で追随していた僚機たちのみであり、この時点でそれが何を意味するかは何人にも判じようがなかった。推力偏向ベクタードスラストで反転を図ったDIXIEは、その視界にいくつかのまばゆいきらめきを認め──直後に爆散した。
「詳細不明なるも全目標ミサイルロスト」
「DIXIE、ロスト・コンタクト。撃墜確認」
「なんだ、今の」
 あと1分。残り1200メートル。背中には、再び目玉の群が出現していた。今まで怪獣に殺されてきた人間たちの、怨嗟の視線が続くオレンジ・スーツたちに向けられている。機能を停めたDIXIEが、飛ぶANNIEの付近を落ちていった。装甲に無数の風穴が生まれており、コクピットがあったはずの腹部には、暗い東京の街が覗いていた。
「各機、ANNIE。粒子ビームだ。誘導弾は粒子ビーム発射能力を獲」
 通信を聞くのと、パイロットたちが身をもってそれを知るのと、どちらが早かっただろうか。背中の瞳たちは発射されることなく、その場で30条の光線を放つ。ビームを放出しながらWanzava'rは背中を丸めて、四方へ破壊的な祝福を届けた。
 GRABLEは機関部にビームの直撃を受けて虹色の爆轟を生み出した。RAYは胸部をかすめたビームによって機関が不調をきたし、電源喪失とともに墜落していく。ENCOREは右半身の脚部と腕部を溶断されて制御を失い、回転しながらビル群の間に吸い込まれていった。
 怪獣の正面だけが安全地帯だった。そしてANNIEただ1機だけが、そこにいた。ビーム発射を終えたミサイル群が背中から続々と産み落とされ、オレンジ・スーツへ向けて飛翔する。
 ANNIEはただ一直線に跳んだ。残りの数十秒を持たせるために、彼は最善手を取ることを考えている。左手のマウントにサーモバリック爆薬の最後の一発を装着して、オレンジ・スーツは真正面へ機関砲を連射した。黒い群に穴が中空に出現すると同時に、ANNIEの左手の関節部が爆裂し、爆弾を掴んだ手が前方へ投げ出される。
「死ねクソ野郎」
 硬化した皮膚の仮面は、怪獣の表情をまるで読めないものに変えている。ANNIEはそれだけが残念だった。大量のミサイルたちがオレンジ・スーツの装甲を爆風で砕き割り、コクピットにビームが照射されるその瞬間まで、ANNIEは眼前の脅威存在に対する呪詛を止めなかった。
 オレンジ・スーツの残骸が外堀通りの乗用車へ降り注ぐ。左腕と爆弾の形をした報復の一矢に対して、巨人はただ右手を上げて応える。次の瞬間、サーモバリック爆弾の内容物質はただの水へとられて、あとには怪獣の咆哮だけが残された。
「ANNIEロスト。撃墜を確認」
フタヒトヒトマル。現時刻をもってアップショット作戦を終了する」
「……皇居SRA群および各結界結節点SRA群、全機起動を確認」

空白
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日本国埼玉県飯能市 旧サイト-8181 旧巨大脅威存在合同対策本部
「エージェント・カナヘビ捜索部隊(仮称)」
20█年8月12日 午後8時40分19秒 (UTC+9)

空白
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「ダメですね……。ものすごい干渉波を検知していて、とても使い物になりません」
 788評価班"野鳥会(BirdWatchers)"班員の"双眼鏡ビノキュラ"は、視神経とVERITASデバイスの接続を切ると首を振った。彼のハイテク義眼は普段まぶたの形をしたプレートに閉じられており、まるで眠っているかのような表情で話す。
 PEJEOPATの名のもとに共同管理施設と化したサイト-8181には、今はもうほぼ人は残っていない。ほとんどが東京都市圏外のサイトか、新たに対策本部が設置されたサイト-816へと移っている。ノットホール作戦が始まれば、サイト-8181を含めた東京都市圏からは現実性が収奪されるため、安全確保のために即時退去命令が発せられていた。数十機のヘリといくつかのアポーテーション術式が動員された本部要員の大規模移動にも、ひと段落が付いている。がらんどうとなったサイトの廊下には、"捜索部隊"の9人の足音だけが反響していた。
