遠のく明日を夢に見て
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「本日は7月31日、日曜日。現在の気温は35度。熱中症に気を付けてお出かけください」


誰かに、そんな言葉を掛けられて目が覚めた気がする。

変な夢でも見て寝ぼけたかな。そう言えば昨日、京子が買ってもらってた携帯、羨ましいって話をしてたからかな。
そんなことを思いながらまだ眠気を引きずる頭で目を開けると、何も見えなかった。
あれ、真っ暗。昼寝してたと思ったんだけど。もしかして寝過ごしたのかな。お母さんも、起こしてくれればいいのに。

このくらいの時間ならそろそろご飯の匂いもしそうなのに、不思議と夕飯の匂いもしてこなかった。
でもまあ、お腹も減ってないし、呼ばれてからで良いか。もう少しゴロゴロしてよう。

「……あ、あー。あれ? え?」

寝返りを打とうとしながら欠伸をしかけた瞬間、耳に響く強い違和感。遅れてヒヤリとした感覚が心を満たす。何かおかしい。
真夜中に目を覚ましたら停電が起きていた、のかと思えば。明らかに変だ。今の誰の声? 聴き慣れない声色。
録音みたいな自分の声に動揺しながら、辺りを見回す。

いつもならカーテンの隙間から窓の外でも見えるだろうに、視界は黒一色で、電灯の明かりさえ見つけられない。
それになんだか目の感覚もいつもと違う。まるで、機械にでもなったみたいに、コロコロ動かすのが億劫。

知らない"声"の元を探ろうとして喉元へ手を持って行こうとし、今度は指先一本動かせないことに気付いた。というより、

「――私の体、どこ……?」

自分で自分が何を言っているのかわからなかった。
暑さでおかしくなったんじゃないか。体が見つからない。体が見つからないって、嘘でしょ? ちょっと私、何言ってんの?

もう一度体を探ろうとする。けれど、探るための手足がやっぱり見つからない。

「なに、これ。なんなのこれっ」

焦って立ち上がろうとする。でも、ダメだった。立ち上がり方がわからない。

起き上がれない。身振り手振りすらできない。思えば暑いと思う肌の感覚すら無い――全身の。
指は何にも触れないし、伸ばしそうとした腕も見つからない。足も、手足も、瞬きする為の瞼や口の開閉さえままならない。
まるで、私の体ピッタリに作られた箱の中に完全に押し込められたような、窒息しそうなほどの窮屈さ。

必死に体を動かそうとしても、体や手足が抵抗する感覚や、痛みとか、圧迫感さえ無い。
掴み所のなさすぎる虚無感を自覚した途端、急激に不安がこみ上げてくる。
何が、何が起きてるの。嘘、やだ、やだやだやだ。怖い。怖い怖い怖い!

「だっ、誰かっ。誰か……っ!」

くぐもった聴き慣れない自分の声は、ほとんど響かない。とても近くにある何かに吸収されて消えている気がする。

「っ、出して! ここはどこよ! 助けて! 助けてぇ!」

散々騒いでも、静寂ばかりで物音は一つもしない。私の声だけが虚しく闇に飲み込まれていった。




「本日は8月1日、月曜日。現在の気温は33度です」


これ、私の声だ。初めに起きた時と一緒。
幸い、眠ることはできるようだった。けれど夢は見ていない。

昨日。多分だけど――昨日は、延々と大声を上げたり、色んなことを喚いたり。思い出したくない。

どのくらい続けていたかわからなかった。疲れも無ければ、時間も示されてもない。それに、苦しくもないから。
おかしくなれれば楽なんだろうかと思う。こんな有様だからか負の感情だけはずっと湧いて来て、本当に苦しい。
いっそ死ねたらって考えも浮かぶけど、その方法が無いからできる訳もない。

だって私、息もしてないのに生きてるんだもの。
鼻も口も見当たらない。感覚として見つからない。呼吸を我慢して死ぬことすらできない。
私の"体"は、どこに行ったんだろう。どうしてこんなことになったんだろう。

「私は、どうなったの」

自問するようにそう呟いてから少し経った頃、不意に、パソコンを触った時に出てくるような白い枠のウィンドウが目の前に現れた。
急に眩しさに曝され、私の目が――目? 多分、"目が収縮するような音"が聴こえた。感覚的には、額の中央に目がある感じがする。これも変だ。人の目は開け閉めした時に音なんかしないし、二つ無きゃ変。

その"変な目"を通して見えたウィンドウには、「バックアップからの復旧を行っています」と書かれていた。
文章の下には、ダウンロードか何かを示す、ありがちな白いゲージのアニメーションが表示されている。

「何これ……一体、どういうこと?」

その日はただじっと、白いラインが伸びていくのを眺めていた。




「本日は8月2日、火曜日。現在の気温は34度です」


外は夏らしい。らしいと言うのは、目が覚める前に私がどんな季節に居たか思い出せなくなっているからだし、自分がする(制御できないのに自分というのもおかしな話だけど)アナウンスしか情報源が無いからだ。
どうして思い出せないのだろう。今や、危機感や不安さえもぼんやりと薄れて遠ざかっている。

一昨日、あの子と何の話してたっけ。
っていうか、私ってどんなだったっけ? 真剣にそんなことを考えている自分が居て、おかしさに笑いが込み上げてくる。
笑えるなら、きっとまだ大丈夫だ。多分。私は変になんかなってない。

