それでもなお諦めるなかれ
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-Day [DATA EXPUNGED]-


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赤い雲と赤い太陽と赤い空気が、目の前に広がる赤い空を形作っている。相変わらず、あの肉の赤光は憎たらしいまでに綺麗だ。この太陽は笑っていないものの、空の雲からは絶叫と悲鳴の雨が降り注いでいる。

この宇宙が「何番目」だったのかを思い出せず、端末を取り出して起動し、文書データを確認する。……ああそうだ、[データ破損]番目だ。スクラントン現実錨Scranton Reality Anchorに現実性を吸われて、ZK-クラスシナリオを迎えている、大量の宇宙。携帯型SRAもどれぐらい使っているのかわからない程、そんな宇宙を転々としてきた。今は、少し疲れて地面に腰を下ろしている──呻き声を上げる、元は人間であったであろうものがたくさん積もった地面に。

自分がこの異常な環境に慣れてきているのを感じ、恐怖と自嘲の混じった笑いが零れる。この悲鳴や呻き声はもう何百回と聞いたし、赤以外の色は端末の画面しか思い出せない。あの穴をくぐり抜けるべきではなかった、という後悔はもうし飽きてしまった。もう、心を動かすことには疲れた。

死ぬか、と思って携帯型SRAに手を伸ばす。だが、目の前の成れの果てたちのようになっていく姿やその苦痛を想像すると、どうしても途中で手が止まってしまう。ああはなりたくない。この前は携帯していたナイフで喉笛をかっ切ることも考えたが、肉体の疲労は想像以上に蓄積されていて、思ったように動かせなかった。……いや、それすらも恐怖しているのかもしれない。俺には死ぬ勇気すらないのだろうか。

疲れて休んでいるというのに、思考はどうしてもここにたどり着いてしまう。仕方ない、悲鳴をBGMにして寝付くしかないだろう。幸い、この宇宙の太陽はさほどこちらを暑く照らしてはいない。ここで初めて、異常な環境への慣れを喜ぶことができた。

*

どれくらいまどろんでいただろうか。ふと目が覚めると、悲鳴の中に1つはっきりとした発言があったのを耳にした。

「参ったな。」

数瞬呆けた後に、それが現状で最も「異常」なものであることに気がつき、飛び起きた。見ると、俺から1mと少しほど離れたところ──携帯型SRAの効果範囲内に、見慣れない人間、それもはっきりとした形を保った人間が立っていた。手にはストップウォッチを持っていて、背中には、見慣れない缶詰の覗くリュックサックをかけている。その人間は付近を見渡し、俺を一瞥したものの、すぐに反対方向へ進み始めた。……SRAの効果範囲外へと。

「ま、待ってくれ!」

「…?」

幸い、彼が話しているのは見知らぬ言語ではなく、英語だった。俺は、一応の警戒心を持ちつつ話しかける。

「あんた、どっから来たんだ?さっきまではここにいなかっただろう。」

その人間は、不審がった表情をして再び俺を一瞥した後、そこを去ろうとした。だが、すぐに足を止めて振り返り、俺の方……胸のあたりを見た。数秒くらい経ってから、俺の目を見て言った。

「……財団の人間か?」

意外な質問が返ってきた。財団のエージェントなら、ここで首を縦に振るべきではないのだろう。でも、俺はもう財団に失望している。二つ返事で「そうだ。」と言った。その人は暫く悩んだ後、リュックサックを下ろして、こう言ってきた。

「すまない、食べ物はないか?」

*

俺は、自分が持ってきていた食糧の幾つかをその人に渡した。本当なら、現地で調達した気味の悪い缶詰を渡した方が良かったのかもしれない。だが、この人の真剣さを見て、つい数少ないまともな食糧を渡してしまった。

その人はというと、余程腹が減っていたのか、その場ですぐさま食糧に食らいついていた。あっという間に平らげると、「ありがとう。まともな食事ができたのは久しぶりだ。」と笑顔で言ってきた。俺は、久しぶりに胸に温かいものを感じた。