 すでにサイト-816には、1000人以上のGOC職員が闊歩している。もちろん全員に監視が付けられ、"協定違反"が見つかれば即時拘束の権限が内部保安部門には与えられていた。評価班"バード・ウォッチャーズ"と機動部隊え-816("目付")の関係もそれである。
「困ったぞ。EVE固有波が頼みの綱だったんです」
 十数分前、捜索の下命を受けた内部保安部門は、有能であったがゆえに監視システムの一切が全くの無能であったことにいち早く気が付いた。自力での追跡が不可能であることを告げられた本部は、最小限の人的資源による捜索の最適解として、遊兵であったGOC評価班と共同歩調を取ることを選んだ。
VERITASそれが壊れるなどあり得るか、双眼鏡」
「しかし班長……はっきり言ってこれでは視界の半分が砂嵐に包まれているようなものです」
「では、解隊ですか」
 え-816隊長職にある男は、たった5人で作られた機動部隊のリーダーとして移送ヘリを見送った職員の1人である。半分ぐらい観光客のような気分でやってきた工作員たちは、自信満々に機材を取り出してきて──数分後には頓挫した。隊長は初めこそ監察官として敏腕を振るべく息巻いていたが、それが不必要とわかった今、虚脱感に襲われている。
「もうすこし待ってください。いくらなんでも、持ってきたデバイスすべてが不調というのは普通じゃないですし、まだ調べる方法はあります」
「早めにお願いします。すでにここには退去命令が出ていますから」
「もちろんです。ここはオールドスクールで行きましょう」
 双眼鏡は持っていたジップロックからカナヘビの脱皮殻を取り出すと、奇跡論のコードブックの上に載せた。呪文を唱えながら試験管の蓋を開き、新鮮な血の一滴を垂らす。するとページの上に描かれたインクがほんの一瞬だけ熱を持ったように輝き、コルク栓を開けたような音が続く。
「えー……と!」
 彼の機械化された眼は、ここではないどこかを見つめている。双眼鏡は今、この脱皮殻と同じ波形を持つ者の居所を知ることができた。そして同時に、事態の不可解さもたちどころに理解した。双眼鏡は乱暴に瞼──義眼の保護プレート──を開いて、視神経と回線とをつなぐ。奇跡を介して脳で処理された情報は、デジタル化され、タブレット上には脳内にあった漠然としたイメージとして浮かび上がる。曖昧な円と幾条かの消えかかった線が地図上に現れ、幾度かの処理を経てはっきりした同心円として収束していく。
「向島の周辺……今の最前線じゃないんですか、これ」
「カナヘビは最前線にいると? 第2戦闘団に潜り込んだんでしょうか」
「いや……どうだろうな。実働対処班に連絡を取ってみた方がいいかもしれない」班長の額には、玉のような脂汗がいくつも現れていた。「明らかに共鳴が濃すぎる。これは人間で出るような反応じゃない。追尾魔術はもっと正確に対象の場所を割り出せる」
 これの正体はなんだ? と脱皮殻を取り上げて、班長は言った。
「あの怪獣の子供の頃のものか?」

空白
空白

日本国滋賀県高島市・京都府南丹市 旧サイト-816 巨大脅威存在合同対策本部
「首都機能移転に関する幹部会議(第1回)」
20█年8月12日 午後9時10分2秒 (UTC+9)

空白
空白

 アップショット作戦について、阿形はオペレーションの経過を注視することを選ばなかった。現場に対する指揮は共同で本部長を務める物理部門の総監 "篳篥"に一任し、阿形は政治的懸案に集中すると決めていた。会議室こそが阿形にとっての戦場であり、政治的空白と混乱こそが当面の敵だった。
「政治局の現行計画では、大阪国際空港に新たな首相官邸と、内閣府および内閣官房の合同庁舎建設を予定しています。防衛省と統幕も付近の伊丹駐屯地周辺に新造する計画です」
「そのあたりについては異存ありません」
 細谷の役職は今のところ、まだ首相補佐官にすぎなかった。財団と世界オカルト連合の政治部門がどのようにして自分を総理大臣に担ぎ上げるのか、想像の及ぶところにはない。だが、細谷に課せられた使命はその雲をつかむような話を現実のものとして協議することだった。
「財団とGOCどちらも中央省庁の分散を予定していますが、その詳細がそれぞれ異なりますね。これについては政府も含めて再度協議したいと考えています」