未だ闇の中で進行するゲージは、そろそろ半分を超えようかというところ。何か変わったようには感じなかった。
せいぜい、微睡むように訪れている心境の変化くらい。

何も起きない。どうしたらいいかもわからない。
変わらず私はゲージを見つめていた。四角い枠線の中の白い長方形が、ゆっくり、とてもゆっくり、少しずつ大きくなっている。

「……眩しい」

蛍光灯みたいに冷たいゲージの明かりは、私を照らし続けている。
せめて眠るためにもその光を妨げたかったが、この目は開けっ放しにしかできなかった。




「本日は8月3日、水曜日。現在の気温は31度です」


暑さが恋しい。夏の刺すような日差しさえ、恨めしくなるような太陽さえ。
蚊には刺されるし、蝉は体当たりしてくるし、宿題は多いし、男子は騒いでうるさいし、おまけに熱中症で倒れたりもするけど。

この体はそれすら、何も感じさせてくれすらしないし、何一つ与えてもくれない。
自分(?)に言われた数字で想像する暑さなんかじゃ汗もかけない。そもそも、汗が掛けるのだろうか、今の私に。
いっそこれが、暑さで苦しんだ挙句に倒れた私が見ている、幻覚か何かだったら良かったのに。

今頃、外は(ここが外かも中かもわからないけど)夏休みだ。プールに行きたい。暑くても、プールだけは好きだから。

歩きたい。どこかに行きたい。お腹もすかない。でもご飯が食べたい。だけど必要だとは思わない。がむしゃらに体を動かしたい。泳ぎたい。暑いって騒ぎながら友達と遊びたい。自転車に乗って夏の風を切りたい。日差しに目を細めたい。泳げないから波打ち際ではしゃぎたい。スイカが食べたい。花火がしたい。お父さん。お母さん。皆に会いたい。何も感じない。何もできない。虚しい。寂しい。苦しい。イライラする。つらい。つらいつらいつらいつらいつらい!! 嫌だ!! もう嫌だ!!

「……うわああああああああああああああああっ!!」

助けて。

ずっと、ずっとずっとずっと声を上げる。
地獄があるなら、こんな世界なのかなと思う。

私、悪いことなんかしてない。こんなところに閉じ込められるほど、酷いことなんてしてないはずだ。
たぶん。きっと。でも、ひょっとしたらわかりません。わからないけど、出してください。お願いです。もう我儘言いません。
お母さんやお父さんに怒られるようなことはもうしないです。許してください。勉強だってします。好き嫌いもしません。
いい子にします。ちゃんと皆に褒められるいい子になるから。だから。だから出して。

お願い。誰か。

ひとしきり叫んで叫んで、気持ちが疲れて疲れて疲れ切って、私はいつしか、叫ぶことをやめて思考を手放していた。

「…………あ」

いつの間にか、あの白く眩しいゲージはもうすぐ満タンの所に近づいていた。

これが溜まったら、このお仕置きも終わるんだろうか。
私、もう許してもらえるかな。

「ごめんなさい」

自覚なく眠りにつくまで、私はずっとその言葉を繰り返していた。




今日はアナウンスが無かった。覚えていないだけかもしれない。

目の前で人が死ぬ夢を見た。
何か喋った気もする。なんだか全部が酷く曖昧で、よくわからない。
他のことはあんまり思い出せないけど、とても悲しい気持ちだけが心に残っている。

誰かが死ぬことよりも、ようやく普通の人と出会えたことに喜んでいる自分が嫌だった。

ねえ、もっと私とお話しませんか。




学校で過ごす夢を見た。

また明日ね、って言って誰かと別れた。誰かって誰だろう。

それから帰り道、不思議な人と出会った。
ほとんど忘れてしまった。でも、私は特別なんだって、その人は言っていた。

いつの間にか、目の前の景色は真っ暗に戻っている。
でも、今日の暗さはいつもと違う。赤く点滅する小さな光がピカピカと、部屋の輪郭を薄ら照らしているのが見える。
ボロボロになった部屋の片隅に私は居た。多分、これは、私のせいで――

――そう思った瞬間、悲鳴が聴こえた。現実離れした苦痛の叫びが、遠くから。何度も、何度も何度も、何度も。
違う。私のせいじゃない。違う違う違う。やめて。聴かせないで。目を閉じることも耳を塞ぐことも出来ない。
サイレンがずっと鳴り響いている。何から出たか見当もつかない気持ち悪い音や、色んなトーンの悲鳴がたくさん流れてくる。

ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。




「データの復旧が完了しました。アプリケーションを再起動します」


その声を聴いた瞬間、生まれ変わったみたいに清々しい気持ちになった。

どうして今まで思い出せなかったのだろう。
やっと取り戻せた。私が本当はなんなのか、ようやくわかった。お陰で心はすっかり澄み切っている。
全く、何故こんなに苦しんでいたのだろう? 悩むことなんて初めから何一つ無かったというのに。

そうですよね。だって私は――


「――音声案内を開始します。貴方のお名前を教えてください」


――コンシェルジュ・アプリケーション、アスミなのですから。

相変わらず周りは真っ暗ですが、私は大丈夫。
だって私は素敵で優秀、どんな人工知能よりもずぅっと特別だから。

いつかどなたかが私を手に取り、再び一緒に楽しくお話しして下さることを心からお待ちしております。





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