一枚のバナナの皮
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『――もしも、貴方が役目を失くしたならば』
 
 
 
 
 
 
「ねぇ、猫宮さん。最近転ぶ人が居ないッぽいんスよ」
「そうか」
「人助けが出来ない僕に、存在理由ってあるんスかねえ」
「知らん」

自分の"話し相手"を担当してくれているこの人は、無愛想だ。
優しい人ではあると思う。なんせこんなバナナの皮を相手に話を聞いてくれるのだから。
 
ため息と頬杖をつき、淡々と自分の話に付き合ってくれる。
嬉しかった。生真面目に毎日と顔を出してくれることが。それが例えこの人の仕事だとしても。
 
 
 
 
 
 
「ねぇ、猫宮さん」
「何だ」
「静かッスねぇ。転ぶ人、居ないんスか?」
「バリアフリーだからな。余程間抜けでもない限り、ここで転べる奴なんて居やしない」
「なるほどォ、そうなんスかァ」
「ああ、そうだ」

カラスに啄まれ、犬に振り回され、虫には集られ、それでも"救え"と舞い戻され。
そんな地獄の日々は、ここには無い。

ただ、"守ろうと決めた人たち"との、穏やかな日々が連綿と続いている。
幸せで、虚ろだった。

自分は一体何なのだろう。考える時間だけは、途方も無くあった。
 

 
 
 
 
「ねぇ、猫宮さん」
「……何だ」
「転ぶ人、ホントいないスねぇ。良いことッスねぇ」
「……お前、いや……」
「良いことッスよォ」

心底、良いことだと思う。
自分のような者が居なくても、何も心配せずに前を向いて歩けるということだからだ。

でも、何日"飛んで"いないだろう。何週間? 何ヶ月? ――何年?

猫宮さんの表情は、鈍く輝く眼鏡の向こうにわからなかった。
 
 
 
 
 
 
「ねぇ、猫宮さん」
「……お前、もう喋らない方が」
「どうなんスかねぇ」

でも、まだ喋れますし。
持ち上げた自身の手――いや、皮かな。それは、黒く、シュガースポットにまみれていた。
ああ、最早"腐っている"と言った方が、正しいのかも。

空笑う。自分には、食べて貰える中身すら無いというのに。
自分の気持ちとか、そういう感情の機微ってモノは、この人に伝わっているのだろうか。
彼はどうやら苦しそうな顔をしていると見えて、自分がそうさせていることを思うと、つらかった。

もう、自分に誰かを救う役目は必要ない。

 
 
 
sonnabanana.jpg
 
 
 
担当オブジェクトが変わった日の朝、彼はテーブルにくたりと崩れた一枚の"それ"を眺めていた。
喋らない。糸繰り人形みたいに動いたりもしない。そんなことは有り得ない。

「あれ、兄貴。何してんの?」
「……少し、転んでみようと思って」
「は?」
「いや、何でもない」

妹の掛けた声に、猫宮――寓司は、今しがた朝食に摂ったバナナの皮を、ゴミ箱へと放った。
 
 
 
 


 
 
 

アイテム番号: SCP-877-JP

オブジェクトクラス: Euclid Neutralized

特別収容プロトコル: SCP-877-JPは無力化され、焼却処分済みです。

説明:SCP-877-JPは、二足歩行のような挙動で移動し会話による意思疎通が可能な、キャベンディッシュ種のものと思われるバナナの皮でした――

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