「省庁分散については合対本部内にさきほど作業部会を立ち上げています。夜更け過ぎには第1稿が上がってくる予定です。すぐに政府の要員を派遣していただければと思います」
「早いですね。民間レベルでの経済機能移転についても計画書を拝見しました。京阪神都市圏は飽和状態ですが、区画整理を行うとありますね。もう少し既存の都市圏に影響の少ない形にはできませんか。……」
 パーテーションで急造した「協議の場」には数十人の官僚と政治家が資料に向き合っていたが、その数倍の人員でごった返す事務局が、パーテーションの向こうに存在している。大小さまざまな会議と意思決定がこの場において行われ、すぐさま事務局全体に共有されていた。阿形はそのすべてを把握しているわけではなく、班ごとに管理官クラスが補助AIの力を借りて状況整理したものに常時目を通している。
 だが、それで分類できない情報は複数いる秘書官が直接届けにやってくる。会議室で待機していた秘書官は、連絡員から紙を受け取ると立ち上がった。阿形の耳元に口を寄せて、周囲に聞こえない音量で素早く文を読み上げる。
「本部長、カナヘビの捜索部隊が実働対処班に報告を上げたのですが、それが5/I5クリアランスに抵触するおそれがあるとしてRAISAから対処要請が来ています」
「どういうことだ」
 会議進行を副本部長に任せると、阿形はパーテーションから出た。実働対処第1班はパーテーション──意思決定に最も近い机を占有している。そこには、内部保安部門の機動部隊と、それと組んでいたという評価班の面々が立っていた。
「君たちが捜索部隊か」
「はい」
「あちらで話を聞こう」

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同・第1会議室
20█年8月12日 午後9時20分15秒 (UTC+9)

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「先ほど探知したとき、結果は2つ出ました。その一方が、カナヘビは日本アルプスのどこかにいるのではないかというものです」
「結果がはっきりとしていないようだが」
 議長席に座る阿形の前に、2名の士官が立たされている。いたずらを咎める教師と生徒のような光景にも似て、士官たちは緊張で直立不動を保っている。隊長と班長は互いの顔を見合わせて、どちらが先に説明を行うか譲り合った。
「ええ、強力な魔術的防護の下にカナヘビがいるということの証左ではないかと考えます」
 答えたのは隊長だった。あくまでも、班長はカナヘビについて消毒された情報以上のことは知らない。何かしらの事情を察しつつあるであろうことは明白だったが、報告者たる資格を有するのは監察官の男だった。
「つまり」
「GOC、財団、もしくはその他の組織の施設にいる可能性があります」
「なるほど、よくわかった」では、と阿形は背もたれから背を離し、両手を膝の上に置いた。上目遣いに職員二人が次に放る言葉を待っている。待ち構え、捉えようと狙っている。「もう1つの結果について聞きたい」
対象サブジェクトと同一のEVE波形を、巨大脅威存在から検出しました」
 生体撥躍エネルギーについては、隊長よりも班長が専門とする事項だった。阿形は顔色を変えないつもりでいたが、班長の使ったサブジェクトという発音に眉を動かしていた。それは脅威存在を呼ぶときに使われるGOCの文法だった。
「現在の技術において、EVE波形を誤検出する可能性は数億分の1とも言われます。もしこの事例がその天文学的奇跡によるものであれば、それに遭遇した幸運を喜ぶべきでしょう」
「事情はよく分かった。ただちに対策本部として対処する」
 合同対策本部・本部長は、立ち上がって片手を上げる。男の口に吸入器が当てられ、次の瞬間崩れ落ちる。隊長は担架で担ぎ出されていく戦友を見送ると、阿形に肩を叩かれた。
「君の番はもう少し後になる。八家やか監察官。1人尋問してほしい人間がいる」

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日本国東京都千代田区 仮設サイト
「ノットホール作戦(最終期着上陸侵攻対処 高度現実性による結界構築オペレーション)」
20█年8月12日 午後9時11分8秒 (UTC+9)