「……さて。食事も済んだことだし、改めてあんたがどこから来たのか教えてもらいたい。」

そう訊かれて、その人はストップウォッチに目をやる。見ると、まだ4分程度しか経っていなかった。

「……あと5分だけなら話せる。」

「わかった。それだけで十分だ。」

俺がそう答えると、その人は語り始めた。多元宇宙の転移、財団のあった世界の滅亡、その使命について。その内容はどれも、ZKを何度も経験した筈の俺にとって衝撃的な内容だった。財団ならそれくらいやってもおかしくはないが……そんな途方もない旅を、この人がやっている。その事実に何より目を丸くした。

「……あんた、たった1人でよくそんなことを──」

俺が驚いているのを見たその人は、「ああ。」という言葉しか返さなかった。まるで、それが当然であるかのような言葉だった。

「……なあ、俺の話も聞いてもらえないか?」

……俺は、その姿を見て自らの境遇を吐露したくなった。どこか似た境遇なのに、俺と違って堂々とした姿。それを見て、相談──いや、懺悔をしたい気持ちが抑えられなかった。

「ああ、いいよ。」

二つ返事だった。それを聞いて、俺はすぐに話し始めた。穴の発見、俺の投入、ZK、財団とSRAの真実……。長い間人間とのまともな会話をしていなかったからだろうか、言葉が溢れ出てくるように全てを話してしまった。

「………」

暫く無言で、その人は話を聞いてくれていた。俺が話し終えると、その人は無言のままリュックサックの中に手をいれ、黄色い小さな花を取り出した。

俺は少し驚き、「これは何だ?」と訊く。答えが返ってくる。

「タンポポだ。私は、タンポポのお酒を作るつもりだ。」

「……は?」

「タンポポのお酒。知らないか?」

唐突に出てきた単語に驚かされた。タンポポ……というのがこの花の名前ということだろうか。それで酒を作ると?何故?そんな疑問が俺の頭の中で回り始める中、その人は続ける。

「確かに、財団が世界を滅ぼすこともあるかもしれない。事実私も、狂った財団が人類を統制した挙げ句、食糧難からカニバリズムに走ったのを目の当たりにしたことがある。でも、そうでない財団もあった。必死に世界の終焉を食い止めようとして失敗した財団もたくさん見てきた。だから、絶望なんてしない。というか、絶望なんてしている暇がないんだ。こうして転移し続ける中で、いつ死ぬかもわからない。でも、私には伝えなければならないメッセージがある。これを伝えるまで、私は絶対に死ぬわけにはいかないんだ。」

その力強い言葉は、俺の心に何度も何度も強い衝撃を与え続けた。この人の心には、芯がある。何があろうとぶれない真の覚悟と決意がある。

「……ただ、やはり挫けそうになる時はある。そういう時は小目標を立てるといい。私は今、あちこちでタンポポのお酒の材料を集めている。タンポポが茹でられる光景が好きでね……。これを飲むため、というのが現状を生きる一番の目的だ。君も、何か目標を持つといい。何なら、私と同じようにタンポポのお酒を作ってみるのはどうだい?作り方はここにあるから。」

そう言って、俺にタンポポの束と紙切れを手渡してくる。俺は無言で、返事もせずそれを受けとる。

「さて、そろそろ次の転移だ。美味しい食事をどうもありがとう。君に、幸運があることを祈っているよ。」

そう言い残し、その手のストップウォッチが09:00を示した。直後、その人は消え、俺と俺の持ち物だけが残った。たった5分の会話だった。








-Day [DATA EXPUNGED]-


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白い光が視界の大半を埋め尽くす。俺の目の前には3つのものが置いてある。携帯型SRA、端末、そして瓶詰め。俺はまず瓶詰めを手に取り、中に入った花ごと、その中の液体を飲み干した。酒も、花も、然程旨いと言える味ではない。だが、飲んでから少しずつ、身体に力が湧いてくる。同時に、胸の辺りに温かいものを感じる。ここで終わりにする、その覚悟をする為の酒だ。感情の振り幅が少しずつ変になっていっているようだ。だが、こうでもしなければSRAの電源を切ることなんてできない。

俺は深呼吸をして、端末の電源を入れる。そして、端末に向かって真実を話し始めた。この真実を届けなければならない、狂っていない財団へと。少しでも、終わりに向かう世界を減らすために。

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