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「ノットホール作戦発動。作戦第1段階。結界構築開始」
「SRA1号機から72号機、全力運転中。出力安定。レイライン内ヒューム値3.0を突破。毎秒0.2hmペースで増加中」
「巨大脅威存在、首都高都心環状線破断。間もなく東御苑へ接触します」
 三殿を中心に配置された72本の柱が、供給された電力によってエヴァーハート共鳴器を回転させはじめる。核磁気共鳴がもたらすEVE量子の規則化は、都市圏全域から集まってくる現実性の渦を回し、もってフラットな高度現実を作り出す。EVEの流動しやすい多摩川、荒川や利根川といった大河川を利用して龍脈レイラインの構造を歪め、皇居を中心に放射する首都高環状線や山手線、東京地下鉄網の各結節点にSRAを配置することで一大人工レイラインを築き上げる──財団の魔術師やGOCの奇跡論技師を総動員して決行された計画は、今のところ確実に進行していた。
 皇居に配備されたSRAには2つの役割が課せられている。
 巨大なエヴァーハート共鳴器と同時に運用する"攻撃型SRA"には、特定のピッチに調律されたEVE量子を余剰次元から叩き落とし、高いヒューム値を持った現実を局所的に注ぎ込む機能が付与されている。これによってWanzava'rの存在自体を脅かし、外部への現実歪曲能力行使──ひいては生命活動を抑止する。
 対する"支援型SRA"には、現行モデルの別次元から現実性を吸引する技術をスピンオフし、2柱セットで稼働することで、同一次元内で現実性を移動させる機能が付与された。怪獣から現実性を収奪し、攻撃型を支援に回ることで、より作戦成功率を高める。首都レイライン──皇居内のフラットな現実性を保ちつつ、同時に現実性低減区域に吸引した現実性を移動させることで、同区域内の現実秩序回復を狙うことも予定されていた。
「御殿場観測所より入電。皆瀬川7水域にてヒューム値の緩やかな低減を確認との報告」
「ノットホール結界、出力予定値で安定状態に入りました」
 皆瀬川は結界の影響を受ける"現実性低減区域"の最外周縁部に当たり、この観測点がヒューム値を1.00以下に検測したということは、つまり結界の影響力が予定された範囲に届き、またそれを超えることなく動作していることを意味する。
「ご苦労。オペレーター要員以外は一時休め」
 指示を通達すると、部隊司令官の有沢はマイクの電源を切って立ち上がった。乱れた前髪を直して、強張った表情をどうにか平時に戻そうと試みる。それが終わらないうちに、指揮所内で呆然と座り込んでいる"検校"のもとへたどり着いた。
「検校。財団を代表して、最大限の謝辞を述べさせていただきます」
「せめて、彼らの亡骸を連合で回収したかったが」
 この状況では、と検校が見やるスクリーンには、サーモグラフィーのように現実性が色分けされた地図が映っている。皇居三殿を中心とする1キロメートルの同心円の内部は赤黒く塗られ、逆にそれ以外の部分は青く表示されている。結界外縁部のSRAをつなぐ円の内側と外側で、歴然と空間の安定性に差が出ていた。神の祝福でも受けたかという血の色が、怪獣を閉じ込め、そして彼らを殺す。
「いずれ我々かあなた方のどちらかが解決法を見つけ、回収してくれるはずです」
 老け込んだ中年の軍人は首を上下させると、肘を突き、手の甲で瞼を覆い隠す。「通信はあとどれほど持つのです」と有沢の背中に問う声は、少しばかり弱々しくなっていた。幕僚の返答をそのまま、あと10分と告げると男は再びうなずいた。
「班員に別れの電話をさせます」
「名案でしょう」
 有沢自身は、別れを告げるべき相手を持たなかった。恋人とは職員として雇用されたときに分かれてしまっていたし、恋愛よりも職務に精を出してきた結果として、機動部隊中将という彼女の地位がある──と、彼女自身は信じていた。司令官席に置かれていた紙コップに対して、中将は副官に微笑む。同じく女性を起用した少尉は、元来茶汲みなどまるで興味のない人格の持ち主で、そこを気に入ってそばに置いていた。
「……巨大脅威存在、日比谷通り通過」
「来るぞ……」
 数分間の奇妙な休息は、規則的な歩みを停めずにいた怪獣の脚によって踏み潰された。結界外の現実性が急激に低減したことで、相対的な優位を得た怪獣は皮膚と外骨格の再生を即座に完了せしめている。真っ白い肌のほとんどは黒々とした外骨格によって覆い隠され、より龍や爬虫類に近い下半身はその2足歩行を洗練させていく。
 結界はEVEの海から叩き落された量子が現実子を引き込むことで構築された城塞として、その不可視の堅牢さを誇る。怪獣は第6感覚器官によってその存在を知悉していたが、しかしそれを破る方法を強行突破以外に知らなかった。2本の脚は主の命令に背くことなく、裸足の脚で大手濠に突っ込んだ。巨大な足が瞬く間に水面から水底へ貫き、掻き分けられた水が白波を起こす。そして水しぶきが上がると同時に、空間中に舞った水滴を虹色の閃光が飲みこんだ。その瞬間水滴たちは、水面へ連れ戻された。
 観測者効果──Wanzava'r自身の引き起こす強力な現実歪曲作用と、ノットホール結界が志向する現実維持作用の衝突が、巨視的サファイアな視座においてデコヒーレンスとコヒーレンスの周期的な発生としてあらわれた。怪獣の眼──意識が浮遊と帰趨を繰り返す水滴へと向けられて、その局所的な場において怪獣は現実歪曲能力を強めた。次第に水滴が浮遊する回数が増え、Wanzava'rはほんの小さな勝利を手にする。
 戦闘指揮所に配された大小のスクリーンには、その様子が映し出されている。際限なく上昇し続ける現実性が、皇居を全く別の空間へと変貌させていた。降り注ぐ月光は分光器に通されたように7色の柱となり、モノの輪郭は曖昧となって火花を散らす。怪獣と結界はEVE量子のピッチを全く逆に調律しており、対消滅による虹色の爆発をそこかしこで引き起こした。空間中の真空が生成消滅を繰り返し、空間情報系を錯乱させて虹色と暗色を連鎖させている。
 怪獣はいよいよ歩を停めざるを得ず、その場で立ち尽くした。表皮に破壊的な現実を重ね合わせてくる量子を有利な形に収束させながら、彼は自分が引き寄せられていたレイラインが、自らを消し飛ばそうとする敵意に満ち溢れたものだったと知った。
 それでも神格へ至る道を諦めるつもりは、Wanzava'rには毛頭ない。殺意に満ちた虹色の輝きに抗って、鱗に覆われた脚が振り上げられる。
「目標、再度進行を開始」
「目標のヒューム値、現在30.5/30.6とほぼ拮抗状態です」
 何者かに押さえつけられているかのように、Wanzava'rはわなわなと震えながら腕を開いた。外骨格にヒビが入っては治り、血が滲んでは消える。苦悶するかのように怪獣は空を仰ぎ、咆哮を上げた。皇居の空はオーロラと虹で混雑し、絶え間なく行われる改変と歪曲でその模様を変えていく。
「巨大脅威存在、再度停止」
「SRAに勘付いたか」
 怪獣の立つ宮内庁病院にも、72柱のうち1柱が配されていた。敷地に突き立てられた約15メートルの円筒形は回転しながら白い蒸気を上げている。
 6つの眼は第6感覚器官の導きにしたがって、6つの指でそれを掴もうとした。知性を持たない巨大脅威存在にとって、敵対的な存在とそうでないものの区別はほとんど意味がない。焦茶色の指が柱へ伸び、攻撃型SRAはプログラム通り敵対的存在にフラットな現実を浴びせかけた。局所的な改変によって6つの指は切り刻まれ、血が噴出する。Wanzava'rはずたずたにされた手をそのままに、流れる血を回転する柱へと注ぎ始めた。
「何をするつもりだ」
「アスペクト放射の基本です。根源ソースは術者の血だ」
 "検校"はいつの間にか有沢の隣に立っていた。職権を侵すつもりはないと"検校"は一歩下がって、遠慮がちに微笑んで見せる。
「タイプ・ブルーは知性がなくてはならなかったはずです。それに、あれはタイプ・グリーンとしてそういった手順を全く踏まずに現実を歪曲できるはずだ」
 咎めるつもりはないということを、有沢は質問によって表現した。排撃班のリーダーはそれを汲み、「おそらく」と話をつなげる。
「先ほどオレンジ・スーツが後退中に2機落とされたときと同じことが起きるかもしれません」
「血を武器にするということですか」
「血はEVEと親和性が高い。より強力で確実な現実歪曲を狙ったとは考えられませんか」
 命令とともに、スクリーンには宮内庁病院からのカメラ映像が映し出される。血を浴びていたSRAはフラットに調律したEVE量子の働きで血を抹消していたが、徐々に出力の低下がみられていた。EVEイメージをマッピングした状況図では、明らかに該当SRAの周辺だけピッチがナチュラルに戻ろうとする傾向が見えていた。
「陣取り合戦をしようってのか」
「そのSRAは手動での操作はできないのですか」
 マニュアルの内容は、ある程度有沢の脳内にも収められていた。すぐに技師を呼び出した機動部隊中将は、非常時を想定した手動制御システムについて一通りの説明を受けると、即座に決断を下した。交代要員まで全員のオペレーターが指揮所に集められ、有沢は72柱をすべて手動制御下に置くと宣言した。
「手動制御はみんな反対したんですが、結城博士が強引に搭載したものです……まさか役に立つときが来るとは……」
「博士に感謝すべきね。わたしたちの最後の望みを、あの怪獣に誑かされるわけにはいかない」
 Wanzava'rは文字通り血族に変えようとした柱が、ふたたび回転方向を変えたことに狼狽した。右手で乱暴に地面から引き抜き、握り潰そうと6つの指に力が入る。SRAには大量のケーブルが連結されており、怪獣が引き千切ろうとする試みに抗って自己再生を繰り返す。地盤の崩壊を想定してケーブルには相当な冗長性と防護が施されており、簡単に切断することができぬように工夫されていた。
「自爆信号の送信準備完了」
「もっとも頭部に近づくまで待て……──今だ」
 司令官の号令と同時にWanzava'rの右手が破裂し、顔の右半分に爆炎と破片が及ぶ。あらかじめ搭載されていた機密防護目的の自爆機構だが、その危害半径は極めて小さい。脱力した右手は一部に白骨が露出している部分もあったが、それ以上の打撃は加えられていない。
 急にふらふらと後退りした黒い怪獣は、三の丸尚蔵館を枕にうたた寝をすると決めたようだった。付近の樹林を根こそぎ薙ぎ倒すような衝撃が東御苑を襲い、突如として巨体は後方へ倒れこんだ。三の丸尚蔵館の丸い屋根が潰され、巻き添えを食ったSRAが1柱機能不全に陥った。それでも、結界も怪獣も活動に支障をきたしたわけではない。内部ヒュームは上昇を続け、45.7/44.9と終わることのなさそうなイタチごっこを続けていた。
「何が起きた」
「目標が後方に転倒しました。現在被害を確認中」
「47号機、63号機ともに通信途絶」
「59号機も通信状態が不安定化しています」
「かなりの衝撃だったが、その影響か」
「いえ、たとえ地割れが起こったとしても動作を継続するはずです」
 じゃあなぜ、と有沢が拳を唇に押し当てる。もう一度状況を整理すべく、スクリーンの状況図に視線を流すと、皇居内のSRA配置図のステータスに"Unknown"が増えていることに気が付く。質問を受けたオペレーターは中央で認識できないSRAが増えていると答えたが、有沢はそれでもまだ何かが引っ掛かるらしく、スクリーンをにらんでいる。
「有沢中将、今健在のSRAの総数は70と聞きましたが」
「ええ、そうです。2柱は破壊されていますから」
 パイプ椅子に座っていた"検校"は、「見間違いかもしれないと思いましたが……」と断りを入れてから、立ち上がってスクリーンを指差す。皇居に林立するSRA群をなぞるように空を切る人差し指は、数秒のうちに動きを止める。
「状況図には、全部で稼働状態が72柱と表示されているようですが」
「なんですって」
 数度に渡る処理の末に、各SRAの正確な現在位置が割り出された。現存しない2柱は切断されたケーブルの位置──つまり、巨大脅威存在の下敷きになっているはずの地点から信号を発していると判断された。この結果が出るや否や有沢は各部門の責任者を集め、指揮所内で臨時にブリーフィングを招集した。
「確かめるまでもない。これまでの戦闘詳報を読んだことがある人間なら、全員何が起きたかすぐにわかる」
「だとして、奴がどういった手段に訴えるかはまだ未知数です」
「そうだな。ひとまず対策については置いて、現状を整理しよう」
「急に寝たのは、SRAの複製のためにリソースを割く必要があったからということでしょうか」
「そう見るのが自然でしょう。アスペクト放射まがいのことを試していましたが、右手を吹っ飛ばされて方針を変えたのでは」
「学習ですか」
 機動部隊が作成した紙の地図の上には、"目標"と書かれた駒が寝かされている。取り囲むように並ぶSRAのうち、すでに2割が機能不全に陥っている。ヒューム値は48.7/48.8と徐々にWanzava'rが優位を取り戻しつつあり、悠長に事を構えていられるほどの暇は、彼らに与えられていない。
「かといって、手動で制御回復を試みる以上のことはできません。結界外部との通信はもう完全に不可能になってしまったのでしょうか」
「低減区域では電波もまともに飛びませんよ。有線通信は10分前に切れてしまった」
「ここでできるのは、祈ることぐらいですか……」
「目標に動きあり」
 幹部たちの視線が、一斉にメイン・スクリーンへと戻される。尚蔵館の残骸から頭をもたげたWanzava'rは、天上から垂らされた蜘蛛の糸にすがるように立ち上がった。自身を脅かすフラットな現実が減少したことで、格段に動きが素早く変化している。姿勢を落とした怪獣は、何かを探すように八方を睥睨し、両手を地面に突く。
「──24号機、ピッチ反転。目標に現実性を供給しています」
「手動制御システムはどうした」
「停止信号に応答しません。どこからか信号を受け取っているとしか」
 機能不全に陥っていた10数柱のSRAが次々と再起動し、24号機に追従してピッチを反転させる。創造性と恒常性のあるシャープな現実が空間情報系を再構成し、怪獣の存在を肯定すべくレイラインの中立的なEVEを巻き込もうとする。内側から突き崩され始めたノットホール結界は、その力の数割を怪獣によって食い千切られていた。
「信号の逆探知に成功。これは……I5群AIAD所属の人工知性徴集職員AICのものです。個体識別名称、HOWハウ。SRA制御機能を持っている第5世代型Gen(V)です」
「奴はAICを取り込んでいたのか。残っているSRAだけでもいい、今すぐHOWからの信号を拒絶するように設定しろ」
「──目標内部ヒューム、51.9/55.0。目標による現実歪曲強度が推定17.3メガキャスパー8を突破。観測限界値寸前です」
 Wanzava'rの背中で、ひしめき合う眼球たちが徐々に溶け始めていた。寄り集まって形象を崩し、怨嗟に澱む瞳は一対の巨大な双眸となった。極彩色の虹彩が天頂のオーロラを一睨すると、瞳孔に妖しい光が湧出する。内部に満ち満ちたEVEが可視光となるほど圧縮され、臨界に達した7色のヤコブの梯子が瞳孔を突き破った。巨神はその身に太陽を秘めているかのように輝き、背部の光線は徐々に3対の翼状に収束していく。翼は無際限に物理法則を書き換え、Wanzava'rの身体が宙に浮かび上がる。地盤に亀裂が発生しているという警告のすぐ後に、Wanzava'r直下の皇宮警察本部が粉々に砕け、反転した引力に引きずり上げられる。
「目標内部ヒューム、60.0突破。変動値3.4以上に到達」
「正視に耐えませんね」
 有沢は、スクリーンの輝度を調節するように指示を下した。まばゆい光は一層強まり、日射と見紛うほどのものになりつつある。"検校"は技師たちとの会話を止め、司令官席の隣に立った。奇跡論技師やヒューム学研究者たちの出した結論は、EVEの対消滅と対生成がこの場で行われており、皇居は巨大脅威存在を中心に加速器のような状態下にある、というものだった。
「このままでは、結界自体が奴のイニシエーションに逆利用されることになる」
 巨大脅威存在は今まさに、タイプ・グリーンからタイプ・ブラック──生物から神格へと至るその過程を演じようとしていた。3対の瞳と翼は、眼下の皇居三殿を見下ろしている。場の現実性はまだ7割以上残留しており、Wanzava'rにとってそれらはすべて据えられた膳のようなものだった。
「そうなる前に、総司令部は水爆攻撃を決断するでしょう……SLBM9はもうどこかに待機しているはずだ」
 ペットボトルの水を飲み干した女性将官は、透明な容器に五指を立てて潰した。
「そんなもので、あれが倒せるならよいですが」

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日本国岐阜県 乗鞍岳・摩利支天岳 サイト-815
「北閉鎖棟第81施設 中央第975号室」
20█年8月12日 午後10時3分46秒 (UTC+9)

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「初めまして、博士。わたしは内部保安部門の監察官です」
 冷たい色をした電灯の下で、包帯に全身を覆われた人型が寝かされていた。その手足はいくつかの欠損によって、掛け布団に不自然なくぼみを作っている。右腕と右足を喪った──正確には、右腕はすでに義肢だったのだが──女は、何も言わずにただ目を閉じていた。
 主治医の話ではすでに覚醒しているとのことだったが、いまのところ客人は無視されている。閉鎖病棟の廊下には保安部門の職員が数メートルおきに歩哨に立っていた。背後に物々しい雰囲気を感じ取りながら、背広姿の監察官はパイプ椅子に腰を掛けた。
 瞼に指を当てて、目頭をぬぐう。
 阿形は予想外に強引な手法を取り、GOCに先んじて事態の真相を掴もうとしていた。バード・ウォッチャーズは全員が記憶処理を受け、VERITASデバイスの不調による追跡失敗がカバーとして流布されている。内部保安部門は阿形から強力な捜査権限を得て、1時間足らずのうちに結城久磨の名が捜査線上に浮かび上がった。
「結城博士。あなたは今日の午前11時20分頃に、エージェント・カナヘビに私的な接触を行っていますね。旧サイト-8181の内部保安部門から報告が上がっています。なぜですか」
「………………」
 八家はその道10年のプロフェッショナルだった。こうした尋問相手が沈黙を決め込むのは、同時に無策の表れでもあるのだ。微動だにしない結城久磨は、包帯で膨らんだ胸部を規則的に上下させることに集中している。
「財団が民主的な組織でないことはご存じだと思いますが──」
 監察官は床に置いていたアタッシュケースから注射器のセットを取り出すと、ビニールの小さな袋をつまみ上げる。「自白剤です」と説明すると、結城の視線が一瞬だけ八家の方を向いた。重傷者に副作用の強い薬剤は使われないだろうという打算を、多くの尋問対象者は持っている。それを知悉する監察官は、わざと注射に向いた部位を探すように、視線を下に落とした。
「われわれがどこまで知っているか、お教えしましょうか」
 内部保安部門必死の捜査は、阿形対策本部長や実働対処班の面々にまで伸びている。リエゾン班班長と収容チーム責任者を兼務していた科学者に背信行為の疑いともなれば、内部保安部門による追及の手はとどまるところを知らない。
「新型スクラントン現実錨の設計データ、クラス再指定オブジェクトの国内輸送計画要綱、持ち出し禁止の巨大脅威存在関連侵攻対処計画要綱。これらすべてについてエージェント・カナヘビ他数名の職員に対する直接的または間接的な漏洩を行った疑いが、あなたに掛けられています」
 男は立ち上がって、ゴム手袋をぱちぱちと鳴らす。組み立て終わった注射器を少しだけ押すと、透明な雫が針の先から滴り落ちた。尋問対象に残された左腕と左脚は、ベッドに縛り付けられている。後ろに待機していた看護師がベッドに回り込み、結城の掛け布団をめくる。
素面のまましゃべっていただければ、こちらも助かるのですが……」
 看護師がゴムホースを結城の腕に巻き付け終わると、八家がいよいよ自白剤を突き刺そうと構える。その時、結城は大きく息を吸った。
「時間だ」
「なんですって」
 腫れ上がった唇と、顎を取り囲む包帯が発音を不明瞭にしていた。
「……あいつが来るぞ」
 笑い声が続く。裂けた唇に血が滲み、包帯を赤く汚した。潰れていない左目は力強く見開かれ、表情筋は特定の形を目指して躍動し、そこかしこで出血を招いた。錯乱状態にあるという報告は受けていなかった。眼前の尋問対象の笑声が、演技によるものだとも思われなかった。八家の長年にわたる表情分析が、そう告げている。注射器を刺せないまま、男は慄然と立っている。
 背後でドアが開く音がし、対策本部からの連絡役が手招きをしていた。
「対策本部から連絡がありました。事態が急変したようです」

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「大怪獣決戦テイルシリーズ」

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